紫電
紫電。 これは水上機メーカーとして有名な川西航空機社製の局地戦闘機の名称である。 十五試水上戦闘機――通称、強風――から進化した異色の戦闘機であり、さらに改良された二一型は「紫電改」の名で大戦後期の空を駆けた。 1942年12月15日、伊丹飛行場にて試験飛行にこぎつける(忠実では12月31日)。 忠実では誉エンジンの不具合もあって試験良好とはならなかった。 だが、この物語では基礎工業力が向上しており、誉エンジンの不調はある程度是正されている。 そんな状態での試験飛行に、高松嘉斗夫妻は何故か参加していた。 高松嘉斗side 「―――寒い」 1942年12月15日、大阪府伊丹市伊丹飛行場。 大都市・大阪の傍に設置された滑走路脇で、高松嘉斗はガタガタと震えていた。 雪は舞っていないが、蒼穹が広がる空からは冷気が大地に舞い降りている。 亀を抱いて暖を取ろうとしたが、恥ずかしがって逃げられてしまった。 その折に蹴られた足が痛い。 「本当に、痛い・・・・」 「何やってるんですか・・・・」 ひとりで悶えていると背後から声が掛けられた。 振り返った先には今日のテストパイロットである志賀淑雄少佐が呆れた表情で立っている。 「いえ、ちょっと。妻の雄姿を見に来たら、その妻に逃げられまして」 「はい?」 首を傾げる志賀とは知り合いだ。 嘉斗は海軍航空隊の教官でもあるが、彼自身はパイロットではない。 このため、多くのパイロットが臨時教官として横須賀にやってきていた。 志賀もそのひとりである。 「紫電、どこ?」 「は? ・・・・って、ぅお!? えーっと、あの格納庫内です」 志賀は背後から顔を出した亀に驚くもすぐに格納庫を指差す。そして、彼女が持つ得物を見て嘉斗にジト目を向けた。 「高松中佐、何したんですか?」 亀が持っていたのは日本刀だ。 「いえ、ちょっと」 スキンシップを拒まれたなど後輩には言えない。 嘉斗は曖昧な笑みでごまかしつつ、志賀に今日の目的について聞いた。 「で、どうですか? 仮称一号の試作機は」 「諸元を見る限りは期待できますけどね」 仮称一号局地戦闘機(後の紫電一一型)。 全長8.9m、全幅12.0m、全高4.1m。 正規全備重量3,900kg、翼面積23.5m2(中翼)。 発動機"誉一一型"、公称馬力"1,650hp"、最大速度"570km/h"。 航続距離1,500km(過荷2,300km)。 忠実と異なるのは誉エンジンだ。 紫電には誉二一型が使用されたが、この物語では誉一一型を使用する。 この物語の誉開発は、誉一一型で堅実なものを作り、発展型(二一型)はその不具合を解消した後に製作するという手順を踏ませた。 結果、紫電の試作段階ではまだ誉二一型が完成していなかったのである。 そして、そのような開発をさせたのがとある女性の助言だった。 「―――あ、高松夫人、おはようございます」 「ん、おはよう。元気?」 「ははっ。夫人に言われて設計室に閉じこもらず、散歩するようにしましたので、元気です」 亀と話しているのは中島飛行機の中川良一である。 彼は誉エンジンの主任設計技師だった。 「今日は期待している」 「ええ! ・・・・・・・・と言っても、誉の試験ではなく、飛行機の試験なんですけどね」 誉の耐久試験はすでに終了している。 最初からガチガチにした設計ではなく、どこか余裕を持たせた。 エンジン半径も無理に絞り込むことは止めた。 それでも通常よりも小さくなったことは、基礎設計が良いことを示している。 「大学では最大効率のことばかり考えていましたから。栄発動機の改良もそうですし」 中川は頭の後ろをかきながら恐縮し、亀に頭を下げた。 彼は東京大学工学部出身で、エリートな学者肌だ。 兵器開発に必要なエラーを呑み込む余裕のある設計ではなく、機械は常に理想値を発揮し、それを元にまた理想値を築き上げるという設計方法をこれまでしていた。 栄の改良はそれでも問題なかった。 元々、開発余地を多く残した完成されたエンジンだったからだ。 だが、新型エンジン開発はそうはいかない。 その点を指摘したのが、亀だ。 正確に言えばそういう助言を受けた亀が中島飛行機に乗り込み、中川とその上司を含む開発陣を説き伏せたのである。 『「誉」系発動機が二〇〇〇馬力の発揮を目指すのはよい』 会議室に彼らを集めた亀はこう切り出したという。 『だが、最初からそれは無理だと判断し、改良型がその高みに届くようにまずは堅実に設計せよ』 若い者たちは反感を抱いたようだが、上司たちはどこかホッとしたような息をついた。 開発首脳陣は高すぎる目標を設定していたことに気が付いていたのだ。 しかし、始めてしまったものはそう簡単に止められない。 それを止めるには外部の強い力だが必要だった。 亀はまさにその"強い力"なのだ。 (亀に助言を与えた人物も大方困った中島の者から情報を得たのでしょうけど) 発端はどうでもいい。 大事なのはその時から方針転換し、誉エンジンは当初の馬力には到底届かないが、実用に耐えうるエンジンとなった。 そして、今でも栄より上、さらに伸びしろのあるエンジンとなったのだ。 結果から言えば、紫電の試験飛行は問題を多く噴出させた。 一番の問題は主脚である。 紫電は前身である水上戦闘機「強風」の中翼形式を継承しており、そこから伸びる主脚を長めに作らなければならなかった。 そうでなければ機体底部が地面と激突する。 川西の技術陣はこの長い主脚を引き込み脚形式にするため、二段伸縮式構造を採用した。しかし、この主脚収納に1~2分もかかる。 参考までに零戦は12秒である。 局地戦闘機である紫電にとって、足枷となる速度だ。 局地戦闘機の任務である迎撃は、離陸から会敵まで短い。 早く主脚を格納し、空気抵抗を減らさなければ必要高度への上昇や戦闘に支障をきたす可能性があった。 着陸時にはこの引き込み脚のトラブルが起き、何度も着陸をやり直す羽目になった。 これは機体全損、搭乗員死傷の可能性があり、重大欠陥として通告されている。 また、ブレーキの効きが左右で異なり、着陸に難ありとされた。 さらに肝煎りであった全自動空戦フラップも動作不良になることがある。 現時点で採用することは難しく、これらの不具合を解消するように川西には命令が下った。 「―――でも、今後に期待」 伊丹から大阪に移動する道中、亀は嘉斗に上機嫌で言った。 「ですね」 嘉斗も笑顔で頷く。 試験飛行最後に実施された零戦との模擬戦は良好とされた。 空に上がってしまえば、零戦よりも速い。 重い機体にも関わらず、格闘戦性能は高い(全自動空戦フラップ稼働時)。 零戦相手に一撃離脱戦法で勝ち、格闘戦でも互角の性能を発揮した。 「後は不具合の解消だけですね」 「いくつかの不具合は認識済み。どれも解消のために動いているって」 特に引き込み脚構造については解消間近らしい。 尤も長い主脚自体は変わらないので、着陸時の衝撃で破損する可能性は残る。 ただ着陸時の不具合が解消されれば、実戦配備に大きく近づくだろう。 「発動機ではなく、機体不具合ならば川西単独で解決できますからね」 「ん」 頷いた亀が嘉斗にもたれかかってきた。 見ればその瞼は今にも落ちそうになっている。 「眠いですか?」 「眠、い・・・・」 亀はすでに夢の中に片足を突っ込んでいた。 確かに車内は西日に照らされ、自動車の心地いい振動が眠気を誘う。 それでも途中で眠りこけるのは、亀がこの試験飛行のために色々と策動していたためだ。 専門外である発動機や航空力学などを詰め込み、各政財界の要人と会談を重ねた。 川西航空機は水上機メーカーであり、戦闘機を生産したことはない。 それ故に縄張り意識から各社から睨まれていた。 あらゆる嫌がらせから川西を守るため、亀は文字通り各地を飛び回っている。 (ようやく局地戦の目途が立ちましたか) 嘉斗は亀を起こさぬように心の中で思った。 海軍の戦闘機開発はやや暗礁に乗り上げている。 主力戦闘機である零戦は、主用途である空母艦載機の他、基地航空隊(制空・要撃)でも用いられていた。 まさに1機種で3用途に応える万能機だが、軽戦闘機で性能限界が見えている。 海軍は十四試局地戦闘機(雷電)の開発をキャンセルし、陸軍の二式単座戦闘機(鐘馗)を要撃機として採用した。 (これは今でも良い判断だったと思います) 主にソロモン戦線で二式単戦は重爆撃機の迎撃に当たっている。 十四試局地戦の開発は難航していたので、二式単戦がいなければB-17に対して零戦で挑まなければならなかった。 それでは大苦戦となっていただろう。 (ですが、陸軍を頼れるのは基地航空隊用のみですからね) 零戦の後継機としては三菱が開発中の十六試艦上戦闘機(後の烈風)が大本命だ。 零戦の改良、十四試局地戦の開発と手一杯だった三菱は十六試艦戦の開発は荷が重かった。 十四試局地戦から解放された三菱は十六試艦戦の開発を進めているが、まだまだ初飛行には遠い。 (その穴を埋めるのが紫電です) 紫電の位置づけは中戦闘機だ。 軽戦闘機:一〇〇〇馬力級の零戦。 中戦闘機:一五〇〇馬力級の二式単戦。 重戦闘機:二〇〇〇馬力級の十六試艦戦。 二式単戦が実質陸軍機であることを加味すると、海軍使用の戦闘機は軽戦闘機の零戦から重戦闘機の十六試艦戦へジャンプアップすることとなる。 機体開発には影響しないかもしれないが、運用面では大きなギャップとなるだろう。 だが、一五〇〇馬力級の紫電を間に挟めば、このギャップを埋められるのだ。 (本当によく見つけてくれました) 寝入った妻の頭を軽く撫で、体勢が崩れないように抱き寄せた。 (僕は軍人なので、軍の中でしか動けませんが・・・・) 寒いのか、暖を求めるようにすり寄ってきた妻の寝顔を見ながら思う。 (亀が民間を見張ってくれるから安心でき―――) 「ぐふっ!?」 アッパーカットを食らった。 「亀って言うな・・・・むにゃ・・・・」 「~~~~~ッ」 妻を抱える手とは別の手で顎を抑えて悶絶する嘉斗。 一部始終を見ていた運転手は、その姿に感銘を受けたという。 なお、その運転手は伊丹飛行場で嘉斗が蹴られた姿も見ていた。 故にこの感銘は「そこまでして妻との触れ合いを大事にするのか」というものである。 決して「妻を起こさなかった」ことではなかった。 「―――ぅおおおお!!! やるぞー!!! 見てろや、三菱・中島ァッ!!!」 一方、伊丹空港の格納庫では川西航空機の技術陣が気勢を上げていた。 陣頭に立つのは社長・川西龍三である。 彼の傍には設計技師である菊池静男もおり、社運を賭けたと言ってもいいこの事業に燃えていた。 川西航空機は世界最高水準の二式大艇を開発・量産している。 この分野においては日本トップメーカーだ。 三菱や中島にも引けを取らない航空機メーカーである。 だが、世間はそうは見ていない。 戦闘機こそ航空機の花形であり、それを製造する三菱、中島こそ最高峰と言うのだ。 なお、川崎も戦闘機を開発しているが、陸軍機のみであり、陸海に出入りする三菱や中島に比べると一歩劣る。 「菊池君、海軍が指摘した場所の改良はどのくらいでできる?」 「いくつかはすでに着手しています。そして、最大の問題である二段式主脚も根本解決するつもりです」 「ほう、それは頼もしい」 戦闘機開発は川西の発想だ。 それに骨を通し、肉付けしていくのが菊池だ。 「脚部は強化し、実用に耐えうる構造に変えます」 そうすれば実戦配備には大きく近づく。 「ですが、紫電は強風の姿を残し過ぎています。これを変えなければその後の未来はありません」 「「「???」」」 菊池の部下たちが首を傾げる。 「強風は短期間で戦闘機改造をするための基礎設計です。それが足枷になるのならば無理に残す必要はない」 「「「―――っ!?」」」 サッと技術陣の顔が真っ青になった。 「紫電は不具合を解消して運用できる量産機にする」 その言葉に川西は満足そうに頷く。 「そして―――」 続けられた言葉に技術陣は絶望した。 「最強戦闘機として、紫電二型を作る!」 「いいな、それは」 固まる技術陣を尻目に川西が呵々大笑しながら言う。 「さながら、"紫電改"だな!」 「そうです、社長!」 こうして、社長と設計者の熱意の結果、日本海軍戦闘機史上に残る戦闘機が生まれた。 紫電二一型(通称、紫電改)。 全長9.4m、全幅12.0m、全高3.9m。 正規全備重量3,800kg、翼面積23.5m2(低翼)。 発動機"誉一一型"、公称馬力"1,650hp"、最大速度"570km/h"。 航続距離1,500km(過荷2,300km)。 変わったのは翼の胴体取付位置だ。 中翼から低翼に変わったことにより、主脚の長さも短くなった。 結果、複雑だった二段式主脚は不使用となり、根本原因がなくなる。 さらに紫電一一型よりも製造工数が減少し、量産性が向上した。 「―――さあ、やってやるか」 試験飛行を終えて意気込んでいたのは川西航空機だけではなかった。 誉発動機を開発した中島飛行機も同様に燃えていた。 誉発動機の設計者である中川良一もそのひとりだ。 「設計を妥協した一一型は大成功でしたね」 助手のひとりが朗らかに笑いながら言う。 紫電の試験飛行において、機体設計的な不具合は指摘されたが、エンジンに対する物はなかった。 それは誉一一型は新機軸を入れつつも、手堅い設計をしたからと言える。 挑戦的な小直径ではなく、ある程度の大きさを妥協した結果、あらゆるところに余裕が生まれたのだ。 「だが、あれは我々が目指すものではないぞ」 誉は元々二〇〇〇馬力級を目指していた。 それを実用レベルの発動機にするため、敢えて馬力を落としたのだ。 それが性能を発揮したとはいえ、所詮は一五〇〇馬力。 中島の技術陣が目指す二〇〇〇馬力ではない。 「ただ、一一型を作ったことで、二〇〇〇馬力にするための課題が見えた」 最初から二〇〇〇馬力を目指していれば、不具合の原因究明にも苦慮したことだろう。 「今からならば二〇〇〇馬力級を作ることは夢ではない!」 「そうです! 我々ならできます!」 「よっしゃやるぞぉッ」 「「「オー!!!」」」 「三菱がなんぼのもんじゃァッ」 「「「ゥオオオオッ!!!!!」」」 「テメェら向こう数か月寝れると思うなよッ!」 「「「エエエェエエエェエエエッッッ!?!?!?」」」 中川の言葉にノリノリで拳を突き上げていた技術陣がずっこけた。 「ぐふふ、見ていろよ」 中川はそれに気付かず、血走った目で設計図の見直しにかかる。 (((あかん、これ真面目なやつだ))) 技術陣は、これから待つ過酷な数か月を前に、誰がまず最初に倒れるかの賭けを始めた。 後にこの誉一一型と改良版の二一型が陸海戦闘機の発動機として、シェアを席巻することとなる。 その結果に技術陣は驚くことなく、当然だと頷いたという。 だが、そのためには扱いづらい誉に整備員が慣れてもらわなければならなかった。 それを認識していた中川は、陸海軍に言って、整備員たちへの実技講習を開始する。 発動機としての問題をほぼ解決した誉一一型は、実用機が実戦配備される前から後方整備隊に配られた。 それは後の継戦能力に直結し、1943年以降の戦線を大いに支えたという。 1943年1月、川西航空機に対して紫電の量産開始命令が下った。 それは川西側が不具合解消案を提出したこと、先の見えた零戦に代わる新鋭機としての期待の他、切実な事情があった。 年明けからニューギニア島ブナが連合軍の攻撃を受ける。 現地の日本軍はこれを撃退する力がないため、守備隊には撤退を命じた。 同時に制空権確保のために陸海軍問わずして戦力を投入。 一大航空戦が勃発し、日本軍は大きな損害を受ける。 この時に零戦は米陸軍戦闘機P-38の一撃離脱戦法に苦戦、ニューギニア戦線の制空権どころか、ラバウル上空の制空権すら脅かされていた。 せっかくガダルカナル島の航空基地を無効化したというのに、これでは意味がない。 最前線での戦況の変化が先行量産に踏み切らせた。 もちろん、紫電が前線に投入されるには時間がかかる。だが、兵器は作らなければ前線に送れないのだ。 勇み足だったとしても製造ラインを作っておくことは後々のプラスになる。 そう、海軍省は判断していた。 ―――だが、事態はそう簡単にはいかなかった。 1943年1月13日、米軍によるガダルカナル島アウステン山攻略作戦が開始された。 ガダルカナル島の米軍は敵戦力の撃破、駐屯部隊の戦力維持へと推移した後、襲撃戦力の撃退へとフェーズが移行する。 そのフェーズに耐えられ、無事に撤退できるかどうかは現地の奮闘にかかっていた。 |