政財界のテコ入れ


 

 第二次ソロモン海戦の戦略・戦術的敗北。
 それは日本軍に多大な衝撃を与えた。
 海軍は「龍驤」の喪失と過剰とも言える護衛をつけた船団の輸送に失敗。
 陸軍は一木・川口支隊のガダルカナル島奪還の失敗。
 海軍はこれまで戦略的で破れようとも、戦術的には勝ちもしくは引き分けに持ち込んできた。
 珊瑚海海戦では、ポートモレスビーの攻略に失敗したが、空母「レキシントン」を撃沈。
 ミッドウェー海戦では、ミッドウェー島の攻略に失敗したが、空母「ホーネット」を撃沈。
 第一次ソロモン海戦では、ガダルカナル島の上陸作戦を阻止できなかったが、重巡4隻を撃沈。
 だが、第二次ソロモン海戦では敵の喪失艦はゼロと考えられていた。
 誰が何と言おうとも敗北なのだ。

 この敗因を整理した結果、以下の要因が示された。
・第二艦隊と第三艦隊の連携不足
・航空隊の訓練不足
・船団護衛における防空能力不足
 これらを解決するには訓練が必要だった。
 開戦時の日本海軍は世界有数の練度を誇っていた。しかし、相次ぐ戦闘による損害、人事異動、新造艦の就役がそれを下げている。
 それぞれ対策を講じているが、抜本的な解決方法はただひとつだった。






高松嘉斗side

「―――訓練しろ。月月火水木金金」

「曜日感覚が狂いそうですね。最後の金曜日にはカレーでも出しますかね~」
 1942年9月1日、軍令部第三部の一室で嘉斗と亀は顔を合わせていた。
 厳しい訓練を思い出して遠い目をする嘉斗。
 その横で「カレー食べたい!」と娘が目を輝かせるが、亀は無視。
 娘の視線が嘉斗に向くが、どうしようもないとばかりに肩をすくめる。
 すると、娘は呆れたようにため息をついた。
 何故か胸が痛い。

「しかし、新兵の訓練も厳しく行っていますよ」

 内地に運ばれる重油を陸海で分け合い、できうる限りの航空燃料を訓練に回している。

「でも、足りない」
「それは・・・・そうですね」

 どうしても作戦に使用する航空燃料が最優先であり、訓練用の燃料は不足しがちだ。
 最近では座学も多く取り入れている。
 確かに敵航空機の特徴や戦術理解は必要なのだが、やはり飛行機乗りは飛行機に乗らなければ育たない。

「燃料が足りなくなるから戦争を始めたのに、それでも足りない燃料」

 取りようによっては痛烈な政策違反だが、事実だ。

「だから解決策を持ってきた」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?」

 海軍高官だけでなく、政府重鎮をも悩ませる問題を解決するという。
 見れば部屋にいる大半が耳を疑い、目を見張っていた。

「亀、大丈夫―――いたいいたい!?」

 思わず額に手を当てて熱を測った嘉斗の手をへし折ろうとする妻。

「亀って言うな」
「怒っているのはそっちなんですね!?」

 「てっきり正気を疑われた方かと」と呆れる嘉斗の手を取る娘。

「ん? お父さんと手を繋ぎた―――いったぁッ!?」

 子供故の手加減のなさで母以上に本気で父の手をへし折ろうとする娘。

「霞耶、止め」

 母に言われ、しぶしぶと手を離す娘。
 その際の名残惜しげな視線をもっと別な場面で受けたかった。

「で、航空燃料の話ですが・・・・」

 赤くなった手をさすりながら話を戻す。

「バリクパパン製油所の油を使えばいい」

 バリクパパン製油所。
 ボルネオ島東岸に位置しており、戦前から多くの日本人技師がオランダ統治の下で働いていた。
 開戦から1か月後に発動した蘭印作戦にて占領されたが、連合軍によって破壊される。
 最近ようやく復旧して石油生産を開始したが、まだまだフル稼働には程遠い。

「あそこの石油を日本に持ってきてから使用するなど愚の骨頂」
「バリクパパン精油所で製造した航空燃料を、その場で使用しろと?」
「もちろん、全量日本に持ってくるなとは言わない」

 亀はふたりの間に置かれた世界地図を指差した。

「日本産業を支えるにはパレンバンで十分。バリクパパン製の油は海軍が使えばいい」

 日本の年間石油消費量は約600万キロリットルである。
 戦前における蘭印の生産量は約800万キロリットル。
 蘭印主力油田であるパレンバン油田だけで日本の消費量を賄えたという。

「それではダメですよ。陸軍も使うんですから」

 そもそもパレンバンを管理しているのは陸軍だ。
 南方油田の内、生産量比で言うと8割以上が陸軍の管轄だった。
 陸海が管理するこれらの油田は内地に運搬されてそれぞれの比率に応じて再分配される方式である。
 再分配割合では軍民で争い、その後に陸海で争っていた。
 この陸海の交渉カードに、油槽船割り当て(海軍担当)を使っている。
 結果として、産油地に油槽船が到着しないなど、運営上の問題も発生していた。

「そんなことをしているから油がない」
「・・・・おっしゃる通りで」

 海軍は艦隊決戦における燃料消費量を約50万キロリットルと想定していた。
 実際に海軍戦力の大半をつぎ込んだミッドウェー作戦では、約60万キロリットルを消費したという(アリューシャン方面を除く)。
 これで著しく燃料備蓄を消費した。
 現時点の海軍割り当て比率では海軍はろくに動けない。
 これが訓練燃料不足にも繋がっていた。

「だから、政策を変えてバリクパパン製燃料は全て海軍支給にすればいい」
「それができれば確かに燃料事情は好転しますね」

 政策を変えるなど軍の立場からはできない。だが、軍事行動に直結する政策変更も政府の立場からはできない。
 結局、両方が踏み込めず、放置されてきた問題だった。

「それをやってみせよう」
「お~、政財界からの働きかけですか」

 内地に運んで再分配されるのは民間も同じだ。
 海軍と民間が主張すれば陸軍も折れてくれるだろう。

(折れないなら"有栖川"の権威を使うつもりですね)

 ここぞという時に使うのが皇族の血であり、その血筋を主張することに、嘉斗も亀も躊躇しない。
 他の皇族や側近は命に関わるといい顔しないが、どちらにしろ命に関わるならやってしまえ、というスタンスである。

「さらに航空隊の訓練部隊をボルネオに移せばいい」
「・・・・さすがに教育部隊全てを移すのは無理ですが」

 嘉斗は顎に手を当てながら考え込んだ。

「実用機訓練部隊ならば外地に展開も可能ですかね・・・・」

 航空兵は教育部隊で海軍入隊から実戦配備まで一貫して育成される。
 練習機による飛行訓練と実戦機による戦技訓練とでは、受けている航空兵のレベルは段違いだ。
 戦地に近い飛行場状態で訓練すれば、実戦部隊でも馴染みやすいだろう。

(蘭印は治安的にも安定していますし)

 今村均陸軍中将の軍政効果だ。
 海軍も彼の方針に同調しており、南方戦線に近い場所での重要な安息地となっていた。

「分かりました。"僕"の方から海軍上層部に話を通しておきましょう」

 一人称に力を入れたのは、嘉斗も皇族として動くと宣言するためだ。
 その言葉に聞き耳を立てていた者たちが声にならないざわめきを発した。
 嘉斗が皇族として動く場合、その意見を断れる者は今の上層部には少ない。
 多少時間がかかるかもしれないが、まず間違いなく錬成部隊の一部はボルネオに展開するだろう。

「おまけに僕がそこの教官になれるようねじ込んでおきましょう」
「ダメ。ひろ様はここにいること」
「だめー」

 嘉斗の足に娘が抱き着いた。

「よくやった。このまま家に連れ帰る」
「ちょっと!? 僕にはまだ仕事が残っているんですけど!?」

 座っているのに足を引っ張られ、椅子から転げ落ちそうになっている嘉斗が声を上げる。

「ダメ。今日の目的はこれ」
「油の融通は!?」
「ついで」

 「国家戦略がついで!?」と驚く他の職員を尻目に、娘と逆の足を持った亀が歩き出した。

「ちょ、引きずらないでくだ――アタッ!?」

 床に引き倒され、そのままズルズルと引きずられる嘉斗はそこかしこに体をぶつける。
 その悲鳴を聞き流し、亀は部屋の入り口で振り返った。
 部屋の中にいた職員が思わず体を震わせる中、亀は優雅に一礼する。

「それではごきげんよう」

 頭を上げると同時に足ですくい上げるようにして夫を立たせた亀は、唖然とする職員を放置して帰路に着いた。






重慶爆撃scene

『―――まもなく重慶上空。各機、警戒を厳とせよ』
「ほおら、よく見張れよ」

 嚮導機からの無線に、彼――佐藤謙太郎飛行兵曹長は周りに声をかけた。

(しっかし、こんなところにいるとはな)

 1942年9月27日、中国大陸重慶。
 南京を脱出した蒋介石によって首都宣言されており、国民党と共産党が支配する一大拠点だ。
 重工業地帯でもあり、戦線を支えるための兵器生産も行われていた。
 このため、日本軍は空爆でこれを下そうと、何度も爆撃隊を投入している。

「機長、誤爆するなよ?」
「分かってます」

 本日の空爆を担当するのは日本海軍の基地航空隊だった。
 爆撃担当は一式陸上攻撃機、護衛は零式艦上戦闘機だ。
 一式陸攻は二二型が、零戦は三二型が最前線に配備され始めているが、重慶攻撃隊が保有しているのは開戦時の主力である一一型と二一型である。

「対空砲火・・・・ッ」

 機銃員が震えた声を発し、編隊周辺に砲弾が弾け出した。

「落ち着け! 捉えられないように小刻みに機体を揺らせ」
「はい!」

 "教官役"である佐藤(副操縦士)が指示し、正操縦士(機長)が応える。

(しかし、中央も無茶をする・・・・ッ)

 南方戦線を経験したベテランのパイロットである佐藤は、1週間前に下った命令を反芻した。




「は? 漢口へ進出? 転属ではなく?」

 9月20日、横須賀航空隊の教官である佐藤は上官である中尉に呼び出された。そして、挨拶もそこそこに告げられたのは中国大陸の漢口飛行場への進出だったのである。
 佐藤がいるのは訓練部隊であり、部隊ではなく、佐藤自身の転属ではないかと思った。
 それに対し、上官は首を横に振る。

「違う。実戦機訓練段階にあり、実戦を経験させてもいい者たちで臨時部隊を編成。これを率いて漢口へ行くんだ」
「・・・・は?」

 佐藤が間抜けな声を返すと、中尉はやや苛立ったように言った。

「つまりひよっこたちの選りすぐりを実戦部隊に編入するんだ!」
「はぁ!? ここは教育部隊ですよ!?」
「んなこったぁ分かっとる!」

 佐藤たちが動揺するのも無理はない。
 実戦で使い物にするために教育しているのだ。
 その途上にあるものを戦地に送るなど、考えられない。
 いや、考えられるとすれば、そこまで戦況が逼迫しているということだ。

「せ号作戦みたいな要請ではないんですか?」

 陸軍のせ号作戦にも海軍航空隊は投入されている。
 この時の編成は新米パイロットばかりだったが、教育課程が修了した者たちで構成されていた。
 ここで貴重な実戦経験を得た彼らは今や最前線で活躍している。

「中国戦線・・・・陸軍さんがヘマしたので?」

 太平洋戦争勃発以来、海軍は中国戦線から航空部隊を引き抜いた。
 特に重慶爆撃を実施していた零戦、陸攻部隊を転属したことは、中国大陸の航空戦において一大転機となっただろう。
 陸軍が持つ戦闘機で重慶攻撃に随伴できるのは一式戦闘機のみ。
 最新鋭であり、ビルマ戦線も抱える陸軍に、重慶攻撃ができるほどの機数を揃えられていない。
 よって、重慶攻撃はかなり下火になっていた。
 抜け目ない中国軍が戦力を回復し、中国沿岸部に対して攻勢に出ていてもおかしくない。

「いや、そうじゃなく、訓練の一環だそうだ」
「ん?」

 佐藤の反応がいまいちなので、中尉は再度念を押すように言った。

「敵航空隊の脅威が小さい中国戦線において、実戦を経験させるために、敢えて実戦機訓練部隊を投入。実戦を経験させることで彼らの実戦配備を早める、だそうだ」
「はい?」

 それでも反応は鈍かったが、中尉は諦め、佐藤を呼び出した本題をもう一度言う。

「そこでこの横須賀航空隊の選りすぐりを率い、佐藤には漢口に行ってもらいたい」
「んぅ?」

 体ごと大きく首を傾げる佐藤を、中尉が思い切りひっぱたいた。

「物分かりが悪いな!」




「―――嚮導機、爆撃進路に入ります」

 通信員の言葉に佐藤は我に返った。

「おう」

 見れば対空砲火が下火になっている。
 低空より侵攻した陸軍航空隊が持つ九九式軽爆による攻撃のおかげだろう。
 双発機なのに急降下爆撃が可能な機体であり、海軍も導入を開始した高性能機だ。

「機長、編隊を崩すなよ、爆撃効果が得られないからな」
「はい」

 嚮導機は実戦経験者のベテランが務めている。しかし、追随する23機の陸攻は全て訓練部隊の新米だった。
 爆撃も素人が効果を出しやすい大編隊水平爆撃だ。

(結局、敵機は出てこなかったか)

 先に陸軍航空隊が航空撃滅戦を実施した関係か、迎撃機はいない。
 最高の爆撃条件で投下できる。

(他の戦線じゃあこうはいかないな)

「投下!」

 事前の空撮と現地の諜報活動の結果、軍需用と判断された工場群へ九七式六番爆弾を放った。
 1機当たり12発を搭載しており、計288発が工場群へ落下、爆発する。
 爆弾が軽いため、やや風に流されたものもあったが、全弾が工場群へ落下した。
 敵戦闘機がいた場合、爆撃高度をもっと上空にしなければならない。
 しかし、中国軍の航空部隊は不活発であり、日本軍は最適な高度で爆撃できた。

(これを知っているから俺たちを投入したのか・・・・?)

 燃え盛る工場群を背後に上昇する陸攻隊の中で、佐藤が思う。

(俺たち下々には分からない、政治って奴が働いているのかもな)

「機長、帰投する。遅れるなよ」

 嚮導機が翼を振って機首を東へ向けた。
 ほぼ初陣の兵で構成された攻撃隊の喪失機なし。
 それが今日の空襲における一番の戦果だった。






 1942年9月10日。
 政府および陸海軍、民間代表者が集った会議で、石油運送及び使用配分の改正が行われた。
 これは改正を主張した高松亀率いる政財関係者(政府・民間)と高松嘉斗に動かされた海軍が事前に結託した出来試合である。
 それでも陸軍代表は粘り、海軍から譲歩を引き出した。
 それが海軍航空隊の中国大陸への展開だ。
 確かに中国空軍は弱体化したままであるが、日本陸軍も爆撃機不足で重慶工場群への攻撃が疎かになっている。
 今こそ中国を叩くべきであり、そのために海軍の航空隊を望んだ。
 海軍は重慶への諜報活動の結果、訓練部隊の投入を決定。
 横須賀航空隊を投入したのだった。

 なお、中国空軍の活動が不活発な理由は、援蒋ルートによる物資量にある。
 忠実ではアメリカ、イギリス、ソ連がこれらの維持に当たったが、この物語ではイギリスは消極的だった。
 理由は蒋介石だけでなく、共産党への援助だったからである。
 イギリスの反共は欧州戦線での敵の敵であるにも関わらず続いていたのだ。
 結果として、ビルマ・インドルートの維持および輸送はアメリカ軍が担当していた。
 インドに間借りしたアメリカ軍から送られる物資量では、中国空軍を回復させるほどの物資を運べなかったのである。
 また、度々輸送計画が露呈し、上空で日本陸軍機の迎撃を受けることもあった。

 アメリカ軍が反撃を活発化させた太平洋戦線はともかく、インド洋戦線におけるイギリス軍の動きはまだまだ鈍い。
 それは北アフリカ戦線においてエル・アラメインの戦いと一大作戦の準備をしていたからだった。
 その一大作戦を「トーチ作戦」と言う。
 これにより、欧州戦線は大きな転機を迎えようとしていた。









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