タイ・フランス領インドシナ紛争-2
ホー・チ・ミン。 ベトナム革命を指導した革命家だ。 後にベトナム戦争でアメリカを震撼させるベトミンだが、この時期は創成期であり、それほど力を持っていなかった。 しかし、中国ラインからの支援を受け、フランスがベトナム国民を徴兵して訓練を行った結果、欧州式の戦力を手に入れることになる。 仏印政府は南部に取り残された主力軍を助けるため、彼らに第一線級の装備を与えた。 彼らはこれを手に、ハノイにて一斉蜂起、トンキンを陥れ、仏印政府を消滅させたのである。 仏印政府の一部は脱出に成功。 トンキンにいた海防艦でトンキン湾へ逃げ、海南島沖で、日本海軍に救助された。 日本は彼らにタイと講和することを進言し、ベトミン蜂起鎮圧を南部の主力軍で行うように依頼する。 2月24日、日本は双方の主張と戦況を鑑みて、以下の案を提示した。 ひとつ、ルアンパバーン王国とカンボジア王国の独立承認。 ひとつ、カンボジア王国はタイに対してバッタンバン・シエムリアプ両州を割譲。 ひとつ、タイ軍の上記地域以外からの撤退。 ひとつ、捕虜交換の実施。 ひとつ、タイ王国はルアンババーン王国とカンボジア王国の独立を支援。 ひとつ、仏印で発生した共産主義者の蜂起は、泰仏日の協議を以てこれに当たる。 日本は仲介役の特権として、紛争終結後も続く共産主義勢力との戦いに口を出すと宣言したのだ。 日本としては共産主義勢力が東南アジアに広がることは面白くない。 国家体制が軟弱なこれらの地域を席巻されれば、日本は極東で孤立するのだ。 日本の思惑は分かっていたが、要求のほとんどが受け入れられたタイと植民地を失いそうな仏印は、3月11日に調停が成立する。 条約締結は5月9日だったが、3月よりタイは撤退を開始し、国内にて部隊の再編を行った。 仏印は南部諸都市の反乱を鎮圧し、ベトミンと戦う態勢を整える。 タイ・仏印両国は、7月に同時侵攻を開始することを確約。 北部仏印をベトミンから奪還した折には、残る保護国・ヴィエンチャン王国の独立を約束したのである。 これを達成すれば、タイ王国は上記三国の盟主としての立場を取り戻すことができる。 タイにとって、ベトミンとの戦いは、国家の威信を取り戻す最後の戦争だった。 北部仏印戦scene 「―――すさまじいな・・・・」 1941年7月28日、トンキン湾。 ここに日本陸海軍による北部仏印攻略部隊が揃っていた。 「司令! 予定の砲撃数、撃ち終えました」 艦長より報告を受けた第二遣支艦隊司令長官・新見政一海軍中将は上陸作戦を開始するように命じる。 そして、再びトンキン海岸を見遣った。 風が煙を吹き飛ばしたそこには、地獄が広がっている。 「ビック7、か・・・・」 新見が座乗しているのは、日本海軍が世界に誇る四一センチ砲搭載戦艦「長門」である。 後方には同型艦「陸奥」が航行しており、同じく予定弾数を撃ち終えたようだ。 「第三航空戦隊の航空部隊、上空を通過します」 報告通り、数十機の航空機が上空を追加。 艦砲射撃でダメージを受けた敵陣地をさらに攻撃し始める。 「これで上陸作戦は万全だろう」 これだけの戦力を投入したのだ。 作戦が成功しなければおかしい。 7月1日から始まった仏印フランス軍とタイ軍による共同北部仏印侵攻作戦は、大苦戦していた。 ベトミンはゲリラ戦を展開し、東南アジアの気候に慣れた両軍でも攻めあぐんだ。 苦戦の原因が対ゲリラ戦に不向きな戦力運用と判断した両軍は、分隊や小隊を主力にした散兵戦術で臨み、7月第2週からは侵攻速度が上がった。 だが、これを受けて、ベトミンは大部隊運用を開始、タイ陸軍はラオス国境付近で各個撃破される。 この戦闘だけで、仏印軍と戦った時の戦死者数を超えた。 再編成の必要性ができた両軍は進軍を中止し、再編成が終了するまで防御に徹する。 これに焦れた日本軍は海南島で、万が一に備えて待機していた攻略部隊の出撃を命じたのである。 この護衛に第二遣支艦隊が選ばれた。 この艦隊は非常に強力だった。 戦艦「長門」、「陸奥」。 空母「雷鷹」、「鳴鷹」。 重巡「高雄」、「愛宕」、「摩耶」、「鳥海」。 第五駆逐隊「朝風」、「春風」、「松風」、「旗風」。 空母はかつて航空機輸送艦として就役したものだったが、欧州大戦勃発を受けて本格空母に改装したものである。 現在、建造中の隼鷹型空母の準同型艦として扱われ、準正規空母としての活躍が期待される。 事実、今回の作戦では艦隊護衛、上陸地点の制空権確保、敵物資集積基地への空爆などを成功させていた。 「突撃ぃっ!」 日本刀を振り上げた小隊長の命令の下、角松正二等兵は一〇〇式機関短銃を持って突撃した。 彼が属すのは先遣部隊だ。 海軍の護衛の下、大発で上陸した。 この部隊は最近できた陸海協同部隊である。 「敵っ!」 数十メートル向こうの岩礁に敵がいるのが見えた。 角松は敵が構えるより早く銃を構えると、発砲する。 小銃弾ではなく、拳銃弾で威力は低いが、半自動のために敵が射撃を始める前に制圧できた。 「橋頭堡を確保しろ!」 今回の作戦では、自分たちが橋頭堡を確保し、それを補強するために独立歩兵大隊主力が上陸。 翌日には歩兵師団が上陸する予定だった。 「精鋭部隊の力を見せてやれ!」 この地にいるのは旅団規模の戦力だと偵察結果が出ていた。 それに挑んでいるのはわずか六個小隊、約360名だ。 戦力差は十数倍だ。 それでも、敵は艦砲射撃で限定的な反撃しかできず、続く空爆で重機関銃などを多く失った。 できる戦いは、白兵戦のみだ。 ある意味、兵力が出る戦闘だが、兵一人一人の質が最も出る戦いでもあった。 片や世界を代表する強兵。 片や訓練もそこそこな民兵。 それがぶつかった時、どちらが勝つかなど分かりきっている。 圧倒的な兵力差など、艦砲射撃と空爆による混乱で帳消しだ。 結果、3時間続いた海岸攻防戦は日本軍の勝利に終わった。 「少将殿、我が方の損害、戦死7、負傷27です」 「ほぉ、なかなかに少ないな」 旅団長は報告された死傷者の少なさに驚いた。 投入戦力は約360だ。 損害は10%程度であり、10倍以上の敵を相手にしたにしては少ない。 「やはり、戦艦の艦砲射撃が効いたのでしょう」 「世界最大の砲撃だからな」 旅団長はトンキン湾から去っていた戦艦の雄姿を思い浮かべた。 「・・・・だが、これからは陸軍の仕事だ」 上陸作戦の翌日になり、歩兵師団と共に物資の多くが陸揚げされている。 「物資の陸揚げ状況はどうなっている?」 「は、武器弾薬、食糧の陸揚げは順調です」 主計担当が紙を片手に報告した。 「九五式軽戦車はほぼ完了。戦車大隊は出撃準備に移っているようです」 「師団主力が上陸中でも、進むか。戦車部隊は大変だな」 旅団の目的は橋頭堡確保だが、上陸中の歩兵師団は違う。 いや、むしろ、ここからが本番だと言えた。 このトンキン上陸作戦の意味は、ハノイを本拠地とするベトミンを南北から包囲するだけでない。 物資補給路である中国国境すら脅かすことができるのだ。 「しっかりやれよ、陸軍」 「―――第二次攻撃隊直上ーッ!!!!!」 轟音と共に数十機の航空機編隊が艦隊の上空を通過した。 「海軍がここまでお膳立てしたのだからな」 「―――展開完了しました」 敬礼と共に伝えられた報告内容に日本陸軍連隊長は頷いた。 指揮する部隊は連戦連勝に高い士気を保っている。 さらには友軍もすぐ近くにいた。 それらは日本国旗とは違う旗を掲げている。 8月15日、タイ軍は西方から、仏印軍は南方からハノイに迫っていたのだ。 日本軍は主力部隊が中国からの補給線を封鎖し、1個連隊が紅河北岸に布陣している。 目的はベトミンの本拠地であるハノイ攻略だ。 日本軍主力部隊がゲリラ狩りをしている間に、ベトミン主力軍を撃破するのだ。 「まあ、我々は逃げようとする敵を迎撃するだけだが・・・・」 ハノイに展開しているとされるベトミンは約2万。 対するタイ軍は4万、仏印軍は2万だ。 だが、苦戦が予想されていた。 「敵がハノイに籠るとなると・・・・ちょっと厄介だな」 植民地政府の重要拠点であるハノイの歴史は古い。 7世紀には雲南と南シナを結ぶ交通の要衝として、安南都護府が置かれて唐の南方支配の拠点となる。 その後、11世紀には李朝が首都と定め、農業地帯を統治する拠点とした。 以後、19世紀にフエに遷都されるまでベトナムの中心だった。 仏印北部地域を示す「トンキン」という呼称は、この都市の固有名詞として使われることもある。 それだけ、仏印北部にとって重要な都市なのだ。 「市街戦は文化を破壊する」 約800年、一国の首都だったのだ。 さまざまな文化財がある。 市街戦ではこれを破壊してしまう。 どうにかして、ベトミンを町から出す必要があった。 「ま、それを考えるのはあちらさんだ」 連隊長は従兵が持ってきた椅子に座る。そして、一緒に持ってきてもらったお茶を口に含んだ。 「―――さて、どうしようか・・・・」 日本軍連隊長が休憩に入った時、タイ軍司令部で軍議が催されていた。 タイ陸軍を率いるのは、陸軍元帥だ。 かつて、日本に留学し、軍事学を学んだ英才である。 また、この時に元日本陸軍大将・武隼尚賢と知り合っていた。 ふたりの友誼は彼が帰国してからも続き、第一次世界大戦ではタイ陸軍視察団を率いて日本陸軍と行動を共にする。 この時、一部のタイ将兵が戦闘で犠牲になったため、帰国後に実戦部隊から左遷された。 しかし、軍政に立場を移したことで、タイ陸軍の装備改革を成し遂げたのである。 「ハノイを直接攻めることは、ベトミンではない仏印国民の反感を買うことになります」 参謀の言葉に元帥は頷いた。 仏印国民はルアンババーン王国、カンボジア王国を解放したタイが、自分たちの独立を弾圧してヴィエンチャン王国を解放しようとしていることに反発を持っている。 自分たちだけがタイに見捨てられた、と考えていたのだ。 このため、進軍では些細な嫌がらせも受けている。 (我々からすれば、グエンは別の国だ) 先の三王国はかつてタイ王国の庇護下にあった、言わば身内である。 しかし、グエンは代々中国と繋がりを持っていた別の国だ。 タイ王国が独立を支援する理由はない。 (さらに独立をしようとするのが、王朝ではなく、共産主義者であることが問題だ) 何よりグエンの首都であるフエは仏印軍の支配下にあり、一部の警備兵は仏印軍に同行していた。 タイにとってこの戦いは、グエン王国で発生した反乱を仏印政府と共に鎮圧する、というものだった。 「元帥殿?」 「あ、ああ、すまん」 参謀に呼ばれ、彼は我に返る。 (ともあれ、私は軍政面への影響を考慮した作戦を提示しなければならない) 彼が総司令官である理由は、タイとグエンの微妙な関係が原因だった。 ただ勝つだけでなく、遺恨がないようにしなければならない。 それを成し遂げるには政治力を発揮しなければならない。 政治を知る彼は、この点に期待されていた。 「まず、仏印軍の動きは?」 グエン王国の内乱である以上、作戦主導権は仏印軍にある。 「すぐにでも市街に突入、ベトミンを殲滅する、と・・・・」 参謀が困った顔で言った。 「仏印軍とベトミン軍は戦力的に拮抗しています。間違いなく、ハノイは破壊されるでしょう」 「ここで指をくわえて見ているか?」 「いえ、戦闘に参加せずとも、その場にいました。反感はフランスと共にタイにも来ます」 「厄介なものだな」 全ての人間が理性的に物事を考えられるわけではないのだ。 「大石中将」 「ん?」 元帥の言葉に、末席に座っていた大石が応じる。 「日本はいくつもの城塞が乱立した時代があるという。どういう城攻めをされていたのか?」 「ああ、戦国時代だな・・・・」 大石は一瞬遠い目をした。 「基本的に日本の城は軍事要塞で、民間人がほとんど住んでいなかった、というか、民間人も戦闘員でした」 町を守るための塀や堀などもあったが、メインは戦力が集中している部分だ。 「ただ、そうですな。いくつか城から誘き出した例はあります」 大石は過去の戦史を説明しようとはしなかった。 「この戦略の骨子は、相手を死兵にしなことと絶対に勝てないと思わせること」 『『『?』』』 諸将が首を傾げる。 「絶対に勝てない」と思った時、兵は「死兵」になるのだ。 「はは、絶対に勝てないと思った時、退路ができたらどう思います?」 『『『―――っ!?』』』 (―――勝てるわけがない) ベトミン兵のひとりが、耳をふさぎながら思った。 上空では日泰の航空機が乱舞しており、ハノイ市の重要拠点を空爆している。 市外ではしきりに陸軍が喊声を上げていた。 紅河では、遡上してきた日本海軍の砲艦が大砲を撃ち込んでいる。 市街地への砲撃ではなく、紅河南岸の防御陣地を破壊していた。 (ちくしょう・・・・) 彼はハノイ市出身のベトナム人だ。 ホー・チ・ミンの演説を聞き、この人ならば独立できると、挙兵した時に志願した。 それがどうだ。 確かに仏印軍を撃破し、仏印北部を制圧した。 仏印政府軍はタイと戦争していたから簡単だった。 だが、タイはあっさりと仏印と講和し、その講和を斡旋した日本まで攻めてきた。 同僚にはトンキンの戦いで辛くも生還した者がいる。 彼が言うには、日本軍は正面戦闘ではもちろん、ゲリラ戦術でもどうにもできないと言う。 そんな軍隊が紅河を挟んだ向こうにいる。 前にはタイと仏印の大軍がいる。 (勝てるわけがない・・・・っ) 「おい」 「・・・・なんだよ」 膝を抱えて震えていたところを同僚に見られ、不満そうな声を出した。 「紅河の日本軍が消えたぞ」 「・・・・何?」 顔を上げ、同僚を見る。 いつの間にか夜になっていたのか、彼の顔がよく見えなかった。 「本当だ。司令部はこの隙に脱出しようとか考えているらしい」 「ってことは、ゲリラ戦か?」 「いいや、脱出するのは司令部とその護衛だけだ」 「・・・・俺たちは?」 「ハノイを死守だとさ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 (自分たちだけで生き残ろうっていうのか?) 彼は司令部に対して疑いを持つ。そして、その視線は退路に向いた。 (お前らが逃げるなら俺も逃げる・・・・っ) 彼は同僚が立ち去った瞬間、武器を持って走り出す。 こうした光景がハノイのいたるところで見られた。 結局、夜中に一万数千の兵が逃げ出すという事態に発展する。 これに慌てたベトミン司令部もそれに紛れて脱出した。 脱出したベトミン司令部は日本が掃討作戦をしている地域を逃れ、潜伏することになる。 「ふぅ、どうにかなったな」 タイ陸軍元帥は、占領したハノイ市役所の一室でため息をついた。 「いやいや、驚いた。タイはいつの間に工作員をハノイに入れていたのだ?」 「ふん、それを知りつつあのような作戦を出したというに」 元帥は面白くなさそうに鼻を鳴らす。 「ま、日本陸軍にもいろいろあるのさ」 そう言って、大石は窓からハノイを見下ろした。 (こんなにうまくいくとは・・・・) 大石が提案したのは、単純な流言だ。 訓練を受けていない民兵など、心は脆いものだ。 圧倒的兵力による恫喝と生き残る可能性を提示してやれば、脱走したくなるに違いない。 それでも共産主義と言う思想がよりどころである彼らは、司令部が徹底抗戦ならば戦うはずだ。 その司令部が逃げ出すと流言を流す。 これだけで兵の心は折れ、我先にと脱出したのだ。そして、脱出した兵は二度と兵とならない。 結果的に戦いで壊滅させるよりも大きなダメージを与えたのだ。 これにてベトミンは壊滅した。 以後、第二次世界大戦が終わるまでホー・チ・ミン以下首脳部は、潜伏を余儀なくされたのである。 タイ・フランス領インドシナ紛争は、ベトミンの壊滅で終結した。 タイは旧領奪還と旧属国をフランスから解放することに成功。 東南アジアの雄としての力を見せつけた。 仏印は植民地崩壊こそ阻止したが、東南アジアにおける影響力を完全に失った。 日本は上陸作戦、ゲリラ戦の知識を得た他、東南アジアの赤化を阻止した。 同時に蒋介石-アメリカの補給路を確保したのである。 これに蒋介石は感謝し、日本に対する態度が軟化した。しかし、アメリカは面白くなかった。 「馬鹿な・・・・」 外務大臣・東郷茂徳はアメリカ外務省からもたらされた情報に絶句する。 集まった外務省幹部全員の顔が蒼褪めていた。 『「全侵略国に対する」石油禁輸措置』 これがアメリカの日本への回答だった。 供給源の多様化を進めていたが、最も比率が高かったアメリカからの石油禁輸は効いた。 折から悪化している日米関係がさらに悪化したのだ。 だが、日本外務省はただでは転ばなかった。 蘭印産石油の確保を目指したのだ。 元々、皇室外交の効果もあって、対日関係は良好であったオランダは、輸出を増やすことに同意した。 その代わり、日本製の武器弾薬を補充し、蘭印国内の独立派に対する武力を向上させる。 さらに石油増産のために日本人技術者や労働者を派遣した。 蘭印はオランダから遠く、技術的に苦労していたことから、喜ばれる。 しかし、彼らはいわゆる蘭印に打ち込んだくさびだった。 |