第五章「南の島、そして妖狐の孫」/1
「―――臭う、臭うぞ」 山陰地方の山奥に降り立った影は瓦礫の上に着地するなり、鼻をひくつかせた。 その姿は時代を跳び越えてきたかのような十二単だ。 手に持った扇子で優雅に口元を隠しているが、そこに浮かぶであろう笑みの気配は隠せていなかった。 「あれから十数年、やっと尻尾を掴んだわ」 女はピクリと頭に生えた獣の耳をピクリと動かす。 「ふむ、妾も引っ掛かったようじゃの」 そう言って、閉じた扇子を一振りして、四方から飛んできた縄を灼き尽くした。 「ほっほ、そのようなもので妾を捕らえようとは笑止千万」 女は全身から【力】を放出し、自分を包囲した者たちを睥睨する。 彼らは音もなく忍び寄ってくる辺り、かなりの手練れだが、所詮は人間だった。 奇襲に失敗した以上、女を捕らえることはできない。 「さらばじゃ! 妾の当てのない旅は終わりを告げたでな!」 結果、ものの数秒で蹴散らされた人間は、高笑いをして飛翔する彼女を見送るしかなかった。 (ほっほ、ようやく見つけたぞ) 戦闘後の興奮そのままに、彼女は力強く宙を蹴る。 「待っていよ、我が尻尾ぉっ!!!」 そういう彼女の臀部には金色の尻尾が8本、風にたなびいていた。 お嬢様の陰謀scene 「―――お前、馬鹿だろ」 7月15日、統世学園高等部1年B組教室。 ここで穂村直政は友人、叢瀬央葉の期末試験答案用紙を見るなりそう言った。 「?」 何故馬鹿と言われたか分からない央葉は小首を傾げる。 因みに今の央葉は女子の制服を着ており、先程クラスメートの女子に復帰祝いだと言って髪の毛を弄られていた。 このため、首を傾げるという動作と共に大きなリボンが震える。 さらについでに言えば、この姿を携帯で撮影し、央葉の携帯にあった叢瀬椅央のアドレスに送りつけると、親指を突き立てた絵文字が返ってきた。 今もSMOや明らかになった黒幕に対しての情報収集を行っている彼女だが、なまじ演算能力が高すぎるために暇らしい。 「こんなふざけた点数をとりやがって・・・・」 直政の視線は主要5教科だけでなく、副教科まで全て並んだ答案用紙に注がれた。 それらは重なりつつも点数が見えている。 央葉は中間試験を受けていないため、期末試験にて全教科60点以上を取らなければ追試だった。 「はぁ・・・・」 何度見ても、眼鏡を拭いて見直しても、全ての答案には同じ数字が並んでいる。 三桁の、数字が。 「全教科満点ってどんな馬鹿だよ」 『なんで?』 「分からないなら・・・・いい」 直政は首を振って話を切り、先程から一言も口をきいていない少女を見遣った。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「ね、ねえ、心優ちゃん? だいじょうぶ?」 少女の友人である水瀬凪葉が声をかけているが、答案用紙を手に硬直している唯宮心優は返事をしない。 「おおかた、再起動中だろう」 「んな、パソコンじゃあるまいし」 凪葉とは対照的に、心配する素振りも見せないのは白髪交じりの神代カンナ。 彼女は自分の席に座ったまま小説のページをめくっていた。 読書をする時だけにかける眼鏡がひどく似合っている。 「あながち間違いではないだろ」 「え?」 ピッとしおりで心優を示され、直政は彼女に向き直る。 「へ、平均点、100点。わたしなんて33点なのに・・・・うわぁん!」 ヒシッと近くにいた凪葉を抱き締める心優。 至極平均的な身長を持つ心優だが、小柄である凪葉を包み込むのは造作もなかった。 というか、未だ出席番号順である席順では、央葉の前が凪葉だ。 ということで、彼女は席に座っていたので、心優に抱き寄せられれば自然とその胸に顔面を突っ込ませることとなる。 「~~~~っ」 おまけに首の後ろに回された手は頸動脈を圧迫しているのか、バタバタと抜け出そうと足掻いていた。 「全教科満点より、平均点33点で赤点なしの方がすごいと思うぞ」 さすがに哀れと思ったのか、カンナは小説を机に置き、心優の手をずらしてやる。 完全に助けないのが、カンナらしい。 因みにカンナが座っていた席は、別のクラスメートの席である。 「そこは褒めちゃダメだ、調子に乗るから」 「えへへ、それほどでもないですよ」 「おい! 今、ちゃんと俺、釘打ったよね!?」 心優は赤点なしだが、平均点は33点。 標準偏差は2と言う、素晴らしい値を叩き出した。 音楽もテストが33点だった時の音楽教師の顔が忘れられないとカンナは言う。 「いやぁ、一教科でも赤点があれば、計画が狂うところでしたから、死に物狂いでしたよ」 「死に物狂いでこの点数・・・・」 「心優は目の前ににんじんをぶら下げれば突っ走るタイプではないか?」 言外に単純だと言っているようなものだが、確かにそう思ってもおかしくはない。 「甘いな、神代さん」 直政は首を振り、再び眼鏡をかけたカンナに向き直った。 「こいつは目の前ににんじんをぶら下げられたら、確かにそれを追いかけるだろう。しかし、その視界にはにんじんだけでなく、ぶら下げている人も見えている」 「・・・・つまり、単純に追いかけるだけでなく、智慧を使ってその人間を斃す、と?」 「そう」 直政が頷くと、妙な沈黙が降りる。 「「はぁ・・・・」」 どちらともなくため息をつくと、会話は終わりとばかりに直政は愛想笑いをした。 「しっかし、最近俺を見るクラスメートの視線が痛いんだけど」 「ああ、それはな」 カンナはぼけーとしていた央葉の頭に手を置いて続ける。 「こいつの女装のせいで、端から見れば女を4人も囲っているハーレム野郎に見えるからだろ」 「ハ・・・・ッ」 心優の胸から抜け出していたが、未だ抱き締められている凪葉の顔が赤く染まった。だが、敏感に反応したのは心優だ。 ポイッと凪葉を放り投げ、直政の右腕に抱き着いたかと思うと、クラス中に響く大声で宣言した。 「政くんの正妻の座は渡しません!」 「いいや、譲る譲らないの問題じゃないから!?」 「ええ!? でしたら、正室と認めてくれているんですね」 「というか、側室はいていいのか?」 カンナのツッコミも聞こえないらしく、キラキラと輝く瞳で見上げてくる心優。 そこに、先程までに傷ついた色はない。 「よし、新婚旅行に行きましょう。グアムにします、サイパンにします、テニアンにします!?」 「何故、マリアナ諸島限定なのか問いただしたいが、まずは新婚旅行という認識を改めろ! おまけに男が憧れるセリフを改造するな!」 「私としては、その島々がマリアナ諸島だと分かるのも・・・・不気味だ」 グアム、サイパンはいい。 テニアンが分かる人は少ないだろう。 「でも、もうすぐ夏休みだもんなぁ」 ツッコミを全無視する心優を諦め、直政は素直に意識を飛ばした。 「グアムは・・・・行ったしなぁ・・・・」 「行ったんだ・・・・」 凪葉の呟きに答える。 「ああ、あれは中学の頃、突然、ヘリが目の前に着陸してな、眠らされて気が付けば、成田の自家用機前で心優が笑顔で手を振ってた」 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」 「じゃあ、サイパンかテニアンですね。うーん、個人的にはサイパンですね」 「なんで?」 「サイパンは戦前では台湾に次ぐ精糖拠点でしたから、きっとあま~い一時を過ごせるに違いありません!」 「それは物理的に甘いな!」 「―――アホ」 力拳を作って力説する心優の頭が叩かれた。 「精糖拠点だったのはサイパンではなく、テニアンだ」 「先生・・・・」 「さすがは職員室を盛り上げた超低空飛行機野郎・・・・ん? 女郎か?」 いつ赤点が出るか、職員室でも話題になったらしい。 「さー、席に着けー。めんどうだが、ホームルームを始めるぞー」 普段からやる気のない担任が教卓へ移動し、手を叩いて着席を促した。 「ふむ、砂糖はテニアン、ですか・・・・」 心優は未だに甘い雰囲気を醸し出すのに、砂糖が必要ないことに気付いていない。 (個人的に言えば、サイパンの方がいいんですが・・・・) そう言って、ポケットから携帯電話を取り出した心優はホームルームそっちのけで高速キータッチでメールを送信した。 そして、放課後。 「心優、帰ろうぜ」 「あれ? 部活は?」 鞄を担いだ直政が心優に声をかけた。 「部長が『テストが返ってきた日になんて部活したくない』ってさ」 因みに軽音部は休喉日とかで休みだ。 「マズイですね、計画が狂いました」 「は?」 ボソリと俯いて呟いた心優は次の瞬間に勢いよく直政の顔を見上げた。 「政くん、みんなを誘っていいですか?」 「みんな?」 「凪葉ちゃん、カンナさん、叢瀬くんです」 指を折って数えるが、そもそも三人ならば指を折らずとも覚えられるだろうに。 さすがは教師陣が3時間かかって異名を考えさせられた問題児。 結局収拾がつかず、結論が出なかったらしいが。 「ああ、そうだな」 直政は頷き、どこかと交信しているようにぼーっと教室の窓から外を見ていた央葉の肩を叩く。 「帰ろうぜ」 『ん』 短くてよく使う言葉は単語帳にしたのか、小さな単語帳を直政に突き出した央葉はテクテクと歩き出した。 「って、お前、鞄は!?」 『?』 「面倒だからって疑問も単語帳で済ませるな!」 「漫才していないで、帰るぞ」 見かねたカンナがため息をつきながら言う。 腕を組んで仁王立ちしたその姿は迫力があり、ふざけていた(?)央葉も鞄を取るなり、スケッチブックを掲げた。 『イエス、ボス』 「・・・・まさかこれが素なのか?」 「知らん」 ボス扱いされたカンナは特に気にすることなく歩き出す。 その後ろに央葉が付き従い、見た目は――― 「―――完全に主従関係」 「うん、そう。―――って、うお!?」 「兄さん、帰ろう」 背後に立っていたのは妹の穂村亜璃斗だ。 「政くーん、お待たせしましたー・・・・・・・・って、どうして亜璃斗がここに?」 「兄さんと帰るため。何故か嫌な予感がした」 「・・・・チッ」 心優は舌打ちするなり、連れてきた凪葉の後ろに隠れて携帯電話で通話を始めた。 「うわー、俺もそこはかとなく嫌な予感がしてきたぞ」 「大丈夫、兄さんは私が守る」 両手で握り拳を作り、伊達眼鏡越しに視線を飛ばしてくる亜璃斗。 直政も同じく伊達眼鏡越しにその決意溢れる瞳を見返す。 「そうです、プランAを若干変更です。プランBは決行してください」 「・・・・・・・・・・・・期待しないでおくよ」 「・・・・ごめん」 ぼそぼそと聞こえてきた内容に、穂村兄妹は揃ってため息をついた。 何か活き活きと計画し始めた心優を止めることなど、不可能なのだ。 そして、事件は下校中に起こった。 その主役を担ったのは回転翼機、いわゆるヘリコプターだった。 ベル 412。 軍民問わず世界各国で活躍している汎用輸送ヘリコプター。 アメリカのベル・エアクラフト社が開発し、日本では民間用として海上保安庁や消防隊などが配備している。 実際に投入されたのはベル412をイタリアのアグスタ社がライセンス生産した型だったらしいのだが、軍用に開発された「アグスタ・ベルAB412グリフォーネ」なのか、民間用の「アグスタ・ベルAB412」なのかは明らかにならなかった。 言えるのは、ただひとつ、拉致作戦に、このヘリが投入された、という事実だけだ。 「「・・・・いやいや」」 直政と亜璃斗は爆音と暴風の真っ直中にありながら冷静に右手を振ってあり得なさを主張した。 驚きを通り越し、呆れしか抱かない現実がここにある。 閑静な住宅街に突如響き渡った爆音は、直政、亜璃斗、心優、カンナ、央葉、凪葉の6人の頭上で止まるなり、その扉を開け放って3人が降下してきた。そして、後者3人を抱き抱えるとバネ仕掛けのように飛び上がる。 上空十数メートルでホバリングするベル412は楽々と6人を収容し、再びその扉から先の降下隊の姿が現れた。 どうやら、3人はしっかり格納されたようだ。 「心優、やりすぎ」 「サプライズでしょ?」 風で乱れる髪を抑えながら、心優はウインクしてみせる。 「それはそうと、政くん、これからわたしたちもあそこに行くので抱き抱えてくれません?」 「嫌だ」 「あーん、照れ屋ですね♪」 くねくねしてみせた心優の背後に降下隊が降り立った。 「御嬢様、失礼します」 「ええ」 体の力を抜いた心優をすばやく固定し、彼はあっという間に心優を上空へと連れ去る。 同時に諦めていた穂村兄妹も宙を舞っていた。 「兄さん、あそこ」 ワイヤーの関係か、すごく近い位置から亜璃斗の声がする。 声だけでなく、指でとある一点を指し示した亜璃斗に従い、直政は視線を向けた。 「もう1機?」 住宅街故に視界の効く中、もう1機のヘリコプターがホバリングしているのが見える。 (あそこは・・・・っ!?) 「標的確保完了!」 「周辺家屋への影響軽微!」 「OK! 上昇する!」 降下員と操縦員の短いやりとりの後、ローターは回転数を上げてヘリが上昇し始めた。 「きゅー」 「・・・・ヘリとはこんな乗り心地なのか」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 あまりの状況に目を回した凪葉と現実逃避なのかいまいち分からない感想を漏らすカンナ、どこでも変わらない無表情の央葉。 「「・・・・・・・・いい加減離れろ」」 そして、どさくさに紛れて直政に抱き着いた心優を、亜璃斗とふたりがかりで引き剥がす。 「で、今回の行き先はどこ?」 慣れた亜璃斗の問いに心優は胸を張って答えた。 「夏です! 暑いです! 南の島です!」 「だからどこなんだよ!?」 「サイパンです!」 「精糖の話はどこいった!?」 渡辺瀞side 「―――夏だね~」 渡辺瀞は窓に吹き込む風に目を細めた。 瀞は煌燎城攻防戦で重傷を負い、入院している。 病院は度々熾条一哉がお世話になっていたところであり、勝手知ったる何とやら、だった。 「・・・・現実逃避するなよ」 見舞いに来ていた熾条一哉は赤くなった頬を抑えながら立ち上がる。 「現実は見てるよ。反撃しようとする緋を抑えるくらいは」 窓から一哉に視線を移し、その後に抱き寄せた幼児を見遣った。 「殴った! あいついちやを殴ったよ! 離してよ、しーちゃん!」 「緋、大人しくしておけ」 「・・・・うぅ~」 主に言われ、緋は暴れるのを止めたが、敵意に満ちた視線を隠そうもしない。 「顔をあわすなり、いきなり拳とは物騒だな」 「殴られることをしたと自覚し、そして、殴られる覚悟を決めていたようですね」 プラプラと手を振り、一哉を殴った張本人――渡辺瑞樹は悪びれもなく言う。そして、一哉から視線を外し、包帯が巻かれている瀞に向き直った。 「報を聞いた時、発狂するかと思いましたよ」 「うん、だね。建設途中の母屋が倒壊するかと思ったわ」 「・・・・それはすみません」 にこにこと夫の暴挙を告白した妻――水無月雪奈は持っていた荷物を瀞の傍に置く。 「はい、頼まれていた荷物ね」 「ありがとう、雪奈さん」 女同士はニコニコと笑っているが、男同士は未だジリジリと距離を測っていた。 一哉としては「瀞命」とも言える瑞樹が一発で済ませると思えず、瑞樹自身もそう考えているのだろう。 「もう、瑞樹。一哉もわざと喰らったんだからいいでしょ」 「ですが・・・・」 「それに私の怪我は私の責任だよ」 「・・・・それでも」 「い・い・の!」 これで話は終わりとばかりに、瀞は大きな声を出した。 「はぁ・・・・もういいです」 瑞樹は部屋の隅にあった椅子を取り、雪奈の前に置く。そして、もうひとつを自分の前に置いて腰掛けた。 「怪我の具合は?」 「後遺症は残らないよ。入院も大事を取っているに近いから」 「警備状況は? 良ければ、分家ひとつを派遣しますが」 「大丈夫だよ」 瀞は威嚇を続ける緋の頭を撫でながら微笑む。 「もう、一哉は失敗しないから」 「ぅわ・・・・」 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」 瀞の言葉に、雪奈は小さく感嘆の声を上げ、一哉と瑞樹は思わず視線を交わし合った。 「・・・・瀞、今回の敵は一筋縄ではいきませんよ。中東の正規軍とも違います」 「うん。だから、失敗したよね。でも、一哉はやられっぱなしでいるほど、大人しくないでしょ」 瀞はニコニコとしたまま顔を一哉に向ける。 「ねえ、いまはなにをしているのかな?」 比喩ではなく、現象として部屋の温度が下がった。 |