「岩の坩堝」/五



 桐凰昶。
 出身は京の都。
 悠久の時を経て、氏を得て乱世に打って出た桐凰家の令嬢である。
 その桐凰家は数百年もの間、この列島国家を統治してきた。しかし、施政を武家――将軍家に渡してからも数百年が経っている。
 このため、"桐凰"と名乗り、周辺地域に攻め込んだことに全国の諸大名が驚いた。
 また、その勢いにも驚いた。
 瞬く間に本拠地である山城国を平定し、近江国や丹波国、摂津国といった隣国へと勢力を広げる。
 その原動力となったのが、在京していた皇族大名の軍勢だ。
 しかし、その間に地固めした桐凰家首脳陣は、皇族大名が国許に撤退した後も周辺地域への勢力拡張を続けていた。

 昶は幼い頃から伊勢斎宮として伊勢国にあった。
 伊勢国は皇族大名の領国であり、比較的落ち着いた幼少期を過ごす。
 しかし、昶の斎宮は百年以上ぶりであり、この下向も全国から注目された。
 そんな皇族の目玉であった昶は桐凰家としての挙兵と共に京都へ帰っている(代わりに別の斎宮が伊勢国へ下っている)。

 何故、斎宮が帰国したのか。
 何故、帝が桐凰家として武力を持ったのか。

 これは謎のままだった。

 これに今はさらなる謎が生まれている。



―――何故、昶は薩摩に滞在しているのか。



 これも新たな謎として、諸大名は注目していた。






鈴の音scene

「さて、お初ですかの?」

 昶は砂塵の中に問いかけた。しかし、何も返事がない。
 土の焼け焦げた匂いやまだ草木が燃えているのか、パチパチとした音が聞こえるだけだった。
 <龍鷹>の威力により、全滅したのかとも思える光景だ。

 だが、昶は砂塵の中に"いる"と確信を持っていた。


「・・・・ふむ、物理干渉はできませんか」

 昶は着物のたもとに手を突っ込み、"鈴のついた"釧(クシロ)を取り出す。

「ふんっ」

 その釧を強く振った。


―――シャンッ


 ひときわ大きな鈴の音が鳴り響く。
 その音色の衝撃波に弾かれるようにして、砂塵を吹き飛ばした。

「なんじゃ、ちゃんとおられるではないか」

 昶は両腰に手を当て、呆れた声音を出す。
 <龍鷹>の攻撃により、数百いた死人らは壊滅。
 影響範囲外にいた死人はまだ残っているが、これらは龍鷹軍団近衛衆が抑え込んでいた。
 だから、この場には昶率いる近衛衆――帝の、という本物の――と死人らを率いていた女性だけだ。

「御名をお聞かせ願えるか?」

 昶の丁寧な言葉。

「・・・・その【力】、"あの御方"の系列か」
「そうですね。・・・・まあ、正確には異なるがの」

 大きく分ければ昶らは確かに女性の言う通りの系列だ。
 ただその系列の中にもいくつか分岐があり、昶らは正式にはその分岐のひとつを名乗っている。

「さて、あれを喰らったのです。もうあまり時間はないでしょう」
「そうじゃの」

 砂塵の晴れた先にいた女性に、傷はひとつもない。
 まるで爆心地のような中心にいながらだ。しかし、その姿は時々薄くなったり、揺らいだりしている。
 まるでここにいないかのようだ。

「で、御名だったか」
「はい」

 昶が小さく頷くと、女性は大仰に両腕を広げながら言った。

「―――久我、じゃ」

「『クガ』。・・・・今代の御名はそうなのですな」
「貴様は?」
「妾は、昶と申します。因みに【力】をぶっ放して下がったのは鷹郷忠流です」
「ほう? あ奴が鷹郷か。虎熊軍団を相手に獅子奮迅の働きのようじゃのぉ」
「戦働きではなく、頭脳戦のようですが」

 目を細めて満足そうに言う久我に、昶は肩をすくめる。

「福岡に行けば会えますか?」
「おお、そうじゃの。・・・・だが、来られるか?」
 周辺の死人は壊滅したが、阿蘇盆地にはまだまだ溢れている。
 本陣を壊滅させた<龍鷹>の一撃はもう放てないのは分かり切っていた。
 「この難局を超えられるのか?」と。

「ご安心を。あなた様が張っている結界が消えれば、粉砕してくれましょう」
「・・・・ほう? 残念ながらその姿を見ることはできんが、また見えることを楽しみにしておこう」

 そう言い、久我は細かく舞う砂塵に紛れるように、形を崩して言った。


『初顔合わせにしては、楽しめたかの』


 そう言い残し、久我の幻影は消えた。




「・・・・ふぅ」

 いつの間にか額に浮いていた汗を袖で拭う。

「姫」
「輿を」

 近衛とは違い、黒装束で顔を隠した者が片膝をつきながら昶を気遣った。しかし、その気遣いを手で制し、昶は輿に乗る。

「大見得を切ったのじゃ。治めて見せようぞ、この事態」

 昶は輿の上で立ち上がった。
 いきなりのことで、腰を支えていた者たちが見上げてきた。

「支えておれよ」

 その言葉に嫌な予感を感じたのか、慌てて他の者たちも輿を支えに来る。

「すぅ・・・・」

 大きく息を吸い、酸素を体の隅々まで行き渡らせる。




「おいおい、何かするのか、皇女様は」
「・・・・信輝殿。一手を率い、護衛に」

 【力】の高まりを見た幸盛は同じくそれに気づいた信輝に言った。

「え、でも、御館様は」
「私に任せな」

 信輝が背負っていた忠流を横合いから奪い取る郁。

「ほら、死人なのに勘づいた奴らが皇女様のところに向かっていくよ」

 死人だけではない。
 "生き残っていた(?)"鬼とも言える風貌の死人が特に寄せてきた。

「・・・・あれは普通の兵では無理か」
「霊術が使えるだけでなく、兵法者でなければならなそうです」
「そんじゃ、行ってくるか」

 そう言った信輝が馬上の人になると、瀧井勢の武者も彼に倣う。
 すぐに彼らは昶らの脇を抜けて、寄せてきた死人と白兵戦を開始した。



(ありがたい)

 昶は素直にそう思った。
 昶が連れている近衛衆も腕に覚えはあるが、それは武芸者としてである。
 戦場で目まぐるしく変わる環境に対応しながら自身の立ち位置を調整する経験はない。
 尤も瀧井勢も死人と戦った経験はなく、その未知の体験は精神力と体力をいつも以上に削るだろう。

「その苦労から早く解放してやろう」

 そう呟き、昶は手に持った釧を強く握り締め、振った。




―――シャンッ




「―――まだかな?」

 阿蘇神社西方で黄金色の光を見ていた珠希は決着が近いことを悟った。しかし、それからも続く死人の猛攻に眉をひそめていた頃合いだった。

「・・・・やっとか」

 阿蘇カルデラに鳴り響いた"鈴の音"。
 それを聞いた死人らの動きが明らかに鈍る。

「ここが正念場ぞ! 押し返せ!」

 歴戦の物頭らは潮目が変わったことを悟って兵を鼓舞し出した。
 それに励まされた兵たちが喊声を上げて死人へ突撃していく。

「じゃ、私も一矢」

 そう言って、珠希も残った霊力を込めて中空へ火矢を放った。




―――シャンッ




「―――これは?」

 防波堤としていた黒川を渡られ、白兵戦へ移行していた銀杏軍団の只中で刈胤は顔を上げた。
 彼の傍では霊力が尽きた律が蒼い顔で処置を受けている。
 高城川の戦いや戸次川の戦いで消耗し、士分戦力に乏しい銀杏軍団は必死に戦線を支えていた。
 刈胤自身も最前線で槍を振るっていたほどだ。
 だが、そんな戦況にもようやく光が見えた。
 文字通りの黄金色の光。
 その後、しばらくして鳴り響き出した"鈴の音"。
 明らかにそこから戦局が動き出した。




―――シャンッ




「・・・・まさか・・・・」

 従流は作成してた霊術が手のひらから霧散させた。
 霊術発射と共に突撃しようとしていた護衛がずっこける中、従流は視線を東方へ向ける。

「ねえ! これ何!?」

 前線を灼熱の炎で炙っていた結羽が戻ってきた。
 "鈴の音"が鳴り響き出してから明らかに鈍った死人らは、好機と見た武者らに駆逐され出している。

「ねえ!」

 そんな状況でも結羽に従流は反応を返せずにいた。

(まさか・・・・。いやでも、兄上は前に言われていた)

 紗姫と昶を娶った理由を従流は聞いていた。
 だからこそ、今の状況への考察がものすごい勢いで脳裏を駆け巡る。

(・・・・ここで討つのは・・・・違いますか)

 あそこには兄・忠流がいた。
 <龍鷹>を放ったため昏倒しているだろうが、あの兄ならばこの事態も織り込み済みなはずだ。

(そして、きっとあの御方もそれを分かっている)

 ならば、外野が口出すことはない。

「なら、いいですね」
「何が!?」

 気が付いたら至近距離に結羽の顔があった。

「えーっと、もうすぐこの戦が終わること、ですか?」
「ふーん、それはよかったですね!」

 この後、機嫌を直してもらうのに数刻かかったのは余談である。




―――シャンッ




 鵬雲六年九月十三日。
 阿蘇カルデラに響き渡った"鈴の音"が死人らを黄泉の国へと送り出した。
 魂の抜けた亡骸が転がる中、西海道の猛者たちは力ない、形ばかりの勝鬨を上げる。そして、翌日には早くも解散して、それぞれの国へと帰り出した。
 死人と戦ったという信じられない経験を持ち帰り、軍備を整えるために。






「―――で、分かったのかい?」

 鵬雲六年九月十五日、肥後国・熊本城の一角。
 鷹郷忠流は大事を取ってここに宿泊していた。
 未だ布団の中にいるが、体を起こして来客の対応をしている。

「ウチの重要な施設である阿蘇神社を壊滅させたんだ。聞く権利はボクにはあると思うなぁ」

 ウリウリと忠流の頬に指をめり込ませてくる珠希。

「当然言うが・・・・って、止めぃ」

 うっとうしくなって手で払う。
 まだ本調子ではなく、それだけでめまいがしたが。

「とりあえず、今回のことで虎熊宗国の状況がよく分かった」
「だね。いやぁ、まさかあの大国が乗っ取られるとは」

 死人は明らかに意思を持った者に率いられていた。
 そんな死人が溢れる福岡は、その者に支配されているに違いない。そして、普通に考えればそれは虎熊宗国の宗主・虎嶼持弘でないことは明白だ。

「あと、死人に対する対応も分かった」
「とは言え、厳しいけどね」

 霊術を使える士分を主力とするしかない。
 農民上がりの足軽では、対応ができない。
 倒せないという点もそうだが、精神的な打撃が大きすぎるだろう。

(四肢が折れていたり、血だらけだったりと、なかなかに厳しい見た目だからな・・・・)

 また、弓矢や鉄砲と言った遠距離攻撃が有効ではなく、白兵戦を挑むしかないというのも足軽には厳しい。

(できるとしたら、槍衾で滅多打ちくらいか)

 ただ、それで支え切れずに白兵戦になると、そのまま戦線崩壊しかねない。

「どうやら敵意満々のようだから、福岡の惨状を周囲に広げないために遠征しないといけないな」
「それはそうだね。・・・・でも」
「ああ、敵は"虎熊宗国ではないが、虎熊軍団との戦いは不可避"だ」

 虎熊宗国の主である持弘や一門衆である晴胤、親晴が生死不明である以上、虎嶼氏は滅んだかもしれない。
 このため、国家としての態はなしていない。

(だが、領国は安定している)

 それはつまり、各地の守将は己の責務を全うしているということだった。

「福岡へ向かえば、十中八九、立ちはだかるだろうね」
「ああ、間違いない」

 だから、通常戦力を連れて行かなければならない。
 それも虎熊軍団を正面から相手にできるほどの大軍を。

「やっぱり、阿蘇神社で合意した内容は履行しないとダメか」
「踏み倒す気だったのかい?」

 珠希がきれいな、しかし、凄みのある笑顔を浮かべる。

「い、いや。だって、遠いし・・・・」

 龍鷹侯国の本拠・鹿児島城から虎熊宗国の松風の関――肥後・筑後を繋ぐ街道の関所――まで、約五七里(約222km)。
 単純計算で10日近くかかる。

「どうせ、貴君は阿久根港から海路で三角港まで来るか、一気に玉名まで来るんだろう?」

 海路を使えば行程を短縮できる。
 もちろん、全軍は移動できないが、主要な武将らは移動できる。
 そして、船酔いや難破という危険性はあるが、圧倒的に楽である。

「・・・・まあ、俺も忙しいから、時短は必要だしなぁ」

 そっと目を逸らすが、誤魔化せていないだろう。

「はぁ・・・・。まあ、予定通りということだね?」
「それは・・・・その通りだ」

 「分かった」と言って、珠希は立ち上がる。

「じゃあ、そっちはそっちでよろしく」

 そう言って珠希は部屋の隅に座るふたりの少女を見遣った。

「はい。・・・・まあ、ただ単に霊力不足だから、時間で直りますから」

 応じた紗姫に苦笑を返し、珠希が退出する。

「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」

 部屋には忠流と紗姫、そして、昶が残された。

「じゃあ、話すか」



―――ここで話されたことはまた後の話。




 鵬雲六年九月二〇日、龍鷹軍団は薩摩・大隅・日向・肥後・豊後の全国に動員令を発した。
 ほぼ同時期に聖炎国、銀杏国、燬峰王国も動員令を発する。
 対虎熊宗国の大遠征が始まった。










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