地中海の戦い
日米軍が太平洋で殴り合っている中、欧州戦線でも大激闘が交わされていた。 東部戦線では1942年6月28日より独軍がブラウ作戦を発動。 第一段階でドン河湾曲部西岸のソ連軍を撃破・渡河点の確保。 第二段階でボルガ河西岸に到達すること、コーカサス半島を南下してバクー油田の占領。 将軍の間では反対意見が多かったが、ヒトラーが押し切った。 一方、「地中海の戦い」と呼ばれる北アフリカ戦線では独伊軍による攻勢の結果、6月21日にトブルクが陥落する。そして、エル・アラメインの戦いが勃発していた。 だが、R.E.S.T.ではさらに戦局を揺るがす大作戦が、"伊軍によって"実施される。 それが、マルタ島攻略作戦だった。 欧州戦線scene 「―――砲撃、開始!」 1942年7月3日、地中海マルタ島沖。 イタリア海軍戦艦「ローマ」が砲撃を開始すると、続く僚艦の「リットリオ」、「ヴィットリオ・ヴェネト」も砲撃を始めた。 15インチ砲連装3基計6門を搭載する、イタリア海軍最新鋭戦艦ヴィットリオ・ヴェネト級。 三大海軍国が保有する16インチ砲には口径的に及ばないが、長砲身・高初速から来る威力は、16インチ砲に匹敵する。 そんな欧州列強海軍最高水準の砲弾が、最初から一斉射撃で飛んでいく。 それは数十秒後にマルタ島へ着弾、閃光と共に爆発し、その威力を見せ付けた。 『第三次直衛隊、上空に到達します!』 「よーしよし」 見張り員の報告にアンジェロ・イアキーノ海軍中将は満足そうに頷く。 「やはり自前の航空隊はいいな」 イタリア海軍は空軍との連携不足を突かれてイギリス海軍に苦杯を舐めさせられてきた。 だが、それもこれまでである。 イタリアは極東の同盟軍の支援を受け、航空母艦を就役させていたのだ。 開戦に伴うドタバタで航空隊の訓練が遅れてしまったが、これでイギリス海軍に対抗できる。 敵となるイギリス空母は「アーク・ロイヤル」、「グローリアス」がドイツ海軍に、「ハーミーズ」、「インドミダブル」が日本海軍によって撃沈されていた。 残るは「イーグル」、「イラストリアス」、「フォーミダブル」、「ヴィクトリアス」、「アーガス」の5隻だ。 「イラストリアス」は現在マダガスカル島攻略作戦に従事。 「ヴィクトリアス」、「イーグル」は本国艦隊所属でイギリス本島に配備。 「フォーミダブル」が地中海艦隊に所属していた。 つまり、イタリア空母の当面の敵は「フォーミダブル」である。 (彼の空母はイラストリアス級。装甲空母、か) 装甲空母とは、飛行甲板を装甲化した空母のことだ。 脆弱である飛行甲板を強化することで敵の爆撃に耐えることができた。 一方で格納庫が1層のために搭載機が少ないのが弱点だ。 基準排水量的に大型空母なのだが、搭載機数は小型~中型空母レベルだ。 日本海軍の空母「龍驤」の拡大改良型であるイタリア海軍空母と、搭載機数はほとんど変わらなかった。 「これで機体が国産だったら文句はないのですが」 「・・・・それは仕方がないだろう」 副官のボヤキに顔をしかめながら応じる。 「Bf109T。メッサーシュミットの艦載機版、か・・・・」 艦隊上空を旋回する戦闘機を見上げながら呟いた。 揺動する飛行甲板に着艦するために延長された主翼が特徴的だ。 延長したことで翼面荷重を下げることが目的だった。 さらに増えたスペースに燃料タンクを増設することで、航続距離が増加するという嬉しい結果もある。 メッサーシュミットの航続距離不足はバトル・オブ・ブリテンの敗因のひとつだ。 それが少しでも改善したというのは喜ばしい限りだった。 「爆撃機もドイツ製ですが・・・・戦争なのですから仕方ないですね」 ドイツとイタリア。 両海軍で運用する空母の数はイギリスには及ばない。 ならば艦載機もそれぞれ独自開発・生産するよりも共同生産にした方が安上がりだった。 何より運用実績の積み重ねが早い。 それは切れ目ない艦隊直衛に繋がっていた。 「航続距離は増槽で伸ばしているから1時間は艦隊上空にいられるな」 効率的に考えるのならば、空母と行動を共にするのが良いのだろうが、マルタ島からの空襲の危険性を考えると後方に待機しておいた方が良い。 イタリア空母はイギリス空母ほどの抗耐性はないのだから。 また、イタリア空母の元となった日本海軍空母「龍驤」は岸に近づきすぎ、中国空軍から痛い一撃をもらったことがある。 中国空軍とは比べものにならないほどの練度を持つイギリス空軍に襲われるのは避けたかった。 (マルタ島航空隊もシチリア島の航空隊が押さえ込んでいるが・・・・用心することに超したことはない) マルタ島。 イタリア、シチリア島の南93kmに位置し、面積は246平方kmと狭い。 主要都市は島東部に位置する港町――バレッタ。 1565年のマルタ大包囲戦が終わってから建設された計画都市である。 この都市と飛行場を占領して周辺の制空・制海権確保が戦略目的だった。 このための海空支援がイアキーノたちの戦術目的である。 「予定弾数まで後5斉射」 「予定通り射撃止め、その後航空隊に効果確認をさせろ」 「はっ」 今のところマルタ島航空隊による妨害はない。 昨日のドイツ空軍による猛爆撃の被害から立ち直っていないのだろう。 (陸軍よ、頼むぞ?) 圧倒的に優勢なイギリス海軍に対し、イタリア海軍は油事情もありながら奮戦している。 そうして繋いでいた北アフリカへの補給路だが、最近はマルタ島のイギリス空軍の活動で制限を受けていた。 冬の間にドイツ空軍がシチリア島からマルタ島を抑えていたが、独ソ戦の悪化でそれも敵わなくなりつつある。 このため、イタリア軍主導でマルタ島攻略作戦が発動した。 主力はイタリア海空軍。 補助としてドイツの空挺部隊が投入されるが、それは北部のゴゾ島へだ。 マルタ本島攻略はイタリア陸軍が担当する。 「見張りを厳とせよ! イギリスはマルタ島を諦めていないからな!」 航空作戦による締め付けで、マルタ島の物資は大きく欠乏した。 結果、イギリス軍はヴィガラス作戦とハープーン作戦を6月に実施している。 それは大規模輸送作戦であったが、察知していた独伊軍によって阻止されていた。 だが、イギリス軍が諦めずにこの海域に展開していることは分かっている。 今度はイギリスが上陸船団に攻撃を加える側だった。 だが、このイタリア軍によるマルタ島攻略作戦は、イギリス軍の意表をついていたのである。 イギリス軍はマルタ島の淡水化設備のための石油が不足してきており、その石油がなくなった時、マルタ島が全面降伏する時と考えていた。 その期限は8月末と見られており、8月に大規模輸送作戦を実施することで調整中だったのだ。 その隙間を、イタリア軍が衝いた。 マルタ島上陸戦とそれに続くバレッタ攻防戦はわずか3日で終結した。 これは先の淡水化設備を、潜水艦を使って潜入していたドイツ軍特殊部隊が制圧したことが原因だ。 最重要施設の陥落による飲み水の欠如。 近海にいたイギリス海軍地中海艦隊の一部がイタリア海軍に完敗。 このふたつの要因からマルタ島守備隊は降伏した。 「―――パスタ野郎もなかなかやるじゃないか」 1942年7月17日、北アフリカ。 大量の補給物資を受け取ったエルヴィン・ロンメル陸軍元帥は満足そうに頷いた。 北アフリカ軍団はガザラの戦いでの損耗を回復していない。 それでもイギリス軍を追撃したが、持ちこたえられた。 しかも、戦力再編のために7月4日に攻勢を中止したところ、7月10~14日にかけてイギリス軍が反攻作戦に出てきた。 結果、ドイツ軍は大打撃を受け、再編しても攻勢に出ることは難しくなっている。 そこに来ての大量かつ待望の補給物資だった。 「元帥、これで戦いが楽になりますね」 「そうとも限らん」 副官の言葉にドイツ最年少元帥は苦い顔をする。 「イギリスはしぶとい。マルタ島を攻略したが、弱点は変わらない」 マルタ島の弱点は淡水化施設だ。 イギリスの攻撃でここが破壊されれば、イタリアもここを手放さざるを得なくなる。 マルタ島は永続的に確保するのではなく、この北アフリカ戦線を終えるまで確保できていればいい、そんな臨時拠点だった。 「おあつらえ向きに最高司令部からはここで踏ん張るように命令が来ている」 ドイツ軍は東部戦線のコーカサス侵攻作戦に影響を与えるとし、不退転を命じていたのだ。 「補給問題が解決すれば戦いようはある」 ロンメルは地図を見下ろしながら呟く。 忠実でも北アフリカ戦線の戦況を左右したのは補給問題だった。 (船舶問題と油問題で遠からぬ未来、この戦線は破たんする) その前にカイロを落とし、去就を決めかねている中東を親独に引きずりこむ。 それができればトルコを恫喝して地中海東部を完全に支配下に置く。 そこまで行けば、中東経由の石油がイタリアやフランス経由で手に入る。 ならば、無理な作戦を東部戦線で発動する必要がなくなり、ゆっくりとソ連を料理すればいいのだ。 (さあ、イギリス軍よ、存分に戦おう) ロンメルが決意した通り、英独両軍は7月中に一進一退の攻防戦を展開した。 この一連の戦闘を後の世に「第一次エル・アラメインの戦い」と呼ぶ。 そして、米英軍はこの状況を打破するため、ひとつの作戦を計画した。 それは「トーチ作戦」と言い、北アフリカのモロッコ・アルジェリアへの上陸作戦である。 この作戦発動の決定は、太平洋戦線に飛び火した。 これが後々の日米両軍の血みどろの戦い――ガダルカナルの戦いに発展する。 その始まりまで後1ヶ月に迫っていた。 高松嘉斗side 「―――これを狙っていたんですかな?」 1942年7月18日、大日本帝国東京市高松宮邸。 ここで堀悌吉は家主を見て言った。 「さすがにここまでは考えていませんよ」 嘉斗が苦笑しながら手を顔の前で振る。 「殿下がねじ込んだ航空母艦輸出政策が欧州で猛威を振るっていますね」 「独伊海軍もなかなかですね」 茶を飲みながら、嘉斗が他人事のように言った。 英海軍と独伊軍の空母が直接対決した事例は未だない。しかし、航空母艦が持つ戦闘機の傘のおかげで多くの独艦艇が英海軍の魔の手から脱していた。 昨年に勃発したデンマーク沖海戦のビスマルク追撃戦では、救援に赴いた独空母「ドラッヘ」が空母「アーク・ロイヤル」隊を撃墜。 戦艦「ビスマルク」は無事にドイツ領内へと引き上げている。 逆に追撃のために突出した「アーク・ロイヤル」はUボートの襲撃に遭って撃沈されていた。 「しかし、基地航空隊と航空母艦で制空権を確保し、艦砲射撃を含む手厚い上陸支援をした後の陸軍上陸、ですか・・・・」 堀が見ているのは嘉斗が手渡した「マルタ島攻略戦戦闘詳報」だった。 もちろん軍事機密情報だ。 「マルタ島攻略が北アフリカ戦線に与える影響は大きいです」 「ですな」 嘉斗の言葉に堀が同意する。 「と言っても、北アフリカ戦線は最終的にはイギリスが勝つでしょうけど」 「・・・・それは何故?」 さすがにこの言葉には堀も納得できなかった。 補給路を確保した独伊軍がエジプトを攻略するのも時間の問題と言える。 「北アフリカ戦線、と言いつつ、北アフリカを制圧してもこの戦いは終わりませんよ」 嘉斗は簡単に地中海の地図を書いた。そして、とある地点に丸を付ける。 「そもそも北アフリカ戦線はカイロを制圧し、スエズ運河を掣肘することで東方――特にインドからの本国補給を止めることを目的としていました」 アメリカから大量の補給を受けているイギリスだが、インドやオーストラリア、ニュージーランドから得られる物資も莫大だった。 スエズ運河の交通網を危険下に置くことで、この補給路が喜望峰回りとなり、イギリスへ届くのを遅らせる。 これが独伊軍の北アフリカ戦線の戦略目的だ。 「少し言い方が悪かったですね。例え北アフリカ戦線が独伊軍の勝利に終わっても、スエズ運河の制圧はできません」 スエズ運河の東側が新たな戦域となり、中東戦線が生まれるだけだ。 「いずれその攻勢限界が来て、一気に巻き返されるということですか」 堀は嘉斗の言いたいことを理解した。 スエズ運河を取り戻すため、インド・オーストラリア・ニュージーランドから戦力が投入されるだろう。 結局、戦争は続く。 「中途半端にイギリスの物資を消耗させるのが最適の戦線、ですか」 「そうですね」 嘉斗は茶を口に含み、口の中を湿らせた。 「ですが殿下。殿下は『北アフリカ戦線はどうあってもイギリスの勝ち』とおっしゃられた」 堀も茶を含んでから疑問を呈す。 「今の話では引き分けではありませんか?」 「・・・・そうですね。・・・・・・・・・・・・えーっと」 堀の疑問を受け、嘉斗は脇に積んでいた書類の山から一冊の束を取り出した。 『米英通信傍受記録』と書かれたその書類は、日本海軍がまとめた通信傍受データだ。 「これを精査した結果、米英軍は新たな作戦を発動しようとしています」 解読できた暗号の中には戦車などの陸上兵器が並んでおり、太平洋ではなく、欧州戦線ということが分かった。 「現時点において、米軍の陸軍が大挙として参加可能な戦線はありません」 現時点で陸戦が主体の欧州戦線は、東部戦線と北アフリカ戦線だ。 どちらも米陸軍が上陸するには遠すぎる。 「・・・・殿下は北西アフリカ戦線が生まれると思われているので?」 「その通りです」 米軍が関わるのならば新戦線を作り出すしかない。 その候補地は西部戦線と北アフリカ戦線しかない。そして、西部戦線はドイツの激しい抵抗――大西洋の壁――が予想される。 事実、北フランス上陸作戦――のちのディエップ作戦――が検討されていたが、本格反攻作戦ではなかった。 しかも、この作戦は1942年8月に発動、大損害を受けて撃退される。 「現時点でドイツに打撃を与えることができるのは北アフリカ戦線で、さらに後方の北西アフリカに上陸することだけです」 モロッコ、アルジェリアと言った北西アフリカはヴィシー・フランスが支配していた。 少なくとも10万を超える軍勢が展開しているが、これを排除できればドイツ軍の背後を突ける。 「ドイツへは?」 「すでに連絡しましたよ。まあ、陸上軍を派遣しての防衛体制を整えるのは難しいでしょうが」 「Uボートによる通商破壊ですかな」 この作戦に投入される戦力は数個師団に相当するだろう。 この輸送船団を襲い、撃沈すればそれだけ作戦に与える影響が大きい。 「ですが、最近は劣勢ではありませんでしたか?」 堀は数か月前に受けた欧州戦線報告を思い出していた。 1942年に入り、ドイツによる撃沈数が減少しているのだ。 「アメリカの本格投入と護送船団方式が影響しているようですね」 嘉斗も大西洋沿岸に派遣されている諜報員の報告を思い出した。 「それでも知っているのと知らないのとでは違うでしょう」 「同盟軍が苦戦することになりますが?」 「日本としては北アフリカ戦線が泥沼化し、その分米軍の戦力を引きつけてくれる方が良いです」 「向こうも同じことを考えていますから」と続ける。 連合国軍はソ連を除いてほぼ一枚岩である。しかし、枢軸国軍はどちらかと言えば反連合軍の寄せ集めなのだ。 「ミッドウェー海戦の敗北で、新たな攻勢作戦を発動することはできません」 数値的な戦力で言えばまだまだ余力がある。だが、その他はボロボロだった。 開戦以来海を駆け続けた艨艟たちは整備不良に呻いている。 さらに搭乗員も多くが傷つき、新人が増えていた。 ミッドウェーで負けずとも整備や戦力再編のために進撃を止めざるを得なかったのだ。 「アメリカはどうにか日本の進撃を止め、日本もそれを承知で戦力の再編」 堀がまとめるように言う。 「アメリカはこのタイミングで、欧州主義を示すためにも欧州へ出兵」 「つまり、太平洋は平和になる、ということでしょう」 今のうちに航空基地の整備、軍港の拡張、新造艦の建設、艦隊や航空隊の訓練を実施しなければならない。 「・・・・殿下、インド洋に打って出ることはできないのでしょうか?」 「インド洋?」 嘉斗が腕組みをして、体ごと首を傾げた。 脳裏にインド洋作戦の概要が浮かぶ。 「第二次インド洋作戦をやれ、というわけではありません」 「ですよね。先ほど攻勢作戦に出られないと言いましたし」 嘉斗はほっと息をついた後、堀に向き直った。 「では、どういうことですか?」 「イギリスを支えているのは豪州とインドです。インド洋を引っかき回すことでそれを阻害することができます」 北東アフリカのイギリス軍を弱体化することが可能だろう。 「効果はあるでしょう。ですが、我々にそれはできませんよ?」 インド洋の制海権を握ることは不可能だ。 インド洋作戦によって弱体化したとは言え、イギリス海軍は未だに強力である。 片手間に相手できるわけがない。 「通商破壊でいいんです」 「? していますよ?」 特設巡洋艦で構成された第24戦隊が活躍していた。 イギリスやオーストラリアの商船を撃沈もしくは拿捕している。 最近では積み荷からレーダーが見つかり、開発陣が喜んでいた。 「いえいえ、潜水艦の派遣ですよ」 堀は嘉斗の勘違いをただすように、自分が聞きたいことをはっきりと口にする。 「海軍は通商破壊作戦用の潜水艦部隊をインド洋に派遣していますか?」 「それも行っているはずですが・・・・」 嘉斗は眉間にしわを寄せながら歯切れ悪く言った。 なぜなら、現状のうまくいっているとは言えないからである。 その理由は潜水艦の運用にあった。 日本海軍は長らく潜水艦を漸減作戦の要のひとつに置いていた。 通商破壊に用い出したのは最近で、それらの主力はハワイと米西海岸の間に投入されている。 「インド洋にもそれをした方がよいと?」 「イギリスが困れば、それをアメリカが援助するのでしょう?」 「そうですね。欧州主義とはそういう意味ですから」 「直接アメリカを叩くより、弱り目のイギリスを叩いた方が太平洋の正面戦力を減らせますよ」 堀のえげつない発言に思わず頬を引きつらせた。 「―――弱い者イジメ」 「あ、亀―――ぅわ!?」 飛んできたお茶請けのまんじゅうを回避する。 迷いない一投だった。 まんじゅうはふすまにぶち当たって畳の上へ落ちる。しかし、亀はそれを拾い上げて嘉斗の前に置いた。 「え?」 「何?」 取り替える気はないようだ。 そう思った嘉斗は視線を堀に向けた。 「奥方。これは戦争ですから、弱い者イジメ上等ですよ」 苦笑いをしながら、堀は自分の前に置かれたまんじゅうに手を付ける。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「おや、いい味ですね」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 恨めしげに堀を見たが、彼の表情は変わらなかった。 仕方なく、嘉斗もまんじゅうを口に付ける。 使用人が毎日掃除しているおかげで、特に歯触りなども気にならなかった。 「何にせよ」 それで気を取り直した嘉斗は、堀の発言を吟味して結論づける。 「太平洋で戦局が動かない以上、地中海の戦いに介入して世界戦局を動かすのはありかもしれません」 日本軍の再編には時間がかかる。 その時間を稼ぐのは何も戦いだけではない。 「とりあえず、軍令部に掛け合ってみますか」 現状、戦争の終わりを欧州戦線次第としている上層部には受けがいい作戦だった。 急増する潜水艦戦隊にとってもいい訓練場になるだろう。 何せインド洋に派遣されている対潜水艦部隊は、大西洋のそれより質・規模共に著しく劣るのだから。 結果から言えば、インド洋に派遣された潜水艦は増加した。そして、決して少なくない連合軍商船を撃沈する。 その戦果は地中海の戦いに多少の影響を与えた。だが、ついでとばかりに手を出したことにより、日本は多大な被害を受けることとなる。 戦場の名前はガダルカナル。 その地獄の始まりまで、1ヶ月を切っていた。 |