ミッドウェー海戦 -3
「―――何と言うことだ」 1942年6月5日午前8時、大日本帝国海軍連合艦隊旗艦・戦艦「大和」。 世界最強の四六センチ砲搭載戦艦の艦橋で、山本五十六連合艦隊司令長官は思わず天を仰いだ。 空母「赤城」、「加賀」被弾炎上、航行不能。 航空機離発着不能、消火見込み不明。 「敵空母の存在は知っていたのに・・・・」 「長官、まだ二航戦が健在。さらに敵艦隊へ攻撃隊が向かっています」 「・・・・む、そうだな」 参謀長・宇垣纏少将に諭され、山本は我に返った。 「山口なら、やってくれるだろう」 「はい、奴ならば」 山口多聞。 海兵40期で宇垣と大西瀧治郎の同期だ。 海軍兵学校の入学成績こそ宇垣は勝てたが、卒業席次では大きく差を開けられた。 さらには防衛大学校では海軍科の主席である。 専門は砲術・水雷であり、航空との関わりは1940年の第一連合航空隊司令官までない。 この部隊は中国に展開する陸上攻撃部隊だった。そして、その後に任じられたのが、現職の第二航空戦隊司令である。 山本や大西のように航空屋とは言えない経歴だった。 しかし、通称二航戦は、空母「飛龍」、「蒼龍」を擁し、艦載機約140機を保有する強大な戦隊である。 開戦以来連合艦隊の覇業を支えた殊勲戦隊であり、戦闘不能に陥った一航戦に比べて小柄ながらも練度に遜色なし。 (きっと二航戦ならば・・・・ッ) 無敵連合艦隊の神話が崩れた今、司令部の期待は海軍切っての俊英に託されていた。 反撃scene 「―――第二次攻撃隊の編成急げ!」 6月5日午前8時、第二航空戦隊旗艦・空母「飛龍」艦橋。 ここで「人殺し多聞」こと山口多聞海軍少将が吠えていた。 「赤城」と「加賀」を火炙りに処した攻撃隊が最後だったのだろう。 米軍の攻撃はぱたりと止んだ。 戦艦の電探にも反応はない。 このため、二航戦は6機の零戦を上げた後、一航戦の零戦を含める全ての零戦を収容していた。 搭乗員の休息と燃料・弾薬補給のためである。 それを横目に艦爆と艦攻の整備員は爆弾や魚雷の取り付けを行っていた。 敵艦隊撃滅の本命とされた、ミッドウェー島攻撃隊によって編成される敵艦隊第二次攻撃隊の準備だ。 ミッドウェー島攻撃隊で撃墜された機体こそ少数だが、損傷機が多い。 隊長機である友永機も燃料タンクを撃ち抜かれていた。 尤も修理可能と判断され、現在穴を埋める作業をしているのだが。 何はともあれ、再出撃が可能と判断された機体の内、二航戦が保有していたのは以下の戦力である。 艦戦20、艦爆20、艦攻18。 これはミッドウェー島攻撃隊におけるそれぞれ62.5%、83.3%、75%だった。 戦闘機が割合的に少なくなっているが、これは防空戦に出撃したからだ。 被撃墜はないが、損傷機や搭乗員の疲労で出撃不能とされた機体がある。 結果、二航戦だけで行う第二次攻撃は先の機数計58機で実施せざるを得なかった。 第一次攻撃の戦果次第だが、苦しい戦いとなる。 「友永」 「はっ」 だからか、山口はミッドウェー島攻撃の指揮を執った友永丈市海軍大尉を艦橋に呼んでいた。 「現在、敵艦隊攻撃用に待機していた部隊が攻撃に向かっている」 友永も兵装転換云々はすでに聞いている。 「だが、止めは貴様が指揮するこの部隊が刺せ」 「はっ。必ず一航戦の仇を討ちます!」 友永が敬礼した後に視線を向けた向こうには、火炎を噴き出す一航戦がいた。 すでに艦隊が移動したためにその姿を目にすることはできないが、被弾の瞬間ははっきりと覚えている。 「第一次攻撃隊より入電」 「「―――っ!?」」 電信室より発せられた声に、艦橋内は静まり返った。 「敵はヨークタウン級二、巡洋艦六、駆逐艦約十、直衛機あり。これより攻撃する」 「敵を海中に叩き込め!」 遠く離れた味方を激励するように山口が叫ぶ。 闘将の意志を感じ取ったのか、第一次攻撃隊より「ト」連送が発せられた。 第一次攻撃隊94機が敵艦隊向けて突撃したのである。 「―――いやがったな」 第一次攻撃隊長・楠美正海軍少佐(「加賀」飛行隊長)は眼下に白い航跡を作りながら回避行動をとる敵艦隊を見て呟いた。 零戦隊と敵の戦闘機隊が交戦中だが、倍以上の機数を持つ零戦が敵機を追い回している。 敵戦闘機の妨害をほとんど気にすることはないだろう。 問題は敵艦隊の対空射撃だった。 駆逐艦や空母どころか、巡洋艦までも盛んに撃っている。 (・・・・ん?) 楠美は敵の対空射撃に特徴を見つけた。 楠美率いる第一次攻撃隊は、敵戦闘機を駆逐したこともあって敵艦隊上空を少数編隊に分散して飛行している。 このような時、一塊に突撃しては敵の対空砲が集中すると思ったからだ。 「乃美」 「はい、何でしょう?」 偵察員の乃美三飛曹に問う。 「敵の対空射撃・・・・空母上空に集中していないか?」 「・・・・・・・・・・・・確かに」 艦爆の少数編隊が空母に近づいた時、敵艦隊は熾烈とも言える対空砲火を撃ち上げるのだ。 「ですが、空母が狙われるのは当然なので、敵の対応も当然なのではないでしょうか?」 「うむ。・・・・・・・・・・・・あ」 対空砲火から逃れるために先の編隊は巡洋艦上空を通過した。だが、全く妨害を受けなかった。 単純に対空砲の旋回が間に合わなかっただけかもしれないが。 「―――艦爆各隊長へ」 『『はっ』』 対艦装備と対地装備の艦爆隊を率いるそれぞれの隊長が応じた。 命令を受け、艦爆隊が再度集結する。そして、数分後、速度を上げて一気に散開した。 「全軍突撃!」 楠美は偵察員に「ト」連送を行わせながら叫ぶ。 艦爆隊に呼応し、彼自身が率いる艦攻隊も高度を下げた。 腹下の九一式改三航空魚雷を叩き込むために。 『―――敵、再び散開!』 空母「エンタープライズ」の見張り員の叫びを、スプルーアンスは艦橋で聞いた。 誰もが空を見上げ、軽快なエンジン音を立てる日本海軍機を見ている。 12機いたワイルドキャットはものの数分で蹴散らされていた。 『戦闘機降下!』 『外縁駆逐艦対空射撃開始!』 狩る者のいなくなった空に飽きた荒鷲が低空に舞い降り、こちらの必死な対空射撃をあざ笑いながら回避。 機首と両翼から機銃弾を駆逐艦に叩き込む。 如何に木端と称される駆逐艦でも機銃弾如きで沈むわけがない。しかし、体を晒す対空機銃員に死傷者が続出した。 それでも必死の抵抗のためか、敵戦闘機は駆逐艦から再び距離を取る。 『艦爆隊侵入!』 これまで何度かあった艦爆隊の艦隊内縁上空への侵入。 だが、これまで小編隊だったのが、今度は全編隊が侵入してきた。 (来たか・・・・) 恐ろしい命中率を誇る日本海軍の急降下爆撃。 「全護衛艦隊は空母を守れ!」 スプルーアンスが叫ぶまでもなく、巡洋艦や駆逐艦の対空砲の砲口が空母上空へと固定される。 どんなにバラバラに侵入しようとも、爆撃コースは決まっているのだ。 「叩き落と―――」 『―――『ペンサコーラ』へ急降下!』 「―――っ!?」 驚愕と視界の端に光った爆発光の衝撃に、スプルーアンスは目を見開いた。 『次々と護衛艦艇向けて急降下を開始!』 「な、なに・・・・? ど、どういうことだ!?」 着弾による爆発と至近弾による水柱が海面上に生じる。 混乱した護衛艦艇が爆弾を回避するために必死に舵を切り、それにぶつからないようにさらに別方向へ舵を切り、米艦隊の輪形陣はズタズタにされた。 『「ノーザンプトン」被弾! ア、アア!? ・・・・「ウォーデン」大爆発!』 「な、何がどうなって・・・・?」 (空母への攻撃ではないのか?) そう思ったのはスプルーアンスだけではなかった。 攻撃を受けなかった巡洋艦や駆逐艦がその対空砲の照準を動かし、自身を守るために旋回していく。 『ア!? クソッ、急降下!』 「「「―――っ!?」」 味方の惨状に視線を下げていた見張り員が頭を下げていたため、それが遅れた。そして、それは致命的となった。 満を持して、九九艦爆が「エンタープライズ」へ急降下したのである。 「オオゥッ!?」 着弾と爆発の衝撃が約20,000トンの巨体を揺さぶった。 「どこだ! どこに当たった!?」 痛む肩を押さえながら身体を起こす。 艦橋の床に投げ出され、帽子もどこかに飛んで行ってしまった。 それでも大した怪我はない。 『後部飛行甲板に着弾2! 至近弾3!』 後に分かったことだが、一瞬で集結して「エンタープライズ」に急降下したのは対艦装備の艦爆8機。 命中率25%、至近弾も艦上建造物等に被害を与えており、これも加味すれば62.5%。 『「モナハン」被弾!』 『「ホーネット」より発光信号。「至近弾多数、命中弾なし」』 「・・・・『ホーネット』は無事か・・・・」 至近弾で損傷はしているだろうが、飛行甲板が無事ならばやりようはある。 『敵雷撃機来襲!』 「くっ、そう簡単に終わらせてはくれないようだな、ナグモ!」 大混乱していた日本艦隊攻撃部隊から空母に爆弾が命中したことの報告を受けていた。 その時は勝ったと思ったが、さすがは日本海軍だ。 『雷撃機、右舷より3、左舷より2!』 「面舵!」 艦長が叫び、回避行動をとる。 雷撃機を迎撃する護衛艦艇は無理な艦隊行動で散開しており、阻む者はいない。 「対空射撃!」 「エンタープライズ」の対空機銃が火を噴いた。 20mm機銃44門。 有効射程距離は1,500mと短いが、馬鹿みたいに近距離まで近寄ってくる日本海軍には有効である。 事実、先頭を進んでいた雷撃機が四散した。しかし、残りの4機が魚雷を投下。 そのまま艦首と艦尾の水面を滑るようにして通過した。 恐るべき技量である。 『左舷艦首直撃コース!』 「総員衝撃に備え!」 艦長が言い終えるか負えないかのタイミングで、再び「エンタープライズ」が打ち震えた。 左舷艦首に命中した魚雷が爆発し、大量の海水をその破孔から吸い込んだ「エンタープライズ」の行き足が落ちる。 『「ペンサコーラ」、ア!? 「ホーネット」被雷! 「モーリー」轟沈!』 先の急降下爆撃で損傷していた重巡「ペンサコーラ」に2本、空母「ホーネット」に1本、さらに「ホーネット」を守っていた駆逐艦「モーリー」に1本命中した。 駆逐艦である「モーリー」は被雷の衝撃が大きすぎ、船体を真っ二つにして轟沈する。 『敵攻撃隊、引き上げていきます・・・・』 「終わったか・・・・」 艦橋要員全員が安堵のため息をついた。 全爆弾・魚雷の投擲を終えたのだろう。 「被害確認急げ!」 一息で気分を入れ替えたスプルーアンスは毅然と命じる。 着弾時の衝撃で切った頬から血を流しながらも、冷静に指揮する司令官の姿。 それに勇気をもらった第17任務部隊司令部は慌ただしく被害確認に入った。 その結果は以下の通りである。 喪失。 駆逐艦「ウォーデン」着弾一。 駆逐艦「モーリー」被雷一。 大破。 空母「エンタープライズ」着弾二、至近弾三、被雷一、航行可能なれど速力24kt/h。 重巡「ペンサコーラ」着弾二、被雷二、航行不能。 重巡「ノーザンプトン」着弾三、航行可能なれど速力24kt/h。 小破。 空母「ホーネット」被雷一、速力30kt/h可能、航空機離発着可能。 他至近弾や機銃掃射にて損傷艦多数。 艦上で負傷者がのたうち回っていない艦など存在しないほどの壮絶さだ。 さらにそんな中に返ってきた敵艦隊攻撃隊の少なさに、スプルーアンスはめまいを起こした。 「『チャージャー』に連絡。搭載している艦載機をこちらによこせ、と」 1942年3月3日就役のアヴェンジャー級護衛空母「チャージャー」。 姉妹艦3隻はイギリスに貸与されており、アメリカ海軍籍としては「チャージャー」1隻だ。 謎の沈没を遂げた護衛空母「ロング・アイランド」に代わり、主に訓練艦として使用される予定だが、今回はその中に30機ほどの戦闘機を搭載していた。 ミッドウェー海戦に敗北して撤退する折、その艦隊の上に航空機の傘を展開することを目的としている。 パイロットの技量は低いが、ないよりマシと言うものだった。 「航空参謀、我々の航空機はどの程度残っているのか?」 「はっ。『エンタープライズ』の残存機は使用不可能なので、『ホーネット』だけですが・・・・」 空母「ホーネット」から発艦した第一次攻撃隊はワイルドキャット10機、ドーントレス35機、デバステイター15機だ。 その内、帰ってきたのはドーントレス20機のみ。 さらにその後の防空戦で出撃した6機も全損している。 元々ワイルドキャット30機、ドーントレス40機、デバステイター20機で構成されていた。 これに第一次攻撃から帰り、母艦に着艦できなかった「エンタープライズ」所属機を含めれば ワイルドキャット14機、ドーントレス33機、デバステイター8機の計55機。 ここから艦隊防空の戦闘機も出さなければならないが、後方の「チャージャー」から派遣される戦闘機をそれにあてればいい。 「残りは2隻か・・・・」 帰還した「エンタープライズ」所属機からの報告では、大型空母2隻に命中弾とのことだった。 「『飛龍』は中型、『蒼龍』は小型。互角と言えるでしょう」 「敵も航空戦で消耗しています。そう不利ではないかと」 「ドーントレスの一部はミッドウェー島に着陸しています。ここから再出撃させることも可能です」 参謀たちも攻撃続行を進言する。 さすがはハルゼーが好んだ幕僚たちだ。 「よろしい。さっそく準備をしたまえ」 スプルーアンスはそう命じると、重巡「ミネアポリス」に移乗するために席を立った。 「護衛の駆逐艦を付けて『エンタープライズ』と『ノーザンプトン』は後退。『ペンサコーラ』は復旧急げ」 米艦隊は損傷艦を分離。 空母「エンタープライズ」と「ノーザンプトン」は駆逐艦「エイルウィン」、「バルチ」を連れて後方退避。 重巡「ペンサコーラ」は駆逐艦「ベンハム」、「エレット」を護衛に復旧活動。 その他は戦闘続行だ。 また、後方から護衛空母「チャージャー」を護衛していた駆逐艦隊から2隻が新たに救援に向かう。 日本艦隊への攻撃とその反撃で手痛い打撃を受けた。しかし、ようやく敵主力との戦いにありついた米軍は、まだまだ引き下がる気はなかった。 共に第一次攻撃を終えた日米両軍で、第二次攻撃に臨むのは以下の艦艇である。 日本海軍。 戦艦「霧島」、「榛名」。 空母「飛龍」、「蒼龍」。 重巡「利根」、「筑摩」。 軽巡「北上」、「大井」、「長良」。 駆逐艦「風雲」、「夕雲」、「巻風」、「秋雲」、「磯風」、「浦風」、「浜風」、「谷風」。 戦艦2、空母2、重巡2、軽巡3、駆逐艦8の計17隻。 アメリカ海軍。 空母「ホーネット」。 重巡「ミネアポリス」、「ニューオーリンズ」、「ヴィンセンス」。 軽巡「アトランタ」。 駆逐艦「モナハン」、「フェルプス」、「カンニンガム」。 空母1隻、重巡3隻、軽巡1隻、駆逐艦3隻の計8隻。 艦艇だけで見れば圧倒的に日本海軍有利。 しかし、主力となる航空機数ではほぼ互角だ。 現時刻は日本時間午前8時47分。 現地時間は午前11時47分。 双方の攻撃隊準備時間と攻撃時間を考慮して、共に一撃を放つのが精いっぱいだった。 つまり、この第二次攻撃が、ミッドウェー海戦の勝者を決めるのである。 勝負の時は約2時間後に迫っていた。 |