「それぞれの夫婦物語」/五
「―――前方に椋梨勢約一五〇〇!」 鵬雲四年九月一日、錦川西岸に出た虎熊軍団は東岸に翻る旗を確認した。 それは関所山城の防衛だろう。 岩国城を攻めるには是が非でも落とさなければならない城だ。 「しかし、一五〇〇とは驚いた」 北方から迂回していたはずの別働隊は、ほとんど敵を減らすことができずに敗北したのだ。 「砕くぜ?」 虎嶼家嫡子にそう問いかけたのは、彼の子飼いの部将だ。 名は小瀬左馬之助晴興。 名門の家の出ではないが、晴胤の側近としてここ数年で名を上げた武将である。 晴胤直卒軍の先鋒を務めるのが常で、先日の城攻めも先陣を務めた。 今も八〇〇〇のうち、一〇〇〇を任され、最前線に陣を構えている。 また、彼には優秀な副将がいるため、行軍時は晴胤の傍にいるのが常だったりする。 「気を付けろ、奴は戦上手だぞ」 「分かっている」 普段は兵たちと馬鹿をやり、副将に怒られている彼だが、戦に対して油断はしない。 (奴なら負けはしないだろう) 椋梨勢は半途撃つ構えのようだ。 どこかの差し金か多数の鉄砲を持つ彼らの迎撃戦は厄介である。 「だが分からん」 (何故、ここで戦をするのか) 敵の目的は分かる。 錦川下流を渡したくないのだ。 (だが、それは何故・・・・・・・・・・・・ん?) 思考に沈んだ晴胤の視線がとあるものを捉えた。 「あれは・・・・」 海へと進む、五〇〇を超えるだろう隊列だ。 よく目を凝らしてみれば女子供などの足弱を、兵たちが護衛しているようだ。そして、その旗印は青い。 「<紺地に黄の纏龍>・・・・ッ」 旗印に当たりをつけた晴胤は、龍鷹軍団と椋梨勢の目的を看破した。 「奴らは脱出するつもりか!?」 「―――申し上げます!」 晴胤の叫びと共に新たな使番が片膝をつく。 「沖合に龍鷹海軍の艦隊が出現。大小さまざまながら五〇は下らぬとのこと!」 「やはりか!?」 三〇〇という少数で虎熊軍団を抑えられるはずがない。 ならば主だったものを脱出させに来たのだろう。 「徳山勢が進撃を開始! やや南下した位置にある渡河点を渡り、港湾部を押さえるとのこと!」 「ほう、動くか」 晴胤勢は本隊である四〇〇〇と徳山を拠点とする熊将の一手一〇〇〇で構成されている。 その一〇〇〇が龍鷹軍団阻止に動いたのだ。 「ならば、我々は敵本隊を撃破するとするか!」 すでに小瀬勢は気勢を上げ、錦川へと向かっている。 「因縁を断ち切れ!」 晴胤の言葉と共に、錦川に小瀬勢が突入した。 水しぶきを上げ、敵の照準を狂わせながらの突進だ。だが、その進軍は大量のシロヘビに襲われて止まった。 「霊装か!?」 先の合戦でも手を焼いた、椋梨宏元の霊装。 それに応じるように、龍鷹軍団からも矢の射程距離を大きく上回る距離から、大風に乗って矢が降り注いだ。 「はは! これは戦の様相が様変わりだ!」 晴胤は三叉槍を構え、叫びを上げる。 北九州や長門には三韓討伐に関係する住吉大社系神社が多い。 その【力】を内包する三叉槍・<海包>。 「若殿! そなたのそれは強力だが、反動も大きい。使いどころを弁えなされよ?」 「分かっておるわ」 幼少より傍にある老臣の忠臣に耳を傾け、快活に笑う。そして、その笑みの質をどう猛さに変えた。 「だが、ほんの挨拶をせずに、何が虎かの!」 三叉槍を天へ突き上げる。 『『『『『―――っ!?』』』』』』 同時に錦川の川面が揺れ出した。 「いってこぉい!」 急に硬度が増した水面を、一〇〇〇の兵が駆け抜ける。そして、動揺する龍鷹軍団にそのまま突撃した。 御武幸盛side 「―――無茶苦茶な!」 采配代わりに扇子を握った幸盛は叫びを上げた。 錦川を防波堤にして敵を押しとどめるはずだったのに、それが一瞬でお釈迦だ。 因みに敵軍の先鋒も同じく動揺していたので、鉄砲で撃破している。 「救出民の安全を最優先に!」 「合点! 行くぞ、テメェら!」 長井弥太郎が大身槍を振り上げて突撃する。 ひとりで重装歩兵もかくやという突撃に、敵勢は大きく崩れた。 「馬車を急がせて!」 駄馬数匹に曳かせた荷台が速度を増す。 「海軍と合流すれば安心です」 日向国宮崎を本拠地とする第三艦隊は中華帝国との戦いで後詰部隊の強襲上陸などを支援した経験を持つ。 このためか、自軍も陸戦隊を保有しており、今回もそれが海岸線橋頭堡を築く予定だった。 「殿はどうされるので?」 御武家家臣は、幸盛の言葉に不安を感じたのだろう。 「僕はここで足止めします」 「そんな!?」 声を上げたのは、今まで本陣として一緒に行動していた加奈だった。 彼女の後ろには椋梨家の主立った者たちの家族がいる。 主に妻子だ。 (結局、椋梨家として存続しても、椋梨勢として存続することを拒んだ、か・・・・) 子どもたちは幼く、元服まで時間がある者たちばかりだ。 主立った者たちは血を遺すことだけを優先したのだ。 「加奈さん、僕は大丈夫ですよ」 椋梨家の名代に、幸盛は向き直った。 「本来、御武は武力を奉納する武家として、鷹郷家と共に薩摩へ来たんです」 その関係もあり、父・時盛の時は日向名代だった。 言わば、上方との繋ぎと薩摩の背後を守備していたのだ。 「粘り強い戦が得意なんです」 (それができるほど、経験はありませんが) そのことは口に出さず、幸盛は扇子を握りしめる。 「さあ、行ってください」 脱出する椋梨氏は約二〇〇だ。 「護衛に二五〇を任せます」 五〇で一〇〇〇を押さえるなど、無理だ。 ならば、突破された分は二五〇に守ってもらうしかない。 「―――いたぞ!」 「悪ぃ! 突破された!」 「大丈夫です!」 今も冗談みたいに敵を吹っ飛ばしている弥太郎からの声を答える。 「覚悟ぉ!」 迫ってくるのは十人くらいの重装歩兵だ。 「ヒッ!?」 息を呑む加奈を馬車の荷台に突き飛ばし、幸盛は扇子を振りかぶる。 「行け!」 『『『『『どぉっ!?』』』』』 突風が重量を物ともせずに吹き飛ばし、錦川に叩き込んだ。 鎧が重いのか、浅瀬で暴れている。 「御武中務少輔幸盛! まずは近づくことから始めてください!」 風に声を乗せ、迫ってくる敵兵に声を届かせた。 一撃で数人の正規歩兵を無効化した幸盛の名乗りに、虎熊軍団の足軽が怖じ気づく。 「「「ぎゃあああああああ!?!?!?」」」 そこに馬が叩き込まれた。 「俺を忘れては困るぜ!」 「弥太郎!」 「俺、この任務が終われば元服するんだ」 「それは言ってはいけないことのような気がするんですが・・・・」 「関係ねえな!」 「はは・・・・」 暢気な同僚に苦笑し、幸盛は敵に向き直る。 「しかし、白兵戦は様変わりですね」 幸盛が持つ扇子型霊装<松竹梅>は戦術霊装だ。そして、弥太郎が持つ当世具足型霊装<搗(カチ)>も戦術霊装である。 <搗>は搗色――紺色の一種――の具足で、効果は身体強化である。 ただでさえ身体能力が高いのに、霊装で強化されている。 また、武術は瀧井流槍術を習っていた。 (個人戦闘力ではきっと信輝さんと同等・・・・) 幸盛が考え事をしている間に、弥太郎は敵に突貫し、力任せに槍を振るっている。そして、吹き飛んだ者が別の者の邪魔をし、全体の侵攻を妨害していた。 「倒す必要はありません! 耐えればいいのです!」 自分たちの脇を通り抜けようとした集団を吹き飛ばし、川へと落としながら言う。 幸盛も一通りの武術を使えるが、やはり霊術の方が得意だ。 海へと駆けていく避難民の最後尾を走る馬車の後ろに防壁を展開する。 そこに幸盛の頭上を飛び越えた矢が突き刺さり、荷台に立つ加奈の身を守った。 「ここで耐えた分、九州の地で勝ちましょう!」 残った五〇名は弥太郎を除き、全てが御武家の人間だ。 岩剣城の戦いに出陣し、圧倒的な軍勢に立ち向かった者たちである。 その先頭に立った父・時盛は鷹郷貞流に討ち取られた。 それを目の前で見ても戦い続けた猛者たちである。 「『御武』の名を、敵に刻み込んでやりましょう!」 幼いが、有能な当主の声に、御武家の兵は鯨波の声で応えた。 椋梨加奈side 「―――錨を上げろぉ!」 幸盛たちの奮戦もあり、避難民は無事海岸に到着していた。 幸盛たちを突破した一〇〇名は龍鷹海軍陸戦隊の攻撃を受けて壊滅している。 それは沖合に停泊した艦隊の艦砲射撃を食らったからだ。 人馬が血霧となって四散する様は壮絶であり、加奈についていた侍女の数人が耐え切れずに気絶していた。 「出港するぞ!」 「え!?」 加奈たちが乗った関船は、この艦隊の旗艦だという。 当然、派遣団の長である幸盛も乗るものだと思っていた。 「艦砲射撃!」 ―――ドドドッ!!! 彼の言葉と共に旗が振られ、沖合から砲撃が始まる。 それは隊列を整えていた敵軍に突き刺さり、割り砕いた。 「あ!」 その道を駆けて来る者たちがいる。そして、その者たちに背を向けるよう主力艦隊は出港した。 残るのは大きな帆を持った輸送艦一隻だけだ。 「船長! 虎熊水軍が西より来ます!」 「おうおう、主力ではなく沿岸警備隊如きが龍鷹海軍第三艦隊に刃向うか!」 「ノリノリのとこ悪いんですが、この艦隊は第三艦隊の主力ではありませんよ?」 「末端もいいところだよな」 「うるさいわ! 簀巻きにして船首に吊るすぞ!」 どこかのほほんとした、楽しげな会話が聞こえるが、加奈はそれどころではない。 「え? 本気で置いていくの!?」 艦砲射撃をしていた沖合の艦隊が敵水軍と戦うために隊列を整えていく。 それはつまり、艦砲射撃を止めたということ。 それを確認した虎熊軍団が一斉に海岸に押し寄せていた。 幸盛たちが輸送艦に乗り込んでも、出港前に取りつかれる。 「椋梨家の姫様、それぞれの戦いってもんがある」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 船長が初めてこっちを見た。 「御武家の御当主はあなた方をこの艦隊に届けることを目的としていた。そして、俺たちはあなた方を無事に龍鷹侯国まで連れ帰ることを目的としている」 だから、すでに避難民を受け入れた艦隊は、邪魔をしようとする敵水軍に向き直ったのだ。 「あっちはあっちで、どうにかするさ」 「そんな!? 冷たくないですか!?」 古今東西、陸軍と水軍では仲が悪い。 だが、見捨てるような判断をするほど仲が悪いとは思わなかった。 「いいや、これは信頼、ってやつだぜ」 「信頼?」 「ああ、あの坊主。父親の偉業だけで陛下の側近しているわけじゃねえぜ?」 「有能な行政官と聞いていますけど?」 病弱な忠流の代わりに政策を決定するのは従流だ。しかし、その決定事項を候王の命として実行・管理するのは幸盛の仕事だった。 「間違いじゃあない。だけど、内乱で傍を守っていたのは、加納家の嬢ちゃんと・・・・坊主だ」 内乱における人吉城の戦いで忠流を助け、追撃部隊を撃破。 岩剣城の戦いでも霊術を武器に獅子奮迅の働きを見せていた。 「霊装を得て初めて戦えるように思ったかもしれんが、奴は元から高位の霊能士なんだよ」 轟音が鳴り響き、寄せた虎熊軍団が跳ね飛ぶ。 その【力】を使ったのは幸盛だ。 「船長、あんまりため口はいけないんじゃないかと思うんですが」 「海の男にゃ関係ねえ! ―――おら、退け退け!」 龍鷹軍団の関船が乗りつけようとする敵船団に砲弾を浴びせ、一撃で沈めていく。 (信頼・・・・) 一介の戦隊司令官が候王側近に抱くものとしては軽すぎるだろう。 だがしかし、今はそれにすがるしかない。 (無事でいて・・・・) 祈るように手を合わせ、目を閉じた。 「船長! 後ろに回り込まれました!」 「おお!? ・・・・ち、とマズいか・・・・?」 「え?」 その祈りを妨げる声に、加奈は目を開ける。 そこに映ったのは、海岸に残った輸送艦を包囲しようとする敵船団だった。 どうやら、海軍艦艇の護衛がつくこちらを諦めたようだ。 「大丈夫なんですか!?」 「はは・・・・たぶん?」 龍鷹侯国行が心配になってきた。 (候王自体、破天荒な方と聞きますし・・・・・・・・) 海岸には錨を上げた状態でゆっくりと沖へ向かう輸送艦がある。 虎熊軍団の陸軍は鉄砲を撃っているが、船自体は止められないだろう。しかし、輸送艦の逃げ道を塞ぐように機動する敵船団の存在がある。 現状の速度では沖合に出る前に包囲網が完成し、大した武装を持たない輸送艦は砕かれるだろう。 「船長! 再び西に敵船団!」 「チッ、さっきの奴らは先遣隊か。金持ちだなぁ」 船長は新たな敵に立ち向かうため、指示を送った。 今回の出撃は岩国避難民を無事に龍鷹侯国まで届けることだ。 (岩国に一気に侵攻しなかったのは、この艦隊を待っていたからか) 周防国大島郡を制圧するために展開していた水軍は上陸時に砕いた。 今やってきている艦隊は徳山に展開していた周防方面艦隊だろう。 「格上が相手か・・・・」 その言葉に加奈は不安を感じた。 絶対的な龍鷹海軍の船団よりも上の相手が来ては、こちらから輸送艦を助けることはできない。 そして、如何に個人戦闘力に優れようとも、船団を撃破できるものではない。 「幸盛様・・・・」 祈る余裕もなく、不安に瞳を揺らした加奈は、輸送艦に生まれたひとつの動きを見た。 「え? どうして?」 帆が大きく張られたのだ。そして、それが大きく膨らみ――― 「ええええええええッ!?!?!?!?!?!?!?」 海面を跳ねるようにして輸送艦がすっ飛んだ。 同時に生じた暴風は高波を生じさせ、敵船団を翻弄する。 そんな船団の、まだ閉じ切っていない包囲を突破し、幸盛が乗る輸送艦が加奈の乗る輸送艦の傍までやってきた。 「船長! 帆を張ってくれや!」 「なるほど、そういうことか!? おい、小早は放棄して、帆を張れ!」 弥太郎の声に船長が動き、龍鷹海軍が動く。 近くの関船に寄った小早から人員が関船に移り、関船や輸送艦が帆を張り始める。 幸盛に突破された敵船団も回頭を始め、西から来る敵船団本隊も速度を上げた。 「ほら、大丈夫だったでしょう?」 関船と輸送艦が接続され、その道を通ってきた幸盛が戦塵に塗れた頬をかく。 その逆側の頬には切り傷が認められ、とても大丈夫だったとは思えない。 「・・・・馬鹿」 「あれぇ?」 加奈の言葉に心外だとばかりに幸盛が首を傾げる。 「俺思うにさ、幸盛さんって御館様にかなり影響されてるっスよね?」 「まさか!?」 弥太郎の言葉が加奈のそれよりも心外だったのか、しばらく絶句していた幸盛だったが、帆の準備ができたのを見るや表情を引き締めた。 「さあ、帰りましょう!」 『『『『『・・・・ッ!?』』』』』 優れた霊能士が持つ【力】を思い切り叩きつけられた帆が歪む。そして、弾けるようにして龍鷹海軍の船団は海上を疾走した。 「おーこれは楽だぁ」 船長の言う通り、船団は難なく戦線を離脱する。 「これで、大丈―――――――」 言葉半ばで、バタンと幸盛が倒れた。 「え!?」 驚く加奈は、これでこの人が来てから驚くのは何度目だろうと思いながら、やはりあわあわする。 「え? 倒れ、た? ・・・・死んだ!?」 「死んでねえっす。ただ単に霊力切れっすよ」 手に持つ槍の石突で幸盛を突き、反応を伺った弥太郎が言った。 「え? 霊力、切れ・・・・?」 「そりゃあんだけ高位の霊術や霊装をバンバン使ってりゃ当然すよ」 「よっこいっせ」と掛け声とともに幸盛を担ぎ上げ、船倉へと降りていく。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 それを見送った加奈は遠くなった岩国海岸を臨み、ゆっくりと頭を下げた。 鵬雲四年九月十日、虎熊軍団はついに岩国城を落とした。 岩国天守は全焼し、椋梨氏の主だった者は行方不明となる。 炎の中で全員自刃した、炎に紛れて落ち延びた、虎熊軍団に捕まった、などと様々な噂が立ったが、ひとつだけ事実があった。 それは数百年も岩国の地を支配した椋梨氏が滅亡した、ということである。 虎熊軍団は椋梨氏を滅ぼすことで、玖珂郡、大島郡、吉敷郡を領有し、表石一七八万九〇〇〇石に達した。 それは七万一五〇〇弱の兵を動員できるという意味である。 |