零式艦上戦闘機


 

 零式艦上戦闘機一一型。
 機体略号A6M2a。
 全幅12.0m、全長9.05m、上高3.53m。
 発動機 栄一二型(離昇"1,040hp")
 最大速度"530km/h"(高度4,300m)
 航続距離"2,150km"(正規)
 武装:九九式20mm機銃二、"一式12.7mm機銃"二(陸軍名、ホ103)


 忠実と諸元が異なるのは、基礎工業力が異なることと陸海協同兵器開発のためだった。
 これはエンジン出力向上と武装強化に繋がった。
 量産型である二一型では、機体強度強化も加わり、急降下制限の撤廃、防御力向上などの成果があり、その影響で最大速度が540km/hとなる。


 この最新鋭機が武漢市漢口基地に配備されたのは、制式採用直前だった。
 というか、この基地で諸問題を解決し、制式配備されたのである。
 なぜ、最新鋭機がこの基地に配備されたのか、それは急転直下を辿った中国情勢だった。


 南京攻防戦に敗北し、主力軍に壊滅的打撃を受けた人民解放軍だったが、5月には行動を再開。
 西安から一気に成都、重慶を衝き、四川省と雲南省を陥落させたのである。
 蒋介石およびアメリカは貴州にてこれを迎撃、多大な犠牲を払って押しとどめた。
 毛沢東の戦略は兵力に勝る人民解放軍による包囲と多戦線構築による防衛線の崩壊である。
 その大戦略の起点になるのは、重慶市であった。
 長江の水運を使った物資運搬が、各方面の部隊を維持するためには必要だ。
 そして、重慶は天然の要害であり、如何に精強な日本軍であってもそう簡単に落とせない。
 内乱に消極的介入方針であるなら、尚更だ。




「だからって・・・・俺たちがな~」

 第十二航空隊司令官・山口多門少将は参謀長・大西瀧次郎少将に言った。

 この漢口から重慶を爆撃するには、陸軍の爆撃機では航続距離と防御力が足りない。
 最近、人民解放軍は航空部隊を拡充しており、各地の国民革命軍は被害を受けていた。
 この大攻勢があったからこそ、広州に引っ込んだ蒋介石が軍を派遣して全面戦争に突入したとも言える。
 現在、蒋介石と汪兆銘に個々人の確執はあれ、必要なのは援助であることには変わりない。
 漢民族はいがみ合うことはあるが、味方は同じ民族のみと考えており、国難に対しては敵対者と結ぶこともよくあるのだ。
 日本軍は蒋介石、汪兆銘の連名で送られた要請書に従い、漢口飛行場に進出。
 国民革命軍の飛行場および航空隊が前進するまで、重慶を抑えようとした。
 当初、陸軍の九七式重爆撃機、海軍の九六式陸上攻撃機で行われた爆撃は、敵軍に大ダメージを与える。しかし、すぐに敵戦闘機が重慶に集結して防備を固めると、損害が目立つようになった。
 日本軍は爆撃機の機数を増やして数で押そうと考え、大編隊による猛爆撃を繰り出す。
 それは重慶の薄靄がかった天候に邪魔されて戦略爆撃となり、民間人に多数の死者が出る結果となった。
 爆撃機に落ち着いた爆撃をさせるには、護衛戦闘機が必要。
 だがしかし、主力である九七式戦闘機、九六式艦上戦闘機では航続距離が足りない。
 そこで投入されるのが、最新鋭戦闘機・零式艦上戦闘機、というわけである。

「新藤大尉」
「これは長官」

 戦闘機の点検をしていた新藤大尉は振り返るなり敬礼した。

「今日こそは敵に一撃を与えてくれ」
「はい。もう騙されません」

 新藤率いる零戦隊は過去に3度、重慶上空を飛行している。しかし、この時に敵の姿はなかった。
 調べたところ敵はこちらが去った後に上空に達し、地上の者たちには零戦を追い払ったと喧伝していたのだ。

「この機体は全ての面で優れています。まあ、防弾性能が低いのが玉に瑕ですが」

 九六戦よりも防弾性能に優れているとはいえ、十分ではない。

「ま、敵の機体と腕ぐらいならば、撃破して見せますよ」
「頼む。今回は爆撃機隊も同伴するのだからな」

 被害を補充機で充填した九六陸攻の護衛で出撃する。
 今回、制空に失敗すれば、迎撃に上がった敵戦闘機に九六陸攻が攻撃される可能性があった。

「任せてください」

 新藤は絶対の自信と共に自身を含む13機の零戦を率いて飛び立つ。
 この戦いから、零戦神話が始まった。



「見つけた!」

 9月13日、重慶近郊上空。
 ここで新藤大尉は歓喜の声を上げた。
 人民解放軍の戦闘機大編隊を発見したのだ。

(数が多い。こちらの倍以上・・・・いや、三倍か?)

 零戦隊と遭遇したのは、人民解放空軍の精鋭33機だった。
 日本海軍13機からすれば、強敵だ。
 おまけにこの零戦に乗るパイロットの大半が初陣だったのである。

(俺が真っ先に手本を見せないとな!)

 新藤は実戦経験がある。
 今は基地航空隊に属しているが、空母「加賀」の搭乗員だったこともある。
 日中紛争で幾度となく出撃していた。

「行くぞ!」

 聞こえないと分かっていても、新藤は部下に向かって叫び、敵軍へと向かっていく。
 敵もすぐに気付いたようだ。
 一瞬動揺したようだが、こちらが寡兵と知って効率的に動き始めた。
 正確に言えば、重慶都市部へ零戦隊を誘い込もうと動き出したのである。

(誘い込まれている。・・・・が、それより早く食い破る!)

 すでに1機撃墜していた新藤は、抜群の格闘戦性能で敵戦闘機の後ろを取った。

「墜ちろ!」

 声と共に機銃の発射ボタンを押す。
 機首の12.7mm機銃と翼部の20mm機銃が咆哮し、絶大な威力を以て敵戦闘機を粉砕した。

「・・・・撃ち尽くしたか」

 機銃弾の残量が空になっている。
 今日の空戦はこれまでだ。
 間違いなく10機を超える敵機に機銃弾を叩き込んだ。

「あ!」

 翼を振って撤退命令を出していた新藤は思わず声を上げる。
 視界の端で、味方機が機銃弾を喰らったのだ。
 が、大事なかったようでその味方は敵機を撃ち落とした。

(やはり防御力だな)

 機銃1発で落ちるほど軟ではないが、燃料タンクの防弾は不十分と言えるだろう。
 ここの防弾装備追加を行えば、空気抵抗が増大して空戦性能が落ちる、と技術士官に説明された。だがしかし、敵機を撃ち落とすよりも生き残ることが重要なのだ。
 士官である彼は、熟練搭乗員を守ることが、最終的な勝利に近付くことだと考えている。
 もちろん、機体性能は重要だ。
 今回の戦いで日本海軍が勝てたのは、機体性能のおかげだ。
 だが、敵が新米であればもっと楽に勝てただろう。

(つまり、何が言いたいかと言うと・・・・)

 敵の性能を上回る航空機の確保と同様に、敵搭乗員を上回る搭乗員の確保が重要なのである。

(兵は・・・・もはや消耗品ではない)

 新藤はそれを確信し、未だ黒煙が残る戦場を離脱した。


 この日、重慶上空で起きた空戦は、以下の戦果である。
 日本海軍主張:撃墜27(被撃墜0、被撃破3)。
 人民解放軍主張:被撃墜13、被撃破11。
 人民解放軍の被害に多少の食い違いはあるが、零戦が一機も落ちなかったことは両軍が主張した。
 壊滅してもおかしくない戦力差をものともせず、ほとんど被害ゼロで勝ってみせた零戦。
 見事な初陣を果たしたのである。


「ですから、中央に防弾タンク常備の進言をしていただきたい!」

 その夜、戦果報告の後に新藤は司令部を訪れていた。
 応対に出たのは、大西参謀長と件の技術士官だ。

「新藤大尉、それでは零戦の長所を潰してしまうと、以前申したでしょう?」

 技術士官は呆れた声を出した。
 今回の損害ゼロはその空戦性能がなければ無理だったのだ。

「だが、敵は旧式機だった」

 あの機体ならば、九六艦戦でも十分に渡り合える。

「今後、列強の新型機を相手にする時、防弾設備がなければ、一回の戦いはともかく、航空撃滅戦では苦戦必至!」

 陸軍はノモンハン事件の反省から防弾装備を拡充するようだ。
 当然、航空開発部門は陸軍と情報のやり取りがあるため、知っている。

「新型機の防御力は、エンジン出力向上による余裕からかなり改善されたと聞くが?」

 大西は首を傾げた。
 自身も戦闘機乗りだったので、新藤の進言に対し、技術士官ほど否定的ではない。

「それは機体強度が上がっただけです。確かに全体的な防御力は向上しました」

 だが、それは全体の装甲が分厚くなっただけなのだ。

「―――昨今、軍艦を作る時に集中防御という概念があるそうだぞ?」

「「「司令・・・・」」」

 司令部の天蓋を開けて入ってきたのは、山口司令官だった。

「集中防御とは?」
「簡単に言ってしまえば、急所を集中的に守るのだ」

 軍艦で言えば機関室や弾薬庫になる。
 ここが故障すれば、艦は動かなくなったり、爆発して轟沈したりする。

「・・・・そんな、航空機の急所など・・・・」

 技術士官が困った声を上げた。
 ありていに言えば、全部だ。
 翼が折れれば落ちる。
 操縦席が砕かれれば落ちる。
 機体に被弾すれば空気抵抗が増して操縦が難しくなる。
 燃料タンクに命中すれば爆発する。

「・・・・やはり、集中防御でも全身防御になります」

 全身防御ならば、機体に無駄な空気抵抗を生まずにすむ。
 だが、それを成し遂げるにはエンジンの強化が必要であり、それをすると航続距離が短くなる。

「技術士官、全身防御を推進しても燃料タンクだけは強化されないだろう?」
「あ」

 そう、機体が強化されても、その機体が貫かれればタンクが被弾するのだ。

「そうです。燃料タンクが被弾すれば、航続距離も大きく減じます」
「航空機はどこも弱点だが、弱点の比率で言えば、燃料タンクは集中的に守るべきなんだな」

 山口はそう言い、技術士官を見た。

「中央に『防弾タンクの開発及び装備は必須』と連絡しろ」
「・・・・はっ」

 技術士官は敬礼して司令部を飛び出していく。
 それをなんとなく見送り、山口は新藤を見た。

「他に零戦で気付いたことはあるか?」
「速度、武装、格闘戦性能において素晴らしい機体だと思いました。舵の効き具合も九六艦戦に比べると柔らかく、長時間の作戦でも疲れにくい」
「ほぉ」

 大西が感嘆の声を上げる。

「20ミリ機銃も心強い。・・・・ですが、射程が短く、弾数も少ないため、当てるには経験が必要になるでしょう」
「長砲身がいいのか?」
「できるなら」

 一撃必殺でも当たらなければ意味がない。

「あと、先程も申しましたが、防御力の低さが先の長所を帳消しにするほどの短所です」
「ふむ。では、何故防弾タンクに言及したのだね?」
「先ほども申した通りですが、一番の理由はこれです」
「ん?」
「飛んでいる限り、我々はなんとしてでも帰ってきます。ですが、燃料タンク被弾はすなわち、戦闘空域での墜落ないし、味方飛行場への帰還不可能を意味します」

 新藤は胸を張り、山口の目を見て言ってのけた。

「私は無事に帰ってくるために『防弾タンク装備』を具申いたしました」
「無事に帰ってくるだと!?」

 大西が肩を怒らせて立ち上がる。

「貴様、軍人は勝つことに全身全霊を上げなければならない!」
「だから!」
「・・・・ッ」

 大西の大声を大声で遮る。

「最終的な勝利のために生き残らなければならないんです!」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 山口と大西は黙り込んだ。
 理屈では分かる。
 例えば一日の戦闘に勝利したが、損害も大きかったとしよう。
 その翌日は出撃できなくなった。
 せっかく得た制空権も、その間に敵が回復しては意味がない。

「搭乗員の数を増やすことも大事ですが、育った搭乗員を守ることも必要です」
「・・・・分かった。それも合わせて意見具申しよう」

 山口が頷き、大西を見遣った。
 それを受け、大西はため息をつきながら立ち上がる。

「恐れなく上に意見を言った貴様には感服する。現場の意見、後方が反映するよう努力しよう」

 新藤の進言の結果、零戦の量産型・二一型には防弾タンクが装備された。
 また、各航空部隊や錬成部隊に対し、被弾しても自爆はせず、可能な限り生き残るよう命じる。
 作戦部隊に対しては緊急の不時着場所を指定し、いつでも迎えに行ける体制を整える指示も出した。
 小さな変化だが、後にじわじわと効果が出てくることになる。




 零式艦上戦闘機二一型。
 機体略号A6M2b。
 全幅12.0m、全長9.05m、上高3.53m。
 発動機:栄一二型(離昇"1040hp")
 最大速度"540km/h"(高度4300m)
 航続距離"2100km"(正規)
 武装:九九式"長砲身"20mm機銃二、"一式12.7mm機銃"二(陸軍名、ホ103)


「―――十四試局地戦の開発取り下げ、か・・・・」

 三菱重工業航空機部門の一室で、堀越二郎技師は呟いた。
 手元には海軍から送られた薄っぺらな書類がある。

「中島が開発している陸軍用迎撃戦闘機『キ44』と迎撃戦闘機を一本化するためでしょう」

 海軍は他に陸軍の九九式双発軽爆撃機も導入する予定であった。
 これは双発機でありながら急降下爆撃ができることに注目された。
 航続距離2,400kmというのも魅力である。

「開発資源を絞り、無駄をなくそうというのだな」

 堀越は局地戦の設計図を放り投げた。

「まあ、もともと、現在のエンジン出力では難しかったんだ。難題が減ってよかった」
「これで零戦の改良機に集中できますね」
「それと並行して、後継機を考えなければな」

 実際、零戦の量産化開始と共に海軍から十六試艦上戦闘機の開発計画が内示されていた。

「後継機に関しては、結局はエンジンだ」
「中島の中川技師が新型小型高出力エンジンを開発しているようです」

 これが後の「誉」である。

「二〇〇〇馬力など目指さず、一五〇〇馬力も作ってほしいな」

 今の戦闘機が約一〇〇〇馬力級だ。
 いきなり二倍になっては機体開発が思うようにいかないだろう。

「名古屋の深尾さんの金星が出力向上で使えるといいですね」
「金星か・・・・」

 栄に比べて大きいため、機首の機銃は断念せざるを得ないだろう。

「長大な航続距離を求めないならば、ありだな」

 今よりも速度は数十km/hは早くなるだろう。

「何もかもこれからの二一型の戦い次第だろう」

 最近になってようやく、国民革命軍の飛行場が完成した。
 それでも日本軍による重慶爆撃は続いている。
 それは重慶がただの国共内戦だけにとどまらない重要拠点と化したからである。

「仏印・・・・」

 部屋の壁にかけられた世界地図を見遣った。
 世界に比べてあまりにもちっぽけな日本列島の南西、中国の下に位置する地域。
 かつて「大越」という国が栄えた地域だ。
 現在はフランスの植民地となり、「仏印(フランス領インドシナ)」と呼ばれていた。
 中国南東部に押し込められた国民党にとっての物資補給線である。
 ここに欧州の戦争が飛び火しつつあった。









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