第八章「烽旗山、そして封鬼山」/


 

「―――望月」
「・・・・フフ、何でしょう?」

 地下鉄音川駅周辺の事務所に戻った望月を出迎えたのは、彼の上役だった。
 SMO監査局特赦課課長・神忌。
 監査局長である功刀宗源がSMOの統括をするようになってからは、監査局を仕切っている人物だ。
 望月は監査局の中で"唯一"残った実働部隊を率いる者であり、SMO内部では神忌の側近に見られている。
 主に恐怖の対象としてだ。

「いつ頃、鬼は復活しそうだ?」
「厳重な警戒のため、中までは入りませんでしたが・・・・」

 望月は銃器・爆弾のエキスパートだが、高レベルの魔術師でもある。
 彼が中に入れば、封印状況を把握することはたやすい。

「水無月雪奈が呼ばれていました」
「封印の延命、か・・・・。だが、ほとんど意味はないだろう」
「ええ、ですから今夜かと」
「・・・・何?」

 神忌の余裕そうな笑みが凍り付いた。

「今夜だと!?」
「フフ、ええ」

 望月の方は、笑みを変えない。

「"風神雷神"の所在は?」
「未だ北陸にいると報告を受けています」

 報告を聞いて、神忌は考え込んだ。

「音川に展開する戦力は?」
「フフ、それはですね」

 熾条一哉、鹿頭朝霞以下鹿頭家、御門直政以下御門宗家、叢瀬央葉、神代カンナ以下神代家。

「鎮守家次期当主および渡辺瀞は神居市の病院に入院中です、フフ」
「十分な戦力が無いまま挑むか。・・・・京都の藤原も動いていないな?」

 普通から考えて、直系ふたりを中心に分家級の術者が数十人いれば、大概の妖魔を討滅することができる。
 だが、今回は国家級の災厄だ。
 それでも対SMOで同盟を結んでいる元SMO部隊も呼んでいない。

(つまらぬ縄張り意識か・・・・)

 神忌は危機に対して結束することができるのが人間の手ごわいところだと思っている。しかし、同時に危機を認識できなければ結束できない。
 種族として、集団として危ういとしか言いようがない。
 その危うさを生むのが、つまらぬプライドだった。

「フフ、あと、面白い情報がありますよ」
「何?」
「凛藤家の生き残りが出張るそうです」
「ほぉ」

 神忌は望月から報告を聞き、満足そうに頷く。

「それは楽しめそうだ」

 喉の奥で転がすような笑い声を上げた彼の紅い眸は、愉悦に歪んでいた。






唯宮心優side

「―――やっほー、心優」

 心優が待ち合わせ場所に着いた時、すでにバンドメンバーが集まっていた。
 ここは地下鉄音川駅の正面にあるイベントホールだ。
 名前は「レクイエム」。
 先日完成したばかりのものである。

「遅かったじゃない」
「楽器の準備はいいの?」

 メンバーはリーダーのキーボードとドラム、ベースの3人だ。
 ボーカルとギターは心優が担当する。

「ええ、大丈夫です。少しのチューニングで終わります」

 本日は去年の8月に起きた、地下鉄音川事件の慰霊コンサートである。
 お盆前にしたのは、霊たちがそれぞれの家に帰る前に、と主催者側が言ったからだ。
 地下鉄音川事件は600人弱が犠牲になり、多くのけが人を出した事件である。
 今では復旧されているとはいえ、破損が著しく、放棄されたエリアもあるらしい。

「しかし、慰霊祭に出られるなんて、ね」

 統世学園も犠牲者の5%強に相当する三〇数人の関係者を失っている。
 ひとつの団体としては、駅員に次ぐ割合だった。

「精一杯歌いましょう」

(わたしも、歌に【力】を乗せて歌います)

 心優は肩にかけていたギターを取り出す。

「allegrettoらしく、ね」

 リーダーが笑い、メンバーに伝播した。
 すでに何度か学内ライブを経験したメンバーたちに緊張はない。

(最高の舞台ができそうですね)

 心優は満足そうに、そして、やや寂しそうに笑った。



 唯宮心優。
 本名を凛藤心優という。
 凛藤宗家当代直系長子として生まれ、森術師全滅事件を生き抜いた。
 救出に来た陸綜家は御門宗家を超える惨状に絶句しながらも生存者を捜索。
 母屋の奥で心優を発見したという。
 ただし、救出部隊の中でも秘密にされ、公からも「凛藤心優」は抹消された。
 陸綜家は凛藤家と親戚だった唯宮家に養育を依頼。
 唯宮家当主は二つ返事で、妹の忘れ形見を受け取った。
 唯宮家の令嬢として英才教育を施すだけでなく、いつか自立できるように"当主"としての理論を叩き込む。
 結果、若いながらも一部門の顧問をこなせるほどになった。
 社交界での立ち振る舞いも、立派な令嬢である。
 また、唯宮家を通して裏事情の情報も得ていた。
 直政が御門宗家の出身で、宗主であることを知った時は驚いたものだった。



「―――重い・・・・」

 心優は教会の重厚な扉を押し開けながら呟いた。
 ライブを終え、いつも通っている教会に足を運んだのだ。

「シスターさーん、いますかー?」
「―――教会では静かにするものだぞ」

 奥から黒を基調とした修道服を着たシスターが出てきた。
 口調はおごそかであり、少し友人のカンナに似ている。
 ただし、歴とした外国人であり、日本語が堪能と言えよう。

「いいじゃありませんか、人がいないんですし」
「・・・・別に週末でも祈りの時間でもないからな」

 心優の発言に少しショックを受けたようだ。だが、ものの数秒で立て直して反論する。

「祈りの時間はともかく、週末もいないような」
「ぐふっ」

 クリーンヒット。
 彼女は椅子に崩れ落ちた。

「そもそもこの国はキリスト教国家ではないし、宗教観が世界一薄いとも言える国だし・・・・ブツブツ」

 出身はフランスらしく、敬虔なカトリック教徒だ。

「まー、どうでもいいんですけど」
「・・・・ッ」

 何気ない言葉でとどめを刺し、心優は彼女のそばに腰かける。

「これからは気軽に来られないかもしれません」
「来ても神に祈らぬ小娘などうれしくない」
「神の存在は信じていますよ?」
「ほう?」

 むくりと身体を起こし、興味深げにこちらを見てきた。

(会ったことはありませんが)

 精霊術師一族として、守護神がいる。
 その聖域は白神山地だ。
 崇めたてるものがいなくなっても、彼の者はそこにあるだろう。

「日本には八百万の神々がいます」

 心優は自分が奉じる神のことではなく、一般論を話し出した。

「どんなものにも神が宿っている、という考え方ですね」

 日本人は無宗教者だとよく言われる。だが、神の存在は知っておらずとも初詣や合格祈願などを行う。
 目に見える宗教的行事がなくとも、すでに習慣の中に刷り込まれているのだ。
 その習慣の宗教的動作と認識していないだけ。
 ただ生きているだけで多くの宗教的動作を行う日本人は、本当に無宗教なのだろうか?

「ふむ、面白い話だ」

 シスターは頷き、自らが見聞きしたことを口にする。

「日本神道とは普段の生活に何ら制約を設けぬと聞くが、主な教義は精神的なものなのだな」

 感心したように何度も頷く。

「私見ですけどね」

 少し恥ずかしくなった心優は、赤くなった顔を隠すように立ち上がった。

「そうそう、これ、寄付です」

 手提げかばんから封筒を取り出し、シスターに渡す。

「経営の足しにしてください」
「・・・・その一言がなければ素直にありがたみが出るのだが・・・・」

 しぶしぶとその封筒を受け取った。
 その様子に思わず笑みを浮かべる。

「では、さようなら」

 そのまま心優は一礼して踵を返し、教会を後にした。



 直政が地術師であることは昔から知っていた。
 何せ彼の祖父――穂村直隆は執事長兼護衛役だったのだ。
 彼が御門宗家の生き残りを率いていたことも知っていたし、屋敷の使用人も地術師が多い。
 本人はその自覚はなかったが、彼らに可愛がられていた直政が地術師である可能性は非常に高かった。
 実際に中学生の時に直政が初陣した時は、手練れの使用人がこっそりと着いていったらしい。
 直政にばれないように木々の間、屋根を伝って移動したという。
 とにもかくにも、心優は直政たちの事を知っていた。
 知っていて、何も言わなかった。
 亜璃斗辺りは少し疑っている節があったが、唯宮財閥の令嬢なのだ、知っていてもおかしくはない、と納得していたようである。
 ただ、その知識の幅は、心優が裏の事を知っているが、自分たちの事には気が付いていない、だったが。
 裏の人間だと心優が知っていたのは、穂村家関連だけではない。
 神代カンナの事も知っていた。



「―――それでその足でここに来たのか、罰当たりめ」
「えー!?」

 カンナにいきなり罵倒された。
 ところ変わって、神代神社。
 心優は教会へ運んだ足をそのままここまで伸ばしたのだ。

「参拝するだけいいじゃないですか!?」
「じゃあ、賽銭入れていけ」
「賽銭ってその後どうなるんですか?」
「それは神のみぞ知る」

 ふたりは社務室の脇に据え付けられたベンチに座っていた。
 目の前では見習い巫女であるひろが箒で境内を掃除している。
 やや柄が長いのか、やりにくそうだ。

「あのひろちゃん、せんさんの娘さんでしたか?」
「ああ」
「せんさん若く見えるのにあんなに大きな娘さんがいたんですね」

 せんは妙齢の美女で、地鎮祭までやってのけるスーパー巫女さんだ。

「時々、親子で狐のコスプレをしてますし、かわいいです」
「・・・・ッ!?」

 ゴッとカンナの頭が柱に激突した。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ッ」

 そして、鋭い視線が社務室にいるせんに向けられる。
 話を聞いていたのか、彼女はニヤニヤと笑いながら両手の平を頭の後ろでピコピコしていた。
 まるで狐の耳のように。

「あいつ・・・・ッ」

 憎々しげに吐き捨てるカンナを尻目に、心優は微笑む。

(ありがたいことです)

 カンナは自分の正体を知らない。
 それなのに友だちになってくれた。

(あなたも黙っていてくれるのですね)

 神代家神人、いや、守護神獣と言うべきか。
 彼女の正体が九尾の狐であることは知っている。
 心優もその昔、神代家で世話になったことがあった。だから、カンナはともかく、せんは覚えているだろう。

「さてと・・・・」

(そろそろですね)

 腕時計で時間を確認し、"次の場所に"行く時間だと思う。

「そろそろお暇します」
「茶と菓子を食べただけか」
「十分でしょう?」
「ここは花鳥風月ではないぞ」

 行きつけの喫茶店だ。

「ならば、これまでのお茶代と賽銭として、これを渡しておきます」

 シスターに渡したのと同じ封筒を取り出し、カンナに渡す。

「中身はわたしが帰ってから開けてください」
「? ああ、分かった」
「では、さようなら」

 ベンチから立ち上がり、カンナに深々と頭を下げた。そして、そのまま踵を返して神社を後にする。

「次は~・・・・」

 心優は神社の階段を下りながら、携帯電話で水瀬凪葉へと電話する。

「おや?」

 凪葉は電話にでなかった。

「・・・・・・・・・・・・ま、仕方がないですね。聞いてほしかったですけど」

 少しさみしそうな表情を浮かべた心優は、携帯をかばんに戻す。
 意外に裏事情に詳しかった心優でも、凪葉が音川封印群破壊に関わり、陸綜家に軟禁されているとは知らなかった。






事態急変scene

「―――全く、貴様たちは」
「ま、ま、いいじゃないか」

 カンナはせんに詰め寄っていたが、幕末生まれの妖狐はのらりくらりと躱していた。

「ったく、あいつが鈍いからいいものを」
「・・・・本当にそう思っているのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 思っていない。
 普段、直政相手に馬鹿なことをしているが、生徒会書記を立派に務める才女でもある。

「・・・・ま、いい。それでも気付いて・・・・っと」

 巫女装束の懐に入れていた携帯電話が着信を告げた。

「鹿頭?」

 画面に表示されていたのは、鹿頭朝霞の名前だ。

「どうした?」
『もしもし、くらい言いなさいよ』
「ああ、悪い。・・・・で?」
『・・・・あんたと話すと、いやなやつを思い出すわ』

 熾条一哉のことだろうか。

『そこに唯宮いない?』
「・・・・さっきまでいたが・・・・」
『チッ、遅かったか』

 憎々しげな舌打ちがした。

「何かあったか?」
『ええ、そろそろ学園に戻ってもらわないと。霊体の大量発生もあれから二度起きたし』

 聞き捨てならない発言が出た。

「学園は今や裏の管轄だろう? 表の生徒会代表が必要とは思えないが?」
『は? 知らないのかしら?』
「何がだ?」

 何か嫌な予感がする。
 夏の気温だけでない汗が噴き出してきた。

『ま、あいつですら知らなかったんだから、あんたも知らないってことか』
「だから何なんだ?」

 威圧感が出たのか、ひろが慌ててせんの腰に抱きつく。

『あいつ、森術師だったの。しかも、凛藤宗家直系』
「なっ!?」

 カンナは滅多に上げない驚きの声を上げた。

「ま、驚くのも無理はないわね。でも、あいつの【力】で今回の鬼を"鎮魂"するそうよ」

 鬼に対する必殺技があるからこそ、今回の少数戦力。
 直政を送り込んで調べようとした事実が、朝霞から知らされたのだが、それどころではない。

「唯宮は・・・・森術を使ったか?」
「? ええ、穂村を助けるために使ったみたいだけど・・・・?」

 「って、あんたか、穂村を学園に送り込んだの」と続いた朝霞の言葉を無視し、振り返ってせんを見遣る。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 彼女は無言だった。
 記録にあった時期、彼女はいたはずだ。

「何か、言うことはあるか?」
「今ならまだ間に合うであろうの」
「―――っ!?」

 この言葉を聞いたカンナは、朝霞との通話を強制終了し、とある番号を呼び出した。
 それを尻目に、せんは心優が置いていった封筒を手に取り、中身を空ける。

「おお、お嬢様らしいな」

 そこには「寄進状」と書かれた文書と共に、0が6ほど並んだ数字が書かれた小切手があった。









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