第八章「烽旗山、そして封鬼山」/4
「―――ふぅ」 一哉は通話を終え、ため息をついた。 「全く・・・・」 成長著しい朝霞に苦笑する。 「―――フフ」 不気味な笑い声が一哉の耳朶を震わせた。 「優れた部下を持つと苦労しますね」 正確に言えば、一哉は朝霞の後見人だ。 その戦力を当てにし、最近では一哉の戦略の一翼を担っている。 「―――殺したく、なりませんか?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 優秀な部下を疎む主君は歴史に多くいる。 土佐一条家を支えた土居宗珊。 尼子家の武・新宮党、宇山久兼。 どれも敵に圧迫された結果、疑心暗鬼に陥った主君が殺害した。 「別に嫉妬はしない」 急にあっても沈着冷静で周りを励ます忠臣の存在は、それほどカリスマを発揮できない主君からすればおもしろくない。 それは嫉妬心である。 「フフ、嫉妬しない? ・・・・それは嘘でしょう?」 スカーフェイスは井茶の言葉を否定した。 「反熾条一哉である穂村直政はともかく、様々な人間が彼女を支持している」 優れた実戦指揮官であり、戦略にも理解がある。 勝利のために非情になりきれない人間味で人望もある。 「正直、熾条一哉がいなくとも、戦えるのでは?」 「正攻法だけではダメなことは、お前も分かっているだろう?」 一哉は肩をすくめ、会話を打ち切った。 「本題だ」 「・・・・ええ、分かりました」 「決行日は今夜だ」 「はい。フフ、見事僕を見つけましたから、それくらいはやりましょう」 スカーフェイス――軽音部員・望月要はニヤニヤ笑いながら言う。 「僕の目的とも合いますし」 「当然だ。協力してもらいやすくしたんだからな」 「フフ、本当にあなたは恐ろしい人だ」 「それはお互い様だ」 稀代の戦略家とそれをはめ続けた謀略家は、昏い笑みを浮かべ合った。 穂村直政ide (―――これは・・・・) 直政が見ていたのは、燃えさかる村の姿だった。 つい昨日までは平穏に生きていた者たちが、全て血に染まって倒れている。 剣に斬られた者。 矛に貫かれた者。 矢に射られた者。 外傷は様々だが、遺体の状態は悪く、虐殺されたのだと分かる。 (古代、か?) 虐殺者は革の鎧と木製の兜をかぶり、直刃の剣を持っていた。 騎馬兵は少なく、ほとんどが歩兵だ。 訓練された動きではないが、とにかく数が多い。 ―――場面が渦を巻くようにして反転する。 (また、燃えているのか・・・・) 燃えている建物は村の家ではない。 先程の村よりも文明レベルの高い建物だ。 (これって多賀城・・・・?) 一重の塀の向こうに建つ大きな建物。 朝廷の陸奥行政の中心部。 古代でこれが燃えたのは、780年の伊治呰麻呂の乱だ。 (強い・・・・) 塀を越えた異形の兵が、矛を備えた歩兵を蹴散らしている。 『呰麻呂様、敵軍の将は逃げ出した模様です』 『左様だろう。朝廷中央からすれば蝦夷討伐は中央の出世とは関係がない。こんなところで命を落とすことを良しとするはずがない』 場面は蝦夷軍の本陣に移った。 そこでは呰麻呂が報告を受けている。 彼は朝廷軍の将軍とは違い、歴戦の強者だ。 『奴らは逃がせ。無能な指揮官ならば与しやすい』 指揮官が生きていれば、土地勘があるなどと言って再任されることが多い。だが、その指揮官が無能であれば如何に大軍であろうとも烏合の衆だ。 優秀な敵将軍は、九州や中央に配備されている。 彼らが出張れば、少数の呰麻呂軍は敗北するしかない。 『今はまだ雌伏の時よ』 またまた暗転。 『行くぞっ!』 名もなき兵士が雄叫びを上げた。 それと共に数百騎の軍勢が突撃を開始する。 それは悪魔の軍勢のようであり、迎撃に出た敵軍の第一陣瞬く間に吹き飛ばした。 『くたばれ! 倭人!』 怨嗟の声は朝廷軍を包み込むが、その圧力に屈せぬように前に出る者たちがいる。 一見すればただの人。 屈強な兵士に見えない彼らは、次の瞬間には蝦夷軍の先鋒を痛撃した。 『精霊術師だ! こっちも術師を出せ!』 異形になりつつある呰麻呂が矛を振るい、両軍の術師部隊が能力の応酬を始める。 これは世界が表裏一体であった頃の戦争。 蝦夷軍は南方から攻め上がり、北方に朝廷軍が布陣している。 両軍の最前線は戦場中央の独立峰に築かれた砦に集中していた。 蝦夷は砦を孤立させ、北方の要塞群に朝廷軍を押さえ込み、四方から独立峰へ攻め寄せている。 『来るぞ!』 いつしか、直政は蝦夷の兵士に乗り移っていた。 彼は恐怖を勇気で押し殺し、一瞬の隙を突いて突撃する。 目の前には年端もいかぬ少女がいた。だがしかし、彼女に同胞が何人も焼き殺されている。 『仲間の仇!』 『それはこちらも同じです』 少女はこちらを一瞥するなり、炎を顕現させた。 『恨まないでください』 彼女の放つ"蒼い炎"は致命的な速度で『直政』に迫る。 『ま、恨みの炎すら焼き尽くしてあげますが』 (この余計な一言、間違いなくあいつの祖先だ!) と思うと同時に、かりそめの体は焼滅し、直政の意識も消滅した。 『―――♪』 (ん?) 闇に沈んだ意識が浮上するように覚醒に向かうのが分かる。 それと相反するように肉体の重量――重力を感じた。 (目が、覚めるのか・・・・?) 『らしいですね。御館様はおそらく、霊の記憶を見たのではないかと思われます』 意識に語りかけてくる刹の声。 (霊の記憶・・・・?) 『あの霊体に囚われた時、彼らの意識が逆流したのでしょう』 (なるほど) 『ま、私も気を失ったので、ただの勘ですが』 (・・・・根拠なしかよ) いつもならツッコミで飛び起きるところだろうが、未だ体が重い。 『~♪ ~♪♪』 その重みを静かな歌声が取り払っているようだ。 徐々に覚醒に向かっているのが分かった。 (この歌声・・・・) どこか安心できる、心地良い音色。 「ふふ」 歌声が途切れ、思わずこぼれた、ともいうべき笑い声が聞こえた。 「政くんはぐっすりです。今こそ好機、と言うやつなのでしょう」 ゆっくりと近寄ってくる気配。 これは手だろうか。 「では、いただきます」 「何をだぁっ!?」 今度は体が軽く、ツッコミを入れることができた。 起き上がってみれば、ベッドの脇で心優が目を見開いている。 「チッ、回復が早い」 「舌打ちするな」 心優の脳天にチョップを叩きこみ、直政は周囲を見渡した。 「保健室?」 消毒液などの独特なにおいが充満した、柔らかい色の壁紙を使った部屋。 統世学園には仮眠室がいくつかあるが、このにおいがするのは"基本的"には保健室だけだ。 「ええ、政くんは中庭で倒れたんです」 「中庭・・・・」 記憶を探ると、とんでもない情景が浮かんだ。 そう、直政は零体に包み込まれた。そして、その場に心優がいたのだ。 「お前、大丈夫なのか!?」 心優の肩を掴み、揺さぶる。 ガックンガックンと心優の首が前後するが、取り乱している直政は気づかなかった。 「ぐ、ぐふ・・・・これが愛の証ぃ・・・・」 揺さぶられて蒼い顔になった心優は、そう呟きながら直政の手に自分の手を添える。 「だ、大丈夫です、政くん」 にっこりとほほ笑んで見せる心優は、確かにいつもの心優だ。 「零体は消しましたから」 「そ、そうか・・・・」 表の人間が対応できるものではない。 きっと他の誰かが間に合ったのだろう。 (ん? 今の発言おかしくなかったか?) 「零体?」 「ええ、そうなのでしょう?」 小首を傾げながら肯定した。 (うん、これはいい) あれを見て、「零体」と評価するのは、まあ、一般人でもできる。だが、問題はその後の言葉だ。 「"消した"?」 「はい」 直政の疑問に、心優は笑みを濃くした。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 黙り込んだ直政を前に、心優は笑みを引っ込める。 その顔は公の"唯宮心優"の顔だ。 「凛藤心優」 まるで知らない人間の声のようだった。 「それが森術師唯一の生き残りであり、凛藤宗家宗主であるわたしの名前です」 「・・・・嘘、だろ?」 そう呟く直政にも分かっている。 これは嘘ではない。 心優は唯宮家令嬢である以外の知識もあるし、何より本当でなければさっきの危機をどう切り抜けたのかが分からなくなる。 『相手が零体である以上、"鎮魂"を武器とする森術師は効果抜群です』 刹が耳元で囁いてきた。 (・・・・そう、だろうな・・・・) 森術師。 火・水・風・雷・土に続く6つ目の精霊属性。 攻撃力や防御力においては、最弱に位置する。しかし、神秘性においては他の追随を許さない。 高位の水術師は"浄化"という神秘性の能力を持っている。 一方、森術師は"鎮魂"だ。 そして、強弱はあれ、この能力を全ての森術師が保有していた。 この能力を生業に、戦場跡によく顔を出していたらしい。 空爆で多大な犠牲を出した太平洋戦争において、大規模な霊発生が生じなかったのは、彼らの功績だと言われている。 「唯宮家は?」 「わたしの生母がお義父様の妹なのです」 心優は動揺しすぎて静かになっている直政と違い、本当に落ち着いていた。 いつもの破天荒さは鳴りを潜め、淡々と物事に答えている。 「母は凛藤宗家が滅亡した時、一族のみんなと共に亡くなりましたけど」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 よく知る幼馴染の、知らなかった事実を聞かされ、直政はあまり考えがまとまらない。 『では、誰があなたを助けたのですか?』 質問したのは刹だ。 彼女が裏の人間である以上、話しても問題はない。 「そっちと一緒です、御門宗家と」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 この一言で、心優は直政の半生を知っているということになるだろう。 「御門宗家と違い、救援に来た時には全部終わっていたみたいですけど」 御門宗家は壊滅、凛藤宗家は全滅と言われる。 御門宗家の場合、直系はともかくとして、分家レベルは残存したと早くから伝えられていたが、凛藤宗家は一族郎党全て息絶えたとされていた。 直系の生存を隠したのは、御門と凛藤は変わらないだろう。 成長するまで存在を隠すことで襲撃者から守ったのだ。 そんな情報操作ができるのは陸綜家しかない。 (あいつは知っていたのか?) 朝霞は知らなかっただろう。だが、さらに上――熾条一哉は知っていたのだろうか。 『知らな"かった"に一票』 刹の意見に同意だ。 何らかの理由で気づいたのだろう。 だから今、心優は厳戒態勢の統世学園にいる。 『チッ、賭けにならなかったですか』 (お前は何を得るつもりだったんだ?) 『~♪』 鳴らない口笛を吹いた刹を、肩から叩き落とす。 「うん」 「?」 腑に落ちた。 ようやく頭が再起動する。 心優は唯宮心優じゃなくて凛藤心優。 凛藤宗家宗主。 どっぷりと裏に染まった重鎮中の重鎮。 「すぅ・・・・」 大きく息を吸い込む。 「―――えええええええええぇぇぇぇっ!?!?!?!?!?!?!?!?」 よじ登ってきた刹を叫びながら投げ飛ばす。 『ふぎゃ!?』と窓ガラスに叩きつけられたが、ガラスが無傷なのでよしとする。 「え? え? 今更驚くのですか?」 ぱちぱちと目を瞬かせる心優。 「いや、だって・・・・・・・・ええぇっ!?!?!?」 驚くものは驚く。 少し違うかもしれないが、アイデンティティーの崩壊だ。 「あれ? となると、七不思議探検の時は、実は危険でも何でもなかった?」 精霊術師の直系だ。 たいていのことはできるはず。 「政くん、確かに私は森術師です。ですが、戦闘経験はおろか退魔経験もありませんよ?」 戦闘と退魔を分けたのは、森術師らしい発想だ。 森術師の退魔は戦いではなく、鎮魂の能力を基本とした、予防策なのだ。 死霊が出そうな場所で聖水を散布するようなものである。 「霊に対して絶対的優位に立てるだけで、普通の妖魔に対しては他の精霊術師よりも不利です」 何せ戦闘系の能力ではないのだから、"気"を用いた白兵戦以外に活路はない。 その白兵戦能力に乏しいのならば、確かに精霊術師の直系と言っても弱いだろう。 「【歌】に特別な【力】があるだけの女の子なのです」 「歌・・・・」 『ああ、なるほど。サイパンのあれはあなたの仕業ですか』 サイパンへ旅行に行った時、神代神社の九尾の狐――せんが神代カンナを襲った。 この時、サイパン島の戦いで戦死した英霊をせんは呼び出している。だが、戦いの終盤で突然、彼らが消えたらしい。 ちょうどその時、心優と直政はバンザイクリフにいた。 いろいろ気になる話をしたような気がするが、今気になるのはそこじゃない。 その時に心優は、歌を歌った。 「鎮魂歌・・・・」 「ええ、それがわたしの最大の武器。そして・・・・・・・・・・・・」 心優は言葉を切り、口をつぐむ。 「? どした?」 「・・・・いいえ、言わなくていいや、と思いまして」 そう言い、心優は立ち上がった。 「とにかく、これから復活する鬼の亡霊もわたしが鎮魂歌で退けます」 「何?」 「如何に国を滅ぼしかけたものと言えど、すでに亡霊です」 「なら、わたしが一番適任です」と心優が言う。 「政くんは何もしなくていいんですよ」 その言葉を聞いた瞬間、直政は眠気にとらわれた。 「あ、ぅ・・・・?」 「今回は戦わなくても、痛い思いをしなくても済みます」 これまでの戦いで、直政は大した怪我をしていない。しかし、それは直政の肉体が丈夫なだけであり、決して痛みを伴わないものではなかった。 全てを知っている心優は、その痛みを心配したのだろう。 痛みとは大事な危険信号だが、感じすぎると身体も精神も壊れてしまう。 「大丈夫。・・・・全て任せてください」 心優は直政の目を手で覆った。 視界が暗くなった直政は急速に眠りについていく。 「―――さようなら、政くん」 眠りに落ちる瞬間、直政は先の言葉を聞いた。 凛藤心優side 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 心優は眠りに落ちた直政の寝顔を見つめていた。しかし、時計の秒針が二周する頃には見切りをつけ、踵を返す。 「・・・・あなた、ですか」 保健室の扉を開けた先にいたのは、熾条一哉だった。 「いいのか?」 「はい」 短い問いかけに、短い答えを返す。 廊下の壁に背を預けていた一哉は携帯電話を取り出し、どこかに電話した。 「保健室に寝ている穂村直政を家へ送り届けろ」 「優しいんですね?」 冷酷非道な指揮官と言うイメージがある一哉だ。 そのイメージのままならば、直政をここに寝かせておくだろう。 ここが戦場になるとしても。 「邪魔なものは排除する質でな」 「邪魔―――」 「―――に、ならないとは限らないだろう?」 一哉は携帯をポケットに戻し、こちらを探るような視線を向けてきた。 「・・・・では、わたしも少し出かけます」 その視線から逃れるように、心優は背を向けて歩き出す。 "東洋の慧眼"と呼ばれる異名通り、一哉は知られたくないことを見通すからだ。 「夕方には戻りますから」 「・・・・本当に、いいんだな?」 軽く言った言葉に返る、重い答え。 「ええ、政くんが守ろうとしている町を守るためですから」 心優は一哉に振り返る。そして、綺麗に微笑んで見せた。 「ああ、あと、これを政くんに返しておいてください」 そう言って取り出したのは、黒水晶だ。 「これから、政くんが必要になると思うので」 「ほう?」 一哉は黒水晶を掲げ、光を通して見せる。 それでも光が通らない。 「分かった。ポケットにでも入れておくことにしよう」 直政が目覚めるのはずいぶん先だ。 きっと一哉でも手渡すことができない。 「では、行ってきます」 優雅に一礼し、心優は一哉に背を向けて歩き出した。 その背中に声がかかる。 「ああ、せいぜい楽しんでこい。・・・・・・・・最後にな」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 その言葉に心優は一瞬足を止めたが、最終的には何も返さずにその場を立ち去った。 |