せ号作戦 -3


 

 日本軍は4個連隊相当の中国軍の集団を、北からA~Dと名付けた。
 同時にこれに対する自軍もA~Dの名前を付ける。
 こうして準備が整った両軍、武隼支隊と中国軍の増援部隊との戦いは、日本軍航空隊が先陣を切った。

 日本海軍の"足長攻撃機"・一式陸上攻撃機。
 対地爆弾を搭載した攻撃隊は、基地から一番近い位置を行軍していたD軍を攻撃する。
 機数こそ6機だったが、九八式二五番対地爆弾12発。
 その猛威は人の集団には過酷だった。
 編隊水平爆撃によって、その部隊の先陣を駆けていた一個中隊が壊滅。
 D軍はこの一撃で戦力の1割を喪失し、その行軍が停止する。
 これを偵察機で確認した時賢は、日本D部隊を転進させ、C軍の腹背を突かせることとした。
 D軍に対する戦果拡大よりも、全体の勝利を優先したのである。

 また、陸軍の航空隊も動いていた。
 時賢の手元にあるのは九八式直協機8機。
 このうち、4機は各軍の監視に付き、残りの4機は協同して爆撃任務に出た。
 これは海軍とは別目標で、十堰に一番近いA軍である。
 九二式15kg爆弾を搭載し、敵軍へと落とした。
 海軍の攻撃とは違い、威力不足だったが、それでも相手を怯ませることができた。そして、この混乱した敵軍に対し、日本A部隊が突撃。
 榴弾を装備した戦車部隊によってA軍の先鋒は撃破された。
 この空地一致の攻撃で機先を制したのである。






遅滞戦闘scene

「―――CおよびD部隊、C軍と交戦開始!」
「B軍進撃速度変わりません。まもなくB部隊の待ち伏せ地点へ進出!」
「A部隊再集結完了。第一次防衛線に歩兵と共に展開中!」
「D軍再起動。進撃を開始しました!」

 矢継ぎ早になされる報告に、時賢の頭はパンクしそうだった。

(バトル・オブ・ブリテンでももうちょっと司令部要員いただろ!)

 時賢の目の前で部隊配置図が更新される。

「第二飛行集団より入電!」
「読め!」

 第二飛行集団は満州所属の部隊だが、今回の作戦のために北支那方面軍に一部の部隊が合流していた。

「『戦爆連合20機により貴部隊を掩護。攻撃目標を知らせたし』!」

(第二となると、保有機は九七重爆か。戦闘機も一式戦をこのために配備していたな)

 九七重爆Ⅰ乙の航続距離は2,500km。
 一式戦一型のそれは2,200kmだ。
 単純計算で戦爆連合の行動半径は700kmといったところだろう。

「まずはA軍を徹底的に叩く。編隊にA軍の位置を知らせろ」
「はっ!」
「また、A部隊には味方編隊が向かうので、敵軍に手出ししないよう注意しろ」
「了解」

 九七重爆は1,000kgの爆弾が搭載可能だ。
 ただ今回は長距離爆撃なので、搭載量は減らしているだろう。しかし、直協機とは比べ物にならない攻撃力を持っている。

(これでA軍の戦意を挫ければいいが・・・・)

 ここに最も近いA軍の進撃阻止は、それだけここで腰を据えて戦える時間が延びるということだ。
 最終的には十堰を放棄するとはいえ、撤退に伴う混乱で思わぬ痛手を被ることもあろう。
 ならば、その前に敵戦力を減らすことは作戦の成否に関わる重要な案件だった。

「B部隊交戦開始!」
「CおよびD部隊戦線離脱開始、落伍車なし!」
「C軍に対する戦果確認急げ。それとD部隊は所定の第一防衛線へ向かうように指示しろ」

 時賢は指示を出しながら時計を見遣る。

(もう少しか・・・・)

 直協機の交代時間だ。
 しかし、爆撃に出たものたちはまだ出撃していない。
 このため、上空偵察に空白が生じる予定だった。

「A軍に対し、第二飛行集団が爆撃開始!」

(これでA軍は止まるか? A部隊でB軍の腹背を突くか?)

 逡巡したが、答えは待機だった。
 A部隊がA軍に抜かれれば、他の部隊が孤立する可能性がある。
 如何に本部に予備があるとはいえ、軍と戦えるほどではない。

「・・・・ッ!? A部隊より報告!」
「どうした!?」
「第二集団爆撃に乗じ、敵軍への再突撃を実施する、とのことです」

 現場の判断で勝手に動いた。
 戦術上効果的だが、もしB部隊がB軍に敗れた場合、両者の間には大きな間隙が生まれる。
 そこにB軍が入れば、A部隊は包囲殲滅されかねない。

(チッ、もっと厳命しておけばよかったッ)

「すぐに引き返すように命令しろ! 後、A方面担当の直協機にも反転を催促するように伝えろ!」
「了解!」

 今まで張り付いていた直協機は先程帰途に就いたが、交代の機体が離陸したと報告を受けている。
 飛行機ならば10分くらいで現場に着くだろう。

(くそ、独断専行の気がまだ向けていないなっ)

 戦略的独断だった満州事変は元より、日本陸軍は現場での独断専行が絶えない。
 教範にも現場での決心を重視すると記されている。
 戦域が広がり、司令部が直接戦場を見られない現代戦に対応するための策だ。しかし、戦術的勝利にこだわるあまり、戦略的判断要素を教えられていない現場指揮官が暴走することが多々あったのだ。
 今回のA部隊の突撃もそれである。

「後方より通信。・・・・・・・・・・・・総攻撃、始まりました!」
「よし!」

 せ号作戦の第三段階、全軍による敵軍包囲殲滅作戦に移行したのだ。

「我々はその横腹を守る」
「はい!」

 歩兵中隊長が力強く答えた。

「A部隊、反転開始!」
「よし、今回に付き不問。ただし、次は軍法会議だと伝えろ」
「・・・・はい」




 以後、武隼支隊は中国軍をあやしつつ所定の行動に従事する。だが、それは敵軍が十堰に近づくことを意味していた。
 作戦開始から3日、武隼支隊は十堰を放棄、東へと撤退する。
 それまでの損害は九七式改中戦車4輌、死傷者27人。
 戦闘の割に損害は少なくすんだのは、徹底的に白兵戦を避けたからだ。
 日本軍の特徴である運動戦で常に敵の後方や側方から攻撃、離脱を繰り返した。
 結果、中国軍は進軍速度を鈍らさざるを得ず、武隼支隊は距離を保ったまま後退できたのだ。




「―――まずはご苦労様と言いたい」

 作戦開始から4日後、合流地点に武隼支隊は集結していた。
 ここで弾薬などを補給し、再び遅滞戦術に出る。
 その前のミーティングだった。

「目立った損害がなく、5日目に入れたのは貴君らのがんばりだ」

 支那派遣軍総司令部からの命令は、1週間持ちこたえろ、である。

「少将殿、総攻撃の旗色は如何でしょうか」
「・・・・やや遅れている。包囲した敵軍に対し、こちらの兵力が足りない」
「「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」」

 中国軍60万に対し、日本軍は47万。
 中国軍はこれまでの戦いで10万以上を喪失しているが、日本軍も兵力の全てを投入していない。
 数的劣勢は明らかであり、包囲網を縮めるごとに増す敵軍の防衛密度に苦戦していた。
 敵軍の防御が甘いところに機動し、それを突き崩すことを得意とする日本軍は、真正面からの力攻めには弱い。
 何より消費弾薬が多すぎると、今後の作戦にも影響するのだ。
 如何に満州、朝鮮、台湾に弾薬生産拠点を新設したとは言え、ようやくイタリアの背中が見えてきたレベルだった。
 今回の戦車のみの遅滞戦術も主計課が見たら悲鳴を上げることだろう。

「少将殿! 総司令部より指令です」
「ん?」

 暗い空気がその場を支配しようとした時、突然通信兵が飛び込んできた。

「読め」
「はっ! 発、支那派遣軍総司令部。宛、西方防衛隊」

 西方防衛隊とは武隼支隊の通信名だ。

「き、貴隊の作戦は中止、即時撤退せよ」
「は?」

 間抜けな声を出す時賢。
 しかし、それは各部隊長も同じだった。

「ほ、報告! 上空偵察機より報告です。ここから東方に敵軍多数! こちらに向かってきます!」
「っ!? 数は?」
「詳細不明! しかし、万以上!」

(包囲された、だと!?)

 時賢たちはいすを蹴倒して立ち上がる。

「状況把握。本部付きから偵察隊を出せ。各部隊は出撃準備、歩兵は陣地撤収準備」
「「「「「はっ」」」」」

 すぐに命令を下した時賢は、もう一度いすに座り直した。そして、どうしてこんな状況になったか考え始める。

(包囲網が突破された。そうとしか考えられない)

 大軍の中国軍が拠点防衛ではなく、一点突破の包囲脱出に動いた時、日本軍の一部隊ではそれを支えきれない。
 当然、それは指摘されていた。
 だが、対日戦に振り切った蒋介石が、緒戦から拠点放棄に出るとは支持率的に考えられないと判断されている。
 包囲完成まではその判断は正しかった。

(ここに至り、全面撤退に移ったわけは、拠点を捨てて兵力を温存する手に出たか・・・・)

 それでも落後する兵は多く、撤退できる兵力は少ないだろう。
 華中の中国軍撃滅という戦略的目的は果たしたと言える。

「だから交戦ではなく、撤退を命じてきたのか・・・・」

 ここで虎の子の戦車部隊を失うわけにはいかないのだろう。

(なら、問題はどう撤退するかだ)

 包囲網を突破した敵軍は敗残兵だ。
 ここから日本軍の主力が展開する地域まで、溢れんばかりに存在するだろう。
 迂回などできない。

(だったら、貝のように陣地に引きこもり、防衛線に徹するか)

 有力な戦車部隊の砲撃を見て、こちらに逃げてくる敵兵は少ないだろう。

(だが、行きがけの駄賃とばかりに攻撃を仕掛けてくる者もいるだろう)

 何より包囲網を突破した部隊を追撃する友軍がいなければ、武隼支隊は敵中に孤立する。そして、時賢本人、退却する敵軍に対する追撃はないと見ていた。
 逃げ出した敵より、今なお包囲網に捕まったままの敵軍を殲滅する方が先なのだ。

「どちらにしろ・・・・我々で解決しなければならない、か・・・・」

 友軍は頼りにならない。
 周りは敵だらけ。

(まるで、関ヶ原の戦い末期の島津軍のような状況だな。・・・・・・・・関ヶ原?)

「少将殿! 全戦車、発動機始動! 歩兵も自動車への乗り込み、完了いたしました」
「分かった」
「・・・・して、如何いたしましょう」

 従兵の報告に鷹揚として頷き、時賢は立ち上がった。

「ああ、敵中を中央突破する」
「はっ。敵中を・・・・・・・・中央突破ァッ!?」

 驚く従兵を放置し、腹に響くエンジン音が響く外に出る。

「このまま横を見せれば次々と分断される。ならばひとまとまりとなり―――」

 外には部隊長たちが待機していた。

「敵中を一点突破する!」

 突飛な命令で前線を走り回った部隊長たちもさすがにこれには驚いている。

「敵軍は敗残兵だ。ならばこちらから堂々と鋼鉄の車両で蹂躙してやろう」
「戦車40輌、歩兵300で、ですか?」
「どうせ長くは戦えない。だったら最短距離を突っ走ろう。邪魔する者は文字通り踏みつぶして、な」

 時賢は快活な笑みを浮かべながら部隊長たちを見回した。

「二縦陣で抜ける。両縦陣中央にトラックを配備、その両側面にも戦車を貼り付けろ」

 時賢は1輌の戦車を見遣り、その視線をA部隊長に向ける。

「1陣は俺が直卒、もう1陣は貴様に任す」
「はっ!」
「追撃は厳禁。友軍との合流を最優先に。・・・・分かったな」
「了解であります!」

 一度厳重注意を受けているA部隊長は額に汗を滲まして敬礼した。
 また、時賢が直卒する戦車は戦闘で車長が負傷した1輌だ。
 これを元の部隊から引き離し、本隊付きとしていた。

「陣形構築開始!」
「「「「はっ!」」」」




「―――偵察機より報告。前方3km、敵集団」

 時賢の中央突破決心から3時間後、武隼支隊は敵軍と遭遇した。
 二縦陣の前方には直協機が展開している。
 先制攻撃で敵軍の進路を変えるなどして撤退の手助けをしていた。しかし、東に向かえば向かうほど、中国軍が溢れている。
 全てをすり抜けるなど不可能だった。

「戦闘用意!」

 戦車上ハッチから顔を出していた時賢は、手に持っていた旗を振り上げる。
 それを見た各車長は車内に引っ込み、ハッチを閉めた。

「先頭車両」
『こちら、先頭車両。敵影まだ見えず』
「見え次第撃ち方開始。走りながらでいい。命中よりも示威目的だ」
『了解』

 車内無線でそう命じた後、時賢は通信機器を見遣る。

(ドイツとの軍事技術協力、恩恵は見事だな)

 これは海軍主導の外交だ。
 元々海軍の艦艇技術をドイツに提供した見返りだと聞く。
 潜水艦、戦車などの兵器から冶金、人工製油、レーダー、無線などと言った最先端技術も援助された。
 ドイツはソ連と結んだラッパロ条約で陸上・航空兵器開発の道筋を付けた。しかし、海軍はソ連と協力できない。
 かつてバルチック艦隊など海軍を要したロシア帝国を前身に持つソ連でも、日露戦争で壊滅した海軍を再生することはできなかった。
 そんなソ連から、第一次世界大戦まで強大な外洋艦隊を保有していたドイツが学ぶことは何もなかったのだ。

(嘉斗様の、というか亀様の発想と聞くが、戦場でその恩恵を受けるとは数奇なもんだな)

 戦車戦の真っ最中に車長が上部ハッチから顔を出し、旗信号で連絡を取り合うなどゾッとする。
 無線機があれば車内から命令を出すことができるのだ。

(状況把握ができるかはともかく―――ッ!?)

 前方から発砲音。
 九七式改中戦車が持つ九七式五七ミリ長砲身砲だ。

『敵歩兵を10時方向に視認』
「10時、10時と」

 砲手が砲塔を旋回し、報告があった方向に砲口を向ける。

「こちらも視認。・・・・歩兵のみで行軍態勢も乱れています」

(こちらの砲撃に驚いた、というところか)

『2時~10時方向に敵兵視認。・・・・中央突破、変わりませんか?』
「変わらず進め。機銃も使え」

 時賢の言葉と共に各車両が車載機銃の試し撃ちをする。
 また、歩兵部隊を載せたトラックでも機関銃や小銃の試射が行われた。
 戦闘準備完了だ。

「突撃!」

 九七式改中戦車の車列が、逃げ惑う中国兵に突っ込む。
 まともな対戦車兵器を持たない敵兵は文字通り蹴散らされた。
 将校らしき者が怒号を放って抗戦を命じるが、次の瞬間にはその辺りに着弾した榴弾で木端微塵となる。
 戦車に手榴弾で肉弾戦を挑むのは、世界広しと言えど日本兵くらいである。
 それは無謀な突撃ではあるが、どんな歩兵も対抗手段を持てるという意味では精神的に大きい。
 一方でただの歩兵が戦車に敵わないと身に染みている中国軍は数十輌の突撃に完全に崩壊した。

『歩兵より各車、北方、重機関銃視認!』

 歩兵を載せたトラックは戦車よりも視界が効く。
 また装甲もないために重機関銃が火を噴けば殲滅されるだろう。

「砲塔旋回、見つけ次第撃て」
「了解であります!」

 砲手が砲塔を旋回させ、装填手が次弾を手に持つ。
 走りながら狙いをつけるのだ、砲塔は常に回っていた。

「見つからないか?」
「み、見つかりません!」

 他の戦車も同様なのか、発砲音は聞こえない。
 敵が撃ち出せばわかるが、撃破前に歩兵が犠牲になる。

「チッ!」
「少将殿!?」

 時賢は立ち上がって頭上のハッチを開けた。そして、勢いよく車外に顔を出す。

「うぷっ」

 顔を叩いたのは風だった。
 同時にやけっぱちになった中国兵の銃声も耳に入る。

「危険です! 顔を引っ込めてください!」

 装填手が叫ぶが、時賢は首を巡らせて重機関銃を探す。

「・・・・いた!」

 あまり褒められた手際ではないが、重機関銃を組み立てている者たちを見つけた。

「方位290、距離800!」

 時賢の声に砲塔が回る。

「・・・・見つけた!」
「確実撃破だ。車列から離れ、停車射撃。撃破後、速やかに車列に戻れ」

 目立つ時賢に集中し始めた弾幕に怯まずに命じた。

「・・・・ッ」

 道から外れ、でこぼこした地面を走り出した戦車が揺れる。
 操縦手が敵を正面に捉えたため、砲塔も正面に戻った。

「停止! ―――ッ」

 ガクンと急停止した慣性の法則で、ハッチの縁に胸をぶつける。しかし、苦痛の声を抑え、敵を見据えた。
 砲身が敵を探すように一度揺れ、とある角度に固定される。

―――ドンッ!

 五七ミリ砲が発射され、戦車が大きく揺れた。そして、その揺れが収まらない内に再び動き始める。

「命中、撃破だ」

 重機関銃を放り出し、逃げ惑った敵兵が吹っ飛ぶのを確認し、時賢はハッチから顔を引っ込めた。

「歩兵隊、よく敵を見つけた。その調子で頼む」
『了解!』

 小銃の銃声に混じって応答がある。
 重機関銃の脅威が去っても、敵の小銃は飛んでくるのだ。

「ふぅ・・・・・・・・・・・・ん?」

 無線機を置いた時賢は、呆れるような視線に気づいた。

「少将殿は死にたいんですか?」
「いや、そんなことはないが?」

 戦車乗員の中で、意外と車長の戦死率が高い。
 上部ハッチから周囲を索敵している途中に狙撃されることが多いからだ。

「行軍のゆっくりした速度ならばともかく、戦闘機動中に狙撃されることは滅多にない。まあ、小銃弾の流れ弾くらいだろう」

 事実、ハッチに命中した弾丸があった。

「それでも少将殿はこの部隊の総司令官なんですよ?」

 話しながら、彼は装填作業も怠らない。
 訓練された淀みない動作で装填し続けていた。

「・・・・今後、気を付けよう」

 兵に注意された時賢は小さくなる。
 日本陸軍として、この光景は異様だった。しかし、狭い戦車内であるからこそ、同車両の距離は近い。
 歩兵部隊には理解されない、機甲科の空気でもあった。

「とにかく、燃料が尽きるまで走る」

 九七式改中戦車の航続距離は約200km。
 巡航速度よりも早い進軍速度のために、200kmは走れないだろうが、味方の勢力圏に逃げ込むことは可能なはずだった。




 1942年6月2日、武隼支隊は中国敗残兵集団を抜け、友軍と合流した。
 脱落戦車なし、死者なし、負傷者40名と奇跡的に軽微。
 それは一点突破による戦闘時間の短さ。
 車両による速度が物を言ったからである。

 時賢は戦車部隊を返納したが、そのまま前線に留まり、包囲殲滅戦を指導した。
 数万規模の脱走者を許したが、未だ数十万規模の戦力が包囲網の中にいる。
 総攻撃開始から一週間が過ぎた段階での戦果は、これまでの単一作戦の戦果を大きく上回っていた。
 遺棄遺体約3万、捕虜(重傷者含む)約10万、武器弾薬多数鹵獲。
 中国軍の編制からすれば、21個師を喪失したことになる。
 日中戦争の中で破滅的な敗北と言っていい。
 それもまだまだ戦果は増える。
 包囲殲滅戦で占領地域が縮小した関係で、包囲外の中国軍に対する備えも万全と言えた。
 事実、敗残兵を掻い潜ってきた十堰方面からの部隊は、日本軍の逆襲を受けて壊滅している。

「―――そんな順調なのに呼び出しとか・・・・―――何だ?」

 6日、時賢は突如南京に呼ばれ、飛行機で移動していた。
 久しぶりに顔を出した司令部は、皆慌てたように行き来している。

「あ、武隼少将殿」
「総司令官殿はいらっしゃるか?」

 敬礼の交換の後、総司令部前の衛兵にそう尋ねると彼は頷いた。そして、司令部の扉をノックする。

「武隼少将がお越しになられました」
『通せ』

 中から畑の声がした。
 どこか憔悴したような、やや余裕のない声だ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 さすがに不安になってきた。

「武隼少将、召喚に応じ、参上いたしました!」

 入室するなり敬礼する。

「うむ、ご苦労」

 畑は時賢に着席を促すと、単刀直入に本題に入った。

「昨日、旧友から緊急電が入った。大本営は何も言ってきてはいないがな。いや、だからこそ、この情報は真実と言えよう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それは?」



「―――中部太平洋で海軍が大敗した」



 昨日――1942年6月5日。
 その日に起きた海戦。
 後にその海戦をこう呼んだ。
 「ミッドウェー海戦」と。









第46話へ 赤鬼目次へ 第48話へ
Homeへ