南方戦線 -3


 

 フィリピン。
 南シナ海と太平洋を隔てる7,000以上の島々からなる地域。
 マレー系諸族が分布し、16世紀にスペインの植民地となる。
 その後、独立機運が高まり、フィリピン革命が勃発。
 当時、スペインと戦っていたアメリカの支援を受けて活動する。しかし、米西戦争に勝利したアメリカが革命軍を攻撃して全土を平定、植民地化した。
 最近は本国アメリカの世論が独立容認に傾き、憲法制定などが進んでいる。
 しかし、大日本帝国にとってフィリピンはアジアにおけるアメリカの一大根拠地であり、第一作戦の目的である「南方資源の確保」達成には攻略しなければならない地域だった。
 日本はフィリピンの独立を容認していたが、アメリカ主導ではなく、日本主導で進める考えを持ち、やはり全土を制圧する気でいたのである。
 フィリピンは独立を一歩前にして、再び国難に見舞われたのである。






バターン・コレヒドール攻略作戦scene

「―――ふぅ、まったく・・・・予想してはいたんだが・・・・」

 1942年3月24日、フィリピンバターン半島入口。
 ここに布陣する戦車旅団の下に"戦技顧問"として武隼時賢陸軍少将が到着していた。
 元の所属である支那派遣軍からの短期間出向扱いである。

「バターン半島に立てこもった兵はやはり五~六万近いと思われます」

 参謀の報告にため息をついた。

「途中で撃破しておいてよかったな」
「はっ」

 戦車旅団長の陸軍大佐が腰の後ろに手を当てて胸を張る。
 フィリピン攻略主力軍がマニラ攻略に向かう中、戦車旅団はフィリピン攻略の主力部隊・第14軍団の本間雅晴中将の許可を得て、バターン半島へ急いだ。
 途中、バターン半島へ向かうフィリピン師団数個を撃破した。
 戦車旅団は戦車連隊の上位に位置し、2個戦車連隊を主力に1個歩兵大隊などを配備する。
 兵力は3,800ほどだが、戦車195輌は強力だった。
 配備戦車は九五式軽戦車が60輌、九七式改中戦車が135輌である。

「撃破、というか蹴散らしたに近いですがね」

 旅団長がため息をつく。
 そう、道にいたから突撃して三三五五となったので追撃せずに突破したのである。

「それでも・・・・まあ、1個師団くらいは壊滅しているでしょうね」

 最後まで立ちはだかって抵抗しようとした敵司令部を砲撃で叩き潰したこともあった。

「バターン半島、これは攻略するのに骨が折れるぞ」
「南方軍はここを敗残兵の集まりだ、とか言って、第九連隊と第六五旅団しか出さなかったのが問題です」
「・・・・二線級じゃないか」

 旅団長の言葉に時賢は眉をひそめた。
 兵力も1万程度しかない。
 事実、第六五旅団の攻撃は失敗に終わっていた。
 戦車旅団も攻撃に参加したが、要塞に真正面から挑めるほど九七式改中戦車の装甲は厚くない。
 攻撃の主力を担った第六五旅団は兵力の3分の2を喪失。
 要塞攻略に向かないために待機していた戦車旅団は、本間中将に攻撃続行不能を連絡し、バターン半島向けてズラリと戦車砲を並べることで戦線崩壊を阻止する。
 2月8日、本間中将は攻撃中止を命じ、南方軍は増援を決定。
 時賢の進言を受け入れ、四万前後と見られていた兵力を六万に切り替えた。
 戦力を第16師団、第4師団を主力とし、第一砲兵隊や飛行部隊を投入する。
 これは突撃だけでなく、砲爆撃で敵陣地を徹底的に破壊するのが目的だった。
 これらの戦力輸送のため、バターン半島攻略は延期される。
 他の作戦が順調だったのでそれほど重視されなかったが、フィリピンの安定化は今後の戦況に影響を与えるため、陸軍は海軍にも増援を依頼した。


「陸海の垣根が取り払われるのはいいことです」

 司令部で海軍の増援を聞いた旅団長がそう言った。

「まあな」

 時賢も地図を見下ろしながら答える。

「戦力が空母と言うところは面白い」

 第三航空戦隊が来るらしい。

「三航戦はいずれも小型空母です。大した戦力にならないのでは?」
「そうでもないさ」

 確かに空母「鳳翔」、「龍驤」の搭載機数は総計75機で、中型空母並だ。しかし、陸軍航空隊2個飛行隊に相当する戦力である。

「聞いた話では艦爆の比率を高くして来るらしい」

 艦爆は急降下爆撃が可能だ。
 精密爆撃の威力は下手な水平爆撃よりも大きい。

「どうやら海軍は態のいい実戦訓練と考えているみたいだな」

 主力である第一機動艦隊と南方作戦補助として動員されている第四航戦は実戦部隊だ。
 訓練度は一航戦=二航戦>五航戦>四航戦>>三航戦である。
 そもそも三航戦は錬成部隊であり、配備されている空母も練習空母として使用されてきた。

「簡単な初陣を経験させ、後の実戦部隊配属を考えているんだろ」
「なるほど、だから面白い、と・・・・」

 時賢の言葉に頷き、旅団長は言葉を続ける。

「我々も急降下爆撃機である九九式軽双発爆撃機を有しておりますが、展開飛行場に限界があります」

 小型だが、双発機だ。
 一定の滑走路が必要となる。

「九九艦爆ならば固定脚機で丈夫、滑走距離も短いとあります」
「改良して野戦飛行場でも使用可能にするか?」
「いい手だと思われますが、如何でしょう」
「確かに、いい手だと思うが・・・・」

 海軍が陸軍の航空機を採用した事例はある。
 先程出た九九式軽双発爆撃機もそうだし、ほぼ採用が決まっている二式戦闘機もそうだ。
 だが、陸軍が採用した事例はない。
 ほぼ技術集団で構成される海軍の方が現実的で、地域ごとに兵を抱える陸軍は縄張り意識が強い。

「お前からそんな言葉が出るとはな」

 旅団長は時賢の派閥のものではない。
 どちらかと言えば統制派の人間だ。

「兄が海軍にいますので」
「なるほど」

 時賢は立ち上がり、天幕から出る。

「その海軍さんはずいぶんやる気だね~」

 爆音を轟かせながら頭上を通過したのは、九六式陸上攻撃機。
 最新鋭は一式陸上攻撃機だが、まだまだ数的主力はこちらだ。

「海軍は陸軍に恩を売るチャンスと考えたんですかね?」
「塚原中将はそんな人じゃない」

 戦局好転に必要だからするだけだ。
 九六陸攻の水平爆撃が始まった。
 対艦戦ではあまり意味のない水平爆撃だが、動かない目標には絶大な威力を誇る。
 続けざまに爆音が轟き、向こう側の空が赤く染まり出した。

「1個連隊に呼応して砲撃するように命じてはどうか?」
「しかし、敵の砲兵陣地がありますが?」

 時賢の案に旅団長が眉をひそめる。
 確かに九七式改中戦車の主砲は五七ミリ長砲身だが、射程距離は野戦砲と比べることすらおこがましいほど短かった。
 馬鹿正直に呼応攻撃をすれば痛い目を見るのはこちらだ。

「大丈夫だ。陸攻隊が叩いているのは砲兵陣地だし、空に飛行機がいるのに他の隠ぺい陣地から砲撃なんてしないさ」

 こちらの砲撃も大した効果は得られないだろうが、士気は上がる。
 撤退せずに踏みとどまっている六五旅団も元気づけられるだろう。



「第二一連隊前進、撃ち方始め!」

 時賢の提案から15分後、30輌の戦車が一斉に撃ち始めた。
 斜めに走りながら敵陣地へ接近し、止まっては撃ち、撃っては走るを繰り返す。
 敵陣地内で砲弾が弾け、悲鳴が伝わってきた。
 応戦する機銃も九七式改中戦車の装甲を貫けない。
 六五旅団も動こうとしたが、伝令を走らして止めた。
 戦意があるのは結構だが、ここで前に出るのは蛮勇だ。

「しかし、戦車旅団ですか・・・・」
「何だ?」
「いえ、贅沢な使い方だな、と・・・・」

 戦車旅団は正規編成の部隊だ。
 2個機甲連隊を傘下に収める強力な部隊である。
 だが、これらの上位組織である陸軍機甲本部は1941年2月に新設されたばかりであり、その隷下にある第一~三戦車師団は整備途中である。
 彼が率いる旅団は整備を終えた、いわば精鋭部隊なのだ。
 それを惜しみなく投入しているのだから、確かに贅沢だろう。

「必要な贅沢はするもんだ」

 「それに」と時賢は続ける。

「戦車旅団は欧州戦線では主流の部隊なんだけどな・・・・」
「ですが、我々は大規模に戦車戦が勃発する戦場はありませんよ?」

 ソ連とは不可侵条約を結び、中国にはまともな機甲戦力がない。
 太平洋は島嶼であり、大規模な戦車戦は起きにくい。
 マレー作戦でも臨時編成の戦車部隊が活躍したのだ。
 コストも手間もかかる組織編成はいらない、という判断だった。

「しっかりとこれらを組織、配備しなければ戦車連隊単位での逐次投入になりかねない」
「分散するにもまずは数、ということですか?」
「そうだ。特に島嶼は戦車の移動が難しいうえに敵が来る方向が下手したら全方位だ。各戦線に振り分ける戦力があった方がいい」

 陸軍はこれまで戦車連隊を中隊単位に分解して運用していた。
 だから、一定の戦力と言えば中隊基幹とした連隊を派遣する。
 しかし、それでは足りない。

「後々には師団規模で戦場展開できる体制を整える必要がある」



 戦車の導入と運用に力を注いできた時賢が持論を語る中、海軍航空隊に触発された陸軍航空隊が、バターン半島に猛爆撃を始めた。
 この猛爆撃は10日ほど続き、地上部隊の総攻撃が開始されたのは4月3日のことだった。
 連日の爆撃と籠城戦に疲れを見せていたアメリカ軍はほとんど抵抗できず、4月9日にバターン半島総司令官・エドワード・キング少将が降伏を申し入れる。
 残存部隊も11日までに降伏。
 日本は5万以上の捕虜を得た。
 想定していた範囲内だったが、米軍がトラックを破壊していたことは予想外だった。
 捕虜の対応に困った陸軍は海軍にバンバンガ州まで船での輸送を打診する。
 この時、キャビデ軍港修復のために多くの海軍輸送船がマニラにいたのだ。
 海軍はこれを了承し、輸送船20隻を貸し出した。
 1隻当たり約2,000人を乗せることができ、一気に4万人の輸送が可能である。
 また、米兵の多くがマラリアなどにかかっていた。
 日本軍は早くからマラリアなどの研究を行っていたため、これを適切に処置することにした。
 因みに日本軍が兵の病気に気を使ったのは、初の外征となった台湾出兵の戦訓だ。
 日本軍は先住民との山岳戦よりも病気による死傷者の方が圧倒的に多かったのである。

 それでも捕虜4,000が収容所に辿り着く前に息絶えた。
 体力を消耗した上にマラリアなどにかかっていた捕虜は安静にすることが許されずに徒歩行軍したことが直接の原因である。
 これは「バターン死の行進」と呼ばれ、アメリカは日本軍が捕虜に非人道的なことをしたと国内に喧伝した。
 しかし、日本軍はこれを真っ向から否定。
 いくつもの証拠から、「死亡した捕虜は病気であり、治療の甲斐なく亡くなった」と発表した。
 どちらの主張が信じられるかは終戦を待たねばならない。

 米軍は「バターン死の行進」の他にも情報戦を仕掛けていた。
 「シンガポールは落ちたが、コレヒドールは健在である」というニュースと脱出したマッカーサー司令官の「I shall return」というニュースがアメリカ国民を勇気づける。
 ルーズベルト大統領の対抗馬と見られていたマッカーサーは大統領にはなれなかったが、太平洋陸軍を率いて有言実行し、20世紀を代表する米国の英雄となった。




「―――コレヒドール、ねぇ」

 時賢はマニラ湾を睨むコレヒドール島を見て呟いた。
 この要塞に据えられた30cmカノン砲8門、30センチ榴弾砲12門、隣のフライレ島に配置された36センチカノン砲4門を始めとする重砲群はマニラに入港しようとする輸送船にとって大きな脅威だ。
 しかし、この重砲群もバターン半島空襲に続いて実施された海軍の爆撃に大きく傷ついていた。
 海軍は何故か重砲の位置を知っていたのである。

(殿下の功績なんだろうな・・・・)

 海軍の第三航空戦隊まで投入した爆撃は、マニラ湾を睨む重砲群をほぼ無効化していた。
 結果、要塞に向けて駆逐艦隊が12.7センチ砲で砲撃しても反撃できないまで痛めつけられている。

「ただ陸側は健在ですよ?」

 要塞戦に戦車は役に立たない。
 しかし、麾下の独立歩兵大隊などは要塞内の白兵戦に強さを発揮する部隊だ。
 だから、戦車旅団はまだフィリピンにいた。

(他に行く戦場もないしな・・・・)

 蘭印作戦が順調に進む中、戦車旅団を必要とする戦場は太平洋にはない。
 次に時賢が戦車隊を指揮するのは中国戦線になるだろう。

「そこは重砲兵第一連隊が頑張るだろう」

 実際、24センチ榴弾砲を要塞に向けて撃ち放っていた。

「我々の砲撃は届きませんからね」
「まあ、気軽に待つしかないさ」

 時賢は肩を竦めるが、すぐに表情を引き締めた。

「北野中将閣下」

 敬礼して第四師団長を迎える。

「やあ、武隼くん」

 彼は軽く片手を上げ、旅団長にも目で敬礼を下すように命じた。

「師団長直々に何用でしょうか?」
「なあに、少し相談に来たまでだよ」
「嫌な予感がするのは気のせいですか?」
「気のせいだよ」

 即答に予感は正しいことを感じた時賢は、ゆっくりと後ずさる。

「師団長、私は顧問なので何も聞かなかったことに―――」
「するわけないだろ?」

 ガシッと歩兵として鍛えた力強い手が時賢の肩を掴んだ。
 時賢の傍では今のやり取りに旅団長が呆然としているが、フォローをする気もない。
 他人事のように見ているが、矢面に立つのは彼なのだ。

「明日、5日の夜に上陸作戦を決行する。そこで私のところの六一連隊と共に戦車連隊に出撃してもらいたいのだよ」
「・・・・戦車旅団に配備されているのは歩兵援護に長けた一式中戦車ではありませんよ?」

 九七式改中戦車は迂回戦術を駆使する運動戦を目的に改良されている。
 主砲こそ一式中戦車と同じ五七ミリだが、その装甲が違った。
 真正面から敵の砲火にさらされる陣地戦を戦うには分が悪い。

「九七式改では無理か?」
「・・・・いえ、可能です」

 九七式中戦車シリーズは元々歩兵直協で開発された経緯がある。
 機甲戦にシフトしたとはいえ、元々の設計目的がそれであるため、任務自体は可能だ。

「しかし、米軍の対戦車戦闘は中国軍をはるかに上回っています」

 下手に突撃すれば屍をさらすだけだ。

「戦車の砲撃力を当てにするのであれば、海軍の駆逐艦を回してもらうのが良いと思われます」

 九七式改中戦車は五七ミリ長砲身。
 マニラにいる海軍の二等駆逐艦(若竹型)は12cmだ。
 口径の違いは2倍近い。

「しかし、上陸補助に駆逐艦は・・・・」

 北野中将は言葉を濁した。

(開戦直後のウェーク島上陸作戦か・・・・)

 トラック島近くの米軍拠点――ウェーク島。
 この攻略に向かった海軍は手痛い反撃を食らい、駆逐艦「疾風」、「如月」を失っていた。
 これは一等駆逐艦であり、マニラにいる戦力よりも格上だ。

「こちらの砲兵戦力で敵野砲を完全に破壊しました。海軍も早くマニラを使いたいはずです」
「・・・・分かった、打診してみよう」

 「だが」と北野は続ける。

「戦車隊は上陸部隊を援護してもらう」
「機甲戦で、ですか?」
「無論だ」

 北野は鋭い視線を時賢に向けた。しかし、時賢はその視線を躱し、呆然とこちらを眺めている旅団長の肩に手を置く。

「がんばれ」
「えー!?」
 まさかの他力本願に旅団長が叫びを上げるのを、北野は呵々大笑しながら見ていた。




 5月5日、日本軍は総攻撃を開始。
 日本海軍の駆逐艦や航空機が援護する中、2個歩兵大隊と戦車連隊の一部が上陸。
 戦車部隊は敵軍を迂回し、歩兵の海岸線取りつきを援護、2個大隊が橋頭保を確保したと判断した後、日本軍は一斉に上陸した。
 翌6日午後、コレヒドールは降伏。
 ウェインライト中将がフィリピン全軍に降伏を通達する。
 この勧告は思った以上に早く伝達されたため、フィリピン戦線の米軍は5月中に全て降伏した。
 フィリピンの戦いの終わりを以て、日本軍の南方作戦は完了する。
 日本海軍は亜種作戦として、オーストラリアポートモレスビー空襲、セイロン沖海戦を以てアジアにおける英連邦軍の影響をほぼ消滅させた。
 以後、日本軍は中央太平洋・トラック島、南部太平洋・ニューブリテン島ラバウルを作戦拠点とし、第二作戦の準備に入る。
 第二作戦の目的は戦果拡大と敵戦力の撃滅だった。






東條英機side

「―――所詮は佐官、か・・・・」

 大日本帝国首都・東京。
 この首相官邸で、東條英機陸軍大将は笑いをこらえていた。
 大日本帝国陸軍最大派閥・統制派の頭目としてだけでなく、国家戦略を主導する首相と言う立場にある彼の机には、びっしりと文字の詰まったメモが置かれている。
 そこに書かれた名前は大日本帝国海軍中佐・高松嘉斗と陸軍少将・武隼時賢(4月昇進)だ。
 第一作戦完了の配置換えで、両名とも第一線や大本営から外した。

「日本は貴様らがおもちゃにしていい国ではない」

 東條は湯呑を呑み干し、扉の傍に待機している男を呼ぶ。

「四方」
「はっ」

 四方諒二陸軍大佐は瞑目したまま答える。

「国内を頼むぞ」
「お任せください」

 四方が頭を下げて部屋を出た。
 その時に扉の隙間から大勝に沸く都民の熱狂が聞こえる。

「まだだ。まだ日本は大きくなれる。そのためには―――」

 扉が閉じられて静かになった執務室を、紙に走るペン先の音が支配した。









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