第九章「赤鬼、そして鎮魂歌」/


 

「―――くははははっ!」

 一部始終を観察していた男は、事の顛末に笑い出した。
 因みに実際に統世学園で見ているのではない。
 彼は部下が用意した使い魔を通し、凛藤心優が刺し殺されたのを見たのだ。

「これ以上、苦しまないように、か? おもしろい。確か介錯というのだったか」

 彼は唯宮心優にかかっていた呪いを知っている。そして、その苦しみも知っていた。
 御門直政と何やら話していたようだが、その間も体には激痛が走っていたはずだ。
 それを相手に悟らせなかったのだから、あの娘も狸だろう。

「熾条一哉と唯宮心優が死に、御門直政は茫然自失・・・・」

 「御門直政は後に暴れ回るかもしれんが」と呟いた男は、白いスーツを風にはためかせながら溢れ出る笑いを溢れるままに任せる。

「ここまでのショーを見せてくれたのだ。お礼をしなければなるまい」

 彼の目――使い魔の目に映る"ふたり"の直系。
 それを始末するというお礼を。

「あのいけ好かない小僧のお膳立てというところが気に喰わんが、大戦略の前の小事よ」

 宗家直系の首。
 それはどんな戦果にも匹敵するごちそうだ。
 ここで逃すわけにはいかない。

「ククク」

 パリッ、パリッと空気が弾けるような音と共に彼の周囲が歪んでいく。

「さあ・・・・参る!」

 言葉と共に彼の姿が掻き消えた。
 遅れて消失する使い魔の視界を映した虚空のディスプレー。
 そこには心優を刺した者を呆然と見上げる直政と、それを見下ろす黒髪の少女が映っていた。






渡辺瀞side

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 瀞は水狼に腰掛けたまま、呆然とする直政を見下ろした。
 その視線を彼の腕の中で眠る心優に向け、小さく頷く。そして、彼女の胸に埋まっていた白い刀身を引き抜いた。
 その動きに引っ張られたか、脱力した心優の体がわずかに揺れる。

「これで・・・・いいかな」

 心優は目覚めない。
 それは分かっていたことだ。

「先、輩・・・・」

 心ここにあらずの直政に頷く。
 直政がこうなるのも仕方がないことだ。
 送り水のように水滴を心優の顔に垂らす。
 早くも青白くなった頬に垂れたそれは、頬の丸みを確かめるように滑り落ちた。そして、その滴が直政の腕に落ち、弾けて消えた。
 まるで、心優の魂が現世から散ったかのように。

「・・・・ッ」

 直政もそう感じたのか、何らかの感情で体を震わせる。

(次に来るのは罵声かな)

 少し寂しい気持ちになりながら、俯く直政を見下ろし続けた。
 そのまま数秒の沈黙の後、霊剣<霊輝>を横薙ぎに振るう。


―――ズバチィッ!!!!!!!!!!


 その白い刀身は飛来した電撃を十数メートル先で切断した。

「・・・・ッ」

 二手に分かれた電撃は瀞の左右を抜け、儀式台座を破壊する。しかし、電撃の威力を殺しきることができず、瀞の体は麻痺したように動かなくなった。



「―――ほお、迎撃されたことといい、傍に転移したつもりがここに辿り着いたことといい、これは鎮守家の結界か?」



 一哉と直政の激戦痕が色濃く残る校庭に、白いスーツ姿の長身が立っていた。
 彼の言う通り、この祭壇には転移術式を無効化し、強制的に階段下の空間へ移動するようにしている。

「そう、いうことだね。・・・・杪ちゃんが何もせずに病院にいるだけじゃないから」

 体は麻痺しているが、何とか口は動いた。

「そういう貴様も、入院していたのではないのか?」
「・・・・そう、だったね」

 初っ端から喰らったダメージと戦場での緊張から額に浮いた汗を前髪で隠し、肩をすくめて見せた。

「今もまだ、激しい運動は禁止だよ」
「それでも戦場に出るか。さすがは万能な水術師だ」

 水術は神秘性と物理攻撃を兼ね揃えた特徴を持つ。
 渡辺以外の宗家は意外と白兵戦や機動戦を重視する。
 だが、渡辺宗家は一歩も動かず、術だけで戦うことも否定していない。
 最も一般人が思う術者らしい術者といるだろう。

「・・・・でも、自分なら勝てるって思っているんだよね」

 相手に聞き取れない小さな声で呟いた。
 白いスーツと同じく白い総髪。
 アルビノかと思うほど白い肌の中に浮かぶやたら赤い唇。
 何より隠そうとしない紅の眸。
 これほど目立つ容姿の持ち主の【力】が確認されたのは第二次鴫島事変だ。
 彼は現役最強術者である結城宗家宗主・結城晴輝と互角に戦える戦闘力を持っていた。
 正直、正面からの戦いとなれば、瀞は6月の二の舞になりかねない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 瀞は視線をグラウンドの端に積もった黒い土に向けた。
 あそこに一哉は埋もれている。
 本来、一哉も真正面からの戦いは苦手だ。
 そして、真っ向勝負に強い御門直政に敗北した。

(一哉・・・・)

 悲しそうに寄った眉。
 だが、それはすぐに決意を新たにした表情の中へ消えた。

(頑張ろう)

 瀞はスーツの男――SMO監査局特赦課課長・神忌に向き直る。
 離れた位置にいる彼と会話できるのも鎮守の結界による効果だった。

「ずっと見てたってことは、凛藤心優さんの挙動が気になったのかな?」

 呆然としている直政を守るように手で隠し、周囲に氷を浮かべながら瀞は言う。
 その氷はやがて壁となり、神忌の攻撃を阻むように立ちはだかった。
 彼から見えているのは瀞の顔だけだ。

「ふふ、その通りだ」

 気分がいいのだろう。
 神忌は大げさな身振りで胸を張る。

「10年前の生き残り。もう何もできないと放置していたが、それが死に花を咲かせようというのだ。観賞するのが礼儀と言うものだろう?」

(認めた・・・・ッ)

 神忌がSMO以外にも所属していることは分かっている。
 煌燎城に殴り込んできた一派の仲間だ。
 その神忌が凛藤宗家滅亡に関与したことを話したのだ。

「・・・・まさか、御門も?」
「無論よの。今回の戦果にも勝る、近年稀に見る大勝利であったさ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 御門宗家と凛藤宗家。
 戦死した術者は直系数名を含む200人ほどだ。
 結果、東海と東北に退魔的空白が生まれたとされる。

「今回は直系4人。鴫島事変にも匹敵する戦果。実に素晴らしい」

 鴫島事変。
 2年前に勃発した対妖魔戦闘だ。
 SMO監査局の研究所があった鴫島諸島で突如妖魔が出現。
 これを鎮圧に当たったSMOと応援に出た旧組織連合軍が謎の大妖魔軍団と衝突した。
 その戦闘中、謎の奇襲を受けた両部隊は大損害を出す。

「・・・・まあ、あの戦いはこちらも子爵を失ったがな」
「・・・・ッ」

 瀞は拳を握り締め、激情に耐えた。
 この戦いに参加した渡辺宗家の遠征隊は、総大将である宗主や副将を含む多数の犠牲を出したのだ。そして、宗主は瀞の父だった。
 一方で敵の首魁とされた術者は、現結城宗主・結城晴輝の手で討ち取られている。
 それが彼の言う、子爵なのだろう。

「それに比べれば今回は無害となろう」

 愉しそうに笑い、神忌は芝居がかった仕草で両腕を広げた。
 その手には水晶玉が握られている。

「それは・・・・っ!?」

 ここで取り出すのだ。
 ただの水晶玉ではないだろう。

「はは、大変だったぞ? 監査局のコードネーム持ちを動かし、この封印を破壊するのは」
「・・・・それは達成できたからよかったんじゃないかな? もう、消えるみたいだけど」

 瀞は点滅する鬼を見上げながら、勝ち気に笑う。

「ふん、熾条一哉に比べ、頭脳の方はまだおめでたいガキらしいな」
「え?」
「歴史に消されるほどのことをした鬼を、復活させただけで満足するものか!」

 神忌の掌で電磁波が収束。
 誘導電流が発生し、水晶玉が今まさに消えようとしている鬼に射出された。

「・・・・ッ」

 対応しようとしたが、遅すぎる。
 水術は万能だが、速度は速いとは言えない。
 そうこうしている内に水晶玉は【力】を失いつつあった鬼の下へと辿り着き、その身を水晶玉へと移してしまった。

(封珠・・・・ッ)

 封印とは違う。
 ただ単に収納しておくための宝具。
 だが、外界と隔絶する【力】はあり、この一帯を支配していた鎮魂の【力】から解き放たれた。
 凛藤心優が文字通り、命を懸けて施した術は、中途半端で終わったのだ。

「ここまで【力】を失っていれば、"加工"も簡単だろう」
「何を・・・・何をする気・・・・ッ!?」

 一哉と心優の努力を無駄にしたという、己のやらかした失態に歯噛みする。
 一哉は彼の乱入を予想し、自分を配置したというのに、この体たらく。

「10年前の御門と凛藤、2年前の鴫島事変、去年からの音川結界群の破壊、今年の煌燎城。いったい何が目的―――」



「―――それだけではないぞ」



 瀞の言葉を遮った神忌は嗜虐的に、また、高揚した笑みで続けた。

「渡辺宗家の先代守護神を狂わせたのは、我らの御大だ」
「・・・・ッ!?」

 その言葉に瀞は絶句する。
 危うく狼の背中から転がり落ちかけるほどの衝撃だった。

「ふはは。驚いたか? まあ、そうだろう。・・・・だが」

 神忌は一哉が埋まる土を見遣って言う。

「予想はしていたのだろう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 胸に手を当て、浅い呼吸を繰り返しながら考える。
 そう、自分たちは予想していた。
 何せアレは自分が浄化したのだから。

「神馬・・・・」
「ご名答」

 今年5月の神代神社に祭られていた神馬の暴走。
 それは渡辺宗家の守護神が暴走した時とあまりにも似ていたのだ。

「・・・・そんなに喋って、良いの?」

 直系を討ち取るという戦果は得られるかもしれない。
 だが、彼らの敵となる宗家はまだまだ残っている。
 ここでの事は結界を通して陸綜家へ伝えられるだろう。

「別に構わんよ。全て事実であるし、すでに正体を気取られつつある今、隠し立てすることもないだろう」

 彼の体から膨大な【力】が溢れ出す。

「尤も、"結界を作り替えた"今、この結界内の誰も逃げられないし、どこにも何も伝えられないが、ね?」
「結界を!?」

 瀞は背後に控えていた結界師を見遣る。
 神忌の声を聞いて慌てて結界の状態を確認した彼は、愕然として手に握っていた呪符を取り落とした。
 その反応が全てを語っている。

「ハハハ! この学園の結界を破壊した時、鎮守の結界に干渉して作り替えていたことは・・・・・・・・・・・・・・・・ふむ」

 言葉の途中で彼は何かに気付いたように口を閉じた。

「なるほど。ローレライとやらの働きで、その辺りは忘れているのだったな」

(あの戦いで杪ちゃんの結界が干渉されていたってこと!?)

 あの戦いで一哉が仕掛けたのはカメラだけだ。
 術の様子を探るようなものは一切なかった。
 ローレライこと神坂栄理菜の歌を通した精神干渉により、参戦者の記憶を消したことは掴んでいた。だがしかし、あの戦いでそれほど高位の術干渉が行われていたことは掴んでいない。

(ど、どうしよ・・・・)

 瀞は暑さからではない汗を流す。
 状況が不利すぎる。
 介入してきた時のために張り巡らされた結界群が無効化され、相手にとって都合の良いものに書き換えられている。

「今の結界の効力は"遮断"だ」

 遮断。
 外界との隔離。
 外に出られないし、外への干渉もできない。
 同様に外からも干渉できないだろう。
 より強大な【力】で消し飛ばすのもありだが、今気付いたのでは対応が遅すぎる。

("雪花"でも、無理、かな?)

 瀞オリジナル術式"雪花"。
 渡辺宗家直系の女性のみ扱える氷。
 それを基礎とした攻防全てに対応できる万能術式である。

(一哉ならいけた?)

 熾条一哉の出力は、さすが守護獣を従えるだけあって強力だ。
 緋も火山の噴火を抑えられるほどの出力があった。
 だが、今ではふたりとも戦力にならない。

「では、どのように君たちが消えるかを説明してやろう」

 神忌は大仰に両手を広げ、己の能力を発動させた。
 膨大な【力】によって発現するのは電磁力だ。
 かつて南海の夜空で現役最強精霊術師・"鬼神"結城晴輝と互角の戦いを繰り広げた原動力。
 一極特化のその能力は、万能と濁して特筆することがない瀞を圧倒する。

「知っての通り、私は電磁力を操ることができる」

 増大する電磁力に、瀞の産毛が逆立ってきた。

「高校生の貴様ならば電磁力が何かは知っているだろう?」
「・・・・電磁相互作用によって発生する電磁気力の通称」
「そうだ。そして、それは電荷によって支配される」

 電荷にはプラスとマイナスがあり、同じもの同士で斥力(反発力とも)、異なるもの同士で引力が働く。

「今、私の手元に集中していく【力】は斥力によって増大している」

 見れば確かに神忌の右掌に何かがあった。

「目に見えるのは周囲の砂鉄か何かだろう」

 磁性を持つ砂鉄――多くは磁鉄鉱――は当然、電磁力の影響を受ける。
 それが彼の掌に集っていると言うことは、確かに神忌の言う通りの現象が起きているのだろう。

「もう少しすれば電磁力によって集められる物体は質・量共に加速的に増加する」

 強い電磁力は磁性を持つ物体をより強く引きつける。
 そして、磁性とは大小あれ、ほぼ全ての物質が保有していた。

「砂鉄でも高速で飛翔すれば危険だが・・・・」

 神忌はサッカーボール大に肥大した核をグラウンド中央へ投じ、一気に斥力を上げた。

「・・・・ッ」

 途端に物体は巨大化した。
 建材やサッカーゴール、果てはどこからともなく飛来した車が押し潰されるようにして凝縮される。
 その間を埋めるように、グラウンドの砂が、その下の基盤岩ごと集まっていく。

『・・・・地形が、変わる・・・・』

 氷の覗き窓から顔を出した刹が呆然と呟く。

(まるでブラックホール・・・・)

 いや、基本的にはブラックホールは大質量体=大引力が原因である。
 神忌は電磁力で大斥力を生み出している。
 しかし、発生要因は異なるが、グラウンドの中空に浮かび、あらゆるものを引き寄せて凝縮させる姿は、遙か宇宙の大質量体故に生じるブラックホールと言っていいのではなかろうか。

「そして、これをとある時点で全て異極にする」

 斥力によって集ったものが全て反発力を持ったらどうなるか。

「・・・・爆発」

 想像した未来予想図に、瀞は真っ青になった。

「少し違うな。放出、というのが正しい」

 爆発はエネルギー変換反応だ。
 多くの場合、固体が気化する時に生じる現象が熱や光、質量増に伴う圧力に転じる際に生じる。
 だが、放出は違う。
 何らかの物体が何らかの方法で飛翔することを指す。
 放出力にこそエネルギー変換反応で生じることが普通だが、飛翔体に変化はない。
 その物体が持つ力はそのまま放出力に則って解放される。
 小さなピストルから戦艦の主砲まで理論は同じだ。

「結界によって閉ざされたこの空間では、逃げることは敵わないだろう」

 これが神忌の切り札。
 発動すれば全てを葬り去れる必殺の一手。

「・・・・・・・・・・・・じゃあ、最後に教えてくれないかな」
「良かろう。文字通りの冥土の土産だ」

 絶体絶命のピンチに、頬を流れ落ちる汗を拭わずに瀞は問う。

「―――あなたたちは、"何"?」

 旧組織やSMOとは違う枠組みで動いていることは分かる。
 そして、その目的が単なる勢力争いでないことは明白だ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 神忌の口角がつり上がり、喜悦の笑みを浮かべる。

「知りたいか?」

 「ならば仕方ない!」と白い肌を紅潮させながら宣言した。



「―――祗祇(アラヤ)! かつて貴様たちに"邪者"などと呼ばれた者たちだ!」



 宣言と共に膨大な【力】が流れ込んだのか、近くの校舎が崩壊して瓦礫が疑似ブラックホールに取り込まれる。
 機は熟した。
 そう、誰もが思った。










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