横須賀海軍航空隊と二式艦偵
横須賀海軍航空隊。 海軍航空隊の中で最初に設立された部隊である。 現在は航空隊要員の教育・錬成、新型機の実用実験、各機種の戦技研究を担当していた。 それと同時に有事の際には東京湾防衛の任務も負っている。 開戦に伴い多数の航空要員育成を行っており、連日航空機が空を飛び交っていた。 「―――さて皆さん。まずはおめでとうといっておきます」 1942年2月20日、昨夜からバリ島沖海戦が始まっていたが、本土の横須賀は平和なものだった。 ここで第三次臨時航空隊要員の入隊式が行われていた。 「私は皆さんの精神教育を行う高松嘉斗です。階級は中佐」 嘉斗はメガホンで自己紹介する。 入隊式は屋外で行われており、まだまだ寒い中で長い時間立たせるのはまずいと分かっていた。 だから、嘉斗は手短に話をする。 「最初なので、一番大切なことを言います」 この入隊式に参加している要員は全員で500名。 機種も母艦機、陸上機、水上機など多様である。 早ければ半年後には実戦配備されるはずだった。 「何が何でも生きて帰ってきてください」 以下、高松嘉斗海軍中佐の訓示全文である。 『あなた方、航空隊要員は精鋭です。世の中には少数精鋭という耳触りのいい言葉がありますが、戦争はそんなに優しくはありません。 また、被弾して敵に突撃すれば、確かに被害を与えられるかもしれません。しかし、被弾しても帰還し、その後出撃すれば敵艦撃沈の機会もあります。 身も蓋もないことを言ってしまえば、あなた方が出撃するまでに必要な経費は膨大です。それを自己満足で敵艦突入という自爆で喪うには痛すぎます。 たかだか1隻程度の敵艦と引き換えにするほど君たちの命は安くありません。 あなた方が動かす翼は、戦争を終わらせることができるのです。 海軍は技術を尊び、理性的な行動が重要視されます。 これからその術を学び、終戦の英雄になるため研鑽を怠ることないよう宜しくお願いします』 初代航空本部長である山本英輔以降、人命軽視の風潮は海軍航空隊にはない。 防衛大学でも同じ教えをしており、将官級でその思想に捉われている者は少なかった。 だがしかし、報道で自爆攻撃による敵機撃墜が大きく取り上げられたり、英雄視されたりする風潮が市井にはある。 嘉斗は真っ向からこれを否定したのだ。 高松嘉斗side 「―――反応は上々だよ、高松中佐」 講演後、嘉斗は司令室に呼ばれていた。 当時の司令は上野敬三海軍少将で、根からの航空屋である。 彼も若い頃に同じような訓示を聞いたことがあった。 「最近の教官は如何に航空機が優れており、決戦兵力であるかを主張していた」 隊員の自尊心をくすぐる訓示であり、これも効果はあった。 だがしかし、いざ実戦配備されれば無茶な提案や決断をすることが報告されている。 「人命重視」、「帰還前提」、「決戦兵力」という内容を盛り込んだことで、彼らの意識は変わっただろう。 「金と言う俗っぽいことを言ったのも効果的だな」 上野は司令室の窓からランニングする彼らを見下ろした。 「良くも悪くも分かりやすい」 「ありがとうございます」 日本語は他の外国語と違い、遠回しの文句を使うことが多い。 特にこのような訓示では顕著だ。 その時に分かったつもりでも、実際には分かっていないこともあるのだ。 この辺りは演説力とも言えるのだが、政治ならばともかく軍には必要ない。 「司令、それでこの航空隊で試験中の機体とは何なのですか?」 「・・・・情報の得手である君も掴んでいないのか。なかなか防諜に優れるようじゃないか、うちの基地は」 横須賀航空隊は新型機の実用実験も任務の内である。 嘉斗は要員の精神教育の他、この実用試験の評価メンバーでもあったのだ。 「十三試艦爆」 「・・・・液冷エンジンを積んだ新型艦爆ですか」 「・・・・だったんだが、液冷エンジンはなかなか整備が難しくてな。空冷エンジンを積んだものを試験しているのだ」 欧米では一般的に見られる液冷エンジン搭載機も、日本にはない。 このため、それをなそうとした十三試艦爆は画期的なものだった。 「しかし、開戦でそれどころではないのでな」 「九九艦爆は早晩旧式化するでしょうからね」 九九艦爆は早期制式化を目指し、既存の技術で完成している。 このため、技術自体は昔のもので、陳腐化しつつあったのだ。 現在、2月に実戦配備された二二型に移行中だったが、根本的な解決には至っていない。 「新しいエンジンは金星四四型でな。多少大きい」 「その影響がどう出るか、また実用時での影響がどんなものかを調べる、ということですか」 「うむ、いろいろと取るべき情報が多い。よろしく頼む」 「はっ」 敬礼した嘉斗が回れ右して部屋を出た。そして、扉を閉め、振り返って歩き出そうとした嘉斗は、思わず足を止める。 「―――お待ちしておりました」 部屋の外に出た嘉斗を出迎える者がいたのだ。 階級章は少佐。 しかし、雰囲気が軍人らしくない。 「山名正夫。海軍造兵少佐です」 (技術仕官ですか) さすがに敬礼はきれいだが、軍人らしくない雰囲気の根拠が分かった。 本来は民間人なのだ。 「十三試艦爆の開発主任を務めています」 「高松嘉斗。海軍中佐です。試験機の情報収集を命じられています」 「はい、伺っております。忌憚ない意見を聞かせて頂ければ幸いです」 嘉斗が敬礼しながら自己紹介し、手を下すと、彼も右手を下した。そして、なぜここで待っていたのかと言う疑問に対する答えを言う。 「案内願います。といっても、私は鉄砲屋ですので、専門的な助言はできないと思いますが」 「いえいえ。専門的なものは餅屋が担当しますから」 山名の案内で歩き出す。 「十三試艦爆について、どこまでお知りですか?」 「元々、液冷式エンジン搭載の新型艦爆として設計され、戦時早期実戦投入のために空冷式に切り替えたことくらいですね」 「なるほど」 山名が歩きながらノートを広げ、その文言を読み上げた。 「敵空母への先制攻撃を目的に、『敵艦上機より長大な攻撃半径』と『迎撃してくる敵艦上戦闘機を振り切ることが可能な高速力』を備えることが目標になっています」 「難しいですね」 「・・・・ええ」 1点目はいい。 問題は2点目だ。 「最高速度280kt/hと言われましたよ」 約520km/hだ。 日本海軍新型艦上戦闘機の零式艦上戦闘機で約540km/hだが、開発開始時の主力戦闘機である九六式艦上戦闘機四号は435km/h。 当時の戦闘機より100km/h高速の要求を出されたのだ。 「達成したんですか?」 「アツタで約530km/h。金星で520km/hといったところですね」 「おお、それはすごい」 因みに米艦上戦闘機であるF4F ワイルドキャットは約520km/hであり、身軽な十三試艦爆ならば空中で逃げ切ることも可能だった。 「偵察機としても使えそうですね」 嘉斗は山名から渡されたスペックメモを見ながら呟く。 真珠湾攻撃に参加した嘉斗の戦訓のひとつとして、索敵の難しさがあった。 現在、空母艦隊の目は、巡洋艦が持つ水上偵察機に頼っている。 だが、水上機ゆえの足の遅さなどが問題になっていた。 この他には自前に艦攻を使用する方法があったが、当然ながら攻撃力が低下する。 「艦上偵察機、という機種があればいいですね」 空母の搭載機数が決まっている以上、全体的な戦力低下にはなるだろう。だが、攻撃偏重の結果、索敵を疎かにするよりはよっぽどいい。 「実は液冷タイプが実地試験のために派遣されていまして」 「へぇ。結果は?」 「エンジントラブルのために飛んでいません」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 思ったより深刻のようだ。 「今回、この空冷タイプがうまくいけば、上層部に言って実戦配備させましょう」 偵察機タイプでも実戦配備されれば、現地部隊からのフィードバックで改良された艦爆量産型は早期かつ高性能で実戦配備されるだろう。 真珠湾攻撃でも九九艦爆の脆弱性は目立っていたのだ。 熟練搭乗員の寿命を延ばすには必要な処置である。 「宜しくお願いします」 (ふむ、現地で作戦を見るよりも、僕向きの仕事のようですね) 嘉斗は、より血筋を生かせる仕事して、とりあえず、十三試艦爆の試験に関わることにした。 嘉斗の進言の結果、十三試艦爆空冷エンジン搭載型は第一機動艦隊に配備されることとなる。そして、運命のミッドウェー海戦に投入された。 「―――全く、勘弁してくれ」 一方、部屋に残された上野は隠していた書類を取り出していた。 そこには「要人監視計画」と記されている。 「試験場にかかりっきりになれば、そう動けないだろう、か」 計画を渡してきたのは上層部だ。 その上層部にかかっている息が宮内省・海軍省・内務省・内閣のどれかは分からない。しかし、上野はとある予想を抱いていた。 「御上はえぐいことを考えるな」 真珠湾攻撃奏上の後、嘉斗が天皇と喧嘩したことは海軍の中で結構有名な話だ。 現人神と喧嘩できる士官と言うことで下士官以下は戦々恐々しているが、ある程度の地位にいる物からすればため息ものである。 軍務には忠実だが、高松宮邸での夫婦喧嘩は有名かつ皇族の破天荒さを示すいい例だった。 だから、上野は今回の処置が御上から宮内省へ、宮内省から海軍省へ命令が伝達された結果と見ている。 分かりやすい餌を目の前にチラつかせることは、嘉斗の性格を理解しているといえ、いわゆるお役所である海軍省人事部の提案ではないだろう。 十中八九、実行計画の細部に至るまで、宮内省の意向が働いているはずだ。 「とりあえず、上には『作戦成功』とだけ伝えておこう」 「ごねられなくてよかった」とほっと息をつき、上野は茶を含んだ。 ―――もちろんだが、大人しくしている嘉斗ではなかった。 「―――ってわけで何かありませんか?」 1942年3月3日、高松邸。 嘉斗は客人を前にして、開口一番でのたまった。 「・・・・いきなりですね」 客人はそんな嘉斗に慣れているのか、優雅に茶を飲んでから返事する。 「いやいや、予想以上の戦果で、正直この後どうすればいいか分からないんですよ」 「確かに順調ですからね」 蘭印へ移った連合軍との戦いは、変わらず日本軍優位で推移していた。 蘭海軍と合流した米英海軍はスラバヤ沖海戦で攻勢に出たが、逆に司令官・ドールマン少将が戦死して敗北する。 陸戦でも日本軍は落下傘部隊の活躍で石油基地を制圧していた。 このように第一作戦が順調だからこそ、第二作戦を考案しなければならない。 もちろん第二作戦は考案されている。 それは戦果拡大を念頭に置いたものだが、未だ決定していなかった。 「しかし、私にそれを言っていいんですか?」 「今更ですよ、堀さん」 客人の名は、堀悌吉。 浦賀ドック・大日本兵器の取締役だが、条約派の元海軍中将である。 随分前から嘉斗の相談役を務めていた。 「・・・・具体的に、軍令部は何を考えているんですか?」 「・・・・・・・・・・・・一航空教官にそんな情報があるとでも?」 「確かに中佐としてはそうでしょうが、皇族軍人として、そして、情報将校として、手に入れているのでは?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 嘉斗は肩を竦め、机の脇に置いていた封筒を引き寄せる。そして、その中に手を突っ込みながら、右横を向いた。 「で、どうしているんです?」 「妻とひて、客をもてなすのは当然」 相変わらずの江戸言葉で、堀にお茶菓子を薦める亀。 「まあ、堀さんに相談している時点で、情報の機密性に言及するつもりはありませんが・・・・」 堀は元海軍のエリートだ。 あの山本五十六をして、堀を失うのは痛いと言わしめた逸材である。だが、亀は嘉斗の妻と言うだけで軍事的に後ろ盾はない。 いや、元士族の間では伝説になりつつあるらしいが。 前に前田家当主・前田利為に最敬礼で挨拶されていた。 「子供たちは?」 「昼寝中。富奈が見てる。ついでに彼女の子供も一緒に寝てる」 「そうですか」 とりあえず、子供たちが乱入してくることはなさそうだ。 「ほら、早く」 嘉斗の湯呑に新しいお茶を注ぎながら急かしてきた。 「はぁ・・・・」 その姿に、嘉斗はため息をついて書類を堀に差し出す。 「米豪遮断作戦という名で次のようなことを考えているようです」 目的:オーストラリアの脱落。 目標:フィジー・サモア・ニューカレドニアの占領による豪米シーレーンの遮断。 「順当ですね」 「そうですか?」 「机上では、ですね」 堀は目の前に広げられた地図をなぞり、先の三か所に円を描く。 「この方面根拠地となるラバウルから遠すぎます」 ラバウルは占領からすぐに海軍基地施設隊が展開し、多くの施設を建設中だ。 2月のニューギニア沖海戦で米空母の行動が確認されている。 この戦いで基地航空隊が大打撃を受け、その再建と拡充が急がれていた。 それなのにこの方面での攻勢作戦は実施段階で準備不足になる可能性が高い。 「山本は、何を考えているので?」 軍令部と連合艦隊――というか山本五十六――は異なった考えで作戦を立案している。 第一作戦では南方作戦が軍令部、真珠湾が連合艦隊である。 「山本長官はハワイ占領を念頭に置いた、ミッドウェー攻撃ですね」 「距離は近いが・・・・ううむ」 ミッドウェー島はハワイオアフ島の北西に位置している。 環礁で、サンド島とイースタン島の他に複数の島からなる。 ここを米海軍が基地化し、ハワイ防衛の一翼を担っていた。 「アメリカの考えは?」 「ズバズバ来ますね。・・・・まあ、いいですが」 先程の言葉と一転して機密情報を欲する堀に半眼を向けつつ、嘉斗は別の書類を手に取る。 「第三部の調べでは、アメリカは本土防衛作戦を本気で考えているようですね」 真珠湾作戦から日本海軍の潜水艦は米西海岸で積極的に動いている。 中には浮上して陸地に向けて艦砲射撃を実施する艦もあるようだ。 「反攻作戦どころではない、と?」 「ええ。小さな作戦は実施するでしょうが、戦役規模にはならないかと」 「となれば、第二作戦の主導権も日本軍が持つ、と」 「そうなりますね」 嘉斗はお茶を飲み、口の中を潤す。 「正直、戦争の行方が予想できなさ過ぎて、情報の精査ができません」 仮想敵を長年アメリカに置いてきた日本であるが、その大部分が強力な主力艦隊を如何に撃破するかである。 それが開戦劈頭に達成されたのだから、立案されていた数々の作戦が水泡に帰した。 今後はアメリカが回復する隙を与えず戦果拡大することが大切なのだが、その方法もさらなるアメリカの動向も予想できないのだ。 仮説がなければ情報部隊がうまく動かないし、実戦部隊も準備ができない。 「手探りの第二作戦になりそうです」 海軍が整備している情報網が一定の効果を上げるまで、まだ半年近くはかかるだろう。 第二作戦の実施は5月以降とされているため、間に合わないのだ。 「戦争の推移予想か・・・・」 堀が顎に手を当てて思案する。 「・・・・ひとり、心当たりがある」 「へぇ? 軍人ですか?」 「はい。私と同じ元が付きますが」 紹介しようというのに、堀は渋っていた。 「どうかしたんですか?」 「・・・・いえ、そうですね。会うか会わないかをご判断ください」 「分かりました」 頷いた嘉斗を前に、何度か深呼吸して堀はその名を言う。 「彼の名は、石原莞爾といいます」 「・・・・・・・・・・・・・・・」 ―――ビシッ 嘉斗の持つ湯呑が、ほんの少しだけ暴走した魔力によってひび割れた。 石原莞爾。 1889年生まれの山形県出身。 陸軍幼年学校出身者のエリートで、歩兵科を歩んだ。 特に戦術論に優れ、常に優秀な成績で士官学校、防衛大学を卒業する。 だが、「帝国陸軍の異端児」のあだ名がつくほど、組織内では変わり者だった。 また、自身のヨーロッパ戦争史の研究と田中智学の講演から日米決戦を前提として満蒙の領有を計画する。 その結果、日本の外交的転換点とされる、柳条湖事件(満州事変)の主犯のひとりだった。 |