「それぞれの夫婦物語」/二



 周防国岩国。
 周防国東端に位置する山陽道の要衝である。
 北部には玖珂鉱山(銀-錫-銅)があり、経済を支えている。
 領主は椋梨氏。
 その石高は約六万石と、二〇〇〇の兵を動かせる。
 元々、虎熊宗国に従っていたが、虎熊宗国の出雲攻め失敗に乗じて反旗を翻した。
 その後、幾度かの交戦を経て現在に至る。
 龍鷹侯国から鉄砲の供給を受けてから打って出たが、最近の戦いでそれらの占領域を失っていた。

「兵は精悍でかつては一万の討伐軍を撃退した、か・・・・」

 御武幸盛は手にしていた書類から顔を上げる。
 その顔に潮風を浴び、わずかに顔をしかめた。

「かなりの速度ですね」
「仕方がありません」

 幸盛がいるのは豊後水道で、言葉に反応したのはこの船団の隊長だ。

「帆持ち関船二、帆持ち小早が二〇、帆持ち輸送艦が一五。大船団ですね」

 豊後水道は基本的に銀杏国のものだ。
 最近では伊予松山の時宗氏が中島水軍を率いてちょっかいを出しているが、龍鷹海軍が制海権争いに出たことはない。
 それだというのに、龍鷹軍団の大船団が豊後水道をひた走っていた。

「この速度があれば追いつけませんよ」

 隊長は一杯に張られる帆を頼もしげに見る。
 実際に銀杏国の水軍が襲ってきたが、南風と潮の流れを受けて疾走する船団に追いつけなかった。

「正面! 船団です!」
「旗は!?」

 帆の上にある見張り台に立っていた兵から報告が来る。

「<朱地に黄の豺羆>! 虎熊水軍です!」
「突っ込めぇっ!」
「ええ!? いきなりですか!?」

 岩国港周辺に停泊していた虎熊水軍の船団に、龍鷹海軍が突撃した。





岩国城攻防戦secen

「―――岩国港に敵大船団! 上陸短艇に乗り換えて今津川、門前川を遡上してきます!」

 夜明けとともにもたらされた見張り兵からの報告に、岩国城は大騒ぎとなった。
 何せ三日前に山陽道正面、"虎将"・虎嶼晴胤率いる八〇〇〇が玖珂に到着し、鞍掛山城を取り囲んだ。
 これを受け、岩国城の主力部隊が後詰に出撃していたのだ。
 さらに玖珂鉱山を手に入れるため、北方からも敵が迫っているという情報もあった。

「加奈様、一応武装をお願いいたします」
「分かりました」

 声をかけられたのは、名目上の留守居・椋梨加奈だ。
 当主である兄・椋梨宏元は主力を率いて出陣している。

「敵の数は如何ほどだ!?」

 実際に指揮を執るのは怪我をして戦場働きができなくなった、この老将である。
 今の岩国は同じように野戦に使えない兵か訓練中の兵しかいない。
 戦力にして一〇〇ほどだろうか。
 これに侍女たちも武装させ、とりあえず籠城する。
 それが基本戦術だ。

「約五〇〇! すでに関所山城を突破!」

 岩国城の南東を錦川が通り、それがふたつに分かれて門前川と今津川となる。
 関所山城とは両者が合流して錦川になった辺りに築かれた城だ。
 目的は海側の攻撃を受け止めることにある。
 だがしかし、兵数が足りないため、抑えの兵によって封じられたらしい。
 この辺りからは陸路で来るだろうが、岩国城まで半里、といったところだ。

「定石通り、二の丸大手門で抑えます」
「頼みます」

 老将に頭を下げた加奈は絶望を味わっていた。
 敵は城攻めに必要な三倍を要しており、こちらは戦準備できていない。

「兄上が帰るまで徹底抗戦です」

 それでも彼女は奥で兄の嫡男を世話していた侍女たちに気丈な態度で言った。
 言葉を聞き、彼女たちは覚悟を決めたようだ。
 下町の女が奉公に来ているのではない。
 彼女たちも歴とした武士の娘だった。

「加奈様は?」
「天守から戦を見下ろします」

 本丸にはほとんど兵は残らない。
 戦える者たちは大半が最前線へと向かった。
 籠城を考えれば愚の骨頂だ。しかし、相手は急襲を目的としている。
 敵軍は岩国港付近に拠点を得ていない。
 そこに安芸国境守備隊が帰ってくれば、如何に五〇〇と言えど崩れるだろう。
 援軍が来るまで耐える短期決戦。
 ならば持てる戦力を前線に投入することは間違いではない。

「気丈ね」
「さすが御本家の御令嬢」

 踵を返した加奈の背に感心した声が届くが、彼女は振り返ることなく歩いた。そして、彼女たちから見えなくなると、壁に手をついて大きく息をつく。

「はぁ・・・・」

 今更になって足がガクガクと震えた。
 当主の妹とはいえ、加奈は未だ十四歳だ。
 遠い西海道の果てでは、自分と同い年ぐらいで偉業を達成した人物がいるが、あんなもの例外中の例外だ。

「うぅ・・・・」

 恐怖と絶望で目の前が暗くなるが、"当主の妹"という矜持がかろうじて支えた。

「天守へ行かないと・・・・」


―――だが、加奈はその行動を後悔することになる。


「―――放てぇ!」

 岩国城攻防戦は、その大手門で勃発した。
 岩国城守備隊は、白兵戦はできないが、遠距離戦ができる者たちを櫓や城壁に並べた。
 彼らは登城道を進んできた敵軍に弓矢を放つ。
 数十の弓矢はしかし、敵が構えた鉄盾に阻まれた。
 虎熊軍団が誇る重装歩兵が先鋒なのだ。

「構わん! 敵の足を止めろ!」

 敵を倒す効果はないが、接近速度を鈍らせることができる。
 すでに烽火で安芸国境守備隊が出撃したことを知っている岩国城守備隊にとって、時間を稼ぐことが勝利への近道なのだ。
 敵からの反撃もあるが、それらは城壁が抑える。
 敵軍は出丸を占拠したが、広いだけで城側から集中攻撃を受ける場所だった。

「効果、ありません!」

 恐ろしいことにこの距離でも重装歩兵の鎧盾は矢を弾いてしまう。
 打ち下ろしとはいえ十分な速度を確保できないのだ。

「主力軍が鉄砲を全部持って行ってしまったのが裏目に出たか・・・・ッ」

 この距離ならば鉄砲で撃ち抜けるはず。
 だが、それがないのだ。
 守備隊の弓隊が徒労感に攻撃を緩めた時、敵陣からにゅっと銃口が突き出された。
 六匁種子島よりもずいぶん太いそれは、一〇〇匁大鉄砲である。

「―――っ!? まずい! 伏せよ!」

 老将の声と共にたった数挺のそれが咆哮した。
 一〇〇匁――375gの弾丸が城壁を穿つ。
 漆喰を撥ね飛ばし、途中の砂利をも吹き飛ばして貫通したそれは、無数の鉄片となって守備隊に襲い掛かった。
 大鉄砲は攻城兵器だ。
 下手な防壁など貫通してしまうし、障害物に当たった時、鉛玉や鉄弾は砕ける。
 それらは散弾の役割を果たして兵を殺傷するのだ。

「耐えよ!」

 彼我の距離は十五間(約27m)ほどだ。
 この距離で大鉄砲を放たれれば、岩国城の城壁は持たない。
 だが、城壁から引き上げた場合、すぐにでも大手門は突破されるだろう。
 事実、大鉄砲の斉射から四半刻後、大手門は突破された。
 雪崩れ込む虎熊軍団と二の丸で白兵戦が展開され、一部の兵力は早くも本丸に通じる城門にとりついた。
 本丸にはろくな守備兵がいない。
 城門も閉じてはいるが、邪魔する者がいないならばすぐに開くだろう。

「あわわ・・・・」

 一部始終を見ていた加奈は天守閣でうめくしかない。
 天守閣に詰めていた者たちが慌てて本丸城門へと移動していくが、後数刻保てるだろうか。
 後詰が関所山城を抑えている敵一〇〇を突破することに手間取れば、岩国城は陥落するだろう。
 陥落した城にいた女の運命など決まり切っている。

「・・・・薙刀を」
「・・・・・・・・・・・・は、はい!」

 同じように怯えていた侍女に命じた。

(小国の姫として、譲れぬものはあります)

 ただでは死なない。
 その覚悟を宿した瞳が、ふっと城外へと流れた。

「あれは?」

 視界の先、錦川を少なくない帆持ち小舟が遡上している。

「・・・・え?」

 紺色の旗を翻したそれらは、錦川東岸の敵本陣へと一斉射撃を叩きつけた。




「―――撃て!」

 自らも霊術を発動させながら、幸盛は扇子を振り上げて叫んだ。
 銃弾と共に飛来した霊術は敵本陣数十人を一撃で吹き飛ばす。

「第五小隊! 右岸上陸、敵本陣を叩け!」

 第五小隊は三〇。
 ほぼ全てが短槍持ちの歩兵だ。
 敵本陣の総兵力は五〇程度だろうから、先ほどの一撃で弱っている今ならば圧倒できる。

「第一から第四まで、左岸上陸!」

 帆持ち小早が次々と接舷し、兵を吐き出した。

「目標! 岩国城攻撃部隊!」

 声と共に応射とばかりに飛んできた十数の矢を"風で払い落とす"。

「進撃!」

 お返しとばかりに扇子を振るい、豪風を叩き込んだ。
 城内には入れず、麓に布陣していた一〇〇ばかりがたたらを踏む。
 そこに銃撃と突撃が来た。

(突撃するは旗本徒士衆!)

 白兵戦闘に優れ、霊術の訓練も行っている精鋭だ。
 乱戦こそ彼らは威力を発揮する。
 言わば剣豪集団とも言える彼らは瞬く間に一〇〇を切り崩し、城内へと逆突入した。
 その先頭に立つのは―――


「―――長井弥太郎、推参! さあ、元服前のガキに斬られたい奴はどこだ!?」


 と叫びながら早くも足軽数人を血祭りにあげる弥太郎。

「・・・・僕も行きますかね」

 一か月前ならば、幸盛はここで見ているだけだった。
 だがしかし、今は霊装がある。
 風を巻き起こすことができる、扇子型霊装が、だ。

「本隊も突撃します。敵を岩国城から追い出しますよ!」

 幸盛は扇子を持って走り出す。
 その後ろを、御武家出身者を中心とした旗本が追った。

「せぇい!」

 掛け声とともに扇子に霊力を込め、右から左に振るう。
 暴風に吹き飛ばされた足軽が道を空け、踏みとどまった士分を旗本が刺し貫いた。

「椋梨の衆! 我々は味方だ! 助勢するぞ!」

 旗本たちが声をかけながら追い立てられている椋梨の兵を助ける。そして、共に槍を立てて城内から追い出しだした。

「弥太郎! 本丸へ!」
「へいさ!」

 霊力を乗せた槍の旋回に敵兵が吹き飛ぶ。

「道を空けろ!」

 その後の神速の刺突に三人の敵兵が沈んだ。

「行け!」
「礼を言います!」

 弥太郎が片付けたのは、本丸城門前にいた敵兵たちだ。

「せやっ」

 扇子を振るい、飛んできた弓矢を弾き飛ばす。

(強い・・・・っ)

 扇子型霊装は霧島神宮に眠っていた霊装だ。
 最近、眠っていた霊装が【力】を取り戻す事態が進んでおり、虎熊宗国は先駆けて戦力化した。
 太宰府天満宮や宇佐神宮を傘下に持っていたためだが、その躍進を止めたのは出雲だ。
 彼の国もまた、出雲大社の力を借りたのである。
 それを知った龍鷹侯国は霊装の戦力化を進めたのだ。
 霧島神宮に納められた霊装のうち、【力】を有する物と龍鷹侯国の中でも優れた霊能士を引き合わせた。
 結果、御武幸盛は扇子型霊装・<松竹梅>を得た。

(御館様の<龍鷹>ほどの破壊力はないですけど・・・・)

「これほど使い勝手がいいものはありません!」

 襲いかかってきた足軽を風で転がし、額の汗を拭う。
 幸盛も今年で十六歳となった。
 忠流のように病弱でない彼は、武芸の面でも才を見せている。だがしかし、自分が一騎当千の武芸者になれるとも思っていなかった。
 それが小さいながらもひとつの領域を支配できる能力を得たのだ。
 感無量である。

「本丸にも結構いますね・・・・」

 岩国城は難攻不落だ。
 だが、主力軍が総力を挙げて出陣している今、手薄だったのだろう。

「これまで海上機動戦をしていなかったのでしょうね、虎熊軍団は」

 元々、周防大島諸島の屋代島が独自の水軍を有して中立を宣言していた。
 虎熊水軍も銀杏国に遠慮し、周防灘から水軍を東進させていなかったのもある。
 しかし、出雲勢力を押し返した西国虎将・虎嶼晴胤は柳井まで水軍基地を前進させた。
 その折の小競り合いで屋代水軍は打撃を受けて降っていたのである。
 この柳井の戦いでは椋梨勢も出撃し、陸では虎熊軍団を破って勝利していた。
 目先の勝利が戦略的敗北に気が付かなかった要因だろう。

「戦術的勝利を得ても、戦略的勝利で帳消しにしてしまう」

 大国・虎熊宗国が使う手である。
 如何に戦上手でも大国の本気には勝てないのだ。

(だからこそ僕たちが来ました!)

 霊力を練り上げた時、予期せぬ感情のうねりが戦場を駆け抜けた。

「何!?」

 ハッとして顔を上げ、天守閣を見る。
 そこには、今まさに天守閣の欄干を乗り越え、ひとりの少女が落ちようとしていた。




「―――本丸城門破られました!」

 言われなくても分かる。
 城門に布陣していた二〇数名と敵軍が激突した。
 そのほとんどが士分の子息で、下手な足軽には負けない。
 瞬く間に数人突き伏せたが、勢いに押されて多数の人間を本丸内に入れてしまった。

「は、放て!」

 数人の侍女が天守閣から矢を放つ。
 狙いは城門付近で、入ってこようとした者を襲った。しかし、敵は数人が貫かれながらも乱入。
 本丸内で乱戦となった。

「龍鷹軍団と思しき軍勢も二の丸に乱入!」

(何なのいったい!? というか、龍鷹軍団って・・・・何で!?)

 椋梨勢、虎熊軍団、そして、龍鷹軍団。
 三つの軍団が激突しており、龍鷹軍団が敵か味方かもわからない。
 少なくとも龍鷹軍団は虎熊軍団を攻撃しており、間接的には味方と言える。

「加奈様、いかがいたしましょう?」
「このままでは龍鷹軍団も本丸内に突入してきますぞ!?」

 すでに二の丸では擬似的共闘関係が成立していたが、本陣までその情報は届いていなかった。

「状況を確認します」

 つばを飲み込み、覚悟を決めた加奈は天守閣の欄干へと歩く。
 そこから直接戦況を確認しようとしたのだ。

(戦場・・・・)

 戦場に立ったことはないが、戦場を経験したことならば何度もある。
 生まれてから数度、この岩国城は包囲されているのだ。

「―――っ!?」

 だが、天守閣から臨んだ戦場は、これまで見た戦場よりもはっきりしていた。
 錦川攻防戦のように遠くない戦場は、人の魂が旅立つ瞬間や旅立てずに悲鳴を上げる瞬間まで全て見ることができる。

「こ、これが戦場・・・・?」

 腕を切りつけられて絶叫する兵。
 数本の槍をその身に受けて苦悶する武士。
 矢を受けて倒れ伏す兵。
 必死の形相で刀を振るって足軽を蹴散らす武士。
 槍を突き、刀を振るい、相手の体にしがみつき、組打ちで地面を転げまわる。

「・・・・っ」

 その様が、近い。
 今までの戦いは、誰がどこで戦っているのかもわからなかった。
 戦闘が終わった時、知り合いの誰かが戦死した、と聞かされる程度だ。
 だが、今は、目の前で、失われている。

「姫様!?」

 欄干で弓を射ていた侍女が声を上げる。
 けがをしたのか、腕から血を流した彼女の声に、気が付いた。

「あ・・・・・・・・」

 ひとつの銃口がこちらを向いて―――


 轟音。
 衝撃。
 悲鳴。
 激痛。


―――浮遊感。


 椋梨宏元が出陣中である今、岩国城城代は椋梨加奈である。
 その加奈が天守閣から落下した。
 その事実に本丸内の戦闘が一瞬だけ停止する。
 しかし、それでも動くものがあった。
 それは疾風を孕んで飛翔し、加奈を空中で抱え、そのまま天守閣へと突入する。


「弥太郎! やってくださ・・・・・・・・んっ」
「あいー・・・・さっ」


 銃撃を超える轟音が本丸内に響き渡った。






 鵬雲四年八月二七日、周防国岩国城。
 虎熊軍団は約五〇〇の兵で岩国城を攻め、岩国は非戦闘員を含む総戦力で迎え撃った。しかし、戦力不足のために二の丸、本丸へと侵攻される。
 そこに御武幸盛率いる龍鷹軍団旗本衆三〇〇が強襲、虎熊軍団を撃破した。
 龍鷹軍団は優れた白兵戦集団を投入し、虎熊軍団の多くを討ち取る。
 虎熊軍団の死傷者は二〇〇を超え、侵攻軍本陣は消滅、物頭の多くも戦死して軍勢としての戦闘能力を失った。
 岩国方は同日、本隊が虎熊軍団三〇〇〇を玖珂で殲滅したが、敵本隊五〇〇〇の手によって鞍掛山城が陥落する。
 両軍の雌雄は、岩国へと持ち越されたのだった。










戦間期第一陣へ 龍鷹目次へ 戦間期第三陣へ
Homeへ