ダンケルク


 

 ダンケルクの戦い。
 ノルウェーでの戦いの最中、ドイツ軍主力は一斉にフランスへの侵攻を開始する。
 空軍と機甲集団を中心にした電撃戦に、連合軍は対応し切れなかった。
 結果、連合軍約40万は、ダンケルクを中心に約80万のドイツ軍に包囲されることとなる。
 イギリスは連合軍を海から救出することを決断した。
 史上最大の撤退作戦と呼ばれる、ダイナモ作戦が発令されたのである。






ダンケルクscene

「―――こんなはずでは・・・・」

 1940年5月31日、英国首都・ロンドン。
 ここで、ウィンストン・チャーチル首相は頭を抱えていた。
 現在、英国は総力を挙げてダンケルクの連合軍を救出中である。
 ドイツ陸軍は装甲集団を後方に下げ、空軍戦力のみでこれを阻止しようとしていた。
 これに英空軍は抵抗し、損害はあれど順調に撤退してきたのだ。
 しかし、撤退開始から4日目の今日。
 連合軍はついに大損害を出した。
 その原因はドイツ海軍である。

「首相、撃沈された輸送艦は合わせて152隻。排水量にして約86万トンです」
「さらに海軍の損害ですが、軽巡1、駆逐艦9が撃沈され、他に重巡1、軽巡1、駆逐艦10が損傷しました」

 海軍の損害はいい。
 問題は撃沈されえた輸送艦だ。
 その輸送艦隊の大半には、ダンケルクから救出した将兵が乗っていたのである。

「概算ですが、撃沈された船の乗員を合わせ、3万近い人間が死亡したと思われます」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 その報告にチャーチルは黙り込んだ。
 救出しようとした将兵の約一割が戦死したのだ。

「・・・・その後のドイツ海軍は?」

 陸軍大臣がチャーチルの代わりに質問する。
 因みにチャーチルは海軍大臣も兼ねている。

「主力としたUボートは魚雷を撃ち尽くしたのか、撤退したと思われます」
「主力艦隊も撤退中です」
「首相、さらなる艦隊の派遣は可能ですか?」

 陸軍大臣は顔面蒼白のチャーチルに伺いを立てた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・私は今まで、ドイツ海軍の実力を見誤っていたようだ」

 思えば、チャーチルが最も手を焼いたのも、ドイツ帝国海軍だった。
 主力艦同士の決戦となったユトランド沖海戦でも、引き分けになったのである。

「ドイツ海軍は実に巧みだった・・・・」

 フランス海軍がドイツ空軍の制圧攻撃で身動きが取れない中、ドイツ海軍は戦艦2、空母1、駆逐艦8の艦隊を差し向けてきた。
 偵察機の報告を受けたイギリス海軍は護衛艦隊を迎撃に向けた。
 イギリス海軍の本国艦隊は、ノルウェーからの脱出を計画しており、全体的にこの護衛艦隊は弱小だった。
 ビスマルク型戦艦が相手である以上、苦戦は必至だ。
 それでも見敵必殺の精神を持つイギリス海軍は動いたのだ。
 だが、それがドイツ海軍の作戦だった。
 ドイツは手薄になった船団向け、潜伏していた潜水艦が一斉に攻撃を仕掛けた。
 確認されただけで、33隻のUボートが一斉に魚雷を放ったのだ。
 開戦以来、最大規模の群狼作戦に船団は強かに叩かれる。
 さらに航空母艦から発進した戦闘機がイギリス空軍を阻み、ドイツ空軍の爆撃機が船団上空に到達。
 急降下爆撃による船団攻撃で、魚雷を食らって身動きが取れなくなった船団を打ち据えた。

「以後の救出作戦はどうなる?」

 チャーチルの言葉に、担当者は顔を蒼くしたまま答える。

「撃沈された船の大半は3,000t以下の小型艦です。主力である桟橋からの撤退には影響はありません」

 撤退は桟橋に横付けした駆逐艦や大型艦への直接乗艦か、砂浜に寄せた小型艦に乗り込み、沖合で大型艦に乗り変えるという2方法ある。

「現在、ダンケルクに展開している連合軍は、約15万。フランス陸軍の2個師団もおります」
「二度の輸送作戦が必要です」

 今日のと合わせて200隻近い輸送艦を喪ったが、元々イギリスは1,000隻近い艦艇を動員していた。

「軍の壊滅は・・・・30%だったな」

 まだその数値に届いていない。

「ドイツが来ても関係ない! 海軍は友軍を救うぞ!」

 チャーチルは作戦続行を決断した。
 ダンケルクは、再び死地となる。
 翌6月1日、英仏両軍と独軍が総力を挙げて激突した。




「―――おーお、うようよいるぞっ」

 ドイツ海軍ドラッヘ型航空母艦2番艦「リントヴルム」に所属するパイロットは、眼下の海を彩る白い航跡を見ていた。
 ざっと見ただけで、100を超える艦艇がイギリスを目指している。

「イギリス海軍もいるが、俺たちの目的は輸送艦だ」

 10隻近い駆逐艦がこちらを見つけ、対空砲を撃ち上げてきた。

『敵戦闘機を警戒しろ!』

 無線から編隊長の命令が届く。
 海上は靄がかっているが、上空は澄んでいた。
 眼下の艦隊を守るためのイギリス空軍が見えてもおかしくない。

「おお、やった!」

 視界の端で水柱が上がった。
 それはドイツ海軍の潜水艦が放った魚雷が命中した証拠だ。
 攻撃された輸送艦は瞬く間に沈んでいく。
 イギリス海軍は対空戦闘のために上を見上げていたのだが、その隙を突かれたのだ。

「よしよし」

 また1隻、魚雷を食らって沈む。
 どうやら、イギリス海軍は大損害覚悟で連合軍を助けようとしているらしい。

「大英帝国の意地、ってやつか?」
『3時の方向! 敵戦闘機編隊発見! 高度差+300m! 全機上昇!』

 編隊長からの命令が届き、パイロットはスロットを引き倒す。

「だが、こちらにも意地と・・・・恨みがあるんだよ!」

 第一次世界大戦終結から約20年。
 ドイツ軍の主戦力となる若者の多くは、父親を喪っていたのだ。
 ダンケルク沖上空でドイツ海空のメッサーシュミットとイギリス空軍のハリケーンが激突する。
 さらに海上でも戦いは激化した。




「敵機上空ぅ! 急降下ぁっ!」

 監視員の言葉と共に、サイレンのような音を鳴らしてJu87・スツーカ急降下爆撃機が6,000t級輸送艦向けて急降下した。
 250kgの爆弾が輸送艦中央に命中し、派手な爆発が起きる。
 艦上建造物が崩壊し、それに乗組員が巻き込まれた。
 そんな惨状を尻目に、護衛の駆逐艦は対空砲を撃ち続ける。
 だが、そんな機銃員を振り落とし、駆逐艦が急旋回した。

「魚雷! 回避、回避!」

 白い航跡を残して疾走する魚雷をギリギリで躱す。
 その魚雷はその駆逐艦の向こうで航行していた2,000t輸送艦の土手っ腹に命中し、水柱が消えた頃には船体も海上に存在しなかった。
 旋回しながら放った機銃弾が投擲を終えたスツーカに命中し、爆撃機は炎上して墜落する。
 海中での爆発にUボートが巻き込まれ、油を垂れ流して沈んでいく。
 海上、海中での死闘は、全体的にイギリス軍が押されていた。
 当然だ。
 「艦隊の馬車馬」と呼ばれる駆逐艦と言えど、対潜・対空戦闘を同時に行えるわけがない。
 しっかりと爆撃機に照準を合わせるには直進していた方がいい。
 だが、そんなことをすれば、潜水艦にとっていい的だった。

「くっそ・・・・ッ」

 駆逐艦艦長は歯噛みする。
 自分の操舵で少なくない部下が船から振り落とされていた。
 爆弾や爆雷の爆発で、海上は死地となっている。
 まず間違いなく、彼らは生きていないだろう。

(それでも・・・・っ)

 この船を守り、味方の兵士を乗せた船を守らなければらない。
 この海上で、陸兵が頼れるのは彼らだけなのだ。
 彼らが乗る船も無茶苦茶な操舵を繰り返し、相互に衝突しているものもあった。
 ドイツの攻撃だけでなく、混乱で共倒れを起こしているのだ。
 この船も先程、200t級の漁船を打ち砕いたばかりである。
 守るべきものを手にかけ、それでも効果的な弾幕を張ることができない。

(こんな艦長・・・・いるのか・・・・?)

「機銃員が欠けた場所には手空き要員を補充しろ! また、どこでもいい! 船体に体をくくりつけろ!」

 副長の声に、幾人かの従兵が立ち上がった。

「お前ら・・・・」
「艦長、思う存分、采配をお振りください。艦の意志はひとつです」
『敵機上空・・・・って、あれ?』

 監視員の疑問の声が、轟音で掻き消える。

『あ! 5時の方向! 主力艦隊です!』

 昨日、ドイツ艦隊に釣り出された主力艦隊が戻ってきた。

「よーし、頑張るぞ!」

 艦長の、飾らない下知に、駆逐艦全体が湧く。
 だがしかし、主力艦隊も無傷ではなかった。
 足止めをしようとするドイツ海軍の攻撃を受けたのだ。
 巡洋艦戦隊と一部の駆逐艦戦隊はドイツ海軍と交戦、その半ばが損傷した。
 それでも駆逐艦8隻が戻り、対空・対潜戦闘に厚みが出る。
 海の戦いは、どうにか互角になり始めた。




「―――Ⅲ号戦車、来ます!」

 ダンケルク周辺、フランス領土。
 ここでフランス陸軍とドイツ陸軍が激突していた。
 機動力に勝るⅢ号戦車に、戦略機動で敗北したフランス軍だったが、ダンケルクを守る激戦では善戦する。
 元々、Ⅲ号戦車は敵陣を正面突破するものではない。
 マジノ線などを整備し、持久戦闘の訓練を行ってきたフランス陸軍は粘り強く戦った。
 彼らの救出の予定はない。
 だが、彼らの犠牲が後の戦局打破に寄与することを信じ、戦っていた。

「ドイツ歩兵も近づいています」

 砲撃が激しくなり、ドイツ歩兵が散兵戦術で近づいてくる。
 このダンケルクにいる連合軍は精鋭だ。
 戦時動員によって、兵数だけはすぐに回復するだろう。だがしかし、数年前から軍で飯を食い、兵器の操作を覚えている兵はそう簡単に育てられない。
 熟練兵を大量に喪うわけにはいかないのだ。



―――自分たちを犠牲にしてでも。



「―――速射砲です!」

 前線を進んでいたⅢ号戦車が撃ち抜かれた。
 戦車と言っても万能ではない。
 しっかり準備した陣地から攻撃さえれば、装甲を撃ち抜かれることもある。

「空軍は!?」
「ダンケルクを出航した船団を攻撃中」
「チッ、砲兵の展開を急がせろ!」

 時間がないのはドイツ陸軍も一緒だった。
 目の前のフランス軍は逃げることができないが、たかだが2個師団を壊滅させても意味がない。
 ドイツ陸軍はこの戦役に80万ほどを投入している。
 もちろん、全てがダンケルクにいるわけではない。
 だが、圧倒的に有利な状況で、連合軍を逃がすわけにはいかないのだ。

「ええい、さっさとこの死兵を排除し、ダンケルク海岸に行くぞ!」

 ドイツ指揮官が叫んだ時、前線で両軍の歩兵が激突した。




 ダンケルクでは6月1日~3日まで激しい戦闘が展開された。
 連合軍はこの3日間で8万の将兵をダンケルクから救出する。
 作戦全体では26万を救出した(死者行方不明者・捕虜は約14万)。
 一方で、さらに約200隻の艦艇を喪い、一連の作戦で喪った艦艇は約400隻だった。
 これは輸送作戦に従事した艦艇の数である。
 この数に護衛作戦で沈んだ軍艦は含まれていなかった。
 イギリス海軍は対空・対潜作戦に投入した駆逐艦、巡洋艦を合計で14隻喪う。
 空軍も訓練未了の新米搭乗員を投入し、ドイツ空軍の跳梁を阻止したが、その結果として、イギリス空軍は600機近い航空機を喪う。
 対するドイツ空軍は200機。
 イギリスはすぐ後に行われたノルウェー沖海戦と合わせ、海空で大打撃を受けた。
 だがしかし、困難に対して決して挫けぬ闘志を示す。
 これは総力戦を戦う上で、絶対に必要なものだった。




「―――イギリスは誇りを守り、ドイツは領土を手にしましたか・・・・」

 ダンケルクの戦いの結果、イギリス軍は本土へ撤退。
 フランスはドイツ軍に蹂躙された。
 6月13日には首都・パリが陥落する。

「ダンケルクでは・・・・引き分けと言ったところでしょう」

 武隼時賢陸軍大佐が言った。

「連合軍の損耗率35%は壊滅的打撃と言っていい」
「一方で、多くのイギリス将兵を本土に帰した」

 現状、ドイツ海軍はダンケルク、ノルウェーと善戦しているが、英仏海峡の制海権を確保するほどではない。
 イギリスへの侵攻作戦を展開するには、イギリス海軍をどうにかする必要がある。

「ビスマルク型でネルソン型に勝てるかどうかがカギですね」

 嘉斗は使用人が入れたお茶を口に含む。

「まあ、イギリスはドイツだけに構うわけにはいかなくなりましたが」

 フランス降伏の12日前、イタリアがドイツ側に立って参戦した。
 イタリア海軍はドイツ海軍よりも強力だ。
 カイオ・デュイリオ型戦艦2、コンテ・デ・カブール級戦艦2。
 これにリットリオ型戦艦2が加わる予定である。
 さらに航空母艦は改龍驤型航空母艦2を保有し、商船改造空母(基準排水量1万2,000トン)2を建造中であり、自前の航空隊を保有していた。
 総合力では上とは隔絶しているものの、世界第四位海軍国であるイタリアの参戦。
 イギリスは地中海艦隊を編成して撃破する必要がある。
 イギリスは本国艦隊と北海艦隊でドイツを、地中海艦隊でイタリアを相手にする。
 東洋艦隊を廻航し、インド洋に進出しようとするイタリア海軍をけん制する。

「このため、日本と事を構えることを嫌いますね」

 世界的に見れば、日本は独伊寄りだ。
 独伊海軍は日本海軍の影響を色濃く受けている。
 ドイツ海軍で八面六臂の活躍をする航空母艦も日本製なのだ。

「もし、日本までドイツ寄りで参戦したならば、イギリスの世界帝国としての地位は確実に失墜する」

 独伊はともかく、日本海軍と戦うには、総力を挙げる必要がある。

「―――そこで出てくるのがアメリカ」

 亀が追加のお茶を持って部屋に入ってきた。

「太平洋でアメリカと日本を戦わせることで、日本の影響を欧州まで波及させない」
「なるほど。そして、日本とアメリカの国力を削りたいのでしょうね」

 第一次世界大戦では、日本とアメリカの国力が相対的に向上した。
 その結果から、イギリスは脅威を抱いたのだろう。
 亀は慣れた動作でお茶を入れ、嘉斗の脇に座った。

「イギリスの戦略は欧州においてドイツの打倒、ソ連の台頭阻止」
「アジアにおいて、日米の共倒れか米国の国力を削ぐ」

 自分だけ落ちるつもりはない。
 18世紀にほぼ確立した覇権国家としての地位。
 ナポレオン戦争やアメリカ独立戦争を切り抜けてきた矜持は、20世紀の第一次世界大戦でズタズタになった。
 自国に変わって覇権国家になりつつあるアメリカに、弟子である日本を使って打撃を与える。
 自分はアメリカからの援助を受ける。

「古狸」
「・・・・亀、思っていても言うものじゃないです、ぐっ」

 名前を呼ばれた亀は、嘉斗に肘打ちをした。
 言われたことをそっくり言い返すとばかりに。




 1940年6月17日、フランスがドイツに降伏し、ヴィシー政権が誕生する。
 仏印はヴィシー政権に帰属し、フランスは枢軸国側に転落した。
 また、フランスを脱出していたシャルル・ドゴール准将はイギリスにて「自由フランス」を設立する。
 日本はヴィシー政権に対し、対国民党援助の取り止めを要求した。
 これは枢軸国側についた仏印からの供給を受けることで、汪兆銘―日本が枢軸国側についたと思われないようにする処置だった。
 だがしかし、イギリスはこれに反発した。
 ヴィシー政権に要求するということは、これを正式にフランスの政権として認めたということになる。
 自由フランスこそ正当であり、ヴィシー政権を認めた日本は枢軸国側だと声高に叫んだのだ。
 蒋介石を支援するアメリカは、日本が海南島を占拠したことで、仏印を使って中国国内に物資を運んでいた。
 アメリカはこの流れを止めると宣言したと曲解する。
 もちろん、アメリカは真実を知っていた。だが、日本を開戦へ追い込むための口実として利用したのである。
 この思わぬ事態に米内内閣は揺れた。
 この隙を突き、近衛文麿の新体制運動に期待していた陸軍は米内内閣に退陣を要求。
 米内光政はあっさり総辞職し、7月16日に近衛内閣が誕生する。
 しかし、7月22日にアメリカが日米修好通商条約の破棄を通告。
 日米間は無条約状態となり、近衛内閣は中国問題だけでなく、これにも対応しなければならない、難しい局面に立たされたのだった。









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