前準備


 

「―――いないな」

 1942年10月15日午後3時、トラック諸島近海。
 ここに米海軍の潜水艦が浮上していた。
 浮上と共にディーゼルエンジンを始動し、蓄電池への充電を始めている。
 周囲にわずかな黒煙が広がるが、高く立ち上っていくものではなかった。
 これならば敵艦に見つかる心配はない。

「この辺りだよな?」
「ええ、そのはずです。日本の輸送部隊は毎日日本時間の午後0時に位置情報を発信しますから」
「最近はそれも減ってきたのでは?」

 艦長と副長が潜水艦の艦上に降り立ちながら会話する。

「減りましたが、禁止したのは軍徴用の船です。民間では未だに行われています」

 副長は手元のメモを見ながら言った。

「その癖が抜けずに、徴用船でもやってしまうようですね」
「ふむ。ということは、近くにはいるわけか・・・・」

 艦長が双眼鏡で水平線を見遣る。しかし、探している敵輸送船団は見えなかった。

 彼らを含む複数の潜水艦にハワイから命令があったのは今朝の話だ。
 昨日、トラック諸島とマリアナ諸島の間で無電が発信された。
 暗号だったが、簡単な民間用のもののため米軍はすぐさま解読に成功する。
 その内容は「10月14日正午時点の輸送船団の位置情報」だった。
 米軍は別情報で10隻以上の輸送船を含む有力な輸送船団がトラック諸島に向かっていることを掴んでいる。
 このため、この潜水艦を始め、4隻がその撃滅のために周辺海域へ展開していた。
 前日の位置が分かったため、本日通るであろう場所に潜水艦たちは艦長たちの判断で先回りしている。

「輸送船団は低速だ。そう簡単に逃げられるわけがない」

 そう呟いた艦長の耳が、低音を捉えた。

「・・・・なんだ?」

 周囲を見回すが、水平線まで何もない。
 空も南方特有の入道雲があるだけで静かなものだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 副長も音を捉えたのか、警戒して周囲を見回していた。

「―――ッ!? 敵機ッ!?」

 見張兵がとある方向に指を向けながら叫ぶ。
 その方向向けて艦長も副長も双眼鏡を向けた。

「Jake!?」

 機首をこちらに向けて突っ込んでくるのは、日本海軍が誇る零式水上偵察機だ。
 明らかにそのパイロットは潜水艦に気付いている。

「艦長! 奴は"爆弾槽"を持っています!」
「―――っ!? 急速潜行ッ」

 翼下に爆弾がなかったから油断していた。
 艦長の命令に艦の外に出ていた兵たちが慌ててハッチをくぐって降りていく。しかし、潜水艦が波間に沈む前に、零式水偵から六〇番が投下された。

「「「・・・・ッ」」」

 それは潜水艦の上部を破壊し、大量の水を呑み込ませる。
 運のいい者は水流に押し流されて浮上し、運の悪い者は破壊された潜水艦と共に海中へと沈んでいった。






潜入scene

「―――高松中佐、水偵七番が敵潜水艦を沈めたそうです」
「ほう、それはそれは。何隻目ですか?」
「この海域で沈めた数はこれで4隻目です」

 トラック近海で米潜水艦が沈んで1時間後、トラック諸島近海上空。
 ここを十数機からなる航空隊が飛翔していた。
 それらは本土やマリアナ諸島から放たれた複数の連絡機である。
 目指すはトラック諸島に展開する味方部隊だった。
 トラック諸島は日本海軍の一大拠点であり、南方で作戦を展開する場合、まず間違いなく寄港する。
 このため、日本海軍の作戦兆候を捉えようと多数の敵潜水艦が放たれていた。

「これで一大潜水艦狩りは終わりですね」
「はい」

 嘉斗は今回の副官を務める軍令部第三部の部員と話していた。

「民間の定時連絡の癖を逆手に取るとはさすがの計略です」
「これで民間船が禁止令を破って連絡しても、米軍は疑心暗鬼に陥るでしょう」

 嘉斗が片目をつむって人差し指を振ってみせるが、エリート軍人たる副官は無視する。

「・・・・今回は情報秘匿が第一ですからね」

 茶目っ気を無視された嘉斗は苦笑しながら続けた。
 嘉斗たち第三部が提案した潜水艦狩りは、以下の流れである。
1. 主要航路において、定時位置連絡(平時の義務)を装い、簡単な暗号で情報発信
2. 発信を捉えて集まってきた敵潜水艦を二等駆逐艦や対潜哨戒機、駆潜艇で撃滅
3. 安全な航路で主力艦隊および輸送船団をトラック諸島へ

「この潜水艦狩りの結果が、延べ10隻発見、撃沈確実4隻ですか」
「10隻には重複も含まれますから、実際はほぼ殲滅したと考えても良いのではないでしょうか」

 副官の指摘通りだろう。
 同様の作戦はマリアナ諸島―パラオ群島間でも実施され、こちらでも複数隻の潜水艦を撃沈していた。
 作戦実施期間は10日程度だが、その間に米軍は6隻以上の潜水艦を喪失したのである。
 日本側の作戦は大成功と言えるだろう。

「さて、次は何をしましょうか・・・・」

 嘉斗はこの第三次ソロモン海戦が日本の大勝利で終わるよう、第三部の力を最大限に発揮する気だった。
 そのために第三部の特殊部隊をガダルカナル島に上陸させる手筈も整えている。

「まさか我々がここまでできるとは」

 副官が呟く通り、第三部の部員もまさか自分たちが戦局に影響できるとは思っていなかった。
 自分たちが集める情報の重要性に気付いていたが、ここまで戦果に直結するとは思っていなかったのである。

「情報は大事です。孫子でも言うでしょう?」
「敵を知り・・・・ですか?」
「ええ」

 前方にトラック諸島が見えてきたので、嘉斗は軍帽を目深にかぶり直した。

「壮観ですね」
「はい」

 トラック諸島にはすでに日本海軍の主力艦隊が集結していた。
 今回の作戦に参加する艦隊で不在なのは、南方担当の第八艦隊と北方担当の第五艦隊くらいだ。
 第一艦隊、第二艦隊、第三艦隊、第四艦隊はトラック諸島にいた。

(去年に択捉島で見たよりもずっと多いですね、当然ですが)

 やはり目を引くのが新型戦艦の2隻だ。

(山本長官が空母だけでなく、戦艦にも目を向けてくれてよかったです)

 ミッドウェー作戦にも「大和」は出陣したが、戦闘には参加していない。
 平時ならばともかく、戦時における戦艦の仕事は、その砲撃力で敵を打ち沈めることだ。

(この作戦で、その機会を作ることも僕の仕事ですね)

「着陸許可出ました。着陸体勢に入ります」

 操縦員の言葉に、嘉斗は頷いてシートベルトを確認した。そして、操縦員に「了解」と伝える。

「では、宜しくお願いしますね」
「・・・・胃が痛いです」

 苦虫を噛み潰したかのような顔で言った副官に、嘉斗は笑いかけた。

「いい胃薬を紹介します」
「改める気ねー・・・・」

 嘉斗の言葉に肩を落とした副官が手に持った辞令書向けてため息をついた。
 そこには「大本営特務参謀」と記されている。

「機動艦隊には実がいます。よく相談するように」
「・・・・承知しました」
『後、いつものように連絡してくれれば応えますので』

 ものすごく小さな声を副官に"届けた"。

『分かっています』

 それに対し、副官は直接嘉斗の"脳"に語りかけることで返す。

「着陸します、衝撃に備えてください」

 こうして、ふたりの魔術師がトラック諸島に到着した。




「―――ええなぁ、この飛行機・・・・」

 嘉斗が滑り込もうとしていたトラック諸島の飛行場で、淵田美津雄海軍中佐は嘆息していた。
 ミッドウェー海戦で骨折した両足は治っていたが、彼は10月10日付で横須賀航空隊教官に着任している。
 今日はその仕事でトラック諸島に出張していた。

「ええ、すごいでしょ」

 彼と共にいるのは第三艦隊の空母「翔鶴」飛行隊長・村田重治海軍少佐だ。
 艦攻乗りとして元淵田の部下であり、現在の第三艦隊航空隊の総大将と言ってもいい。

「ミッドウェーの時にこれがあればな・・・・ッ」
「いや、全く。これがあれば友永も・・・・ッ」

 ふたりが顔をしかめて腕で目を覆った。

「―――って、待って待って待ってください! 死んでませんよ!」

 慌ててふたりに駆け寄る友永丈市大尉(空母「雲龍」飛行隊長)。

「まあ、救出部隊が編成されていなければ帰還できませんでしたけどッ」

 友永はミッドウェー海戦で空母「ホーネット」攻撃後、母艦に帰れずに不時着水した。
 原因は先の攻撃で受けた燃料タンクへの銃撃。
 詰め物で栓をしたが、戦闘機動でそれが外れたため、母艦まで燃料が持たなかった。
 友永以下3名は海を漂流し、捜索に来た零式水偵に救われている。

「こいつが配備されればこんな目に遭う奴も減るとええな」
「いいや、減りますよ」
「・・・・聞いてねえな、こいつら」

 淵田と村田に一切顧みられなかった友永が肩を落とした。
 それでも友永の視線はふたりが見ていた機体に吸い込まれる。

「確かにこれがあれば、な」

 3人の飛行機野郎が見ていたのは、日本海軍が実戦配備した新型機だ。


 艦上攻撃機:天山一一型。
 全幅14.9m、全長10.9m、全高3.8mと九七艦上攻撃機とほぼ同サイズ。
 最大速度465km/h(九七艦攻一二型378km/h)。
 航続距離1,460km(同1,090km)。
 これは高速・長大な航続距離を求められた結果だ。
 さらに生存性を追求した結果、次の新装備が取り付けられていた。
 炭酸ガス噴射式消火装置と自動防漏タンクである。
 この関係で正規全備重量は5,200kgと九七艦攻と比べると130%以上と重くなってしまった。
 それでも機敏に動く新型攻撃機は待望の存在だ。
 何より、高速のため、護衛の戦闘機が八の字飛行せずに巡航できるのは大きい。


「―――おいおい、こっちも忘れてもらっちゃあ困るぜ」
「江草、貴様も来ていたのか」
「淵田さんと同じ、新型機の引き渡しと訓練ですぜ」

 淵田たちに声をかけたのは江草隆繁海軍大尉だ。

「艦爆もようやく新しくなった」
「ああ、発動機で苦戦していたアレか」
「おう、アレよ」

 江草が指で示した先に、編隊を組んだまま着陸する機体があった。


 艦上爆撃機:彗星一一型。
 全幅11.5m、全長10.2m、全高3.2mと、特に全幅が九九式艦上爆撃機より小さくなった。
 これは翼面積にも影響し、約3割減している。
 航続距離も1,600kmに延び、作戦行動半径で足を引っ張ることもなくなっていた。
 また、引き込み脚を採用し、エンジン出力の増強も相まって最大速度が"520km/h"となる。
 防弾性も九九艦爆に比べれば上がっていた。


「ま、これでグラマンを振り切ってやるぜ」

 F4F-4の最大速度は510~520km/hと見られていた。
 確かに水平飛行での力比べならば彗星は逃げ切れる可能性がある。

「阿呆が。重い爆弾を抱えていればいいカモだろう」
「源田中佐・・・・」

 彗星の特徴として、五〇番(500kg)爆弾を搭載できることだ。
 当然、重い爆弾を抱えていれば運動性能は落ちる。

「おー、実。元気にしていたか?」

 淵田が懐かしそうに源田に声をかけた。

「しかし、今の発言、昔の戦闘機無用論の急先鋒とは思えへんな」
「古い話を。あれは宮様に諭されて捨て去った思考だ」

 源田が肩をすくめ、思い出したように空を見上げる。
 そこに零戦が飛んでいた。

「零戦も新型か・・・・」
「不満があんのか?」
「航続距離が短くなったからな」


 艦上戦闘機:零式艦上戦闘機三二型。
 全幅11.0m、全長9.1m、全高3.6mと二一型に比べて全幅が小さくなっている。
 翼形状変更、発動機換装、防弾装甲追加という大きな仕様変更の結果、最大速度と防弾性が向上していた。
 代償として航続距離がやや減少している。
 最大速度:"560km/h"(二一型"540km/h")、航続距離:"1,600km"(同"1,750km")。
 戦闘機の航続距離減は、攻撃機や爆撃機のそれより別の問題を生む。
 艦隊上空を守る時間が短くなり、直掩隊のやりくりが大変になるのだ。


「まあ、航続距離に関しては増槽で補うしかないな」

 三二型の航続距離減は機体重量の増加と言うよりも、燃料タンクの縮小(525リットル→480リットル)が主な原因だ。
 増槽をつければ航続距離は"2,650km"を確保しているので、問題ないと言えばない。

「結果的に見ればよかったと?」
「そうなるな」
「素直やないな」
「うるさい」

 同期故の気楽さで会話する淵田と源田。
 それをなんとなく眺めていた村田が源田に問うた。

「そう言えば源田さん、どうしてここへ?」

 「作戦前に第三艦隊司令部にいなくてよいのか」と言う言葉を呑み込む。
 誰もが作戦が近いことを知っていたが、そう簡単に発言できるものではなかった。
 会話による安易な作戦情報漏えいは、ミッドウェー海戦の敗因でもあるのだ。

「本国からお客さんが来るのでな。その出迎えだよ」

 そう言って、源田はちょうど着陸した輸送機版一式陸攻へ向かうために歩き出した。

「なんや偉いさんか?」
「・・・・大本営特務参謀様だよ」

 振り返らずに源田は淵田に言う。

「・・・・・・・・なんや嫌な予感するな」
「だろ? だから俺が迎えに来たんだ」

 ふたりの脳裏には真珠湾攻撃の時に同じ肩書きで乗り込んできた同期の姿が浮かんでいた。


「―――高遠信光中佐です。大本営特務参謀として第三艦隊に着任します」

 源田たちが迎えたのは「海軍中佐」の青年とその副官だった。
 まじまじとその中佐の顔を見たが、嘉斗ではない。

「ようこそ、第三艦隊へ。貴官は軍令部第三部所属と聞いている。是非、有益な情報をお教え願う」

 源田は敬礼で応じ、相手が手を下げる気配がないことで、自分が先任であることを悟った。

「して、そちらは?」

 高遠の後ろに控えている者に視線を向ける。
 そちらも「中佐」であり、特務参謀である高遠や源田と同階級だった。

「彼は私の補佐官です」
「補佐? 同階級なのに?」

 副官と言うのならば尉官が妥当だろう。

「階級こそ中佐ですが、彼は民間出身でして・・・・」
「ああ、学者様か」

 源田はそれで納得した。
 海軍は暗号解読や情報解析に民間技術者を雇用している。
 ただ軍属としてではなく、階級を与えて軍人として扱っている例もあった。
 高遠の副官はそうなのだろう。

(しかし、なんだ。なんとなく顔が分かりにくい気がする・・・・)

 源田は副官の顔を見るが、どうも認識しにくいという違和感が付きまとった。

「さあ、行きましょう。手土産というわけではありませんが、敵戦闘機の新戦術を調べてきました」
「ほう?」

 源田の意識が副官から逸れる。

「それはいい。ちょうどあそこに航空関係者が揃っている。そこで話してもらおう」

 源田が指差した先には相も変わらず新型機に見惚れる者たちがいた。

「貴官の情報がこれで最前線に伝えられるのだ」
「は、ははは・・・・」

 高遠はやや引き攣った笑みを浮かべながら副官を見遣る。
 相変わらず認識しづらい顔のまま、副官はため息交じりに肩を落とした。



 この日、アメリカ海軍のジョン・サッチ少佐が考案した通称「サッチウィーブ」が日本海軍の最前線に伝わった。
 これは対零戦戦術としてミッドウェー海戦から用いられていたが、遅ればせながら日本海軍はその対策に乗り出す。
 だが、その遅れも直接実戦部隊に情報が伝わったため、ベテラン勢のアイディアで解決することとなった。
 これは同時に編隊飛行の重要性を最前線指揮官・教官が理解したことでもあり、これより日本海軍航空隊は個人戦闘が激減していくこととなる。
 よって、サッチウィーブが忠実の戦果は限定的となった。




「―――危なかったですね」

 高遠は空母「翔鶴」の待機室に通されるなり、副官に向かって言った。

「・・・・はい」

 副官は発動していた魔術を解き、ため息交じりに返事する。

「まさか実がいたとは。それに美津雄も・・・・」

 「おかげで長時間眩惑魔術を使うことになりました」と呟き、備え付けの椅子に腰を下ろす副官。
 魔術を解いたその顔ははっきりと認識でき、それが高松嘉斗だと分かった。

「源田殿は大方"特務参謀"と聞いて確認に来たのでしょうね」
「だと思います。・・・・全く元戦闘機乗りだからか、勘は鋭いのだから」

 剣呑な光を眸に宿し、艦橋方向を睨む嘉斗。
 そんな姿がおかしいのか、高遠は苦笑しながら言う。

「仲がよろしいようで」
「・・・・腐れ縁ですよ」

 嘉斗は小さく反論した後、切り替えるように首を振った。

「なんにせよ、第三艦隊に潜り込みました」
「ええ。しかも、情報将校としてですからかなりやりやすい」

 派遣を承認した山本五十六も、情報不足で疑心暗鬼に陥ったミッドウェー海戦の戦訓を生かしたようだ。
 尤もまさか乗り込んだのが嘉斗だとは思っていないだろうが。

「僕は影に徹します」

 空気を震わすが、小さな音故に周囲には聞こえない。
 それでも"音を届ける"ことによって、高遠には聞こえた。

『承知しております、表はお任せください』

 対する高遠の声は空気を介さず、直接嘉斗の頭に届く。

「僕では遠く離れた者とやりとりはできませんが、あなたならできますからね」

 高遠は精神感応、いわゆる「テレパシー」と称される魔術の使い手だ。
 同様の魔術を使う仲間を駆使し、艦隊行動中も情報を得ようという試みだった。

(成功するかどうかはわかりません。ですが、成功すれば無線封止状態でも外部とやりとりができます)

 これは非常に大きなアドバンテージとなるが、米軍もやっていないとは限らない。
 考え得ることはやる。
 それが総力戦を勝ち抜くために必要な心構えだと、嘉斗は考えていた。










第61話へ 赤鬼目次へ 第63話へ
Homeへ