第三章「狂気の宴」/ 11


 

 地下4階。
 男爵の本陣として早くから人払いで無人になっていたフロアは戦いの傷は少なかった。
 唯一激戦区となったホーム以外は綺麗なものと言っていい。しかし、今この場所でこのような場所は不気味というか、何らかの思いを抱かないではいられない場所だった。

「―――そろそろ終わりかな?」

 外見では少女とも少年とも判別のつかない者は柱の上の方から顔を出し、心底楽しかったと言える表情で呟く。
 眼下には最終ダンジョンを攻略中のような6人がソロソロと歩いていた。そして、彼ら"誰ひとり"としてこの者に気付いた者はいない。

「風術師の探査力も地下ではやっぱり落ちるね」

 周囲の空間を歪めながらそこにある者はにっこりと笑った。

「でも、今日はちょっと失敗したよ。やっぱり、忍びでよかった。麟なんか連れてきたら戦いになってたからね。それはそれで面白いかもしれないけど、他人の宴にゲストが主役顔しちゃ興醒めだよね」

 そのままクスクスと笑い出す。

「でもなぁ、もう少し演出に拘らないとね、"男爵"。隠れてるのに見つけられるなんて情けなすぎぃ。・・・・まあ、"男爵"だから仕方ないかな、うん」

 ストッと数メートルの高さを無駄なく飛び降りたその者はズボンの後ろポケットに両手を突っ込んで歩き出した。

「とりあえず、挨拶しようかなぁ。無料で見てたわけだし、感想を言わなきゃ、ね」

 非常口のドアノブを掴む。

「う〜ん、ここかな」

 悩む素振りを見せ、その者は扉を開けた。

「―――お待ちしておりましたぞ、陛下」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

―――パタン

 ポリポリと頬をかく。

―――カチャ

「やあ、総次郎。元気?」
「・・・・今は何も言いますまい。麟が石になっておったが、それはそれということで」
「助かるよー、総次郎」

 作務衣姿の壮年を見上げ、ニパッと笑った。

「陛下、反省という言葉を・・・・いや、言うだけ無駄だな」

 やや疲れたように肩を落とした偉丈夫はすぐに胸を反らして促す。

「さ、お帰りを。我はまだ、仕事が御座います故」
「ううん、付き合うよ。―――軍規違反の取り締まりを、ね」

 地下鉄の線路の上で誰にも悟られず、彼らは"男爵"包囲網を築き上げた。






熾条一哉 side

「―――む!?」

 大量出血で霞む視界の中、男爵とヘレネが驚きに目を見張った。
 穂先が一哉に触れた瞬間、ドロリと穂先が溶け落ちたのだ。

「男爵、お前は間違いを犯した」
「な、に・・・・?」

 覚えのある言葉。
 一哉は過去の戦いの最後に言った言葉をそのまま男爵に叩きつけた。

「その数は3つだ。死に行く者への手向けとして教えてやろう」
「貴様・・・・っ!?」
「まあ・・・・っ」

 彼を拘束していた槍が燃え上がる。
 危険を感じたヘレネは男爵を庇いながら後退し、盾と槍を改めて構えた。

「ひとつは・・・・対抗勢力の多い場所で戦いを仕掛けたこと」

 拘束から逃れた一哉はフラッとよろめくも、しっかりと踏ん張る。しかし、その動作で少なくない血が彼の体から噴き出した。


 ここは日本国。
 国連が秘密裏に組織する国際退魔組織の支部設置すら拒否するほど強大な退魔組織が乱立する退魔大国。
 表裏の境目が未だ不鮮明な中東と違い、この国はしっかりと線引きされ、門番たちもいる。
 ここで騒動を起こせば一哉だけではなく、その者たちも相手にせざる得なくなり、一哉に向ける戦力は激減するのだ。


「ふたつは・・・・また、勝利を前に俺の前に現れたこと」

 一哉を中心にして地面に緋色の円が描かれる。
 その輝線からは時折、太陽のプロミネンスのように炎が噴き出していた。


 前戦では不用意に一哉に近付いたために左腕を失ったことを忘れてはいないだろう。
 それなのにまた、間合いに入ってきた。
 これはもう、戦場に身を置く者としては致命的としか言いようがないだろう。


「みっつは・・・・俺に血統を思い出させたこと」

 ドンッと爆音を轟かせ、円から透き通った緋色の炎が立ち上る。
 それは一哉の衣服をはためかせつつ、付着した血を焼き尽くした。


 一哉の血統は最高級だ。
 炎術最強熾条宗家の直系術者にして基本火力にしては当代一(緋談)である。
 さらには一見で補助術式――"炎獄"をマスター。
 炎の上に乗るというコツの必要なスキルも簡単に身に付けるという天賦の才もある。


「くっ・・・・こ、これは・・・・」

 先程までの炎と輝きがまるで違う。
 この炎は荒々しい雰囲気などなく、ただそこに悠然とあるだけの圧倒的な存在感と荘厳さを持っていた。

「貴様、まさかこれほどの―――」
「『火力だけは当代一かもしれない』」
「・・・・なに?」
「これがもうひとりの炎術師が俺を評価した言葉だ」

 一哉は全身が炎に包まれたまま歩き出した。

「考えてみれば俺は本気で炎をぶつけたことがなかったな。・・・・いや、本気の一撃なぞ一度たりとも出したことがない。それで炎術が封じられたと錯覚するなんて・・・・まるで素人の判断だった・・・・」

 独りごちる一哉目指し、ヘレネが槍を放り投げてくる。
 何度も貫かれた炎はまるで絡め取るように槍を包み込み、一気呵成に燃やし尽くした。

「知ってるか? 熾条の直系が本気になれば活火山の火口に匹敵するほどの<火>を集められると」

 もう、一哉は立っているのも信じられないほど血を流している。
 見た目に変化がないのは噴き出す血がすぐに焼却されるからだ。
 それなのにどうだろう。
 一哉を包む炎はますます火勢を強め、反対に2人には全く熱を伝えない。
 炎が持つエネルギーを全て統御し、一哉は保有しているのだ。

「なんという・・・・」

 男爵は自分で車椅子を扱い、無意識の内に下がっていく。

「マスター、お下がりを。ここは私め―――」
「無駄だ、人形。お前の盾如きじゃ、この炎は止められない」

 一哉は無防備に転がっていた<颯武>を拾った。
 その動作で限界を超えたのか、一哉を中心に放射状に炎が疾る。
 そんな真正の炎に耐火効果など紙も同然だった。
 炎は壁や機械、地下鉄車輌やおそらく3桁はあるだろう死体などを呑み込む。
 凄惨な戦場が音もなく炎上し、全てを覆いつくさんと燃え広がった。しかし、やはり煙もなく、辺りを威圧するような熱もない。
 火の粉がはらはらと舞い散り、赤系統と黄系統による鮮やかな色彩の炎が踊った。
 まるで何かを挟んで景色を眺めているような、現実感のない壮大さ。
 そんな幻想的な景色の中央に右足を前に出して腰を捻りながら落とし、力を貯めるようにぐっと心持ち前に重心を移動させている一哉がいた。

「マスター、お下がり下さい。ここはもう持ちません」

 ヘレネは盾も槍も仕舞い、車椅子の取っ手を持って逃走に入る。
 男爵は何か言いたそうだが、さすがにこの状況で戦えと言うほど素人ではない。

「何がいけなかったのだ、何が・・・・」

 視界の大部分が炎に包まれた2人はこれまで一哉の炎を弾き返してきた耐火能力を消耗しながら走った。

「分かりませんが。・・・・やはり演出に懲りすぎたのでは?」
「むぅ、せっかく"宰相"不在の間にことを起こしたというのに・・・・」

 一哉はあの場所から動いてはいなかったが、どうせ柱も全て焼却してしまっている。落ちてくるはずの3階部も軒並み破壊されていたのか、あっという間に燃え尽きた。
 今は地下3階の天井が十数メートルほど頭上に辛うじて残っているだけで、一哉と2人を遮るものは何もない。

「とにかく、今は逃げましょうっ」
「くそっ、覚えておれよ、"東洋の慧眼"ッ」

 2人が確保しておいた脱出路に達しようとした時、真炎の向こうから声が届いた。


「―――燃えろ」


 炎の奔流が男爵とヘレネ諸共、地下鉄音川駅のホームを朱に染め上げる。そして、一瞬の停滞後に爆音という衝撃波を以て完全に焼滅させた。






Epilogue

 夢を見る。
 それは遠い中国での日々。
 町中ではなくどこかの村で1人、ぼおっと空を見上げている。
 その姿は無防備でまだまだ修行が足りないと思わせた。しかし、力はついてきているようでどこか頼れる感がしないでもない。
 その姿から見て、厳一が熾条宗家を出奔して2、3年経った6歳くらいだと分かった。
 中国には3歳から7歳までいたが、誰がいて何をしてどんな風景だったかも思い出せない。しかし、これは脳が覚えている記憶の断面なのだろう。

 ざあっと音を立て景色が流れる。
 そこには少し大きくなった一哉と厳一、そして、時任蔡がいた。
 いつごろから行動を共にしているのかも覚えていない。しかし、蔡は厳一と一緒になって戦いのいろはを教えてくれた。
 厳一からは敵戦力の分析方法、銃器の扱い方・入手方法などの基本と応用である謀略奇策などを。
 蔡からは単純な体術から刀剣の使用方法、そして、"気"の扱いだ。
 "総条夢幻流"
 いつの時代に誰がどこで何のために編み出したかも不明の武術。
 合気道のように相手の<気>を利用するものではない。最初から自分のものであったり、外からもらってきたりする"気"の扱い方だ。
 蔡自身、地脈に満ちる<気>を吸い上げることを戦法にしていた。

 ここからはずいぶんはっきりしている。
 一哉がライフルを片手に隘路を通る軍隊を見下ろしていた。
 蔡と別れ、一哉と厳一は中東に入る。
 そこで行われた大規模の国軍による略取で2人は離れ離れになった。そして、一哉が捕まった牢獄は囚人の解放を目指したゲリラ組織に襲撃され、一哉は脱獄してゲリラ組織に身を寄せたのだ。
 「正規軍の凶行を許さない」という思想を掲げる者たちへと。
 しかし、事実は違った。
 普通に国の中では生きていけない者たちの集まり、ただ自分たちを苦しめていた者たちに対する復讐が蠢いていた。
 確かに理想通りの働きをしていた。しかし、どんなに助けてもすでに復讐に身を委ねている者を誰が容認できようか。
 助ける者からも否定された彼らが向かうところは人間不信による内部崩壊しかない。
 実にいい時期を男爵は狙ったと言えるだろう。


 景色は流れに流れる。
 あっという間に4年のゲリラ生活を終了し、今年の4月がやってきていた。そして、急に視界がぼやけ始める。


(えーっと・・・・まさかこれが噂に聞く走馬灯、か!?)

 そんな思いの中、意識はブラックアウトした。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 もとい、目が覚めて暗い天井を見上げていただけだった。

 とりあえず現状認識。
 今見ている天井は病院の。しかも、個室。
 大方あの後、倒れた自分はここに運ばれ、「何だ、大したことねえじゃん。とりあえず病室に放り込んどけばオッケーオッケー」ってなノリでまさに放り込まれたのだろう。
 弾丸を撃ち込まれたりもしたが、傷付けたのは表面だけ。
 出血だけ派手な人騒がせな怪我、ということだ。

 根拠1 服は血や塵で汚れたままの私服(半脱ぎ)。
 根拠2 掛け布団はかけられず、その上に寝かされている。
 根拠3 手当てを敢行したであろう救急箱(家庭用)と看護していたであろう人物がベッドに突っ伏している。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?」

 一哉は首を巡らせ、辺りを見遣る。
 何やら隣で緋が幸せそうにベッドの中に入ってきているのはこの際、放っておくことにした。

「―――すぅ・・・・すぅ・・・・」

 穏やかな寝息をたてている少女はどうやら寝ている間でも気配は消せるらしい。
 というか普段から希薄なのだろう。
 日々の生活とはどこまでも偉大(←ちょっと違う)なのだろうか。

「―――感謝しろよ、一哉」
「・・・・師匠」
「ほ、まだ師匠と呼んでくれるのか?」

 クク、と喉の奥で笑う蔡。

「緋は俺の意を汲んでドサクサにまぎれて暗殺できなかったのか。くっ、人選を誤ったか・・・・」
「ぶっ殺すぞ、この野郎♪」

 とてもさわやかな笑顔に青筋を紛れ込ますなど、さすがプロだ。

「冗談だ。もし本当ならば、あいつは笑顔で三途の川をも干上がらせるほどの一撃を贈呈するだろう」
「言い返せないのが怖いな」

 想像したのだろう。少し顔を蒼褪めさせていた。

「で、何を感謝しろと?」
「この病院はああいう事件の被害者を搬送するところらしくてな。ここには多くの患者が運ばれている。だから、貴様のような一見重傷そうで大丈夫な患者は病室に放り込まれるだけで『自分の新陳代謝を信じてください♪』なんていう看護婦さんの一言で処置終了だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 あまりの分析の正確さに驚く。
 だが、できれば当たって欲しくなかった事実でもあった。

「よって傷の手当てはこの女童がして、ずっと看ていたんだぞ。自分も極限状態で疲れていただろうに」
「すゃ〜・・・・くぅ・・・・」

 幸せそうな寝息だ。
 そんな少女――瀞の手にはまだ包帯が握られていた。

「そうか・・・・」

 ポンと瀞の小さな頭に手を乗せる。
 手のひらに柔らかで滑らかな感触が伝わった。
 ポンポンと少し強めに撫でても起きないところを見ると爆睡しているらしい。

「お前ももう少し寝ておけ。女童は空いてるところに入れておく」
「ああ」
「それと、残念ながら頭は無事みたいだぞ?」
「残念って何だよ?」
「いや、多少演算能力が落ちてくれた方が余計なことを考えなくてすむだろ。そうすれば楽しいことも見えるしな」

 余計なこと。
 それは事実なのだろう。
 一哉は1人でいると何故か思考に沈んでいることが多い。だからか、いつもぼぉ〜っとしていると言われるのだ。
 確かにあのクラスで物思いに耽っていてはせっかくのイベントに出遅れる(←かなり洗脳されてる)だろう。

「―――っと悪い。これを訊いとかなくちゃな」

 ドアの前で振り返った蔡はまっすぐに一哉の目を見て言った。

「お前、これからどうするんだ?」
「は―――?」
「何か目的があるのか? 今お前は過去を振り切ったんだろ? もうお前があの世界に戻ることはない」

 事実だ。
 もはや中東の英雄――"東洋の慧眼"があの戦場に戻ることはない。

「何かしたいことがあるのか?」
「・・・・別に」
「ならば【熾条】に戻るのか? 確固たる意志がないならば、方針を示してもらうのもひとつの手だぞ?」

 ベッドの隣にイスを持って来てそのまま座って言った。

「【熾条】には戻らない。俺はここにいる」
「・・・・そうか。【熾条】ならば厳一殿と会えると思うが?」
「会ってどうする?」

 素朴な疑問に蔡は首を捻りながら自信なさげに言う。

「親子の情を深めるとか?」
「すごい勢いで深まりそうだぞ、溝が」
「・・・・・・・・・・・・・・・・なるほど」

 深く納得したようだ。

「じゃあ、日常は?」
「は?」

 間抜けな声とその表情を蔡に向ける。
 それを見て蔡はため息混じりに補足説明してくれた。

「お前にとってもはや戦場とは非日常なことだ。ならば日常は何をするんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 長い沈黙が降りる。
 一哉は答えられなかった。

「まあ、無理して答えを出すな。師匠として一言―――悩め。お前は即決が多すぎる」

 蔡は去る。そして、その足音が完全に聴覚外に行った時、一哉は絞り出すようにして呟いた。

「悩む、か。・・・・未知の領域だな」




「―――ふむ。SMOとやらは情報管制がお得意、か」

 翌日。
 一哉は自宅で新聞を広げながら呟いた。
 「地下鉄音川事件」と命名された今年最悪の事件は死者、行方不明者併せて597名、重軽傷者は四桁を超すという大惨事になった。
 地下鉄としての駅の機能は一哉が完全にそこに転がっていたはずの死体百数十諸共焼却したのでまるで再開の目処が立っていないらしい。
 事後処理に業者だけでなく、警察・消防署も出動しているという。しかし、それは操作された情報だろう。
 処理を行っているのはSMOの事後処理に適した異能を持つ者たちに違いない。

「ふむ。とりあえず、『日常』はこの裏世界の情報入手としますか」

 またまた即決し、一哉はコーヒーを飲み干して流し台に置いた。

―――ピンポ〜ン

「んあ?」

 来客を告げるチャイム。
 一体誰が来たのだろうか。

「はいはい、どなた?」

 カチャリと不用心に誰かも確かめずにドアを開けた一哉は―――

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

―――何事もなかったようにドアを閉めた。

『―――え? ちょ、ちょっと一哉!? いきなり閉め出し!? どうして!? 私何かした!?』
「幻覚だ。幻覚が見えた・・・・」

 目を覆うように手を顔に持っていった一哉はドアにもたれかかりながら呟く。

『ええ!? 今私が喋ってる声は何!?』

 ダンダンダンと扉が音を立てた。

「そうか、幻聴もあるのか。ダメだな。やっぱり昨日の疲れが残ってるんだ。うん、仕方がない学校休むか」
『今夏休みだよッ!』

 打てば響くようなツッコミは実に聞き心地がいい。

「お前何しに来たんだよ」

 仕方なくドアを開ける。
 そこには何やら大荷物の瀞がいた。
 そう、さっきのは幻覚ではなかったのだ。

「昨日もいたんだけど?」

 やや拗ねたように口を尖らせる瀞。
 童顔の容貌と相まってとても高校生には見えない。

「あれは遊びに来たんだろ? でも、遊びにきたのにそんな大荷物いるのか?」
「ホントは遊びに来たんだけど・・・・気が変わったの」
「はぁ?」

 一哉は怪訝な顔をして瀞の顔を見つめた。

「今日からまたお世話になるね?」
「・・・・ん? 幻聴か?」

 耳を弄りながら瀞の頭の上を視線が通過し、現実逃避を敢行する一哉。
 瀞は今度は無視して続ける。

「9月から正式に編入するから。まあ、その辺は超法規的処置でどうにでもなるしね。後は一番居心地のいい生活空間の確保。ってわけで罷りこしましたッ」
「帰れ」

 にべなく却下。

「うわぁんッ! ホントは空いてる部屋がなかったんだよぉッ! 寮もみんな埋まってるしッ、編入決まって路頭に迷うなんてヤダッ」

 ガシッと一哉の袖を掴み、潤んだ目で見上げてくる瀞は必死だった。
 確かに音川町は学園用の1人暮らし用のマンションが充実しているが、足りないと聞いたことがある。
 男ならともかく女が入る物件はなかなか見つからないだろう。

「前みたいに家事もするしっ、仕送りだから家賃とか食費にもお金出すしっ。それに・・・・それに―――」

 瀞はちょっとはにかんで言った。

「一緒にいて余計なこと考えなくしてあげるから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 聞きようによってはかなり意味深なことだが、瀞に限ってそういう意味ではない。ならば、師匠から聞いたのだろう。

「ね?」

 小首を傾げ、可愛らしくにっこりと笑った。

(・・・・師匠、あったよ、悩み)

 不退転の意志を感じ取った一哉は遠い目をして思う。そして、彼女の言う「余計なこと」とは無関係に考えた。

「ちょっと〜、無視〜?」
「・・・・空が、青いなぁ」

 一哉が眺める夏の空は入道雲が立ちこめ、そこへ一機の旅客機が突っ込んでいく。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 まさに心境が景色に現れる瞬間だった。






マディウス side

 時は遡り、地下鉄音川駅事件の深夜。
 音川駅から脱出し、線路を行く一団があった。
 影は10個で前後を気にしながらゆっくりと進行している。

「―――マスター、まもなく地上部に出る階段です。一応のため、≪クルキュプア≫を先行させますか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・いや、共に行こう」

 それは男爵一行だった。
 男爵たちは一哉の攻撃をヘレネが盾を放り投げると言うことで一瞬だけ押しとどめたのだ。
 その間に脱出路から逃げ出し、今は地下鉄の線路を歩いている。
 ヘレネは盾と左腕を失い、耐火服だったメイド服もボロボロになったため、無理矢理ひん剥いた男爵の外套を着込み、車椅子を抱えていた。
 男爵にとって車椅子は生命維持装置である。
 過去に一哉によって左腕を失った時、溢れ出る生命を取り繕うため、その近くの病院にあった車椅子に魔力的付加を行い、一命を取り留めたのだ。
 その関係で車椅子から離れられなくなったが、ヘレネのおかげで移動に不便なことはない。

「―――マスター、申し訳御座いません」
「は?」

 ヘレネは一言謝ると男爵を放り投げる。そして、白自動フランス人形――Biancoから日傘を奪うと頭上向けて突き出した。

「む!? 貴様らっ」

 日傘はランスと打ち合ってえぐり取られる。しかし、ヘレネは慌てず、渾身の力を以て襲撃者を壁に叩きつけた。
 片腕だけでもやはりその力は人間を凌駕する。

「へっ」

 襲撃者はスタッと足から壁に着地し、すぐに戦闘態勢に切り替えた。
 さらにやや前方にもまた気配が沸く。

「白銀、黒鉄か!?」
「―――"男爵"、身に覚えがあろう?」
「そうそ。さっさと刀の錆になりな」

 闇の中で不気味に浮かび上がる漆黒の鎧と僅かな光を反射する白銀の鎧。
 彼らは萩原兄弟とは比べることもできないほど格上の騎士。
 主に組織の軍規違反者を取り締まることを任務とする綱紀粛正仕置き人だ。

「むぅっ」
【させない】

 男爵を守るように≪クルキュプア≫が展開する。
 当初は百を超えた彼らも地下街の戦いで大きく数を減らし、今や8体が総数となっていた。

「往生際が悪いな」

 白銀が右腕を引き、ランスの穂先を突き出す形で突撃態勢を調える。

「待て、御前だ」

 黒鉄が脇に退け、跪いた。
 そこに戦意は感じられず、"男爵"たちは怪訝に思いつつも彼の背後を見遣る。

「「あ・・・・」」
「―――久しいな、"男爵"」

 作務衣の偉丈夫が周囲を威圧して止まない堂々たる立ち振る舞いで現れた。

「こ、"公爵"閣下っ。まさかあなた様が・・・・」
「それくらいのことをしたということだ」

 "公爵"と呼ばれた彼の腰には大太刀二振りが吊り下げられている。
 その柄にガシャリと手を置いた"公爵"は裁定を告げた。

「本来ならば斬刑に処すところだが、陛下を満足させた戦いぶりを評価し・・・・・・・・不問にいたすっ」
「―――うん、おもしろかったよ、"男爵"」

 暗がりからもうひとりの上役が姿を見せる。
 その者は満足そうに笑い、"男爵"を労った。

「こ、皇帝陛下っ!?」

 "男爵"は敗戦の疲れを吹き飛ばすほど驚愕する。
 彼の所属する組織のトップ2人が軍規違反をした自分の前にいるのだ。
 卒倒しなかっただけマシと言えるだろう。

「"男爵"よ。萩原兄弟は最低騎士とは言え、彼の"風神雷神"を相手によく戦った。そなたの戦場設定と策がよかったのじゃ。貴様らしいな、奴らに釣り野伏せを教えたのは」
「は、はいっ」

 ダラダラと脂汗が流れる。
 それほどまでに"公爵"は格が違うのだ。
 もう、"男爵"の視界に自分たちを葬ろうとしていた黒鉄白銀コンビの姿はない。
 それすら気付かないほど、"男爵"は歓喜に包まれていた。

「確かに貴様は軍規違反を犯した。しかし、それを補って余りあるほどの戦闘情報を残した。それに何より、我々の情報は一切漏れておらん」

 「帰るぞ」と言い、"公爵"・眞郷総次郎幸晟は背を向ける。
 その背中に皇帝が声をかけた。

「あ、ごめん総次郎。僕、"風神"に見られた」
「「何ですと!?」」

 "公爵"と"男爵"の声が見事にハモる。

「いつです!?」
「萩原兄弟が殺られる時、"雷神"の余波で空間操作が狂っちゃって。立て直すまでの一瞬で"風神"がこっちを見たんだよね。うん、さすが"風神雷神"だね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 "公爵"はジト目で皇帝を見ていたが、やがて諦めたように嘆息した。

「"男爵"、貴様のせいではないが・・・・忙しくなるかもしれん。今後とも励め」
「は、ははっ」

 "男爵"は≪クルキュプア≫の魔力供給を切り、それらを収納する。

「萩原兄弟の代わりを・・・・考えねばなるまいな」
「有り難う御座います」

 自分を気遣ってくれる上司に深く頭を下げ、彼ら一行はそのまま虚空に消えた。










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