南方戦線 -2


 

 アメリカ合衆国海軍アジア艦隊。
 フィリピンのマニラにあるキャビテ軍港を根拠地とし、トーマス・ハート海軍大将が司令官を務める艦隊である。
 アメリカは対日戦を念頭に置き、戦艦などの軍艦を配備していた。
 その艦隊は戦艦「ネバダ」、「オクラホマ」、重巡「ヒューストン」、軽巡「ボイス」、「マーブルヘッド」、駆逐艦18隻で構成されていた。
 尤も軽巡「マーブルヘッド」と駆逐艦4隻は別の泊地を根拠地としている。
 それでも戦艦を保有する事実は南方戦線を重視する日本軍にとって脅威だった。
 また、米英が連合艦隊を編成することは分かり切っており、これらを合流させることなく撃破する必要がある。
 そのために日本海軍は第三艦隊を派遣していた。
 第三艦隊は高橋伊望中将が率い、パラオ群島で開戦まで待機。
 開戦後はラモン島の上陸支援、レガスピー攻略作戦に従事した。
 南方部隊航空部隊の第十一航空艦隊を前進させた比島部隊主力は、アジア艦隊捕捉のためにミンダナオ島南方を西進する。
 その戦力は戦艦「奥羽」、「相武」、空母「雷鷹」、「鳴鷹」、重巡「足柄」、軽巡「球磨」、「名取」、駆逐艦12隻。
 水上戦闘用軍艦の数は同等だが、駆逐艦の数で圧倒的に劣っていた。しかし、それを補って余りあるのが第四航空戦隊の空母2隻だ。
 艦載機126機は脅威だった。






ミンダナオ島沖海戦scene

「―――ジャップめ・・・・ッ」

 1941年12月15日ミンダナオ島西海。
 ここにアメリカ合衆国アジア艦隊が集結していた。
 戦艦を含む強力な艦隊であり、補助艦艇も充実している。
 イギリス東洋艦隊よりも強力と言えるその艦隊は、進路を南に向けていた。
 そう、必死に戦う陸軍を見捨て、南方へ退避する途中だったのだ。

「戦艦を持つというのに・・・・ッ」

 ハート大将は忌々しげに吐き捨てた。
 今回の戦い、日本戦艦部隊である第一戦隊は出撃していない。
 金剛級がマレー沖に展開しているようだが、相手はイギリスだった。
 フィリピンを担当するのは重巡クラスだろう。

「だというのに我々は逃げている」

 それもこれも5日前に起きたマレー沖海戦のせいだ。
 日本の航空隊がイギリス戦艦を撃沈したのである。
 この情報を受けたアメリカはキャビテ軍港空襲で損害を被っていたアジア艦隊に退避を命じた。
 南方――オーストラリアまで退却し、そこで米英艦隊を組織するのである。

(オランダは未だ中立だ・・・・)

 蘭印――現インドネシア――を領するオランダは欧州戦線においてドイツに占領され、現在はイギリスに臨時政府を設けている連合軍だ。
 ならば世界大戦となり、日独伊vs連合軍となった今、連合軍側に立って参戦すべきである。
 だが、日本は米英に宣戦布告したが、オランダにはせず、オランダも沈黙していた。

(オランダさえいれば戦いようがあると言うに・・・・)

 現状、戦闘に参加していない蘭印を避けていかねばならない。このため、アジア艦隊の進路を日本軍が予想することは容易だった。

「敵索敵機、直上!」
「対空砲を撃て!」

 見張り要員の報告に応じてすぐに対空戦闘を開始する。しかし、敵索敵機は高射砲弾を避けながら悠々と飛び続けていた。そして、ハートが恐れていたことが起きる。

「敵索敵機、電信を発信、発見されました!」
「くそっ」

 参謀長がダンッと指揮机を叩いた。

「対空戦闘用意だ! 奴らはすぐにでも襲ってくるぞ!」
「対空戦闘用意!」

 参謀長の命令に復唱し、戦艦「ネバダ」の艦内が慌ただしくなる。

「怖いのは魚雷だ。水平爆撃など当たらん」
「ええ、輪形陣を組み、外から侵入しようとする敵攻撃機を撃墜します」
「うむ」

 ハートにはまだやや余裕があった。
 マレー沖海戦で撃沈されたイギリス戦艦は戦艦「ネバダ」、「オクラホマ」よりも新型だったが、護衛艦艇がなかった。だが、アジア艦隊には18隻もの駆逐艦がいる。

(そうだ、十数機ごとの波状攻撃など怖くない)

 必ず敵航空隊を撃破できるはずだ、とそう思っていた。




「―――足柄二号機、アジア艦隊を発見!」

 一方、日本海軍第三艦隊はアジア艦隊の北北西270km地点を航行していた。
 言うまでもなく、航空攻撃可能半径内だ。

「よし、攻撃隊発進だ!」

 第四航空戦隊旗艦「雷鷹」の戦闘艦橋で司令官の角田覚治少将が命じた。
 四航戦は艦戦24、艦爆30、艦攻30の計84機を第一波として待機させている。

「『奥羽』より発光信号! 『これより四航戦ならび護衛四駆逐艦を分離、主力は敵撃滅に向かう』です」
「おお、高橋司令は猛っているな!」
「露払いをしなければなりませんね」

 参謀長の言葉に大きく頷き、角田は発光信号で主力部隊に別れを告げ、空母は攻撃隊発進のために直線軌道に入った。



「―――よぉし、見えてきたぞ!」

 発艦から約1時間後、四航戦攻撃隊は前方に浮かぶ黒点を見つけた。
 黒点の後ろには白波が立っており、かなりの速度を出しているようだ。

「輪形陣、か・・・・」

 四航戦攻撃隊隊長・堀岡哲也大尉は自身が操縦する九七式艦上攻撃機の中で呟いた。

「よし、予定通りだ」

 機内無線で攻撃隊に命じると、スルスルと速度を上げた零式艦上戦闘機が前に出る。
 空に対空砲弾の花が咲くが、一部の戦闘機編隊は気にせず突撃、敵艦隊へ機銃掃射を始めた。
 狙いは機銃座の沈黙だ。

「ん?」

 堀岡は敵の対空砲や機銃が低空に向いていることに気が付いた。

(これは・・・・)

「艦爆隊、先に急降下で爆撃を開始、その後に艦攻隊が突っ込む!」

 無線で命令し、堀岡はマイクが拾わない小声で呟く。

「アメリカはこちらが基地航空隊だと思っていたんだな」

 基地航空隊の主力は陸上攻撃機だ。
 雷撃は可能だが、急降下爆撃は不可能。
 水平爆撃の命中率は悪いので、脅威となる雷撃を阻止するつもりだったのだろう。

「それがアダになったな!」

 自身も雷撃するために高度を下げ出した時、敵艦隊から次々と爆音が轟いた。
 急降下爆撃が、"敵補助艦隊"へ始まったのである。
 これに驚いたのは当然アメリカ海軍だった。
 アメリカ海軍は戦艦が攻撃されると思っていたのだ。
 しかし、実際に攻撃されたのは軽巡や駆逐艦だった。
 彼らは自分が狙われているとは思っていなかったので回避行動が遅れ、また銃口を水平線に向けていたために阻止射撃もできなかった。
 このため、軽巡「ボイス」に250 kg爆弾4発、駆逐艦6隻に1発ずつ、駆逐艦3隻に1発ずつの至近弾を受けた。
 命中弾を受けた艦艇は艦内に飛び込んだ爆弾が爆発し、それが可燃物に引火する。
 盛大に炎上する被弾艦の黒煙が生き残った艦艇の砲火を悩ませていた。

「突撃!」

 迷いながら撃ち出される対空砲火が明後日の方向へ飛んでいくのを確認しながら、堀岡は吠えるように麾下の攻撃隊に命じる。
 自身も操縦桿を倒し、一気に輪形陣の内部に突入した。
 狙いは戦艦だ。

「はは、余裕余裕!」

 迷いがある上に弾幕を張るはずの駆逐艦が少ない。
 そんな状態で世界的にも高速の部類に入る九七式艦上攻撃機を捉えられるわけなかった。
 邪魔が少ない中、攻撃隊は二手に分かれる。そして、理想的な挟撃で30発もの航空魚雷を戦艦2隻向けて投下した。

「ははっ、どうだ!」

 戦艦の舳先をかすめるような軌道で突き抜けた堀岡は、呆然とする米兵に勝ち誇る。
 瞬間、腹に響く爆発音と共にいくつもの水柱が立ち上った。

「戦果は!?」
「先頭艦右舷に3本、左舷に2本! 後続艦は両弦に2本ずつ!」
「・・・・そうか。沈みはしないな」
「あ・・・・外れた魚雷が駆逐艦1隻に命中、轟沈しました」
「おおう、それはよかったよかった」

 駆逐艦とは言え敵艦艇だ。
 魚雷を無駄にしなくて良かった。

(しかし、やはり練度が今一つだな・・・・)

 理想的な攻撃状態だったというのに命中率が低い。
 艦爆隊は30発投下し、10発命中、命中率33.3%。
 艦攻隊は30発投下し、9発命中、命中率30.0%(ただし、他に1本が駆逐艦に命中)。

(もっと鍛える必要があるな)

 一航戦ならばこの戦いだけで敵艦隊を壊滅させたはずだ。

「戦果報告!」

 自軍の最精鋭のことを思いながら堀岡は敵艦隊の上で旋回した。
 攻撃戦果を確認するためだ。
 堀岡が言ったことを電信員が母艦隊に電信する。
 その内容は以下の通りだった。

 戦艦「ネバダ」、右舷3発、左舷2発被雷、速度低下。
 戦艦「オクラホマ」、両弦2発ずつ被雷、速度低下。
 軽巡「ボイス」、4発被弾、大炎上中、航行停止。
 駆逐艦3隻被弾・被雷につき轟沈。
 駆逐艦4隻1発ずつ被弾、炎上中。
 駆逐艦2隻至近弾、艦上建造物損傷。

 散発的な対空砲火を悠々と避けながら、かなり詳細の戦果報告である。
 これは米軍の記録とも一致していたことが戦後に明らかとなる。
 最終的に米軍はこの空襲で以下の損害を記録した。

 喪失:駆逐艦3。
 大破:軽巡1、駆逐艦4(後、軽巡1、駆逐艦3を雷撃処分)
 中破:戦艦2、駆逐艦2。

 以後、戦力計上できたのは戦艦2、重巡1、軽巡1、駆逐艦11だった。
 これに第三艦隊の水上戦力――戦艦2、重巡1、軽巡2、駆逐艦8が突っ込むこととなる。
 一方、航空隊の損害だが、被撃墜ゼロ、というものだった。
 損傷機は5機で、修理可能とあり、敵対空砲火を戦闘機で制圧したことと戦術的奇襲が被害を軽減したと判断された。


「―――前方に敵艦隊!」

 もう日が沈もうかと言う時、第三艦隊主力はようやくアジア艦隊主力に追いついた。

「弾着観測機より入電!」
「読め!」
「戦艦2、重巡1、軽巡1、駆逐艦10! はるか後方に駆逐艦1が随伴!」

 観測機の報告に高橋は顎に手を当てた。

(空母部隊が攻撃して命中した補助艦艇はほぼ無視できるな)

 特に軽巡が1隻沈んでいるのがいい。

「戦闘よぉい、砲雷同時戦」
「砲雷戦闘よぉい」

 復唱を聞き終えると、高橋は艦長に言う。

「同航戦で徹底的に叩く。敵戦艦の速度は遅いので常に頭を押さえつけろ」
「はい!」

 ベルが鳴らされ、機関が唸りを上げて回転し出した。

「高速砲雷戦を見せてやれ!」

 高橋の言葉と共に日本艦隊は一気にアジア艦隊へと距離を詰めていった。




「左舷後方に敵艦隊!」

 一方、米軍でも日本艦隊を発見していた。

「くそ、追いつかれたか」

 空襲を受けてから戦艦の速度が17 kt/hに落ちている。
 水上戦闘に持ち込まれる可能性があったので急いでいたが、やはり敵巡洋艦隊を振り切ることはできなかった。

「まあいい。戦艦の戦闘力は健在。重巡如き―――」
「先頭は戦艦! ・・・・奥羽型2隻です!」
「何だと!?」

 戦艦がいないと思っていたハートは目を剥く。
 戦争前の情報ではこちらに向かう戦艦はいなかったはずだ。

「・・・・おそらく、早いうちから本土を離れ、内南洋に隠れていたのでしょう」

 参謀長が解析するが、後の祭りだ。

(待て、奥羽型は36cm砲搭載戦艦、こちらと同じだ)

 勝ち目がないわけではない。

「すぅ~・・・・はぁ~・・・・」

 ハートは周りに気付かれないように深呼吸した。
 それで己を落ち着かせる。

「諸君、せっかく敵のなけなしの戦艦が来たのだ。ここは血祭りに上げてやろうではないか」

 襟首を緩め、リラックスした態を示しながら艦橋要員に語り掛けた。
 長門型だったら負けただろうが、同クラスの砲撃戦で重装甲アメリカ戦艦が負けるわけがない。

「フロンティア精神で、立ちはだかる極東の小人を退治しようではないか!」

 ハートは声を荒上げ、予想外の存在におののく将兵を鼓舞した。
 何より自分自身を鼓舞する。
 指揮官が不安を見せてはならないのだ。

「敵高速で近づいてきます!」
「距離2万5,000mから砲撃開始!」

 こちらの速度は17 kt/h。
 敵は25 kt/h以上は出ていそうだ。

「巡洋艦は支援射撃、駆逐艦は水雷戦だ」

 命令通りに艦艇が展開する。
 両軍は戦艦vs戦艦、重巡vs重巡(+軽巡)、軽巡vs軽巡、駆逐艦vs駆逐艦に分かれて戦い出した。
 教科書通りの艦隊決戦である。
 そうして水上戦闘が始まり、両戦艦の距離が徐々に彼我の距離を詰めていく。そして、2万mを切ろうかと言う時、それは起きた。

―――ドドドッ!!!!!

 轟音と共に足元が揺れ、ハートは床に投げ出されたのだ。

「な、何が・・・・?」

 見れば艦橋要員の全てが床に倒れ伏していた。
 砲撃戦は両者に未だ命中弾が出ず、探りの段階だったはず。

「あ、ああ!?」

 艦橋の外を見た要員が驚きの声を上げる。

「『オクラホマ』大傾斜! 角度は30度を超えていると思われます!」
「何!?」

 行き足の止まった「オクラホマ」に戦艦「相武」から砲撃が集中した。
 距離を一気に詰めた「相武」は36cm砲9門を全て撃ち放ち、内2発を命中させたのである。
 傾斜する「オクラホマ」の艦上で火花が弾け、一瞬傾斜が直ったように見えた。しかし、続く第二射で3発の命中弾を受けた「オクラホマ」は傾斜を復元できずに横倒しとなる。

「お、『オクラホマ』転覆・・・・」
「一体何が・・・・」

 僚艦の惨状を見ていた「ネバダ」要員は自分たちも同じ境遇にあることを忘れていた。
 傾斜こそしていないが、速度がガタ落ちしている。さらに接近する「奥羽」に気付かなかった。
 砲撃の止まった「ネバダ」に「奥羽」はしっかりと狙いをつける。

―――ドガンッ!!!

 距離1万5,000kmの至近距離から放たれた9発の砲弾は、内4発を「ネバダ」の艦上で弾けさせた。
 如何に重装甲と言えど距離が近い。
 さらにその内の1発は艦橋に命中、司令部ごと消滅させた。
 続いてその衝撃は航空魚雷を受けて空いていた破口を拡大させる。
 「ネバダ」は炎上しながら波間に消えようとする僚艦「オクラホマ」同様、大傾斜して転覆した。



「―――重巡『ヒューストン』以下敵艦隊が離脱を開始!」

 夕暮れの砲撃戦はわずか1時間弱で決着がついた。
 敵残存艦隊は煙幕を張りながら必死に逃走に移る。

「『名取』以下水雷戦隊は追撃! 『足柄』は消火急げ!」

 高橋は指示を飛ばし、沈みゆく敵戦艦に視線を向けた。

「最初から砲撃戦をするわけがなかろう」

 ただでさえ戦艦の数、生産力に劣っているのだ。
 同じ土俵で勝負するのは愚の骨頂である。

「だが、予想以上の威力だな」
「ええ。これ以降、敵は水雷戦隊を怖がることでしょう」

 砲撃戦の最中に敵戦艦を襲ったのは重巡「ヒューストン」と砲撃戦を行っていた軽巡「球磨」である。
 「球磨」が装備する53cm連装魚雷発射管が放った魚雷が両戦艦の艦腹をえぐった。
 重装甲と言えど喫水下は弱い。
 特に航空魚雷を受けて損傷していた部分は脆く、航空魚雷を超える爆発力で容易に応急処置部は吹っ飛んだ。

「これは切り札になるな」

 海に放り出された米海兵を助けるために駆逐艦が近寄っていく。
 それを眺めながら高橋は従兵が入れた茶を飲んだ。
 米戦艦に止めを刺した最新鋭魚雷。
 その名を「酸素魚雷」と言う。




 後に「ミンダナオ島沖海戦」と呼ばれるこの一戦で米アジア艦隊は以下の損害を被った。
 喪失:戦艦「ネバダ」、「オクラホマ」、軽巡「ボイス」、駆逐艦8。
 小破:重巡「ヒューストン」、駆逐艦3。
 対する日本第三艦隊は重巡「足柄」が小破したのみで、全艦が戦闘可能だった。
 以後、海軍の主戦場は蘭印方面へ移っていくこととなる。









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