「筑後騒乱」/二
| 杉内周輝。 虎熊宗国の筑後方面熊将・杉内弘輝の子だ。 弘輝が肥前方面に出向しているため、筑後の留守を預かっている。 御年二七歳であり、龍鷹侯国の絢瀬晴政、聖炎国の名島重綱、十波政吉と同い年だった。 実戦経験や部隊を率いた経験もあるが、二万と見られる敵軍勢を相手にするのはもちろん初めてである。 それ故に佐賀にいる父・弘輝や福岡の宗主・虎嶼持弘、豊前の白石長久に急使を立てていた。 だが、どうしても緒戦の軍団配置は自身で決めなければならない。 だから、鵬雲六年十月十六日、久留米城にて筑後衆の会合を開いていた。 戦闘準備scene 「―――まず、物見の結果から連合軍は井出城、鷹ノ原城に兵を入れている模様だ」 杉内周輝は大広間に集った諸将を見回しながら言った。 「主力はまだ熊本だが、続々と北方へ向けて進発している」 肥後-筑後国境の主要街道は以下の通りだ。 大牟田口:諏訪川を境に肥後国荒尾に通じる平野 関川口 :諏訪川上流の関川を越える(現福岡県道・熊本県道3号大牟田植木線) 八角目口:八角目峠を越える(現福岡県道・熊本県道5号大牟田南関線) これらは全て三池郡南部へ通じる道である。 一方、 松風関口:松風関を越える(現国道443号線) 小栗口 :小栗峠を越える(現国道3号線) 陣床口 :陣床峠を越える(現熊本県道・福岡県道127号岩野黒木線) 鹿牟田口:鹿牟田峠を越える(現福岡県道・熊本県道13号黒木鹿北線) という筑後南東部へ通じる道もある。 もちろん、この他にも小道はたくさんあるが、昔から整備されている道は上記の通りだ。 上記の内、大軍が通過可能と虎熊軍団が見るのは、大牟田口と松川関口である。 連合軍先鋒が展開している井出城は大牟田口に、鷹ノ原城は松川関口に近く、十中八九、これらのルートから侵攻してくると考えられた。 「だが、我々にはもうひとつ防衛しなければならない口がある」 それは三隅-筑後川口。 豊後から流れる三隅川が筑後川に名を変える場所が筑後-豊後国境である。 「筑後川上流からも敵が来そうなのでしょうか? あの向こうは銀杏国ですが」 諸将のひとりが質問する。 「残念ながら豊後攻めの結果、銀杏国は敵陣営となっている」 虎熊宗国との国境に近い位置の日隈城と月隈城を支配する冬峯利邦は、銀杏国内の非主流派だ。 どちらかと言えば虎熊宗国寄りの人間と言えた。しかし、それでも主命に背いて反乱を起こすほどではないだろう。 「このため、鷹取城からは兵を動かせない」 鷹取城(現福岡県八女市星野村)は耳納山地に位置する山城だ。 周辺にいくつもの支城があり、筑後川南岸を守る重要拠点である。 言うまでもなく、街道監視のための堅城であり、地域支配の中心でもあった。 「また、鷹取城は麻底良城と連動する必要があるからな」 麻底良城(同県朝倉市杷木志波)は筑後川北岸を守備している。 ここは筑前衆の領域だった。 両城とも侵攻勢力からすれば自身の補給路確保のために確保しなければならない城であり、無視することはないだろう。 「敵が無視しないということは籠城戦によって時間を稼げるということだ」 「それは豊後方面からの兵数次第ではないでしょうか?」 銀杏国が虎熊宗国に喧嘩を売るということは、豊前方面から豊後に攻められてもおかしくない。 銀杏国は本拠を国東半島の杵築城に移していた。 豊前から別府までを攻略された場合、大分平野との連絡が陸路では遮断される。 これを避けるために豊後北東部に兵力を残しておかなければならないのだ。 「敵は日田郡で動員できる程度の兵力ではないでしょうか?」 それは冬峯利邦が支配する領域であり、約三万石ほどだ。 兵力的に言えば一〇〇〇ほどだろう。 仮に隣の玖珠郡の軍勢を加えても二五〇〇を上回ることはない。 「いや、残念ながらそうはならない」 周輝は首を振って否定した。 「豊後南部の鹿屋利孝が兵を率いて野田城に入ったということだ」 野田城(現大分県玖珠郡玖珠町戸畑)は銀杏国内だ。そして、位置的に豊前攻めに用いられる拠点ではない。 そのまま西進すれば日田に至り、さらには浮羽に至るだろう。 「・・・・筑後北東方面の主力は鹿屋勢・・・・?」 「そうなるだろうな」 鹿屋利孝は"翼将"の異名を取る鹿屋家の当主だ。 これまでも何度も龍鷹軍団の別動隊を率いて本隊を助けてきた。 「鹿屋勢は約五〇〇〇。これに冬峯利邦が加わるかは分からないが・・・・」 最大だと七〇〇〇近い軍勢が竹原峠を越えてくる。 「筑後衆だけとなると、動員力は約八〇〇〇となるか」 防衛戦の場合、通常動員力よりも無理ができる。 とは言え、筑後一国――しかも、田花氏領地を除く――の場合だと八〇〇〇が限界だろう。 「主要防衛拠点は山下城、鷹取城。そして、この久留米城となるだろう」 もちろん、他にも主要拠点となり得る城はある。しかし、敵が福岡を目指す場合は筑後平野に入ってからはほぼ薩摩街道(現国道3号線)を北上するだろう。 久留米を突破されたら筑前に入り、大宰府(岩屋城)まで突破される。 そこから先、福岡城まで主要な要塞はない。 「山下城、鷹取城で持久。久留米城を維持しつつ後詰を待つ」 周輝が地図を示しながら言った。そして、諸将を見回す。 「異論はないか?」 「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」 無謀なことは分かっている。 味方は八〇〇〇。 田花氏が多少は引き受けてくれるだろうが、敵主力となるであろう龍鷹軍団の二万弱を相手にしなければならない。 筑後衆は先の遠征で龍鷹軍団の強さは理解していた。 だから、それがどれだけ困難かも理解している。 「では、陣立てを考えよう」 しかし、それでも引き下がるという選択肢は、彼らにはなかった。 この会議の途中、田花氏から三池郡南部の放棄、田尻城、松延城からの撤退を伝えてきたが、大した問題ではなかった。 逆に矢部川西岸で防衛線を敷いて戦うという情報は虎熊軍団を勢いづかせる。 これを受け、筑後は約一万二〇〇〇の兵を持って、二万五〇〇〇の連合軍を迎え撃つことが決まった。 「―――侵攻か、抑えか、はて・・・・」 鵬雲六年十月十六日、豊前国・中津城。 ここに白石長久を筆頭とする豊前衆が集まっていた。 とは言え、豊前国東部の諸将は参加していない。 それは銀杏軍団が国境に集結しつつあったからだ。 「主力はどう考えても肥後から筑後に攻め込む龍鷹軍団と聖炎軍団の連合軍だ」 物見によれば二万を数えるようだ。 (思ったよりも少ないが、逆に言うと長期戦を考えているということだな) 途中で兵を入れ替えるつもりなのだろう。 「だから、我々も兵を率いて筑後に行こうとしていたのですが・・・・」 豊前国西部に所領を持つ諸将の先鋒は明日にでも筑前へ移動しようとしていた。 これに待ったをかけたのが『銀杏軍団、高田城に入る』という情報である。 高田城(現大分県豊後高田市玉津)は豊前-豊後国境付近に位置し、国境を構成する寄藻川まで一里もない。 こんな位置に銀杏軍団が入ったということは、誰がどう考えても対豊前の軍事行動だった。 「兵は二〇〇〇程度。これで進軍してくるとは思えません」 「確かめたところ、南方の日出生城にも多少の兵力が入っていますが、侵攻準備とは思えません」 日出生城(同県玖珠郡玖珠町日出生)も豊前-豊後国境の城だ。 銀杏軍団が豊前を攻める場合、宇佐郡に向けて南方と東方から攻め込むのがセオリーである。 その行動をしているというのに、銀杏軍団の動員兵力が少ないのが気になっていた。 「五〇〇〇~六〇〇〇は動員できるというのに・・・・」 現在確認されている兵力は二五〇〇程度。 龍鷹軍団の鹿屋利孝に同行するとしても少ない。 「高城川の戦いと豊後防衛戦で大きく損害を受けている可能性もありますが・・・・」 「それは確かに」 特に高城川の戦いでの損害は壊滅的だったと聞く。 虎熊軍団の増援であった江口久延(豊前衆)も軍が壊滅して討死していた。 彼は妙見嶽城(同県宇佐市院内町香下字妙見)の城主であったが、嫡男も討死したため、この城には城代が置かれていた。 なお、江口氏は嫡男の幼子が跡を継ぎ、中津城下に移住している。 (銀杏国も似たような状況だったのだ。防衛はともかく、遠征はできないのかもしれないな) 「見極める必要があるな・・・・」 「一当てしますか?」 攻めてこないのであれば、こちらから攻めてみればその対応によって何かわかるかもしれない。 「・・・・高森城に増援を入れておくか」 高森城(同県同市高森)は駅館川の東岸に位置する。 国境まで約一里であり、高田城に入った銀杏軍団に対するには最適の場所だ。 豊前衆は八〇〇〇であり、妙見嶽城に五〇〇、高森城に五〇〇を置き、中津城守備に一〇〇〇を置く。そして、残りの六〇〇〇を率いて筑後に出陣するつもりだった。 「『増援には必ず行く。だから諦めずに抵抗してくれ』と周輝殿に伝えるしかないな・・・・」 「心苦しいですが・・・・」 白石の言葉に諸将は臍を噛む。 「そもそもの筑後熊将である杉内弘輝殿はどう動くのでしょうか?」 「・・・・分からん。何の情報もない」 「ただ・・・・」と白石は続けた。 「杉内殿の目の前には燬峰軍団がいる」 数か月前から反虎熊宗国を掲げ、唐津を攻め取った燬峰軍団。 さほど損害を受けておらず、肥前国五郡にまたがる領土を手に入れた。 一方、肥前国の虎熊宗国は七郡だ。 なお、杵島郡は両国の分割統治で、上記の両方を含んでいる。 石高比較で言えば、 燬峰王国(佐世保、松浦、唐津含む)は二九万石。 虎熊宗国は二七万七〇〇〇石。 表石ではそれほど差はないが、実石では港や鉱山を抱える松浦郡、彼杵郡を持つ燬峰王国に軍配が上がる。 つまり、肥前国だけの戦いになれば虎熊軍団肥前衆は劣勢を強いられる可能性が高いのだ。 (実際には壱岐や筑前に気を配らなければならない唐津や松浦は全力を出せないだろうが・・・・) それでも不利なことには変わりない。 「燬峰軍団の動き方次第では動けないだろう」 国境範囲には重要拠点がないのが特徴だ。 守勢に回るのであれば牛津川を防波堤にするしかないだろう。 (杉内殿ならば冷静な判断を下すだろうが・・・・) 熊将を喪い、大敗を喫した後に肥前を速やかにまとめて見せた手腕は見事だった。 何故か、その後に熊将が追加されることはなかったが、それでも肥前と筑後を見事に治めている。 「肥前戦線を気にしても仕方がない。我々は我々にできることをしよう」 白石がそう言うと、諸将は覚悟を決めた顔で頷いた。 「―――さあ、集まったな」 鵬雲六年十月十七日、肥前国・鹿島城。 ここに燬峰軍団の主力が集結していた。 言うまでもなく、虎熊宗国攻めの戦力である。 燬峰王国と虎熊宗国の国境線は長い。 南から塩田川河口付近から白岩山・飯盛山・犬山岳・杵島山・勇猛山と続く。 先の山々が途切れた六角川の上流・下流で睨み合い、徳連岳・八幡岳・日ノ高地山と山地を抜け、徳須恵川-松浦川と続く。 単純な距離で言えば、十三里(約50km)に及ぶ。 とは言え、攻め口としては鹿島-白石、武雄-北方、川古-多久、岸岳城、唐津の五か所。 虎熊軍団肥前衆の本拠地・佐賀城に近いと言えば、鹿島-白石、武雄-北方、川古-多久の三か所だ。 そのうちのひとつであり、最も本拠地に近い鹿島城に燬峰軍団の主力が集結したのである。 「着到帳によると、おおよそ五〇〇〇ですね」 国王・燬羅尊純は宰相・時槻尊次から軍団の着到帳を受け取る。 そこには鹿島城に集結した軍団の詳細情報が書かれていた。 「五〇〇〇かぁ・・・・」 総大将 :燬羅尊純 副大将 :燬羅紘純 先手大将:鬼平盛政 小荷駄 :時槻尊次 侍大将 :為石純敏、森山尊満、小浜定邦 兵は主に肥前国高来郡・彼杵郡・藤津郡、肥後国天草郡から集めている。 もちろん、武雄城には塩見純貞がいるし、さらに後方には佐世保も控えている。 ここには動員していないが、松浦津村氏も臨戦態勢でいた。 (それでも・・・・五〇〇〇でいいのか?) 虎熊軍団肥前衆は八〇〇〇くらい出せるだろう。だが、それは多久や唐津(松浦川東岸)の守備もあるため、全軍は出てこないだろう。 (それに龍鷹軍団と聖炎軍団の筑後攻め次第では基肄郡・養父郡の兵は出てこないかもしれない) とは言え、両郡合わせて二万石程度なので、あまり影響はないかもしれないが。 「まず、我々は塩田川を越え、須古城を攻略します」 須古城(佐賀県杵島郡白石町大字堤)は武雄領と杵島山を挟んで東側にある城である。 先の旧武雄領主もここから杵島山を越えて侵攻してきたらしい。 その侵攻路は分かっているが、大軍の行動に不向きのため今回は見送られていた。 このため、燬峰軍団主力は塩田川を越えて山地を左目に北上して須古城を落とすのだ。 この時、塩田川方面が手薄になるため、一部は龍王崎古墳群に残す予定だった。 「そのまま海岸線を北上し、六角川北岸を目指します」 なお、この時代の有明海の干拓度合いでは現在の白石町や佐賀市南部はまだ海の底である。 「とは言え、大した城砦はありません」 司会を務める時槻尊次の説明に、うんうんと頷く諸将。 ここまでは誰もが想像できる内容だった。 「樺島山城はどうするので?」 侍大将のひとりが言う。 樺島山城(同県武雄市北方町大字芦原字西平)は六角川南岸に位置し、武雄領に対する虎熊宗国の最前線である。 「こちらが須古城を取ると自落するでしょうが、自落しないのであれば武雄の塩貝に前進してもらいます」 自落とは勝手に落ちるということ。 つまりは守備兵が逃亡するということだ。 「樺島山城の兵は乙宮山城まで下がるでしょう」 乙宮山城(同県杵島郡江北町上小田)は六角川の北岸ではあるが、牛津川西岸に位置していた。 もし燬峰軍団が六角川を越えて牛津川東岸に進出した場合、その側背を付ける位置となる。 また、多久方面からの増援を受ければ十分に抵抗できる立地でもあった。 「だから、白石地区制圧後は六角川を越えて乙宮山城の攻略になるでしょう」 この頃になれば武雄からの増援が見込める。 制圧した白石地区が手薄になるが、須古城を確保している以上、白石-塩田川-鹿島と虎熊軍団が燬峰王国を直接衝くことはないだろう。 「そして、ここまでが第一作戦とします」 「第二作戦は?」 燬羅紘純が質問した。 「第二作戦は津村氏が多久方面を圧迫しつつ、佐世保の増援を加えて佐賀へ進撃、という流れになるでしょう」 佐世保勢力は総予備扱いであり、第一作戦には動員しない。しかし、第二作戦はほぼ総動員で当たるのだ。 「第一作戦はどのくらいの期間を見ている?」 尊純が言った。 「期間はおおよそ十日程度かと」 「十日か・・・・」 「問題ありますでしょうか?」 腕を組んで唸った尊純に時槻が問う。 「十日もかければ佐賀の防衛体制が整うな、と」 「それは・・・・確かに」 佐賀城は佐賀平野にあり、これを西から攻める場合は主要な城砦はない。 あったとしても小さな城館くらいであり、攻城戦とこれに伴う後詰決戦が起きる場所がないのだ。 そうなれば虎熊軍団が採れる手法は以下のふたつだ。 佐賀平野西部を南北に流れる牛津川、福所江川、嘉瀬川、本庄江川のどれかで渡河を防ぐ。 もしくは佐賀城に籠城するという手だ。 「もし佐賀城に籠城されると・・・・骨だな、と」 佐賀城は巨大な平城だ。 掘割は複雑かつ広大であり、攻め手が限定される縄張だった。 また、多布施川から送り込む大量の水で本丸以外を水没させるという仕組みも持っており、こうなったらもう手が出せない。 なお、燬峰軍団だけでは佐賀城を包囲することもできないので、兵糧補給を遮断することは困難だ。 それこそ佐賀城北東部を制圧し、補給路を断たなければならないが、そのための兵力が足りなかった。 兵糧攻めもできないのであれば、落とすことはできない。 「どうにかして野戦に持ち込むしかなさそうですな」 燬羅紘純の言う通りだ。 「我々が西部の制圧に時間をかけると、佐賀の軍勢が筑後へ援軍に行って手薄になるとかはないですか?」 侍大将の別のひとりが言った。 「それで佐賀城を攻略できたとしても、戦後の発言権は低下する」 尊純が首を振る。 切り取った領土は燬峰王国のものになるだろうが、連合軍の中での発言権は低下するだろう。 自力で佐賀城を落とせなかったと見られるからだ。 「ちょっと野戦決戦への誘引方法を考えてみます」 「頼む」 尊純は時槻にそう言い、視線を燬羅紘純や鬼平盛政に向けた。 「実戦部隊も第一作戦を早く終わらせられるように奮起してくれ」 「「ハッ」」 ふたりが勢いよく答える。 「あと、国境を越えるのは龍鷹軍団と聖炎軍団と同じ十月二〇日だ」 「それは滞りなく進んでいます」 「それならよい」 尊純が小さく頷き、本日の戦評定はお開きとなった。 鵬雲六年十月二〇日に龍鷹侯国、聖炎国、燬峰王国が虎熊宗国への侵攻することが決定。 主戦場は筑後、肥前となるが、本物語で焦点を当てるのはタイトル通り、筑後である。 というわけで、本話後半はメインシナリオと同時進行する事柄の概要というわけだ。 ―――さあ、次から筑後に話を戻すとしよう |