別離
「―――山本総理」 1923年12月29日、時の内閣総理大臣・山本権兵衛は皇太子に呼び出されていた。 皇太子が襲われた、通称「虎ノ門事件」の責任を取り、山本が辞表を提出したからである。 すでに首謀者であった難波大助は捕縛されており、背後関係も表れていた。 また、社会主義者であった彼が皇太子を襲うなどという暴挙に出たせいで、社会主義勢力は日本国内で大打撃を受けている。 大事件には変わりないが、反共産主義で動く日本政府としては、実に都合がよかった。 迪斗もそう考えていた。 「私は貴様に止めてもらうつもりはないぞ」 「し、しかし・・・・」 「あれをどうやって未然に防ぐのだ?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 正論を言われ、山本は黙り込んだ。 確かに、計画性はほとんどなく、突発的だった。 周囲の警備は首相の責任ではない。 「何より、私に傷ひとつない。しかし、ここで貴様が止めれば、日本の傷は癒えることはないだろう」 関東大震災の復興。 それを官軍上げて進めさせるのが、山本の仕事だからだ。 「ここで辞任するなど、陛下に対する裏切りぞ?」 「・・・・くっ。・・・・殿下は私に生き恥をさらせと申されるか?」 「いかにも。そして、この国の礎となれ。・・・・かつての元老たちと同じく」 元老。 明治維新を成し遂げ、驚異的な速度で近代化を成し遂げた日本を支えた、軍事的、政治的にも有能であった者たち。 若い頃から日本の行く末を憂え、そして、行動した彼らは、今の時代を担う者たちからすれば、怪人だった。 だがしかし、それ故にまっとうな最期を迎えられた者は少ない。 現在、生きているのは松方正義と西園寺公望のみ。 「殿下は・・・・・・・・全く・・・・」 山本権兵衛は元老が作った日本を、二度の戦争を指揮して守り切った男である。 日清戦争の時は海軍大臣・西郷従道の副官として、日露戦争では海軍大臣として海軍の大戦略を担当した。 薩英戦争、戊辰戦争を経験した薩摩出身者であり、内閣総理大臣を経験している以上、これまでの流れでは元老に指名されてもおかしくはない。 「だがしかし、普通選挙法が確立する以上、政党を気にせよ」 「・・・・分かりました」 江戸時代と違って、民衆が力を持つ時代だ。 そんな時代を切り開いたひとりとして、山本は厳かに頷いた。 「しかし、陛下。あまり魔術を使われることのないよう・・・・」 「分かっておる」 迪斗はうっとうしそうに手を振った。 「侍従長にもさんざん言われたわ」 大日本帝国において、魔術を公然に伝えているのは数家のみ。だが、実際には名家と言われる家などには各々特徴的な魔術が相伝されている。 そして、日本一の名家は何か、と問われれば、多くの者が近衛、徳川、島津辺りを推すだろう。 だが、彼らは忘れている。 祭祀国家として誕生し、今もなお現存する国家の主のことを。 「公然の秘密だと思うがなー」 三種の神器をはじめ、多くの神宝を保有する世界最高峰の魔術一家。 それが大日本帝国の皇族だった。 高松嘉斗side 「―――高松嘉斗を海軍兵学校から卒業させ、少尉候補生に任官させる!」 1924年7月24日、嘉斗は海軍兵学校を卒業した。 これから、訓練航海に出かけ、少尉に任官して海軍軍人人生が始まることになる。 この報告のため、嘉斗は宮城を訪れることにした。 半年前に、兄である迪斗が結婚し、その祝いに参上した以来の宮城だ。 「僕もこれで、海軍軍人ですね・・・・」 3年前、武隼公の遺志を継ぎ、海軍に身を寄せた。 以来、大戦略的な仕事をこなしつつ、勉学に励んでいる。しかし、ここからは軍人としてのウェイトが大きくなるだろう。 (そして、これから議会政治・・・・) 加藤高明、高橋是清、若槻礼次郎、濱口雄幸といった政党を作った面々だ。 明治維新の立役者であった薩摩閥の勢いは軍部だけになり、その軍部ですら揮わなくなった今、彼らの協力は大戦略に不可欠である。 (だというのに、僕は軍に没頭する) 軍人が政治に少しでも関われるようになるには、佐官であることが必要だ。 「海軍には伏見宮がいらっしゃる」 伏見宮博恭王。 皇族初の海軍軍人であり、日清戦争では黄海海戦に参加、負傷する。 軍艦の艦長も務め、操舵の名手として難所の関門海峡を難なく越える。 潮気の分かる皇族だ。 それ故に海軍からの信頼は絶大であり、東郷平八郎に並ぶ発言権を持っている。 東郷平八郎は嘉斗の味方であり、海軍改革を好きにしろと言ってくれている。 そんな東郷の盟友である、現首相・山本権兵衛も同じだ。 ふたりは海軍を割る軍縮会議賛成派の条約派、八八艦隊を夢見る艦隊派の双方から距離を置いている。 だがしかし、伏見宮はどっぷりと艦隊派に浸かっていた。 現在は佐世保鎮守府司令長官として佐世保に赴任しているが、今回は自分のために帰ってきているらしい。 「嘉斗です」 「―――入れ」 扉の向こうから迪斗の声がした。 きっと、向こう側には父である今上天皇と兄弟4人の他に、伏見宮を含む皇族がいるだろう。 「・・・・ふぅ。・・・・失礼します!」 嘉斗は海軍で鍛えた肺活量で大声を出し、扉を開け放った。 「嘉斗、卒業おめでとう」 まず、声をかけてくれたのは、父だった。 優しい言葉が身に染み、自身を案じてくれていたと分かる。 関東大震災での被害を聞き、心を痛めていたところに来た、わずかばかりの慶事。 それが本当に嬉しいのだろう。 「嘉斗殿、海軍の後輩ができて嬉しく思いますぞ」 四世襲親王家の当主とはいえ、嘉斗は直系である。 伏見宮は嘉斗に対して公式な場所であるがゆえに敬語を使った。 「博恭王殿もお元気そうで。鎮守府は今は忙しいでしょう」 「はっは。なあに、戦に比べれば平和なものです」 佐世保鎮守府は対大陸の最前線である。 今は大陸に目立った艦隊はいないが、日清・日露の折は、主力艦が出撃した場所だ。 今でも軍港設備の充実や修理、海兵の訓練が盛んに行われている。 「それ故に、戦に備えねばなりませんが」 条約派が勝った、ワシントン軍縮会議は、嘉斗の妙案で艦隊派も納得していた。 政府が進めた主力艦建造ドックの増強は主力艦=戦艦の同時建造能力を後押しするものだったからだ。 「博恭王殿、『赤城』はいつ就役しますか?」 「来年だな。これで艦隊に航空機の傘ができる」 現在、航空母艦「鳳翔」は、海軍航空隊の訓練空母として使用されている。 同時に実験艦であり、実戦配備されているとは言いがたい。 「殿下は兵学校の折、他の学生と航空機について語り合ったことがある様子、さすがに空母は気になりますか?」 「ええ。戦艦とは別に、何かすごいことをやってくれそうな・・・・そんな可能性を感じます」 「ほぉ・・・・」 伏見宮の目が軍人の目になった。 「たとえば、航空機があれば、日露戦争の折に旅順閉塞戦を行わずとも要塞を攻撃できました」 「はっは。まだまだ。こちらに航空機があるというならば、向こうにもある」 「まだまだ若いな」と続けた伏見宮に嘉斗は素早く反論する。 「常に新しいものを追い続けていれば、相手に現れるよりも先んじて手に入れ、攻撃に使えますよ」 「・・・・むぅ」 技術革新は海戦の結果を左右する。 その事実は分かっていた。 それを真っ正面から若輩者に指摘されたことに、伏見宮の顔が赤くなる。しかし、ここで怒鳴り散らすほど、伏見宮の心は狭くない。 「これは一本採られましたな。さすがは武隼公の遺訓を守っているだけのことはある」 現在、海軍の軍令は陸軍の組織内だ。 それを独立させようとする伏見宮からすれば、陸軍と仲がいい嘉斗はある意味うらやましい。 独立してしまえば、陸軍の情報が入ってこないのだから。 「伏見宮、嘉斗、ここは海軍ではないぞ」 「あ、申し訳ありません」 迪斗に注意され、伏見宮が頭を下げた。 「最近、こうも真っ正面から意見を言ってくる人間がおらず、退屈しておりましたから」 「海軍で重宝されているようで何より」 迪斗はそう言って、海軍の話を終わらせる。 「さて、この機会に言っておこう」 周囲の皇族が居住まいを正した。 「タイ王国のポッククラオ殿下が訪日することが決まった」 ポッククラオ殿下とはタイ王国のラーマ6世の弟であり、現状では王位継承権第一位の人間だ。 「タイ王国は絶対王政の下、近代化に着手している。海軍が進める軍艦輸出の相手国でもあり、その視察にいらっしゃるようだ」 タイ王国。 アジアにおいて、日本、中国に続く独立国だ。 フランスとイギリスの緩衝地である故の独立であるが、ラーマ5世から近代化を開始しており、主にイギリスの貿易で栄えていた。 最近、少々、国庫を圧迫する軍事改革に着手しているが、基礎工業能力の低さのために芽が出ていない現状だ。 同様の道を辿ったことのある日本を手本にしようというのだろう。 日本としても、東南アジアに味方がいることは、シーレーンを守ることからしても心強い。 何より、日本が得意とする皇室外交が通じる国である。 民意であっさり翻るアメリカなどよりよっぽど信用できる。 「タイの仮想敵は仏印だ」 近代化を開始した理由が、領土をフランスとイギリスに蚕食されたからだ。 イギリスは友好関係である以上、放置。 となれば、領土回復を目指すならば、仏印しかない。 「タイと友好関係を築くならば、フランスとことを構える可能性もあるが?」 「・・・・発言しても?」 迪斗が頷くと、伏見宮が一歩前に出る。 「かつて、ロシア、ドイツ、フランスによって血を以て得た権利が剥奪されましたな」 「日清戦争後の、三国干渉か・・・・」 遼東半島の返却などを含む要求に日本は屈し、その悔しさをバネに日露戦争でその一角を破った。 「欧州大戦でドイツを破った。後は・・・・」 「フランスのみ」と、黄海海戦を戦った皇族一の武人が凄む。 その威圧に何人かが竦み上がった。 「英霊、か」 軍人は仲間の死には敏感だ。 最前線で戦っている以上、死は隣り合っている。 それ故に、生きている者はその無念を晴らす必要があると考えていた。 「英霊を馬鹿にするつもりはないが、英霊の為を思って戦を起こし、新たな英霊を量産しては本末転倒と考えるがな」 「・・・・・・・・・・・・・・・・皇太子殿下。その発言、生粋の軍部に言われることのないようお願い致します。お命を縮めますので」 伏見宮は虎ノ門事件で彼が助かったのは、ひとえに犯人が軍人ではなかったからだと考えていた。 軍を敵に回してしまえば、誰も生き残ることはできない。 「ふ、ならば忠臣の部隊でも編成するかの」 近衛師団は所詮、陸軍だ。 故に迪斗はかねてから身辺警護に特化した軍事組織の編成を視野に入れていた。 「・・・・その発言も、同じく、軍部に言うことのないよう。最近は若い者が暴走しやすい気があります故に」 そう言い、チラリと嘉斗を見る。 軍人ではない立場で軍に立ち入り、大事な政策を決めてきた嘉斗に対する皮肉である。 「何はともあれ、嘉斗よ」 苦虫を噛み潰したような表情で言う伏見宮を、カラカラと笑い飛ばした迪斗は嘉斗に向き直った。 「安心して、職務に励むといい」 『安心せい、嘉斗』と、迪斗から視線を受ける。 それに黙って、嘉斗は頭を下げた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっと」 数秒後、嘉斗は困った声を出す。 そのまま頭を上げようとしたら、完全にタイミングを失った。 「何のつもりですか、亀」 「いいこいいこ」 なでなでと末席にいた有栖川亀が嘉斗の頭を撫でたのだ。 軍人ふたりとそれに続く迪斗の話に戦々恐々していた他の皇族から進み出た亀は、全く空気を読まずに嘉斗の頭をなで続ける。 「がんばって」 和む仕草に、皇族の空気が弛緩した時、亀は嘉斗の耳元で囁いた。 「・・・・はい、がんばります」 この一時が後5年後の再会まで、ふたりに残った共通のエピソードだった。 嘉斗は青年海軍士官として、また迪斗の内意を受けた外交に従事する。 亀は学習院での英才教育が始まった。 だが、これは、先のシーンを見せつけられた皇族が、ふたりの婚姻を確信したからと言える。 両者の経歴に箔をつけ、公武一体という強烈なメッセージを植え付けるための仕込みだ。 物語は1929年まで飛ぶが、この間に、日本はいろいろあった。 まず、普通選挙法の設立により、議会政治が始まった。 いわゆる大正デモクラシーであり、震災復興と軍事公共事業の一通りの終了から、基礎工業能力向上をメインに置いた改革が始まる。 さらに天皇の崩御、皇太子・迪斗の即位と続き、時代は次の年号となった。 隣国・中国では国民党・蒋介石による共産党攻撃が激化し、満州では張作霖が勢力を伸ばす。 田中義一政権の折に日本は張作霖に協力することが決まった。 だがしかし、張作霖は後に日本から離れ、欧米に与するようになったので、関東軍による張作霖爆殺事件が勃発。 このときの禍根が後の満州事変へと繋がる。 陸軍が迷走する中、海軍はワシントン軍縮条約の下、着々と戦力を整え出した。 重巡洋艦「青葉」、「衣笠」の就役と妙高型重巡洋艦4隻の建造。 5,500トン軽巡洋艦が次々と就役する。 航空母艦「赤城」、「加賀」が就役し、日本海軍航空隊の基礎が築かれる。 そんな海軍で、嘉斗は赤痢にかかりつつも気合いで完治、訓練航海へと旅立った。 |