第二次上海事変


 

 第二次上海事変。
 1937年8月に勃発した日中間で行われた戦闘である。
 宣戦布告がなく、正式な交戦状態ではなかったために、「事変」で済まされている。しかし、戦闘の規模、損害から見れば会戦に相当するものだった。
 日本軍は上海租界地の日本人を守るため、当初は海軍特別陸戦隊、末期は陸軍の正規師団が戦う。
 一連の戦闘結果から、日本は世界の賞賛を集めたが、その後に待っていたのは、泥沼の日中戦争だった。






第二次上海事変scene

「―――撃てぇ!」

 11月6日、上海。
 日中の激戦が続くこの町は、今日も銃声が轟いていた。
 大川内傳七海軍少将率いる上海海軍特別陸戦隊は大損害を出しながらも戦線を維持。
 包囲軍と激しく戦う陸軍の援軍を待つ日々を続けている。

(あと少し耐えればいい!)

 大川内は痛む傷を押して先頭で指揮を続けていた。
 すでに陸軍は五個師団超の戦力を派遣している。
 さらなる増援も報告されており、空母「龍驤」被弾による海軍水上部隊の撤退時よりは好転していた。

(何より、再度やってきた艦隊はやる気に満ちているしな!)

 海軍は威信を傷つけられたとし、再度派遣した艦隊は強力だった。
 戦艦「奥羽」、「総武」と航空母艦「加賀」、「蒼龍」を主力とした総勢14隻の大艦隊だ。
 「蒼龍」は起工当初から突貫工事で建造され、約2年で竣工した。
 今回は攻撃隊を搭載していないが、60機の艦上戦闘機を配備している。
 これらの航空機は上海周辺の中国空軍を駆逐し、地上部隊への攻撃を行っていた。

「航空攻撃で要塞線が破壊できれば、日本の勝ちだ」

 中国軍はドイツの協力を得た要塞線で今回臨んでいる。
 つまり、上海市街地へは力攻めを、増援に出た日本陸軍に対しては要塞で防衛、という戦略だ。

「皆、苦しいと思うが、あと少しだ!」

 元々、海軍は陸で戦う部隊ではない。しかし、この上海海軍特別陸戦隊は、日本海軍初の常設陸上部隊である。
 陸上戦闘の訓練は受けており、下手な陸軍部隊よりも強い自信がある。

「司令! 右翼が押し込まれています」
「予備は・・・・ないか。―――航空支援を頼め!」
「はっ」

 中国軍の攻撃が始まった時、無線で沿岸を航行中の艦隊に連絡していた。
 即応状態で待機しているはずなので、もう間もなく飛来すると思われる。

「・・・・来たかッ」

 そう考えているうちに、東から音が聞こえてきた。
 第一航空戦隊所属の約30機だ。
 艦攻は陣地攻撃に割いているため、戦闘機と爆撃機の編隊である。

「合図送れぇ!」

 友軍参戦に歓声を上げる兵の声に負けぬ大声で大川内が指示を出した。
 それに呼応し、赤色の発光信号が編隊に向けられる。
 すると、編隊の先頭を飛んでいた機体が翼をバンクさせると、一気に編隊が散開した。

「押し返せぇ!」

 瞬く間に始まった急降下爆撃に、中国軍が怯む。
 頭上からの急降下爆撃が効果的であることは、同時期に行われているスペイン内戦で示されていた。
 押し込まれていた各戦線が日本兵の突撃で急速に動く。

「うぉりゃ!」

 大川内自身も小銃を片手に走り、目についた中国兵向けて発砲した。

「司令! 空を見てください!」
「ん?」

 細い体格から想像もつかない戦いぶりを発揮していた大川内は、参謀にそう言われて空を見上げる。

「お? おお!?」

 空に漂うアドバルーン。
 そこには、

『日軍百万上陸杭州北岸』

 と、あった。
 百万は過剰だろうが、少なくとも軍規模の戦力が上陸したと考えられる。
 おまけに位置がいい。
 機動次第では、中国軍を包囲殲滅できる。

(まあ、上陸した戦力次第か・・・・)

 そう思い直し、少しでも敵に打撃が与えられるよう、大川内は再び小銃を構えた。




「―――急ぎ隊列を整えよ!」

 杭州北岸に上陸した日本陸軍第十軍の中に、武隼時賢陸軍大佐がいた。
 彼は1個独立混成旅団の司令官として、この地を踏んでいる。

「いやぁ、陸軍高官でも戦車輸送に言及した人がいたことには驚きましたね、うん」

 側近が失礼なことを言っているが、今回、2個戦車大隊をまとめて輸送できる輸送艦が用意されていたことには驚いた。
 1個戦車大隊は戦車30輌で構成されている。
 これを1隻の輸送艦が運んだのだ。

「神州丸型輸送艦、か・・・・」

 ロンドン海軍軍縮会議の結果、加藤友三郎が整備した建造能力は宝の持ち腐れ化した。しかし、日本陸軍と日本海軍は、大陸や島嶼部へ速やかに部隊が展開できるよう、大型輸送艦の建造に着手する。
 といっても軍港施設を使うのではなく、公費を投入して建設した民間造船所に依頼したのだ。
 結果、中戦車18輌と兵員を輸送できる1万トン級輸送艦――神州丸型輸送艦――が2隻、就役していた。
 それぞれ最大速度20.8kt/hを発揮する優良艦である。

「今回の第十軍に全て投入するとは・・・・参謀総長も太っ腹ですね」

 現参謀総長・岸本綾夫。
 二・二六事件後、参謀総長の座につき、陸軍大臣・田中国重と共にこの1年で戦車、航空機の開発を推進してきた。

「今回の投入戦車を見ればすぐに分かることだ」

 時賢は次々と上陸してくる戦車を見遣った。
 2個戦車大隊、60輌。
 1個戦車大隊は3個中隊各9輌+大隊長付3輌で構成されている。
 今回の編成は九五式軽戦車配備の1個中隊と新型の九七式中戦車配備に2個中隊で構成されている。

(九七式中戦車は欧米の戦車と比較しても遜色ない)

 時賢自身も開発に加わった九七式中戦車。
 当初は漠然と八九式戦車の後継として開発されていたが、ドイツとイタリアの協力を得たことで変わった。
 ドイツからは対戦車砲の開発技術と運用理論、イタリアからは高性能エンジン開発方法を学んだのだ。
 このため、九七式中戦車は日本陸軍初の対戦車戦を意識した戦車であり、熱河作戦の戦訓を学んだ高速戦車であった。
 主砲は九七式五七粍戦車砲、最大速度40km/h。
 装甲車両程度しか保有しない中国陸軍に対して、オーバーとも言える兵器である。

「大佐殿! 全車両、上陸を完了」
「旅団長殿より軍令! 状況を開始せよ、と」

 ふたりの伝令が駆けてきて、時賢に行動を命じた。

「・・・・行きますか」

 そう呟き、時賢は九七式中戦車に乗る。

「一一より各位、これより作戦を開始する」

 全車標準装備の無線で指揮下の長に告げた。
 先鋒の戦車を先頭に、九七式中戦車42輌、九五式軽戦車18輌、歩兵輸送軌車60輌が動き出す。

「海軍による索敵の報告では、敵は何重もの要塞線を敷いているらしい」

 だから、その背後に回り、二重包囲する。
 それが第十軍に与えられた作戦だった。

(現在、上海を攻撃している中国軍が精鋭ならば、その精鋭を地上から消し去り、中国の交戦意識を瓦解させる、か・・・・)

 総力戦である昨今の戦争にはそぐわない目標だが、一度徹底的に叩くと決めた近衛内閣が承認した作戦である。
 その作戦が成功するかどうかは、第十軍の先鋒を受け持った武隼支隊にかかっていた。




 11月6日、上海に増援到着のアドバルーンが上がる中、第十軍は中国軍を迂回するためにひた走っていた。
 第十軍は武隼支隊と3個師団で構成されており、兵力的には約4万だ。
 健脚の歩兵と自動車を組み合わせた早足部隊は、11月8日には上海西方40kmにある別の町を通過した。
 これに中国軍は大きく動揺した。
 20万以上の兵力を動員しながらも日本軍に勝てないことから士気が下がっていた中国軍は、ついに11月9日に撤退を開始する。
 それは撤退と言うより潰走に近く、途中で攻撃を開始した第十軍によって大打撃を受けた。
 11月10日、一部の中国軍部隊は撤退に成功したが、大半の部隊は第十軍と上海派遣軍によって包囲される。
 特に第十軍は中国軍が用意していた要塞線を占領。
 これを軸に防衛戦闘を行い、戦車隊による奇襲攻撃で戦果を上げた。
 11月15日、包囲された各中国軍部隊は督戦隊を同士討ちにて駆逐、降伏した。
 これにて、約3ヶ月間続いた第二次上海事変が終結する。
 戦闘結果は、日本軍は死傷者4万超を数える欧州大戦派遣軍に匹敵する大損害を出した。しかし、中国軍は兵器の大半を失い、兵力も首都・南京守備軍以外ほぼ消滅した。




「―――どういうことか、説明してもらおうか、ファンケルハウゼン殿?」

 11月16日、中華民国首都・南京。
 第二次上海事変の大敗で、20万近い兵力を失った蒋介石は、作戦指導を行った元ドイツ軍人を執務室に呼んでいた。
 上海攻囲軍ほどの訓練度と装備を持った部隊は他にいない。
 そんな最精鋭が数に劣る日本軍を撃破できなかった。

「日本軍が思ったより、ずっと強かった、というしかありませんな」

 アレクサンダー・フォン・ファンケルハウゼン。
 ドイツ軍人として第一次世界大戦を戦い、中華民国軍を近代化したハンス・フォン・ゼークトの後任として、ドイツ軍事顧問団を率いていた。

「そういうことではないのだ!」

 南京では防衛戦の準備が急ピッチで進められている。
 上海近郊での戦後処理が終われば、日本軍はここを目指すに違いない。
 蒋介石が南京に抱える戦力は、わずか1万しかいない。
 如何に日本軍が疲弊していたとしても、この好機を逃すはずがないのだ。

「絶対に勝てると言ったのは貴様だろう!」

 上海から日本軍を駆逐できれば、上海を租界地から除くことも夢ではなかった。
 首都に近い上海に外国軍がいることは不気味だったので、それを除けることに魅力を感じたのは事実だ。
 だが、結果は精鋭部隊の消滅。
 国際的信頼の失墜と日本の高評価。

「日本を駆逐した後、忌々しい共産党に鉄槌を下そうというのに・・・・ッ」

 蒋介石は実戦訓練のつもりだったのだ。

「最初の一週間、数に劣る、しかも海軍を相手に勝てないとは・・・・貴国の戦術は帝国滅亡と共に消え去ったようだな」

 嫌みにファンケルハウゼンは小さく頭を下げた。

「総統閣下。実は本国より帰還命令が出ております」
「何だと!?」
「ワイマール体制瓦解の日も近く、ドイツ再軍備のためにここで遊ばせておくのはもったいないと、ヒトラー総統が」
「あんのペテン師め! 旗色が悪くなるとこれか!?」
「いいえ、全てはあなたが原因です。当国がソ連を敵視していることを知っているはず」

 それだというのに、国共合作を行い、ソ連の軍事顧問を呼び寄せた。
 これはドイツに対する裏切りだ。

「まさか、貴様はそのために手を抜いたのではなかろうな!?」
「ご冗談を。日本軍は強い」

 陣地戦で挑んだ中国軍と運動戦で返した日本軍。
 中国軍は第一次世界大戦の戦術で挑み、日本軍は第一次世界大戦で生まれた戦車を使いこなした。

「現状況において、日本軍に中国軍が勝てる要素はありません」
「・・・・貴様・・・・ッ」
「唯一勝てたはずの上海は海軍特別陸戦隊の粘りによって長期化。長期化したことで政治的に解決すべきだったのに、何の行動も起こさずに日本軍第十軍を上陸させてしまったこと」

 「これが敗因です」と解析して見せたファンケルハウゼンは敬礼して踵を返す。

「待て! それでは私が悪いようではないか!」
「だからあなたが悪いんですよ。自国の発展を他人任せにし、発展できない理由を他国に押しつける」

 第一次世界大戦直前まで日本に勤務したことがある彼は、振り向いて言った。

「トラウトマン工作に同意することを強く薦めます」

 その言葉を最後に、ファンケルハウゼンは中国を去る。
 何気ない一言が、歴史を動かしたとは知らずに。


 1937年11月20日、南京政府は日本政府に対してトラウトマン工作による停戦要請を行った。
 これを受け、南京に向けて進撃しようとした中支方面軍は作戦を中止する。また、華北で総攻撃を開始した関東軍も行動を停止する。
 日中の戦いは、政治の場面に移ったのだった。




「―――これより日中停戦条約の調印式を執り行う」

 1937年12月20日、南京。
 九カ国条約の調印国が見守る中、日中の停戦条約調印式が執り行われていた。
 条件は以下の通りである。

1. 華北に、満州国境より天津、北京にわたる非武装地帯を設定、中国警察隊が治安維持。
2. 上海に非武装地帯を拡大し、国際警察により管理する。
3. 排日政策の停止。
4. 中ソ不可侵条約と矛盾しない形での共同防共。
5. 日本製品に対する関税引き下げ。
6. 中国における外国人の権利の尊重。

(これで戦争が終わる・・・・)

 調印式には近衛文麿首相本人が出席していた。
 因みに近衛内閣前に存在した林銃十郎内閣は、林本人が満州事変時に処罰されたので生まれず、広田内閣の後を継いだのは近衛である。

(条件も内蒙に政権樹立を諦めただけで大きく前進した)

 政党を味方につけた近衛自身が強気に出た条件だ。しかし、その判断が本当に正しかったのか不安だったのだ。

「1の条件を陸軍に飲ませるのは苦労した・・・・」

 1は事実上の華北撤退だったからだ。
 満州国を防衛するのに、軍事的空白を作り出すことができた。しかし、華北を占領していれば、満州国は安泰だったのだ。
 今回、中国に満州国を認めさせるまでには至っていない。だがしかし、蒋介石の手元にまともな軍隊が残っていない以上、満州国を脅かす中国軍は少ない。
 すでに満州国は歩兵師団8個、騎兵師団2個、1個飛行集団を保有していた。
 国境警備隊も設立されており、民兵に毛が生えた程度の華北軍では歯が立たない。
 今更条約で認めさせずとも、軍事的に防衛できるはずだ。

「見届け人として来訪された方々に感謝する」

 国璽を仕舞った蒋介石は居並ぶ各国の大使に発言した。

「これより両国は新しい時代となる」

 この場に共産党を率いる毛沢東はいない。
 日本と講和したことによって第二次国共合作は崩壊した。しかし、再度北伐する軍事力はない。
 蒋介石にとって、試練の時代となる。

「日本軍は中国国民党に協力する用意がある」

 近衛が発言すると、蒋介石が少し驚いた。

「同じアジアの大国として、共に発展しよう」

 徹底的に叩くと発言し、主戦派だと思われていた近衛の発言に、場は沈黙に包まれる。

「日本が望むのは東アジアの平穏と自国民の安全である」

 近衛は蒋介石をまっすぐ見て宣言した。

「日本は友好の手を差し伸べる者を拒みはしない」









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