第九章「赤鬼、そして鎮魂歌」/


 

 祗祇。
 16年前の渡辺宗家の守護神暴走。
 10年前の御門・凛藤宗家滅亡。
 2年前の鴫島事変。
 昨年から今年にかけた音川結界群の破壊。
 今年の神代神社神馬暴走。
 小さな出来事から退魔界を揺るがす事件まで、幅広く退魔界に打撃を与え続けてきた組織。
 陸綜家はその存在を確信しつつも捉えることができないでいた。
 そんな組織の名前が、ようやく判明した。
 そして、その構成員は"邪者"。
 しかも、名付け親はこちら側だという。
 この場において、"絶対的"優位にある神忌からもたらされたのだから、嘘と言うことはないだろう。
 この情報は退魔界に激震を伴うはず。


―――伝えることができれば、だが。






御門直政side

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 直政は瀞が心優を刺したところからほとんど放心状態にあった。
 呆然と事態を見守ることしかできない。
 神忌が御門宗家滅亡に関わっていたことを告げた折に再び刹が発狂したが、その狂気でも直政を刺激することができなかった。
 それだけの出来事が直政の中で起こっていたのだ。
 それでもその出来事を実感するにつれ、直政は外界を認識し始めている。
 そんな時、神忌が必殺のブラックホールを生成し始めたのだ。
 増大する【力】に反応した直政の視線が氷の壁の向こうに歪む神忌を捉える。
 相手を認識したことで、刹の狂気の影響も受け始めていた。


「―――あなたたちは、"何"?」


 瀞の質問。


「―――祗祇(アラヤ)! かつて貴様たちに"邪者"などと呼ばれた者たちだ!」


 それに答えた神忌の言葉は、やや昏い感情と共に記憶領域に刻まれた。
 祗祇と邪者。
 それが"敵"だ。

『そう、敵は倒すものです』

 刹の声が脳裏に響く。

「・・・・倒さなければ」

 いつの間にか手放していた<絳庵>が、これまたいつの間にか直政の手の中にあった。
 その赤い柄を握りしめ、心優の体を地面に降ろす。
 溢れ出る【力】が再び<黒土>を呼び覚ました。
 直政を中心に土の色が変わっていく。
 同時に神忌の雰囲気も変わった。
 誰もが分かる、攻撃を放つ前の殺気。

(急げ!)

 あれが発動すればこの結界内は全滅状態になる。

(そんなことはさせない!)

 そう強く思って立ち上がろうとした直政の目の前に、水滴が連続して落ちた。

「・・・・ッ」

 雨の気配もないここで、こういう現象が起きる原因はただひとつ。
 そして、その原因を、地面を見て確信した。

『だいじょうぶ』

 水滴で黒く滲んだ地面には、そう文字が躍っている。

(どういう―――)

「さあ、時間だ! 全て滅ぶがいい!」

 直政の質問が声になる前に、簡易ブラックホールが猛威を振るうために大きく膨らんだ。


「―――甘いよ」


 瀞が小さく呟いた瞬間、ブラックホールは衝撃波と共に"爆発"した。
 周囲の木々が根こそぎ倒れるほどの衝撃だったが、それは瀞の氷壁を突破することができない。
 もちろん、結界内の全てを破壊し尽くすこともできなかった。しかし、その衝撃は直政の体を支配しつつあった狂気も吹き飛ばす。

「ふぉ!? な、なんだ?」

 頭の中に重い何かが居座っていたようだ。
 頭を振って、その違和感を外へと追い出す。

「くっ、何故、突然制御が・・・・っ!?」

 事態を飲み込めずに混乱している神忌の声が聞こえた。

「あいつの仕業じゃないのか・・・・?」
『もちろん、我々も理解できていませんがね!』

 衝撃で吹き飛んだ刹が肩の上に戻ってきていた。

「偉そうに言うことか!」
『グハッ!?』

 ふんぞり返った刹を目の前の氷に叩きつける。そして、神忌の方を見遣った。

(あれが故意でないならダメージを受けてんじゃ・・・・って、無傷かい)

 【力】の暴走とも言える爆発を至近距離で浴びた神忌が無傷なのはさすがと言うべきか。

「小娘、やってくれたな!」

 砂塵のついたスーツをはためかせ、先程までの余裕を捨てた神忌が瀞を睨む。

「すごいね。さすが結城くんのお兄さんと戦えるだけあるよ」

 あの爆発でもダメージを与えられなかったというのに、瀞の声音は落ち着いていた。
 いや、そもそもあの爆発を起こしたのは瀞ではないのだ。
 驚くならばともかく、落胆することはなかった。

「私の役目は、もう終わりだよ」

 緊張の解けた、一仕事をやり終えた表情で言い、瀞はとある方向を指差す。
 その方向は宙。
 沈んだ太陽の代わりに淡い光で地上を照らす月の傍。
 衝撃波で全損した照明に代わる唯一の光源としてそこにある月に異様な光が漂い、瞬いていた。

『・・・・まさか』

 現実逃避で冷たい氷に体をこすりつけていた刹が、やや震える声でその名を告げようとする。
 漂うは翠色。
 瞬くは紫色。

「あれは・・・・」

 直政もその存在に気がついた。だが、その名を呼んだのは、この場で一番その存在に驚いた神忌だった。


「―――何故ここにいる、"風神雷神"!?」


 結城宗家当代直系三子・<翠風>結城晴也。
 山神宗家当代直系長子・<紫雷>山神綾香。
 現代最強コンビ・"風神雷神"だ。

「貴様たちは北陸へ出兵中だろ!?」

 「だから自分はここへ出張ったのだ」という言葉が続くニュアンス。
 それは神忌が彼らに脅威を感じていたということ。
 現役最強の結城晴輝と互角に戦った神忌が何故彼らを嫌ったのか。
 その答えは、咄嗟に攻撃性能力を発動した神忌自身で周囲に示してしまった。

「無駄無駄」
「くっ」

 パチンコ玉大の鉄球をレールガンの要領で射出しようとしたが、神忌が悔しげに呻くと共にその鉄球は地面に落下する。

「はは、やっぱり"電磁力"を操るって事は、"こう"なるよな?」

 綾香を抱いて瀞の傍に降り立った晴也がわずかに額に汗を浮かべて言った。

「質問の答えは、YESだぜ。確かに俺たちは北陸に出兵するため、電車でこの地を離れた」

 SMOによる結城・山神両家の分断作戦に対応するためだ。

「そんでもって、頃合い見計らって空をぶっ飛んで帰ってきたんだよ」
「頃合い、だとぉ!?」
「鬼の復活が阻止され、誘き出された誰かさんの間抜け面を拝める頃合いよ」

 「誰かさん」が誰のことを言っているのかは丸わかりだ。
 綾香も隠すつもりはないのだろう。
 睥睨するように神忌を見下ろしている。
 "風神雷神"は熾条一哉によって計画された対神忌の切り札だ。
 計画に全く関わっていない直政でもそれが分かった。

「・・・・でも、どうして山神、先輩は奴の能力に対抗できるんですか?」

 直政は綾香とはほとんど接点がない。
 それでも湧き上がる疑問に、思わず声をかけていた。

「簡単よ。あたしは雷術師。"電気に関することならばあたしの管轄"」
「・・・・あ」

 電磁力は言わずもがな、電気の管轄だ。

「相手が如何に"鬼神"と戦えようと、あたしに勝てる道理はないのよ」

 物事には相性がある。
 じゃんけんで、「パー」は「グー」に勝てるが、「チョキ」には勝てない。しかし、その「チョキ」も「グー」には勝てないのだ。
 晴輝は綾香に勝てるが、神忌といい勝負。しかし、綾香は神忌に勝てる。
 敗率0%の晴輝は規格外だが、綾香と神忌はまさに相性が物をいう。

「・・・・しかし、随分苦しそうだぞ?」

 呻くような声で神忌が言う。だが、確かに晴也も綾香も額に汗をかき、疲労を滲ませていた。

「当ったり前でしょ? 今のあたしはこの空間全ての電気的エネルギーを支配下に置いているのだから」

 元々持続力に乏しい雷術師が空間制御するのは規格外とも言える離れ業だ。
 綾香は全力を振り絞って神忌を抑えているのだ。
 そして、肩で息をしている晴也も数百kmを高速で飛翔してきた。
 神忌が不入の結界を展開する前に入っていたのだから、亜音速だったに違いない。
 それから今まで、この戦場の様子を見守りつつ休んでいただろう。だが、その程度で回復する疲労ではないはずだ。

「そんな有様では私を倒すことはできないのではないか?」

 追い詰められていたはずの神忌が不敵な笑みを浮かべた。
 綾香が抑えているのはレールガンのような大規模破壊を伴う強大な能力だ。しかし、自衛のための小さな能力まで制限できていない。

「そうね。あたしたちがしたのは全滅の運命を変え、空間転移による逃走を封じただけよ」

 "風神雷神"によって神忌の戦闘能力は激減した。しかし、奪われたわけではない。
 意識は戻ったが、未だ呆けたように座り込む直政。
 最初の一撃で体が麻痺している瀞。
 このふたりでは神忌を撃破することはできなかった。
 もちろん、神忌も彼女たちを倒すことはできない。
 だが、電磁力を使わずとも、ここから離れることは可能だった。
 だから、神忌は即座に決断する。

「もう一手、足りなかったな」

 神忌はスーツの裾をはためかせ、その身を翻した。
 消滅するはずの鬼を回収するという十分な戦果を得ている。
 これ以上は無理をするところではない。

「ここは退かせてもらう。第二次鴫島事変で引き際と言うものを知ったのでな」

 直政は第二次鴫島事変を知らないが、噂の"鬼神"と戦って生き残っているのだから、発言通り、引き際を知っているのだろう。

「貴様たちは私を止めることができる。・・・・だが、それだけだ」

 そう言い残し、神忌は今度こそ背中を向けた。

「そうだなぁ」

 「お前たちでは役不足」と言われたにもかかわらず、晴也は笑っている。


「―――それでも十分な戦果だろ?」


 晴也は誰かに問いかけるような口調で言った。


「―――ああ、十分だ」


「「―――っ!?」」

 驚きは神忌と直政のふたり分だ。
 瀞と綾香、晴也は当然のようにその声を受け入れた。

『これは・・・・驚きです』

 直政と神忌の視線が、グラウンドの端にうず高く積まれた黒土に向けられる。しかし、そこに黒土はなかった。
 あったのは赤熱して溶融したマグマと、その上に座る少年とその首に抱きつく幼女だ。

「よくやった、瀞」
「ホントだよ。もうこんな心臓に悪い役目は嫌だからね」

 ほっと息をつき、水狼の背中に崩れ落ちる瀞。

「お膳立てしといたぜ、一哉」
「ああ、助かった」

 緋に支えられる一哉は首肯して晴也たちに感謝の意を伝え、視線を神忌に向けた。

「何か・・・・言いたそうだな」
「貴様・・・・あの攻撃をどうやって・・・・」

 土石流もかくやという地面の奔流を喰らって、何故生きているのか。
 確かに満身創痍だが、命に別状はなさそうだ。

(俺も気になる・・・・)

 知り合いだからと言って手加減した覚えはない。
 確かに精密な制御はかけていなかったが、それでもあの程度で済んでいい威力ではなかったはずだ。

「これも相性ってやつだ」

 一哉の視線がわずかに直政に向いた。

「岩石の熱量が上昇すると、これらは融解してマグマとなる」

 マグマは元が岩石であるため、当然<土>の範疇だ。しかし、同時に<火>の範疇でもある。

「攻撃接触面をマグマ化して干渉し、威力を軽減した」

 言っていることは小難しいが、力任せの攻撃に力任せの防御を行った結果だ。
 一哉が助かったのは相性が良かった以外の何物でもない。
 尤も一哉ならば戦闘前にその相性を理解していたのだろうが。

「ま、お前の思っていたことは全部でたらめだったってことだ」

 パチンと一哉が指を鳴らし、マグマから炎をグラウンド周辺へ走らせる。
 神忌が構えるが、周辺把握術式"炎獄"は辺りを照らすだけだった。
 それでも照明に代わる光源を得たことでお互いの顔が良く見えるようになる。
 神忌の顔色には先程までの余裕のかけらもなかった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・全部、だと?」

 御門直政による熾条一哉の戦死。
 呪いによる凛藤心優の死。
 その死に対して自失した御門直政、怪我を押して出てきた渡辺瀞などの陸綜家戦力の無効化。

 3つ目は"風神雷神"の介入で破たん。
 1つ目はそもそも一哉が死んでいなかった。
 残るは2つ目の―――


「そいや、そうだな」


 呟いた直政は心優の、"温かみを持つ"頬を撫でる。
 敵を前に、意識を取り戻しても立ち上がらなかった訳。



「―――心優は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・生きている」



「―――っ!?」

 今度こそ、神忌は表情全てに驚愕を貼りつけた。
 それだけ、心優にかかった呪いに信頼を持っていたのだろう。

「お前も見ただろ?」

 その驚愕を見て、一哉が言葉で止めを刺した。


「―――"凛藤心優に止めを刺したのは渡辺瀞"」


「・・・・くっ、"浄化の巫女"か!?」

 言葉の意味を理解した神忌が今日一番動揺した。

「まさか、まさかここまでデタラメな【力】なのか!?」

 その事実を払いのけるように右腕を振る。

「神すら狂わす<伯爵>の呪いだぞ!?」

 その動揺は、その口から重要な情報を落としていた。

(確かに無茶苦茶だよな・・・・)

 それが重要だと気付いた人間に、直政は含まれていないが。

(浄化、かぁ・・・・)

 直政も斬られたことがあるから分かる。
 瀞の持つ霊剣<霊輝>は人を傷つけるものではない。
 マンティコアの猛毒を一瞬で浄化して見せた瀞の【力】が、呪いに対して効果てきめんでないわけがない。
 直政が放心していたのは、その一発逆転の【力】で安定した心優を前にして、安堵に腰が抜けていたからだ。

「さて、種明かしも終わりだ」

 一哉が手に持った打刀を支えに立ち上がる。
 その折、切先がマグマに打ち込まれ、鼓動のような【力】の波動が周囲に広がった。
 途端に荒れ狂う紅蓮の炎が一哉の頭上に集っていく。

「価値ある戦果と・・・・貴重な"情報"をありがとう」

 右腕を宙へ掲げ、"気"を媒介に火の鳥を顕現させた。

「き、貴様ぁぁぁぁっ!!!!!」

 "瀞を使った誘導尋問で情報をまんまとかすめ取られた"ことに気付いた神忌は、恨みを込めた視線で一哉を睨みつけた。
 それを鼻で笑い、一哉が右腕をゆっくりと振り下ろす。
 静かな炎だが、絶大な威力を滲ませた鳥が羽ばたいた。そして、文字通り燃える目で獲物――神忌を捕捉する。

「くぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「うるっさいわよ!」

 全力で【力】を振り絞って逃げようとする神忌を、綾香が全身から紫色の電光を発しながら拘束した。

「"鬼神"と互角に戦う俺がァァァァァァッ、"侯爵"たる俺がこんなガキどもにィィィィィィッ!?」

 それでも発生した無数の電撃が周囲に広がり、その一部が一哉や綾香を襲う。

「させない、よ!」

 瀞が遠く離れたふたりの前面に白色の水壁を生み、純水故の絶縁性質で弾き返した。だが、それで生まれた微弱なプラズマや余波が綾香の制御をかき乱す。

「これで―――」
「往生際が悪いぜ、おっさん!」

 希望が生まれたとばかりの神忌の声にかぶせ、晴也が翠色の風を靡かせながらニカッと笑う。
 余裕の態度ながら、晴也はこの場の風を統御し、綾香の制御に邪魔になりそうなものが生まれないよう超絶技巧を駆使していた。
 【力】に【力】で対抗された結果、神忌は一歩も動くことができない。

「あの世で誇っていいぞ?」

 そんな神忌の眼前に、地面の砂利を融かしながら火の鳥が着地する。

「く・・・・あ・・・・?」

 火の鳥の色が紅蓮から蒼茫の炎へと転じていく。

「あ、あ・・・・・・・・」

 猛り狂う赤から静謐の蒼へ。
 威力が減じたのではない。
 【力】の質が転じた。

「お前を倒すために4つの<色>を使わせたんだからな」

 <紫雷>山神綾香。
 <白水>渡辺瀞
 <翠風>結城晴也。
 <蒼炎>熾条一哉。

 これらが智勇を結集して当たったのだ。
 ある意味、一宗家の全力を相手にするよりも強大な戦力。

「皇帝、陛下・・・・」

 自分の最期を悟ったのか、何かを口の中で呟く神忌。
 蒼い鳥を見上げていた頭が下げられた瞬間、その体は炎鳥に飲み込まれた。そして、一瞬の煌めき後、その鳥が蒼い火の粉を散らして四散する。
 火の粉の中に、神忌の痕跡は塵ひとつも残っていなかった。




「これが・・・・四宗家の<色>持ち直系・・・・」

 直政は温もりを取り戻してきた心優を抱きながら、全身を恐怖で戦慄かせる。
 <黒土>を発現させた直政も彼らと同じ存在になった。
 だからこそ分かる。

「遠い。・・・・遠すぎる」

 その立ち位置があまりに遠い。

「でも、やっと見えてきた」

 これまでは何も見えなかった。しかし、今は"遠いということが分かるだけ近づいた"。

「・・・・・・・・・・・・やっぱり、遠いな・・・・」

 彼我の力量の差を理解したが故のため息は、蒼い炎の残滓と共に虚空へ消えた。









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