「筑後騒乱」/一



 筑後騒乱。
 後にこう称される、龍鷹侯国を中心とする連合国軍対虎熊軍団の戦いは、鵬雲六年十月三日に主力である龍鷹軍団が本拠・鹿児島城を出陣したことから始まったとされる。
 その陣容は以下の通りだ。


 先備:三〇〇〇
  大将:長井衛勝(二〇〇〇)
  脇将:佐久仲綱(一〇〇〇)
  与力:長井忠勝(衛勝嫡男)、佐久広綱(仲綱弟)

 次備:四〇〇〇
  大将:絢瀬晴政(二五〇〇)
  脇将:香月高知(八〇〇)、寺島春久(七〇〇)
  与力:久本繁政、南郷繁満

 本備:四〇〇〇
  大将:鷹郷従流(二五〇〇)
  脇将:相川舜秀(一〇〇〇)、畑野朝成(五〇〇)
  与力:吉井忠之、後藤公康、真砂刻家

 後備:一〇〇〇
  大将:鹿屋利直(一〇〇〇)
  与力:角家儀藤

 合計一万二〇〇〇。


 これらの戦力だが、全てが鹿児島を出発したわけではない。
 先備である長井衛勝は水俣から、佐久仲綱は人吉から出陣する。
 次備である日向衆はもちろん日向から大口を経由して水俣へ。
 本備と後備は鹿児島から串木野-川内-出水に至り、そこから船に乗る。
 龍鷹軍団の全戦力が揃うのは、肥後・八代城下である。
 そこはもちろん、聖炎国の領国であり、北上してきた龍鷹軍団が「一万二〇〇〇ほどである」という情報はその日の内に熊本城・火雲珠希の下に届けられた。



「―――で、どういうことか説明してくれるかな?」


 結果、八代からさらに海路で熊本に先入りした龍鷹軍団司令部は、即行で珠希に呼び出された。

「えっと・・・・」

 挨拶もなしに切り込まれた従流は困惑した表情を浮かべる。

「阿蘇で僕は龍鷹軍団が二万を連れてくると聞いたんだけど?」

 それが一万二〇〇〇である。
 約束していた兵力の六割だ。

「まあまあ、豊後の兵も動かしていますから」

 そう返したのは、外交担当部門――治部省のトップ・鹿屋治部卿利直だ。

「確かに岡城の村林勢が合流のために阿蘇に入ったことは聞いています」

 これに答えたのは珠希に同席していた火雲親泰である。

「しかし、その兵は一〇〇〇ほど。合わせても一万三〇〇〇にしかなりませんが?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 数値を出されて、利直はやや肩を上げた。
 まるで「やれやれ」と言っているようなものだ。

「従流殿」

 その行為に眉をひそめた珠希は、ジロリと従流を睨みつけた。
 この場の龍鷹侯国の代表は、侯王・鷹郷忠流の名代である従流だ。
 利直の態度を諫めるのは従流の仕事である。

「ハ、ハハ・・・・。―――利直殿、ちゃんと説明してください」
「御意」

 恭しく頭を下げた利直は、今度こそまじめな態度で珠希に向かい合った。
 それを見て、珠希が小さく「そういうことか」と呟く。

(やはり聡明な方ですね)

 利直の態度は、「帰参した従流は腫物ではなく、ちゃんとした名代を務めているぞ」というアピールである。
 ちゃんとした名代でなければ、従流の注意を利直が素直に受けるわけがないのだから。

(ただ、やりすぎだと思いますけどね、利直殿)

 聖炎国首脳部の全てが全て、この演技を理解できるとは限らないのだから。

(兄上の悪い影響が出ているんですかね・・・・?)

 龍鷹侯国全体で、こういうお遊びが流行っている節がある。
 これが後々の禍にならぬことを祈るばかりである。

(いや、『祈ってないでお前が何とかしろ』とか兄上は言いそうですね)

 容易に想像できるその光景とその時の苦労に、背筋を震わせる従流を尻目に利直が説明に入った。

「確かに今回連れてきた龍鷹軍団は主力とは言えません」

 先手大将とも言える長井衛勝、絢瀬晴政率いる日向衆はいるが、武藤統教や鳴海直武・盛武らがいない。
 また、白兵戦絶大な戦力を誇る瀧井信成・信輝、近衛衆もいない。

「当然、これには意味があります」
「聞こうじゃないか」

 もったいぶった利直の言い方に、珠希が乗った。

「まず、龍鷹軍団は大遠征になることもあり、途中で戦力の入れ替えを考えています」
「言っていたね」

 鹿児島から戦場となる筑後までは約六〇里(200km超)はある。
 十日ほどかかる距離であり、兵站維持は大変だ。
 龍鷹海軍が担当してかなりの軽減を図るが、虎熊水軍の影響範囲外に荷揚げしようと考えると主要港湾は聖炎国内となる。
 そこからは陸路で補給しなければならない。
 現地調達という手もあるが、大軍を維持するためには現地の住民に多大な苦痛を強いることになる。
 今後のことを考えるとそれは避けたい。

「しかし、それを考慮して、二万と言っていたのでは?」

 親泰が言う。

「その通りです。ですが、考えたのです」
「何を?」
「戦う相手を、です」
「「・・・・?」」

 利直の言葉に、珠希と親泰が揃って首を傾げた。

「前半は虎熊軍団、後半は死人となるでしょう」
「だろうね」

 筑後戦線は西筑後戦線(対田花氏)と東筑後戦線(対虎熊軍団)に分かれる。
 前者が聖炎軍団、後者が龍鷹軍団にすみ分ける予定だが、当然敵は"ヒト"となる。

「なので、前半戦を担当する本部隊は、特に対ヒトで効果を発揮する陣容としたのです」

 本当は少し違う。
 後半戦の陣容こそ、対死人に必要な人材を集めたのだ。

(相性ってやつですよね)

 長井勢や日向衆は単純に白兵戦が強い。
 また、従流率いる本備も伊予戦線が長く、小規模白兵戦に強い。
 だが、死人を相手に白兵戦を演じるには自殺行為と言える。
 だから前半に持ってきた。

「そういう配分にした結果、思ったよりも前半に展開する戦力が少なくなったのです」
「「うむむ・・・・」」

 また珠希と親泰が同じ反応をする。
 両者とも戦略や弁論面では強いが、単純な戦術面での話はやや専門外なところがある。
 このため、ふたりの視線は脇に控えていた名島景綱に向いた。

「どう思う?」
「筋は通っています」

 聖炎軍団を預かっているといっても過言ではない名島は否定しない。

「ボクらもそう分けるべきかな?」
「・・・・そこまでの余裕はないかと・・・・」

 聖炎軍団は八〇〇〇を投入予定だ。
 対する田花氏は三〇〇〇程度と見られている。
 攻撃は防御の三倍という原則を考えれば、それほど余裕はない。

「まあ、そうか。向こうも矢部川、塩塚川と防衛線を敷いてくるだろうしね」

 珠希が肩をすくめた。
 西筑後戦線では陣地戦が予想されている。
 敵陣地に正面から挑むつもりはないが、迂回するにも限界がある。
 それぞれの川で、かなりの規模の野戦が起きると想定されていた。そして、その野戦で最も効果を発揮するのは兵数である。
 事後のことを考え、今の戦力を削れるほど、聖炎軍団に余裕はない。

「というわけで、宣言していた兵力よりも少ないことは納得したよ」

 珠希が従流に向き直って言った。
 だが、一言だけ付け加えてくる。

「で、総大将がキミな理由は何かな?」

 小さく首を傾げながら訊いてきた珠希は、従流の答えを確信していることだろう。

「はい、当然、体調不良です」
「ハハ、だよねー」

 珠希は「分かっていた」とばかりの笑顔だった。

(よかった、怒られていない・・・・)

 従流からしたら、珠希は未知の人物である。
 燬峰王国にも珠希の噂は流れてきた。
 だが、それはやれ「鷹郷忠流を手玉に取った」だの、「虎熊軍団を引き受け獅子奮迅の働きをした」だのと、武勇の噂だ。
 その武勇は先の阿蘇で遠目に見た。しかし、兄・忠流はこう言う。


『あいつは、俺と同じ、謀略家だぞ』


(兄上にない武勇を持つ謀略家・・・・)

 つまりは、忠流の上位互換。

(上位互換とか。恐怖でしかないですね)


「仕方がない。奴がいないのであれば、私が考えるか」

 珠希が目の前に置かれていた筆を持つ。
 「いや~、仕方がないな~」と笑顔で呟く珠希を見て、従流は思った。


(あ、これは本当に兄上と同種の人間ですね)


 これから半刻ほど(約1時間)、従流と珠希はああでもない、こうでもないと議論を重ねた。
 主に珠希が提案し、従流がそれを微修正するという流れだったが、それでも濃密な時間であったと言えよう。
 それもそのはず。
 ふたりが作成していたのは、筑後国へばらまく予定の檄文だった。




『筑後民に告ぐ。
 龍鷹軍団および聖炎軍団は十月二〇日に肥後-筑後国境を越える。
 その目的は最近流れてきた福岡の噂を確かめるためである。
 領土欲はないが、駐留や補給のために明け渡してほしい城もある。
 これらの拠点は目的を達した暁には返還を約束する。

 ―――ただし、邪魔する場合は、踏み潰して押し通る』




 鵬雲六年十月十二日、龍鷹軍団一万二〇〇〇が熊本城下に集結する。
 それを耳目に入れた誰もが「虎熊宗国攻めだ」と確信した。
 そして、それと同時に筑後国内の至るところに標札が立てられる。

 それは誰が――少なくとも受け取る側からしたら――、どう見ても宣戦布告だった。




「―――龍鷹軍団一万二〇〇〇。これに聖炎軍団も加わると、おおよそ二万になるでしょう」

 鵬雲六年十月十五日、筑後国柳川城天守。
 ここで田花氏は主要な家臣団を集めて戦評定を開いていた。

「聖炎軍団も玉名に集結しつつ、先鋒は井出城に達しているようです」

 筑後国と肥後国の国境は関川である。
 その関川南岸に位置する井出城(現熊本県荒尾市本井手)は対筑後の最前線のひとつである。

「もうひとつの最前線である鷹ノ原城にも兵を確認しているとのこと」

 鷹ノ原城(同県玉名郡南関町大字関町)にも兵がいるとなると―――

「三池郡は南方と東方から攻められるということか・・・・」

 田花氏の領国は筑後国山門郡と三池郡だ。
 この三池郡南部(現大牟田市エリア)の統治のために築城された甘木城(現福岡県大牟田市甘木)と国境山岳地帯を守る三池山城(同県同市今山)である。

「それぞれに五〇〇ずつ、さらに近隣住民を入れていますが・・・・」

 二万が相手では一日と持つまい。

「やはり矢部川西岸への撤退が妥当か・・・・」

 三池郡南部を明け渡すことになるが、田花氏戦力の三分の一を喪うよりはマシだ。
 標札が本当であれば、略奪などもないだろう。

「三池郡南部の国人衆の反発は強そうですが・・・・」
「・・・・それは致し方ないだろう」

 元々、田花氏は山門郡に拠った国衆だった。しかし、四代前の当主が山門郡を切り従え、さらに先々代、先代が三池郡に進出する。
 このため、特に三池郡南部の国衆が田花氏に従ってからまだ十数年しか経っていなかった。
 つまり、外様であり、忠誠心に疑問がある。

(こちらが三池郡南部を守備するといっても、彼らが裏切る可能性もある、かな・・・・)

 こう思ったのは大広間の上座に座している田花氏当主・田花晴連だ。
 御年十五歳の若年当主であるが、昨今の西海道の状況を見ると、幼いと言っていられない年齢である。
 しかし、鷹郷忠流や火雲珠希らを基準に考えるのは酷と言える。
 一般的には十五歳の当主には年長の後見人が必要だった。

「嵯峨殿、矢部川以西で守るとなると、田尻城ら東岸の拠点はどうするのか?」

 晴連は後見人である嵯峨連成に訊く。
 嵯峨連成は田花氏の運家であり、矢部川西岸防衛線の中心である鷹尾城主だ。
 虎熊軍団の出雲遠征に同行し、壊滅的打撃を受けた田花氏にとって、生き残った貴重な年長者である。
 晴連の母は虎熊宗国の虎嶼氏出身であるが、正室は連成の娘だ。
 晴連は軍事的には虎熊軍団の影響を受け、家中的には連成の影響を受けるという難しい立場にあった。

(まあ、連成オジさんとの関係が険悪でないことだけが救いか・・・・)

 夫婦間も良好であり、母も父の戦死後に虎嶼氏に戻ることなく家中にとどまっている。
 字面よりもはるかに円滑な経営ができているのが田花氏だった。

(とは言え、弱小であることに変わりないのだけども・・・・)

 田花氏の石高は十万石に達しない。
 軍は三〇〇〇が精いっぱいであり、防衛戦という形であれば四〇〇〇弱には届くかもしれないという程度だ。
 龍鷹軍団と聖炎軍団は二万に届くということは、ひとつの備が二〇〇〇~四〇〇〇だろう。
 つまり、田花氏は敵一備分の戦力しかないと言えた。

「田尻城、松延城は放棄するしかないでしょう」

 連成が言う。

「ただし、撤兵するか否かは虎熊軍団次第でしょう」
「それは・・・・そうか・・・・」

 田尻城(現福岡県みやま市高田町田尻)はともかく、松延城(同県同市瀬高町松田)は虎熊宗国からした重要である。
 虎熊宗国が領有する筑後国八女郡の主要拠点である山下城(同県八女市立花町北山)の西に位置する松延城は山下城砦群の出城的な役割を持っていた。
 ここを連合軍が確保した場合、山下城砦群の西端に位置する女山神籠石(同県同市瀬高町大草)へのアクセスが容易となる。
 女山神籠石は古代の山城であり、常駐戦力はいない。しかし、その東にある小田城(同県同市瀬高町小田)は重要な拠点であり、これを守るためには女山神籠石に戦力が展開するだろう。

(そして、女山神籠石を守るためには松延城が重要、と)

 このため、松延城の所有者である田花氏が撤退したとしても、虎熊軍団の守備兵は残ると予想された。

「守れると思うか?」
「・・・・難しいでしょう」

 松延城はそれほど規模の大きくない平城だ。
 虎熊軍団も三〇〇程度しかいない。
 連合軍の先鋒部隊でも簡単に攻略できるだろう。

「兵力の損耗を避けるか、無謀な戦いを挑むか。それは虎熊軍団の判断です」
「となると、久留米の判断か・・・・」

 連成の答えを受け、晴連は腕を組んで唸った。
 筑後方面における虎熊宗国の根拠地は久留米城(同県久留米市篠山町)である。
 ここは筑後方面担当の熊将・杉内弘輝の居城だ。しかし、杉内は肥前方面に出向していた。
 このため、久留米城の留守は杉内の子息が預かっている。

「・・・・久留米で判断できますかね?」

 連成が首を傾げた。
 留守を預かっているだけで、筑後衆の指揮権は杉内が持っている。

「・・・・最悪、佐賀まで確認しに行っている間に陥落するか・・・・」
「とは言え、当家としてはその防衛戦に参加すると矢部川を防波堤にするための戦力が足りません」
「援護は無理か・・・・」

 晴連は諦めのため息をついた。
 虎熊宗国を援助したいが、それをした結果、自分たちが危機に陥っては意味がない。

(どうにか、戦を回避できないものかな・・・・)

 言葉にはしないが、これが晴連の偽りのない本心だった。

(でも、接収すると言っている拠点次第かな)

 矢部川を越えてくるのであれば、迎え撃つしかない。
 これも晴連の本心だった。



 鵬雲六年十月十六日。
 田花氏は三池郡に展開する守備兵に矢部川西岸へ撤退するように命じた。
 これを受けて甘木城と三池山城から守備兵が撤退。
 三池郡の国衆はそれぞれの選択を許可したが、一部の国衆は守備隊と共に矢部川西岸へ移動する。
 また、田花氏は十七日に矢部川東岸の田尻城と松延城からも撤退することを虎熊軍団の山下城将に通知。

 翌十八日より同城から撤退を開始し、十九日には全軍が矢部川西岸に撤退した。
 これと同時に田花氏は矢部川を防衛線とするために、矢部川東岸の浜田城(同県みやま市瀬高町濱田)、江浦城(同県同市高田町江浦町)、堀切城(同県同市瀬高町河内)を燃やす。
 これは龍鷹軍団が矢部川西岸に進出しようとする場合に、これらの城が連合軍の拠点にならないようにという配慮だった。

 矢部川東岸に拠点がないという前提で、鷹尾城を中心に津留城(同県柳川市大和町六合字西津留)、中島城(同県柳川市同町中島)に兵を入れる。
 約二五〇〇からなるこの田花勢は嵯峨連成が率い、柳川城に残る田花晴連が一五〇〇を率いていた。
 通常動員力よりも一〇〇〇ほど多いが、これは近隣民衆から希望を取った結果で集まった民兵も含んでいる。
 田花氏は文字通り総動員で連合軍の侵攻に備えようとしていた。










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