関東大震災と虎ノ門事件


 

「―――さて、儂が首相となったからには・・・・軍縮を断固として行う」

 1922年6月12日、加藤友三郎が首相になった時、こう宣言した。
 その言葉通り、海軍は主力艦14隻を中心に軍縮し、陸軍も木梨軍縮を行う。
 浮いた予算を軍の近代化及び国債返却に回す。
 特に文民出身である先代首相ではなかなかできなかったシベリア出兵の終了を現実化させた。
 加藤の死までの1年ちょっとだが、日本軍政的にもたらした変革は大きい。
 さらに加藤は軍縮会議の隙間を衝き、大胆な海軍政策を断行した。




「―――はー、ドイツの潜水艦は素晴らしい」

 末次信正海軍少将は軍令部作戦部長として、ドイツから届いた第一次世界大戦で使用された潜水艦を眺めていた。
 ワシントン海軍軍縮会議で数的不利に陥った日本軍はいくつかの方針転換を行う。
 そのひとつとして、潜水艦と航空機の研究重視だった。
 そのパートナーに選ばれたのが、ドイツである。
 欧州大戦にて潜水艦を駆使して連合国軍を震撼させたドイツだ。
 実際、日本海軍も軍艦や輸送艦が何隻も撃沈させられていた。
 日本はワイマール条約によって確保したドイツの賠償金分の利益を、技術革新に協力することで妥結している。
 このため、多くの技術者が日本入りし、その優れた技術を伝授していた。
 ドイツも軍事研究を日本とともにすることで、本国でできないそれを代用している。
 また、海軍はイタリア、タイ、オランダとも協力体制を結んでいた。


 イタリア、タイは主に軽巡洋艦開発である。
 イタリアは狭い地中海を主に考えているため、居住性を犠牲し、攻撃力を重視した巡洋艦を建造する日本と思想が似ているのだ。
 また、駆逐艦を指揮する嚮導巡洋艦を求めており、日本と共同研究の結果生まれたのが、軽巡洋艦「夕張」である。
 日本では夕張型巡洋艦は実験艦だったが、イタリアはこれを2隻就役させる。
 1隻は日本で、もう1隻はイタリアで建造し、以後のアルベルト・ディ・ジュッサーノ級軽巡洋艦へと発展していった。


 タイもこの夕張型軽巡洋艦を2隻購入。
 両岸の守備を目的とする艦隊の旗艦とする。
 そのほか、駆逐艦も日本に建造を依頼し、絶対王政の下、海軍力の増強を続けた。


 オランダは欧州大戦で大打撃を被っていたが、アジアの植民地――蘭印を確保していた。しかし、本国からの救援は間に合わないということから、植民地海軍の整備を進める。
 仮想敵は日本海軍だったが、名目上はフランス植民地艦隊だった。
 イギリスに依頼する手もあったが、当初からアジアでの使用を考えていたため、バタビア軍港の拡張及び日本に依頼して艦船を配備する。


 このほか、トルコ、南米諸国を中心に艦船の受注を受け、莫大な外貨を稼いだ。
 海軍省は技術漏洩と文句を言ったが、向こう10年は戦争がないことが予想できた首脳部は今のうちに金を稼ぎ、かつ日本海軍用に艦船が建造できない間の造船業維持を目的とする。
 その稼いだ外貨にて日本海軍は新たな根拠地及び造船所の整備を行った。






「―――これが三景、松島、ですか・・・・」

 1923年9月1日。
 高松嘉斗は有栖川亀を伴い、宮城県宮城郡塩竈町に赴く途中に松島に寄っていた。
 現在、塩竃は海軍政策によって変貌を遂げようとしていた。
 戦艦ないし空母建造用ドック×1
 巡洋艦建造用ドック×1
 駆逐艦建造用ドック×2
 そのほか、多数の海軍造船施設が建造されている。
 関連施設として松島飛行場も建設途中だった。

(アメリカを意識した以上、まずは同時建艦能力を高めなければ、ね)

 これまで主要大型建造ドックは横須賀、神戸、呉、長崎だった。
 舞鶴は駆逐艦建造用である。
 戦艦建造が中止され、旧式戦艦の改造を行わなければならないこともあり、数が必要だった。また、以前は戦艦のみであったため、十分だったが、空母を必要とするため、一気に数を増やしにかかったのだ。
 これは経済効果を狙って東北地方に集中した。
 軍港は択捉島単冠湾に駐屯目的で増強されている。

「この工事のおかげで、かなりのお金が東北の貧しい家に入っているそうですよ」

 戊辰戦争の影響か、日本は東北地方の開発が遅れていた。
 何せ列強の仲間入りを果たしたというのに、未だ娘の身売りが行われていたからだ。

「宮城県は一気に軍の県になりますね」

 陸軍の精鋭中の精鋭・「夜戦師団」こと第二師団。
 呉、佐世保に次ぐ造船施設群、海軍航空隊の練習部隊の松島飛行場。

「元々、伊達様の下で軍事大国」

 亀が言う。
 亀からすれば、自分の祖先とともに維新軍と戦った盟友が、伊達氏だった。

「この海軍刷新計画が完成すれば、加藤首相も浮かばれますかね・・・・」

 数日前、急逝した加藤友三郎首相が推進した海軍増強及び公共事業。
 欧州大戦後の不況対策として行われた外貨獲得と公共事業による民間への還元。
 これがはまれば、日本の経済力は向上し、それに支えられる形で日本海軍も底上げされる。
 八八艦隊を推進した人物だからこそ抱いた、もうひとつの夢。
 八八艦隊が国家を破綻させるならば、それに耐えうる国家を作ればいい。

「大丈夫」

 造船所拡張は、横須賀、呉、長崎の海軍工廠でも行われている。
 このため、日本海軍は戦艦ないし空母を従来の4隻同時建艦から、倍の8隻になる予定だった。
 また、重巡洋艦建造用のドックも民間企業に出資する形で建造されている。
 もっともこれは軍需指定されておらず、しばらくは大型輸送艦を建造する計画だった。

(日本は補給の概念を軽視している)

 高速、大型の高性能輸送艦を多数抱えることは、今後の日本にとって絶対に必要なことだ。
 聞けば、瀬戸内の島々にも小規模な造船所が建設されているらしい。
 彼らは島ごとにパーツを作り、後にドッキングするという画期的な建造方法を実験的に試す目的もあった。

「―――っと」

 ぐらりと船が揺れ、バランスを崩した亀を支える。
 遊覧する船が急に舵を仙台に向けたのだ。

「―――殿下」

 それに合わせ、近衛が硬い声で、嘉斗を呼ぶ。

「なんぞ、あったんけ?」

 未だに嘉斗の腕の中にいた亀が応えた。

「か、関東で大地震。げ、現在、しょ、詳細を確認中ぅ」

 報告する声がどんどん震えていく。

「た、ただし、帝国・・・・史上最悪の、被害は間違いありません」
「―――第二報、来ました」

 とりあえず、第一報を持ってきた近衛の後ろから落ち着いた声が聞こえた。
 さすがに顔を蒼褪めさせているが、嘉斗の護衛部隊の班長だ。

「磯崎中佐、陛下や皇太子殿下は無事ですか?」
「・・・・分かりません。しかし、万が一の場合も、御覚悟ください」
「嫌です。兄が地震如きに負けるとは思えませんから」

 そう言いつつも、嘉斗はまるですがりつくように亀を抱きしめる力を強めた。




 大正関東地震。
 1923年9月1日午前11時58分44秒。
 相模湾に震源を持つ、M7.9の地震だ。
 被災を受けた都道府県は9県に及び、死者行方不明者14万5,000人と、史上最悪の被害をもたらした。
 内閣不在に起きたことにおいて、初動に失敗。
 流言がはびこり、多数の朝鮮人が虐殺されるなど、その混乱は何日も続く。
 組閣された山本内閣は軍に対し、物資の供給を命じた。
 これに呼応した陸軍は物資を集め、海軍は軍艦を出す。
 政治的な初動に失敗したが、軍の動きは素早く、治安維持という面においては、1週間で収拾させた。
 経済的な打撃は結果的には軽微となったが、軍の改革は後回しになる。
 さらに航空母艦に改装中であった「天城」が、竜骨を破壊されたために廃艦となったのだ。
 約4週間後、山本権兵衛を首相とし、後藤新平を内務大臣とする政府は帝都復興計画を立て始めた。
 後藤が掲げた焦土国有化に大反対した神田駿河台の住民を説得し、予算はともかく、都市計画はスタートされる。
 この計画は現在の東京を形作ったものであり、優れたものであった。しかし、それを実行する予算が欠けていた。
 このため、日本政府はその資金を稼ぐためにアメリカに目をつける。
 それがアラスカ開発だった。
 アラスカではゴールドラッシュが始まっていたが、政府の支援が遅れている。
 このため、日本は資金を貰い、開発を肩代わりする案をアメリカに提案した。
 アメリカは労働力を日本から買い取り、公共事業をなすことに興味を示す。
 また、日本が求めることが復興予算であるため、民の想いも反映することからクーリッジはその提案を受けた。
 政府は震災の影響で生じた大量の失業者をアラスカに送る。
 護衛は海軍が担当し、3年がかりで約3万人もの日本人(中には朝鮮人も含む)が渡り、アンカレッジ市などの基礎を作り上げた。
 この計画のため後藤が求めた30億(当時)には届かないものの、20億の予算を組むことができる。
 また、この時に生じた欧米の孤児を嘉斗が指示し、皇族主導の孤児院を設立した。
 これが後の戦争で意外な効果を発揮するが、それは別の話である。




「―――兄上、ご無事でよかったです」

 12月27日、摂政であり皇太子である迪斗は第48回通常議会に出席するため、侍従長・入江為守を伴って自動車で出発した。
 その車の中に嘉斗もいたのである。

「ふん、聞いたぞ。皇位に着く覚悟を求められた時、我の無事を確信していたために断ったと」
「当然です。兄上があれくらいで死ぬわけがありません」
「まあ、実際に火の手が上がった時はどうなるかと思ったがな。事実、皇族の何人かは亡くなっている」
「・・・・ええ、それは残念です」

 皇族も3名が亡くなった。

「ん?」

 迪斗が急に窓の外を見遣る。

「ここは虎ノ門ですが、何か?」

 入江が迪斗の声に反応したが、迪斗は集まった群衆の方をじっと見ていた。
 そんな時、群衆の中からひとりの男が歩み出る。
 その手には、若いというのにステッキが握られていた。

「・・・・ッ!?」

 すーっとステッキの切っ先が持ち上がり、その切っ先が車の後部座席に向けられる。
 何となく皇族兄弟は、その切っ先を眺めた。

―――バンッ

 ステッキのくせに開いていた穴が光る。

「うぐっ」

 穴から吐き出された"弾丸"は、車両の窓ガラスを砕いた。そして、侍従長を傷つけた。

「皇太子殿下が撃たれた!?」
「あいつだ! あいつが犯人だ!」
「捕まえろ!」

 周囲の群衆が気付き、殺到する。

「くっ」

 男はさらに次弾を撃つために力を込めた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 迪斗は冷静に、男を見遣る。
 そこに回避しようという動きはなかった。
 彼を守るはずの侍従長は先程の銃撃で負傷している。

「兄――」

―――バンッ

 二発目が放たれた。
 一度破られた窓ガラスを散弾銃の弾丸が―――貫通しなかった。

「取り押さえろ!」
「ぅわああああ!? 離せぇぇ!!!!」

 男は飛びかかった群衆に埋もれ、すぐに逮捕しようと警官たちが飛びかかる。
 そんな混乱の中、迪斗は冷静に窓の外を見ていた。

「入江」
「う、く・・・・は、はい・・・・」
「無事か?」

 脅威は去ったと判断したのか、迪斗が前方座席に座った侍従長に声をかける。

「は、はい。なんとか」
「では、まずは病院だ」
「あ、兄上」

 迪斗が何気なく使った"もの"に驚愕した。

「それを軽々しく使うのは・・・・」
「何、ここで倒れるわけにはいかない。・・・・それに」

 迪斗は嘉斗のみ聞き取れる声で言う。

「余裕のない我が国が、唯一米国に勝る点ではないか」

 さらに付け足した。

「貴様も、有栖川を継ぐなら忘れるな」




 魔術。
 日本では神術、霊術など様々に呼称されてきたが、英語圏では統一して「Magic」である。
 このため、脱亜入欧を目指した明治維新によって、「魔術」と統一呼称となった。
 魔術とはマナを使用して事象を起こす技術だ。
 有史以前から使われ、欧州では禁術として教会に迫害された。
 宗教戦争では、兵力に劣る新教側が積極的に使用するが、勝利後に邪魔者となって多くが魔女裁判で姿を消した。
 それでも世界には魔術は存在し、歴史にも幾人かの魔術師が記載されている。
 科学の世界のちょっとした不思議。
 それが今の魔術である。









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