転進


 

「―――ここがガダルカナル島か・・・・」

 1942年10月30日午前7時37分、ガダルカナル島ルンガ岬沿岸。
 ここに大日本帝国陸軍の輸送船団が集結していた。
 空には海軍の零戦が早くも飛翔し、海にも海軍第八艦隊の艦艇が展開している。
(至れり尽くせりだな)
 第二師団長・丸山政男陸軍中将は兵員輸送船の中で思った。
 すでに先遣隊は上陸を果たし、島内に潜伏していた日本軍と合流している。
 島内の米軍は艦砲射撃のダメージから回復しておらず、上陸作業は予定通りに進んでいた。

(これで負けると切腹ものかな)

 第二師団の編制は以下の通りだ。
 3個歩兵連隊(四、一六、二九)、第二捜索連隊、第二野砲兵連隊、第二工兵連隊、第二輜重連隊、その他師団附諸部隊。
 兵員約20,000名。
 第二捜索連隊が保有する戦車は30輌(一式21輌、九五式9輌)、火砲約70門(九四式37mm速射砲、九七式中迫撃砲が主力)という火力。
 さらに機関銃も定数以上が配備された。
 大陸でもこれほど優秀な装備を持つ師団は存在しない。
 事実上、日本陸軍最強師団が今の第二師団だった。

「第二総攻撃開始は11月6日だ」

 丸山が確認するように参謀長に言う。

「その日でこのガダルカナル戦を終わらせる」

 日本軍は米軍に邪魔されることなく、全ての兵員・物資を陸揚げした。






戦闘詳報scene

「―――それでは第三次ソロモン海戦についての戦闘詳報を報告いたします」

 1942年11月10日、大日本帝国首都・東京。
 その中心である皇居の一室で、日本海軍連合艦隊司令長官・山本五十六大将が言い出した。
 上座に天皇、これを補佐するように侍従長・鈴木貫太郎元海軍大将、高松嘉斗殿下(現海軍中佐)が座す。
 その上座と山本との間、上座から見て左手に皇族、華族関係者が、右手に東条英機を筆頭とする政府高官が並んでいた。
 また、山本の後方には彼を補佐するように参謀たちが控えている。
 ミッドウェー海戦以来の戦闘詳報であり、事前にこれまでのガダルカナル島攻防戦の説明はなされていた。
 こちらについてはこの会の予習として、出席者が関係者から別室で受けている。

「それでは、お手元資料の1枚目からご説明いたします」

 そう言って山本は配布資料の表紙をめくった。
 それに参加者も応じ、全員がページをめくったことを確認した山本は話し始める。

「10月24~28日にかけ、ガダルカナル島周辺で交わされた一連の戦闘を第三次ソロモン海戦と呼称しています」


 戦役名としての「第三次ソロモン海戦」は、以下の戦闘に分かれる。
 サボ島沖海戦(第八艦隊)、ヘンダーソン基地艦砲射撃(第二艦隊)、南太平洋海戦(第三艦隊)、サンクリストバル島沖海戦(第一艦隊)。
 それぞれの結果、日本海軍は以下の艦艇を喪失した。
 戦艦「比叡」、「霧島」。
 空母「蒼龍」。
 軽巡「由良」。
 駆逐艦「夕立」、「夏雲」、「吹雪」、「叢雲」、「綾波」、「暁」。


「決して少なくない被害ですが、一連の戦果からすれば軽微で済んだと言えるでしょう」

 航空隊の損害と合わせて死傷者も数千人を出している。
 それでも得られた戦果は満足のいくものだった。

「海軍軍令部第三部が確認した米軍の損害は次の通りです」

 山本はページをめくり、軍令部第三部(情報担当)の諜報結果を報告する。

「戦艦が―――」


 戦艦「サウスダコダ」、「ワシントン」、「ノースカロライナ」、「コロラド」、「ペンシルベニア」、「アイダホ」。
 空母「サラトガ」、「ワスプ」、「ヨークタウン」。
 重巡「ルイビル」、「チェスター」。
 軽巡「サバンナ」、「アトランタ」、「ジュノー」。
 駆逐艦「ダンカン」、「ラフィー」、「ファーレンホルト」、「モーリス」、「ウォーク」、「ドレイトン」、「バートン」、「モンセン」、「プレストン」、「メレディス」、「ポーター」、「ラムソン」、「カッシング」。


 「ヨークタウン」は一連の戦闘では沈まなかったが、避退中に伊一九に発見され、雷撃によって撃沈されていた。
 この魚雷攻撃の流れ弾に当たり、駆逐艦「メレディス」、「ラムソン」も沈んでいる。

「与えた損害は大戦果の一言です」

 戦艦6、空母3、重巡2、軽巡3、駆逐艦12の計26隻。
 日本海軍であれば主力艦隊丸々分を失ったに等しい。

「如何に何個もの主力艦隊級の戦力を保有する米軍でも、さすがに今回は効いたでしょう」

 真珠湾攻撃以上の打撃を与えたと考えられた。

「結果、戦略目的であるガダルカナル島周辺の制海権、制空権を掌握いたしました」
「素晴らしいことだ。海軍の健闘は称賛に値するだろう」

 発言したのは伏見宮海軍元帥だ。
 鉄砲屋である彼は、最新鋭戦艦である大和型が敵新鋭戦艦であるノースカロライナ級、サウスダコダ級に勝利したことが嬉しくて仕方ないのだろう。

「ですが、こちらの被害も大きい。山本長官、彼我の損害をもう一度示してくれないでしょうか」

 伏見宮の発言で緩んだ空気を嘉斗が引き締めた。

「ハッ。その比較表は次にあります」

 山本の言葉に参加者たちが資料のページをめくる。


 喪失艦の日本vsアメリカ。
 戦艦 2 vs 6
 空母 1 vs 3
 重巡 0 vs 2
 軽巡 1 vs 3
 駆逐艦 6 vs 13


「これを開戦前の主力艦対米6割、重巡以下を・・・・まあ、7割として置いた場合の彼我の損害割合です」


 喪失艦の日本vsアメリカ(対日本概算被害度合)。
 戦艦 2 vs 3.6
 空母 1 vs 1.8
 重巡 0 vs 1.4
 軽巡 1 vs 2.1
 駆逐艦 6 vs 9.1


「隻数だけ比べただけでは分からない、彼我の損害度合いがこれで数値化されました」

 山本が示した数値を見た参加者がうめく。
 思っていたよりも圧倒的な勝利ではなかったのだ。
 全ての面で勝ってはいるが、圧勝ではない。
 巡洋艦はともかく、駆逐艦は僅差だった。

「これに彼我の工業力を加味すると予断を許さないことが分かります」
「米国がこの傷を癒すために必要な時間はどのくらいか?」

 質問したのは東条英機だ。

「大西洋艦隊は無傷、さらに新鋭艦の就役が始まっています」

 山本は一度目を閉じ、熟考する。
 知米派として、アメリカの国力を加味した結果に得られた数値はかなりシビアなものだった。

「4ヶ月。よくて6ヶ月と言ったところでしょう」
「・・・・たったそれだけか?」

 東条が意外そうな顔をするが、それは当然である。
 日本海軍が同様の損害を受ければ、最低でも半年、最悪向こう数年の行動ができない。
 それは敗戦を意味するだろうが、アメリカはそうではないのだ。

「米海軍は現在サウスダコダ級戦艦を就役させています」

 発言したのは嘉斗だ。
 一斉に視線を受けたが、彼は平然と言葉を続ける。

「サンクリストバル島沖海戦では1番艦が『大和』と戦いましたが、後1~2隻の就役を予定しています」

 「さらに」と嘉斗は続けた。

「より新しい設計思想に基づいた新型戦艦も建造中であり、それらが1943年には戦場に現れるでしょう」
「その新型の数は?」

 東条の質問に嘉斗はさらりと返す。

「詳しくは調べきれていませんが、4隻以上でしょう」

 もちろん、40.1cm砲以上の戦艦だ。
 今現在日本海軍は戦艦を建造していないので、現有の戦力でこれに当たらなければならなかった。

「海戦の趨勢は制空権争い。つまりは空母戦力に依ると報告を受けているが、そちらはどうなのか?」

 東条の視線が山本へ向く。
 やはり直宮に問うよりも山本に聞く方が精神的ハードルが低いのだろう。

「現在、我らが保有する空母は、大型2、中型2、準中型4、小型2の計10隻。航空機換算で600~650機。一方でアメリカは大型1、中型1で、航空機換算は170機程度です」
「圧倒的ではないか」

 東条は期待に眸を輝かせた。

「―――しかし、それも今現在は、です」

 再び口を挟んだ嘉斗が彼の希望を打ち砕く。

「12月から米海軍は新型大型空母、エセックス級の就役を始めます。各造船所の建造進捗具合から、以後2~3ヶ月毎に1隻が就役します」

 故に山本は4ヶ月と答えたのだ。
 損傷した空母の補修と新型空母の完熟訓練を考え、4ヶ月後には敵は戦艦3隻、空母3隻を中核とする任務部隊を編成可能になる。
 さすがにこの戦力で日本海軍に挑んでくるとは思えないが、6ヶ月後には戦艦3ないし4隻、空母4隻以上を保有することとなる。
 この戦力であれば間違いなく、米軍は動くと考えられた。

「我々が何らかの行動を起こすにはこの4ヶ月を有効に使わなければ、主導権を握ることはできません」

 ただの戦果報告会がそれよりも重い戦略会議になっている。
 出席する皇族たちが気まずそうにお互いの顔を見回していた。

「嘉斗」

 それを感じ取り、天皇が弟に声をかける。
 その様にあからさまにホッとした皇族もいた。

「しからばこの海戦、決戦は決戦だが、得られた戦果は"時間"ということか?」

 だが、天皇は天皇で他の皇族をかばうことはしない。
 御前会議で得られる情報は貴重なのだ。

「僕はそう考えています。米軍はこの程度でへこたれません」
「分かった」

 天皇は弟の意見に頷き、東条へ顔を向ける。

「宰相は陸海とよく話し、今後のことを決めるように。また、大本営発表の報道は誇張せぬようにせよ」
「・・・・はっ、承知いたしました」

 やや不満そうだが、東条は一礼して答えた。
 東条としては大本営発表で華々しく戦果を吹聴したかったが、勅命ならば守らざるを得ない。

「では、これにて閉会とする」

 侍従長の言葉に、出席者が立ち上がり、天皇に一礼して退出の準備を始めた。
 そんな中、嘉斗は飛んできた拳を寸前で受け止める。

「ちょ!? 問答無用で殴ろうとしないでください!?」
「うるさい、報告会をかき乱そうとしやがって、成敗してくれる! 天罰だ!」
「兄上が言うと冗談に聞こえない!?」

 "天罰(?)"の余波か、机やいすがひっくり返る中、出席者たちは颯爽と逃げ出した。
 国の首脳ともなれば天皇兄弟のじゃれ合いは慣れっこなのだ。
 決して慣れてはいけないと分かってはいるが、最も改めなければならない2人が全くその気がないのだ。
 首脳たちにできるのは、ただただ巻き込まれないように逃げるだけ。

「『11月10日、今日も今日とて皇居は平和』と」

(((いいのか、首相!?)))

 呟きながらメモる東条に、何人かが心の中でツッコミを入れた。
 この国の中枢がまだ余裕を保っている。
 しかし、それを吹っ飛ばす報告が南方から入るのは、その翌日のことだった。




「―――何と言う・・・・ッ」

 1942年11月11日、軍令部第三部室。
 嘉斗は出勤するなり持ち込まれた情報に絶句した。

「それは本当ですか?」
「傍受した暗号を解読した限り、間違いありません」

 嘉斗の問いに硬い表情のまま答えた部員は、抱えていた書類を嘉斗に渡す。

「詳細はこちらに。私は他の方々にも伝えてきます」

 敬礼して立ち去る彼に答礼も忘れ、嘉斗は書類に視線を落とした。
 その冒頭に記されていた文字に、思わずため息をつく。


『第二師団敗北』


 書類には第二師団が第十七軍向けに発信した電信を傍受した第三部は、独自に解読した結果がまとめられていた。
 その要約は以下の通りだ。

・米軍に邪魔されることなく、第二師団は10月30日に予定通り上陸完了。
・11月5日には全部隊が所定の攻勢開始点に到着。
・11月6日、海軍駆逐艦の艦砲射撃、基地航空隊の上空支援を下に総攻撃開始。
・11月7日、ヘンダーソン飛行場の一部占領(※)
 ※占領完了と誤報あり、海軍航空隊が着陸しようとして対空射撃を受ける。これを受けて駆逐艦が艦砲射撃を実施。
・11月10日、第二師団の被害甚大なため総攻撃停止。

 後に判明することだが、この時点で約20,000名の第二師団は歩兵第二九連隊が壊滅
(古宮正次郎連隊長戦死)もあり、4,000名超の死傷者を出していた。

 さらに第二師団は攻勢開始地点への撤退中に追撃を受け、歩兵第四連隊の中熊直正連隊長も戦死する。
 11月16日に攻勢開始地点に帰還した第二師団は15,775名。ただし、重傷者を含む数だ。
 実質の戦力は14,000名程度であり、3割の損害を受けていた。
 近代軍学において、その損耗率は部隊の壊滅を意味する。
 日本陸軍最強と言っていい師団が、万全の態勢で挑んで敗北したのである。

「・・・・第二師団が相手にした米軍はどのくらいの戦力と見積もっていましたか?」

 腹心である高遠信光中佐に聞いた。

「約2万と伝えていました」
「ほぼ同数で負けましたか・・・・」

 嘉斗はため息をつきながら首を振る。
 戦闘には川口支隊の残存部隊も参加していた。
 兵力的には日本軍の方が多い。
 また、火砲についても、確かに大型砲はないが、戦車を中心とする中型砲は豊富――あくまで日本軍基準だが――だった。

「・・・・潮時ですね」

 嘉斗は書類をカバンに入れて立ち上がる。

「連合艦隊司令部に行きます」
「軍令部は良いので?」

 正規ラインは軍令部総長に報告するものだ。

「報告は別の人間がしているでしょう。するとしても第三部長がするべきです」

 高遠にそう答え、扉に手をかけた。

「車を用意します」
「頼みます」

 陸戦の結果を海軍で協議しても変わらない。だが、第三次ソロモン海戦で得た制海権・制空権をしてもガダルカナル島は奪還できなかった。
 その事実を前に、実戦部隊の実情を確認しなければならない。

(これがターニングポイントになる)

 敵性用語故に口には出さなかったが、嘉斗はこの報告が持つ激動に、顔を引き攣らせていた。




「――― 一式中戦車でも役不足か・・・・」

 嘉斗が軍令部を出た時間とほぼ同時刻。
 陸軍機甲本部の本部長室で、武隼時賢少将が呟いた。
 この部屋には本部長である本多政材中将以下、機甲本部の要人が集っている。
 話題は彼らが期待を込めて送り出した一式中戦車の戦果だ。
 第二師団による3日3晩続いた第二次総攻撃は失敗し、参戦した21輌の一式中戦車は12輌が破壊された。
 捜索第二連隊は壊滅し、機甲科が期待した戦果は得られていない。

「それでも奮闘しただろう」
「まあ・・・・」

 本多が言った通り、一式中戦車は奮闘した。
 艦砲射撃で穴だらけになった大地を無限軌道で突き進み、敵陣へ戦車砲を叩き込む。
 米軍が対戦車戦闘に集中する中、第四連隊は敵陣の迂回に成功、白兵突撃することでその陣地を制圧した。
 米軍の機関銃陣地に真正面から突撃した一木支隊とは同じ轍を踏まないため、戦車による正面攻撃だったのだが、それでも犠牲が多い。
 敵は機関銃だけでなく、速射砲や迫撃砲で対抗してきたからだ。
 これらの砲撃に耐えながら踏みとどまって戦う戦法は、一式中戦車には荷が重かったのだ。

(尤も九七式中戦車ではなすすべもなく破壊されていただろうけど・・・・)

 戦車戦が惹起したのはその戦線くらいだ。
 残りの戦闘――特に飛行場攻防戦――にはほとんど関与していない。
 ガダルカナル島に移動しながら戦車が活躍できる土地は少ないということだった。
 ただし、時賢はまだ報告を受けていなかったが、撤退戦では米軍に対して戦車砲や機関銃を撃ちまくり、歩兵の撤退を援護している。
 米軍の反撃を押しとどめた功績は大きかった。

(第二師団は一方的に負けたのではない)

 相応の損害を与えてはいるだろう。
 日本軍はただ押し切れずに息切れしたのだ。

「もっと強い戦車が必要だな」

 そう呟き、時賢はこれから必要になるであろう事柄を整理するため、まずはこの場で発議をしようと口を開いた。




「―――南方がきな臭い」

 機甲本部で激論が交わされている頃、高松邸で高松亀が言った。
 食卓の場であり、席には娘と息子、使用人のくせに同席する高山富奈、それに客人である堀悌吉、石原莞爾がいる。
 嘉斗は石原のことを警戒しているが、亀自身は信用はしていないが有用と判断していた。

「南方、ソロモン-ニューギニア戦線ですな」

 言葉を発したのは石原だ。

「ここ数か月の主戦場だな」

 堀も同意する。
 元軍人だが、ふたりとも民間人だ。
 確かに軍需系の企業に勤めていたり、現役将校と仲が良かったりするが、それだけで国家戦略の最前線を理解している理由にはならない。
 情報の大半は嘉斗と亀からもたらされていた。
 彼らは高松夫妻の知恵袋なのだ。

「どうきなくさいのですかな、奥方殿」
「輸送船」

 石原の質問に亀は短く答えた。

「・・・・つまり、帰ってこない輸送船が多い、と?」

 明晰な頭脳は言葉少なでも正解を導き出す。
 それに満足した亀は頷いて続きを口にした。

「定期便は問題ない。だけど、臨時で派遣した船団の一部が被害を受けている」

 定期便とはラバウルまでの輸送路のことだ。
 一方、臨時と言うのはラバウルからガダルカナル、ニューギニアへの派遣船団のことである。
 早い段階からラバウル-ガダルカナルは駆逐艦や高速輸送船で実施することが決定し、臨時船団はもっぱらラバウル-ブーゲンビル間の輸送に従事していた。
 一方、ニューギニア方面はラエを含む最前線へは陸軍が手配した臨時輸送船が補給を担当している。
 これらの被害が増加していた。
 尤も被害隻数で言えば、8~10月にガダルカナル島周辺で喪失した輸送船の方が圧倒的に多いのだが。

「軍の徴用が多く、民間への船腹量が圧迫を受けている」
「輸送船は量産していると聞いていますが?」
「量産分の大半が建造中」

 戦時標準船の本格投入は1943年からとなる。
 もちろん、戦前から建造していた船は就役を始めているが、そのペースを上回るほど軍事徴用されていた。

「第一作戦が終わって返還された分も次々と再徴用されている。このままでは民間が干上がってひまうわ」

 「困った困った」と首を振る。
 亀は製造現場の労働者が兵として徴用されることを防いだが、まさか製造原料の運搬手段を取り上げられるとは思っていなかった。

「船舶問題は数を増やすか減るのを止めるかしかありません」

 堀が言う通り、究極的にはその通りだ。

「民間にできるのは数を増やすこと。軍にできるのは減るのを防ぐこと、か」
「そもそも何で減るん?」

 富奈が素朴な疑問を口にする。

「輸送船って民間人が乗っているんやろ? 戦場行くわけやないやん?」
「それが戦場に行くんですよ、日本軍には"輸送艦"と言う概念はないですから」

 堀が首を振りながら言った。
 簡単に言えば「船」は民間で「艦」が軍である。

「輸送艦は戦時でこそ役に立ちますが、平時では金食い虫です。ですから、戦時に徴用できるような契約を民間と結び、これを戦時に使うんです」

 だから、日本海軍には"輸送艦"という艦種はない。
 民間から徴用した輸送船をそのまま使うか、特設巡洋艦・水上機母艦に改修して使うかのどちらかだ。

「当然、乗員の大半は軍属とは言え民間人。戦場の機微もとっさの判断も軍人のそれじゃない」

 よって前線に近い位置で攻撃された場合、容易に撃沈されている。

「責任は船員ではなく、守りきれなかった軍にあるとはいえ、軍も輸送ができなければ戦えないですからな」

 石原が苦虫を噛み潰したかのような顔で言った。
 彼は大陸で兵站に起因した苦労をしているのだ。

「海軍はもっと兵站とその護衛を考えなければならない、ということ?」
「要約すればそうでしょうね」

 堀は海軍出身だが、民間に身を置いて長い。
 海軍の弱点もよく分かっているのだろう。

「大きな戦があった。これからまた変わる」

 腕を組んで場を見渡した。
 亀は嘉斗が戦場に行き、帰ってきたことを知っている。
 当然、黙って戦場に言ったことは怒ったし、懲らしめもした。
 それでも彼が戦場に行かなければと思う大作戦があり、帰ってきたということはそれが終わったのだろう。

「我々もよりよくするために動かねばな」






 1942年11月11日。
 この日、陸海民間の三者が将来に向けて改めて動き始めた。
 それぞれの思惑はあるが、それをすり合わせるには顔を突き合わせた会議しかない。
 それが持たれたのは陸海が一番早かった。
 11月16日、大本営陸軍部と海軍部は互いに参謀級――ただし、トップは少将――の会合を開き、今後について話し合う。
 会議自体は揉めに揉め、午前中から開始されたそれは17日未明になってようやく終わった。
 その結果はガダルカナル島からの転進。
 それは事実上の撤退であり、ガダルカナル戦役の敗北である。
 だがしかし、ガダルカナル島周辺の戦闘はまだ止む気配はなかった。









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