「岩の坩堝」/一



「―――さて」

 鵬雲六年九月八日。
 筑後-肥後国境付近に位置する朽ちた神社で、久我が自身の下に集った軍団を睥睨した。
 軍団の大半は死人であるが、戦力的主力は醜女の様相をした数人である。

「どれだけ越えられるか分からんが、いいじゃろう」

 この国境は大牟田-荒尾のような平野でも、豊前街道が通る南関のような谷間でもない。
 筑後国東部に広がる山岳地帯にあった。
 そして、その山岳地帯でも西方にある八女から南方に向かった標高200m級の低山地域でもない。
 正しくは筑後-肥後-豊後国境とも言うべき、奥深い地域だ。
 後の世により豊後側に金山――鯛生金山――が発見され、隆盛する土地であるが、この時はまだまだ閑散とした林業の地域である。
 とは言え、古くから信仰されている八女津媛神社があり、地域信仰の中心になって"いた"。

「行きがけの駄賃としては小者だったかの」

 久我は振り返り、未だ火勢を弱めない炎を見て目を細める。
 八女津媛神社は神ノ窟の集落にある高さ2丈5尺(約7.6m)、幅10丈(約30m)、奥行き三丈(約9m)大きな洞窟の下にあった。
 祭神である八女津媛神は、神話時代の神でも、その子孫である皇族系でもない。
 八女周辺を治めていた女神だという。

(所詮、土地神が我に盾突くとはな)

 鎧袖一触であったため、深追いせずに神の屋代はそのままだ。しかし、神人衆が壊滅しており、再興は容易ではないだろう。

「あの人の系統ではないが、我の進路にあったことを恨むがよい」

 「まあ、恨みも我の【力】となるが」と呟いた久我は視線を南東の山に移した。

「酒呑童子山、か」

 大江山にいたという酒呑童子とは違う。
 酒を飲んで童子が鬼を倒したと伝わる山だ。
 つまり、昔は鬼がいた山と言える。

(無念だったろうに。たかが酒に倒れるとは)

 酒も魔性の飲み物であるが、武力を誇る鬼がそれで破れるとは。

「その力の発揮する場所、用意してやろう」

 久我がその山を指さすと、先陣を切る死人軍団がゆっくりと歩み始めた。

「その後に、悪だくみする悪い子たちを驚かしてあげようじゃあないか」

 そう言って、久我は口角を吊り上げる。
 その笑みを見た醜女は震え上がり、死人たちに対して速度を上げるように命令した。






鷹郷忠流side

 阿蘇神社。
 肥後国北東部、阿蘇山の北麓に鎮座する肥後国一宮だ。
 山道の南に阿蘇火口、北に国造神社が位置するため、全国的に珍しい横参道を採用している。
 祭神は十二柱が祀られており、一宮は健磐龍命、二宮はその妃である阿蘇都比咩命。
 健磐龍命は神武天皇の孫であり、西海鎮撫の命を受けて山城国宇治から下向。
 その間に数々の軌跡を経て阿蘇に至っている。
 阿蘇都比咩命も神武天皇の孫とも言われ、神武天皇の子である父・日子八井命は謎に包まれている。
 十二柱はこの神々たちの関連神で構成されており、一の神殿は男神、二の神殿は女神が祀られていた。そして、諸神殿では一宮の子である速瓶玉神、綏靖天皇を指す金凝神が祀られている。
 速瓶玉神は初代・阿蘇国造に任命されており、速瓶玉神が父・健磐龍命を祀ったのが阿蘇神社の始まりだった。

 つまり、阿蘇地方には日本書紀に出てくるような神々ではなく、皇統に関連する神々たちが封ぜられている。
 このため、関連神社だけでなく、遺跡等も多い。

 これらの神社や遺跡が連動的に作用し、一種の結界を発動する。
 それが阿蘇地方の特徴だった。




「―――よく来たね」

 鵬雲六年九月十二日、肥後国阿蘇神社。
 ここで聖炎国主・火雲珠希が龍鷹侯国主・鷹郷忠流を迎えていた。
 忠流の背後には治部卿・鹿屋利直らが続いている。

「今回は病気じゃないんだね」
「・・・・病気で取り止めたことはないだろう?」
「体調を整えるために早く鹿児島を出たりとかしていなかったかい?」

 珠希の言葉に忠流は視線を逸らした。
 体が成長したとは言え、病弱であることに変わりはない。
 その原因が霊力の不安定であるため、体調を整える意味もない。
 しかし、体力的に無理をしないことも重要だった。

「まあ、今は体調に問題がないのならばいいよ」
「・・・・ああ、体調を言い訳には出来ないからな」
「ホントだよ、頼むよ? キミ"も"、頼りなんだから」
「"が"、だったらよかったのになぁ」

 少し遠い目をして忠流は返し、視線を脇に向ける。

「体調は問題ないか?」
「それは皮肉ですか?」

 忠流の言葉に苦笑交じりで返したのは、銀杏国主・冬峯刈胤だ。

「硫黄島での体調不良はすっかり癒えましたよ。やはり別府の湯は別格です」
「そっか、指宿もなかなかなもんだがな」

 刈胤の半眼を回避し、さらに視線を巡らせると、燬峰王国の一団が見えた。
 先頭を歩くのは名代・燬羅結羽だ。
 その後ろには、鷹郷従流の姿も見える。

(さすがに国主は来ないか)


 燬峰王国は増えた領国の統治に忙しい。
 当主である燬羅尊純だけでなく、宰相・時槻尊次、軍事を司る燬羅紘純も忙しい。

(だからと言って、彼女を選ぶか?)

 結羽は龍鷹侯国に帰還した従流についてきて、今は龍鷹侯国に滞在していた。
 立場的には以前の外交官と言えたので、燬峰王国の代表を名乗ってもおかしくはない。

(ただ、普段は弟の奥方として接しているからなぁ)

 少しやりにくい。

(でも、今回には必要だしなぁ)

「忠流殿、ご機嫌麗しゅう」

 結羽がにこやかに挨拶してきた。

「結羽殿も元気そうで何より」
「ええ、薩摩の水が合うのか、色々動きたくてうずうずしていたところでした」
「おやおや、それは困るな。弟の手綱を握るので我慢してくれよ」

 「「ハッハッハ!」」と無意味に笑いあい、薄っぺらい会話を交わす。

「ま、その手綱を存分に操らせてもらいますけどね!」
「・・・・・・・・・・・・」

(こいつ・・・・ッ)

 笑顔でぶっこんで来た結羽を見る目が非難気になったが、彼女はドヤ顔を返すだけだった。
 燬峰王国での野望は潰えたが、従流の立場を龍鷹侯国内で引き上げる策謀に従事するという宣戦布告とも言える。
 従流の追放で排除したお家騒動の可能性を、まさか国外の結羽が再度植え付けるとは皮肉な話だ。
 追放に一枚?んでいたというのもあり、余計に憎らしい。

(今のところ、ただの小悪魔的な言動だがな)

「全く、ふたりとも」

 当事者なのに傍観者みたいな表情でいた従流がふたりの肩を叩いた。

「―――ほら、さっさと四か国会談を開始しますよ」




「―――まず、それぞれが連れてきた兵を着到帳を元に、兵数を宣言してもらおうか」

 珠希が座長として口火を切った。

「とは言え、こちらが先に示すべきだな。―――梨」
「はい」

 珠希の背後に控えていた侍女が着到帳を渡す。

「こちらは内牧城に一〇〇〇、阿蘇神社に三〇〇、国造神社に二〇〇」

 珠希の視線が忠流に向いた。

「こちらは阿蘇神社から見て東方の円通寺(一の宮町坂梨)に一〇〇〇、阿蘇神社には二〇〇を連れてきている」

 忠流は視線を刈胤に向ける。

「当方は正一位三閑稲荷神社一帯に一〇〇〇、ここには一〇〇を連れてきています」
「じゃあ、次は私ですね」

 結羽が発言し、肩越しに右手を後ろに出した。
 そこに従流が着到帳を置く。

「えーっと、ぅおわぁ!?」

 置かれた着到帳を体の前に持ってこようとして、取り落とした。

「・・・・はぁ」

 落としたことで、どこが最新のページか分からなくなって慌てる結羽にため息をつく従流。
 そして、彼が口を開いた。

「踊山神社一帯に一〇〇〇、ここに二〇〇ですね」

 つまり、阿蘇神社を中心に東、北東、北西、南西に一〇〇〇ずつが配置され、さらに阿蘇神社周辺に一〇〇~二〇〇ずつが集結。
 総勢五〇〇〇。
 それぞれが変事に対応する態勢となっていた。


 これは各国で起きた暗殺事件の教訓と言える。
 燬峰王国で起きた竜造寺の変、龍鷹侯国で起きた先代侯王・鷹郷朝流暗殺未遂等々、ここ十数年で発生する変事。


(ま、だからここなんだがな)

 阿蘇神社が位置するのはカルデラだ。
 つまり、周囲は外輪山に囲まれた盆地である。
 ただし、阿蘇カルデラはカルデラ形成後にも活動する中央火口丘群によって南北に分かれている。
 北方を阿蘇谷、南方を南郷谷と呼ぶ。
 そして、阿蘇神社があるのは阿蘇カルデラの北方だ。
 このため、龍鷹軍団、聖炎軍団、燬峰軍団、銀杏軍団はカルデラ北方に布陣していた。

(まあ、南方にも聖炎軍団は駐屯しているんだろうが)

 龍鷹軍団が通過した肥後-日向国境の街道――現国道325号――を扼する境目の城・高森城(現熊本県阿蘇郡高森町)はもちろん、南郷谷における政略の中心である南郷城(同県同郡南阿蘇村)にも一定数の戦力がいるだろう。

(そして、この外輪山自体が天然の要害である、と・・・・)

 カルデラという地形上、外部と内部を阻む外輪山が戦略的要地となる。
 外輪山は標高800m級であり、阿蘇盆地の底は標高400mレベルと、比高は400mもあり、下手な山城よりも険しい。
 唯一と言っていい進入路は西方の数鹿流ヶ滝付近の黒川-白川水系だ。

(ま、それこそ神話の世界なんだが)

 この外輪山に穴を開け、あったというカルデラ湖の排水を行ったのが、阿蘇神社に祀られている一宮・健磐龍命である。
 故に阿蘇神社の境内だけでなく、阿蘇カルデラ全体が神域とも言えた。

(火雲氏は阿蘇とは何の関わりもないが・・・・)

 それでも肥後の豪族として阿蘇を大切にしてきたのには変わらない。
 その結果、豪族化した阿蘇宮司家にも強く言えなかった。

(阿蘇は火雲氏に背き、銀杏国に付いたが・・・・)

 それでも、龍鷹侯国が銀杏国を降した以上、阿蘇は龍鷹侯国と聖炎国の奥地に近いエリアと言える。
 このためか、燬峰王国は首脳陣を派遣しなかったのだろう。
 もし聖炎国が裏切った場合、敵中に孤立することになるからだ。

(まあ、今回は仕方ないのだが)

 ここを選んだには別の理由がある。
 その選択と燬峰王国首脳陣の来訪を天秤にかけた場合、前者に傾いただけだ。


「で、議長さんやい。どうするんだ?」
「はいはい、議長だよ」

 忠流の声を受けた珠希が苦笑する。
 その気の置けない関係は文字通り血で血を洗う闘争の結果だ。

「ふむ」

 珠希が全体を見回す。
 それを受けて、出席者の一部が居住まいを正した。

「・・・・何から話そうか?」

 正した側から発せられたボケに何人かの肩が落ちた。

「おい」
「いやぁ、そう言えば僕は議長だけど、当事国ってわけではないと気付いたんだよ」

 珠希が頬を掻きながら言う。

「・・・・そう言えばそうか」

 忠流が手のひらに握りこぶしを落とし、納得した。

(そりゃそうだな)

 龍鷹侯国と聖炎国は同盟を結んでいる。
 彼らの間には情報共有がなされていた。しかし、その内容は、荒唐無稽であり、燬峰王国や銀杏国に理解されるかが不安である。

「だから、こういうのは、下手に別の口を挟まずに説明するのが一番の理解が早いんじゃないかな?」
「ってことは、一次情報に触れた龍鷹侯国から話した方がいいってことか」
「そうだね」

 忠流は珠希から説明役を渡されたと判断し、一同を見回した。
 他の者たちは忠流と珠希の会話を邪魔することなく聞いていたが、忠流の視線を受けて再度居住まいを正す。

「じゃ、詳しくはウチの刑部大輔から聞いてもらうとして・・・・」

 背後に控えた藤川晴崇をチラリと見遣る忠流。
 しかし、すぐに視線を正面に戻し、こちらを窺う諸将を見て口を開いた。



「―――福岡城下には、死人が闊歩している」




 鵬雲六年九月。
 西海道の、いや、列島全土を巻き込む闘争へと発展する一大事が勃発する。
 その前哨は、対虎熊宗国のために各国首脳が集った、肥後国阿蘇で起きた。
 西海道を代表する火山である阿蘇山が文字通り、戦いの火蓋を切るのである。
 開戦の時は、目前まで迫っていた。










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