欧州大戦の影響


 

 ドイツ第三帝国。
 アドルフ・ヒトラー総統が国家元首を務めるドイツ人による国家である。
 ドイツは第一次世界大戦に敗北後、ワイマール条約に基づくワイマール共和国となった。
 これは、英仏の対ソ連防波堤として期待される。
 この期待がドイツの再軍備宣言を容認した理由だ。
 そして、その期待は共産主義者との戦争であったスペイン継承戦争で実現した。
 この働きが元で、ドイツの周辺諸国併合にも英仏は目を瞑ったのだ。
 それはミュンヘン会談にも表れていた。
 そうしたドイツ融和政策の下、ドイツの軍備拡張は着実に進み、日独伊で協力した軍事改革を成し遂げる。
 その軍事力を背景に、ついにドイツは冒険へと旅立った。
 それこそ、ポーランド侵攻である。






高松嘉斗side

「―――日本はとりあえず、不介入を宣言しましたか・・・・」

 中国問題がひと段落した後、ノモンハンでソ連とぶつかった日本は、欧州を気にする余裕がない。
 友好国であるドイツが戦っているのだから、英仏に対して宣戦布告するべきだ。
 という意見はあったが、過去に欧州大戦に参戦した時とは状況が違いすぎる。

「しかし、始まった戦争がアジアに飛び火しないとは限らない」

 軍令部第三部の部屋で、嘉斗は世界地図を見ていた。
 すでに大西洋では、ドイツ海軍による通商破壊戦が行われている。
 イギリス海軍は有力な艦隊を大西洋に派遣し、その捕捉に努めていた。
 いつ、この通商破壊戦がインド洋、ひいては太平洋に飛び火してもおかしくない。

「ドイツがフランスに侵攻すれば・・・・タイ王国が仏印に侵攻しかねない」

 事実、タイ王国は事態急変に接し、陸軍の動員を開始し、海軍も動き出していた。
 特に日本が建造している駆逐艦の早期引き渡しを要求してきている。
 完全に戦争準備だ。

「高松少佐、ひとりでブツブツ言っているのは不気味ですよ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 女性事務官に言われ、嘉斗は黙り込んだ。
 最近、海軍は人材に女性を採用するようになっている。
 今はまだ、事務官としてだが、女性だけの航空隊を創設する動きがあった。
 この航空部隊はシーレーンの哨戒を任務とする。
 本来、これらに当たっていた男たちは前線に出るのだ。
 空の上に上がってしまえば、男も女もあまり関係ないのが航空機の特徴でもあった。

「部屋にほとんど人がいないので」

 ようやく口を開き、彼女が入れてくれたお茶を口に含む。

「皆さん、欧州へ行かれましたもんね」

 軍令部第三部は情報を司る部署である。
 欧州大戦勃発を受け、日本軍はドイツやイタリアにいた技術交換武官の引き上げと情報武官の派遣を決定した。
 表向きは自衛能力のある外交官付としての派遣だ。
 しかし、その実態は両軍の兵器や戦争遂行などの情報を集めるためである。
 特に海軍は英独空母の動向を知りたかった。
 ドイツ海軍が保有する3隻の航空母艦は、日本式空母である。
 この戦い方次第では、日本の建艦理念に大きく影響を与えるだろう。
 同様に、陸軍は戦車を気にしていた。
 戦車発祥の国であるイギリス。
 日本が手本にしたフランス。
 協同で戦車技術を磨いたドイツ。
 ノモンハン事件初期にて、戦車の使い方の拙さを見せた陸軍にとって、どうしても気になる事項だった。

(といっても、英仏はドイツに対して陸上戦闘を仕掛けていませんが・・・・)

 目下のところ、激戦地はポーランド国内と大西洋だ。

「―――高松少佐、山本連合艦隊司令長官がお見えです」

 先程の事務官が大物の訪問に顔を引きつらせながら告げる。
 その言葉に、地図から顔を上げた嘉斗は、ドアの傍に立つ山本を認めた。

「長官、お久しぶりです」
「ああ、久しぶりだ。東京で会議があったので、ちょっと寄らせてもらったよ」

 会議とは、欧州大戦に関することだろう。
 海軍はイギリスから太平洋、インド洋における船団護衛を依頼されていた。
 これに関する会議かもしれない。

「連合艦隊はどうです?」
「航空部隊の大増員ってところか」

 航空母艦「鳳翔」、「龍驤」、「赤城」、「加賀」、「飛龍」、「蒼龍」。
 新型航空母艦「翔鶴」、「瑞鶴」。
 これに改造空母「祥鳳」、「龍鳳」、「隼鷹」、「飛鷹」、「雷鷹」、「鳴鷹」。
 搭載機は約860機。
 さらに飛行甲板に装甲を張り巡らせた航空母艦も建造に入る(後の「大鳳」)。
 基地航空要員も増えそうな今、教育航空部隊は搭乗員育成に必死だった。

「ただ、翔鶴型は艦橋設計の変更で工期が半年遅れるとか言っているよ」
「それは困ります。僕が何とかしておきましょう」
「ん?」

 嘉斗の言葉に山本が彼の顔を凝視するが、嘉斗は視線を合わせずにお茶を飲む。

「・・・・あまり無茶な要求はしないで下さいよ」

 皇族軍人としての権限を発動すると感じた山本が敬語になった。

「嫌ですね~。僕はちょっとお願いするだけですよ」

 後日、嘉斗は神戸艦船工場を訪れ、「瑞鶴」の工期短縮を依頼。
 皇族からの直接の依頼に戦慄した工場は工期短縮を努力し、実際に3ヶ月短縮される。
 このおかげで日本海軍は世紀の作戦に「瑞鶴」を加えることに成功したのだった。

「まあ、それはさておき、連合艦隊です」

 嘉斗が強引に話題を戻す。

「・・・・ま、まあ、水上艦隊の練度も高い」
「でしょうね。現状の戦力であれば、世界どこに出しても問題ないでしょう」
「しかし、艦載レーダーなどが間に合うのかは、微妙だな」
「基地には配備されてきていますけどね」

 日本軍は陸海協同の開発で、レーダーをどうにか実用化していた。
 ただし、それをどうやって防空に役立てるかは分からない。
 ただ、一方的に奇襲されることがなくなっただけだった。

「第三部は、この戦争、どう考える?」

(・・・・それが本命ですか)

 連合艦隊司令長官は、海軍大臣、軍令部総長に並ぶ役職だ。しかし、閣僚である海軍大臣、作戦を司る軍令部総長に対し、連合艦隊司令長官は実戦部隊の長だ。
 大戦略判断に必要な情報は入りにくい。

「私見ですが、必ずアジアに波及します」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「根拠はアメリカです」

 アメリカ合衆国は、中立を表明しているが、連合国側に近い中立だった。

「アメリカは英仏向けて兵器などの物資を供給するでしょう」

 それがドイツの通商破壊戦に巻き込まれ、開戦に踏み切る。
 第一次世界大戦はそうだった。

「今、アメリカは参戦する時機を見ているだけです」

 第一次世界大戦の時期とは違い、アメリカはひとつの野望を持っている。
 野望は第一次世界大戦におけるほぼひとり勝ちの状況から見えた、覇権国家への夢だ。
 今回の欧州大戦で、勝っても負けてもイギリスは失墜する。
 そうなれば、地政学的・経済的に見て、アメリカが台頭するのは間違いない。
 そんなアメリカが権益を持っていないのは中国大陸だ。
 ここに進出するには日本が邪魔である。
 そして、日本はドイツに近く、世界は日本の不介入はドイツ側に近いと見ていた。
 アメリカが描く世界大戦は、日独ソvs米英仏なのだろう。
 独ソと英仏が欧州で、日米が太平洋で戦う。
 これが理想だ。
 この時、どうにかしてアメリカは中国を引き込むはず。
 その動きはすでに始まっている。

「ノモンハン事件の影響か・・・・」
「まあ、近衛さんの宣言も影響していますがね」

 中国との戦争を終わらせた日本は華北地方から撤退した。
 しかし、上海事変で主力軍が壊滅した国民党は再び北伐することができず、華北地方は中国共産党の手に落ちたのだった。
 そして、日満軍がノモンハン事件で敗北したことで、ソ連-モンゴル-中国北部、という武器の流れが止められなくなった。
 日本の旧式兵器を購入することで、頭数と装備を整えた中国国民党だったが、日本からの戦技顧問を迎えなかった。
 それは日本軍がソ連軍に無様に負けたからだ。
 中国共産党はソ連軍の薫陶を受けている。
 ソ連式に勝つには、日本以外の国に頼るしかなかった。

「そこに付け込んだのが、アメリカです」

 アメリカはフィリピンから大量の武器弾薬と共に顧問団を派遣する。
 現在、国共両軍は米ソの支援の下、戦争準備に明け暮れていた。

「この既得権益を守るため、アメリカは日本との戦争を望むでしょう」

 そして、日独の友好関係から、日本に宣戦布告したならば即時ドイツにも宣戦布告できるような体制を整えるはずである。

「そのためには、日本から手を出させる必要があります」
「まあ、もともと、開戦劈頭の奇襲作戦は日本の十八番だからな」

 日本軍は普墺戦争や普仏戦争におけるプロイセン軍から開戦劈頭奇襲戦略を学んでいた。
 国力に劣る国家が主導権を握るには、これしかないのだ。

「しかし、奇襲か・・・・」

 山本はそう呟くと、考え込んでしまった。

「まあ、こちらから手を出したとしても、一方的な悪者になることはないでしょう」
「なぜだ?」
「堂々とした最後通牒と宣戦布告を経て、各国になぜ戦争しなければならなかったのかを訴えます」

 国際法規をしっかり守り、涙ぐましい事実を説明すれば、アメリカはともかく、周辺国はどちらかにいきなり悪者することはない。

「ただ・・・・」

 嘉斗は一度言葉を切り、山本の目を覗き込んだ。

「アメリカに勝てますか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 嘉斗が海軍軍人になったのは、アメリカとの戦争に備えるためだ。

「勝つ、という条件によるな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 山本の返答も、至極当然なものだった。
 勝利の条件は、いくつもある。
 アメリカを徹底的に叩き潰すのか、講和を実現するのか、「日本」という国家を残すのか。

「しかし、政府は間違いなく、戦うつもりだ」

 戦略目的は決めていないが、政府は戦争準備を始めた。
 阿部首相は、欧州大戦への不介入を宣言しつつも、軍備拡張を命じたのだ。
 正確に言えば、量産体制への移行を進めた。
 各地に国営軍需工場が作られ始めたのだ。
 特に陸海で取り合うことになるであろう航空機エンジン製造工場を、各航空機メーカーと共同して設立した。
 また、陸軍は九九式短小銃の量産を目的とした工場を増やす。
 日本陸軍は元より、満州軍、朝鮮軍に配備するためだ。
 九九式短小銃は三八年式小銃の後継として開発された。しかし、使う弾薬が違い、早期に代替しなければ補給に混乱を来すと判断したのだ。
 平時であればゆっくり置き換えれば良い。
 これを急ぐという事は、政府が今は戦時だと判断したと言うことなのだ。

「日中紛争、日ソ紛争。これを経て、現在の戦力ではダメだと思ったのでしょうね」

 阿部首相は陸軍出身だ。
 そして、現在の統制派、無名派(旧九州閥)にも属さない。
 だが、石川県出身で、比較的に無名派の前田利為に近い。

「阿部首相の目が・・・・太平洋に向くことを願うな」

 海軍は基地設営隊を組織し、南太平洋の島嶼に港湾施設や飛行場を建築している。しかし、陸上戦のための要塞は作っていない。
 何よりマリアナ諸島と千島列島、パラオ群島以外に大隊以上の陸軍が駐屯している島はなかった。
 海軍が根拠地と決めているトラック諸島ですら、海軍特別陸戦隊が守っている。

「ああ、それは大丈夫ですよ」
「ん?」
「兄上に言って、海洋軍団の設立を依頼しました」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 山本がポカンと口を開けた。

「ちょうど今、その司令長官と参謀長が情報を求めにやってきましたよ」
「ほ?」

 ちょうど扉を開けた大川内傳七海軍少将と小柄な陸軍軍人が首を傾げる。

「おお、これは大川内くん、久しぶりだな」
「山本長官」

 大川内は敬礼し、笑顔を見せた。

「ふ、相変わらず、軍人には見えん奴だ」

 山本は手を下ろし、陸軍軍人に目を向ける。

「海洋軍団参謀長・頴娃久道大佐です」

 陸軍軍人ならではの、きれいな敬礼を決めた頴娃はそのまま続ける。

「お二人のことは、武隼大佐から伺っております」

 頴娃久道。
 鹿児島県出身で、元薩摩藩士の家系だ。
 武隼時賢がリーダーを務める派閥にも属している。
 専門は歩兵であり、日中紛争ではゲリラ戦を行う中国軍に対して、同様の戦法で苦しめた。
 兵数の限られた環境で戦わなければならない島嶼戦にも通じるため、今回の抜擢を受けた。
 因みに大川内は第二次上海事変での活躍からである。

「大川内、海洋軍団とは?」
「島嶼戦の専門部隊ですよ」

 大日本帝国は固有の領土の他に、樺太、千島列島、台湾、マリアナ諸島、パラオ群島、トラック諸島、マーシャル諸島を保有している。
 このうち、樺太と台湾は陸軍が師団規模で駐屯している。しかし、残りは独立歩兵大隊を中心にした少数しか配置されていなかった。

「この状況を変え、島嶼戦に必要な部隊編成、装備、訓練を行うのが海洋軍団です」

 頴娃は嘉斗が広げていた世界地図の上に、太平洋の地図を置いた。

「海洋軍団は4つの管区に分けられます」

 北方管区(千島列島)、南方管区(パラオ群島)、西方管区(トラック諸島、マーシャル諸島)、本部管区(マリアナ諸島)。

「本部管区には、上陸作戦に用いる部隊も属します」

 海洋軍団の隷下には4個海洋旅団と4個海洋支隊が収まる。
 海洋旅団は陸軍であり、島嶼の守備を行う。
 海洋支隊は海軍であり、沿岸警備を担当する。
 海洋旅団の戦力は8個独立歩兵大隊と工兵大隊などの支援部隊を基幹としている。
 兵数は約1万であり、海洋兵団は4万の兵力を保有することになる。

「いざ戦争が始まれば、これらの部隊を基幹とした専門部隊が組織されるはずです。ですが、問題があります」

 頴娃は手をトラック・マーシャル諸島に持っていった。

「他の管区に比べ、こちらは補給状況や設備状況が劣悪です。海洋軍団としては、海軍の全面協力の下、これを向上させたいと考えています」

 本土から比較的近いマリアナ諸島。
 南太平洋の中心と考えて整備してきたパラオ群島。
 これらに比べれば、トラック諸島やさらに先であるマーシャル諸島はほとんど整備されていないと言って良い。

「港湾施設、飛行場、物資集積施設、防衛陣地。これら単体は用意できます」
「まあ、そのための海洋軍団なのだろうからな」
「しかし、情報がありません」
「ん?」

 頴娃の言葉に、山本が首を傾げた。

「どの程度の上陸が予想され、どのような戦いが効果的なのか」
「防衛戦略は水際迎撃だったはずだが?」
「しかし、航空機が発達した今、水際に大兵力を展開しているのは危険です」

 ノモンハン事件では、砲列を敷いた砲兵陣地に両軍の空爆が集中し、多大な損害を被っている。

「持久戦が可能な島、不可能な島、要塞が建築できる島、できない島、敵軍の上陸ポイントが予想できる島、できない島、陸上攻撃機が展開できる島、できない島、飛行場すら建造できない島」

 頴娃は指を折りながら足りない情報を言っていく。

「これらの情報を元に、最も効果的な戦力展開を研究・実験する部隊が海洋軍団です」
「オマケに連合艦隊の展開速度、島嶼防衛戦略、補給態勢についての情報も加味されます」
「・・・・・・・・おい」

 嘉斗の付け足した言葉に、山本は低い声を出した。

「まさか私がここに来ることを見越して、こやつらを寄越したのか?」
「ピーピー」
「口笛くらい普通に鳴らせるだろ!」

 下手な口笛で顔を逸らした嘉斗に山本がツッコミを入れる。

「はっは、伝説の賭博士も情報を握られては掌の上、ですか」

 大川内がニコニコと微笑みながら言った。

「ええ、今や僕は立派な情報将校ですから」

 本人の能力と血筋から来る人脈。
 並の情報将校では太刀打ちできない存在になっている。

「でも、僕の仕事もここまでです。後は皆さんにお任せするだけです」

 軍と政治に絡まった人脈が、日中紛争と日ソ紛争の泥沼化を避けた。
 国内の問題を片付けた日本が、次に世界と事を構えるための充電期間を得たのだ。
 その充電期間で、どれだけの戦力を蓄えられるか。
 それが問題である。
 しかし、この戦争準備が、ひとつの問題(起爆剤)と繋がった時、大日本帝国首脳部を混乱させる事態へと発展した。




「―――ただいま帰りまし―――って、ヒィッ!?」

 嘉斗は高松邸に帰った瞬間、悲鳴を上げた。
 そこには亀が仁王立ちしていたからだ。
 ご丁寧に足には娘――霞耶が抱きついている。
 ふたりの女から不穏な視線を感じ、軍人であるはずの嘉斗はタジタジになっていた。

「あ、お帰り。奥さんが待ってんで」

 マイペースな高山富奈(旧姓、八尾)がお膳を持ったまま頭を下げる。そして、何食わぬ顔で修羅場を離脱した。

「え、えっと・・・・亀、どうしました?」
「・・・・とりあえず、亀って呼ぶな」

 組んでいた腕を解き、霞耶の頭を撫でて離れさせる。

「何日ぶりの帰宅?」
「え? えーっと・・・・ひぃ、ふぅ、みぃ・・・・」
「―――4ヶ月ぶりです」

 嘉斗の後ろから答えが返ってきた。
 返答したのは高山空也だ。
 かつて、皇宮警察として嘉斗を護衛したが、二・二六事件の怪我で引退。
 その後、正式に宮内省に雇われ、嘉斗の補佐官として働いている。
 因みに富奈と結婚し、一児を授かっていた。

「ああ、もうそんなに経ちますか」

 ずっと軍令部の仮眠室を占領していたようだ。

「・・・・富奈、大鎌貸してもらっていい?」
「ええけど、持てるん? 重いで?」
「殺意でどうにかする」
「なるほど」
「納得してないで、止めてください!? って、うわ!? 本当に持ってきた!?」

 いつの間にか我が家はバイオレンスに支配されていたようだ。

「寂しい思いをさせて申し訳ありません」

 なでなでと小さな頭を撫でる。
 二十代後半となり、ひとりの娘を持っていても、彼女は基本的なところで変わらない。

「ですが、まさしくここが正念場、という状況なのです」
「それは彼らも一緒やろ」

 頭を撫でられたまま、玄関の脇を指差す。

「電報?」
「イギリス、オランダ、イタリアから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 その国から差出人が分かった。
 所謂、私的な皇室外交という奴だ。
 イギリスはドイツに宣戦布告しており、海上で激しく戦っている。
 オランダは中立だが、独仏戦線が勃発すれば必ず巻き込まれる位置にいる。
 イタリアも中立を表明しているが、ドイツ寄りだ。

(どの国も日本の動向を気にしていますか)

 第一次世界大戦では、日本は太平洋においてドイツの植民地と戦った。そして、大戦末期には欧州にも戦力を派遣。
 潜水艦による通商破壊戦や陸上の消耗戦を戦った。
 日本は政府内だけでなく、陸軍と海軍の中でも、親独派と知米派がいる。
 今回、アメリカは参戦していないが、参戦するとすれば確実に連合国側だ。
 もし、ドイツを支援し、英仏と開戦したならば、日本は太平洋でアメリカと戦わなければならない。
 第一次世界大戦の主戦場は欧州だったが、今度こそ主戦場は世界各地に広がることになる。

「ん?」

 くいっと軍服の裾が引かれた。
 視線を下げれば、眉をひそめた娘の顔。

「ごはん」
「あ、ああ、そうですね」

 難しい顔をしていたのだろう。
 子どもは敏感だ。
 親の顔色から親が思っている以上のことを感じ取ってしまう。

(僕はやはり、将来に不安を抱えているのですね・・・・)

「亀、ごはんに・・・・って、大鎌を持ち上げようとしないでください」
「・・・・殺意を以てしても持ち上がらない」
「だから持たないでください!? というか、殺意まだ消えてなかったんですか!?」
「やはり、刀か・・・・」
「だからあなたが言うと、洒落になりませんからね」

 武家出身らしく、意外と剣術が得意な妻の言葉に、嘉斗は戦慄した。









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