軍縮と婚姻
ロンドン海軍軍縮会議。 1930年に大英帝国首都・ロンドンにて開催された、ワシントン海軍軍縮会議に続く会議である。 1927年、ジュネーブ会議が行われたが、決裂。 その後、イギリスとアメリカは予備会議によって妥結し、日本とイタリア、フランスを加えた海軍五大国で開催された。 目的は一万トン以下の艦船に対する制限であり、米英の目標は、妙高型重巡洋艦、吹雪型駆逐艦を建造した日本である。 「―――戦艦は餌です、若槻さん」 「分かっている」 若槻礼次郎は斎藤博の囁きに小さく頷いた。そして、改めて米英が提案した戦艦軍縮内容を見遣る。 たった今、提示された内容は、日本にとって、悲願の内容だった。 アメリカは戦艦を3隻、イギリスは5隻削減。 日本は「比叡」を練習艦にすることだった。 これは戦艦において対米英6割というワシントン会議の内容を覆すものだ。 対して、建造中止措置の5年間の延長は、建艦20年を超える戦艦の代替艦建造を制限した。 正確に言えば、金剛型戦艦四隻の更新ができなくなったのだ。 「んん・・・・」 若槻は額に汗を浮かべて黙り込む。 戦艦については、日米英の問題であり、フランスとイタリアは無関係だ。 故に、米英で提案された案に対して発言できるのは日本だけだった。 「意見がないようならば、これで決定と言うこと―――」 「―――待っていただきたい」 決議を急いだアメリカを制したのは、若槻の代わりに発言したのは斎藤である。 「戦艦建造中止5年延長とは・・・・世界に対する損失ではないのか?」 イギリスのネルソン級戦艦こそ、1927年に就役した。 しかし、アメリカのコロラド級戦艦は1923年、日本の長門級戦艦は1921年だ。 「このままでは戦艦を建造する能力が欠如してしまいますぞ?」 その言葉に、フランス、イタリアが反応した。 両国とも戦艦を建造したのはかなり前であり、すでに技術者が不足していたからである。 現在は、世界恐慌の影響で建造できないが、余裕があれば建造したいと考えていた。 世界五大海軍国と言われても、実質的には日米英がダントツだ。 その差を埋めなければと思っていたのだ。 「・・・・数を増やすことはできない」 アメリカ代表の言葉に若槻は大きく頷く。 「ですから、代替艦建造を認めていただきたい。ただし、数は減らし、20年経過期限も止めて」 斎藤の発言を受け継いだ若槻の、日本の提示案は、こうだ。 2隻の戦艦を廃艦。 その戦艦の竜骨を砕き、廃艦処分を各国が認めた時に建造を開始する。 建造する艦は代替艦故に同じ主砲口径を持つこと。 基準排水量は1割増。 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」 この提案に米英は沈黙した。 「もちろん、これはフランス、イタリアにも適応されるべきです」 「ほう、それはいい」 「なるほど、なるほど」 余裕はないが、建造許可がもらえるだけでありがたい両国は満足そうに頷く。 「戦艦廃艦に約2年として、戦艦建造に約5年、計7年である」 「これだけの間、新戦艦が生まれないのならば、よいのでは?」 若槻、斎藤の言葉に、イギリス、アメリカの代表はワシントン会議を思い出した。 (日本は何か知っていたのではないか・・・・?) 両者の疑問はそこだったが、実際には何も知らない。 確かに嘉斗を中心に動いていたが、何もつかめなかった。 故に嘉斗たちが判断したのは、ターゲットがワシントン同様日本であること。 そして、日本の現状を客観的に観察し、相手が打つであろう手を予想しただけである。 また、金剛代型戦艦案を若槻たちに渡してはいるが、どう使うかは彼らに委ねていた。 「仕方がない。それでいこう」 「なっ」 アメリカ代表が頷き、イギリス代表が信じられない者を見るようにアメリカを見る。 アメリカがイギリスを裏切った。 この光景はワシントン会議の逆だ。 「では、決まりと言うことで」 こうして、日本海軍は1930年代前半に戦艦を建造することが決まった。 廃艦にするのは、金剛型戦艦ではなく、次級の扶桑型戦艦である。 理由は重防御を目指したための設計上の致命的な欠陥あること。 金剛型代戦艦の基準排水量3万5,000トンの9割と基準排水量が近かったこと。 これらがその選定基準だった。 日本政府は不況対策の公共事業として、この戦艦建造を推進した。 そして、その対象こそ、経済的に厳しい東北と震災を受けた関東だった。 代替戦艦の建造が行われたのは、塩竃ドックと横須賀第二ドック。 艦名は東北全体を意味する「奥羽」と震災の主な被災地である神奈川県と関東の旧国名から「相武」と名付けられた。 つまり、新型戦艦は奥羽型戦艦「奥羽」、「相武」の2隻。 全長237 m、幅32 m。 基準排水量3万5,000トン、満載排水量3万9,250トン。 三六センチ砲三連装三基。 最大速度30 kt/h。 同時期に高速戦艦として生まれ変わる金剛型4隻と共に空母と行動が共にできる戦艦として、1937年に就役することとなる。 「さすがですね、若槻さん」 控室に戻ってきた全権団を、嘉斗は笑顔で迎えた。 「いやいや、海軍が出し渋っていた戦艦情報を渡してくれたおかげです、殿下」 若槻礼次郎。 松江藩出身で、大蔵省を勤め上げた官吏だ。 加藤友三郎内閣の内務大臣も務め、彼が死去した折には大命を受けた。 このため、軍縮、特に海軍予算の削減についてはよく理解しており、同時に頭も切れる政治家だ。 「次は重巡、空母になりますね」 「軍令部は重巡を準主力艦として見ていますが、今度は譲歩しないでしょう」 「・・・・ええ、戦艦の追加建造を認められただけでもよしとしてもらいたい」 若槻内閣は内閣不一致や外部からの影響で倒れている。 このため、他の省の動向には、常に気を配っていた。 「空母についてはどうします?」 斎藤の問いに、嘉斗は一瞬黙り込む。 「軍令部からはなんと?」 今の軍令部総長は加藤寛治海軍大将である。 今回の条約を締結させるにあたって、最も反対するであろう人物だ。 「軍令部総長からは重巡のことしか・・・・。要求する対米7割は絶対だ、と」 「ならば、空母については渋って見せて頷くので、いいのではないでしょうか」 「あまりこちらの要求ばかり呑んでもらうと拗ねそうですから」と嘉斗は笑った。 「重巡は?」 「日本には確か・・・・古鷹型、青葉型が各二隻ずつ、妙高型が四隻の計八隻います」 他に建造中の高雄型重巡洋艦が四隻だ。 対米7割ならば、アメリカ海軍の重巡は17隻の建造が可能になる。 5隻の差は大きい。 日本海軍は重巡4隻で1個戦隊を構想しており、その差はそのまま戦隊の差になる。 「ま、仕方がないです。なるようになるでしょう」 「妙案はありませんか?」 「あるとすれば、相手がトン数で来た場合ですね」 嘉斗は手元の飲み物を飲みながら言う。 「基準排水量の場合、それが隻数に直結しません」 重巡洋艦と軽巡洋艦が主砲口径で分けるならば、軽巡として建造し、後に二〇センチ砲を搭載してしまえばいい。 奇抜な艦になるが、それを見越した軽巡を建造すればいいのだ。 (尤も、防御力は軽巡のそれになりますが・・・・) 「天龍型軽巡洋艦を外国に売却すれば、近代的な軽巡洋艦を2隻程度は建造できるはずです」 天龍型の後継艦である5,500トン軽巡は改装などでまだまだ使えるはずだ。 「これらの意見書は東郷元帥宛に作っておきます」 "軍神"・東郷平八郎の名で批准を迫れば、加藤は反対できない。 問題は、伏見宮だ。 (こちらはなんとしてでも抑えます) 「とにもかくにも、戦艦の新造を認めさせただけで、軍令部は多少のことに目をつむると思います。・・・・いいえ、つむらせます」 「よろしくお願いします」 日本は世界恐慌の打撃を最小限にしたとは言え、打撃受けたことには変わりない。 軍艦の維持はただただ金を食うが、軍艦の建造は民需を生み出す。 追加建造ではなく、外国への売却や、廃艦にしてスクラップを売り出せば、また需要も生まれる。 5年の間にこうした物資を循環させるだけであり、軍艦建造は日本にとっていい事業なはずだ。 一番辛いのは、「海軍休日」が延長されることである。 「では、海軍はお任せします」 若槻が笑い、斎藤が頭を下げた。 「さて、消化試合と行きますか」 若槻の言った通り、残りの案件は大したもめ事もなく、決する。 いや、実際に言えば、潜水艦で揉めに揉めたのだが、日本は沈黙を続けたのであった。 結局、4月22日、日米英の参加国が軍縮条約を締結することで会議は終了する。 フランス、イタリアは限定的な参加にとどまった。 「これでよろしいですかな?」 「ええ、後はこちらの仕事です。若槻さんも海軍の若い者には気をつけてください」 「はっは、若い方が何を言いますか」 若槻は帽子を目深にかぶり直し、視線を隠した。 「あなたこそ、大変ですよ?」 「は?」 嘉斗は首を傾げながら車に乗り込んだ若槻を見遣る。 「ご結婚、おめでとうございます」 視線を上げた若槻は、若者をいじるのが心底楽しい老人の笑みを浮かべていた。 「はい?」 「―――やっと、見つけた」 「え?」 振り返れば、大きな鞄を持った侍女を従えた女性が仁王立ちしている。 その顔は、成長しているが、昔の面影を残していた。 「か、亀? どうしてここに?」 「その名前で呼ぶな!」 顔を赤くした亀はツカツカと歩み寄ると、嘉斗の襟首を掴んだ。 「え? え? え?」 「いや、若者は若者らしい顔をしているのが似合いますよ」 狼狽える嘉斗の表情に満足した若槻は何度も頷き、扉を閉める。 「えっと、若槻さん!?」 「どうひて帰ってこんの!?」 「えぇー!? 何の話ですか!?」 宮内省は嘉斗に連絡を取ろうとしていた。しかし、海軍情報局の習慣で無線封止だったため嘉斗に全く繋がらない。 困り果てた宮内省は迪斗の鶴の声で、1930年2月4日に以下の情報を発信した。 それは高松嘉斗と有栖川亀の婚姻発表である。 だがそれでも、放置された。 激怒した亀は富奈を従え、屋敷を脱走。 イギリスまで嘉斗を探しに来たのであった。 「一方的に連絡寄越すだけで! 本国からの連絡を無視とかどゆこと!?」 「す、すみません! ・・・・で、どういうことですか?」 「し、知らん! ・・・・はい、これ」 顔を赤くしてそっぽ向いた亀は、懐から手紙を取り出す。 「陛下から」 「兄上から?」 摂政から天皇になり、徐々に地を出し始めた兄からの手紙に嫌な予感がした嘉斗は、道に捨ててしまおうかと本気で考えた。 (そういうわけにはいきませんよね・・・・) 暗澹たる思いで読み始めた嘉斗は、その内容に目眩を生じさせた。 『親愛なる我が弟よ。 武隼公の遺志を継ぎ、皇軍強化を図る貴様には頭が下がる思いである。 さて、手紙を送ったのは他でもない。 これから皇室外交の続きとして、"夫婦"で欧米を回れ。 海軍は軍神と侍従長が何とかする。 以上』 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 グシャリと手紙を握り潰した。 「さ、行こ」 そっと嘉斗の腕を取った亀は、離れていた時間を取り戻さんばかりに引っ張る。 「慌てないでください、亀」 引っ張られた腕とは逆の手で亀の肩を掴んだ。 「なにやら、兄上にしてやられたような気がしますが・・・・」 周囲の護衛に目を配り、亀の耳元に口を寄せる。 「これから、一生、よろしくお願いします」 「・・・・・・・・・・・・バカ」 亀は頬を染め、嘉斗の腕に爪を立てた。 |