「岩の坩堝」/二
阿蘇山。 日本列島九州島中央部に位置する火山。 カルデラを伴う大型複成火山であり、現代においても噴火している活火山である。 そのカルデラの大きさは屈斜路湖に次ぐ現代日本第二位だが、この物語では北海道は未だ統治できておらず、列島国家最大のカルデラであると言えた。 だが、阿蘇山にはまた別の重要な役割があった。 阿蘇山は西南日本を横断する中央構造線の西方に位置しており、豊後国別府から肥後国天草に広がる別府-天草地溝の中央部に位置する。 地溝とは断層によって形成された峡谷状の地形のことだ。 ようは、凹んでいるのである。 しかし、阿蘇"山"というからには逆の盛り上がりを見せている。 つまり、凹んだ分、火山の力で埋め戻したのだ。 ―――それはまるで、蓋をするかのように。 鷹郷忠流side 「―――死人、ですか・・・・?」 鵬雲六年九月十二日、肥後国阿蘇神社。 鷹郷忠流の言葉にいち早く反応したのは、弟・鷹郷従流だった。 「それが虎熊軍団が不活性な理由ですか?」 視線を忠流に向けて質問する。 「死人に対処するために兵を使っているため、対外的に対応している余裕がない、とか?」 この理由であれば、肥前戦線で虎熊軍団に積極性がなかったのも納得だった。 内憂外患の状況で、国家内を優先したのだ。 「いや、違う」 「・・・・え」 ひとり納得しようとしていた従流の意見を忠流は否定した。そして、視線で藤川を促す。 「黒嵐衆が多大な犠牲の上に確保した情報は―――」 福岡城下には死者が溢れており、まともな人間生活が送れているとは思えない。 福岡城門前には死人の兵が巡回しており、生き残りが福岡城に籠城しているわけではない。 福岡城が位置する福岡平野がこのような状況であり、福岡平野外は比較的落ち着いていた。 比較的というのは福岡平野との物流の往来が途絶えているためであり、そこを支配する領主らも困惑しているようだ。 このため、筑前衆の一部は福岡平野防衛の要である岩屋城(福岡県太宰府市観世音寺)に集まっている。 「虎熊宗国の警戒は国境、領内も厳しいですが、福岡平野に侵入した忍びの未帰還率は9割を超えています」 「・・・・福岡平野外は国の変事を悟らせないためですが、内部は別の要因のようですね」 徹底的な情報封鎖など不可能だ。 それを成し遂げているのだから、超常的な力が働いているのだろう。 そう予想した従流に藤川は頷いた。 「その通りです」 「ということは、虎熊宗国中枢が死人を操る何者かに乗っ取られたということなのですね?」 確認をしたのは結羽だ。 「龍鷹侯国はそう見ています」 「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」 燬峰王国と銀杏国の代表たちが息を呑んだ。 「で、これに対してどう対応するのか、というのが本日の議題だよ」 珠希が言うと、刈胤が小さく手を上げる。 「まずは虎熊宗国の熊将に連絡を取ることではないでしょうか?」 刈胤の言葉に従流が確かにと頷いた。 熊将とは、虎熊宗国が各方面に配置した行政官かつ軍事指揮官である。 筑後方面熊将・杉内弘輝。 沖田畷の戦いで討ち死にした肥前方面熊将・島寺胤茂の代わりに佐賀城に入っている。 豊前方面熊将・白石長久。 肥後攻めの一角を担い、撤退後は中津城に戻って沈黙を続けている。 長門方面熊将・加賀美武胤。 同じく肥前攻めの一角を担い、撤退後は高嶺城に戻り、山陽道・山陰道への睨みを利かせている。 周防方面熊将・右田長房。 岩国平定後、安芸方面攻略軍を指揮。肥後遠征が不首尾に終わった後は岩国に戻って守備を固めている。 石見方面熊将・松田弘護。 出雲崩れ後、石見最後の拠点である津和野城を守備し、出雲勢力との睨み合いを続ける。 「お知りの通り、虎熊宗国は"二虎六熊"という制度を取っています」 刈胤が周囲を見回しながら言う。 刈胤の旧姓は"虎嶼"であり、その名の通り、虎熊宗国を治める虎嶼家一門だ。 この場にいる者の誰よりも詳しい。 「二虎は―――」 西海道方面虎将・羽馬修周。 当主・虎嶼持弘の側近中の側近であり、文官代表の宰相を務める。 西国方面虎将・虎嶼晴胤。 大軍を指揮する軍事的才覚に優れ、誰もが認める次期当主。 「―――両名とも安否不明です」 「それは本当ですか?」 従流が訊く。 福岡城が何者かに占拠されている以上、当主・虎嶼持弘、宰相・羽馬修周が行方不明でもおかしくない。だが、虎嶼晴胤は普段は福岡ではなく、山口にいる人物だ。 「どうやら虎熊宗国がおかしくなったのは、肥後攻めの途中ということです」 「・・・・ちょっといいかな?」 ここからは初耳なのか、珠希が口を挟んだ。 「情報の真偽を疑うわけではないけども、どこから得た情報なんだい?」 「おっと、これは失礼」 珠希の指摘に、逸っていたと気付いたのか、刈胤が居住まいを正す。 「国への帰還後―――」 チラッと刈胤は忠流を見遣った。 銀杏軍団は高城川の戦いで大敗。 指揮官のひとりであった刈胤も捕虜となった。 龍鷹軍団による豊後攻めの後に銀杏国に復帰し、国主となった経緯がある。 「伝手を伝って、白石殿に連絡を取りました」 「・・・・それはまた大胆な」 今度は珠希が忠流を見た。 豊後攻めの結果、銀杏国は豊後南半分を喪失し、北半分に押し込められている。そして、立場上は龍鷹侯国に従属した形となっていた。 従属というのは外交的立場を宗主国に委ねている。 つまり、龍鷹侯国が虎熊宗国との対決を決意している以上、その虎熊宗国の重鎮に使者を送ることは反乱準備と見られてもおかしくはなかった。 「つまり、これから貴君が話すのは、虎熊軍団の豊前熊将・白石長久から得られた内部情報というわけだね?」 「はい。・・・・ただし、重要なことは教えてもらえませんでしたが・・・・」 「まあ、身内の恥とも言えるからな」 首都陥落とも言える状況だ。 重鎮である白石もあまり話さないだろう。 (普通なら、な) 忠流は白石が善意で刈胤に教えたのではないと思っていた。 (何か狙いがあるはず。そして、それはこの情報から予想できるだろう) この場に集ったのは同盟軍――連合軍とも言える――だが、総大将はいない。 それぞれが持ち寄った情報を精査し、合議制で最善を導き出すのだ。 だから――― (この会議は長丁場になりそうだ・・・・) 忠流はそっとため息をついた。 「福岡との連絡が途絶したのは虎熊軍団主力が領国に帰還した直後とのことです」 「・・・・と、なると、虎熊軍団主力が肥後から撤退したのは、福岡の変事ではないということか」 珠希が唸る。 熊本城外決戦かと意気込んでいた時、虎熊軍団は撤退した。 その理由が福岡の変事であれば、非常に分かりやすい。 「撤退理由は、おそらくは唐津侵攻でしょう」 こう言ったのは従流だ。 虎熊軍団による与力――唐津への侵攻は時系列的にピッタリだ。 「ほぼ全力で肥後へ攻め入り、形勢が逆転した状況での第二戦線の構築は愚の骨頂」 従流は続ける。 「驚いた虎将・虎嶼晴胤は戦線の立て直しと福岡の意思確認のために、軍を返した」 「尤もらしいね」 「はい。晴胤殿らしいと思います」 従流の意見に珠希、刈胤が同意した。 「とすると、何故、福岡が唐津に侵攻したか、が残るが・・・・」 忠流は視線を刈胤に向ける。 「福岡の情報遮断と関係がありそうだな」 「ええ、そう思います」 刈胤は忠流に頷きながら言った。 「遠征軍の帰還中、晴胤殿は先行して福岡入りし、軍は福岡への帰還を許されずに解散を命じられました。そして―――」 「そこから福岡に入った者は消息不明、と・・・・」 忠流は顎に手を当てて考える。 「普通に考えれば―――」 一、 福岡で変事が起きる 二、 その変事を知る者が唐津に逃げ込む 三、 福岡の変事の首謀者が唐津へ侵攻する 四、 その出来事に驚いた晴胤が軍を撤退させる 五、 首謀者は軍に先行した晴胤を捕縛もしくは殺害し、福岡を封鎖 六、 そのまま沈黙を続ける 「―――ってなるが・・・・」 「概ねその通りなのではないでしょうか」 忠流の考えに従流が同調する。 「国内の動揺を抑えると共に不要な軍事行動を起こさせないという指示により、銀杏国への援軍なしや肥前正面での不活発という結果になっていると思います」 「あり得そうだなぁ・・・・」 忠流は天を仰ぐ。 (おまけに、その不満から白石長久は刈胤殿に情報を流したとも言えるか・・・・) そんな簡単な理由であれば分かりやすいが。 (戦場では、沈着冷静って感じだったしなぁ) 浜戸川の戦いでは、最後まで崩れなかった。 (主将を失いつつも冷静に指揮した奴の考えは、一体何なんだろうか・・・・) 白石長久side 「―――さて、どう状況が動くかな?」 時は鵬雲六年九月四日に遡る。 舞台は豊前国主城・中津城だ。 周防灘へ注ぐ中津川河口の地に築かれた梯郭式の平城かつ海城である。 その形状は本丸を中心として、北に二ノ丸、南に三ノ丸があり、ほぼ直角三角形をなす扇形であり、別名は扇城と言う。 さらに櫓の棟数は二二基、八門。総構には六箇所の虎口が開けられていた。 豊前最大の城であり、虎熊軍団豊前方面軍全軍を収容可能な規模だ。 「まあ、本国にバレれば裏切りとなりそうだが・・・・」 こう呟いているのは中津城主・白石長久だ。 銀杏国が龍鷹侯国に攻められているのに、援軍許可を出さなかった本国に改めて不審を抱いた。 その結果、独自に福岡を探り、その異様な状況を改めて把握するに至る。 とは言え、彼ら自身は死人が徘徊している事実は確認できなかった。 (正規の使者は追い返され、ひそかに侵入させた者は帰らない) 後者は銀杏国の使者が言っていたことと変わらない。 つまり、状況が分からないのは虎熊宗国の他の領主も同じなのだ。 「いったい福岡はどうなっているのか・・・・」 「それを確かめさせるために外部勢力を活用するというのか」 白石に言葉を放ったのは小瀬晴興だ。 晴胤の子飼いであり、肥後遠征後に部隊を率いて長門へ帰還した。しかし、いつまで経っても晴胤が帰還しないため、白石を頼って豊前入りしている。 「追い返されないように私が軍を率いて福岡に迫ると、反乱と捉えられる可能性がある」 白石が率いる豊前勢が日本三大カルストである平尾台を越えようものならば、福岡は筑前六端城――益増城・鷹取城・左右良城・黒崎城・若松城・小石原城――の守りを固めるだろう。 「そんなことになれば、得をするのは連合国だ」 「まあ、燬峰王国の参加と銀杏国の敗北で戦力はひっくり返った」 西海道における虎熊宗国に与する勢力の石高(表石)は以下の通りだ。 虎熊宗国:一六六万二〇〇〇石(内、三八万五〇〇〇石は西国) 田花氏 :九万五〇〇〇石 合計 :一七五万七〇〇〇石だ。 一方、"連合国"と呼ばれる勢力の石高(同)は以下の通りである。 龍鷹侯国:一〇〇万九〇〇〇石 聖炎国 :五〇万二〇〇〇石 燬峰王国:二三万九〇〇〇石 合計 :一七五万一〇〇〇石 これに地方勢力である津村氏(五万一〇〇〇石)が加わる。 さらに龍鷹侯国に降伏した銀杏国(十八万八〇〇〇石)が加わったとしたら、連合国はさらに強大となる。 この総計は、一九九万石だ。 動員力換算(一万石当たり三〇〇名とする)では、虎熊軍団約五万に対して連合軍約六万となる。 さらに言えば、連合軍はほぼ全軍を投入できるのに対し、虎熊軍団は山陽道・山陰道方面に兵力を割かなければならない。 具体的に長門・周防の戦力が抜けたとすると、約四万。 つまり、圧倒的兵力を誇った虎熊軍団は敵に対して劣勢な状況なのだ。 「しかし、あちらは遠征、こちらは迎撃であれば、まだ戦いようがあるでしょう?」 「その通りだな」 仮に連合軍の動員力を一万石当たり二五〇名とした場合、連合軍は約五万。 一方、虎熊軍団の動員力を一万石当たり三五〇名とした場合、その兵力は六万と逆転する。 「攻守が逆転しただけで、絶対的な劣勢ではない。・・・・が―――」 「それは、こちらが万全の態勢であった場合だ」という言葉を飲み込んだ白石は、別の言葉を続けた。 「連合軍が福岡の変事を知った場合、必ず遠征軍を出す」 白石は視線を南方へ向ける。 「さすがにそうなれば、福岡の警戒も緩むだろう」 「その隙をついて、福岡の状況を探ると?」 「そうだ」 小瀬の言葉に白石が頷く。 「それに連合軍が迎え撃つのは筑後だ」 「堅城である田花氏の柳川城、筑後本城の久留米城が迎え撃つってわけですか」 「ああ、兵力的に野戦は無謀だろう」 特に連合軍の主力である龍鷹軍団は野戦決戦にめっぽう強い。 「逸らぬよう、杉内の倅どもに言っておかねばな」 筑後熊将・杉内弘輝は久留米城を離れて佐賀城に入っていた。 その代わりに筑後を守るのは杉内の息子たちである。 二〇~三〇代の青年部将であり、まだまだ情勢判断の経験が少ない。 乾坤一擲、と言って野戦を挑みかねない。 「筑後衆は七〇〇〇近く集められるだろうが・・・・」 通常の戦争ならば十分な兵力と言える。だが、筑後口はおそらく連合軍の主力が投入される。 つまり、龍鷹軍団と聖炎軍団の主力は数万にも及ぶだろう。 「筑前からの増援がなければ持ちこたえられない」 筑前衆だけで一万五〇〇〇を出せる。 筑後の城砦群で連合軍を吸収し、筑前衆が後詰すれば戦える。 つまり、連合軍の攻勢を支えるために福岡は手薄となるのだ。 「だから、情報を渡し、刈胤殿に恩を売ったのですか」 「ああ。・・・・最悪、刈胤殿に虎熊宗国に帰還していただく必要があるかもしれないしな」 福岡にある虎嶼氏の血脈が途絶えていた場合、婿養子に行った刈胤が最後の血筋となる。 この場合は銀杏国に頭を下げて、刈胤に戻ってもらう必要があった。 「我々の望みは虎熊宗国の存続だ」 「最低条件ですな」 白石と小瀬は頷き合う。 彼らは虎熊宗国が存亡の危機に立っていると認識していた。 そのために福岡の意向――指示はないのだが――に逆らう覚悟をしている。 その判断が歴史を動かしたとは知らずに。 「とにかく、戦準備だ。名目は対豊後とでもしておけばいいだろう」 豊前衆は約九〇〇〇だ。 豊後と国境を接する下毛郡と宇佐郡の国境地域を除けば、動員できるのは六〇〇〇ほどだろう。 「加賀美殿も同調してくれるしな」 長門の熊将である加賀美武胤も約五〇〇〇で関門海峡を渡る予定だ。 約一万をもってすれば、福岡城下へ至ることも可能だろう。 (まあ、至ったところでどうするか、というのもあるがな) 虎熊宗国の首脳部が壊滅状態と判明した場合、どうするのか。 それも連合軍の侵攻を受ける中で、だ。 (この辺りも加賀美殿らと相談する必要があるな) そう思い、小瀬の方を見遣る。 「?」 「・・・・無理か」 「え、何がです!?」 いきなりダメ出しされた小瀬が非難の声を上げるが、白石は無視した。 (こやつに隠し事は不可能だろう。・・・・側近から加賀美殿に使者を立てるか・・・・) 「何なんですか!?」と声を荒上げる小瀬を無視し、白石は脳内で人選に入る。そして、小瀬を見て言った。 「とりあえず、長門に帰って軍を整えてくれ」 「・・・・何か納得いきませんが、分かりました」 小瀬は不承不承の態で引き下がる。 「ここからは一気に情勢が動く。臨機応変に行くぞ」 「行き当たりばったりとも言えますが、やるしかないですな」 白石と小瀬が頷き、解散した。 |