R.E.S.T.


 

 情報機関。
 スパイやエージェントなどの言葉が使われる機関だ。
 大きく分けて、敵情報の取得や破壊活動を行う諜報機関、敵の諜報活動を阻む防諜機関に分かれる。
 日本の宮内省が抱える侍従武官は防諜機関であるし、憲兵隊もそうだろう。
 日本陸軍の中野学校はその養成機関であり、嘉斗が所属していた軍令部第三部も諜報・防諜を両方こなす機関である。
 この世界では"アレ"が普通に使われている。
 だが、各国は国民に向けては内緒、各国政府間では禁忌としている。
 彼らに共通していることは同じ。
 表で大々的に使わない。
 だけれども、国家が余裕を失った時、それが守られるのだろうか。
 総力戦となった第一次世界大戦は科学の発展がそれを妨げた。
 次の総力戦である第二次世界大戦はどのような流れになるのだろうか。
 そんな流れに身を任せるように、宮内省には"諜報機関"も存在した。
 しかし、それは戦後になっても語られることのなかった、"事実"である。






R.E.S.T.scene

「―――皆さん、すみません」

 1941年4月10日、東京郊外。
 ここで嘉斗は数十人の外国人に頭を下げた。
 彼らは10~20代の年代に統一されている。
 "外国人孤児"。
 そう、周囲の人間に呼称されている。

「もう僕の政治力であなたたちの安全を保障できない」

 関東大震災や上海事変で孤児となった外国人を引き取り、宮内省の金を使って育ててきた。
 親の死に、名前すら失い、戸籍すらない者たちを庇護してきた嘉斗の偉業は一般には知られていない。
 この施設ですら、宮内省の息がかかっていると知っているのは、当の宮内省内部でも少数である。
 だからこそ、周辺住民からのいじめが絶えなかった。
 多くの日本人によって欧米人の見分けがつかない。
 だから、米英人でない者たちも迫害を受けていたのだ。

「これからこの者たちが君たちを祖国に帰す」

 嘉斗は後ろに居並んだ宮内省の役人を示した。
 長い日本生活で日本語をマスターした彼らの視線が、役人に向かう。

「君たちは辛い時代を仲間たちと過ごし、特殊な技能を身に着けています」

 嘉斗はひとりひとりと視線を合わすように、ゆっくりと彼らを見回した。

「祖国に帰っても、なんでもできるでしょう」

 そうなれるように、教え込んできた。



「Reaper of Especially Spec and Tactics。通称、R.E.S.T.と君たちには名付けます」



 
「この言葉を旨に、自らの意志でこれからの時代を生きてください」

 そう締めくくり、次々と車に乗っていく外国人孤児を見送った。

「・・・・・・・・・・・・僕は、鬼、ですかね」

 いつの間にか降り出した雨が、嘉斗を濡らす。しかし、嘉斗は傘をさすことなく、施設内を見回した。
 そこには、陸軍中野学校に通じる様々なものが置かれている。

「殿下は鬼ではありませんよ」

 すぐそばに立っているのは、宮内省の役人のまとめ役だ。
 関東大震災の折から嘉斗に仕えている元近衛でもある。

「磯崎さん・・・・」
「殿下のしていることはどこの国でもしていることです。本来は我々がしていることでしたから」

 宮内省内の"情報部隊"を指揮する磯崎連也元中佐は陸軍仕込みの敬礼をする。

「R.E.S.T.班長、磯崎連也、パナマへ向けて出立いたします」
「気を付けて」

 軍人としてではなく、皇族として嘉斗はそう声をかけた。


 磯崎以下外国人孤児を送り出したその夜。


「久しぶりですね、時賢さん、穂衣さん、忠賢くん」

 嘉斗は高松宮邸で、武隼親子を迎えた。
 忠賢は、ふたりの嫡男で1935年生まれだ。
 因みに二・二六事件の折、穂衣が背負っていたのが、忠賢である。

「実に2年ぶりくらいでしょうか?」

 答えた時賢は先日までドイツにいた。
 軍事技術交流の一環だったのだ。

「九七式中戦車シリーズの後継戦車のアイディアは得られましたか?」

 時賢が研究開発した九七式中戦車シリーズは、陸軍の主力戦車として量産配備されている。
 南方方面用の最新鋭戦車・一式中戦車。
 大陸方面用の改良戦車・九七式中戦車。

「ええ、九七シリーズは所詮、歩兵作戦を補助するもの、ということまざまざと見せつけられました」

 九七式中戦車は、日本陸軍なりに戦車戦を意識したつもりだったが、それは戦術レベルまでだった。
 戦略レベル、つまり、電撃戦を行うには九七式中戦車では不十分だ。

「ドイツで手に入れたこのドクトリンを手に、戦車開発を進めなければなりません」

 これが後の四式中戦車である。

「ま、九七式中戦車でも電撃戦はやりようがありますけど」

 戦車運用を考えるのも、時賢の仕事だ。

「そんな難しい話をしてないで、あなたたちもこっちに来なさい」
「来い」
「「はい」」

 妻に呼ばれた夫たちは素直に料理が並んだ机の前に座る。

「ほぉ、今日は豪華ですね」
「久しぶりだから」

 鯛の塩焼きをはじめ、豪華な料理が並んでいた。

「君たちはちょくちょく会っていますよね?」

 高松亀、武隼穂衣、高山富奈は学習女学院の同級生だ。
 3人とも所帯を持ち、子を授かっている。
 亀は高松宮夫人として、政財界にも顔が広い。
 穂衣は陸軍の英雄である武隼家の奥方であり、名門・島津家に連なる女傑だ。戦争孤児を積極的に支援していることから、人道派とみられることが多い。
 ただし、孤児たちには武道を習うものが多く、下手な軍人より強い私兵集団となっている。
 富奈は最近出世したらしく、亀の護衛だけでなく、侍従武官数人の稽古を行っている。
 こちらも並の軍人では敵わない猛者だ。

(変わった人たちがいますね・・・・)

 自分のことを棚上げながら、嘉斗は味噌汁をすする。

「そういえば、嘉斗さん」
「はい?」

 穂衣に話しかけられ、味噌汁を置く。

「"特殊な訓練をした"外国人孤児を国に帰したそうですね?」
「・・・・・・・・・・・・ええ、風当たりが強くなっていたようで」

 咎めるような視線を受け流し、再び味噌汁をすすった。

「ま、私も人のこと言えないけど・・・・」

 穂衣は言葉遣いを注意しようとする夫を手で制し、言葉を続ける。

「あんまり【力】を多用しない方がいいわよ?」
「・・・・"魔術"を使えば、各国に睨まれますか?」
「殿下!」

 口にした嘉斗を時賢が注意するが、嘉斗は意に介さない。

「世界は余裕を失っている」

 各国が世界バランスのために隠している魔術は、恐らくこの戦争でもふんだんに使われるだろう。
 第一次世界大戦で不発だったのは、単純に準備が足らなかったからだ。

「だから、我々も使うと言われるか?」

 時賢は片膝を立てた。

「そう、殺気立たないでください」

 士族である武隼夫妻からの殺気に少し蒼くなる。
 こちらは海軍の士官――しかも、最近は情報士官――だ。

「武隼、島津も皇族を心配してくれているのは分かっています」

 皇族は魔術を儀式として当たり前に使う。
 というか、日本の名家も大半魔術を伝えている。
 西洋魔術のように系統だったものではなく、家単位にバラバラなものだが。

「もし、皇族が大々的に魔術を使用した場合・・・・」

 日本は戦争を優位に進めるかもしれない。
 だが、魔術は万能ではない。
 科学が世に蔓延っているのがいい証拠だ。

「各国政府は日本を許さず、皇族は元より日本という国家の存続を許さないでしょう」

 特に日本は、魔術を禁忌としたキリスト教会の支配を免れた地域である。
 魔術を無意識に使う一般人も多い。
 もっともそのほとんどが魔力を体に流す身体強化だ。
 その辺りが日本陸軍の強兵に繋がっていた。
 無意識なのだから仕方ないと、見逃されている。

「もし、無意識が意識に変わった場合、世界のバランスは大きく崩れます」

 科学の発展で落ち着いてきた混沌が再び元に戻った場合、それは大惨事となるだろう。

「大規模魔術は秘密。その考えは変わりません」

 だが、相手が使ってきたら、使うまでだ。

「ただの備えですよ」
「本当でしょうね?」
「ええ、僕が彼らを国に帰したのは、本当に彼らのためを思ってですよ?」

 それを隠れ蓑に、諜報部隊を送り込んだのだが。

「彼らが自分の国でどんなことをするのかは、彼ら次第です」

 そう言い、ずっと黙っていた亀に味噌汁のお代わりを頼む。

「覚悟してくださいね、時賢さん」
「何を?」
「戦場で、魔術を目の当たりにする、覚悟を」

 陸戦の方がおそらく魔術は使われる。

「・・・・もうすでに、白兵戦を仕掛ける共産ゲリラで知っていますよ」

 中国戦線が泥沼になる理由も、魔術だった。

「そして、彼らの末路も、ね」

 生身で兵器に勝つことはできない。
 日本は明治維新とその後の士族の反乱でそれを知っていた。

「よかったわ。魔術を過信していたわけじゃないのね」
「穂衣・・・・」

 穂衣の視線は亀に向いていた。
 武家の棟梁としての武術と、有栖川の後継としての魔術を習得している亀。
 決して戦おうとしないが、これらを兼ね揃えた攻撃は、戦艦の主砲に匹敵するのでは、と嘉斗は考えていた。
 生身の人間からすれば規格外だが、"所詮は戦艦の主砲"なのだ。
 世界を変えられるわけではない。

「さ、この話は終わりにしましょう。各国のエージェントに襲われかねません」

 そうなれば、屋敷に待機している侍従武官が戦うだろうが。
 視線で隅に控えていた富奈を見れば、そっと頭を下げた。
 彼女も典型的な身体強化型魔術師なのだ。

「僕も出来うる限りの手は打つので、実際の戦闘は頑張ってくださいね」
「・・・・海軍の情報機関は陸軍の内部まで探るのか・・・・」
 南方戦線行きが決まっている時賢はため息とともに肩を落とした。






「―――磯崎大佐」

 横浜港で"メキシコ"行きの船に外国人孤児を乗せていた磯崎は、己を呼ぶ声に振り返った。

「ああ、なるほど」

 その顔を見た磯崎はため息をつく。
 彼の名前を呼んだのは、加藤泊治郎陸軍少将。
 今の役職は東京憲兵隊隊長だ。
 山口県出身だが、無名派ではなく、統制派に属す。また、東条英機陸軍大臣の側近ともされる人物だ。
 本来ならば転属しているはずだが、この物語では未だ東京憲兵隊隊長の地位にある。

「加藤閣下、私はもう陸軍から去っています。大佐ではありません」

 加藤率いる東京憲兵隊に囲まれながらも、磯崎は笑みを絶やさなかった。
 磯崎の部下と思える者たちはいつでも戦えるようにしている。
 そう、ここで戦っても負けない、そんな自信が磯崎にはある。

「積み荷の外国人を下してもらおうか?」
「何を馬鹿な。彼らは積み荷ではない」

 加藤の殺気交じりの視線にも、彼は飄々としている。
 元々、近衛軍の中でも嘉斗護衛を任されていた人材だ。
 侍従武官制度のために遠ざけられたが、それでも個人戦闘力は認められていた。
 かつて二・二六事件で、陸軍が討伐を躊躇した理由のひとつに近衛軍が加わっていたことが上げられる。
 彼ら1個連隊の強さは通常の一個連隊とは比べ物にならない。

「失礼、訂正しよう。・・・・外国人を引き渡せ」

 だが、憲兵隊も精鋭である。
 特に個人戦闘や市街戦に特化している。
 周囲に殺気が満ち、双方の部下が間合いを計り出していた。

「その者たちにはスパイ嫌疑がかけられている」

 「この時期にこの国を脱出しようとしたのはいい証拠」と正式な逮捕状を渡してくる。

「・・・・何を馬鹿な。隊長は今の私の役職をご存知か?」
「宮内省大臣官房所属」
「知っているならば、私がスパイを匿うわけがないでしょう?」

 国家元首直轄機関に属する役人が、スパイを働くわけがない。

「貴様がその職務に二心がないのならばそうだろう」

 加藤が一歩前に出る。

「その旨を調べるため、貴様らも拘束する。・・・・・・・・わけの分からん力の持ち主め」
「・・・・最後のその言葉、皇族に弓引く言葉と判断するが?」

 元上級職に対し、敬語を消し、磯崎も殺気をまとった。

「ここで暴れれば、貴様は言い逃れできないぞ?」
「そちらこそ、この横浜がどういう場所か、分かっているのか?」

 磯崎の視線が海へ向かう。
 それに釣られ、憲兵隊の視線はそちらへ向かった。

「・・・・む」

 大日本帝国海軍の旗を翻した船がこちらに向かってくる。
 小さな船だが、武装した兵士が乗っているのが見えた。

「横須賀海軍警備隊・・・・」

 沿岸警備隊だ。
 足場が不安定な船上戦闘を基本としているため、精鋭が多い。

「く・・・・」

 加藤が思わず呻いた。
 磯崎が海軍の高松中佐の意を受けて動いていることも憲兵隊は掴んでいる。だが、港湾部での警察権は海軍が有しており、憲兵隊に権限はない。
 加藤の敗因は確保対象を港までに捕捉できなかったことだ。

「・・・・磯崎、貴様の目的はなんだ?」

 加藤の目的は陸軍に反する独立した動きをする海軍を牽制するものだった。
 本当にスパイ容疑をかけていたわけでない。
 ならば、せめて目的を聞き出さなくては帰れない。

「この外国人を無事帰すこと。それが僕たちの目的ですよ」
「・・・・ふん、次会う時はもっと建設的な話ができることを期待する」

 加藤はそう吐き捨てて部下を連れて踵を返した。

「・・・・次に、会えればいいですね」

 その背中に小さな声で返事する。
 磯崎が帰国する時、どう日本が変わっているのだろうか。
 そもそも日本があるのか。
 磯崎は帰ってこられるのだろうか。

「感傷、ですね」

 近衛軍の将校だった自分を引き立ててくれた嘉斗に一礼し、磯崎は船に乗り込んだ。






 1941年4月13日、大日本帝国とソビエト社会主義連邦は不可侵条約を締結した。
 この日ソ中立侵条約から、ソ連は極東ソ連軍を大幅に縮小する準備を開始する。
 日本も満州国から撤兵させるため、満州と朝鮮に国軍強化を依頼した。
 日本は日中紛争の終結とソ連との緊張回避、国共内戦限定介入の結果、国力を温存・発展し続けた。
 その結果、日本は一連の戦争で不整備を痛感した後方支援に労力を差し向けることができた。
 それは日本海軍による出師準備で、予備役召集・艦船配備などに繋がっていく。
 そして、4月の今、日本軍は戦力を整えつつあった。









第31話へ 赤鬼目次へ 第33話へ
Homeへ