世界最終論と石原完爾
世界最終戦論。 これは大日本帝国陸軍の軍人である石原莞爾の代表著作である。 1940年9月に出版されたこれは、元々同年5月に京都で行われた「人類の前史終わらんとす」の講演内容が元になっていた。 世界最終戦論は、第一章「戦争史の大観」、第二章「最終戦争」、第三章「世界の統一」、第四章「昭和維新」、第五章「仏教の予言」の全五章からなっている。 石原のこの理論は、ヨーロッパ戦争史の研究と田中智学からヒントを得たと話していた。 彼はこの理論に従い、その発表前から彼は動く。 日米開戦を十年前から予想していた石原は日米決戦の前提として満蒙の領有を計画したのだ。 その計画は柳条湖事件として表れ、満州事変が勃発した。 戦後、この思想を放棄した石原だったが、責任を取る形で退役する。 以後、教育や評論、執筆・講演活動に勤しんでいた。 高松嘉斗side 「―――高松嘉斗殿下、御噂はかねがね」 堀から紹介を受けた3日後、嘉斗は石原を訪ねていた。 「突然お邪魔して申し訳ありません」 嘉斗は通された部屋に堀と共に座り、頭を下げる。 皇族が頭を下げる、その様を坊主頭の石原は無表情で見ていた。 「お話とは、何ですかな?」 石原を退役へと追いやったのは、嘉斗の同志――武隼時賢だ。 中央から送られてきた彼が、石原を、満州事変の拡大を止めたのだ。 「単刀直入に伺います」 「どうぞ」 「あなたはこの日米戦、どういう経緯をたどると思いますか?」 天才と称された陸軍の参謀。 その意見は端的だった。 「結果は日本の破滅的敗北でしょう」 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」 その結果を回避するために準備してきたふたりは沈黙する。 「そもそも油が欲しいから戦争するなどと言う子供の理論がおかしい」 戦前の日本経済はアメリカに頼っている部分が大きかった。 そんな相手に戦いを挑んでも、如何に戦場で勝とうとも破滅するのは目に見えている。 「開戦根拠を問うとその通りだが、何故破滅的な敗北となるのか?」 堀はため息をつきながら言った。 頭の切れるものほど、結論を話して途中を省略するものだ。 「そうですね。それを説明しましょう」 石原は考えるように茶を含み、強い視線を嘉斗に向けた。 「敗因は技術力、組織力、戦争主導力です」 技術力は兵器の開発。 組織力は戦力の運用。 戦争主導力はトップのカリスマ性だ。 「前ふたつは分かるが、最後は?」 「アメリカはルーズベルトと言う主導者がいますが、日本はいません」 最終決定権を持ち、国を導くカリスマ性のある人物がいない。 いや、いるにはいる。 東條英機首相と天皇だ。 前者は海軍は元より陸軍の中にも敵が多い。 日本軍全体の統一意志など形成できないだろう。 一方で後者は、当人の立ち位置と国際的地位から表立って主導することができない。 このため、今の日本にはカリスマ性を有する明確なトップがいないのだ。 「そんな日本は戦争主導案が二転三転し、結果的に時間を浪費して打つ手が後手後手となってじり貧となるだろう」 「そうならないために、先を読める人物の意見を元に情報収集しようというのです」 嘉斗も目に力を込め、石原を見返した。 「そのひとりがあなたです、石原莞爾」 「私の意見をどう扱いますか?」 「これまで通りに」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 石原は嘉斗がやってきたことを知っていると、嘉斗は踏んでいる。 何せ堀の紹介なのだ。 「確かに殿下の行動が、いわゆるバタフライ効果で日本の発展につながったと思います」 特に経済や組織制度、理念に強く表れている。 「結果、日本国力は底上げされました」 工業製品国外輸出に伴う日本標準規格の軍需品適用(大量生産によるコスト減、互換性部品使用による整備効率化、工作機械の効率化等)。 基礎工業能力向上による外国製品ライセンス生産可能(建設機器、自動車、エンジン等の性能向上)。 「また、外交政策の結果、軍事的にも大きな役割を果たしている」 陸軍大学、海軍大学の統合による防衛大学の発足。 航空母艦請負建造(独伊、欧州戦線で活躍)。 二等駆逐艦販売(タイ等。軍縮条約失効後、一部は日本海軍に配備)。 大型軍艦同時建造能力向上(4隻→8隻)。 島嶼部の軍事基地化(トラック諸島・パラオ群島にて軍艦・航空機整備可能) レーダーの開発促進(開戦時に試作品実験開始)。 「ですが、戦闘の先読みは平時よりも困難ですぞ?」 「分かっています」 「そして、警戒態勢が厳重になります」 石原の眼光が鋭くなる。 「その状況下でどうやって情報収集すると?」 「それは企業秘密です」 嘉斗は未だに軍令部第三部(情報)に身を置く情報士官だ。 しかし、その情報収集方法はあまり他言できるものではない。 (気付きましたかね) 嘉斗の言葉に一瞬だけ呆気にとられた石原だったが、すぐに表情を強張らせた。 この時代の娯楽用小説でも散々描かれた魔術。 それを当然のように使える存在として描かれる皇族出身の嘉斗。 「・・・・方法はいいだろう」 石原が何か言い出す前に、堀が話題を戻す。 「・・・・・・・・・・・・・・・・第一作戦は成功するでしょうが、アメリカの意志は挫けないでしょう」 石原は首を振って魔術のことを頭から追い出し、自身が考えた日米戦の行方を話していく。 要約すれば航空機と決戦兵器の発展による短期決着だ。 ただ、短期と言っても決戦兵器の出現まで時間があり、おおよそ3~4年の期間は戦いが続きそうだ。 「アメリカを打倒するにはアメリカ本国を叩かなければ意味がありません」 「だが、陸軍にアメリカ上陸は無理だろう」 「海軍も陸上戦力輸送は無理でしょう?」 陸海が誇った頭脳は、アメリカ本土占領作戦は夢物語と認識していた。 「・・・・ですが、工廠や工場は・・・・・・・・・・・・うむ」 彼らと違い、嘉斗は何か考え込むように顎を撫でている。 「石原さん」 「何でしょう?」 「これからの諜報戦のイメージが湧きました。ありがとうございます」 「・・・・それはよかった」 爽やかな笑顔と共に放たれた「諜報戦」という言葉に顔を引き攣らせたが、何とか平静を保ったようだ。 「また何かありましたら相談させていただいても宜しいでしょうか?」 「・・・・ええ、構いません。こんな私でよろしければ」 すっかり帰る雰囲気になったと思った堀が湯呑に残った茶をあおる。 そこにはやや疲れた表情が浮かんでおり、同じく湯呑を傾ける石原の表情に同情の色が浮かんだ。 「ところで、第二作戦で案はありませんか?」 「「ぶぅ!?」」 思わず噴き出した茶がふたりの正面で激突。 そのまま重力に従って、広げられた資料を濡らす瞬間、突風が吹き荒れてそれらは霧と化して霧散する。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 目の前で見せられた何気ない魔術に唖然とした石原が、先程と同じような笑みを見せる嘉斗を恐る恐る見遣った。 「さあ、遠慮なく、どうぞどうぞ」 にこにこと笑みを浮かべながら、陸軍なら軍法会議ものの意見を求めてくる。 「・・・・なら、僭越ながら・・・・・・・・」 「この人にはかなわない」と傲岸不遜の石原も、さすがに脱帽した。 「―――石原莞爾、面白い人物でしたね」 たっぷり4時間、石原と談義した嘉斗は鼻歌を歌い出さんばかりの表情で堀に言った。 「はぁ~・・・・」 そんな表情の嘉斗とは違い、堀は電柱に手を当てて深いため息をついている。 辺りはすっかり暗くなっているので、電灯の下でのそれはよく目立っていた。 「お疲れですね」 「ええ・・・・」 本当に気力がない。 「そんなに僕の話す内容が心臓に悪かったですか?」 「確信犯だったんです!?」 「ええ、まあ」 いきなり元気になってツッコミを入れた堀に首肯した。 嘉斗が行ったのは海軍の情報を陸軍、しかも一般人に漏らすようなことだった。 石原がその気になれば、今後の陸海予算会議などで海軍が不利に立つだろう。 「大丈夫ですよ。―――"石原さんは"、ね」 嘉斗が路地裏に視線を向けた。そして、その隣には家屋の屋根から降り立った侍従武官が立つ。 「出てきてください」 虹彩がやや発光した嘉斗の視界には、闇に潜む人間が見えていた。 その様は、隠れていた者にも見えたのだろう。 「これは高松中佐。ご高名な海軍佐官にお会いできるとは光栄です」 闇から出てきたのは、憲兵隊の制服に身を包んだ将校だった。 階級は少佐。 制服着用で護衛もなく市井を歩くには、いささか高官過ぎる。 「今は中佐ではなく、直宮ですが、ね」 嘉斗は軍服を着ていない。 一緒にいる堀も元軍人の一般人。 隣に立つのは護衛の侍従武官。 どう見ても軍人仕様ではない。 「後ろにいる方々も出てきてもらっても構いませんよ?」 嘉斗は少佐の背後に視線を向けた。 その闇にうごめく影の数は、5人。 「いえ、彼らは・・・・」 (憲兵隊が雇った民間協力者ですかね。・・・・僕を見張るための) 言いにくそうに口ごもった彼に、嘉斗は笑顔を向ける。 「帝都には米英の諜報員もいるでしょう。防諜はお任せいたします」 「おいおい」 堀が呆れているが、知ったことではない。 嘉斗は「自分にかまけておらずにしっかり米英の諜報員を捕まえろ」と言ったのだ。 尾行していたことを突っ込まれれば、「偶然見かけたので護衛していた」とでも答えるつもりだったのだろう。 嘉斗はその返答すら封じたのだ。 曰く「自分を護衛する暇があれば云々」である。 「・・・・失礼いたします」 屈辱に顔を歪めた少佐が敬礼し、踵を返した。 その背中に冷ややかな視線を浴びせた侍従武官は、現れたと同じく魔術で跳躍して姿を消す。 「・・・・陸軍とあまり波風を立てない方針ではなかったのですか?」 「つい、ね。毎日毎日追い回されてうんざりしているんです」 「何回不敬罪で捕まえてやろうかと思ったか」と嘉斗は笑った。 「それだけ、陸軍にとって殿下は不気味な存在なんですよ」 嘉斗ほどアグレッシブに動いている皇族はいない。 皇族と言う権力は黒を白としてしまうほど強力だ。 ある種のジョーカーと言っても過言ではない。 かつて、陸軍は海軍が要した伏見宮元帥に対抗する形で後続を参謀総長に上げざるを得なかった経緯がある。 あの時期、伏見宮に能力で対抗できても、血筋で対抗できる人材がいなかったのだ。 「人材資源の無駄遣いです」 嘉斗は陸軍が嫌いではない。 むしろ、海軍よりも理性的な部分が多々ある。 陸海協調を主張し、いくつもの陸軍成果を海軍に導入していた。 「なるほど。殿下が嫌いなのは東條首相ですか」 「・・・・兄は信頼しているようですがね」 東條英機。 1884年(明治17年)東京都生まれ。 歩兵科出身で近衛、海外駐在武官、参謀本部、陸軍省と渡り歩いた軍政畑の人間だ。しかし、戦場も知っている。 関東軍憲兵隊司令官や関東軍参謀長を歴任した他、汪兆銘の救援要請に答えた南京戦で指揮を執った。 陸軍次官、陸軍大臣を経て総理大臣に就任。 天皇からは開戦回避を期待されたが、今開戦しなければ戦う前に日本は崩壊すると判断して開戦に踏み切った。 その後、作戦指導の統一のために陸軍内や民間の不穏分子を、憲兵隊を使って監視している。 あからさまではないが、海軍の人間も監視されていた。 「―――高松宮は石原莞爾と会っていたようです」 嘉斗と石原の会談後30分、首相官邸に先の情報がもたらされた。 出所は憲兵隊。 それを聞くのは東條英機首相、伝えるのは赤松貞雄内閣総理大臣秘書官である。 「『陸軍の麒麟児』。また、私の前に立ちはだかるか・・・・」 東條は第一作戦の勝報に沸く東京を見ながら呟いた。 「高松宮の実行力に石原の妄想が加われば危険です」 「そこは堀がうまく調整するだろう」 東條は嘉斗が石原の言いなりになるとは思っていない。 目力で会う者を圧倒し、シンパを増やしていくあの男の目は彼には効かない。 かつて、東郷平八郎を味方につけ、伏見宮殿下としのぎを削った傑物である。 士官学校を卒業し、軍務につくようになってから大人しくなったようだが、最近は精力的に動いている。 (陛下に伝え、御上から動きを制約したが、まだまだか・・・・) 「夫人の方はどうなっている?」 「・・・・昨日、痴漢と間違われて逮捕された監視員の代わりが見つかっておりません」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 高松亀。 旧姓、有栖川亀。 夫が軍務に縛られている間、政財界の日陰で動いていた。 何せ皇族、華族、旧士族に顔がきく、これぞ血筋の醍醐味と言うべき女だ。 『言葉』を司る有栖川家の人間として、彼女の言うことを信じる要人は多い。 おまけに護衛についている侍従武官は、容赦なく憲兵隊員を皇宮警察に逮捕させていた。 分かっていて泳がせている嘉斗とは違う点だ。 (魔術師め・・・・ッ) 東條までの地位に上り詰めれば、当然魔術師の存在は知っている。だがしかし、許容できるかは別だ。 「とにもかくにも、監視だ。変な行動を起こせば御上に陳情する」 「はっ」 皇族は動いてはならない。 国体護持をなすには、これが絶対条件だ。 「この戦、国民が一致団結して勝たねばならんのだ」 国家総力戦体制の構築。 それが、彼が率いる統制派が掲げてきた思想なのだから。 「くははははは!!!!」 一方、嘉斗を送り出した石原莞爾は、呵々大笑していた。 「面白い。彼があの武隼時賢の同志か!」 自身の主張にも屈せず、最終的に戦車を用いて満州事変を止めて見せた時賢。 その海軍版とも言うべき嘉斗との会談は、石原に大きな刺激を与えていた。 「これからの対米戦の行方、か・・・・」 手元には嘉斗が置いていった資料がある。 また、嘉斗が帰った後に踏み込もうとしていた憲兵隊は人知れず駆逐されたようだ。 嘉斗は海軍中佐だが、同時に皇族である。 侍従武官を動員できることは周知の事実だった。 「さすがの東條も公には手を出せぬ、か」 何故もっと早くから近づかなかったのか。 石原は自身の視野の狭さに笑いが止まらなかった。 陸軍だけを考えていた自分が、世界を考えている嘉斗に敵うはずがない。 この点で言えば、いわゆる条約派と言われた堀にも、石原は敵わないだろう。 「政略は敵わずともよい」 そういうのは軍政畑に任せておけばいいのだ。 「俺は戦場を知る軍人よ」 石原は筆を取り、資料を読みながら要点を書き記していく。 (さすがは情報将校、視点が違う) そう舌を巻きながら持ち前の頭脳で、物事の裏側まで読んでいく。 「・・・・ふん」 石原は面白くなさそうに世界地図を見た。 「両軍における死地はここだな」 そう呟き、戦略・戦術を考案するため、知り合いの大学教授へ電話を掛けようと立ち上がる。 机の上に残された地図には、丸印が書き込まれていた。 その場所は、ニューギニア・ソロモン。 |