ミッドウェー海戦 -2


 

「―――始まりましたか・・・・」

 1942年6月5日午前6時、大日本帝国埼玉県大和田通信所。
 嘉斗は遠いミッドウェー島周辺海域で行われるであろう海戦情報を入手するため、早朝からここに赴いていた。
 案の定、午前4時台から当該海域での無線傍受量が激増し、日米双方が盛んに発信していることが分かる。

「とりあえず、空母は2隻・・・・」
「おそらく、『エンタープライズ』、『ホーネット』でしょう」

 嘉斗は通信班長の言葉に頷き、内心で胸を撫で下ろしていた。

(二式艦偵をゴリ押ししてよかった)

 偵察機としつつ、機体は新型艦上爆撃機そのものである。
 珊瑚海海戦では試作機や先行量産型が偵察機として一部配備されたが、正式に「二式艦上偵察機」として各空母に配備した。
 当然艦爆として使えるのだが、完熟訓練不足で今回は偵察機バージョンのみを搭載している。
 零式水上偵察機も優秀な機体だが、やはり最高速度で勝る二式艦偵は確認索敵、生存率において特に優秀だった。

「ギリギリの戦いになりそうですね」

 無線傍受員が記す敵味方無線発信時間から、1分1秒を争う戦況になりそうだ。
 如何に敵の攻撃を掻い潜り、敵に攻撃を繰り出すか。
 ただ、最初の一撃に関しては敵に分がある。

「艦隊防空がどれだけできるか・・・・」
「そのために殿下は多くのことをなされましたよ」
「・・・・今の私は海軍中佐ですよ」

 反射的にそう答えつつ、嘉斗の思考は上海事変時の空母「龍驤」被弾に飛んでいた。
 あの時に知り合いが戦死している。
 同じ要因でさらなる犠牲を出さないため、その戦訓に基づいて嘉斗はいくつもの手を打ってきた。
 それを生かすか殺すかは一航艦次第。
 遠い日本で、嘉斗がやきもきしながらも戦況は動き出す。そして、ついにその報告が来た。

「―――被弾! 我が空母が被弾しました!」

 たった6分間に起きた日本海軍にとっての痛恨事の報告。
 だが、傍受員の第一報に続く第二報は、忠実とは少し違っていた。






被弾scene

「―――どうにか収容できそうだな」

 午前6時、ミッドウェー島近海、大日本帝国第一航空艦隊旗艦・空母「赤城」艦橋。
 百数十機の艦載機が支配していた空は、随分青空と雲だけに戻ってきていた。
 第一次攻撃隊の収容がほぼ完了しているからだ。

「長官、続いて直衛隊の追加を行います」
「うむ」

 南雲は大石の言葉に頷き、チラリと艦橋の端を見遣った。
 そこでは無理矢理椅子に座らされた源田が、赤い顔のまま空を見上げている。しかし、すぐに立ち上がろうとしてふらつく。

「『霧島』より発光信号! 確認急げ!」
「はい!」

 それでもその口から放たれた言葉は力強かった。

「・・・・『対空電探』に感あり! 方位は敵空母方向!」
「敵攻撃隊か!」
「二一号電探はよくやってくれる」

 草鹿が闘志を剥き出しにした声を放ち、大石がしみじみとした言葉を漏らす。

(確かに二一号電探には助けられている)

 二一号電探。
 正式名は二式二号電波探信儀一型。
 日本海軍初の艦艇搭載用対空警戒レーダーである。
 5月に戦艦「霧島」、「榛名」に搭載実験され、そのままミッドウェー島に持ってきた。
 探知距離は単機で70km、編隊で100kmとされる。
 これまでもミッドウェー島からの五月雨航空攻撃を探知し、迎撃に貢献していた。そして、今度は敵空母艦載機を捉えたのである。

「二隻の空母だと・・・・どの程度の攻撃隊だと思う?」
「・・・・おそらく、100機前後でしょう」

 草鹿の質問に大石が答える。

「上空の直衛機は何機だ?」
「18機です。残りの6機は補給中」
「第一次攻撃隊の艦戦も上げさせろ。まずは今準備できている機体だけでいい」

 二航戦は未だに収容中だが、大型空母の「赤城」、「加賀」はほとんど終わっていた。
 一航戦所属機はすでに全機着艦し、それぞれ6機が飛行甲板で補給を受けている。
 搭乗員にはトイレ休憩と食事が振る舞われ、準備でき次第艦隊護衛に加わるはずだった。

「『赤城』からは3機、『加賀』からは5機可能です」
「進路風上方向、発艦用意!」

 艦長がそう命じ、操舵士が艦を動かす。
 それに空母「加賀」も続き、さらに追従する形で護衛艦艇も動いた。
 一方で収容中の二航戦はそのまま直進、2つの集団に分かれていく。

「発艦始め!」

 命令が飛行甲板に伝わるなり、次々と零戦が空母から飛び立っていった。




『―――敵空母艦載機、艦隊から約五万』
「ってーことは、もうすぐ見えるわけだ」

 空母「加賀」戦闘機搭乗員・小山内通稔二飛曹は無線機から聞こえてきた敵情に呟いた。そして、視線を周囲に巡らせて敵を探す。

(しっかし、いきなり便利になったな)

 機内無線など使えた試しがなかったが、近くを飛ぶ水偵からのはなかなか良好だ。
 戦闘機に搭載する無線機には問題があるのか、艦隊からの通信は聞こえにくい。しかし、機内に余裕がある水偵の無線機は艦隊と通信可能だ。
 そこで水偵が中継することで、艦隊からの指示を戦闘機に伝えていた。

(いつかは直接命令を聞くようになるのかねぇ―――っと)

「いやがった」

 視線を隊長機に向けると、隊長も発見していたようだ。
 手信号で編隊を作るように指示している。

『「霧島」1号より艦隊へ。敵編隊確認、攻撃機』

 水偵が艦隊に報告した。
 これで高角砲や対空機銃が準備するだろう。

「いくぞ!」

 零戦が速度を上げて敵編隊へ突っ込んでいく。
 米空母攻撃隊の一番槍はジョン・ウォルドロン少佐率いるホーネット雷撃隊TBDデバステイター14機。
 時刻は午前6時18分だった。



―――そして、戦闘自体実に8分で終了した。

 零戦26機に襲われたホーネット雷撃隊は味方戦闘機の援護なく、次々と撃墜される。
 攻撃隊は遠目に日本艦隊を捕捉したが、ついぞ辿り着くことなく潰えた。



「―――長官、発艦準備完了しました」

 その一方的な戦いを横目に、一航艦は第二次攻撃隊を飛行甲板に並べていた。
 艦戦40、艦爆36、艦攻18、計94機。

「うむ、防空戦闘も一段落したようだ」

 南雲は空を見上げ、再び編隊を組み直す戦闘機隊を認める。

「攻撃隊発艦開始!」
「発艦開始」

 旗艦「赤城」より発光信号が飛び、4空母は攻撃隊を発信させるために変針した。
 午前6時30分のことである。
 途中、6時50分に「エンタープライズ」雷撃機隊14機が来襲した。しかし、これもレーダーに発見され、零戦の迎撃を受けて壊滅している。

「機数が少ないから順調だな」

 草鹿が言うとおり、7時には攻撃隊の発艦が完了した。
 現在は空中集合中だ。
 編隊の形成ができ次第、敵艦隊へ向かうのである。

「敵の攻撃隊はどうだ?」

 これまで確認できたのは雷撃機約30機のみだ。
 艦戦や艦爆は確認できていない。

「五月雨式のところを見ると、敵は空中集合せず、発艦次第出発したと思われます」

 大石が答えた。
 時間的にこちらの索敵機が周辺空域を索敵中。
 これに気づいていた米空母が目立つ空中集合を見送ったのだろう。
 その結果がほぼ全滅の各個撃破では、アメリカからしたら笑えないだろう。

「とにかく電探は―――」
「『霧島』より発光信号! ―――え゙っ!?」

 引きつった声を上げる兵。

「どうした!? しっかり報告しろ!」
「は、はい・・・・。『味方攻 撃隊の反応が強すぎ、周辺空域索敵不能』とのことです」
「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」

 南雲、草鹿、大石が沈黙した。そして、同じ動きで空を見上げる。
 そこを飛行する機体は、直衛機を含めて100機以上。
 大量のエコー源だ。

「ぜ、全艦に通達。『対空警戒を厳とせよ』」
「はっ」
「上空の戦闘機隊にも伝えろ」
「はい」

 草鹿が指示を出し、源田に向き直った。

「源田。敵は来ると思うか?」
「・・・・来ます」

 米空母部隊は雷撃機よりも爆撃機を重視している。

「機数的にも・・・・まだ主力は近隣に存在していると思われます」

 そこまで言って力尽きたのか、源田は再び座り込んだ。

「問題は・・・・どこから来るか、です・・・・」

 米攻撃隊はこちらの位置を見失っているのだろう。
 となれば、敵空母方面だけを警戒すればいいものではない。
 360度、全ての方向が敵の進撃方向だった。

(戦闘機隊の目があれば・・・・見つけられるはずだ・・・・ッ)

 源田は後輩の戦闘機搭乗員たちに艦隊の運命を託す。
 ここに離れて航行していた駆逐艦「嵐」から緊急電が入った。


『―――敵編隊多数、艦隊方向へ向かう』


 「嵐」は米潜水艦「ノーチラス」の雷撃を受けていた。
 魚雷は回避したが、制圧爆雷攻撃のために艦隊から離れたのである。
 6時40分には搭載していた爆雷の投下を終えた。しかし、戦果は得られていない。
 だが、これ以上攻撃手段がないため、「嵐」は艦隊と合流しようと北東へ向けて航行中だった。

「直衛隊に通達!」

 「嵐」からの電信は10分前。
 お互いの距離から考えれば、もう目と鼻の先だ。

「隊長機より入電、攻撃隊、敵艦隊へ向かいます」

 上空の攻撃隊はそれぞれの編隊をきれいに組むと、次々と翼をバンクさせて飛び立っていく。
 その隙間を埋めるように直衛機が飛んでいた。
 それらもバンクして命令受領を報告、南東方向へその機首を向ける。

「頼むぞ・・・・」

 源田はぼやける視界の中、その姿を見送った。



「―――艦隊南東方向・・・・」

 7時34分、蒼龍所属戦闘機搭乗員・東田道昭一飛曹はその方向へ機首を向けながら呟いた。

「って、雲が広がっているじゃねえか」

 見事な視界不良。
 これでは敵編隊を見つけることはできないだろう。

「まあ、水平線に異常なし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?」

 東田は南海の蒼い海とその上に覆い被さる雲をじーっと見つめる。
 そこに異常はない。
 だが、違和感はある。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 周辺を見回し、眼下を見下ろした。
 そこでは眼下の艦隊も敵編隊接近を受け、対空機銃員が慌ただしく動いていた。
 対空機銃の弾倉を運ぶ兵の姿も見える。

「・・・・近いな」

 普段ここまで艦上の兵が見えたことはない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・って!?」

 違和感の原因に思い至り、高度計を見た。
 1,000m。

「低ッ!?」

 慌てて上を見る。
 零戦の涙滴型風防の向こうには雲が広がっていた。そして、その切れ目を小さな黒点が通過する。

「―――ッ!?」

 全身が泡立つような感覚が駆け抜け、無意識に操縦桿を引いた。
 東田機の急転上昇に周辺の機体たちが慌てる。だが、すぐにその原因に思い至って急上昇を開始する。

「くそ! 俺が隊長だったら!」

 艦隊と通信する無線機は隊長機にしかない。

(なら、全部落としてやる!)

「ぅおおおおお!!!!!」

 薄い雲を突き抜け、青空の下に出た。
 そう、この視界こそ艦隊上空警戒のものである。
 零戦隊は低空で侵入する雷撃機の迎撃で高度を下げすぎていたのだ。

「ぅお!?」

 雲を抜けた瞬間に照りつけた太陽が遮られた。しかし、それはすぐに駆け抜け、元の太陽光が戻ってくる。

「いた!」

 太陽光を遮った影。
 それは米海軍艦上爆撃機SBD ドーントレス。

「墜ちろぉぉぉぉっ!!!!!」

 反転急降下。
 敵編隊を抜けた瞬間、背面飛行に移行して敵へと襲いかかった。

「よし!」

 20mm機銃弾が命中したドーントレスの翼がちぎれ飛ぶ。そして、錐揉みして落ちていった。
 慌てた艦爆隊が散開する。だが、その内一機が下からの銃撃で爆弾が誘爆、空中分解した。

「味方も来たか!」

 次々と雲を突き抜け、直衛隊が上がってくる。

(だけど、機数が多い!)

 東田が遭遇したのはエンタープライズ艦爆隊30機だ。
 燃料切れでワイルドキャットは引き返していたので、零戦隊はやりたい放題である。しかし、すでに敵編隊は艦隊上空に到達していた。


「―――敵、急降下!」


 「加賀」の見張り員が叫びと共に始まった大日本帝国海軍第一航空艦隊の崩壊。
 それはたった6分間の出来事だった。




(―――不覚を取ったか・・・・ッ)

 源田は痛む体の衝撃を逃がしつつ、震える手で体を起こした。
 無意識にこめかみに手を当てると、ヌルリと血がつく。
 なかなかの量だが、頭の傷は派手に血が出るものだ。
 被弾した割には怪我が軽いと思わなければならない。

(せっかく電探があったというのに・・・・ッ)

 まずは「加賀」が被弾した。
 艦橋から「加賀」が火を噴くのを見た後、「赤城」も名状しがたい震動に襲われた。
 それに司令部要員が床に投げ出され、ただでさえ意識を保つのに必死だった源田は気を失ったのである。

「ど、どうなった!?」

 意識を失っていたのはほんの数分なのだろう。
 「赤城」艦橋は被弾の衝撃に大混乱に陥っていた。

「中佐、無理をなさらず・・・・」

 側に寄ってきた従兵が体を支えてくれる。

「どうなった!? 教えろ!」
「は、は・・・・」

 源田が見たところ、司令部要員に大した怪我をした者はいない。
 視界の端に移る黒煙から、飛行甲板に被弾したのは分かった。

「『加賀』、『赤城』が被弾炎上中です」
「他は?」
「被害なし。・・・・しかし、『加賀』は重傷です」
「そう、か・・・・」

 零戦が戦闘に入ったが、洋上からは雲が邪魔で見えなかった。
 このため、『加賀』はそれに気づいておらず、見張り員が艦爆隊を発見した時にはすでに手遅れだった。
 クラレンス・マクラスキー少佐率いるエンタープライズ艦爆隊が次々と「加賀」に急降下。
 実に4発の爆弾が命中する。
 命中弾と燃料車の爆発で艦橋が破壊され、中にいた艦長の岡田次作大佐以下指揮官が戦死していた。
 一方、旗艦である「赤城」に急降下したのは3機だ。
 こちらも敵襲に気づいておらず、敵に備えて零戦を発艦させる途中だった。

「被害は・・・・?」
「着弾一、至近弾一だ」

 答えたのは大石だ。

「それでこの衝撃ですか?」

 米軍の爆弾は二五番よりも強力だが、それ以上の爆発だったように思える。

「飛行甲板を貫き、格納庫で爆発した爆弾が・・・・そこに置いていた爆弾や魚雷に引火した」
「・・・・なんと・・・・」

 兵装転換の関係で格納庫の至る所に爆弾があったのだ。

「長官が移乗される。貴様も来い」
「『赤城』はそこまでひどいのでしょうか?」

 1発の命中弾で沈むような艦ではない。

「航空母艦としての能力を失った艦で指揮は執れない」

 例え鎮火したと言えど、格納庫は壊滅。
 搭載機はほぼ全滅している。

「長官は別の艦で全体の指揮を執る。司令部復活までは次席指揮官の阿部少将が執られる」
「しかし、阿部少将は・・・・」

 第八戦隊司令官だ。
 これは重巡「利根」、「筑摩」の部隊で、航空部隊ではない。

「分かっている。航空隊の指揮は二航戦の山口少将へ移管された」

 すでに二航戦は護衛の駆逐隊を引き連れて敵との距離を詰め始めている。

「手痛い攻撃を受けたが、まだ終わっていないぞ」
「山口さんなら、やってくれるはずだ・・・・・・・・」

 大石と従兵に両肩を支えられた源田は、そう呟いて意識を失った。






 米空母艦隊による第一攻撃の結果、日本海軍は以下の損害を受けた。
 空母「赤城」被弾大火災(着弾一、至近弾二)、舵固定により航行不能。
 空母「加賀」被弾大火災(着弾四、至近弾三)、艦橋被弾により壊滅、航行不能。

 一方で米軍の攻撃隊も壊滅的打撃を受けていた。
 艦戦20機は日本艦隊を発見できずに燃料切れで不時着水、全損。
 ホーネット隊33機も艦隊を発見できずに引き返し、内3機不時着水、残り10機がミッドウェー基地へ、20機が「ホーネット」へ着艦した。
 エンタープライズ艦爆隊35機は攻撃前に2機喪失、攻撃後の零戦の攻撃で18機が撃墜され、帰還した15機の内、7機が被弾損傷につき、投棄される。
 一番悲劇的だったのは雷撃機隊であり、25機撃墜、1機帰還後放棄。
 つまり、117機中77機全損(65.8%)

 スプルーアンスが繰り出した先制パンチは、日本艦隊に打撃を与えたが、ほとんど戻ってくることはなかった。
 まるでロケットパンチの如く、日本艦隊に到達すると共に爆発したのである。
 代わりに戻ってくるのは、母艦被弾を受けて復讐に燃える日本海軍の攻撃隊だった。









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