学習院と王族
学習院。 現在では私立学校である学習院は、元々は宮内省が管轄する官営学校だった。 故に皇族や貴族の教育を目的しており、多くの皇族が学ぶ。 公爵・徳川慶喜を祖父に持ち、宮家である有栖川家に連なる亀も当然、この学院に通った。 嘉斗も通ったが、途中で海軍兵学校に移ったために退学している。 女子学習院も開校され、有栖川亀が通ったのは、この学習院だった。 「―――亀!」 1929年、女子学習院高等科において、卒業式が行われていた。 東京は関東大震災の復興を成し遂げ、再びアジアの大国たる首都都市を形成している。だが、それは首都だけではない。 加藤友三郎が進めた本土軍港設備も整っていた。 現在、パラオ諸島、トラック諸島において軍港設備を建設している。 目的は海軍艦艇の長期滞在・修理と訓練だ。 日本海軍は海軍特別陸戦隊に基地施設隊を設立した。 これは海軍大学と陸軍大学が統合され、防衛大学となったことの、相乗効果が生んだ産物だ。 陸軍の野戦築城能力に目をつけた海軍士官が短期間で基地施設を建造することが島嶼において必要と主張。 これが中央に認められ、各鎮守府に1個中隊程度の専門部隊が創設された。 道具はアラスカ開発にて用いられた建設重機だ。 日本はこれらの重機において、ライセンス契約を結んでいたので、数を揃えることができた。そして、近年では陸軍との共同開発で独自の建設重機を開発するに至っている。 (ひろさまの努力やろね・・・・) 亀は舞い散る桜を細めた目から見上げた。 提案した青年士官は高松嘉斗に近しい人物である。 嘉斗が直接助言したわけではないが、彼の考えが周囲に浸透している証拠だろう。 (今、どこにいんのか・・・・) 亀は18才になった。 6才上の嘉斗は24歳だ。 立派な青年士官になっていることだろう。 「―――ってこら、待たんかい!」 さっきから聞こえていた声が物思いにふける彼女を追い抜き、正面に立ちはだかった。 「もう! さっきから『亀』って呼んでるでしょ!」 「はて、誰でっひゃろ?」 コクリと小首を傾げてみせる。 「ええい! 私の存在が分からんのか、自分の名前が分からんのかどっちや!?」 目の前の同級生だった少女は地団駄を踏んだ。 教員が見れば、彼女の卒業を取り消しそうな動作に、亀は迷わず教員を呼ぶことを決める。 「もし、ここに―――モガモガッ」 素早く取り押さえられた。 やはり武官には敵わない。 「もう、亀は相変わらずやなー」 女子学習院に通っていながらこの関西なまりが抜けない少女――八尾富奈は、亀の口を解放する。 「ぷはっ。・・・・おのれ、皇族の口を塞ぐとは・・・・」 「實枝子様からはあなたを止めるためにどんな破天荒なことをしても許す、って言われとるし」 「それ、馬鹿にされてる」 「おかげで『御池組』とか言われるようになったけどな」 『亀』と『フナ(富奈)』。 あまりに違うふたりに、周囲の良家子女たちが囁く蔑称だ。 だがしかし、ふたりはイジメとは無縁の学園生活を送った。 亀は有栖川の直系として、やや特別な教育を受けていたために他の生徒との繋がりは薄い。 富奈はその職業故に嫌煙されたからだ。 「で、亀は護衛をほっぽってどこに行こうと?」 護衛。 そう、彼女は先程言ったとおり、武官だ。 軍人ではなく、武官だ。 それが意味することは、皇族は軍とは違う武装組織を持ったと言うことだ。 侍従武官としての役割は近衛師団が創設されてからはそちらに移っていた。しかし、虎ノ門事件から任期がある近衛師団ではなく、専属の警備部隊が必要と皇太子(当時)が主張する。 宮内省はこれを受け、魔術師としての才能を持つ子女に英才教育を施した。 最初は武家から選ぼうとしたが、誇りだけでは務まらない故に、完全な実力制とした。 故に八尾富奈は大阪出身の平民だ。 「肩に明らかに武器と思しき物を抱えている人間とは歩けん故」 富奈の武術は大鎌術という特殊なものだ。 もちろん、素手でも下手な近衛に負けない。だが、大鎌を持てば、近衛の集団、つまり部隊とも戦えると言われる。 近衛師団はどうしても陸軍色が強く、集団戦に特化した部隊である。 このため、侍従武官に問われるのは、個人戦闘能力と素早い判断力。 皇族の武器となるのではなく、盾となるために編成されたのだ。 「悲しいわー。こんなに守る気満々なのに」 「日常生活が破壊される」 「あっはっは、そもそもあなたの日常生活が皇族のそれを破壊してるやん」 「何言う? 『わたひの』日常生活が破壊される」 嘉斗がいた時から彼に会うための脱走癖があったが、彼が忙しくて会えなくなってからもそれは継続されていた。 嘉斗の信条である「自分で見て、自分で判断する」を体現しているのだ。 女子学習院に通う御嬢様は誇りだけ高いが、それに実力を伴わせる努力を怠っていると思う。 教えられるだけでは、何も教わらないというのに。 「・・・・あんまり並ばないで」 亀の毒を何事もなく飲み込んだ富奈が隣に並ぶと、少し不機嫌になった。 それは皇族に平気でため口をきき、隣に並ぶ無礼さに怒ったのではない。 「ん?」 邪気のない、上から見下ろされる大きな瞳。 動くに邪魔なのか、短く切りそろえられた黒髪。 学習院の制服に包まれたすらりと高い、均整の取れた体型。 「ちっ」 小さく舌打ちし、自分の体を見下ろす。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 いつから成長が止まったのだろう。 (ひろさまは外国のおなごをいっぱい見ているのやろな・・・・) そう思い、儀式のためにただ長い髪を指先に巻きつける。 「嘉斗殿下のこと、考えてるやろ」 「―――っ!?」 一瞬で顔が赤くなった。 「ふふ、私は会ったことないからなー」 富奈は侍従武官の中でもなかなかに古株だ。 亀とは実に4年の付き合いになる、が、嘉斗と亀が最後にあったのは5年前なのだ。 「国内にいらっしゃるの?」 「知らん」 「手紙もないの?」 「時々、海外の土産が来る」 一体何をしているのか、全く分からない。 そもそも海軍軍人なのだから、軍人ではない亀に分かるわけがないのだが。 「ん?」 そう言って、富奈が一歩前に出た。 学習院の校門に、見慣れない自動車が止まっていたからだ。 あんなに堂々とした襲撃者はいないと思うし、守衛も傍にいるのだから、身分がしっかりした人なのだろう。 しかし、安心はできない。 現在、日本を取り巻く東アジアの情勢は不安定だった。 中国大陸で続く覇権争いに、不戦条約調印問題。 これらを好転させようという勢力が、亀をさらってもおかしくはない。 そろそろ、政財界や軍人たちも、嘉斗の動きに感づいていた。 尤も、山県閥が崩壊し、その維持に躍起になる田中義一、新興勢力の二葉会、木曜会がしのぎを削る陸軍だ。 皇族をどうにかしようと考える者は少ない。 さらに薩摩閥を半ば継承した形である上原勇作元帥率いる上原閥が目を光らせていた。 しかし、上原閥の中にも先の会に参加する者もおり、軍閥は新たな時代に突入している。 「って、あれは武隼時賢殿では?」 「え?」 ふたりの姿を認めた青年と壮年の間の男性が帽子を取り、一礼した。そして、こちらに向けて歩いてくる。 「お久しぶりですな、姫様」 「亀」と呼ばれることを気にしている亀に「姫」と言ったのは、確かに武隼時賢だった。 現武隼家の当主である尚賢の嫡子であり、陸軍の機甲科に属する軍人だ。 陸軍における嘉斗の最大の味方だった。 「時賢殿は、欧米に行かれていたのでは?」 「ええ、そして、帰って参りました。新しい戦車、航空機の最先端研究に触れられたのはよかったと思われます」 事実、彼は今後、日本戦車を切り開いていく人材となる。 「それで? ご用件は?」 味方と言える人物とは言え、あまり軍人と会っていたなどと言う噂を撒かれたくはない。 「これを、嘉斗様から預かってきました」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 先程話をしていた内容だけに、すぐ受け取るのははばかられた。しかし、すごく楽しそうな視線を隣から受け、しぶしぶと受け取る。 物は手紙のようだ。 嘉斗のサインもある。 「少々、込み入ったお話をいたしますので、車へどうぞ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「侍従武官殿、疑いたくなるのは結構ですが、嘉斗様のサインを騙って誘拐などすれば、一族郎党皆殺しですよ」 「・・・・ですね」 華族や生き残りの士族は何より体面を気にする。 信じていいだろう。 「さて、嘉斗様は今、アメリカにいらっしゃいます」 ふたりが車に乗り込むと、護衛も混ぜた自動車列が走り出した。 「もちろん、海軍関連の仕事です」 だが、嘉斗がしている仕事は海軍の中でも特殊な部類に位置するという。 「・・・・諜報、か?」 日本軍では日露戦争の折に明石大佐の活躍が有名だ。しかし、最近は海軍こそ力を入れていた。 軍艦の諸元でも分かった日には、それに対応した戦略を立てることができる。 逆に知られないようにしなければならない。 「ひろさまの立場ならば皇族という面でも動きやすい」 「そして、その護衛たちは本物の諜報員、やね」 富奈が口を挟んだ。 自分も似たような立場なので気になったのだろう。 尤も、彼女は諜報員と言うより防諜員である。 「でも、海軍の諜報機関ならば海軍情報のはず」 となれば、決裂した軍縮会議関連だろうか。 「いいえ、日本の行く末を左右する、としか聞いていません」 武隼の車は皇居へ向かっていた。 「ただ、この内容を生かすか殺すかは、あなた次第です」 「・・・・・・・・・・・・ひろさまは・・・・はぁ・・・・」 亀は重大なことを頼まれ、ため息をつく。 昔から、嘉斗は亀を信頼しすぎる嫌いがあった。 東郷平八郎との会談に連れて行くなど、様々な人物と接触させてきた。 だが、今回会う者たちはそれ以上だろう。 (でも、それがいい) 小さい頃から二人三脚で進んできた。 表舞台に立つのは嘉斗だ。 これから戦争があれば、嘉斗は軍人として戦場に行くだろう。 なら、自分の役割は何だ? (決まってんや) 軍人に守られつつ、軍人を操る重鎮を誘導する。 それが亀の役目だ。 1929年10月24日「暗黒の木曜日」と10月29日「悲劇の火曜日」という、アメリカ合衆国のウォール街で起きた、株価大暴落。 それに続く金融政策の失敗で、金本位制度を採る世界各国は大恐慌に見舞われ、世界大恐慌が始まった。 金を用意していなかった各国は、アメリカに引きずられる形で恐慌に発展し、1931年くらいに全世界に波及したのだ。 だが、日本だけはそう大きなダメージを受けなかった。 いや、もちろんダメージは受けた。だが、大暴落の数ヶ月前から、アメリカの金を買っており、金準備を行っていたのだ。 結果、多くの銀行が生き残り、続く金融政策においても堅実にこなすことで、逆に成長した。 また、濱口政権が成し遂げた金本位制度復帰だが、それも少々事情が異なった。 濱口は第一次世界大戦前の為替相場にする必要があると考えていたが、平価切り下げを行った。 公約とは違うが、結果的にプラスに働いたことで、濱口政権は臨機応変だと評価されるようになる。 一連の出来事に疑問を持った記者が、大手銀行の社長に問いかけたところ、彼はこう答えたという。 「有栖川のお言葉があった」 有栖川は言葉を司る。 故に多くの者が信じたし、事実になった今は、亀の言葉を聞こうと訪ねてくる者もいるほどになった。 故に亀は屋敷に閉じこもる。 その様を富奈は「名前通りやね」と言ったが、亀は意にも介しなかった。 「―――そうですか。とりあえず、賭には勝ちましたか」 大英帝国首都・ロンドン。 ここに高松嘉斗の姿があった。 翌年から行われるロンドン海軍軍縮会議の情報収集だ。 今回はワシントン会議の補助的な役割ながら、参加国は五大海軍国に限られる。 そんな限定的な条約をどうして大英帝国が提唱したのか。 (さすがはイギリス、なかなかに硬い・・・・) アメリカ合衆国は情報操作などが大の得意だが、情報の防衛に関してはまだまだだった。 なまじ大国故に、防諜が難しいのだ。 しかし、イギリスは違う。 ヨーロッパの古豪であり、狭い島国という環境は実に防諜に向いている。 また、アメリカと違い、嘉斗の存在を警戒していた。 しかし、情報収集は嘉斗の護衛が行うことであり、彼には別の目的がある。 「日本はなかなかの先見の明を持っているようですね」 流暢な英語で嘉斗に話しかけたのは、大英帝国の皇太子殿下だ。 「ええ、この国と同じですから」 「・・・・内政に口を・・・・・・・・・・・・出したのですか?」 イギリス王室は、「君臨すれども統治せず」という政体を18世紀から続けていた。 これに対し、日本は19世紀後半から、ある意味絶対王政である。しかし、明治天皇、大正天皇は臣下を信用し、議会に口出すことはほとんどなかった。 故に議会政治が発達したのだが、ひとたび、天皇が口を開けば、その方向に政治が流れることに違いはない。 「今回口にしたのは、兄上ではありませんよ?」 「・・・・では、誰が?」 「言葉を司る有栖川家の人間です」 「やはり【力】を―――」 「彼女の言葉なら、如何に根拠が曖昧でも、"言葉の力"を持ちます」 皇太子の言葉を遮り、嘉斗はにっこり笑った。 「・・・・・・・・・・・・末、恐ろしい」 「民の声は無視か」と続けた皇太子に、嘉斗はまじめな顔をする。 「とんでもない。民あっての日本です。故に、我々が動くのは彼らを未曾有の何かから守る時だけ。それに・・・・」 「忘れている世界が悪い」と日本にいた時の彼の主張とは違う言葉が出た。 あの時は世界を知らぬ若者だったと、嘉斗は思う。 幼き頃から皇太子として活躍していた兄とは違い、嘉斗は日本に閉じこもっていた。だが、ここ数年で海外に触れ、日本の長所と短所を理解するに至っている。 「魔女狩りがなかった日本には・・・・」 嘉斗の周囲に【力】が満ちた。 「・・・・ッ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 その濃度と密度に危機感を抱いた皇太子の近衛が動く。しかし、それを皇太子が手ですぐに制した。 「・・・・なに、我が国も残っている、というだけです。そして、絶大だった時の家も残っているだけ」 大英帝国の歴史は、11世紀の征服王までしか遡ることができない。 それ以前にも人は住んでいたが、今まで繋がる大英帝国の系譜ではない。 対して、日本は、「大日本帝国」という名称こそ、憲法制定からだが、天皇家が治める国家としてはもっと古い。 実在したことが確認されている最古の天皇は第二六代・継体天皇だ。 6世紀前半である。 尤も、まだ日本列島を統一したわけではないのだが。 因みに「日本」という文字が最初に使われたのは670年である。 「公称、2600年弱の王国、ですか・・・・」 「それに中国の近くにいたのも大きいですよ」 今は欧州に対して遅れてしまったが、中国は世界四大文明のひとつであり、国こそ変われども、「中華主義」は受け継がれてきた。 そんな中国も、独自のものを発展させている。だが、現在は相次ぐ動乱で失われていた。 「ま、何にせよ、大々的に使用するつもりはありません」 嘉斗は出されていた紅茶を口に含む。 「我が国としてもせっかく科学で落ち着きつつあるこの世界を動乱に持ち込むつもりはありませんから」 「信じてもよろしいのですか?」 ずっと黙っていたひとりの出席者が口を出した。 彼女は現オランダ王国女王の嫡女だ。 「当然。何のための王室外交ですか」 そう、これは王室外交だ。 現在、世界の主要な国家はおおよそ10国。 アメリカ合衆国、大英帝国、大日本帝国、ソビエト社会主義連邦、フランス共和国、ワイマール共和国(ドイツ)、イタリア王国、オランダ王国、中華民国、トルコ共和国だ。 他にスペイン、ポルトガル、南米諸国もあるが、今は世界に影響を及ぼすことはできない。 この主要国家の内、王国はイギリス、日本、イタリア、オランダだ。 「我が国としては、バチカンを刺激しないのであれば、何でもいい」 最後の出席者である青年はイタリア王国の王太子だ。 「しかし、皇太子殿下が来ずに、あなたが来られるとはね」 「はは、兄上は即位したばかりで、まだ男がいないので」 「あら、私たちオランダへの当てつけかしら?」 「これは失礼。姪もまだ五歳です。この会議には出られませんよ」 嘉斗は伝統と歴史だけは随一ながら、東の果てである日本出身というだけで、若干蔑まれることに苦笑した。 「関係ない話は・・・・いいだろう」 イギリス皇太子の言葉に、他の出席者は居住まいを正す。 斜陽とは言え、この中で最も国力があるのはイギリスだからだ。 「まず、国内における・・・・例の者たちの分布状況を、調査すること」 「異論はない」 「ええ、古い家で、大した苦労はありませんから」 イタリアとオランダが頷く。 「少々、時間がかかると思いますが、宮内省を中心に行わせています」 教会の影響が強かった欧州とは違う日本だけ答えが違った。 魔術が確かにある技術だと認められているが、科学を上回ることはない。 それが世界の共通認識だ。 だが、ここに集う人間はそれを覆すことができる数少ない人間だ。 「この【力】の使い方は制御しなければならない」 イギリス皇太子が指を鳴らす。 「ええ」 オランダ王女が唇に人差し指を走らせる。 「ふぅ」 イタリア王太子が拳を握り込んで、開く。 「世界のバランスを守るために、ですね」 嘉斗がパンッと手を鳴らす。 「二度と欧州大戦が起こらぬように」 イギリス皇太子が中央に人差し指を立てて手を突き出した。そして、それぞれが同調する。 「ここに四大王国協定を結ぶ」 イギリス皇太子の声と共に、指先に灯った"炎"を合わせ、一瞬燃え上がった。 |