第八章「烽旗山、そして封鬼山」/3
「―――加減はどうですか?」 「うん、だいぶ良いよ」 渡辺瀞は見舞いに来た鹿頭朝霞に微笑んだ。 実際にリハビリも順調で、煌燎城の戦いで受けた傷の完治も近い。 「でも、そっか。大人しくしているんだね」 瀞が朝霞から聞くのは、神坂栄理菜と水瀬凪葉のことだ。 先日、この病院において無抵抗で確保した。 現在は煌燎城で隔離している。 神坂は怪我しているので治療を受けており、凪葉はそれにずっと付き添っていた。 「戦力としては<杜衆>を相手にできるでしょうけど、出られないんじゃ意味ないんじゃないかしら」 「そうだね。神坂先輩は賢い人だから」 「それに元々戦意がないって言っていたし」と瀞は微笑む。 「情報も喋っているらしいけど、まだ私には下りてこないです」 「そう。・・・・ま、たぶん、ずっと上で止まっている上に<識衆>が真偽確認に動いているんだろうね~」 瀞は窓の外を見遣った。 「・・・・昨日、雪奈さんが来てね」 「雪奈・・・・」 水無月雪奈。 今は渡辺宗家に属する水術師だ。 「戦争が起きるんだね」 渡辺宗家は屋敷の再建を終え、戦力も整えた。 結城宗家の情報収集力を当てにし、名古屋地方に重石の如く立ちはだかる第一即応部隊を相手にする。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 第二次鴫島事変以来となる渡辺宗家の出兵。 出奔したとは言え、宗主夫妻と個人的繋がりがある瀞が気にならないわけがない。 「うん、やっぱり早く治さないと」 「・・・・強く、なりましたね」 初めて会った頃は、うじうじしている人だと思っていたのだろう。 (間違いじゃないけど) くすりと笑い、瀞はもう一度窓の外を見る。 「でも、今回も一哉を頼むよ」 「・・・・荷が重いことこの上ないですけど」 「だね。私でもそうだけど」 くすくすと笑い合うふたりの視線は窓の先――音川町に向いていた。 穂村直政side 「―――くそっ! 切りがない!」 直政は迫り来る何かの剣を払い除けながら逃げ回っていた。 いや、攻撃していないわけではない。しかし、直政の攻撃が胴体部に及んだ時、それはすり抜けるのだ。 「これじゃ幽霊じゃないか!」 『言い得て妙ですな。まあ、古の亡霊でしょうか?』 揺れる直政の方に、器用にしがみつきながら刹が言う。 『彼らの装備は古代の物です』 「古代?」 『奈良時代とかですね』 (奈良、か・・・・) カンナから聞いた、三八年戦争の兵士だろうか。 「いやいや、幽霊とかマジで相性悪すぎですから!?」 言う傍から槍をすり抜けた霊が肉薄してくる。 「いやぁ!?」 足裏の地面を屹立させ、直政は空を飛ぶことで窮地を脱した。しかし、戦闘離脱には至らず、再び霊に囲まれてしまう。 「ホントはサイパン島みたいに神代さん家のせんさんが操っているとか!?」 『御館様、必死すぎます。・・・・しかし、ふむ、あの狐娘の仕業・・・・』 刹が腕を組んで考え込んだ。 「あの人捕まえて『狐娘』とか言えるお前に驚くわ」 娘のひろとかならともかく。 (となると央葉もか?) 友人である叢瀬央葉も狐耳と尻尾を出せる、せんの能力を継ぐ"子ども"だ。 (というか、未だにアイツの性別がどちらか分からない・・・・) 急場において、どうでもいいことを考えてしまうのは、直政の仕様なのだろうか。 それでも地術を駆使して器用に逃げ回っている。 『御館様、しばしの辛抱かもしれません』 「ああ!?」 襲いかかってきた霊の剣をまとめて弾く。 剣が実体化しているのは助かるが、逆に言えば実体化しているからこそ、斬られれば斬れるのだ。 『あの"東洋の慧眼"が何の策もなしにこんな危険なモノたちを放置しているとは思えません』 「・・・・確かに」 いけ好かないが、こういうことにはきちんと対応している印象がある。 『ということは、この学園のどこかに対霊部隊が展開していると思われます』 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 直政は思い出す。 件のサイパン島において、霊を相手に大立ち回りした炎術師の少女を。 物理能力に特化した地術師は霊魂に対して弱い。 しかし、霊魂そのものを"燃やしてしまえる"炎術師は、この戦いで必須戦力だ。 『索敵で彼らを探し、合流しましょう!』 だが、それでは見つかってしまう。 カンナの厚意を無為にしてしまうかもしれない。 『プライドと命、どっちが大事だ、コノヤロー!・・・・です』 「ううむ、それは永遠の命題のような気がす、るッ」 最後の発音と共に再び直政は射出されて空を舞う。そして、上空から霊の薄い場所を探した。 彼らは<地>に引っかからないため、こうして直接目で見るしかない。 「満遍なく出ているように感じる・・・・」 『物見能力はまだまだですね』 (昔の人はすごいなぁ) 何せ昔の敵軍報告は目視で行い、概算の敵兵力を見積もっていたのだから。 「っと」 風術師ではないので、いつかは地に落ちる。 地上十数階の高さから落下した直政を地面が柔らかく受け止めた。 『また最悪な場所に落下しましたね』 「俺もそう思う」 直政が着地したのは中庭だ。そして、それぞれの昇降口に霊が布陣している。 剣の輝きと青白い光が揺れ、その包囲を狭め出した。 「時々、何かを聞いたかのように空を見上げ、消えていく奴がいるぞ?」 『・・・・ですね、何らかの攻撃を受けているのでしょうか?』 『しかし、"何か"を聞いて、ですか・・・・ふむ』とまた考え込んだ刹を放置し、直政は<絳庵>を握り込んだ。 「戦闘力に特化すると決めたんだ、こんなとこで終われるかよ」 『・・・・それしか能がなかったとも言いますが』 「考え事してろよ、お前はよ!」 『ああ!?』 肩かペシッと払い除ける。 『――――――――』 それが合図となり、霊たちは一斉に駆け出した。 「だぁ!」 気合いと共に地面を踏み締める。そして、その動作で跳ね上がった砂塵が、恐るべき速度で凝集、全方位に射出された。 そこかしこで響く金属音。 石の礫は霊体を傷つけずとも、彼らの持つ剣を跳ね飛ばす。 直政は霊体に致命傷を与えられないが、武器を失った霊体も同じ。 「って、おいおい!? なんか迫ってくるんですが!?」 『まさか霊体で御館様を包み込む気ですか!?』 「するとどうなる?」 『・・・・取り憑かれます?』 「嫌だ!」 叫びを上げ、<絳庵>を構える。 これまで霊体がしてこなかった攻撃に、直政の心がはっきり乱れた。 これまでは自分の攻撃が効かないことにいらだちを感じていたが、そんなことは他の戦いでも幾度もあった。 だからこそ、意外と冷静に対処していた。 (ど、どどどどうすりゃ・・・・ッ!?) 冷静になれば、今までと同じように空へ離脱すればいい。しかし、混乱した直政はその考えに及ばなかった。 「―――っ!?」 最初の霊が直政に触れた。 いや、すり抜ける。 だが、すり抜けた先で他の霊にぶつかり、"直政の体の中"で止まった。 体を何かに置き換えられるような冷気が走り、直政は絶叫を上げる。 「―――ぅ、ぅおあああああ!?!?!?」 見た。 視界の端に、よく見知った少女が驚いた顔で立っている。 彼女は小さく呼気を漏らし、大きく息を吸い込んだ。 そして――――――――――――――――― 直政の意識は闇に包まれた。 唯宮心優side 「―――全く、政くんはどこに行ったのでしょう?」 心優は当てもなく校舎を練り歩いていた。 「校庭にはいませんでしたし・・・・」 先程見た直政は校庭へ向けて走っていたはずだ。 それがどうだ。 心優がやや息を切らして到達してみれば、そこには誰もいなかった。 時々大きな音がしているので、事態は収拾していないようだが。 どうにも姿が見えない。 「全く、困ったものです」 そう言って、スカートのポケットから黒い真珠のような珠を取り出す。 「ふふ」 随分昔に貰ったものだが、ずっと大切に仕舞っておいた代物だ。だがしかし、昨日に久しぶりに見て、思わず持ってきてしまった。 「政くん・・・・」 幼馴染みというのに世間に言う「幼馴染み像」をほとんど体験していない。 小さい頃に一緒にお風呂に入ったことも、一緒の布団で寝たこともない。 幼馴染みといっても、昔の心優たちは主人の子どもと使用人の子どもだった。 唯宮家は厳密ではないが、その当たりは年の離れた兄が許さなかった。 今は海外にいるが、しょっちゅうメールが来るシスコンだ。 そんなでもしっかりいい人を捕まえ、先日紹介に来た。 だが、紹介をそこそこにこちらを猫かわいがり始めた兄に、相手の人は苦笑いをしていた。 見た目通りの大人な女性なのだろう。 こっそり教えてくれた普段の兄は、心優の知っているものとは別人だった。 「二重人格の兄には困ったものです」 心優は直政と共にいる時と公の場での自分自身の変わり様を棚に上げる。 上げるだけでなく、その棚を蹴飛ばして異空間へ転移させた。 「そんなので、これからやっていけるのやら」 少し寂しげな表情を浮かべる。 それでも次の瞬間には晴れ晴れした笑みを浮かべた。 「きっとあの人が何とかしていくでしょう」 唯宮財閥次期総裁。 世襲制などが崩れてきている昨今だが、唯宮家はまだそれだ。 本家である紡績業は一族経営にこだわっていないが、グループ全体のトップには一族が立ち続けてきた。 また、唯宮家は直系以外に権力はない。 傍系になった瞬間、ただの幹部に成り下がる。 もし直系が途絶えれば、それはそれ、というドライな一族経営だった。 だから、傍系も血筋にあぐらをかかず、必死に努力する。 それ以外のものも出世の道が開かれているために努力する。 それがうまく噛み合い、唯宮財閥は成長を続けてきた。 だから、政略結婚などないし、選んだ人と結婚すれば良い。 「だから、兄が選んだ人は・・・・きっと兄を支えてくれるいい人なのだろう、とわたしは結論づけました」 黒真珠――面倒なのでそう呼称する――をコロコロと掌の上で弄ぶ。 「何にせよ、政くんです」 何かが起こっている中で、直政を確保することは重要だ。 ここは統世学園。 心優の権限は絶大だ。 「ふふ、絶対に黒を白としてみせますよ」 ―――ドゴンッ 再び地面が揺れた。 「さっきからのこの音は・・・・これでしょうか?」 足下には踏み割られた、というよりも地面から突き破られたとでも言う石畳の残骸がある。 「・・・・それと・・・・あれは?」 砂塵をまとい、宙を舞う黒い物体がある。 逆光のためにはっきりしないが、あれは人ではなかろうか。 「鳥人間部が関わっているのでしょうか?」 「自転車なんぞ使わん!」と豪語した一部の人間が設立。 まずは鳥人間コンテストのルール改定から臨んでいる異様集団だ。 時々、空を飛ぶとか言って屋上を占拠し、不正委員と乱闘騒動に発展する。 だが、飛距離はともかくとして2、3階程度ならば難なく移動してしまう逃げ足の速い集団だ。 (でも、さすがにあの高さは・・・・) 「・・・・っ」 上履きが石を蹴飛ばし、体の向きが中庭へと向く。 「とにかく確かめませんと」 握り拳を作り、気合いを入れた。 心優は生徒会書記。 他の役員不在の中、学園生自治至上主義の統世学園にあって、頂点に立つ人材だ。 「~♪」 そういう意気込みを見せた心優は、そよ風に栗色のツインテールを踊らせながら歩く。 優雅な足取りと紡がれるハミング。 急場においても焦らない。 別の意味での唯我独尊を貫く少女は、今まさに直政が死闘を行う中庭へと向かった。 「―――ぅ、ぅおあああああ!?!?!?」 「―――え?」 そして、見た。 たくさんのナニカが、直政を包み込んだのを。 そして、聞いた。 直政の、心底から恐怖に染まった絶叫を。 「・・・・ぁ・・・・」 だから、心優はその喉を、声帯を震わせる準備に入る。 それはこれまでの日常を、決定的に破壊するスイッチだとしても、どうしても止められなかった。 (政くん―――) だから、幼い彼から貰ったものを握りしめた心優は、"それ"を使った。 「―――これは・・・・」 霊体発生から30分後、統世学園に駆けつけた鹿頭朝霞が見たのは、えぐれた地面とへこんだ校舎だった。 それは見事な戦闘痕跡だ。 それでも敵の姿はただひとりとしていない。 報告では大量の霊体が発生したというのに。 「惨状のほとんどは・・・・あいつね」 物理的な破壊痕から直政の仕業と当たりをつけた。 「そいつは大丈夫?」 「・・・・ええ、気を失っているだけですよ」 朝霞が声をかけたのは、直政を膝枕した心優だ。 「ふーん」 「でも、これはどういうことです?」 「・・・・・・・・・・・・さあ? どういうことからしらね」 すっとぼけながら携帯を操作する。 「ちょっと、どういうことかしら?」 『どういうことかな?』 電話口から聞こえた声は一哉のものだ。 「ふざけるのも大概にして。どうして当直のはずのあんたがいないのよ」 この場の警備は一哉が担当していたはず。 一哉ならば霊体が現れても、炎術で対処できたはずだ。 一哉が統世学園にいなかったとは思えない。 となれば、一哉は"何もしなかった"のだ。 『他の退魔師がいたんだ、任しても良いだろう?』 「適性を理解できないはずないでしょ」 『・・・・お前はどんどん鋭くなるなぁ』 ギシッと音がした。 たぶん、屋上かどこかの手すりにもたれた音だろう。 「ただサボったんじゃないでしょうけど、この始末、どうするのかしら?」 『唯宮心優と穂村直政は本校の保健室へ運べ』 「ふたりとも?」 『唯宮心優も霊体による何らかの影響を受けているかもしれん』 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 『鎮守の結界師を向かわせてある。看てもらえ』 「分かったわ。・・・・でも、後で説明しなさいよ」 朝霞は通話を切り、ふたりを見下ろした。 「ふふ」 そこには直政の前髪を弄び、幸せそうな笑みを浮かべる心優がいる。 「膝枕で幸せそうなとこ申し訳ないけど、移動するわよ」 「えー」 途端に心優は不満そうに頬を膨らませた。 |