戦闘機無用論
防衛大学校。 1925年に陸軍大学校と海軍大学校が統合。 陸軍、海軍の領域にとらわれず、広い視野で国防を考えられる人材の育成を目的としている。 防衛大学校は高級将校に出世するために必須ではないが、出世しやすいことには変わりない。 将来の両軍幹部が共に学ぶことは、陸海軍の仲を取り持つことに一役買っていた。 このため、各国の軍隊ほど、陸海軍の仲が悪くないのが、日本軍の特徴である。 戦闘機無用論争scene 『『『『『―――おお~』』』』』 全長16.45m、全幅25.00mの巨体が超低空飛行を編隊で行ったことに歓声が上がった。 防衛大学に通う大尉や少佐がいるのは、航空母艦「加賀」の飛行甲板である。 海軍将校が平気な顔をしている横で、陸軍将校の何人かが顔を真っ青にしているのが印象的である。 「九六式陸上攻撃機。陸上から発進して遠方の敵艦隊に雷撃できる航空機だ」 横須賀海軍航空隊司令・三並貞三大佐はよく通る声で説明した。 彼は根っからの航空屋である。 防衛大学教官だった1930年に当時の防衛大学校長・高橋三吉の所見に対して発表した「航空戦術抗議」は、航空機や航空母艦の研究を密にすべしと訴えた内容だった。 以後、高橋が所属する艦隊派が海軍内を支配した時代には睨まれている。しかし、航空機の発達において必要な人材であったために伏見宮が左遷を止めた。 そのおかげか、三並は着実に出世し、航空機の発達を見続けている。 「実用的な陸上攻撃機は、本機が最初だ。貴君らの忌憚ない意見で、どんどん成長させてほしい」 と、三並は若者たちに意見を求めた。 「最高時速はいかほどでしょうか?」 「詳しいことは言えないが、九〇式艦戦よりもずっと速いと言っていこう」 ざわりと若者たちが揺れる。 九〇式艦上戦闘機は約300km/h。 それよりずっと速いということは、350km/hに迫るのではないか。 「それでは戦闘機はやはりいらないな・・・・」 若者のひとりが呟いた。 戦闘機無用論。 海軍を中心に巻き起こっている航空機開発における方針転換だ。 戦闘機より速く、長く飛べる大型爆撃機は、理論上と実際の試験で大きな戦果を挙げることが予想されていた。 一方、戦闘機は戦うしか能がないくせに、爆撃機に勝てないという本末転倒な機種とレッテルを貼られている。 一部の航空関係者は反論しているが、海軍主流は戦闘機無用論に傾きつつあった。 「戦闘機全廃という極論は認められないが・・・・」 戦闘機無用論に対して、同意の声がチラホラ上がる中、海軍将校が声を大にして言う。 「戦闘機にも爆弾を積み、攻撃に参加できるようにするべきだ」 そう主張したのは、源田実海軍大尉だった。 戦闘機乗りとして有名であり、九〇式艦戦で曲芸飛行した「源田サーカス」は有名である。 「戦闘機に急降下爆撃機能を付け加えられれば、なおいい」 「それはどうですかね、実」 源田の発言にざわめいていた若者たちが一斉に黙った。 発言したのが、今上天皇の弟――高松嘉斗海軍少佐だったからだ。 「常日頃聞いていた理論ですが、今日の飛行を見て確信したので発言させていただきます」 そう言って、空母「加賀」艦長・稲垣生起大佐をチラリと見た。 彼は第二次ロンドン軍縮会議に出席し、嘉斗の同志・堀悌吉の意を受けていた人物である。そして、彼も嘉斗の意見に賛成していた。 「まず、九〇式艦戦と九六式陸攻を比べることすら間違いですよ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 九〇艦戦と九六陸攻は採用時期が大きく異なる。 この航空機発達期において6年の開きはあまりに大きい。 「複葉機と単葉機を速度で比べたら負けるに決まっています」 「それはそうかもしれんが・・・・」 「実際に、新型で同時期開発の九六艦戦は九六陸攻より優速ですよ」 念願の単葉機・九六式艦上戦闘機は400km/h超と速い。 「ふん、宮様。速度だけでみると確かにそうだが、九六艦戦の武装は7.7mm、航続距離も短い」 威力不足、航続距離不足で敵爆撃機を破壊できない、味方爆撃機にも追従できない。 「航空機は日々発展しています。威力不足ならば12.7mmを積めばいい。航続距離が短いならば増槽をつければいい」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「現状の航空機で語るより、『戦闘機』という役目で語ってみればどうですか?」 源田だけでなく、若者たちは嘉斗の話に聞き入っていた。 たったひとりを除いては。 「戦闘機とは、敵側の航空機を駆逐し、制空権を得るための航空機である」 全員の視線が彼に集まった。 「そんな注目しなくても・・・・」 突然、30人近い視線を受けた彼はややたじたじとなる。 (留守大尉、ですか・・・・) 留守邦治陸軍大尉。 陸軍航空部隊の草分けであり、祖先は仙台藩第三門・水沢伊達氏に繋がるという。 水沢伊達氏は伊達政宗を支えた留守政景を祖としており、戊辰戦争にも出陣した。 何気に名門出身だが、それを感じさせない素朴さがある。 (もっとも、操縦技術は抜群ですが) 「爆撃機が制空権を確保するには、敵の飛行場を壊滅させるしかありませんね」 「その通り。しかし、そのためには膨大な爆弾が必要です」 敵の要撃機を撃退できるが、積極的に撃墜できない以上、爆撃機ができるのは爆弾で飛行場を潰すしかない。 だがしかし、飛行場は修理できる。 修理速度よりも早い爆撃が必要であり、そのためには多くの爆弾を必要とする。 一方で、敵が保有する航空機を戦闘機によって駆逐すれば、飛行場は無事でも飛び立つ飛行機がない。 後方から供給されてもパイロットがいない。 パイロットがいても消耗戦となれば、いつか枯渇する。 「こういう言い方は好きではありませんが、戦闘機と爆撃機を組み合わせた攻撃の方が、費用対効果がいいんですよ」 「・・・・そういうものか」 戦闘機無用論の急先鋒であった源田が呟いた。 自身も戦闘機乗りであり、留守の言葉に納得したのである。 「すまない、諸君。先ほどの発言は取り消させてくれ」 源田は全員に告げ、その頭を下げた。 「やはり、戦闘機は必要らしい」 この後、三並大佐と稲垣大佐、高松少佐、源田大尉が連名で「戦闘機無用論に対する反論」を海軍省、軍令部、海軍航空本部に提出。 その後、航空本部長であった及川古志郎中将が九六陸攻と九六艦戦の戦闘演習を命じた。 まず、九六陸攻が侵攻し、これを九六艦戦が迎撃。 次に九六陸攻に九三艦戦が護衛につき、九六艦戦が迎撃。 最後に九六陸攻に九六艦戦が護衛につき、九六艦戦が迎撃。 これらの結果から、最後の演習が最も九六陸攻に被害が少なかった。 この演習結果は、戦闘機は常に発達し、全廃した場合における損害は馬鹿にならないと示した。 このため、戦闘機無用論は立ち消える。 爆撃機だけの攻撃は奇襲効果が得られない限り不可能とされ、夜間攻撃と超低空攻撃に絞られた。 故に爆撃照準器や低空安定技術などが研究されていくことになる。 実戦scene 8月18日、神奈川県横須賀軍港。 大日本帝国海軍第一艦隊が支那事変のために出撃した。 7月7日に発生した盧溝橋事件は19日に現地にて終息する。しかし、相次ぐ抗日事件の結果、7月29日に通州事件が起き、日本の対中感情が悪化した。 そこから坂を転がるように、日中両軍は激突を続ける。 8月9日、上海で大山事件が起き、13日に上海にて中国軍と海軍特別陸戦隊が交戦し始めた。 後に言う、第二次上海事変である。 陸軍は上海派遣軍を編成し始め、14日に海軍は航空部隊による渡洋爆撃を決定した。 15日に南京を九六陸攻によって空爆、初の渡洋爆撃が行われる。しかし、戦闘機の随伴なしで行われた爆撃は大きな被害を出した。 戦闘機無用論が机上の空論であることが示されたのだが、100名近い犠牲者を出したのである。 日本海軍は第一艦隊に編入されている第一航空戦隊の派遣を決定。 第一航空戦隊は空母「加賀」、「龍驤」の二隻で構成されている。 空母「加賀」は九六式艦上戦闘機36機、八九式艦上攻撃機27機、九六式艦上爆撃機27機、計90機。 空母「龍驤」は九六式艦上戦闘機12機、九六式艦上爆撃機20機、計32機。 合計122機。 補用機を合わせると140機の航空機が増援に赴く。 「気をつけてください」 嘉斗は源田にそう言った。 源田も加賀航空隊の一員として出撃する。 爆撃機、攻撃機はともかくとして、最新鋭の艦上戦闘機60機が戦闘に加わる。 これは、中国軍航空隊にとって脅威となるだろう。 だが、それ故に懸念事項があるのだ。 「戦闘機の短い航続距離を稼ぐため、空母は沿岸に大きく近づくでしょう」 航続距離が短いならば、発艦位置を陸地に近づける。 移動できる飛行場としての長所を生かすのだ。 「ですが、それは空母が危険に晒されることと同義です」 何せ中国軍が持つ飛行場は浮沈だ。 空母航空隊が制空権を握っても、飛行場を完全に破壊しなければ、航空機は飛べる。 「空母を守れるのは、あなたたち戦闘機隊だけです」 「―――中国空軍も大したことない。所詮、国産機を作れない二流空軍か」 航空母艦「加賀」を旗艦とする第一艦隊支隊は、上海で戦う陸海軍を支援するために中国空軍の拠点を空爆していた。 戦力は第一航空戦隊、第八駆逐隊の計六隻。 それでも1個基地航空隊に匹敵する戦力を持つ。 数十機による攻撃で各地の中国空軍は沈黙を余儀なくされていた。 上海への空爆も行っており、敵陸上部隊に少なくない血を流させている。 「しかし、宮様の言った通りだな」 源田は艦隊の直衛のために九六艦戦に乗っていた。だが、眼下を見下ろせば、中国の陸地が見える。 そう、支隊は中国大陸の沿岸を航行していたのだ。 (ここならば、さらに奥地の飛行場から届く) 現在、第一次攻撃隊第一波が飛行場爆撃に赴いている。 両空母では駄目押しの第二波が編成されていた。 (もし、敵も攻撃隊を出していれば・・・・) 「―――って!?」 思考が中断される。 じーっと下を見ていた源田は地面とは違う、日光を反射する煌めきを確認したのだ。 「中国軍か!?」 そう叫び、源田は麾下3機の戦闘機に手信号を出し、降下を開始する。 ついてくるのは二番機のみで、三番機と四番機は攻撃を知らせるために艦隊上空へと飛び去った。 「落ちろぉっ!」 向こうも気付いたのだろう。 護衛の戦闘機が機首を上げて迫ってきた。 すれ違いざまに機銃弾が交差し、敵戦闘機1機が黒煙を上げる。 (チッ、戦闘機4、爆撃機6か。存外に多い!) 直衛隊は4機のみだ。 機首を上げて高度を稼ぎ、再び攻撃位置につく。 7.7mm機銃では十分に近づかなければ撃ち落とすことができない。 格闘戦を続けている間に、爆撃機は艦隊へと近づいていった。 護衛の駆逐艦が対空機銃を撃ち上げる。しかし、数が少ない対空機銃ではどうにも効果が薄い。 対空機銃に限界を感じたのか、「龍驤」が戦闘機の発艦態勢に入った。 第二波攻撃隊のために、戦闘機八機が飛行甲板に出ていたのだ。 「直線機動に入るな!」 源田が叫ぶが、無線機のない今の状況で「龍驤」に伝えることはできない。 「龍驤」が最大戦速で合成風を作り出す。だが、それをあざ笑うかのような速度で、爆撃機が艦尾から距離を詰めた。 「あ!」 中国空軍の爆撃機はアメリカ製のB-10。 約1トンの爆弾を投下できる。 2機分――計8発の250kg爆弾が「龍驤」に降り注いだ。 「ああ!?」 外れた爆弾が水中で爆発する水柱が「龍驤」を包む中、赤い閃光と黒煙が立ち上る。 「命中したか・・・・ッ!?」 着弾二、至近弾一。 これが「龍驤」の被害だった。 飛行甲板を貫通した爆弾は格納庫にて爆発。 並んでいた航空機を瞬く間にスクラップにし、火炎と破片で整備員を殺傷する。 太平洋の荒波を想定した密閉型格納庫内に爆発エネルギーが充満した。 それは一瞬後に全方向を吹き飛ばすことで解放される。 結果、外側からは火柱が立ったように見えた。 飛行甲板を突き破った爆発力は、並んだ九六艦戦を吹き飛ばす。 同時にぶちまけられた油が木造飛行甲板を舐め始めた。 内部に向かった衝撃波は艦内を破壊し、機関室を押し潰す。 一撃で、「龍驤」は漂流する金属の塊と化した。 「引き返すのか!?」 唖然とその光景を見ていた源田が、敵機の動きを見て言う。 中国空軍が撤退を始めていた。 全ての爆弾を投じたのだろう。 それを確認した駆逐艦が空母「龍驤」への放水を開始した。 「・・・・耐えろよ、『龍驤』」 空の上からでは祈るしかできない。 この被害を阻止するために上空にいたというのに、むざむざとやられてしまった。 「・・・・・・・・・・・・ッ」 後悔を振り切るように源田は警戒飛行に戻る。 攻撃はこの一撃だけとは限らないのだ。 結果的に言えば、「龍驤」は沈まなかった。 攻撃隊によって飛行場が破壊された中国空軍の追撃はなかったからだ。 「龍驤」は「加賀」に曳航されて戦線離脱。 途中、上海に陸軍部隊を送り込んだ輸送艦隊の護衛を務めた軽巡が曳航を引き継ぐ。 中国沿岸における「龍驤」被弾は、日本空母における重大な戦訓となった。 一、格納庫。 今回は密閉型格納庫の構造が被害拡大に影響した。 日本海軍の空母は太平洋を航行するため、格納庫に潮風が入らないように密閉型を採用していた。 潮風、つまりは塩害を防ぐためである。しかし、これは被弾時の衝撃波を外に逃がすことができずに艦体に影響が出る。 艦政本部は建造中の「蒼龍」、「飛龍」に対して格納庫の改造を命じた。 改造は格納庫脇に開閉式の壁を取り付けることである。 通常は壁として機能し、波や潮風を遮断する。しかし、被弾した場合、脆弱な作りのこの壁がまず吹き飛び、そこから爆風を逃がすのだ。 二、応急処置。 今回は中国空軍の第二次攻撃がなかったために「龍驤」の応急処置は護衛の駆逐艦が行えた。しかし、戦闘が続いているならば、「龍驤」のみで対処しなければならず、喪われていた可能性が高いと判断された。 このため、応急処置専門部隊の設置や海兵への訓練が盛り込まれる他、先の格納庫改善などの被弾時を考えた艦設計へ影響を与えた。 後に開発される翔鶴型、雲龍型がその成果である。 三、対空能力の低さ。 護衛戦闘機はいたが、少なかったために艦隊は対空機銃で抵抗した。しかし、それはほとんど意味がなかった。 現在開発中の六〇口径九八式十糎高角砲に影響を与える。 結果、十糎高角砲は広く採用されることとなり、砲身が量産しやすいように設計が改善されるなどの高性能を示した。 これを主砲として採用したのが、対空駆逐艦の建造(後の秋月型)である。 それ以外にも副砲として採用され、両用砲として用いられた。 さらに四〇口径八九式十二糎七高角砲も大幅に改良され、後に五〇口径十二糎七砲と交換されていくこととなる。 四、攻撃阻止システムの構築。 今回は中国空軍の奇襲が原因だ。 このため、奇襲を潰すシステムが必要になる。 故にレーダー、機内無線の開発が行われることとなった。 「―――血を、流さなければ・・・・変わりませんか・・・・」 嘉斗は、横須賀軍港で行われる葬儀に参加しながら呟いた。 今回の海空戦で、数十人の死者を出している。 その合同葬儀なのだ。 「・・・・あなた方の死を無駄には致しません」 同期1名、先輩2名が戦死した。 江田島の海軍兵学校でよくしてもらった懐かしい顔が、二度と見られない有様で帰ってきた。 (これが・・・・戦争) 満州事変以来、事件は幾度も起きている。しかし、今回は師団規模ではなく、軍団規模の衝突である。 それも華北だけでなく、上海でも起きている。 (もう、日中だけでは止まれない・・・・) 日本は満州事変を仕掛けたが、その後から続く嫌がらせに5年耐えた。 上海ではイギリスが全責任を負って仲介に出てくれたが、すでに交戦意思を固めていた両軍は拒否、激突したのだ。 空母が撤退したことで、制空権を握ることが難しくなった。しかし、それで諦める日本軍ではない。 陸軍が上海地域に新たな部隊を派遣することを決定したのだった。 |