第三章「テスト、そして神馬」/8


 

「―――しーちゃん、行かないの?」
「うん、まだね」

 瀞は地術師の索敵を躱すため、屋内にて呼び出した水の狼にまたがっていた。
 地術師の索敵能力は屋内に入るだけでやや低下する。そして、その状態で<土>を拒絶すれば、索敵を避けることができた。
 その証拠に先程3人の地術師が瀞のいる建物の傍を瀞に気付かずに通過している。

「うー」
「唸らないの」

 幼女の頭を撫で、瀞は微笑んだ。

「行くには行くよ。でも、ちょっとタイミングってのがあるの」

 現在の戦況はおそらく五分だ。
 この状況で瀞が参戦しては敵が尻尾を見せることはないだろう。
 以前までの瀞ならばとにかく参戦していただろう。
 いや、参戦する以前の問題だったかもしれない。

(でも・・・・一哉なら、待つよね・・・・)

 この戦いの起因は"封印の破壊"。
 昨年一哉が裏を知る原因となった鵺、8月に破壊された石塚山の封印、鬼族によって破壊された封印。
 そして、今回の封印破壊。
 1年弱の間に4件もの封印が破壊されることは異常だ。
 というよりもそれだけの封印がこの音川にある事実が異常である。だからこそ、鎮守家は最も影響力のある次期当主――鎮守杪をこの地域に送り込んでいる、と一哉は考えていた。
 封印破壊がひとつの勢力によるものだと考えるならば、SMOが考えられる。しかし、一哉は第三勢力の存在を考慮していた。
 その勢力がSMOを使わずに表に出た、唯一の事例がこの戦いだった。

(それに・・・・これは私がケジメを付けるって思ってたことにも繋がったから)

 渡辺宗家の守護神暴走と、一哉が、いや、旧組織の暗部が追う者たちとが繋がった。

「もう、私は一哉のおまけじゃない」
「え?」

(一哉の敵と戦う、っていう理由ともうひとつ、戦う理由ができたよ)

「あ、しーちゃん・・・・」

 にこにこと頭を撫でられて笑っていた幼女の表情が変わる。

「・・・・うん、行こうか、緋」

 瀞は一哉の守護獣――緋を狼に乗せ、戦場へと駆け出した。






穂村直政side

『―――私が思うにですね、御館様』
「はぁ・・・・はぁ・・・・ああん?」

 数十分に及ぶ激戦の最中、思い出したとばかりに刹が話しかけてきた。
 すでに病院前の戦いは長期戦に入っている。
 亜璃斗は全ての地術師を招集して集団戦に突入しており、数分だけでも2、3人を休ませるようなローテーションを組んでいた。
 長期戦になると読んだすぐに対応するとは、さすがは亜璃斗。
 しかし、直政は一騎打ちであるため、休憩など以ての外だった。

『馬に角はないと思うんですよ』
「ったりめえだろっ」

 馬に角がついているなど、ペガサスとか一角獣とかそんなのだけである。
 神馬は元々、普通の馬なのだから、角があるわけがない。

『じゃあ、どうしてあの神馬にはついているのですか?』
「・・・・あ」

 そういえばそうだ。
 今まで直接打ち合ったり、黒い弾丸を撃ち出されたりしていたというのに、今その違和感に気がついた。

『ここはちまちまと体を傷つけていくよりも、角一本に絞った方が効率的なのでは?』
「うーむ」

 これまでの戦いで、両者共に擦り傷や切り傷を負っていた。
 如何に直政が頑丈とは言え、それは打撃についてだけである。
 確かに地面に叩きつけられてもほとんどダメージにならないが、叩きつけられる折に鋭利な角に引っかかれていれば怪我を負う。

「けど、何度か角と打ち合わせてるぞ?」
『それは柄で、でしょ? 穂先で打ち合わせたことは一度もありません』
「な、なるほど」

 直政は<絳庵>を握り直し、改めて神馬を視界に収めた。

「あれ―――ふぶっ」

 顔面に弾丸が命中し、直政は弾かれたように吹き飛ぶ。

「へ、へへ・・・・効かねえぜ」
『避ける意味はないと言いましたが、真正面からぶつかる意味もありませんよ』
「避けられなかったんだよっ。悪かったなっ」

 次に飛んできた弾丸を躱し、直政は一気に距離を詰めた。
 突撃を遅らせるような弾丸には耐え、神馬を間合いに入れる。そして、当然目の前にある角向けて穂先を繰り出した。

―――ガツンッ

「・・・・ッ」

 ひどく硬質なものを叩いた感触と共に、<絳庵>は弾かれる。

『怯むなッ。続けろ・・・・です』
「うぉりゃぁっ!!!」

 続いて繰り出された横殴りの一撃は角だけでなく、神馬の体をも揺るがした。
 その威力は神馬のバランスを崩し、地面に倒れるほどである。そして、直政はゴルフのフルスイングとばかりにさらに叩き上げた。

<グッ・・・・ガッアアアアアアッッ!!!>
『ぶっちぎれぇっ!』

 視界全面に巨大な弾丸――いや、砲弾が映るが、それは横から飛んできた石鎚が弾く。

「行って、兄さんっ」

 妹の援護を無駄にしないため、直政はさらに踏み込み、渾身の"気"を込めて<絳庵>を振り抜いた。
 三〇センチを超える穂先は神馬の左手から狙い違わず角に命中する。さらに神馬の右手に土壁が聳え立った。
 厚さ2メートルの土壁に神馬が激突する。
 その破壊力は余さず神馬の角に伝わった。

<ア、ガァ・・・・ッ>

 衝撃のほとんどは角の内部で反響し、内部からもダメージを与える。
 それは表面にまで到達するヒビとして現れた。

『お?』
「やった。ナイスフォロー、亜璃斗」

 土壁も亜璃斗の地術だ。
 自分も騎士との戦いで忙しいというのにやってくれる。

<グア・・・・アア、ア・・・・>

 ひび割れた角から黒いオーラが湧き出していく。

(もしかして、この角を壊せば・・・・元の神馬に戻るんじゃ・・・・?)

 さすがの直政も神馬があり得ないこの角に何らかの干渉を受けていると気付いていた。そして、神馬が元々奉納されたものである以上、悪しきものとして封印されたのではない。
 何らかの祈願が込められているに違いない。
 その願いが達成されたのか分からないが、直政はひとつの仮説を持っていた。

(二重封印・・・・)

 神馬という存在が何かを封じ、そして、その神馬を封じることで、元々封じていたものが解けることを回避する方法である。
 例えば、御門宗家の聖域は外部から隠されていた。そして、それを知る者たちも行方をくらますことで、聖域を暴こうとしている者たちにとってふたつの障害ができる。
 すなわち、本来の隠蔽封印とその開封方法を知っている者の消息不明だ。

(神馬を解放して暴走させ、それを鎮圧することでもうひとつの封印を解かせようとしているってのは・・・・妄想かな)

 その考えが、さらなる攻撃の手を緩めさせた。

『止まるな、馬鹿ッ。攻めて攻めて攻め続けろ・・・・ですっ』

 肩の上によじ登った刹が鼻息荒く攻撃続行を要請する。しかし、その時機は逸してしまった。

「ん!?」

 突然現れたひとつの気配。
 それに応じ、直政が振り返った瞬間、そっとその胸に手が添えられた。

「なん・・・・ッ!?」

―――ドンッ!!!

 発頸。
 中国武術のひとつであり、日本の合気道に通じる武術だ。

「ぅが・・・・あ・・・・う、はぁ・・・・」

 その破壊力は<土>の加護をすり抜け、容赦なく直政の体内で爆発した。

「兄さんッ」

 多少強引な手段で騎士たちを押し返した亜璃斗が駆けつけてくる。そして、他の地術師も直政を守るように展開した。
 このことで騎士たちは直政たちを包囲するような形となり、戦況は一気に敵に傾く。

「う、ぐぅ・・・・」

 横隔膜が麻痺し、思うように呼吸できない。
 その苦しさから浮かぶ涙で視界が揺れる中、直政は下手人の姿を探した。

「あ・・・・」

 右腕を突き出した格好で残心をしているのは女性だ。
 白の漢服に黒のレギンスを着た、一目で中華系と分かる女性は閉じていた目を開け、直政たちを見遣る。

「「「―――っ!?」」」

 たったそれだけで言い様もない圧迫感を感じた。

「頑丈」

 ぽつりと彼女は呟き、直政の胸を見る。
 思ったような手応えがなかったのだろう。
 確かにあの一撃は神馬の弾丸よりも強く、鋭かった。
 もしかすれば、下手な建物など倒壊させてしまうかもしれない。

『さすが麟、たった一撃で場を占めるなんて』
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 「麟」と呼ばれた女性は虚空より響いた声に小さく頷いた。

『さあて、地術師諸君。僕はいろいろ・・・・っていうか、出ちゃダメ、って言われてるから顔を見せられないけど、よくもまあ、僕自慢の角をへし折る寸前までしてくれちゃったね』

 響く声は声変わりする前の子ども特有の高さを持っている。
 正直、性別を判断することができない。

『どうにかできるのは"浄化の巫女"くらいだと思ってたけど、その御門宗家の神宝はすごいんだね』

 喉の奥でクツクツと笑い、子どもは付け加えた。

『富士山では、見られなかったから』
「「「―――っ!?」」」

 その一言で、御門宗家を襲った者に関係することが分かり、直政たちは殺気を迸らせる。しかし、それに反応した麟が体を移動させると、地術師たちは畏怖して体を硬直させた。

『とにかく、せっかく見つけたおもちゃ。第二ステージに行くよ』

 にょきっと何もない空間から子どもの手が現れる。そして、その無垢な指先が倒れたままの神馬を指さした。

<ナ、ニヲ・・・・・・・・>
『さあ、レベルアップ♪』

 指先から黒い光が迸り、神馬の角を照らし出す。
 その光は黒い角からさらに明度を失わせ、漆黒へと染め上げた。

<ア、アアウ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>

 角から浸食した邪気は神馬を蝕んでいく。
 まず、外見的に変わったのはその眸が深紅に染まったことと、人間ならば肩に相当する場所に象牙のようにカーブを描く、新たな角が生えたことだった。

『ん、こんなものかな。さすがに神馬としての因子を全て書き換えるのは意味ないし』

 すっと子どもは手を下ろし、同時に光の放射が止む。

『麟、帰ろうよ。もう、おもしろくないから』
「・・・・はい」
『じゃあね、そ・う・しゅ・さ・ま。アハ』

 麟がそっと腕を取った瞬間、彼らはかき消えるように消失した。

「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」

 誰一人、言葉を発することができない。
 この場の誰もが経験したことのない大きな渦を感じさせる出来事だ。
 頭の整理が追いつかない。

「もしかして・・・・これが・・・・」

 何かに思い至ったのか、亜璃斗が小さく呟いた。
 その声音に地術師たちの意識が吸い寄せられる。

<ガァッ!!!>
「・・・・ッ、亜璃斗っ!?」

 その一瞬の隙に飛来した無数の弾丸が地術師たちを跳ね飛ばした。
 中には亜璃斗も含まれている。
 彼らの中ではリーダー的存在とは言え、彼らと変わらぬ分家出身の亜璃斗だ。
 明らかに先程とは段違いの威力を真正面から受ければ、無傷というわけにはいかないだろう。

「て、てめぇ・・・・ッ」

 案の定、倒れた者たちは呻くだけで誰一人立ち上がるものはいない。
 直政が無事だったのも、彼がしゃがんでいたからに他ならない。
 もし、他の者と同じように立っていれば、あそこに転がっているはずだった。
 子どもが言った、「もうおもしろくない」というのは、一方的な戦いで見ていてつまらない、という意味なのだろう。

「ふざけやがって・・・・ッ」
『そうですっ。ここで意気地を見せず、いつ見せるのかッ』

 四肢に力を込め、同時に大地の力を借りながらゆっくりと立ち上がった。

「はぁ・・・・はぁ・・・・」

 <絳庵>を支えにし、直政は神馬を睨みつける。
 最早、先程まであった、神馬を討たなくてもよいのではないか、という意見は引っ込んでいた。

「穂村っ」
「・・・・神代、さん・・・・」

 すっかり忘れていた。
 この場には神代カンナがいたのだ。
 彼女も負傷した身で立ち上がり、木を背にして弓を構えている。しかし、子どもが去ったとはいえ、直政を取り囲むように展開する十数騎の騎士たちも健在である。

「神代さん、逃げ―――」

 声を上げたカンナに向け、一騎の騎士が反転して突撃を開始した。
 当然、真正面からやってくる騎士向け、カンナは矢を放つ。

「え、嘘!? そんなのあり!?」

 その矢が騎士に払われた時、すでにカンナは次の矢を放っていた。そして、今度は捌ききれずに騎士に命中する。
 これぞ、速射を念頭に置く、神代流弓術。
 対応する暇を与えず、敵をハリネズミにする容赦のない武術だ。
 ただ、ひとつだけ問題があった。

「く・・・・っ」

 4本目を番えた時、騎士とカンナの距離は5メートルにまで縮まっていた。
 威力がただの矢である以上、その攻撃力を上回る防御力を持っていた場合、やはり屈するしかない。
 この攻撃力不足は主に直政を相手にした敵が陥る、ひとつの終着点だ。

「くそっ」

 直政が慌てて地術を発動させようと、<土>に意志を伝えようとした時、文字通り、風向きが変わった。

「え・・・・」

 一本の箭が今まさに大地を踏みしめんとする騎士の前足首に突き刺さる。
 威力によって無理矢理間接を曲げられた騎士は足を地面に下ろし、無理な着地から脚を自らの体重で破壊してバランスを崩した。
 そのままカンナから逸れてコンクリートを掘り起こしながら滑っていく。

「・・・・っ」

 一瞬、箭の飛来した方向に視線を向けようとしたカンナだったが、何かに気付いて顔を元に戻した。

「穂村、前を向けっ」

 雷鳴を思わせる鋭く響く声に直政は深く考えることなく、視線を前に戻す。

「―――っ!?」

 麟にやられた胸の中心に神馬の蹄がめり込んだ。
 直政がカンナの方面に気を取られた一瞬に、馬蹄の響きを鳴らさずに神馬が距離を詰めたのだ。

「ごふっ」

 馬の後ろ蹴りは強力だと有名だが、レベルアップした神馬の必殺技は容赦なく、直政の防御を貫通した。
 直撃の轟音すら衝撃波という一撃に耐えきれず、直政は騎士たちがひしめく一角にまで飛ぶ。
 いや、騎士たちは直政がやってくるであろう場所に神馬の攻撃前に移動して見せたのだ。
 その結果、より小さな半径で直政を包囲することに成功した。そして、そのチャンスを逃すことなく、彼らは一斉に穂先を突き出す。

『御館様ぁっ!?』

 刹が叫ぶと共に、騎士たちが轟音と共に発火した。

『え?』
「?」


「―――にっこりと笑ってみる」


 いつの間にか直政の顔近くに立っていた幼女は言葉通り、満面の笑みを浮かべる。しかし、そんな笑顔ではなく、直政は彼女の手に注目していた。

(炎・・・・?)

 だというのに、直政は一切の熱波を感じない。

「燃えちゃえ」

 その一言で火勢を増させた業火は騎士たちをひとり残らず焼滅させた。
 本当にきれいさっぱり。
 彼らがそこにいたという事実は空いた空間を埋めようとした風だけが伝えている。

「うん、完璧♪」

 代わりとばかりに幼女が腰に手を当て、満足そうに頷いた。

「お?」
<ウ、ガァァァァァァァァァァァッッッッッ!!!!!!!!!!!>

 今度は神馬が咆哮し、体中から真っ黒なオーラを噴き出させる。

「・・・・く、あ」

 一難去ってまた一難とはこのこと。
 直政は必死に立ち上がろうとするが、胸に受けたダメージは大きすぎた。

「・・・・ぇ?」

 そんな時、邪気の圧迫感が軽減する。
 それはまるで、直政の方面に流れる邪気を押しとどめたような感覚。
 改めて神馬の方を見るが、それはひとつの影に遮られた。

「なん、で・・・・?」

 どす黒いオーラと同様の色の髪を持ちながら、正反対のイメージを与える長髪。
 それを風に遊ばせながら、彼女は神馬の前に立っている。

「せ、せんぱ・・・・い・・・・?」

 それは直政の学園とバイトの先輩だった。

「苦しいよね?」

 先輩はだらりと下げた右手に青白い刀身を伸ばした剣を持ち、馬の姿から変貌した神馬を見遣る。

「楽に、してあげるね」
「・・・・ッ、先輩ッ!?」

 横隔膜の震えが緩和し、ようやく声を出すことができた。

「穂村くん、大丈夫だから」

 先輩――渡辺瀞は直政を振り返り、にっこりと笑う。
 そのいつも通りの笑顔の背景が神馬の漆黒のオーラに塗り潰された。

「前ぇっ」
「ふっ」

 足下から噴水のように水を発生させ、神馬の突撃を躱す。そして、宙で身を翻しながら腕を振るい、まるで砂の城のようにあっさりと左肩の角を断ち切った。

<ガァッ!?>
「・・・・ッ」

 苦痛のうめきと共に右回りで反転しようとした神馬に合わせ、瀞は剣を振るう。
 すなわち、振り返る行動と剣を薙ぐ行動が交差し、右肩の角をも簡単に両断したのだ。そして、真正面に来た最後の角は見事な袈裟切りで跳ね飛ばし、柄頭を左掌で固定した上で体ごと神馬に突撃する。

「す、すげぇ・・・・」

 交戦状態に陥ってわずか数秒で、瀞の持っていた剣は神馬の額奥深くに差し込まれた。

「今は眠って」

 瀞の言葉通り、神馬は巨体をコンクリートの上に崩れ落ちさせる。
 その体からは邪気が完全に浄化されていた。






Epilogue

「―――お、終わりましたぁ・・・・」

 チャイムが鳴り、答案が回収された心優は机に突っ伏した。
 今日は中間テストの最終日。そして、今さっきのテストで最後だ。

「それはテストが終わったことか、点数的に終わったかどっちだ?」

 直政はさっそく教え子の下に向かっていた。

「テストが終わったことです」
「点数は?」
「きっと艦載対空レーダーから探知を逃れる航空機のように飛んでいることでしょう」
「飛んでるから高そうに聞こえるが、その前の言葉から水面ギリギリの超低空飛行ってことだよ、なっ」

 ガシィッと頭を掴み、ギリギリと力を入れる直政。

「お、おお・・・・。撃墜されたというよりマシでは・・・・?」
「お前の場合、軍艦から攻撃される前に自ら水面に激突しそうなんだよっ」

 そもそも例えが間違っていることに気付くべきである。

「ま、終わったことはくよくよせず、これから部活ですっ」

 そう言って、鞄を取り出した心優は久しぶりの部活に目を輝かせていた。
 統音祭以来、統世の歌姫とも言われる心優は一層部活に打ち込んでいる。だが、歌がうまくなると言うよりも「部活」という空間が楽しくて仕方がないようだ。

「政くんも長物部ですか?」
「そうだよ。今日はテスト休みで鈍った体を慣らすために形の練習」

 といっても、長物には色々あるため、共通したものを習得している人間であれこれ試すだけなのだが。

「終わりはいつも通りです?」
「その予定」
「では、帰りに神代さんのお見舞いに行きませんか?」
「・・・・分かった」
「じゃ、校門前に集合、ということでっ」

 ぴゅーっと効果音がつきそうなほどの速度で廊下を走っていく心優を見送る。そして、直政は振り返った。

「やっぱり気付かれたね。私の隠行はすごいらしいんだけど」
「あいにく、俺の索敵力もすごいんですよ」
「地術師だもんね」

 くすっと笑って紡がれた言葉から、やはり瀞は裏の人間だったことを証明される。
 となれば、瀞の正体はひとつしかない。

「先輩は・・・・あの【渡辺】なんですか?」
「そうだよ。水術最強渡辺宗家当代直系第二子・・・・・・・・って、瑞樹が宗主になってるけど、この表現であってるのかな・・・・?」

 小首を傾げながら呟く瀞はいつも通りだ。

「やっぱり、俺のこと前から知ってたんですね」
「うん、朝霞ちゃんから聞いてたよ」

 鹿頭朝霞とも知り合いと言うことならば、彼女もまた、昨年起きた大きな戦闘に参戦していた可能性が高い。

「あ、そだ。あの炎使ってた小さい娘・・・・」
「緋のことかな?」
「あれ? でも、先輩の子どもなら水術・・・・あれ?」
「え? 子ども?」

 きょとっとする瀞はあの夜に見せた戦闘力の片鱗も見せていなかった。
 どこまでも、直政の知る穏やかな少女だ。

「あ、っと忘れるところだった」

 笑みを絶やさぬ表情を真剣なものへとし、瀞ははっきりと告げた。

「御門宗家宗主及びその陣代へと伝言です」

 音もなく、瀞の後ろに立っていた亜璃斗にも言い放つ。

「"東洋の慧眼"が話したいことがあるって。一緒に来てくれる?」
「ゴー・トゥ・ザ・おくじょう!」
「「―――っ!?」」
「緋、母音の前のtheは『ジ』って発音するんだよ」

 瀞は突如現れた幼女に驚くことなく、母の如き表情でその頭を撫でた。










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