タイ・フランス領インドシナ紛争-1
タイ王国。 東南アジアに位置する立憲君主制国家。 現王朝であるチャクリー王朝は1782年から始まる。 現国王はラーマ7世。 クーデターを乗り切り、絶対王政から立憲君主制へと移行した名君である。 タイは日本と中国に並ぶアジアの独立国だ。 だがしかし、近代化を成し遂げて国土を守り通した日本。 蚕食されつつも広大な領土故に独立を守る中国。 これらに対し、タイは微妙な立場にある。 マレー半島を治めるイギリス。 仏印(現ベトナム)を治めるフランス。 これらの緩衝地に選ばれたのが、タイなのだ。 日本のように勝ち得た独立でも、中国のように過去の遺産による独立でもない。 与えられた独立。 傷つけられたプライドから暴走したくなる心を理性でつなぎ留め、日本を見習って第一次世界大戦後の10年は富国強兵に邁進した。 世界大恐慌の煽りとクーデター鎮圧を経て、殖産興業に動く。 また、軍備拡張も継続し、日本製の装備を導入して一部はライセンス生産にて国産化。 陸軍では九五式軽戦車、九七式戦闘機、九七式重爆撃機を輸入し、近代化を図っていた。 海軍は青葉型重巡洋艦二、夕張型軽巡洋艦二、ドンブリ型海防戦艦を主力にしている。 ただし、海軍はインド洋、太平洋に展開しているため、仏印に対するのは半分になる。 このため、海軍は沿岸に迫るフランス極東艦隊を攻撃するために、九七式艦上攻撃機の配備を始めていた。 タイ・フランス領インドシナ紛争scene 「―――時は満ちた」 1940年11月22日、プレーク・ピブーンソンクラーム首相は首相官邸でそう呟いた。 彼は1932年のクーデターに参加したが、首謀者ではなく、恭順したために許される。 その後、軍人の援護を受けて首相に就任した。 1930年代後半における再度の富国強兵を主導し、フランスを仮想敵とする軍備を整える。 一方で、1920年代に発展した工業力を元に、イギリス向けへの出荷を増やした。 結果、欧州大戦の勃発で、イギリスは東南アジア地域の物資供給をタイに依存している。 欧州大戦がタイの発展に繋がるのは、歓迎すべきことだった。 (だが、フランスが敗れた・・・・) ドイツにフランスが負け、フランスにヴィシー政権が誕生する。 仏印はヴィシー政権に属し、表面上は中立を保つ、日本、アメリカ、中国、タイの間に入ったのだ。 さらにややこしくなったのは中国共産党による中国南北縦断だった。 海側は国民党が支配しているが、陸側では中国共産党が支配するようになる。 これが仏印に変化をもたらしたのだ。 ドイツはフランス国内に残る反乱分子将校を一斉にシベリア鉄道に乗せた。そして、モンゴル、中国を経由して仏印に送り込む。 これはフランス本国での反乱阻止と、フランスとしての国益を維持させるためだった。 反乱分子は何を思おうとも仏印を確保しようとするはずである。 これを奪おうとするのは、タイとイギリスだ。 特にイギリスはフランス降伏時のどさくさで、フランスと交戦しており、反乱分子の中でもイギリス嫌いが目立った。 ドイツからすれば仏印で戦争が起きれば、イギリスの戦力を一部アジアに引き付けることができるのだ。 これに乗っかったのは、ソ連である。 中国共産党の進撃を阻むアメリカの物資などは、この仏印に陸揚げされていた。 ここで仏印を一気に赤化し、痛撃を与える。 また、共産主義者であるホー・チ・ミンに対して直接支援することができる。 欧州大戦で植民地経営どころではない東南アジアに赤化が広がれば、一気にソ連の勢力が拡大するのだ。 (各国は、タイに期待している) 物資供給を守りたい蒋介石-アメリカは国内問題でそれどころではない。 特にアメリカはフランスに戦争を吹っ掛けるなど、欧州大戦に参戦するようなものだ。 日本は、分からない。 すでに海南島の基地建設はほぼ完了しており、いつでもハノイを爆撃できる。 だが、1931年の満州事変から、日本政府の方針は不拡大である。 仏印に戦争を仕掛けることはないだろう。 (だが、タイにはある) 失地回復だ。 今の状況で、タイが仏印に攻撃しても、ドイツやソ連を除く国から非難はない。 「だから、時は満ちたのだ」 もう一度呟き、彼は空軍からの攻撃承認書に判を押した。 欧州大戦がアジアに飛び火したのである。 こうして勃発した泰仏国境紛争は、1940年中は航空撃滅戦のみで積極性に欠けた。しかし、タイ空軍は九七式戦を最大限に活用し、国境付近の仏印空軍に大打撃を与えた。 敵を侮って五月雨式に投入した仏印空軍は壊滅。 局地的な空爆は可能だが、大規模な空爆は不可能になった。 この段階で、ようやくタイ陸軍が動く。 タイ陸軍は主力軍をふたつにわけ、現ラオス地方と現カンボジア地方に侵攻したのである。 ここにタイ陸軍機甲師団による、電撃作戦が始まった。 「―――もう少し待ってほしかったなー」 タイ陸軍の戦技顧問である大石智彦陸軍中将は、たばこの煙を燻らせながら空を見上げた。 そこには仏印を空爆するためのタイ軍航空機編隊が飛行している。 「中将殿、本国より電信です」 「読め」 「はっ」 電信員は敬礼すると、陸軍大臣と参謀総長の連名で発せられた命令書を読み上げた。 「『執行セヨ』です」 「しゃーない、御上の裁可も得た。気合い入れていくぞ」 そう幕僚に告げ、彼は指揮車に乗る。 「これより、派タイ戦技顧問中隊はタイ陸軍と行動を共にする!」 大石智彦。 1888年山梨県に生まれ、武田軍団に憧れて騎兵科に属す。 第一次世界大戦でヨーロッパに出撃し、乗馬を砲撃で吹き飛ばされて騎兵の限界を感じる。 機甲科ができた時に転化し、戦車部隊の創生を担った。 だが、彼が注目したのは戦車を含む機甲師団の使い方だ。 それに空軍も加えた、三次元的作戦。 それはドイツがフランスに対して行った空地一体の電撃作戦だった。 1941年1月6日、タイ陸軍は現ラオス地方と現カンボジア地方に同時侵攻した。 両軍団とも3個歩兵師団を主力としており、仏印軍の4個師団を上回っていた。 有力な仏印海軍に怯えつつも、兵力に勝るタイ軍はカンボジア戦線を徐々に押し込む。 一方で、ラオス地方戦線は順調に推移した。 なにせラオス地方で両軍が激突した時、ルアンババーン王国はフランスに対して反旗を翻し、王国軍――国境警備隊程度――が仏印軍の背後から急襲したからである。 ラオス地方の仏印軍は開戦わずか3日で壊滅。 タイ陸軍は航空部隊に前路哨戒と攻撃を担当させ、九五式軽戦車を前面に押し立てて突撃したのだ。 途中、仏印軍の対戦車砲部隊による抵抗を受けたが、迂回した騎兵部隊でこれを制圧。 ラオス地方軍団はカーン川流域を東下し、1月末には現ゲアン省ヴィン市を制圧した。 これにより、仏印は南北で分断され、かつカンボジア方面軍は包囲されることとなる。 トンキンに展開していた仏印軍本隊はその進撃速度に驚き、何もできなかった。 「あとは・・・・各王国がどう動くかだな」 大石は煙草をくわえながら地図を見下ろす。 大石以下幕僚が"授かった"作戦は以下の通りだった。 当初からカンボジア国境で小競り合いを起こし、敵主力をカンボジアに誘引する。そして、タイ王朝が調略していたルアンババーン王国方面に機甲部隊を投入し、一気に南北を分断する。 「数年前、タイに協力して仏印を対処すると決めた当時の参謀本部が作った作戦だ」 そう、日本にとって今回の戦争は数年前から予想していたものだ。 陸軍はタイからの留学を受け入れるとともに作戦なども立案していたのだ。 ここ数年の武器輸出はこれを成し遂げるための兵器を売ったに過ぎない。 また、大石たち戦技顧問の任務も、この作戦を達成するための能力を付与することだった。 「仏印で現地民を徴用し、訓練を始めたとの報告があります」 幕僚のひとりが報告してくる。 「銃を持たせ、突撃させるつもりか?」 ここであまり現地民の人死が出れば、タイにとって不利益となる。 「トンキン方面の仏印軍を抑える兵力を残し、南下するべきか?」 日本語を話せるタイ陸軍将校が発言した。 彼はラオス地方へ侵攻した軍団の司令官だ。 「いいえ、我らは動かぬ方がいい」 3個師団を抱えたこの軍団だが、1個師団はルアンババーン王国に留まっている。 残り2個師団も長躯したために疲弊していた。 今軍を動かすのは無理だ。 今は静観しているラオス南部の王国の動向も気になる。 「それよりも早く飛行場を整備した方がいい」 空軍を展開させ、空爆を強化するのだ。 そうすればどの方面にも先制攻撃できる。 「我らがここから動かない場合、トンキン湾に展開した仏印海軍が動くことになるだろう」 司令官は若干、緊張した面持ちでそう言った。 仏印海軍は強力だった。 戦艦こそいないが、旧式装甲艦2、軽巡洋艦1、駆逐艦4、海防艦8、水雷艇30、潜水艦4だ。 対するタイ海軍太平洋艦隊は青葉型重巡1、夕張型軽巡1、トンブリ型海防戦艦1、駆逐艦4、海防艦8、水雷艇41、潜水艦なし。 「司令官殿、タイ海軍はどこに?」 「未だ母港にいるはずだ」 「行動が遅いですね」 日本海軍ならば開戦と同時に、いや、開戦前に動いているだろう。 「本来はインド洋艦隊と合流する手はずだったので」 開戦してからタイはイギリスに対してシンガポール通過許可を求めた。しかし、イギリスは拒否した。 内部の自由フランスや、他の去就を決めかねているフランス植民地政府に対する配慮だろう。 これが、タイ海軍が仏印に対して劣勢な理由だ。 「ま、海戦は海軍に派遣されている戦技顧問がどうにかするだろう」 大石は楽観的に答えた。 彼ならばやる、と確信しているのだ。 「―――上空に敵偵察機!」 1941年2月3日、コーチャン島(現チャーン島)沖。 ここをタイ海軍太平洋艦隊が航行していた。 目的はフランス極東艦隊――仏印海軍の撃滅だ。 「・・・・偵察機、無電を発信しました」 タイ艦隊発見の報だ。 「敵艦隊はまだ発見できないか!」 旗艦「アオバ」に座乗するタイ海軍司令官である大将が怒鳴るが、タイ海軍の偵察機は敵を発見できていない。 「・・・・奇襲される可能性がありますね」 日本海軍に所属し、戦技顧問の代表を務める海軍少将は、タイの貴族でもある司令官に言った。 「公爵閣下、我が艦隊は敵艦隊と比べて劣勢です。ここは反転し、偵察結果を待つべきでしょうか?」 公爵閣下と呼ばれた海軍少将は、困ったように眉を寄せる。 「司令官。確かに私は陛下より公爵の地位を授かっている。しかし、ここは艦隊旗艦であり、あなたは海軍大将だ」 公爵ではなく、海軍少将としてここにいる彼は、自分よりも階級の高い彼に言い聞かせた。 「軍に爵位を持ち込むものではありません」 公爵・島津忠重海軍少将はそう言う。 「はっ、しかし、我が国は陛下から与えられたものを名前に取り込む習慣があります」 それに則れば、島津は島津忠重公爵なのである。 「海軍少将」の地位は大日本帝国海軍省が与えたに過ぎない。 「私は子爵なので、公爵閣下より下です」 「・・・・ならば、上位の者として要請しよう」 島津はこめかみに指を当てながら言った。 「この艦隊を生かすか殺すかの判断をするのは君だ。私はただの客人に過ぎない」 その手で艦橋要員全員を見回すように促す。 「戦時に客人に構っている軍人がどこにいる? さっさと彼らを使いたまえ」 「は、はっ!」 司令官は直立不動体勢を取り、すぐに部下に向き直った。 「反転! 敵艦隊発見の報告まで、この辺りの海域に遊弋する!」 「おもかーじ」 命令を受け、艦長が指示を出す。 慌てて操舵士は船を操作し、発光信号にて僚艦に転進を知らせた。 結局、この日は仏印海軍を発見できなかった。 「今日こそ決戦になるか・・・・」 払暁、タイ艦隊は朝靄の中を航行していた。 僚艦の位置は夜間照明で把握している。 緩やかな揺れを感じながら、島津は自室でコーチェン島周辺の海図を見ていた。 その海図にはタイ海軍の艦艇が駒として置かれている。 「どちらが会敵するかな」 タイ海軍は艦隊をふたつに分けていた。 二〇センチ砲を搭載する火力担当と水雷戦隊だ。 重巡「アオバ」、海防戦艦「トンブリ」、海防艦4、水雷艇4が第一艦隊。 夕張型軽巡1、駆逐艦4が第二艦隊だ。 そして、島津の作戦には沿岸に展開する海軍航空隊も勘定に入っていた。 (策がなければ、装甲艦なんぞに勝てないさ) 旧式とはいえ、装甲艦が搭載するのは二八センチ砲だ。 奇襲されれば、世代が違うと言っても「アオバ」(青葉型重巡)もただでは済まないだろう。 「・・・・ッ!?」 轟音が重巡「アオバ」を震わせた。 (思った矢先か!) 島津が立ち上がった時、従兵が激しいノックの後に入ってくる。 「右舷前方に敵艦隊! 味方の水雷艇一隻が撃沈されました!」 「司令官は?」 「すでに艦橋にて指揮を執られております」 「うむ」 日本海軍流の厳しい訓練を受けただけはある。 「多少予定が狂ったが、作戦通りにするしかあるまい」 島津は意見具申のため、急ぎ艦橋へと向かった。 タイ艦隊は仏印海軍の奇襲を受け、水雷艇二隻、海防艦一隻が撃沈破されたが、戦闘離脱に成功した。 遅い「トンブリ」に変わり、「アオバ」が煙幕を張りながら奮戦する。 戦場において、最も優れた主砲を用いて牽制射撃を繰り返したのだ。 偶然にも装甲艦一隻に命中弾を得ている。 「靄晴れました!」 艦橋上部の監視員の報告通り、朝靄を抜けた。 その先では「トンブリ」以下が展開している。 「三時の方向へ旋回! 斉射にて敵先頭艦を攻撃する!」 司令官の命令に、兵は良く動いた。 その結果、朝靄を単縦陣で突き抜けてきた敵艦隊に対し、丁字を取ることができたのだ。 「撃て!」 二〇センチ砲4門が咆哮する。 そのすぐ後にもう四門が徹甲弾を吐き出した。 訓練の成果か、測距が正しく、1発が命中する。 「現在位置を無電にて発信しろ!」 射撃を続ける重巡「アオバ」、海防戦艦「トンブリ」の上空を電波が飛ぶ。 それを受け取るものは、二手に分かれていた。 砲撃戦は30分続いた。 その間に、タイ海軍はさらに水雷艇1隻を失い、海防艦2隻が戦闘不能に追い込まれている。 しかし、仏印海軍も海防艦2隻を失っていた。 今回の海戦に参加している仏印海軍は、装甲艦2、軽巡1、海防艦4だ。 この海防艦を撃沈したのは、「トンブリ」だった。 タイ海軍は「トンブリ」と護衛艦艇、「アオバ」に隊列を分ける。 結果、仏印海軍も「トンブリ」に軽巡以下5隻を、「アオバ」に装甲艦2隻を振り分けた。 「あと少しだ! がんばれ!」 血風舞う艦橋で、司令官が声を張り上げた。 「アオバ」は3発の命中弾を受けている。 その内、1発が艦橋下部に命中し、艦橋要員が死傷していたのだ。 「名将だな・・・・」 自身もけがを負いながら、それでも味方を鼓舞し続ける司令官に、島津は敬意を抱いた。 「また、素晴らしい訓練度だ」 「アオバ」は30kt/hという高速を活かし、装甲艦2隻を相手に奮戦していた。 命中弾も先頭艦に5発、後続艦に3発だ。 如何に装甲艦と言えど、旧式だ。 世代違いの二〇センチ砲を受け、無事ではない。 だが、腐っても装甲艦である。 戦闘行動に支障はなく、苛立ったように「アオバ」に向けて全力射撃していた。 だが、ほとんど当たらない。 訓練不足なのだ。 「入電中!」 艦橋要員の生き残りである電信員が叫びを上げた。 「『発、第一航空戦隊・・・・』ああ、もう!」 苛立ったように電信員は紙を放り投げた。 「要約しますと―――」 『―――味方編隊、上空ぅ!』 言葉を取られた電信員ががっくりと肩を落とす。 だが、そんなことを気にせず、司令官は割れたガラスの向こうを見た。 広がる蒼穹に、いくつもの黒点が浮かんでいる。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「よろしかろう」 島津は大仰に頷いた。 「では・・・・」 司令官が大きく息を吸う。 「水雷戦用意!」 航空部隊の到着に、慌てて回避行動に移る装甲艦向け、「アオバ」は突撃を開始した。 海戦はタイ海軍の勝利で終わった。 旗艦艦隊が踏ん張る中、沿岸から航空部隊が、退路を断つように水雷戦隊が増援に駆けつける。 航空部隊は九七式艦上攻撃機で、12機が航空魚雷を、8機が250kg爆弾を抱えていた。 また、水雷戦隊は合わせて15本の魚雷を叩き込む。 同時に水雷戦に移った「アオバ」も4本の魚雷を放った。 装甲艦は鈍い艦体を方々に振り回しながら回避行動に努めたが、2隻合わせて7本の魚雷が命中して撃沈された。 軽巡も参戦した「アオバ」と夕張型軽巡によって止めが刺される。 結果として、仏印海軍は海防艦1隻を除いて壊滅した。 一方で、タイ海軍も「トンブリ」、海防艦3、水雷艇4が撃沈され、「アオバ」が大破する。 しかし、大損害を引き換えに、タイ海軍は制海権を得たのだ。 それは同時に、仏印南部に封じ込められた仏印主力軍の包囲網が完成したことを意味する。 本来ならば、ここでどこかしらの国に仲介を依頼し、講和会議に移るはずだった。 だがしかし、フランス政府の支配が緩んだと見た"それ"は、一気に内側から政府を食い破ったのである。 つまり、ベトナム独立同盟会(通称、ベトミン)が一斉蜂起したのだった。 |