第八章「烽旗山、そして封鬼山」/6
「―――なるほど、了解した」 とある教会の一室で、シスターが携帯電話を耳に当てていた。 「私自ら出張るとする」 彼女はチラリと壁に立てかけられた己の武器を見遣る。 「暇潰しも、終わりみたいだからな」 武器から視線を移したシスターは、冷やかし常連からもらった封筒に向けられた。 それは封が切られ、中がむき出しになっている。 中身は小切手だ。 (手切れ金、ということか?)」 彼女について知っていることは少ない。 だが、所作からはいいところのお嬢様を思わせた。 きっとそれは間違っていないのだろう。 (さようなら、か) 彼女は、どこへ行くのだろうか。 そして、自分はどこに行くのだろうか。 「とりあえず、今夜決行する。それ以後の手配は任せたぞ」 一方的に言い放ち、通話を終える。そして、礼拝堂のキリスト像の前で傅いた。 「今宵も迷える子羊をお導きください」 祈りを捧げる姿はまさに修道女である。 「さすれば、私は敵を屠り、子羊の安寧を守りましょう」 ―――傍らに十字架を模した武器が突き刺さっていなければ。 一方、もうひとつの宗教施設はというと、 「―――せん、あいつは何をしているのだ?」 「ふふ、若いってよいの」 「意味が分からん」 カンナは煌燎城に赴いていた。 すでに時刻は午後5時となっている。しかし、真夏である今日はまだ日が高い。 その日差しに照らされる煌燎城はやっと瓦礫の撤去が終わったところだった。 戦いの爪痕は色濃く、倒壊した天守閣の代わりに建てられた長屋仕立てにカンナはいる。そして、その姿を縁側に座るふたりが見ていた。 「ところで、貴様は何故耳と尻尾を出している?」 「嫌がらせのつもりだったのだが、奴が真剣のためにスルーされている」 「?」 せんと共に茶を飲んでいた神代礼伊は、眉間にしわを寄せた。 「とりあえず、しばらく見ないうちにいい性格になったのは分かった」 「ありがとう」 「褒めておらん」 「知っている」 「・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・」 沈黙する大人ふたりを尻目に、カンナは目の前のものに一息で乗った。 「慣れてきたな」 カンナは肩高が自分の背丈ほどある神馬の上で呟く。 『よいことではないか』 神馬としても乗馬時にぐずぐずされるよりは良いのだろう。 「行くとするか」 カンナは弓の弦を弾き、眼前に空間を繋げた。 重大発表scene 『行ってしまうんですね?』 『・・・・そうだけど?』 『その世界は辛く険しいですよ?』 『そうだろうな。・・・・でも、それが働く、ってことだろ?』 『・・・・後悔、しませんね?』 『? 入学前から決めてたし。あ、時間ヤバイし、行くわ』 『・・・・うん、行ってらっしゃい、政くん』 『おう』 いつだったか、心優と会話した内容だ、と直政は思った。 どうやらまた夢の中にいるようだ。 だが、今回は何かに"見せられた"というわけではない。 ただの夢として、思い出しているのだ。だが、この夢が心優の発言の裏に隠れた真意を直政に理解させた。 (この時の発言は、俺が本格的に退魔界に打って出たことに対するものだったんだな) 『退魔の世界へ、行ってしまうんですね?』 そう問いかけたかったのだろう。だが、心優は何らかの理由で正体を隠していた。 だから、婉曲的にしか言えなかった。 (なんで隠してたんだろう) 穂村家の大半が唯宮家に雇われたのは護衛としてだろう。 穂村家の人員が心優の正体に気付いたとは思えない。しかし、心優の父は両者を知っており、娘の安全のために穂村家を雇ったと考えられる。 ならば、彼は凛藤心優を隠さなければならないと理解していたはず。 幼い心優にそこまでの判断ができなかったのだから当然だろう。 そうすると、彼に助言したのは――― (陸綜家・・・・・・・・・・・・・・・・あの人か・・・・) "悠久の灯"・熾条緝音。 熾条宗家の最盛期を作り上げた女傑であり、古くからSMOの他にいた第三勢力と渡り合ってきた人物だ。 (・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・というか、ここまで意識がはっきりしていて、どうして目覚めないんだ?) 目覚めの気配はない。 だが、体の感覚は返ってきた。 どうやら直政は寝ているらしい。そして、鳩尾――丹田に掌が押し当てられており――― 「ハッ」 「ゴブッ」 強引な気付けで叩き起こされた。 「ゲホッ、ゴホッ・・・・・・・・・・・・な、何だぁ!?」 身体を起こし、胸に手を当てながら咳き込む。 涙目になった視界には、少し狼狽えている亜璃斗といつも通りのカンナがいた。 『おお、御館様が七転八倒している』 「ゲホッ。・・・・その言葉で、何で喜色満面なんだよ、お前」 刹の顔はもちろんリスのそれだが、喜んでいるのが手に取るように分かる。 主人の苦痛を悦ぶ鬼畜な家臣だ。 『失礼。七転八倒は違いますね』 小さく頭を下げ、刹は訂正した。 『狂喜乱舞で―――アアッ!?』 「表情は合ってるけど最悪だ、お前!」 ひっつかんでぶん投げる。 ベチッと自室の壁に激突した刹から視線を引き外し、傍らに座る少女に向き直った。 「か、神代さんだろ・・・・なんかしたの」 「誰かが事態の重大さに気づかずに、眠らされていたからな」 「眠らされていた?」 「時間が惜しい。単刀直入に聞くぞ?」 「はい」 威圧感に負け、直政は居住まいを正す。 「烽旗山の鬼は森術師が鎮魂することで討伐する。そして、その森術師は唯宮心優、いや、凛藤心優か?」 「すげえ。俺が取ってきた情報もう持ってる」 視界の端で亜璃斗が目を見開いて驚いていた。 「情報源なんぞどうでもいい。本人に会ったか?」 「会った」 「体調におかしなところはなかったか?」 「体調?」 どうだろうか。 特に変わったところはなかったように思える。 「まあ、私のところに来た時も変わりなかったが・・・・うむ」 カンナが何やら考え込んだ。 その間に直政は亜璃斗に視線を移す。 「今何時?」 「午後5時30分」 「けっこう寝てたのな」 「さっきの話を整理するに、心優に眠らされた?」 亜璃斗の言葉に、少し考え込んだ。 確かに、その可能性が高そうだ。 「割と深い眠りで、神代さんが気付けしないと明日まで起きなかったかもしれないって」 「そんなにか?」 何故、心優は直政を眠らせたのだろうか。 『・・・・御館様に見せたくはない"何か"があるということでしょうか?』 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 "何か"とは鎮魂だろうか。 「あれ? もしかして俺死んでるの?」 心優が鎮魂するところを見せないというのであれば、見たら何かの危害が及ぶと言うこと。 ということは、直政がすでに死んでいて、幽霊状態である直政が成仏すると言うことではなかろうか。 「ぅわ、心当たりがありすぎる!?」 銃弾喰らったり、高空から落下したり、砲弾喰らったり、いろいろだ。 「違う。なら兄さんはサイパンであの世行き」 右手をくねらせながら天へと昇らせる亜璃斗。 「そうだった・・・・」 直政はサイパン島で一度心優の鎮魂を見ていた。 「じゃあ、何でだ?」 「逆に心優が何かを隠している?」 「―――その通りだ」 「あ、考えまとまった?」 会話に参加したカンナは大きく頷く。そして、彼女が居住まいを正すと共に直政――再度――と亜璃斗も正した。 「いいか、よく聞け」 そう前置きする。 「唯宮は確かに鬼を鎮魂するだろう。・・・・だが、その代わりに―――」 一言一言噛み締めるように言った。 「―――あいつは死ぬ」 「あいつは呪いを受けている」 ここ数年、カンナは【力】を失った礼伊の代わりに書庫整理を担当していた。 この書庫にはどのような【管理】が行われたかの記録が残っている。 書庫整理を受け継いだ当初は、これらの記録を頭に叩き込むことから始めた。 その時の知識に次のことがある。 『森術師の呪いを管理した』 「・・・・だったら、呪いで死なないんじゃないの?」 フリーズした主君の代わりに質問する亜璃斗。 「続きがあるのだ」 首を振ったカンナが続きを口にした。 『ただし、非常に強力な呪いのために無効化はできず、発現を遅らせるだけである』 発現したら最後、森術師は死に至る。 「日付的に凛藤宗家全滅の後。だから私は森術師が【力】を発揮できないとしても生存していることは知っていた」 だが、それが心優の事だとは知らなかった。 記録には名前などは書いていなかったのだ。 「発現条件は能力の行使。つまり、森術を使うことだ」 「―――っ!? ・・・・なるほど」 亜璃斗は理解したようだ。 心優が鬼を封じるのは鎮魂だ。 鎮魂とは森術に他ならない。 「・・・・でも、おかしいじゃない」 「心優はサイパンで能力を行使した」と続ける亜璃斗。 「ああ。それは発動した森術が小規模だったからだ」 「小規模?」 (あれだけの霊を鎮魂した能力が小規模なわけがない、か) カンナは亜璃斗の疑問が分かる。しかし、その疑問に対する答えをカンナは有していた。 「唯宮は昼間に聖地巡礼とばかりに各戦跡に赴いただろう?」 「そうですね」 「あの時に仕込みをしていたのだ。アンプ、というのか? その理論を使ってな」 アンプ。 増幅機能を持った電子回路であり、電力を用いて入力信号よりも頼大きなエネルギーを出すためのものである。 音響機器のシステムに使われており、小さな音が大きな音となる。 「つまり、小さい能力を最大限に増幅した?」 「そうだ。それに英霊を鎮魂するのに大した【力】はいらない」 誰もが救われたがっているからだ。 増幅することでその小さな【力】を広範囲に広げたのは、一気に片を付けるためだ。 故に【力】をほとんど使用しなかったのだ。 「小さな森術を行使できるのは、管理の力で呪いを押さえ込んでいるからだ」 だが、鬼を相手にする場合、そんな子供だましでは無理だ。 「十中八九、限界値を超えて唯宮は死亡する」 「心優はそれを知ってるの?」 「知っているだろう。だから、こんなものを渡してきたのだ」 カンナが懐から出した小切手を確認した亜璃斗が沈黙する。 どう考えても、手切れ金だ。 いや、形見分けだろうか。 「おそらくお前たちの下にも来ているか、来るだろう」 「・・・・そんな」 亜璃斗は絶句し、さっきから黙っている直政を見遣った。 彼はうつむき、掌で黒い珠を弄んでいる。 「兄さん」 判断を仰ぐような声色だ。 (あまり仲が良くなさそうだったが、やっぱり幼馴染なんだな) 亜璃斗の口調は、まるで出陣を促すようだった。 いや、まるでではない。 亜璃斗の手は携帯を握っており、どこかにメッセージを送っていた。 おそらくは、亜璃斗に任されている御門宗家の戦力を結集させているのだろう。 心優を救うとなれば、鬼を倒さなければならないのだから。 「―――神代さん」 「・・・・なんだ?」 顔を上げて自分の名を呼んだ直政に、カンナが戦いたのが分かった。 (無理もない、か) 直政は内心で肩をすくめる。 彼が発した声は、落ち着いていた。だが、腹の中は煮えたぎっているのが分かる。 それをカンナは感じ取ったのだろう。 (あいつ・・・・ッ) いつの間にかポケットに入っていたこの黒珠は見覚えがあった。 昔、心優と仲良くなるためにプレゼントした一品だ。 これが手元にあり、眠らされる直前に聞いた「さよなら」。 (最初から死ぬ気かよ・・・・ッ。で、直接お別れに来たって訳か?) 一方的に言って眠らせ、直政が起きた時には全て終わっているように仕組んだ。 「もう一度、結界内に俺たちを入れるってこと、できる?」 (ふざけんな! 絶対に喪ってなるもんか!) 「・・・・無論だ。すでに手配してある」 心優の運命に悲観することなく、心の内に激しい感情とそれを表に出さぬ冷静さに満足したカンナが、大きく頷く。 具体案を練るため、亜璃斗とカンナが話す中、直政は黒珠を潰さんばかりに固く拳を握った。 (後・・・・"あいつ"だ) 直政の心にドロリとした黒い感情が流れ込む。 (あいつは全て知っていたに違いない。そして、それを分かって今回の作戦を立てた) 脳裏にはやや表情に乏しい1つ年上の少年が浮かんでいた。 (絶対に邪魔しにくる。・・・・その時は・・・・・・・・・・・・) やや引き攣った笑みをひそかに浮かべる直政。 部屋にいた他の人たちはそれに気付かない。しかし、直政自身も気づかない狂気の笑みを眺め、満足そうに目を細めるものがいた。 『御館様、お見事。これぞ、御門の宗主』 刹は直政に聞こえぬよう心で呟き、その眸を爛々と輝かせる。 「兄さん、全員行けるって」 「了解。・・・・・・・・頼むぞ、亜璃斗」 「任せて」 ここに御門宗家の総力を結集した、凛藤心優奪還作戦が決定した。 凛藤心優side 「―――♪~」 心優は歌っていた。 禍々しい妖気を放ち始めた封印の傍に設けられた祭壇で、だ。 祭壇は長物部の道場脇に作られている。 心優が見下ろす階段は、直政が元気に転げ落ちていた場所であり、その下にはグラウンドが広がっていた。 「増幅施設の準備、整いました」 「了解」 心優の傍らにいたのは、熾条一哉だ。 彼は報告を受けると、心優に向き直る。 「結界師がやってくれたぞ」 「はい。素人のわたしよりも立派に仕上げてくれたでしょう」 結界師は鎮守杪の部下だ。 彼女がけがをしたので、代わりに音川の守護を任されている。 (といっても、肝心なものは破られましたけど) そう思い、心優は虚空を見上げた。 そこには昼間には見えなかった巨体が浮かんでいる。 体長は8メートルほどで、肌が浅黒く、頭からは2本の角が生えていた。 誰がどう見ても、「鬼」だった。 「ずいぶん見えるようになったな」 「炎術師でも見えるんですから、そろそろ零体による攻撃が始まるでしょうね」 一哉の声に振り返らずに答える。 「増幅施設の防備は?」 「鹿頭家を中心にした戦力が展開中だ」 「そうですか」 憎々しいことに直政と仲がいい少女――鹿頭朝霞も歴とした能力者だ。 しかも、白兵戦能力では直政の上を行き、対零体能力も持つという万能タイプだ。 「ここの守りは?」 「お前の後ろに立っている人間では不足か?」 熾条宗家直系。 増幅施設の要と言うよりも音源そのものであるここを守るのに、これ以上の戦力はここにはない。 それでも目の前の鬼には勝てないだろう。 一哉は決して弱くはない。だが、決して武勇の士でもない。 (絶対に守ります、政くん) 音川にいる戦力では鬼を倒せない。 鬼が復活すれば、音川もそうだが、何より直政が死ぬだろう。 (そんなこと、耐えられない) 彼は逃げないだろう。 必ず戦いに赴き、そして、戦死する。 (ならば、戦いを起こさなければいい) 心優は自分の思いを再確認し、再び歌い出した。 「♪~」 鎮魂歌を歌うために鍛えた喉と軽音部に入ってから学んだ技術。 それらに支えられた歌は、心優の心情を反映したのか、壮絶な覚悟ともの悲しい響きを持つ。 歌は増幅施設の影響もあり、結界内に朗々と響き渡った。 |