ガダルカナル島の戦い -開戦
ニューブリテン島。 日本の九州とほぼ同じ面積を持つビスマルク諸島最大の島であり、その形状は三日月のように湾曲している。 島内にはウラウン山、タブルブル火山、ブルカン火山、ダカタウア火山などの火山が展開し、今でも火山活動が盛んだった。 また、ガセル半島東側――シンプソン湾は天然の良港であり、1910年にドイツが町を建設している。 これが同地方における日本軍有力拠点――ラバウルだった。 ラバウルは中部太平洋における最大拠点――トラック島の南方に位置し、トラック島防衛のためには是が非でも占領する必要があった。 第一次世界大戦の結果、同地の支配権はオーストラリアが得ていたが、日本軍は1942年1月23日に占領。 2月20日には小規模な海空戦であるニューギニア沖海戦が勃発。 日本軍は大損害を受けたが、米豪軍は本格的な奪還作戦は行わなかった。そして、日本軍は防衛・基地化のために多数の軍人・軍属が駐屯させる。 ここを基地とし、ニューギニア島の攻略作戦を開始。 3月に海軍特別陸戦隊がサラモア、ラエに上陸し、同地域の豪軍最大拠点のポートモレスビーとラバウルは熾烈な航空戦を展開した。 一方、ソロモン諸島方面はガダルカナルを最前線に、ツラギ、"ブーゲンビル"に基地を建設中である。 この方面は今のところ平穏だった。 ―――そう、今のところは。 ラバウルscene 「―――あちぃ~」 1942年8月6日、ニューブリテン島ラバウル日本海軍基地。 そこに造成された飛行場脇で、ひとりの将校が汗を拭っていた。 台南海軍航空隊司令――斎藤正久海軍大佐。 後に構成される「ラバウル航空隊」の中核をなす航空隊の司令官だ。 空母勤務も経験するなど、根っからの航空屋だった。 「どうだ、新型は?」 「まあまあですな」 斎藤の質問に答えたのは、副長の小園安名中佐。 ふたりとも日光避けにパラソルを立て、その下にござを敷いて寝転んでいる。 休んでいるのではなく、上空で訓練飛行する航空機を観察していた。 「搭乗員の奴らはやれ燃料が少ないだの、重いだの言うとりますが」 「まあ、事実ではあるな」 ふたりが見つめるのは、海軍主力戦闘機バージョンアップ版である。 4月に制式化され、先日ラバウルに届いた最新鋭機だった。 「三二型、か・・・・」 零式艦上戦闘機三二型。 全長9.12 m、全幅11.00 m、全高3.57 m、翼面積21.54 m2。 正規全備重量"2,608"kg、翼面荷重"121.08" kg/m2。 二一型よりも翼が短くなったことが特徴的である。 また、防弾装甲が付けられ、重くなっていた。 しかし、発動機が栄一二型から二一型に変更され、公称馬力が"1,000"hp→"1,150"hpに増強されている。 このため、"540"km/hから"560" km/hに増速していた。 一方で燃料搭載量が減らされ、航続距離は"1,750"kmから"1,600"kmに減少している。 増槽を付けた過荷状態でも減少しており、作戦行動半径は小さくなっていた。 「航続距離減少を母艦隊が嫌がった結果、新型がこっちに来たわけだがな」 斎藤の言葉に小園が頷く。 「島のように動かないならばともかく、空母は動きますから。航続距離は命のろうそくの長さに匹敵しますしな」 自慢の口ひげを撫でる小園。 「だが、新型ではポートモレスビーまで届かん」 ラバウル-ポートモレスビー間は約600 km。 三二型の作戦行動半径は約500 kmとなろう。 増槽をつけないと攻撃できない。 毎回毎回増槽を付けていては、燃料タンクを捨てるのがもったいない。 「ラエの基地化を急がなくてはな」 「ソロモン方面にも、ですぞ」 日本海軍は正規の基地設営部隊を保有していた。 当初は政府や海軍省の大反対を受けたのだが、トラック島やパラオ群島といった内外洋の島々に拠点を設ける時に必要だと軍令部がごり押ししたのである。 結果、"1934年"に各鎮守府に海軍設営隊が発足。 設営隊は約1,000人規模で、当初は鎮守府ごとに1部隊だったが、開戦準備開始以降に徐々に拡張されていた。 平時は人員の大半が軍属だったが、海戦後に軍人主体の甲編制が生まれている。 また、機械化も進み、隊内配備数も大幅に増加した。 設営当初はアメリカ製中古重機を導入していたが、国産化の要望の結果、1941年に国産ブルドーザを投入している。 それが小松1型均土機(G40)だった。 元々は陸軍が要望を出し、これに海軍が乗っかった形で完成した陸海共同開発兵器である。 その仕様は以下の通りである。 本体:全長3.760 m、全幅1.918 m、全高1.850 m、運転整備重量5.5 t。 ブレード:全幅1.80 m、高さ0.75 m。 エンジン:4サイクル4気筒水冷ガソリンエンジン、50 HP / 900 rpm。 このG40の投入により、それまで人力で頼っていた作業が機械化され、ひとつの設営隊で複数箇所の作業ができるようになった。 この結果、ソロモン方面ではブーゲンビル島を主力とし、分遣隊がガダルカナル島で作業しているのである。 目的は航空基地の建設だった。 「しかし、海軍設営隊の概念は誰が考えたのだろうな」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 斎藤の言葉に小園が沈黙する。 「建設機械が多いと、仕事にならないだろうに」 建設機械が必要になる道路建設等は元々失業対策の公共事業だ。 建設機械が投入されると必要雇用人数が減少し、失業対策にならない。 「アラスカ開発で刺激を受けたのでは?」 関東大震災における復興予算を集めるために実施されたアラスカ開発代行。 極寒地であるアラスカに日本人労働者を送り、現地の開発に寄与したのである。 この見返りに日本はアメリカから資金を得ていた。 そして、実際に派遣された役人や企業の重鎮たちはアメリカの機械力に驚いたはずである。 だが、普通はそれが軍に伝わることはない。 「宮様、だな」 「ん? 何か言ったか?」 「いえ」 斎藤に首を振り、小園は視線を零戦三二型に戻した。しかし、その思考は別のことを考えていた。 (あいつの奥方は経済界の重鎮に顔が利く。宮様本人もな) そこで機械化のアイディアを受け、それとなく軍令部を動かしたのだろう。 実際には伏見宮殿下を動かしたに違いない。 (相変わらず恐ろしい先見の明だ) と言っても、嘉斗が開発したわけではない。 他でしていることを導入したに過ぎない。 (あいつは本当に血筋が持つコネを最大限に活用しているな) 小園は試験飛行を終え、着陸態勢に入った三二型を見遣った。 着陸態勢は安定しており、初心者でもうまく扱えているようだ。 (ジャクが増えたが、この機体であれば生存率は上がりそうだな) 度重なる実戦による損耗や配置転換の結果、精鋭として設立された台南空も初心者が増えた。 だが、パイロットは初めからベテランではない。 何度も出撃することで成長していくのだ。 初心者が生還するには、本人の腕以上に機体性能がものを言った。 (航空機は消耗品、それに付随して操縦士も消耗品、か・・・・) かつて、嘉斗が言ったという言葉を、より過激な言葉で反芻する小園。 「小園?」 立ち上がった小園を訝しげに見上げる斎藤。 「次は俺だ! 整備員、すぐに準備しろ!」 そう叫びながら滑走路脇へと走り出す。 「な!?」 「司令はお休みください。私が直接乗り心地を確かめて参ります!」 「貴様、ズルいぞ!?」 話を聞いていた周りの飛行場大隊の兵がずっこけた。しかし、航空隊の人員は訳知り顔で笑っている。 航空屋は幹部になろうとも航空屋。 飛行機大好き野郎なのだった。 開戦scene 1942年8月7日午前3時、南太平洋ソロモン諸島沿岸。 ここをウォッチタワー作戦に参加するアメリカ海軍艦艇が航行していた。 今のところ日本軍に発見された気配はなく、作戦は奇襲になると予想されている。しかし、ミッドウェー海戦で押し返したとは言え、日本軍は強力だった。 この作戦の成否は上層部でも低いと思われている。 それでもアメリカ海軍はなけなしの艦艇をつぎ込んでいる。 戦艦「ノースカロライナ」。 空母「エンタープライズ」、「サラトガ」、「ワスプ」。 重巡「ミネアポリス」、「ポートランド」、「サンフランシスコ」、「ソルトレイクシティ」。 これらを基幹とする26隻の空母部隊(フレッチャー中将指揮)。 輸送艦23隻、巡洋艦8隻、駆逐艦15隻、掃海艇5隻からなる上陸部隊と支援部隊(ターナー少将指揮)が、そのなけなしの艦隊である。 総計77隻。 これがなけなしなのかは議論の余地があるが、アメリカのメンツを守るために投入された部隊だった。 上陸地点は2カ所。 この地点に投入される兵は海兵隊第1海兵師団の約19,000名である。 「―――いいか、貴様ら」 輸送艦の中で、ひとりの男が居並ぶ兵を前に訓示を開始した。 彼の名はアレクサンダー・ヴァンデグリフト。 少将としてこの海兵師団を率いる司令官だ。 身長172 cmとアメリカ人にしては小柄だが、青い目とふたつに分かれた力強い顎からひ弱な印象は受けない。 上陸作戦の要綱作りに参加したこともあるエリートだった。 「この作戦は我らが合衆国にとって、栄えある初の反攻作戦である」 彼はヴァージニア訛りで語りかける。 「海軍は2ヶ月前にミッドウェーで卑劣な日本軍を押し返した。我々は今日、その日本軍に対して大きなくさびになる」 第1海兵師団は、1941年2月に編制された、比較的新しい部隊である。しかし、アメリカ海軍が陸軍の援助なしに展開できる強大な陸上部隊だった。 この乾坤一擲とも言える作戦の要を任されるのにふさわしい。しかし、編制後の初の実戦投入が日本軍とあり、兵たちは緊張していた。 フィリピンやインドシナ半島の米英陸軍がなすすべもなく敗北したという事実は、海兵隊にとって重い。 やはり陸軍は陸戦のプロフェッショナルである。 それが敗北した相手に挑むのだ。 「最後に、私のモットーを伝えて、訓示とする」 その不安を感じつつも、ヴァンデグリフトは力強く言い放った。 「我が海兵隊には、『降伏』という伝統はない!」 「「「オオッ!!!」」」 合衆国の勝利のため、我らが嚆矢となる。 「祖国のため」を旨に集った精鋭たちは、訓示に力強く応じた。 8月7日午前4時、ソロモン諸島ガダルカナル島。 ここには日本海軍基地設営隊の第11設営隊、第13設営隊、第18警備隊が展開していた。 一部の設営隊はブーゲンビル島にいたため、総勢2,000ほどである。 ここに、アメリカ海軍が艦砲射撃で襲いかかった。そして、その後にテナル川付近に上陸、ルンガ川東岸の飛行場確保に向けて突撃する。 上陸したのは約1万900人。 全てが戦闘部隊だったのに対し、日本軍のそれは500名ほどだった。 「――― いったい何があった!?」 飛行場地区に展開していた第11設営隊隊長・門前鼎大佐は砲撃音に慌てて目を覚ました。 「敵襲です。それに少数ではないです」 従兵が答える。 そんなことは百も承知だが、門前は従兵のやや落ち着いた声に冷静さを取り戻した。 「ラバウルへ通信は?」 「しています」 「上空支援は得られるのはずいぶん後になるな」 今飛び立ったとしても、到着は2時間以上かかるだろう。 「くそ、だから、岡村と一緒に早く航空隊を送れと言ったのに」 滑走路は完成している。 掩体などの整備設備は建設中だが、戦闘機程度ならば進出できたはずだ。 戦闘機のあるなしは、ウェーク島の戦いで日本海軍は体験していた。 「飛行場さえ守り切れば何とかなる!」 門前はそう判断し、徹底抗戦を命じる。 米軍側も慣れぬジャングルに攻め手を欠き、ルンガ川東岸の戦闘趨勢が決するのに数時間を要した。 重機と投入してまで抵抗した第11設営隊が飛行場を放棄したのが午後1時。 その時に門前が掌握していた兵は200ほどである。そして、そこから過酷な撤退戦が待っていた。 「―――門前大佐、ご無事で」 「・・・・・・・・ああ、岡村か。どうにかな・・・・」 第13設営隊隊長・岡村徳長少佐は、ドロドロに汚れた第11設営隊隊長・門前鼎大佐と合流した。 第11設営隊は数十にまで減少している。 「すみません・・・・」 早朝から始まった戦いに、岡村はルンガ川を防衛線と設定し、第11設営隊を助けるために東岸まで出なかった。 このため、第11設営隊は多くが戦死し、残りはジャングルをさまよっているのだろう。 「いい、判断は正しかった。この部隊が来ても結果は変わらなかっただろう」 「・・・・相手は米軍ですか?」 「ああ。敵の上陸地点はテナル川付近。今はルンガ川東岸一帯が占拠された」 門前も戦いつつ情報収集し、偵察兵の結果からこの情報を得るに至っていた。 「飛行場が落ちましたか・・・・」 ルンガ川を挟み、東岸地区(飛行場含む)に第11設営隊が、西岸に第13設営隊と第18警備隊がいた。 敵の上陸ポイントから近いのは第11設営隊であり、奇襲によって壊滅。 飛行場も奪取されている。 「敵の数は?」 第18警備隊の隊長が質問した。 いざ戦うのは彼らなのだ。 「分からん。ただ、数百ではないはずだ」 支援部隊とは言え1,000名近い第11設営隊が壊滅したのだ。 少数なわけがない。 「・・・・奪還に出ない方がいいですね」 「そうだろうな」 岡村は空を見上げた。 敵の航空機はいないが、味方の航空機もいない。 上空支援がなければ、圧倒的に不利である自分たちに勝ち目はなかった。 「とりあえず、持久に入ろう」 「それが良いかと」 門前の判断に岡村も異論はない。 すぐに麾下の兵と共に後方へ移動、陣地構築を始めさせた。 同日、ガダルカナル島の対岸に位置するツラギ島にも米軍1,500名が上陸していた。 展開していた日本軍は偵察部隊の飛行艇隊(横浜航空隊が主力)400名だった。 日本軍は抵抗したが、圧倒的兵力差の前に夕刻に壊滅する。 だが、この時に敵情の報告に成功していた。 戦艦一、巡洋艦三、駆逐艦十五、輸送艦多数。 この情報を下に、ラブウルの第八艦隊は反撃を開始する。 零式艦上戦闘機17機、一式陸上攻撃機27機を敵上陸部隊攻撃に投入。 巡洋艦を中心とする水上艦艇の殴り込み作戦を発動した。 世に言う、第一次ソロモン海戦である。 ここに日米が血で血を洗い、お互いの航空機と艦艇を沈めに沈めた戦い。 ガダルカナルの戦いが勃発した。 |