第五章「南の島、そして妖狐の孫」/5


 

「―――黒鳳」

 とある研究室にこもって作業していた黒鳳月人は自分を呼ぶ声に振り返った。

「ああ、久しぶりですね」

 微笑を浮かべ、黒鳳は客を迎える。

「功刀は元気ですか?」
「さあな? 少々遠ざけられている。愚かなことだ」

 SMO監査局特赦課課長・神忌はデスクのいすにドカリと座った。そして、白いスーツ姿の神忌は微笑みを崩さない黒鳳に嫌みな笑みを向ける。

「お気に入りに関する情報は欲しくないか?」

 すぐに返事を返さなかった黒鳳は白衣を翻し、2つのコーヒーを入れて対面に座った。
 さらにコーヒーを口に含んでから返答する。

「央葉に何かありましたか?」

 黒鳳は特別に情報網を持っているわけではなかった。
 このため、SMOに潜入している神忌から情報を得ている。
 その事実が"侯爵"・神忌を助長させているわけだが、黒鳳には関係ない。

「ヤツの能力の源になった狐が確認された」
「・・・・・・・ほぉ」

 予想していなかった事実に軽く目を見開いた。

「会ったことはないんだったか」
「はい。こちらに届いた時は、一尾だけだったので」

 せんの尻尾。
 それは玉藻御前の末路――殺生石に関する研究で手に入れられたものだった。
 能力開発の結果、数百個体を喪ったが、央葉一人が成功する。
 現在、尻尾は失われ、研究は凍結していた。

「狐、捕らえるか?」
「神獣ですよ?」
「問題ない。ただ場所がわからんのが難事だな」

 神忌は足を組み替え、腕を組む。

「場所なら分かりますよ」
「何?」
「彼女は必ず央葉の側にいます」
「・・・・確かめてみよう」

 神忌が立ち上がる。
 出したコーヒーには一口もつけていない。

「コーヒー、飲まなくていいんです?」
「貴様の出したものなど飲めるか。このマッドサイエンティストが」
「おや?」

 神忌の【力】が増幅していく。

「気をつけてくださいね」
「心配ない」

 自信満々に頷いた神忌は空間転移を使った。

「・・・・本当に気をつけてくださいよ、黒い土に」

 そう呟き、黒鳳は神忌のコーヒーを流しに流す。
 すると、黒褐色の液体はゴボゴボと泡だった。






神代カンナside

「・・・・ッ」

 サイパン島タポチョ山南方に位置する死の谷では、まさに死闘が行われていた。
 たった今も、央葉の光線が突撃する日本兵霊をなぎ払っている。

『やっぱり・・・・』

 戦闘中にスケッチブックを掲げるが、見た目ほど余裕はなかった。

「霊体には効かぬ、か・・・・」

 派手に巻き上げたのは砂塵のみであり、その向こうから銃剣の鋒をこちらに向けた兵たちが飛び出してくる。そして、思い思いに撃ち始めた。
 それらは半ば実体化しているためか、今度は央葉の光を受けて消滅する。

「当たり前であろう? その能力は物理系能力としては最高峰に位置するが、ただそれだけよ」

 央葉の能力における最大の特徴は速度と貫通力である。
 戦車の装甲を貫通する威力はおおよそ大半の物理防御を突破するはずだった。

「・・・・ッ」

 木々の上を飛び回るように移動するせんに気を取られていたカンナを、央葉が横抱きにして横っ飛びする。そして、銃剣突撃してきた霊を光が薙いだ。
 彼らの内、数名は金色の光を受けて消し飛ぶ。
 それに活路を見出したのか、央葉はカンナを放り出すなり、銃剣突撃を繰り返す霊に向かって逆に突撃した。
 霊体が繰り出す銃剣を躱し、両手に持った金色の剣を振るう。そして、それは銃剣の刀身を裂き、霊体を細切れに斬り飛ばした。
 ようやく現れた勝機に、央葉は獅子奮迅の働きを見せる。

(白兵戦で倒せる・・・・?)

 カンナはその戦いに疑問を抱いた。
 戦いの緊張からか、熱い頭をフル稼働し、引っかかった部分を精査する。
 最初に疑問を持ったのは、空振った銃剣が地面に突き刺さったことだ。
 霊体は地面などの物質に影響を与えることができない。しかし、それをなしたということは実体化していると言うこと。
 そのため、央葉の攻撃は命中して、その霊を撃破することができた。

(ならば何故、今まではダメだった・・・・?)

 ヒントはおそらく個体差。
 ならば、その個体差を生むものは・・・・

「なかなか頑張るの」
「「・・・・ッ」」

 せんが声を放った瞬間、央葉の周囲にいた霊たちがかき消えた。

「叢瀬ッ!?」
「―――っ!?」

 そして、その空いたスペースに、向こう側にいた日本霊が一斉に発砲する。
 それは次々と央葉に命中し、その小柄な体を大きく跳ね飛ばした。

「くっ」

 カンナは慌ててゴロゴロと転がった央葉に駆け寄る。
 ぐったりと力を失った体の傍に膝をつき、首筋に手を伸ばした。

(冷たい・・・・だが、息はある)

 死を経験した霊体は冷たいものだ。
 その半ば実体化した弾丸を受けた央葉は仮死状態にまで持って行かれたのだ。

「ふむ、この程度、か」

 半分程度まで減った兵をかき分け、せんが大地に立った。

「妾の能力を持っていようと、所詮はヒトか」

 せんは八本の尻尾をくゆらせ、央葉を睥睨する。

「その能力、今一度妾の中に返してもらうとしよう」

 指を鳴らし、霊の侵攻が再び始まった。だが、それはすぐに止まった。

「・・・・ほう」

 先程と変わったのは、カンナが立ち上がっただけだ。
 ただそれだけで、霊が怯えて立ちすくんだのだ。
 当時、世界で最も勇敢で、犠牲を恐れなかった日本兵の霊が。

「あいにく、知人を見捨てるなどできない」

 恐怖を振り払い、数十の霊が前進を開始した。
 央葉すら退けたその兵に対し、カンナはゆっくりと持っていた弓を掲げる。

―――ピィーン

「・・・・ほう」

 二度目の感嘆は、純粋に感心だった。
 番える矢もない、弓弦が奏でた旋律によって、前進した霊が一瞬でかき消えたからだ。

「種は知れた。貴様の兵は私には意味がない」

 兵が実体化するために必要な条件。
 それは未練の総量だ。
 多くの未練を残しているものは実体化し、より強く現世のものに影響を与える。
 央葉と白兵戦を演じた霊たちが持つ銃剣が地面に突き立ったわけ、央葉の攻撃が効いたわけは、これで説明できる。

(ならば、この弓があれば勝てる)

 カンナが持つのは神道関係者が祭事で使用する梓弓だ。
 一応、武具にも分類される宝具であるそれの能力は、【力】の層別化。
 例えば、弾丸が対象を貫く威力を層別化すると、
 弾自体の種類、
 銃身の長さや火薬の威力から来る初速、
 命中する角度、
 などに分けることができる。そして、先の要因から算出される威力を100とした時、それぞれ30、60、10の割合だとする。
 この場合、対象を貫く要因として最も効果的なのは初速と言うことになる。
 この初速の威力を取り除かれた場合、弾丸は40の威力しか発揮できないこととなる。
 となれば、適切な防御を施した装甲を貫くことはできないだろう。

(霊を実体化させているのは未練)

 未練と一言に言っても、その種類は様々だ。
 例えば、故郷に帰れないことや敵に対する恨み。
 この未練の総量で実体化しているので、これを層別化してしまえば、実体化に必要な量に達せず、消え失せるというわけだ。
 決して浄化したわけではないので、その辺りに漂っているだろうが、現世に影響を与えることはできない。

「神代家に伝わる唯一の自前九十九神、梓弓の鳴弦を使いこなすとは、の」

 せんが興味深そうに嗤う。

「周囲に満ちる自然の【力】を層別化し、選別してからそれぞれの九十九神に注ぐ神事に使用される梓弓。あまりに長く使用してきたため、それ自体が九十九神した、異例の宝具」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 神代家の管理者たちは、年に数度、自身が管理する九十九神に【力】を与える。
 それは、弱体化に伴う不安定さを阻止するためのものであり、そのエネルギー源は自然に満ちる【力】だった。
 当初は管理者自身が【力】を摘出し、分配していた。だが、その際の神楽に使用していた梓弓が九十九神化してからは、その梓弓を管理するものが代表して神事を行った。
 代表者のみが行使できる神事だが、肝心の【力】の摘出は梓弓が行うため、負担は激減している。
 問題は、梓弓が気に入るかどうか、であり、梓弓の選択は神代家の当主を決めるとも言われていた。

「なぜ、知っている?」

 そう言われているのは神代家中だけだ。
 表向き、神代家は闘争に無縁な存在であり、襲撃しても意味のない存在として独立を守ってきた。

「知れたこと。妾は九十九神ぞ? 当然、妾も管理されていた」

 せんは髪を掻き上げながら告げる。

「それも貴様の祖母に、な」
「な、に・・・・ッ」

 神代礼伊。
 現神代家当主だが、彼女が管理している物品はひとつもない。
 それは才能がないと言っても過言ではなく、礼伊自身も否定しなかったことだ。

(なんということだ・・・・)

 これまで何を言われても、礼伊の僻みだと思っていた。
 自慢ではないが、カンナは先祖返りとも表現できるほど、圧倒的な管理の【力】を持っている。
 数百に及ぶ九十九神を管理するカンナを、礼伊が僻み、当主風を吹かせていると思っていたので耐えられたのだ。

(九尾の狐を・・・・管理、だと・・・・)

 それはカンナが管理する総計をも上回る【力】だろう。

「まあ、それも14年前までだ。今のあやつが【力】を失っているのも当然と言えよう」

 愕然とするカンナを睥睨し、せんはふふんと鼻を鳴らした。

「あやつは突然、妾の尻尾を切り落とすという暴挙に出おった。付け根から溢れた殺生石成分を中和するのに【力】の大半を失ったのだろうて」
「尻尾を・・・・」
「おやぁ? おかしいのう」

 どこからか扇子を取り出したせんはさもおかしそうに口元を隠す。
 その様は確かに平安時代に君臨した玉藻御前を、というか平安貴族を彷彿させた。

「旧組織を代表する陸綜家の一角――神代家の当主が切り払った九尾の狐が一尾、何故、その【力】の片鱗をSMOの秘蔵っ子であったその者が持っているか」
「―――っ!?」
「むふぅ、妾にはとんとわからぬことじゃ」

 じわりと嫌な気持ちがカンナの中に芽生えた。
 14年前。
 未だ前SMO長官であった藤原は就任しておらず、新旧の蜜月は始まっていない。
 同時に御門・凜藤両宗家も壊滅しておらず、両者は冷戦と言うには一方は組織化していなかった時代。
 そんな時代に、祖母はいったい何を考え、せんの尻尾を切り落とし、SMOに届けたのか。

(まさか、【叢瀬計画】に―――)

「ふ、さあ、自由時間は終わりじゃ。そろそろ仕上げといこうかの!」

 せんが扇子を振り上げる。
 それと同時に先程の倍に達する英霊が立ち上がった。

「くっ」

 疑念で固まった体を無理矢理動かし、カンナは弓弦に手をかける。

(悩むのは後でいい。弓兵が敵正面に陣取ったからには敵進軍を阻むために速射あるのみ)

 それが神代流弓術であり、今最も高位にある結城晴也の教えだ。


―――ォォォオオオオッ!!!!!!!!!!!!!!!!


 カンナの威圧を受け、数十の霊が足を止めるが、それを遙かに上回る霊による銃剣突撃が始まった。
 それでも怯えているのかもしれない。
 時々放たれる弾丸は明後日の方へ向かい、右半身で弓を構えるカンナを捉えることはなかった。
 それに安堵し、玉のような汗が滑り落ちる熱い体を落ち着かせる。

―――ピィーン

 一撃で数十の霊を御魂に戻したのだから、ここに集った英霊も数撃で殲滅することができる、

「な・・・・っ」

 はずだった。
 鳴弦で消えた霊は先の一割ほど。
 これでは霊が殺到するまでに全て消すことができない。

(いや、そもそも、消すことができない・・・・ッ)

「未練の層別化に目をつけたのはいい判断じゃろう。だが、未練を層別化できると思うなど、あまりにも若い」

 圧倒的優位に立ったせんがほくそ笑んだ。

「ここに満ちる英霊はいわゆるバンザイ突撃によって生じたものじゃ」

 約3000名による玉砕。

「勝つことも還ることもできぬ兵たちが残す未練など、ましてや赤紙で召集された精鋭とも言えぬこやつらが思うことなど決まり切っておろう?」

 主力であった第四三師団はサイパンの戦いにおける約1年前に組織された新師団である。
 長く続く中国との戦い、開戦から続く激戦で常設師団が消耗する中で召集された戦力など、精鋭とは言いがたい。

「こやつらはほぼひとつのみの未練で構成されておる」

 せんは言葉を切り、唇を湿らせて言った。

「故郷に帰りたい、じゃ」

 たったひとつの未練。
 そんなもので構成されているならば、カンナの鳴弦は効かない。

「さあ、今そこを退けば命だけは助けてやろう」
「・・・・先程言っただろう」

 それでもカンナは動かず、途中でへし折られた矢を逆手に持った。

「知人を見捨てるなどできない、と」
「そやつを管理することで健康障害を引き起こしているというのにか?」
「その問いにも同じ答えを返させてもらう」

 今さら、これくらい見破られても驚きはしない。
 九尾の狐のたった数%を管理しただけで、微熱が続いているなど、管理者としての格が知れるというものだ。だが、管理者として劣っても、人間としては気高くありたい。
 故に、一歩も動かない。


「―――私、あんたのそういうとこ、好きよ」


 突如、横合いから飛来した特大の火球が兵の横っ面を叩き倒した。

「でも、長生きしないんじゃないかしら?」

 炎から逃れた数名の兵を瞬く間に突き伏せた朝霞は、ポニーテールを払いながら肩越しに振り返る。

「・・・・鹿頭」

 圧倒的な【力】――炎を背に立つ少女を認めた瞬間、カンナの膝は折れた。

「よく頑張ったわね」

 石突きを大地に突き刺し、グローブを付け直した朝霞は兵たちの向こう―――せんを睨みつける。

「私の友人が世話になったようね」
「炎術師か。あの程度の兵では足止めにもならなかったか」
「いいえ、いい足止めだったかしら? おかげで霊の燃やし方も習得できたしね」
「ほう? 技倆はともかくとして、その体力、いつまで持つかな?」
「能力者最強と精霊術師が言われる所以は、身体能力の高さもあるのよ」

 会話から、朝霞が別の場所で一戦交えていたのが分かった。そして、その戦闘を片付け次第、駆けつけてきたのだ。
 亜璃斗や直政がいないところを見ると、朝霞単独で探したのであろうし、炎術師の探知能力の低さから鑑みるに、朝霞はかなり走ったのだろう。
 よく見れば、肩は上下しているし、顎先から汗が滴っていた。

「鹿頭、お前も大概意地っ張りだな」
「うっさい。意地は私たちにとって戦力の源よ」
「で、あろうな。精霊術師はいつの時代も勇敢じゃった。しかし、この場でのそれは蛮勇に他ならないぞ」
「悪いわね。私は瀞さんがあんなことになってからのあいつを見てたから」

 渡辺瀞が重傷を負って入院して以来、熾条一哉は"東洋の慧眼"という名に恥じぬ働きぶりを見せていた。
 名古屋に展開したSMO最前線部隊が三重への浸透を始めた瞬間、その基部となる桑名司令部を電光石火で叩き潰すという戦略・作戦的行動。
 富山で確認されたわずかな情報から結城-山神ラインへの打撃を狙った装甲兵降下作戦阻止という戦術的作戦。
 SMOは大規模攻勢、小規模攻勢ともに阻止された形となり、"東洋の慧眼"の存在は一能力者と見ることができないほど大きなものになっていた。

「今のキレまくってるあいつが『私があんたと接触することに規制をかけなかった』。その事実から私はあんたを過大評価していないのよ」
「ふん、興味深い輩がおったものだ。だが、今は関係ない」
「そうね」

 霊たちは体を起こし、朝霞も鉾を構える。
 もう一度、そして、今度は終わるまで止まらないであろう闘争が始まろうとした時、それは起きた。


―――♪~♪♪~


 歌詞は聞き取れないが、ヒトにとって最も自然に紡ぐことができる声による旋律。
 懐かしく、聴く者が思わず胸を押さえそうになる旋律。
 生きとし生けるも、そして、死したるもの全ての魂を震わせる旋律。

「これは・・・・ッ」

 ここに至って初めてせんが驚愕の声を発する。
 結界内に強力な【力】を以て干渉した歌。
 それはまさに鎮魂歌だったのか、五百は下らぬ英霊たちが空を仰ぎ見たかと思うと、歓喜の声を上げる。
 そして、細かい粒子となってかき消えた。









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