南太平洋海戦 -5


 

「―――艦長、総員退艦が完了しました」

 1942年10月26日午後3時18分、ウラワ島北東。
 日本海軍第三艦隊第二航空戦隊所属、空母「蒼龍」は炎上しながら漂流していた。
 近くには駆逐艦「磯風」、「浜風」が寄り添い、海に飛び込んだ将兵の救助活動を展開している。

「どれほどの戦死者が出た?」

 艦長――柳本柳作大佐は炎が迫る艦橋に仁王立ちしたまま副官に聞いた。

「命中した爆弾は格納庫で爆発しましたが、航空機、爆弾、魚雷はなかったため誘爆は免れました」

 副官は被害状況を報告しながらメモをめくる。

「結果、整備員たちは被害を免れ、すでに多くが退艦しています」

 整備員たちは手すき要員として対空弾薬運びに従事していた。

「・・・・一方、魚雷命中と浸水により機関部要員の多くが戦死したと思われます」
「そうか・・・・」
「最終的には分かりませんが、戦死者は200~300名と言えるでしょう。もちろん出撃した航空要員は含んでいません」

 「蒼龍」の乗組員は約1,100名なので、2~3割が戦死したことになる。

「・・・・私の責任だな」

 日本海軍にとって貴重な正規空母の喪失と第一線級将兵の大量戦死。

「私はここに残って艦と運命を共にする。君たちは早く退艦しなさい」

 残っていた司令部要員にそう告げ、柳本は再び直立不動の体勢を取った。

「艦長!」

 副官が悲痛な声を上げる。
 柳本の気持ちも分かるが、やはり脱出するべきだと思う。
 それでも上官命令に一歩踏み出しただけで足が止まってしまった。



「―――残念ながらそれは許されません」
「「「―――っ!?」」」



 一種のドラマ性を持った空気が漂う艦橋に、聞き覚えのない声音が響いた。

「誰だ!?」

 副官は懐の拳銃に手を伸ばしながら誰何する。しかし、その行動はすぐに止まった。

「大本営特務部隊の一員です」

 副官の背後に立っていた男は、副官の腕を握りながら言う。
 「いつの間に・・・・」と呟く副官を無視し、男は柳本に言った。

「艦と運命を共にすることは許されません」
「なんだと?」
「これは陛下の厳命です」
「「「な!?」」」
「これより総員に退艦してもらいます」

 第三種軍服に身を包んだ男は、副官の拳銃にひるむことなく、距離を詰める。

「"総員"です。例外は許されません」

 そう言って男は菊の御紋が描かれた紙を柳本に突き付けた。
 そこにはこう記されている。

『艦長が総員退艦命令を発令した場合、如何なる地位の者でも適用する。当然、艦長もである。 大日本帝国天皇』

 最後の【大日本帝国天皇】はなんと直筆だ。

「馬鹿な・・・・」

 如何に特務部隊と言えど、天皇の直筆文書を持っているわけがない。
 彼の正体はいったいなんだというのだろうか。

「さあ、行きますよ。早くしなければ沈没時の水流に巻き込まれますから」
「う、く・・・・ッ!?」

 何故か動けない柳本を彼は小さな荷物を抱えるように持ち上げた。そして、まるでその重さを感じていないかのような俊敏さで出口まで走る。

「さあ、皆さんも早く!」

 大本営特務部隊の男は、予想外の出来事に固まる艦橋要員を促し、沈む「蒼龍」から脱出した。






南太平洋海戦 -3 Scene

「―――11時方向敵艦隊!」
「いよったな!」

 1942年10月26日午後2時4分。
 日本海軍第二波攻撃隊が第16任務部隊を発見した。
 すでに周辺空域では先行した制空隊と防空隊の戦闘が勃発している。

(雲量は多いな。スコールに入られる前に見つけられてよかった)

 攻撃隊を率いる江草隆繁少佐は眼下に広がる雲を見ながら嘆息した。

「空母2。・・・・大型艦は少ないな」
「しかし、駆逐艦が多いですね」

 まだ敵の対空射撃が開始される距離ではないので、江草たちは敵艦隊を観察する。
 敵戦闘機は制空隊が抑えているので安心していられた。

(途中で護衛の一部が引き返した時はどうしようかと思ったが・・・・)

 母艦に向かう敵攻撃隊を迎撃に行ったのだろうが、こちらの攻撃に対する援護が疎かになるのは不安である。

(その甲斐あって、無事だといいな)

 そう思いつつ200機を超える攻撃隊を前にすれば何らかの損害が出ることは間違いないだろう。
 だが、その被害が母艦である「蒼龍」だとは思っていなかった。

『シ1よりソ1へ。攻撃目標知らせ』

 翔鶴航空隊の指揮官から催促が来る。
 確かにいつまでも観察しているわけにはいかない。

『ソ1より各機。一航戦は前方空母、二航戦は後方空母。また、一航戦には軽巡の撃破も任せる』

 第二波攻撃隊は、搭載機数の多い一航戦の方が所属機は多い。
 だから、防空軽巡(「サンファン」)の撃破を任せたのだ。

「ト連送」
「宜侯!」

 江草が操縦桿を倒すとともに攻撃隊はそれぞれの目標向けて高度を下げた。

(ヨークタウン級・・・・。さてさて、こいつは「ヨークタウン」? それとも「エンタープライズ」かな?)

 「ホーネット」はミッドウェー海戦で沈んだことが、軍令部第三部の諜報活動で判明している。
 残るヨークタウン級航空母艦は先の2隻だ。

(相変わらずすごい対空砲火だ・・・・)

 空に咲く砲弾爆発の花は日本軍のそれよりも断然多い。
 新型機になった攻撃隊でも被害ゼロは無理だろう。

(この対空砲火を封じる何かを考えないとな)

 護衛艦艇への攻撃はミッドウェー海戦で効果を発揮した。しかし、その分だけ主力艦に対する攻撃力が減る。

「お?」

 上空を警戒していた零戦の一部が翼を翻して降下した。そして、高角砲や対空機銃の弾雨をあざ笑うように回避、駆逐艦へ銃撃する。
 もちろんそれで沈むような駆逐艦ではないが、目に見えて対空機銃の曳光弾が少なくなった。

(なるほど)

 重い爆弾や魚雷を抱えた攻撃隊と違い、戦闘機は機体本来の運動性を発揮できる。
 その速度に対空砲火がついて行っていないのだ。
 高角砲は破壊できないが、機銃やそれらを操る兵員の殺傷は可能。
 米軍の対空砲火の脅威は数だ。
 その数が軽減されるのであれば、恐れる必要はない。

「行くぞ!」

 零戦の攻撃と一航戦の一部が軽巡「サンファン」を攻撃により、対空砲火が緩んだ。
 そう判断した江草が操縦桿を倒し、敵陣へ突撃を開始する。
 米空母は必死の抵抗でそれを迎え撃った。




(―――恐ろしい・・・・)

 アメリカ空母「エンタープライズ」艦橋でトーマス・キンケイド少将は思った。
 艦隊を守るワイルドキャットはあっという間に蹴散らされ、上空を支配するのは日本海軍機だ。
 艦隊は対空砲を撃ち上げているが、外周を飛行する敵航空隊まで距離があるので当たらない。
 防空戦闘にて最も活躍する40mm機関砲の射程外では撃墜はほとんど期待できなかった。

(だが、その防空戦闘は最後の砦だ・・・・)

 本来ならばその戦闘をせずに撃破したい。

「敵機、『サンファン』へ急降下!」

 高速で接近した艦爆数機がバラバラに防空軽巡「サンファン」に降下。
 まさか自分が狙われると思っておらず、対空機銃員の多くは空母上空を見張っていた。
 その隙をついた日本軍機は被撃墜ゼロで、「サンファン」に2発もの爆弾を命中させる。
 これまでの日本軍の艦爆が抱えていた爆弾よりも大きいのか、大爆発と共に「サンファン」が大炎上した。

(くそ・・・・ッ。奴らの新型機は高性能だな)

 九九式艦上爆撃機よりも高速・重防御を誇る彗星艦上爆撃機は500kg爆弾を搭載可能だ。
 今回の攻撃でも500kg爆弾を抱えている。
 その重量で水平甲板を叩き割り、内に秘めた炸薬221kgが着弾周辺を破壊するのだ。
 前の250kg爆弾とは威力が倍以上違った。

「敵機、一斉に動き出しました!」

 「サンファン」が被弾したことにより、対空砲火が目に見えて弱まっている。
 それに気付いた攻撃隊隊長が総攻撃を命令したのだろう。

「雷撃機だ! 雷撃機を優先的に叩き落とせ!」

 爆弾よりも雷撃の方が沈没の危険がある。
 アメリカ軍のダメージコントロール部隊は優秀であり、爆弾数発程度ならば対応できるとキンケイドは判断したのだ。

「左舷より雷撃機3機!」

 キンケイドの意思を受け、見張員や対空機銃員は低空を見遣った。
 両用砲のみは上空向けて砲撃を続けているが、何かを狙っているよりも弾幕を張っているという行動に近い。

「1機撃墜!」

 左舷から攻撃を仕掛けてきた雷撃機に対し、機銃弾が集中した。
 瞬く間に1機を落としたが、残りの2機は怯まず突っ込んできて、距離1,000mで魚雷を投下する。

「Port! Port!!!(取舵)」

 アーサー・デービズ艦長が叫ぶ中、空を見上げていた見張員が叫んだ。

「Dive bomber!!!(急降下爆撃機)」

 艦橋内が凍りつく。
 「エンタープライズ」は今ようやく艦首を左に振り始めたばかりだ。
 それは急降下爆撃機にとって狙いのつけやすい瞬間である。
 一定速度で転針する船ほど先の予測をしやすいものはない。

「5機! 投下!」
「チックショウ、正中線ど真ん中だ!」

 見張員たちが歯噛みする中、爆弾が降り注いだ。

「「「OH!?」」」

 前部に2発、右舷に至近弾1発を受けた「エンタープライズ」は打ち震える。

「消火だ! 応急処置急げ!」

 デービズ艦長の指示が艦内に飛び、応急斑が現場へと走った。
 幸い被弾は2発、沈むほどではない。

(「ヨークタウン」は・・・・?)

 自身への攻撃が限定的だったということは、誰かが攻撃を引き受けたということである。
 その引き受けたうちの一艦である「サンファン」は対空弾薬が誘爆し、松明と化していた。そして、それとは違う光源をキンケイドは視界の端に捉える。

「司令!?」

 デービズ艦長を置き去りにし、艦橋から外に出て艦後方を見遣った。
 被弾炎上する「エンタープライズ」の向こうに、さらに大きなどす黒い煙を吐き出す艦がいる。

「なんて、ことだ・・・・・・・・」

 それは姉妹艦「ヨークタウン」だった。


 爆弾3発、魚雷2発。


 それが「ヨークタウン」に叩き込まれた金属の塊と爆薬だった。
 爆弾は飛行甲板、格納庫をズタズタにし、電気系統や排気系統にもダメージを与えている。
 魚雷は艦舷喫水下に大孔を穿ち、大量の水をその腹に流し込んだ。
 それでも浮いていられるのは「ヨークタウン」が持つタフさと応急処置班の優秀さのおかげである。

(これ以上空母を喪うわけにはいかない!)

 キンケイドの下には第17任務部隊の悲劇が届いていた。
 ここで「ヨークタウン」をも喪うことになれば、アメリカ海軍の残存空母は「エンタープライズ」と「レンジャー」だけになってしまう。

「駆逐艦に消火と曳行をさせろ」

 キンケイドの命令を受け、重巡「ポートランド」、駆逐艦「メレディス」と「ラムソン」が寄って行き、放水を始めた。
 それと同時に攻撃で外に振り落とされた兵の救助を始める。

「我々は17TFと合流し、撤退するぞ」

 キンケイドの言葉に艦橋要員は重い雰囲気のまま頷いた。
 二空母が被弾したことで防御力はガタ落ちだ。
 日本軍が追撃に出てくるのは間違いなく、それを阻むことができない以上、撤退するのは当然だった。

「攻撃隊の収容はどうしましょうか」
「・・・・護衛空母部隊でも収容しきれないな」

 後方にいる空母では200機を収容できない。
 なお、艦隊上空を守っていた戦闘機の残存部隊は後方護衛空母に収容されていた。

「燃料の問題もある。近くの島に不時着し、パイロットは艦艇や航空機で救出するしかない」
「しかし、不時着は危険を伴います。ガダルカナル島に向かわせる方が良いのではないでしょうか」

 ガダルカナル島の飛行場修理が完了しているのならば、そこに降りる方が安全だ。

「戦艦の主砲を食らったのだ。まさか数時間で復旧するとは思えん」

 穴だらけの滑走路に降りるより、海面に不時着する方が安全だろう。

(問題は日本軍が第二次攻撃を実施してくるか、ということだ)

 ただいまの時刻は午後3時。
 この海域の日没は午後6時過ぎ。
 薄暮攻撃を実施するとしても午後6時半までが限界だ。

(先程の攻撃隊が母艦に帰り着くのがおそらく午後4時過ぎ)

 着艦、点検、再兵装、発艦、進撃の時間を考慮すると、3時間はかかるだろう。
 日本軍がアメリカ軍より優れていたとしても、2時間半はかかる。

(日本軍が薄暮攻撃をするかどうかだ・・・・)

 それを覚悟するのならば、第二次攻撃隊の発艦までにでき得る限り距離を詰めようとするだろう。
 「ヨークタウン」がほぼ停止状態にある今、日本艦隊が25kt/hで迫った場合、先の時間を数十分程度は短縮できる。
 そうなれば薄暮攻撃が可能になるのだ。
 危険は大きいが、アメリカ空母を確実に葬り去るため、好戦的な日本海軍は薄暮攻撃をするだろう。

(その場合、同海域に「エンタープライズ」があると危険だ)

 第16任務部隊は「ヨークタウン」を囮にしてでも逃げなければならない。
 「ヨークタウン」の生還に全力を尽くすが、その全力に「エンタープライズ」が危険を冒すことは含まれていない。
 「エンタープライズ」の安全が最優先であり、その後に「ヨークタウン」の救済があるのだ。

(ハルゼー提督はどうするのだろうか・・・・)

 この海域の総司令官はハルゼーだ。
 彼は戦艦部隊を率いて北西にある。
 このまま第16および第17任務部隊が後退し、日本海軍が前進した場合、彼はガダルカナル島北西の艦隊と日本海軍主力艦隊に挟まれることとなる。

(早く撤退してくれればいいが・・・・)

 キンケイドは心配そうに北西を見遣った。
 彼はハルゼーを掩護する立場にあるが、すでにその能力は喪失している。

(むしろ守ってくれないだろうか・・・・)

 日本海軍が戦艦部隊を持ってきていることは分かっていた。
 その部隊が南下してきた場合、傷ついた「エンタープライズ」も逃げ切れるかわからない。
 3つに分かれたアメリカ主力艦隊の内、今でも戦力を有しているのは戦艦部隊だけだ。

(これから夜が来る。日本軍が追撃に出れば、夜戦にてぶつかるだろう)

 日本海軍にとって夜戦は十八番。

(この日、アメリカ軍は歴史的な大敗を喫するかもしれない)

 キンケイドの胸に言いようのない不安が広がる中、彼の視界から「ヨークタウン」は水平線に消えた。






 空前の大空海戦に発展した南太平洋海戦は日本軍の大勝利で幕を閉じた。
 日本軍は述べ320機の攻撃隊を繰り出し、米海軍第16・17任務部隊を攻撃する。
 その結果、空母「サラトガ」、「ワスプ」、重巡「ルイビル」、軽巡「ジュノー」、「サンファン」、駆逐艦「モーリス」、「バートン」、「ポーター」、「プレストン」を撃沈した。
 他に空母「ヨークタウン」、軽巡「サンディエゴ」、駆逐艦「オースチン」が大破。
 4空母が搭載していた航空機をほぼ全損させている。
 大戦果だ。

 だが、その代償も小さくはなかった。
 空母「蒼龍」が撃沈され、「翔鶴」も被弾している。
 航空機も110機程度を喪失した(帰還後の全損判定含む)。
 損耗率は22%(第三艦隊の他、五航戦も含む)と決して小さくはない。
 それでも米海軍の空母主力部隊を撃破し、複数隻の正規空母を撃沈したことは大きかった。
 この海域において、制空権を日本軍が完全に握ったのである。
 それは今後の海戦の趨勢を左右する、重要なファクターだ。
 何せ、まだ戦いは終わっていないのだから。









第67話へ 赤鬼目次へ 第69話へ
Homeへ