バトル・オブ・ブリテンと航空艦隊


 

 時は1年ばかり遡る。
 1940年7月10日、欧州戦線における新たな戦役――「バトル・オブ・ブリテン」が始まった。
 ドイツ軍がイギリス本土へ上陸するために、制空権と制海権を確保しようとして交わされた航空戦である。しかし、ドイツの本心は多大な犠牲を伴うイギリス本土上陸作戦は避けたかった。
 このため、イギリスに軍事的恫喝を与え、降伏させることを目的とする。
 だが、ダンケルクで大打撃を受けていたにも関わらず、逆に敢闘精神を刺激されたイギリス国民は挫けることなく、軍民一体でこれに当たった。
 連日の激しい戦闘で、両軍は損耗を続けたのである。

 そんなバトル・オブ・ブリテンで、イギリスの危機は8月末から9月中旬までだった。
 効果的な迎撃を支えていたレーダーサイトが謎の電力系統トラブルでダウン。
 そこにドイツの猛爆撃が加わった。
 大量生産されていた戦闘機が、初めて需要と供給が入れ替わって、純減を記録したのだ。
 同時に戦闘機パイロットの不足と熟練度不足が重なる。

 この危機を救ったのは、イギリスでもアメリカでもなかった。
 ドイツである。
 ドイツはベルリン爆撃を受け、ロンドン爆撃にヒトラー総統の名で切り替えた。
 政治的打撃はともかく戦略的に愚策であったロンドン爆撃の結果、ドイツ空軍は消耗し、イギリス空軍はレーダーサイトの復活を始め、戦闘機隊の再編を行うことができた。
 9月中旬以降ドイツの好機は去り、イギリス本土から完全に駆逐されることになる。

 この物語ではロンドン爆撃命令こそ変わりないが、史実と異なることがあった。
 ひとつは陸上基地から航続距離の長い海軍戦闘機を使用した空軍の出撃だ。
 故にイギリス上空での滞空時間が増え、爆撃機の護衛範囲が広がったのだ。
 もうひとつが、ドイツ海軍艦隊である。






航空艦隊scene

「―――いよいよか・・・・」

 1940年9月1日、北海。
 ここにドイツ艦隊が集結していた。
 ただし、戦艦たちはいない。
 ドイツ海軍は再建中であるという欺瞞のため、ドイツ本国にドック入りしていた。
 戦艦たちが軍港にいる以上、ドイツ海軍が作戦行動に出るわけがない。
 そうイギリスも思っていた。

「司令、全艦集結しました」
「うむ、ご苦労」

 ドイツ艦隊は航空母艦「ドラッヘ」を旗艦に同型艦2隻とその護衛戦隊で構成されていた。
 ドラッヘ型航空母艦は日本海軍の空母「龍驤」の改良型であり、約50機の航空機を搭載できる中型空母だ。
 その約150機の航空機は、イギリス空軍にとって脅威である。
 おまけに北海側のレーダー設備は未整備との情報があった。
 英仏海峡におけるドイツ空軍の苦戦は、レーダーが関係していることにドイツ軍首脳部は気が付いていたのだ。

「今頃、ドーバー海峡には大量の潜水艦が放たれたところでしょうね」

 旗艦艦長が言うように、ドイツ海軍は航空艦隊を繰り出す一方で、ドーバー海峡に潜水艦隊を差し向けている。
 潜水艦は敵船団を沈めることが仕事だが、余裕があれば搭載する45口径88mm砲で沿岸を攻撃することができた。
 夜な夜なイギリス沿岸を砲撃することが彼らの任務である。
 イギリス軍の索敵機は、砲撃の正体を掴むためにドーバー海峡に釘付けになると考えられていた。

「その間に、我々は・・・・」
「イギリス東部を空爆しまくる」

 現在、バトル・オブ・ブリテンで戦場になっているのは、イギリス南東部だけだ。
 他の地域で戦闘機の大量生産が行われている。
 今回の航空艦隊の任務は、東部に点在する重要生産拠点を空爆することだった。
 迎撃に上がる戦闘機が足りなければ、イギリスと言えど戦えない。
 同時に港湾施設の破壊などを行えば、イギリス海上封鎖に近付く。

(我々はナポレオンとは違う)

 かつて、ナポレオンは大陸封鎖でイギリスを封じ込めようとした。だが、これは逆に自分の首を絞めた。
 島国であるイギリスは自ら海を駆り、外に出ることができるのだ。
 だから、それを奪う。
 物資供給が滞ったイギリスなど、いずれ音を上げるに違いない。
(しかし、本当に大丈夫なのか?)
 司令官は護衛艦隊を見遣った。
 重巡洋艦はいるが、戦艦はいない。
 イギリス主力艦隊に発見されれば、壊滅するだろう。

(日本はこんな艦隊を主力にするのか?)

 この艦隊編成ドイツにひそかに派遣されている日本海軍の将校が発案したものだ。

「アドミラル・クワバラ、本当に大丈夫なのですか?」

 司令官は日本語で日本将校に訊いた。
 兵たちに不安を理解されないように、だ。

「大丈夫です」

 「クワバラ」と呼ばれた将校は、笑顔でそう宣言した。

「あなた方が砲撃戦で沈めたイギリス空母は、満足な護衛がなく、索敵行動も行っていなかった」

 今のドイツ艦隊は偵察機を飛ばし、艦隊周辺も艦載レーダーで警戒している。
 水上艦艇に奇襲されることはない。

「まあ、正直言えば、万が一のことを考えて、高速の戦艦が欲しいですがね」
「シャルンホルスト級ですね」

 シャルンホルスト級戦艦。
 最大戦速33kt/hを発揮し、空母に随伴できる戦艦だ。
 主砲は28.3cmと小さいが、重巡レベルを寄せ付けない強さを持つ。

「ま、ないものは仕方ありませんが・・・・」

 桑原の脳裏には日本の金剛型戦艦があった。
 主砲35.6cmと最大口径ではないが、十分な攻撃力を持つ。
 さらに最大戦速も30kt/hと世界最速と言っていい。
 俊足である空母部隊の良さを殺すことのない、最高の護衛である。 

「空母数隻がまとめて送り込む航空隊の打撃力は、戦艦に引けを取りません」

 桑原の自信が伝染したのか、ドイツ司令官は笑顔を浮かべた。
 そこに攻撃目標の偵察に行った機体から報告が届き、艦橋はやや慌ただしくなる。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 桑原はそっと司令官から離れた。

(小沢、全く厄介なことをしてくれたよ)

 桑原虎雄。
 航空魚雷運用の先駆けとして、航空屋として自他共に認める海軍将校だ。
 実際に操縦桿を握り、いくつもの航空機記録を保有している。
 航空機運用に関して関わり続けた第一線者。
 つい先日まで、第一・第二連合航空隊司令官として重慶爆撃に参加していたが、密命を帯びて訪独する。
 それはドイツにおいて航空艦隊を運用することであった。

(確かに戦争こそ新しい戦略・戦術の実験場だ)

 1940年6月9日、同期である小沢治三郎少将が「航空艦隊編成に関する意見書」を提出する。
 日露戦争以降の対米基本戦略であった漸減作戦が、第一次世界大戦の戦訓から否定されつつある今、この意見書は海軍戦略に関わる大事だった。
 これまで基本とした戦艦を中心とする戦力配分は2回の軍縮会議で崩壊している。
 軍縮条約が破棄された今、新型戦艦を建造しているが、数の上で英米を上回ることは不可能だった。

(だからこその空母だ)

 数を上回る可能性がある空母にかけてもおかしくはない。
 小沢の案は空母で漸減し、戦艦で叩く、というよりも最初から空母で叩き続けろ、というものだ。
 そのために空母を集中運用し、多数の飛行機による飽和攻撃を仕掛けるというものである。
 これは長い目で見れば戦艦と同じように工業力の差が出る。しかし、今次大戦というくくりならば十分に勝機がある。
 問題は運用に当たってどのような問題が出るか、だった。

(それを知るために私はここにいる)

「第一次攻撃隊、発艦せよ」

 ドイツ航空艦隊は、何もしていないのに大混乱に陥った。
 しかし、これらは訓練次第でどうにかなると桑原は判断し、本国に「航空艦隊は実戦レベルに耐えうる」と報告する。
 後に日本海軍で編成されたのが、空母4隻を集中配備した第一航空艦隊だった。




「―――改飛龍型空母、か・・・・」

 ドイツ艦隊がイギリス東岸を空爆し始めた頃、山本五十六は起工式に出席していた。
 改飛龍型空母(後の雲龍型)は日本海軍が初めて整備する、量産型艦隊空母である。
 基準排水量約1万5,000トン。
 搭載機は70機前後を予定していた。
 建造数は4隻だ。
 日本海軍は大型空母2、中型空母2、小型空母2の計6隻で構成される航空艦隊を編成するつもりだった。
 空母の集中配備による混乱は予想されるも、バトル・オブ・ブリテン後期でドイツ海軍が空母3隻を運用。
 その戦訓を得た日本海軍は様々な問題を解決するための訓練を決定する。
 幸い、日本海軍には正規空母「赤城」、「加賀」、「飛龍」、「蒼龍」の他に練習空母「鳳翔」、「龍驤」、輸送空母「雷鷹」、「鳴鷹」が揃っていた。
 トラック諸島を拠点に、基地航空隊を巻き込んで一大航空戦闘訓練を行うのだ。

(この空母たちが戦力化するのは、1943年になるだろう)

 1943年に揃う正規空母は、以下の通りだ。
 大型空母「赤城」、「加賀」、「翔鶴」、「瑞鶴」、「伊勢(仮)」、「日向(仮)」。
 中型空母「飛龍」、「蒼龍」、「雲龍」、「天城」、「葛城」、「笠置」。
 小型空母は建造計画段階であるが、1年半で完成するならば、1941年後半に建造開始すればいいだろう。

(戦艦は過去の産物だ)

 山本は造船所から出た。
 活気溢れる施設群の中、数々の艦艇が建造されている。

「―――山本」
「ん?」

 迎えに来ていた車に乗ろうとした時、彼の耳朶を、小さいがよく通る声が叩いた。

「貴様、何奴!?」

 周囲にいた護衛が色めき立つ。
 しかし、複数の殺気を受けた声の主は、それらを睥睨した。

「下郎、貴様ら如きが妾の邪魔をひよるか?」
「ふふ、そうやで。・・・・邪魔や」
「「「―――っ!?」」」

 声の主と言うよりもその侍女から向けられた殺気に、軍人たちは怯んだ。

(無理もない・・・・)

 もし彼女たちが暗殺者なのだとしたら、これらの護衛など一瞬で蹴散らされているだろう。

(そう思うと、護衛の人選を考えた方が良いのか?)

 山本は内心で首を捻りながら、手を振って護衛を下がらせた。

「部下が失礼を」

 相手は軍人ではないので、敬礼ではなく頭を下げる。

「高松殿下夫人」

 本名で呼ばれることを嫌う彼女に配慮した山本に、亀は大仰に手を振った。

「止めぃ。海軍三頭に頭を下げられるほど、妾は偉くない」

 そう言ったが、亀にくってかかった護衛たちは顔を真っ青にしている。
 何せ相手は、天皇の弟である高松嘉斗殿下の妻であり、有栖川の血統を継ぐ、由緒正しき女性なのだ。

「それに護衛が騒ぐ理由も分かるひの」
「安心しぃ。周囲に賊はおらへん」

 亀の言葉に、富奈が続く。

「少ひ、話せるか、連合艦隊司令長官殿?」

 山本五十六の連合艦隊司令長官への就任。
 それは米内海相による山本の命の安全を図るための策略である。
 当時、日本は日独伊三国同盟締結への道を進んでいた。
 しかし、それは陸軍や一部の政治家のみで、海軍や大半の政治家は危険視する。
 特に天皇に近い人間は、天皇がナチス・ドイツを信用していないことから、回避に動こうとしていた。
 だが、軍事開発などの点で、日本は独伊に接近しており、同盟締結の下地ができあがっている。
 ノモンハン事件などで先送りにされたが、ドイツがフランスを占領したことで風向きが変わった。
 ヨーロッパを制しつつあるドイツが味方である以上、ソ連もアメリカもアジア問題に二の足を踏むはず。
 そういう牽制目的があった。

(逆にアメリカを刺激すると思うがな)

 だからこそ、山本は実戦部隊を調えつつ、公然と同盟反対を宣言したのだ。
 米内の思惑を無視する形となるが、ここで尻込みしていては意味がない。
 結局、矢面に立つのは自分たち実戦部隊なのだから。
 それからというもの、海軍は山本に護衛を付けた。
 現役の連合艦隊司令長官が暗殺されるなど、あってはならないからだ。
 特に今は、海軍の戦略転換を実戦部隊が可能かどうか試している最中である。
 こんな時に山本にいなくなられては困る。

「護衛に不満があるのならば、侍従武官からいくらか貸そうか?」

 亀は富奈を示しながら言った。

「いいえ、結構です。『長門』の中ならば安心なので」

 戦艦「長門」。
 第一艦隊の旗艦であり、連合艦隊の旗艦でもあった。

「・・・・平時はともかく、戦時には司令部は丘にあるといい」
「・・・・でしょうね」

 無電が発達したとは言え、一度戦場に出てしまえば、それは封止される。
 耳はあっても口がないのでは、命令できない。
 昔のように戦域が狭くないのだ。

「で、用件は?」

 山本たちは話しながら移動していた。
 護衛は富奈を中心とした侍従武官が行っている。

「戦争に、なりそうか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 亀は皇族で、いろいろ暗躍している嘉斗の妻だ。
 だがしかし、公的な役職に就いているわけではなく、情報は限られる。

「・・・・今のままでは、おそらく」

 日本が戦争したくなくとも、アメリカが戦争したがっている。
 日本とドイツを敵にし、欧州とアジアで戦端を開く。
 欧州を支えるためにフル回転した工業力で、日本を叩き潰す。
 そうして疲弊した欧州とアジアを制し、覇権国家として戦後の世界を導く。
 山本には、アメリカの国家戦略が分かっていた。
 日露戦争に勝利して以来、国家戦略を決められずにふらふらしていた日本とは、対照的である。

「・・・・そう、また国家存亡の危機なのか」
「・・・・危機の連続ですね」

 戊辰戦争は、日本が外敵と戦う体制に生まれ変わるための内乱。
 日清戦争は、清から日本を守るための防波堤防衛戦。
 日露戦争は、清からロシアに相手が変わっただけの戦い。

「戊辰戦争を除き、ふたつの戦争における基本戦略は変わらない」

 敵主力を撃破し、敵がこちらを攻略できないと諦めさせること。
 その段階で、第三勢力による仲介で講和。

「ですが、今回はそうはいかないでしょう」

 日米戦争が勃発すれば、アメリカは日本とドイツを一緒に扱う。
 そうなれば、英仏による日米仲介は不可能。
 他に力を持つ国はないため、戦争は日本が壊滅するか、アメリカが諦めるまで続くだろう。
 どちらにしろ、日本は大打撃を受ける。

「最終的に、我々の講和条件は国体護持になりそうですな」

 それが正直な、知米派と呼ばれる山本の意見だった。

「そう、か・・・・」

 実戦部隊の長の意見を聞き、亀は自らの腹を撫でる。
 それは空腹を訴えるものでも、落ち込んだ時の癖でもない。
 母が子を慈しむ時の仕草だ。

「・・・・夫人、まさか・・・・」
「うむ、第二子」
「・・・・そのことは、殿下には?」
「言おうと思ってここに来てみれば・・・・訓練航海中と言われたわ」

 現在、高松嘉斗中佐は戦艦「比叡」の砲術長である。

「ハハ。となると、私は殿下よりも早く知ってしまったというのですか」

 山本も4人の子どもを持つ父親である。
 子ができるというものは嬉しいものだ。

「しかし、殿下もあれだけ航空機を気にかけるのであれば、航空屋になればよかったものを・・・・」
「山本は、戦艦が嫌いか?」

 ズバッとした問いに、山本は言葉を詰まらせた。

「確かに航空機はより損害が少なく、戦艦を沈められるかもひれん」

 世間一般では、航空機では戦艦を沈められない。
 これに、山本率いる海軍航空隊は挑もうとしていた。

「だけど、戦艦が戦艦を沈めることは可能」

 亀は両手を山本の前に出す。

「ならば、戦艦を沈めるのに、飛行機と戦艦を使えば良い」

 航空隊だけでなく、戦艦を有効活用せよ、と亀は言いたいのだ。

(・・・・航空艦隊が主力となれば・・・・戦略速度は増す)

 1回の海戦から次の海戦までの時間が短くなる。
 なにせ、戦艦は戦いの後に修理が必要だが、空母は艦載機を搭載するだけでいい。
 山本はすでに金剛型と奥羽型は空母艦隊の護衛に使うと決めていた。
 最大戦速30kt/hを発揮する高速戦艦だからだ。
 だが、長門型と大和型は各国の旧式戦艦よりは高速だが、航空艦隊と行動を共にするにはやや低速である。

「・・・・戦艦の使い道・・・・」
「従来にない発想はあの人がする」
「・・・・私はそれを包括する戦略を担当しますか・・・・」

 手持ちの戦力を、どう使うか。

「この日本に、あるものを使わない余裕があるか?」
「・・・・ない、ですね」

 元々、国力では圧倒的に不利なのだ。
 戦力化されたものを使わなければ、耐えられるところでも耐えられない。

(ふむ、空母を主力としつつ、戦艦などの艦艇も使う、か・・・・)







 1941年4月10日、空母機動艦隊が発足した。
 第一航空戦隊「赤城」、「加賀」、第二航空戦隊「飛龍」、「蒼龍」を基幹とし、旗艦には「赤城」が選ばれる。
 司令長官には南雲忠一中将が、参謀長には草鹿龍之介少将が就任した。
 航空参謀は源田実中佐が、攻撃隊総隊長は淵田美津雄中佐が、それぞれ務める。
 約300機の航空機を統一運用し、絶大な攻撃力を誇る。
 だが、それは平時における固定艦隊ではなく、護衛艦艇もほとんどなかった。
 航空艦隊は、まだまだ手探りなのである。









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