ケ号作戦 -3
ガダルカナル島撤退作戦。 その実戦指揮を執るのは外南洋部隊増援部隊を率いる橋本信太郎少将(第三水雷戦隊司令官)である。 その麾下には直轄である第三水雷戦隊の他、第二水雷戦隊、第四水雷戦隊、第十戦隊等から抽出された駆逐艦20隻という寄せ集め部隊だった。 この戦力でガダルカナル島に残る約1万5,000名の将兵を救出するのだ。 1万5,000名とは、これまでに投入した地上戦力――基地設営隊、一木支隊、川口支隊、第二師団、緊急輸送――の約3万名からすれば少ない。 残りの1万5,000の内5,000超はすでに撤退済みたが、それでも1万名近い将兵が米軍の攻撃や病によって命を落としていた。 残る戦力も食糧の枯渇や病気によって戦力が激減しており、いち早く救出しなければ2万5,000名もの兵を失うのである。 レンネル島沖海戦などを経て、一時的に制海権・制空権を得た日本海軍は20隻を二手に分けて引き揚げポイントへ向かう。 ひとつはエスペランスへ、残りはカミンボへ向かう。 中でもエスペランスは撤退作戦の最重要ポイントだった。 ケ号作戦 -3 「―――縄梯子をしっかり掴め!」 「ザイル上げるぞ、落ちるなよ!」 「落ちたぞ! 引き揚げろ!」 1943年2月1日夜、ガダルカナル島エスペランス岬付近。 ここに日本海軍の駆逐艦13隻が展開していた。 夜ではあるが、彼らは煌々と照明を灯し、辺りは昼間のような明るさを保っている。 まるで米軍に攻撃してくれと言わんばかりだが、今のところそれはなかった。 航空隊や第二艦隊の睨みが利いており、ガダルカナル島に展開する米軍はほとんど動けない。 それでも潜水艦や魚雷艇などの小型艦、さらには機雷などの危険があった。 このため、警戒艦6隻(『文月』、『白雪』、『江風』、『親潮』、『舞風』、『夕雲』)が周囲に展開している。 残りの駆逐艦は大発や上陸舟艇を用い、浜辺で待つ陸兵を艦上へ引き入れていた。しかし、飢餓と病気、酷暑によって体力を著しく損耗した陸兵が縄梯子を用いて艦上に上るのは至難の業である。 これでも寝たきりの傷病者はこれまでの夜間空輸で大多数引き上げており、残っていたのは現地参謀によって比較的体力のあるとされた者だ。 (それでもこの有り様か・・・・。ガ島がいかに過酷な環境であったかが分かるな) 外南洋部隊増援部隊指揮官兼第三水雷戦隊司令官・橋本信太郎海軍少将は心の中で呟いた。 「もたもたしているとまた空襲を食らうかもな」 基地航空隊と第二艦隊の航空部隊が上空哨戒に出ているとはいえ、ガダルカナル島の航空戦力の殲滅まではできなかった。 基地航空隊はニューギニア戦線の支援、第二艦隊は昨日の米空母艦隊との戦闘の損耗がある。 両部隊ともガダルカナル空襲をできないことはないが、人員や機材の関係で見送られていた。 このため上空に零戦を派遣しているが、少数かつ低空での侵攻は防げない。 ショートランドを出発した外南洋部隊増援部隊は少数の米軍機に襲われ、第三水雷戦隊の旗艦であった「巻波」が被弾・航行不能となった。 (故に輸送隊だった夕雲を警戒部隊に組み込んだが・・・・) 橋本は乗艦である「巻波」から「白雪」に乗り移っている。 そんな彼が心配するのは空襲だけではなかった。 (陸軍の体力が想定以下だ。これは引き上げに必要な時間も延びるぞ) それは島周辺に滞在する時間が延びるということ。 不測の事態が起きる可能性が高かった。 ―――そして、その予感は的中した。 「―――『巻雲』爆発炎上!」 「何!?」 橋本は見張り員の言葉に驚き、すぐに窓際によって双眼鏡を構えた。 すでに日の落ちた海上を照らすオレンジ色の炎があり、その炎を艦尾にまとった「巻雲」のシルエットが浮かんでいる。 「敵艦影なし! 機雷だと思われます!」 航空機や艦艇の接近はない。 潜水艦も報告されていない。 このため、事前に敷設された機雷に接触したと考えられた。 「チッ、掃海艇を下し、機雷を除去―――」 「10時方向より魚雷艇! 距離五〇!」 「巻雲」の被雷に勇気づけられたのか、ガダルカナル島沿岸から米海軍の魚雷艇が出てくる。 「数10!」 「『文月』、主砲塔旋回中」 沿岸を警戒していた「文月」が魚雷艇群に12.7cm砲を向けた。そして、上下していた砲身が停止した一瞬後、火を噴くようにして発砲する。 連装砲塔から放たれた砲弾は魚雷群近くに着弾すると、派手に水柱を上げた。しかし、小船である魚雷艇にはそれで充分である。 次々と海水に着弾する砲弾によって荒れた海面によって数隻の魚雷艇が転覆した。 「撃て!」 砲術長の声と共に「白雪」も発砲する。 さらに「親潮」も発砲し、瞬く間に水柱に包まれた魚雷艇群は被害が続出した。 わずか数分間の戦闘で魚雷艇は4隻が撃沈され、3隻が損傷・漂流、残り3隻は反転して逃げ帰る。 10隻の内、魚雷の射点につけた艇はなく、当然被害もなかった。 「警戒を厳とせよ!」 魚雷艇が襲い掛かってきたということは、米軍は日本軍の動きを把握している。 「陸上にも警戒するように伝えろ」 橋本はそう命令すると共に「江風」に対し、もう少し沿岸に近づくように命じた。 夜間に岸に近づくことは座礁の可能性がある。しかし、米軍の陸上戦力が攻勢に出た場合、艦砲射撃で援護することが可能になる。 (とにかく無事に救出作戦を終えなければ・・・・ッ) 初日である今日に被害を受けるようなことになれば、今後の作戦も中止される可能性が高い。 そうなれば現在ガダルカナル島にいる1万名以上の将兵は死を待つばかりとなるのだ。 「電探に感あり!」 「何!?」 対空レーダーである二一号電探ではなく、陸上設置用に開発された13号電探を装備している。 小型軽量で駆逐艦サイズにも搭載でき、また探知能力も21号電探を上回っていた。 今回の作戦が決定し、この作戦に投入される駆逐艦には優先的に装備されている。 それがこちらへ接近する複数の航空機を捉えたのだ。 「対空戦闘―――」 「―――ちょっと待ってください!」 命令しようとした橋本を電信員が止めた。 ムッとした橋本だったが、すぐに咳払いでイラつきを散らす。 「接近中の編隊より受信、味方です」 電信員は解読した電文を読み上げる。 「ラバウル所属の飛行艇隊、撤退作戦援護のために飛来したようです」 「司令、これは重傷病者を運ぶための飛行艇ですな」 「そのようだな」 まもなくして数機の巨体が着水、水飛沫を上げながら岸へと向かった。 すぐに浜辺に待機していた者が小舟を出して寝たきりの将兵を載せていく。 「・・・・進捗状況を知らせろ」 「はっ」 それをなんとなく見ていた橋本は参謀に聞いた。 飛行艇は橋本が「乗船開始」と報告した後に離水している。 飛行艇の巡航速度から3時間近く経過しているはずだ。 夜明け前には抜錨して沖合に向かわなければ、日の出と共に再開される空襲と戦えない。 「現在の乗船率は5割ほどです」 「予定では?」 「・・・・6割の計算でした」 遅れているということだ。 「原因は?」 「陸兵の体力が想定以下だったことです」 陸軍側の担当者である辻政信陸軍中佐は自らガダルカナル島に乗り込むなどして綿密な計画を立てている。 この島来訪時に確認した体力のある=自力で駆逐艦上へ登れる人数と現実が違っていたということだった。 本日のエスペランスから撤退予定である約4,000名は、駆逐艦への乗船方法は縄梯子が主流である。 つまり、体力のある兵が対象なのだ。 これは危険な作戦で最大人数を救出しようとした結果であるが、そんな彼らの体力が想定以下だったのは誤算だった。 (これは途中で切り上げる必要があるか) 朝日が昇ってからの収容作業かつガダルカナル島近海は危険だ。 島の米軍は未だ活発に行動しており、撃退したとはいえ周辺艦隊の動向も気になる。 さらに南東の島々から米陸軍の爆撃機が飛来する可能性もあった。 予定通りに撤退するには何かしらのテコ入れが必要である。 「・・・・参謀長」 「はい」 窓際で引き揚げ作業を見ていた参謀長を呼んだ。 「どうにも作業が遅れているようだ」 「そのようです」 「兵の体力もあるだろうが、輸送隊の減少にも原因があるのでは?」 「・・・・司令は『夕雲』を輸送隊に戻すべき、とお考えで?」 本来8隻で実施する引き揚げ作業を7隻で実施している。 母数が減ることで効率が落ちているのではないか、と橋本は指摘していた。 「警戒艦が減ることに懸念するのは分かる。だが、敵の駆逐艦は出てこず、魚雷艇も撃退した」 「ならば『夕雲』を輸送隊に戻してもよいのではないか」と視線で問いかけた橋本を、参謀長はじっと見つめる。 「・・・・・・・・・・・・機雷もありますし、早く作業を終わらせることには賛成です」 参謀長は熟考の末にそう口にした。 「『夕雲』を輸送隊に戻すぞ」 「はっ」 橋本の命令に発光信号が飛ぶ。 元々「夕雲」は輸送隊だ。 必要な資材は揃っていた。 この日、何とか予定より30分遅れで撤収作業を完了したエスペランス隊は撤退中に米軍の航空攻撃を受けることはなかった。 実際には米陸軍爆撃機11機が迫ったのだが、ブイン飛行場から飛来した零戦が追い払っている。 周辺海域も水偵が対潜哨戒を実施したために被害なかった。 これはカミンボに向かった別動隊も同様である。 唯一の被害は撤退作業中に被雷した「巻雲」だった。 「巻雲」は曳航されて撤退したが、途中で艦体のダメージにより持たないと判断される。 そのため、総員退艦後に魚雷処分された。 不幸中の幸いとして、戦死者ゼロ。 第一次撤退作戦は、1隻の駆逐艦を喪失しただけで5,487名を救出して成功した。 第二次撤退作戦は2月4日に第一次とほぼ同様の内容で実施された。 ラバウルの基地航空隊はニューギニア戦線に戻ったが、依然としてガダルカナル島周辺に第二艦隊が遊弋していた。 このため、第一次と同じく制海権・制空権を確保した上で実施されている。 第二次は艦艇に損害なく(第二艦隊が潜水艦の魚雷攻撃を受けるも回避)、人員5,236名を救出した。 第一次と合わせて1万723名が撤退し、エスペランスからの撤退は完了する。 残るはカミンボに残る重傷病者と矢野大隊、撤退支援のために進出したラッセル諸島からの撤退だけとなった。 第三次撤退は駆逐隊の損耗を考えて、ラッセル島から船艇移動をしようという意見もある。しかし、第二艦隊の頑張りもあって駆逐隊の損耗は「巻波」(中破)、「巻雲」(喪失)のみ。 橋本少将や駆逐艦の艦長の士気も高く、撤退は第一次・第二次と同じく駆逐艦と決まった。 だがしかし、累積する損傷や不具合のため、参加艦艇は18隻と減少する。 それでも第三次撤退は2月7日と決まった。 「―――少佐」 2月7日ガダルカナル島カミンボ近郊。 日も落ちたこの地で仮眠を取っていた矢野少佐に声がかかった。 「・・・・なんだ?」 上陸当初は意気軒昂だった矢野も1ヶ月弱に及ぶ激戦で疲れ果てている。 返答した声にもその疲れは滲んでいた。 (いかんな、これは) 「少し待て」 矢野は体を起こし、昨夜の飛行艇輸送で補給された飴を口に入れる。そして、出た甘みを水と共に喉の奥へと流し込んだ。 「待たせた。どうした? 米軍の攻撃か?」 矢野大隊は殿だが、米軍は遙か後方だ。 米軍はボネギ川の戦いで大打撃を受け、部隊を再編。 再度進撃を開始したが、その進撃路には矢野大隊がブービートラップを多く仕掛けたため、その進撃は遅々としていた。 「はい」 兵は頷き、報告を続ける。 「しかし、東からではありません、南からです」 「南から!?」 敵は新たに上陸したというのか。 「信じられん。海軍が制海権を握っているだろう?」 「どうやらそれ以前に上陸していた模様」 「何という・・・・」 米軍の第132歩兵連隊第2大隊は2月1日にガダルカナル島西方のベラヒュに上陸、日本軍を挟撃しようと北上していたのだ。 「カミンボに来る警戒部隊の内1隻が沿岸へ艦砲射撃するそうですが、阻止できるかは・・・・」 「目標もない中、闇の中を撃っても当たりはしないだろうな」 駆逐艦の砲撃は強力だが、今回は効果はないだろう。 「松田大佐は?」 この残置部隊の司令官は松田だ。 「遅滞戦闘をお願いしたい、と・・・・」 「馬鹿、それを早く言え」 お願いだが、それは命令と一緒だ。 「儂自ら動ける者を率いて南下する」 せいぜい200名ほどだろうが、無防備よりマシだ。 「了解です、陸軍の方がいれば心強い」 「・・・・そう言えば、貴様・・・・いや、貴殿は?」 てっきり部下だろうと思っていたが、この者は誰なのだろうか。 (先程、『少佐』の後ろに『殿』を付けなかった。ということは、こいつは海軍の・・・・) 「海軍軍令部第三部に所属する情報将校です。階級は中尉なので少佐の方が上ですよ」 「第三部・・・・」 矢野でも知っている。 海軍の情報を取り仕切る部門だ。 それが何故こんな最前線にいるのだろうか。 「少佐たちはいつでも撤退できる位置で防御についていただきたい」 「・・・・分かった」 あまりカミンボから離れすぎては敵と行き違いになった場合に取り返しが付かない。 「しかし、それは米軍に対する最終防御ではないか?」 「その前の戦闘は誰が?」と言う言外の問いは、彼の無言の笑みで封殺された。 「こういうことか・・・・」 あれから4時間後、撤退作戦が行われている中、南方に爆音が轟いた。 驚く兵達に海軍将兵が魚雷艇に対する艦砲射撃だと説明している。 本来いるはずのない場所に魚雷艇がいることに疑問を抱けるほど思考能力を残していない兵はなだめる海軍に従って乗船を続けた。 「隊長、米軍が来ているんですかね」 「だろうな」 米軍の存在を知るのは司令部と守備についている矢野大隊だけだ。 彼らは岩場に隠れて敵兵を待ち構えていた。そして、前方の林からは発砲音が聞こえてくる。 まだ、矢野大隊とは距離があり、大隊自体も一発も銃弾を撃っていないというのに。 「奴らはいったい誰と戦っているんだ」 「まさか駆逐艦向けて発砲しているのか?」 近くにいる兵は首を捻っているが、矢野は予想がついていた。 時折、林の中で瞬く光は手榴弾の爆発や機関銃の発砲炎ではない。 もっと別の何かが米軍を攻撃しているのだ。 そんな光景が15分ばかり続いただろうか。 パタリと光と音が止んだ。 いや、実際には駆逐艦の艦砲射撃は続いている。しかし、それはずっと南だ。 「―――少佐」 「ぅお!? ビックリした」 突然囁かれた言葉に矢野はビクリと体を震わせた。 周りの兵も思わず発砲しそうになり、慌てて引き金から指を離している。 「失礼」 声の主は矢野に敵襲を知らせた男だった。 「一個小隊規模の、おそらく偵察隊がいましたので処分しました。ご安心ください」 「しょ、しょぶん?」 「ええ、殲滅しましたので、敵はこちらの状況を知りません」 一個小隊と言えば数十人規模の部隊である。 それを物の15分で全滅させたというのだ。 そして、それを偉業だと思っていない男に鳥肌が立つ。 「あの艦砲射撃は?」 「ウチの手の者が敵が潜んでいる地点に照明弾を撃ち込みまして、それを目標に駆逐艦が砲撃しています」 「それは・・・・」 あの地点には鉄火の地獄が再現されているだろう。 その地獄から逃げるため、米兵はジャングル奥地に逃げ込む。そして、道が分からなくなり、体力尽きるまで彷徨い歩くことになるのだ。 それは部隊として壊滅したと言っていいだろう。 「我々が守備についた意味はあるのか?」 決死の覚悟を決めたというのに拍子抜けもいいところだ。 「万が一、こちらが敵を取り逃がすと大変なので」 彼はそう言って、こちらに撤退するように言った。 それだけ告げて再び闇の中へと消えていく。 「なあ、情報将校さんよ」 部下たちに撤退を告げた後、彼が消えた林に話しかけた。 「お前たちがあんな風に米軍を押し返せるのなら、俺たちは―――」 「―――我々も万能ではない」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 まさかの返事が返ってきた。 「我々が活躍できるのは戦場のほんの一握りの局面だけ。今回はそれだった」 「・・・・それだけでも最前線で戦う俺たちには十分だ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「だから、ありがとうと言っておく」 返事を期待せず、矢野は林に背を向けた。 「―――失礼します」 「どうぞ」 1943年2月8日夜中、東京都海軍軍令部第三部室。 ここで書類仕事をしていた嘉斗を部員が訪ねてきた。 「第二特戦群が無事撤退したとの報告がありました」 嘉斗は手に持っていた鉛筆を置き、部員に視線を向ける。 「そうですか。・・・・欠員は?」 「ありません。ただ全員に魔力欠乏症等の病状が見られます」 「それは仕方ありません。しばらくラバウルで湯治するよう命じてください」 「はっ」 部員は敬礼して回れ右した。そして、そのまま「失礼しました」と言って去っていく。 最後まで部屋にいたもうひとりに意識を向けることはなかった。 「あなたの気配絶ちは素晴らしいですね。彼も一応は戦闘系の魔術師なのですが」 「こんな初歩的な魔術で褒められてもなぁ」 部屋の壁に背を預けていた高山富奈は大鎌を担いだまま肩をすくめる。 つい先ほど、その大鎌でこの部屋の窓ガラスを割って入ってきた侵入者だ。 因みに割れた窓ガラスは嘉斗が魔術で修復している。 「やっぱり兄上に言って侍従武官の何人かを転属してもらわないといけませんか」 「そうやって戦地送りにして、兵隊さんみたいに戦えと?」 「無理やで、そんなん」と言うジト目に苦笑を返した嘉斗は返答した。 「魔術師だからと言って、軍を相手に真正面から戦えるとは僕も思っていません」 二・二六事件の折、嘉斗たちは日本兵に追われている。 その時、魔術師だからと言って逃げきることはできなかった。 結局は武隼家に助けてもらったのだ。 「ですが、魔術が有効な場所もあります。情報収集はもちろんですが、ジャングルでの不正規戦はその代表と言えるでしょう」 ガダルカナル島カミンボ南方で米軍を撃退したのは駆逐艦の艦砲射撃である。しかし、その艦砲射撃を正確に誘導したのは潜入した第三部の実戦部隊――特殊作戦群だ。 彼らは魔術師であると同時に諜報員としての高度な戦闘教育を受けている。 一騎当千とまでは言わないが、班単位で歩兵小隊を不正規戦で破ることくらい造作もなかった。 「我々魔術師は戦略的な働きはできませんが、一部の戦術的動きは可能です」 すでに欧州でも英仏独の魔術師が日夜泥沼の戦闘をフランスやオランダなどで繰り広げている。 「戦略的奇襲の効果が薄れ、真っ向勝負になりつつある日米戦も、何らかのテコ入れが必要です」 「それが魔術師の本格投入?」 「本格、というわけではありませんが・・・・」 大規模魔術で敵部隊を殲滅、と言うほどのことはしない。 「でもなぁ」 富奈は壁から背を離す。 「・・・・ッ」 「こういうことも、されんねんで?」 一瞬で距離を詰め、大鎌の刃を嘉斗の首に押し付けた。 嘉斗自身も魔術師として決して低位ではない。 むしろ下手な戦闘魔術師顔負けの技巧を誇っていた。 (ですが、戦闘力と言う点では劣るんですよね) 嘉斗は言わば砲兵だ。 火力は絶大だが、脇が甘く、一度懐に入られれば蹂躙されるしかない。 (ああ、だから自前の防御力も素晴らしい戦艦に憧れたのかもしれませんね) 航空畑ではなく砲術畑に進んだのは己の特性ゆえか。 「・・・・タッ」 そう現実逃避していた嘉斗の首筋に刃が食い込んだ。そして、赤い血がそれに沿って流れ、床に落ちる。 「冗談が過ぎますよ?」 「冗談やからこんなんなんやで」 富奈はため息とともに大鎌を離した。 「本気やったら今頃首落ちてるわ」 「つまり、こちらがその気になれば向こうもその気になり、僕の首を取りに来る、と言うわけですね」 アメリカはイギリスやフランスから比べれば魔術師は少ない。 若い国らしく、体系だった魔術師ネットワークも存在しない。 だが、いないわけではなかった。 原住民出身者や欧州での闘争に敗れてアメリカに渡った魔術師など、野良のそれは多い。 彼らは魔術師組織の後ろ盾がない分、国家に後押しされれば何をするかわからない。 「日本に渡ってくる方法はなくとも占領地や最前線では何があるかわからない、ということを肝に銘じることにします」 「物分かりがいいのも考え物やね」 富奈が肩をすくめる。 「じゃあ、『気を付けろ』と言う亀からの使いも果たしたし、帰るわ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・帰る時は窓ガラスを割らないでくださいね」 「敢えて割って帰るという選択肢もある―――」 「――――――」 「うわ、すっごいジト目。しゃあないな、背中から撃たれとうないし、素直に帰るわ」 そう言って2月の寒空の中へと消えていった。 |