兵学校と航空母艦
海軍兵学校。 広島県江田島に位置し、数多の海軍軍人を送り出した、聖域だ。 ただ、俗世と確実された環境は優秀な人間を生み出したが、その一方で俗世に興味を持たない人間を育ててしまった。 海軍の内政不干渉という暗黙の了解も手伝って、忠実では陸軍の暴走を許してしまう。 広く海外の情勢を理解する必要があった海軍にとって、本当は横須賀に作る方がよかっただろう。 だがしかし、太平洋を主戦場とするならば、長い航海に耐えられるだけの精神を鍛える必要があった。 故に、江田島でもよかったのだ。 世界情勢さえ分かれば。 「―――お、宮様。おけぇり」 1922年5月14日、広島県江田島。 ここに高松嘉斗は到着した。 「ただいま、美津雄。・・・・実は?」 「別に俺たち、いつも一緒にいるわけやないんやが・・・・」 出迎えたのは同期である淵田美津雄、実とは同じく同期である源田実だ。 「で、どうだった。イギリスの皇太子殿下は?」 嘉斗が兵学校を離れ、東京に出向いていたのは、イギリスの皇太子であるエドワード殿下が来日していたからだった。 「噂通りの人ですね。すごいエネルギーを感じました」 日英同盟は破棄されたが、日本とイギリスは皇室レベルでの外交は続いている。 世界最強の帝国と、世界最古の王朝。 それがイギリスと日本の関係だった。 「はは、それはこちらの皇太子も負けてねえだろ」 「ええ、ふたりが始終笑顔で会談しているのに、背後に効果音が見えた時は、僕の目がおかしくなったのかと思いました」 「・・・・目の前に、脳の方を―――アテ!?」 突然、足を踏まれた淵田が悲鳴を上げる。 「あ、くっそ。さらりと流しておこうと思ったけど、やっぱ無理やわ」 「無理、ですか・・・・」 「そうそう、その俺の足を踏んでまたお前の後ろに隠れた嬢ちゃんは誰や?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「彼女は有栖川・・・・亀」 「亀ぇ!? って、うぉ!?」 名を呼ばれた瞬間、着物を着た彼女は地面の石を掴んで淵田に投擲していた。 それを避けるあたり、彼は陸軍でもやっていけそうだ。 「そんな名前を持っていて、お前と一緒にいるってことは・・・・武家、華族か・・・・」 「あれ? 有栖川の名字を知りませんか?」 彼が言った内容は間違っていない。 確かに彼女の祖父は最後の将軍・徳川慶喜だ。 だが、華族ではない。 「有栖川家は言葉を司る宮家。つまり、皇族ですよ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えー」 淵田とて、有栖川の名前は知っていた。 先代は明治天皇を補佐し、今上天皇の教育係である。そして、その死と共に滅亡するはずだった。 それを今上天皇が功績を讃え、目の前にいる高松遙斗に有栖川の名跡を継がせることにしたのだ。 現在は先代妃が名跡を保っているが、彼女が亡くなれば、有栖川家は高松家になる。 いや、正確に言えば、戻る。 「もしかして、お前の許嫁か?」 「・・・・正式に決まっているわけではないですが、そうなることに変わりはありません」 嘉斗が彼女と引き合わされたのは、高松の姓を名乗ることが決まった時だった。 当時、嘉斗は8才。 亀は2才だった。 ふたりとも結婚の概念も知らぬうちに出会い、そうなるものとして育てられている。 だから、嘉斗には"亀以外が妻になる"ことなど考えたこともなかった。 兄が妹を妹と自然と見るように、嘉斗は亀を妻として見ている。 未だ結婚していないのは、ふたりともその年に達していないからだ。 「―――帰ったか、宮様」 放心した淵田の向こうから声がした。 共に足音が近づいてくる。 「千坂中将・・・・校長がお待ちだぞ」 「実、ただいま」 「おう、お帰り。女連れとは、いささか驚いたが」 実――源田実は固まっていた淵田の頭を叩き、再起動させた。 「それより、貴様と共に校長への大使が来ているはずだが?」 キョロキョロと周囲を見回す。 「むっ」 亀が唇を噛み、小さな体躯を駆使して源田を蹴るために動き出した。しかし、後に名パイロットとして名を馳せる源田だ。 視界の端に写った亀に反応し、そっと回避した。 「わきゅっ!?」 すねを蹴り上げるために思い切り足を振り上げた彼女は、その勢いのまま転倒する。 「ああ、もう」 嘉斗がため息をつき、彼女を抱き起こした。 「うう~」 その腕に抱きつき、涙目で源田を睨む。 「貴様、謝っておけ」 「・・・・なんだか分からんが、すまん」 頭の後ろをかきつつ、淵田に言われた彼は頭を下げた。 「というか、どうして俺が攻撃されたのだ?」 「このお嬢さんが大使だからだよ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」 ピタリと思考停止した源田にため息をつく。 「話が進みません。あなたは早く校長の下に。場所は分かりますね」 「分かる」 着物のたもとに手を入れ、次にそれを出した時、一枚の紙が人差し指と中指に挟まれていた。 「いってきます」 ペコッと一礼した彼女は校長室向けて駆け出す。 欧州大戦が終わり、シベリア出兵も一段落しそうな今日この日、日本は平和だった。 「それで、イギリスの皇太子殿から海軍の話は聞けたのか?」 3人は兵学校の学食で食事をしていた。 そんな中、質問をしたのは源田だった。 「少しだけ、ですね。皇族が海軍にいることはいいことだと言っていましたよ」 「何故だ?」 「いざとなれば、御上に奏上できるから、でしょうね」 「高官いらねーな、それ」 淵田の何気ない一言に、嘉斗は力なく笑う。 「仕方がないですよ、こればかりは」 普通の名家とは違う。 皇家なのだ。 「でも、兵学校のみんなは気にせず接してくれるので、ずいぶん助かっていますよ」 「当然だ。兵学校に家柄はない。みんな俺貴様の関係だからな」 源田はそう言うと、海軍名物、カレーを口に入れた。 「―――お、宮様が帰っていたのか」 背後からかけられた声に振り向く。 すると、3人と同じくカレーを持った上級生がいた。 「小園さん・・・・」 小園保名は3人の一期上の先輩だ。 「ちょうどよかった。貴様、今度、航空母艦の就役式に赴くらしいな」 航空母艦。 航空機の発達を受け、各国の海軍は航行中の艦船から航空機を発着させようと努力していた。 その艦船こそが、航空母艦である。 アメリカ合衆国は軽巡洋艦「バーミンガム」に仮設した滑走台から陸上機の発艦に成功した。そして、続いて装甲巡洋艦「ペンシルベニア」から離着艦に成功する。 以後、第一次世界大戦ではアメリカとイギリスが改装空母を就役させた。 戦後、日本とイギリスが本格的な航空母艦の建造を開始した。 世界で初めて、空母として起工されたのがイギリスの「ハーミズ」。しかし、世界で初めて就役したのは日本の「鳳翔」だった。 「軍の高官がどう考えているかは知らんが、今後、航空機は化ける。先の見えた戦艦とは違う」 「先輩、あまり声高に言わない方がいいですよ」 と、たしなめつつも嘉斗も同意見だった。 戦艦は所詮、より早くより大きい砲弾を敵に撃ち込んだ方の勝ちだ。 故に長砲身、高速力、大威力の大口径砲塔を持った方が強い。 故に新型戦艦「長門」、「陸奥」は四一センチ砲を搭載していた。 「これから戦艦は重装甲、大口径を競い合うしかない」 だが、航空機は違う。 その使い方は多彩であって、まだ先が見えない。 考えようによっては戦艦を撃沈することも可能かもしれない。 「よく見て、よく考えることだな」 「それが久賢公の望んだことだろ」と言外に言い、小園は仲間と共に別の机へと移動した。 「―――ほぇー、本当に平たいですね」 1922年12月27日、横須賀工廠。 嘉斗は今日、就役する世界初の航空母艦を眺めていた。 皇族代表、というわけではないが、海軍皇族の先輩である伏見宮博恭王海軍大将に頼んで見に来たのだ。 「ですが、小さい」 (実験台だから仕方がないですが・・・・) 「今後、航空機は大型化すると思うんですが・・・・」 「―――ほぉ、その意見は非常に興味をそそらせますな」 嘉斗の独り言に反応する者がいた。 「これは・・・・少将・・・・」 振り返ると、そこには海軍少将が立っている。しかし、知らない顔だったために名前を呼ぶことができなかった。 「お初にお目にかかります、嘉斗殿下」 本来、兵学校の身分では来られない場所のため、海軍少将は皇族として嘉斗を扱う。 「山本英輔です。それとも"山本権兵衛の甥"と言った方がわかりやすいですかな?」 山本英輔。 彼の言ったとおり、山本権兵衛元海軍大将の甥だ。 彼は日本海軍初の航空屋とも言える人物であり、後に初代航空本部長に就任する。 「失礼しました、山本少将」 「いえいえ。・・・・それで、先程航空機が大型化すると言ってらっしゃいましたが?」 鋭い視線を向けられ、嘉斗は思わず曲がっていない背筋を伸ばした。 「はい。航空機が現在の大きさなのは、重量を支えるだけの高出力のエンジン開発がネックになっているからです」 航空機が空を飛ぶためには機体設計なども必要だが、先立つ出力がなければ墜落してしまう。 それが限られているため、機体重量も限られる。 故に機体の大きさも制限されるのだ。 「今後、エンジンは高性能になります」 そうなれば次に求められるのは武装、航続距離だ。 「より大きな口径の機銃、装弾数。より広範囲の索敵能力を有するための航続距離」 これを必要とするならば、スペースがいる。 故に大型化する。 「艦載機が大型化すれば、空母が小さいと搭載機数が減少します」 故に、航空母艦は大型化する。 「『赤城』、『天城』が就役しなければ、本当の戦力にはならないのではないでしょうか?」 「・・・・素晴らしい。その通りです」 山本は軍帽を脱ぎ、それを脇に抱えて拍手した。 「『鳳翔』の役割は空母運用方法の確立、艦載機の研究です」 「なら、搭乗員は大量生産を念頭に置いた方がいいですよ?」 「・・・・何故です? 世は軍縮。ならば少数精鋭である必要がありますが?」 ワシントン海軍軍縮会議の結果、当時の軍人の多くが予備役に回された。 予算削減に最も効果的なのは軍人を減らすことだからだ。 「航空機は砲弾と一緒ですよ。たくさん敵に向かわせ、その一部が命中する」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 人命軽視とも取れる発言に、山本は沈黙した。 「ですが、航空機は打ちっ放しの砲弾とは違い、帰ってこられます」 「ですから、少数精鋭を―――」 「消耗戦になれば、すぐにその少数はすり減りますよ」 嘉斗は山本の言葉を遮り、自分の考えを言う。 「技術革新を進行し、できうる限り搭乗員を守る。かつ搭乗員の数を多く確保すること」 「これが絶対に必要です」と嘉斗は独自理論を山本に告げた。 人命重視と長期戦力維持。 これが、後に山本が航空本部長に着いた時の基本方針になるとは、嘉斗も思わなかった。 「―――うーむ・・・・」 時は遡り、再び嘉斗が江田島に帰還した日。 海軍兵学校校長・千坂智次郎は渡された手紙を一読し、唸りを上げた。 「海軍大学校と陸軍大学校を統合する案について・・・・」 大学校とは、将校になるために通過する軍学校だ。 「これからの戦争、陸軍、海軍などという枠に囚われていては思わぬ敗北を喫することになる、か・・・・」 どこの国の軍にも言えるが、陸軍と海軍は仲が悪い。 主に予算の取り合いのことを言うが、戦略的不一致を得ることが多いことも理由だ。 だが、同じ教育を受けていれば、立場が違うとしても共感する部分は多くなる。 故に将来有望な指揮官クラスにその精神を植え付けようというのだろう。 「確かに陸軍が海軍の知識を持っていれば、無理な作戦を頼んでこないだろう」 「海軍にも言えるが」という言葉を飲み込んだ。 海軍は日露戦争の折、ロシア第一太平洋艦隊の捕捉、壊滅に失敗し、陸軍に旅順攻略を頼んだことがある。 結果、乃木希典大将率いる第三軍は大損害を出して旅順を攻略した。 陸軍としてはその間、ロシア軍の増強に怯え続ける。 日本陸海軍の足並みが揃っていなかったから起こった事態だった。 (島国である日本にとって、海軍がいなければ戦争に勝てない) だが、陸軍がいなければ都市を占領できないのだ。 海軍特別陸戦隊を増強する手段はあるが、国力が限られている以上、下策と言えるだろう。 「有栖川殿、何故これをあなたが持ってこられた?」 意見書はもっともだが、それを持ってきたのが海軍軍人でない点が気になった。 彼女は皇族だが、天皇の意見書など自分に持ってこられても困る。 「それは意見書じゃない。原案」 「原案?」 原案と言うことは、海軍上層部はこの案の方向で陸軍と話を進めていることになる。 「そんなこと、私は知らされて・・・・・・・・・・・・今、知らされたのか・・・・」 現在、千坂が預かる学生は、おそらく統合された大学に通うことになるだろう。 だから、それを見越した教育をしなければならない。 「って、そういうことではなく、何故あなたが?」 「頼まれたから」 「いや、それは分かりますが・・・・いったい誰に?」 「白ひげのおじいちゃん。ひろさまと仲がいいの。名前は最後に書いてる」 「最後・・・・?」 原案の末文には現在の海相の名前が書いてある。 「あ・・・・」 さらにその後に、ひとりの人物の名が殴り書きされていた。 「東郷、元帥・・・・」 |