第五章「南の島、そして妖狐の孫」/6


 

 鎮魂。
 今日では死者の魂を鎮める「慰霊」の意味で使われることが多い。しかし、神道において鎮魂とは生者の魂を鎮めるものである。
 生者の魂は変動が大きく、落ち着きがないため、それを体の中に鎮めるという儀式だ。
 だがしかし、より大きな【力】はその両方の意味で『鎮魂』を成し遂げる。
 「Requiem」という英語があるように、全世界共通の概念として通じる前者は、戦争や災害がある度に鎮魂歌が送られる。
 浄化とは違う、導くことを目的とした【力】――鎮魂。
 それが死の谷に放射された【力】の名前だった。






帰還scene

「―――楽しかったですね、政くん」
「ああ、でもこんなサプライズはもうたくさんだ」
「またまた、それも楽しいくせに~」

 翌日の昼前、二式大艇(現代版)は乗せてきたメンバーを乗せて無事離水していた。
 直政と隣同士になった心優は直政にすり寄りながら楽しそうに話している。
 その後ろで、海をじっと凪葉が見下ろしていた。
 どこでも蛇と仲良くなれる彼女のことだ。
 きっと仲良くなった南国の蛇たちに別れを告げているのだろう。

(どういうことだ)

 これまでと比べ、びっくりするほど体調の良くなったカンナは、座席に頬杖をつきながら壁を睨みつけていた。
 凪葉がその程度でビクビクしなくなったのはこれまでの生活の賜物か。
 視線をすっと横に向ければ、首から提げた携帯をポチポチと操作している央葉がいる。
 目立った暴走の気配もなく、普通だ。

(ならばやはり、私の中にあった負担分がどこかにいったのか・・・・)

 カンナは煌燎城の戦いにおいて叢瀬央葉の暴走した【力】を管理した。
 現在は九尾の狐が持つ【力】の一端と分かっているが、それを引き受けてから体調が悪くなった。
 微熱が続き、食欲不振。
 強い精神力で日常生活を普通に送っていたが、階段から落ちそうになったところを央葉に助けてもらったこともある。

(たった数%で・・・・情けない)

 カンナの髪に混じる白髪は、先祖返りと呼ばれるものだ。
 神代家の始祖と伝えられる女性は幼少の頃から白髪だったらしい。
 太平洋戦争で一族郎党が壊滅状態となった神代家にとって、カンナはぽっかりと空いた九十九神管理の救世主だったのだ。
 いや、実際はそんなことなかったのだろう。
 カンナが生まれた頃、礼伊は【力】を失っていなかった。そして、戦後間もない頃の神代家を立て直したのも彼女だ。
 それに生まれた頃は体が弱かったカンナは、当初は役に立たない存在だった。
 手術を数回することで健康な体を手に入れたが、その関係で今は一学年下になっている。
 そう、カンナは今年で17才になる、本来は高校2年生の学年なのだ。
 カンナの職歴は長い。
 小学校低学年にはすでに数十種類の九十九神を管理していたし、祖父が存命だった頃は道場で弓術を習っていた。
 因みに祖父は道場の門下生として礼伊と知り合い、婿養子として入ったために能力はない。

「あの女のことが忘れられない?」

 後ろの席の朝霞が話しかけてきた。
 カンナはちらりと凪葉を見遣り、聞こえていないのを確認して頷く。

「ま、当然か。・・・・あの後、すぐに姿を消したし・・・・」

 英霊の鎮魂という大逆転によって、朝霞はすぐにせんを攻撃しようと彼女を探した。だが、彼女の姿は英霊と共に消えていたのだ。

「あの女自体も、英霊ってことはないかしら?」

 九尾の狐となれば、思念のみをこの世に残して黄泉の国へと旅立てるだろう。
 その思念が残った尾を求めて徘徊していてもおかしくはない。

「ない、とは言い切れないが、違うだろう」

 あの存在感、【力】は思念が維持できるものではない。
 十中八九、せんは本物だった。

「ま、あの女については私からあいつに聞いておくわ」

 考えても無駄だと判断したのだろう。
 朝霞は一方的に話を終わらせた。
 確かに一般人もいる場所で悩む問題ではない。

(そう、それより大切なことは・・・・)

「それより、もう体は大丈夫か?」

 直政の声にドキリとした。しかし、それはカンナに向けられたものではなく、元気満々で笑う心優に向けられている。

「大丈夫です。ちょっと強行軍過ぎましたからね、昨夜は」
「当たり前だろ。巡礼ヘリボーン作戦とか、意味不明だぞ」
「時間がなかったんですよ」
「だからって、倒れたら意味ないだろ」

(倒れた?)

「だって、歌ってたら気持ちよくって、ふわぁ~ってなったんですもん」

 心優の言葉にカンナと朝霞は黙った。そして、説明を求めるように亜璃斗を見遣る。
 昨夜、亜璃斗は英霊を片付けた後、直政と合流するために動いていた。そして、よく眠った心優を直政が背負い、彼を先導するように亜璃斗が宿舎に帰ってきたのだ。
 一部始終とは行かないまでも、何らかの情報を持っているに違いない。

「・・・・(フルフル)」

 視線に気付いた亜璃斗はこちらを一瞥するなり首を振った。
 どうやら何も知らないらしい。

(となれば、穂村しか知らないのか)

「ホント、何がしたかったんだよ」

 カンナ、朝霞、亜璃斗の注視に気付かず、直政は昨夜のことを思い出していた。






穂村直政side

「―――アホか」

 ヘリのローターが巻き起こす風を背に受けながら直政は心優の頭を叩く。
 直政は心優に呼び出されるなり、外に連れ出され、浜辺で待っていたヘリに叩き込まれた。そして、昼間に回ることのできなかった陸上の史跡を高速で回ることとなる。
 各史跡での滞在時間は数分であり、心優が生けた花を供え、1分ほど手を合わせては次へ、を繰り返していたのだ。

「ここで、最後ですよ」

 さすがの心優も疲れが見える。
 持ってきた花束をひとつ、慰霊碑に置いた。
 スーサイドクリフに続く、悲劇の岬――バンザイクリフにふたりはいる。

「昼に行ったのは兵士たちの戦いの場所です。ですが、ここは巻き込まれた民間人の場所です」

 サイパン戦では半数近い一般人が亡くなっている。
 その大半が、このバンザイクリフだ。
 米軍に投降することなく、自決の道を選んだ一般人。
 例え軍による情報操作や実際に経験した戦闘によって米軍を信じられなかったとしても、死を選ぶことは、欧米人にとって衝撃だった。
 このため、正式名はプンタンサバネタに変わっても、世界的にこの岬は「バンザイクリフ」である。

「ここに慰霊碑があっても、彼ら彼女らはここにはいませんよね」

 心優はもうひとつ持っていた花束を思い切り海へと投げた。
 彼女の肩では飛距離が足りないだろうが、吹いていた風に乗った花束は崖を越え、多くの霊が沈んでいる海へと落ちていく。

「終わり?」
「ええ、巡礼は終わりです。後、もうひとつやりたいことが残っていますけど」
「?」

 首を傾げる直政にほほえみかけ、心優は手を後ろ手に組んでステップを踏み出した。
 その背後には月があり、揺れるツインテールが幻想的に輝く。

「政くんは戦うために努力していますよね?」
「部活のことか? まあ、公式戦はないけど、時々道場破りに行くなぁ・・・・」

 直政は先日開催された道場破りを思い出し、遠い目をした。
 看板を守るため、道場の人たちは鬼気迫るものを感じる。
 もし、穂先が潰されたものではなく、本物だったら死人が出た戦いだったろう。

「戦うと言うことは負けることもある、ということですよ?」
「当然だろ? というか、勝てることが稀だからなぁ」

 始めて数ヶ月という段階で、道場の師範代などに勝てるわけがない。
 たいてい、キツイ一撃をもらって昏倒するはめになる。
 如何に直政が頑丈でも、人である以上、脳を揺さぶられれば気絶する。

「怖くないんですか? 負けることが、痛いことが、傷つくことが」
「怖いに決まってるだろ。痛いし、情けない」
「情けない?」
「だってそうだろ? みんなの前で負けるんだぜ。かっこわるい」

 実際、昏倒から目覚めた時、負けた恥ずかしさで顔を赤くしたものだ。
 朝霞から「気持ち悪い」と長物の柄で叩かれたが。

「・・・・じゃあ、戦うのを止めればいいのではないですか?」
「それこそ情けない」

 直政は心優の目をまっすぐ見た。
 言動こそ幼いが、心優の容姿は意外と大人っぽい。
 今みたいに真面目な顔で、真面目な話をしていれば、年不相応に落ち着いた雰囲気を醸し出す。
 そんな雰囲気に包まれ、目を見れば、否応なく直政も緊張した。

「だってそうだろ? それは『逃げ』、だぜ」

 口調だけは軽く、だが、言い放たれた言葉は重い。

「そうでしょうか? 別に戦わずとも生きていけます。無理をすることはありません」
「心臓が動いているだけが、生きているとは言わないだろ?」
「・・・・生き甲斐、誇りというやつですか?」
「そうそう。分かってんじゃねえか」

 直政は一度混ぜ返してため息をつく。

(心優の奴、どうした・・・・?)

 まるで昔の暗かった頃のようだ。
 ふたりが出会った時、心優は引きこもりだった。
 それを引っ張り出したのが直政だ。

(その時も同じような会話をしたような気が・・・・)

 子どもだったのでお互いもっとストレートに意見をぶつけていた。

「そんなもの、圧倒的な力を前に、無意味ですよ?」

 大企業の令嬢でもある心優のシビアな一言。

「かもな。・・・・でも」

 だが、それに対する答えを直政は持っている。
 漠然としていた気持ちが、はっきりと言葉にできるようになる生活を、ここ数ヶ月送ってきたのだ。

「誇りがなければ、生きている意味もない」

 企業理念、というものがある。
 企業はただただ利益を求めるのではなく、どのようにして社会に貢献していくのかを指し示す指針だ。
 力とはただの力であり、その方向性を示すものが理念だ。
 そこには誇りも含まれる。
 この理念を一言で表したものがキャッチコピーというものだ。
 企業ではないが、組織にもこの理念はある。
 有名なのはNPOだろう。
 また、それは実力重視である退魔界にも適応された。
 熾条宗家は火力一点集中を心情とし、故に兵力の集中を気取られぬために本拠を隠す。
 結城宗家は速度を重視し、情報伝達能力・収集能力に秀でる。
 山神宗家は上杉謙信譲りの「正義」を重んじ、その武力を発揮している。
 これらの行動は「~~だったらきっとこうするはず」という意識を抱かせ、抑止力にもなるし、他勢力が味方になることもあり得る。
 古今東西、実質的な力に劣っていても、その他の要素で勝利を治めた例は数多い。
 その布石こそ、一貫した意志だ。

「俺は間違っていると思ったことを正したい」

 これは御門宗家の理念と言うより、穂村直政としての意見だ。
 御門宗家の理念は「孤高」であり、それは日英同盟前の「名誉ある孤立」と謳われた大英帝国に似ている。

「正すのに、力がいるんですか?」
「そうだぜ。心優の言うとおり、圧倒的な力を持っている奴とも戦えるように、な」
「政くんは強いですね」

 心優は、彼女に似合わない、疲れた微笑を浮かべた。そして、まぶしいものを見るように直政を見つめる。

「・・・・ここに彷徨っている人たちはそんな誇りを抱いていたのかもしれません。国を、家族を守る、と」

 心優は直政に背を向け、岬から見える漆黒の海を見下ろした。

「ですが、そんなもの、質・量ともに圧倒的な力の前に、何の意味もなかった。残ったのは、後世に引き継がれる悲劇のみ」
「それは・・・・」

 確かに如何に戦力を整えようとも、それを凌駕する存在がある。

「だから、私にできるのは、彼らを鎮めるために歌うだけです」

 直政は悲劇を阻むために力をつけると言った。しかし、心優は悲劇が起きた後のことをなすと言った。

(戦いの後、か・・・・)

 戦士である直政にとって、戦いこそ全てである。
 熾条一哉のような戦略家ならば、戦いの事前と戦いの影響がメイン。
 鹿頭朝霞のような実戦指揮官ならば、戦いを通した戦力の維持がメイン。
 戦後の事後処理はともかく、犠牲者に対する弔いなど、直政の関わるべき処ではなかった。
 直政にできたのは次の戦いこそ犠牲者を出さないと誓うのみだ。


―――♪~♪♪~


「―――っ!?」

 ぞわりと背筋が泡立った。
 心優が歌い始めたのだ。
 胸に手を当て、腹から声を出す、基本に則った歌い方。
 それは、軽音部でいつもやっていることなのだろう。
 違うのは、紡がれる旋律はギターと共に、ではなく、100%心優の声のみという点だ。

(いつの間に、こんな・・・・)

 中学時代はカラオケに連れ出されたが、部活で歌っている以上、遊びでは歌わないのか、統世学園に入ってからは行っていない。
 つまり、身近で心優の歌を聴くのは中学以来だった。
 その頃とは全く違う、まさに圧倒的とも言える歌唱力に度肝を抜かれた直政はぼーと心優を見つめるしかない。
 心優は昔から歌がうまかった。
 出会った頃の暗い心優は、ひとりでブツブツと歌を歌っていたものだ。
 今のような明るい心優になっても、木陰で歌うことは止めなかった。
 歌が好きなので、そういう習い事をするのかと思えば、していない。
 お嬢様らしく、ピアノとバイオリンは習ったらしいが、教養程度に留めていた。
 今思えば、避けていたのだろうか。

(ま、そうだとしても、あの軽音部のライブで完全に吹っ切れたみてぇだけどな)

 あの初ライブで見た、楽しそうに歌う心優。
 生き生きと部活に行く心優。

(ああ、俺はこいつが笑顔でいられるように、戦ってるのかも)

 自然とそう思えた。
 新旧戦争の勃発にて、音川町を庇護していた結城宗家が撤退する。
 その穴を埋めるため、鹿頭家が幅をきかせるが、鹿頭家自体も新旧戦争に身を投じている。
 そんな中、湧き出る弱小妖魔に対して穂村家が退治を請け負った。
 何せ音川は去年から続く結界破壊事件が未解決で、未だ続いていた。
 何かと物騒な音川を守る。
 それが、今年の初めに亜璃斗と交わした約束だった。

(去年の学園祭から明るくなっていく心優の日常を守るために・・・・って)

 直政は思考を中断し、思い切り顔を赤らめる。そして、右握り拳の左側を口に押しつけ、少しでも心優から顔を見られまいとした。

(俺、何を考えて・・・・)

 幸い、心優は目を閉じて歌っているので、直政の表情には気付いていない。

「―――あ、う・・・・」
「―――っ!?」

 聞こえた声に、我に返った直政は心優を見遣った。

「あ、れ?」
「心優!?」

 立ちくらみを起こしたのか、ふらつく心優。
 その体は崖の向こうへと傾いていく。

「くっ」
『御館様!?』

 普通では間に合わないと判断し、直政は本能的に能力を発動させた。
 足下の土に働きかけ、バネのような動きで一気に直政を射出する。
 朝霞の足下を爆発させて急加速する白兵戦術を応用にて動いた直政は、心優が崖の向こうに消える前にその体を抱き留めることに成功した。

「っぶなー」

 バクバクと心臓を鳴らしながら、直政はゆっくりと崖から遠ざかる。そして、十分に距離を取ったところで心優を解放した。

「心優」
「・・・・あ」

 虚ろな瞳から正気に戻った心優は、ゆっくりと瞬きする。

「政くん・・・・」
「大丈夫か?」

 邪気のない表情に安堵しながらも、一応、声をかけた。

「ええ、いい気持ちです」

 そのままもう一度直政に体重を預ける。

「おやすみなさい」
「おおい!?」
「ZZZ・・・・」
「早ッ。じゃなくて、ここからどうやって帰るんだよ!?」

 それから直政は、迎えが来るまで熟睡する心優を抱えていた。






Epilogue

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 カンナは神代神社の鳥居を見上げていた。
 今、サイパンから帰ってきたのだ。
 この階段の上には神代家当主――神代礼伊がいる。
 神代家が持つ最大戦力であった九尾の狐をだまし討ちにして尻尾を奪い、それをSMOに引き渡した。
 その時期は、蜜月前の冷戦時代であり、旧組織に対して裏切りに等しい。そして、その尻尾は【叢瀬計画】に投入され、多くの生命を奪った結果、叢瀬央葉を産み落とした。

「問い詰めねばならないな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 せん襲撃によって、カンナの体調は回復し、央葉も今まで以上に能力を使うことができている。しかし、せんには能力そのものが効かない以上、如何に威力が増そうとも意味がなかった。
 それでも、陸綜家は増援を送ってこようとはしない。

(もしかすれば・・・・)

 礼伊は陸綜家の幹部だ。
 如何に一哉が実戦部隊を握っていようと、決定権は礼伊にある。
 もし、礼伊が増援部隊の派遣を、内政不干渉を盾に断っているとも考えられた。

「―――何を悩んでおる?」
「「―――っ!?」」

 頭上から聞こえた声に、カンナは慌てて視線を上に上げる。そして、央葉もカンナの前に出て戦闘態勢を整えた。

「せん・・・・ッ」

 九尾の狐・せんが階段の上に立つ鳥居の傍に立っている。
 その向こうは神域であり、神代家にとって、本丸に他ならない。そして、唯一の戦力であるカンナが不在であった以上、せんを相手に出来た者はいない。

「心配せずとも、礼伊の奴なら無事じゃよ」

 ピコピコと狐耳を動かしながら言う。

「ならば、その格好はどういうことだ?」
「うん? 妾が生まれた頃より慣れ親しんでいる服装じゃが・・・・変か?」

 せんが着ているのは白衣に緋袴、まさに巫女装束だった。
 神代神社で生まれたのだから、巫女装束を着て育っていてもおかしくはない。
 ただ、金色の髪が、全てのイメージをコスプレにしてしまっていた。

「何故、神代家の神紋をつけた巫女装束を着ている?」
「それも簡単。礼伊に『着ろ』と渡されたからじゃ」
「・・・・ッ」

 ジリッとカンナが一歩距離を詰める。
 そこには殺気があり、これ以上、無駄な言い合いをするつもりはない、という証拠だった。

「退魔師の家系に産まれた意地、か。例え好かぬ相手が危険に晒されたとしても怒れるのは」

 ふたりが臨戦態勢に入っても、せんは余裕な態度、というか、隙だらけの格好で立っている。
 マリアナで会った時は、余裕は余裕でもいつでも動けるようにしていたというのに。

(構えるまでもないと見られているのか、そもそも戦闘にならないと思っているのか)

 前者の可能性は大いにある。
 先の戦いではふたりは手も足も出なかった。

「―――戻ったか」

 せんの隣にもうひとつの人影が立つ。

「ふん、何を呆けておる。さっさと上ってこい」

 それは神代家当主・礼伊だ。
 せんは自分の尻尾を切った本人が隣にいても何も気にすることなく、泰然としていた。

『???』

 央葉が疑問符のスケッチブックを掲げている。

「その疑問に答えてやるというのだ。だからさっさと上ってこぬか、馬鹿娘が」

 礼伊は言いたいことだけ言うと、踵を返した。

「はは、全く、本当に変わっておらぬよ、この小娘は」
「小娘扱いすな!」

 憎しみではなく、親しみでせんは礼伊に接している。
 もはや、先程までの一触即発の空気はなかった。

「とりあえず、行くか」
『ん』

 いろいろな感情が渦巻く中、カンナは階段に足をかける。

(だいたい、想像は付いたがな)

 礼伊が陸綜家に非協力的であること。
 熾条一哉が対せんに十分な戦力を送らなかったこと。
 いくつかのストーリーが考えられるが、せんと礼伊が仲違いしていない事実から、ひとつに絞り込むことができる。
 陸綜家弱小と呼ばれ、戦力がないことで家を守ってきた神代家。
 それは神代家が自立を守るためにつけた仮面なのだろう。

(もっとも、せんは戦略兵器だがな)

「とりあえず、叢瀬も来るか?」
『行く』

 九尾の狐という戦力を復活させた神代礼伊の野望は第二段階へと移行した。





「―――さあ、今日も部活です♪」

 サイパンから帰った翌日、心優は嬉しそうに軽音部室がある校舎へと向かっていた。
 軽音部はこの夏、音川町の外にあるライブハウスへと殴り込みをかけることが決まっている。
 そのための練習がハードになりつつあった。

「ん?」

 校舎に向かうためには園芸部の花壇を通る。
 そこで気が付いた、踏みつけられて元気をなくしているひまわりに。

「あれは・・・・」

 その根元にはそのひまわりを育てていた生徒の名前が書かれていた。

『水瀬凪葉』

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 その名前を見て、心優は全てを悟る。

(やっぱり、社会的に抹殺するべきですか・・・・)

 おそろしく冷たい視線で2年生の校舎を見遣った心優は、首を振った。

「ダメです。暴力は何も解決しません。でも・・・・」

 踏みつけられたひまわりを見下ろす。

「このままでは、悲しみますよね・・・・」

 ポンッとひまわりの茎に触れた。

(頑張って)

 必死に養分と水分を地面から吸い上げ、自身を再生させようとしている息吹を感じる。

「・・・・よし」

 嘆いても仕方がない。
 ここはこのひまわりの生命力に賭けるしかない。

「凪葉ちゃんが世話しているんです。この程度で負けるはずがありません」

 まるで誰かに言い聞かせるように呟いた心優は未練を断ち切るように勢いよく反転して歩き出した。





「―――へぇ」

 そんな光景を一部始終見ていた者がいる。
 "彼女"はひまわりとネームプレートを一瞥し、蕩けるような笑みを浮かべた。

「ふーん。・・・・いい度胸だね」

 彼女は壁に預けていた背を離し、廊下を歩く。そして、覚悟を決めるように、もう一度、ひまわりを振り返った。

「・・・・え?」

 視線の先にはしっかりと太陽向けて立つひまわりがいる。

「・・・・・・・・・・・・へぇ」

 彼女は少し驚いたように目を見開き、次にやや親しみを込めた笑みを浮かべた。





「―――ふーん」

 そんな一部始終を見ていた幼女がいた。
 彼女は木の枝に座り、足をぶらぶらさせている。そして、その視線はひまわりと心優、立ち去る女子生徒に向けられた。

「うーん?」

 ゆっくり首を傾げた幼女はすくっと枝に立ち上がる。

「いちやのとこに行こ♪」

 にへらっとあどけない笑みを浮かべた"緋"はそのまま姿を消した。









第五章第五話へ 赤鬼目次へ 第六章第一話へ
Homeへ