「天才の帰還」/八



 燬羅結羽。
 燬峰王国の王女として生まれ、早くから英才教育を受けた。
 肥前衆大同盟を構想した父がその締結会議で起きた変事(竜造寺の変)で変死。
 この事変を起因とする西肥前衆との戦争時はまだ九才だった。
 若年ながらも新当主として陣頭指揮を執った兄とは違い、結羽は本拠・森岳城に逼塞する。
 毎日、武装した兵士が行きかい、侍女たちもピリピリしていた。
 結羽はどうしてこのような状況になったのか、自分には何もできないのかと自問する毎日を過ごす。
 結果、城下の様子を見たいと頻繁に抜け出していた。
 そこで見たのは、続く戦争に徐々に疲弊する領民だった。


 だから、結羽は思った。


 燬峰王国をこのような状況に追い込んだ竜造寺の変の黒幕の特定。
 そして、領民が安心して暮らせる強国化を。
 そのためには結羽が燬峰王国内での地位を確立する必要があると。


 そんな考えでいる時、西海道の南端で変事が起きたのだった。






告白scene

「―――それで急に来たんですね」

 従流はポツポツと話し始めた結羽に言った。

「ええ、私の飛躍はここにある!と思ったの」

 結羽は視線を合わさずに俯いたまま言う。

「でも、嫁入りなので燬峰王国から出ることになりませんか?」

 この時代は基本的には嫁入りだ。
 婿入りの場合は実家に跡を継ぐ男児がいない場合が多い。
 近い例では聖炎国の火雲珠希と名島重綱だ。
 だが、燬峰王国には尊純がおり、その嫡男もいる。

(だから、結羽は確実に嫁入りとしてここに来たはず)

「ええ。だから一策を講じたのよ」
「・・・・まさか?」

 従流は視線を忠流に戻した。

「そのまさか、だ」

 視線を受けた忠流がゆっくりと頷く。

「私は早くから忠流殿に接触しました」

 結羽は武勇ではなく、頭脳で生きるタイプだ。
 同じタイプである忠流に話を通し、己の野望に協力してもらう方がいい。
 他国で下手に暗躍すると暗殺される可能性もあるからだ。

「そして、私の考えは龍鷹侯国の利益にもなる」

 当時、龍鷹侯国と燬峰王国は何もなかった。
 龍鷹侯国は内乱が終結したばかりだった。しかし、忠流の中では北上することを決めており、聖炎国と激突することは必至。
 この時に燬峰王国が繋がっていることは都合がよい。
 実際、燬峰王国はその支援作戦で天草諸島を領有する。だが、燬峰王国はそこから肥後本土を攻める気はなく、反転して肥前で伸長する虎熊宗国を睨んでいた。
 燬峰王国にとって、龍鷹侯国は背後を脅かす存在ではない。
 龍鷹侯国にとって、燬峰王国は領土の取り合いにならない。

(互いに助けるのではなく、互いに邪魔をしない同盟を結んだ、か)

 結羽の希望である「燬峰王国を強くしたい」は忠流の考えにマッチした。
 この同盟において、同盟国が強くなっても問題ないからだ。
 もちろん、弱くなっても問題ないのだが。

「それで兄上は協力することにしたのですか?」
「ああ、基本的には貿易という点だがな」

 同盟国になったことで、龍鷹侯国で生産された鉄砲が燬峰王国に流れた。
 同時に忠流は"鈴の音"について、結羽は竜造寺の変についての情報交換を実施する。

「そんな中だったよ。お前が台頭したのはな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 従流が還俗したのは手薄になった一門衆人員の補充というだけだ。
 病弱でフットワークの重い忠流の名代。
 それが従流に与えられた役目だった。だが、それを従流は才能で打ち破った。

「都農合戦、ですか・・・・」

 南下する神前氏と中日向衆と共に迎撃した戦い。
 油断していた龍鷹軍団は窮地に陥るも、従流の驚異的な現場打開力で踏みとどまり、忠流の到着まで持ちこたえた。
 その後も従流は主要作戦に従事し、陣頭指揮を執って成果を上げる
 一方、忠流が陣頭指揮を執った戦いで敗北した。

「『このままじゃ、足をすくわれるかもしれませんよ』と、俺に囁いたのは結羽殿だ」
「・・・・・・・・・・・・」

 忠流の暴露に従流の思考が一瞬止まった。
 家臣たちのざわめきも遠のいて聞こえる。

「なぜ・・・・?」

 「そのようなことを・・・・?」という言葉は続けられなかった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 結羽は視線を忠流に向け、忠流が頷く。
 「もう全てを話していい」ということだ。

「え、と・・・・その・・・・」
「わ、私の目的を達成するためには―――」

 混乱しながらも問い詰めようと口を開いた従流を遮り、結羽は話し出した。

「―――龍鷹侯国に残るのではなく、燬峰王国に帰る必要がありました」

 もし忠流に嫁いでいれば、当然ながら結羽は龍鷹侯国に住むことになる。
 それでは燬峰王国を強くするという目的を果たすことはできない。

「だから、従流を連れて帰国すれば万事解決!と・・・・」

 ボソボソと言葉を紡いだ結羽の視線が下がっていった。
 結羽の婚姻相手が従流であったとしても、普通は龍鷹侯国に残ることになる。
 それでも燬峰王国に戻るためには、従流が龍鷹侯国にいられなくすればいい。

「幸い、従流は沖田畷の戦いで鮮烈な印象を燬峰王国に残したし、有用な人物として認識されるはず」

 沖田畷の戦いで虎熊軍団を撃破した功績は計り知れない。
 この時、忠流ははっきりと従流が燬峰王国を後ろ盾に内政に対して口を出す未来が見えた。

「まあ、僕を手土産に燬峰王国内での自身の地位向上を図るってのは理解できました」

 「そのために龍鷹侯国での立場を危うくさせようとしたのも」と続けた従流は、首を傾げながら言う。

「でも、どうして僕が必要だったんですか?」

 素朴な疑問だった。

「燬峰王国を強くするというのであれば、龍鷹侯国と同盟を結べた時点で達成しています」

 先に述べた通り、燬峰王国は後方の安全と鉄砲の確保という実を取っている。

「僕とあなたの婚姻は確かに両家の結びつきを強くしますが、兄上と共謀してまで僕を追い出す必要はなかったはずです」

 従流を追放してメリットがあるのは忠流だけ。
 そのメリットをわざわざ結羽が囁く意味が従流には分からなかった。

「そ、それは・・・・」

 従流の問いに何故か頬を染めた結羽がやや上目遣いで従流を見る。

「「「・・・・・・・・・・・・・・・・」」」

 結羽の緊張と恥じらいが伝わったのか、居並ぶ武将たちが居心地悪そうにしていた。

(何故、このような雰囲気に・・・・?)

 頬を引き攣らせながら視線を忠流に向ける。
 すると、忠流は興味のなさそうな表情で、視線を逸らした。

(・・・・この反応、兄上は関わっていない、と・・・・)

「・・・・おお」

 視線を結羽に戻すと、それはもう真っ赤な顔をしている。

「そ、それは・・・・」
「それは?」

 言葉を引き出すように繰り返す従流。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・たかったの」
「はい?」
「単純に結婚したいと思ったのよ!」
「・・・・え? あ、え!?」

 従流も釣られて顔を赤くする。

「さ、解散解散」

 床机から体を起こし、忠流が従流らの横を通り過ぎた。

「兄上・・・・」
「別に俺だって鬼じゃない。真摯な願いには応えるさ」

 カッコつけた兄が畳で足を滑らせて転ぶ寸前で、護衛の信輝に助け起こされる。そして、信輝は妻の加納郁を見遣った後、従流に向けて曇りのない笑みを浮かべた。


―――だが、その笑みはすぐに引っ込んだ。


「「「・・・・・・・・・・・・ッ」」」

 一陣の風の後、彼がそこにいた。

「御館様、至急お耳に入れたいことが」

 反射的に向けられた短刀の切先に怯えることなく、忠流の前に片膝をついた霜草茂兵衛。

「何についてだ?」
「福岡の現状です」
「「「―――っ!?」」」

 龍鷹侯国の諜報集団・黒嵐衆を率いる彼が伝えた情報。
 それは急に閉ざした虎熊宗国の本拠地――筑前国・福岡の情報だ。
 燬峰王国も何人も派遣していたが、ついに得られなかった情報。

「「・・・・・・・・・・・・」」

 これにはさすがに従流と結羽も頬の熱が引いた。

「瀕死で戻ってきた手の者が息絶える前に言った言葉です」

 文字通りの命がけの情報。

「構わん、この場の者に聞こえるように言え」

 耳打ちしようと近づいた茂兵衛に忠流が言う。

「では」

 すっと身を引いた茂兵衛が一瞬だけ結羽に視線を向け、それでも構わずに言った。


「―――『死人が闊歩する死の都と化している』と」



 鵬雲六年七月三一日、鷹郷忠流の名の下で豊後、肥後、肥前へ向けて早馬が走った。そして、鵬雲五年十一月から停止していた龍鷹軍団が動き出すための準備を始める。
 だが、それは龍鷹軍団だけではなかった。






決起scene

「―――そうかえ」

 ほぼ同時刻。
 筑前国・福岡城。
 西国の雄・虎熊宗国の本城にて、報告を受けたひとりの女が嗤った。

「ついに逃したのかえ」
「申し訳ありません」

 女――久我が上座に座したまま目の前に平伏する初老の男を見下ろす。
 久我は豪奢なかんざしで長い黒髪を結い上げ、なまめかしいうなじをさらしていた。
 また、服装も派手な着物を着崩している。
 いわゆる、花魁風の風体だが、その肌は恐ろしいほど青白い。
 故に朱が引かれた唇が毒々しく映った。

「ま、龍鷹侯国は他国と諜報戦も行う得手。ここまでよく隠し通せたというべきかの」

 久我は煙管から吸い上げた煙を勢いよく吐く。そして、上座に用意された床几にしどけなく寄りかかる。
 つい数か月前まで、久我の立場は虎熊宗国の宗主・虎嶼持弘の侍女だった。
 それもただの侍女ではない。
 寵愛を受け、国政にまで口を出していた。
 だが、間違っても福岡城本丸御殿の上座に座すような立場ではない。


 この数か月の間に、この福岡城を中心として起きたことは以下の通りだった。


 久我による持弘の排除と嫡男・晴胤の幽閉。
 侍女として顔をかなぐり捨て、久我が虎熊宗国の主として振舞うための準備。
 それに伴う福岡城下の封鎖。

「うまくいっていたのにのぉ」
「恐縮です」

 久我の方針に沿って、物事を進めていたのは虎熊宗国の虎将・羽馬修周だ。
 ふたりいる虎将の片割れであり、宰相として主に内政を取り仕切っていた。しかし、早い段階で持弘を見限り、久我に協力する。
 出雲崩れで当主としての能力を失った持弘と国政を放置して最前線に拘り続けた晴胤に絶望した彼は、久我に協力することで大国・虎熊宗国を維持しようとしたのだ。
 久我が動き、持弘・晴胤を排除し、権力を掌握した羽馬は久我の意向通りに福岡城下を封鎖した。
 正確に言えば東は遠賀川、西は雷山川、南は山口川において、軍と忍衆を使って徹底的に情報封鎖したのだ。
 もちろん、訝しんだ家臣団もいた。
 筆頭は長門国の熊将・加賀美武胤だったが、彼は肥後攻めの主力軍であった長門・周防の軍勢を率いる立場だ。
 福岡城封鎖に首を捻りつつも久留米から小倉までの街道(現国道322号)を通って山陽地方へ帰還した。
 今は出雲や安芸を睨んでおり、福岡に来る余裕はない。

「白石はうまいことごまかしておるか?」
「はい、そちらについては安心できます」
「龍鷹軍団が豊後に入っているからな」

 豊前国の熊将・白石長久ももちろん怪しんでいた。しかし、彼も豊後に侵攻した龍鷹軍団を警戒して動けない。
 尤も銀杏国からの援軍要請を受けた彼の出陣許可願いを握り潰したのは羽馬なので、この点でも疑いを向けられていた。
 だが、繰り返すが、銀杏国が敗北して虎熊宗国との同盟を破棄した以上、豊前は対銀杏・龍鷹連合軍の最前線である。
 防衛作戦については一任したため、彼は本拠地の中津城に詰めていた。

(白石に動かれると面倒だ。だから、握り潰したのだが)

 平伏しながら羽馬は自身の判断を振り返る。
 久我の求める城下の安定のために長年の同盟国を切り捨てた。
 その判断に何の迷いもない。


 因みに銀杏国とは以下のように向かい合っている。
 西方:豊前・和気城(現大分県宇佐市和気)、豊後・高田城(同県豊後高田市玉津)。
 南西:豊前・青山城(同県宇佐市安心院町)、豊後・日指城(同県杵築市山香町)。
 南東:豊前・一ツ戸城(同県中津市耶馬溪町)、豊後・日隈城(同県日田市庄手)。


 三正面を見なければならない白石は銀杏国が敵になってから使者すら派遣してこなくなった。

(まあ、使者と共にこちらの懐を探ろうとした者たちが悉く返り討ちにあったことに懲りただけかもしれんがな)

 虎熊軍団の将兵は晴胤を筆頭に尚武の気質が強い。
 だからか、忍衆を中心とした諜報戦は得意と言えなかった。
 先の肥後攻めで龍鷹軍団の徹底的な情報封鎖を破れなかったのも遠征に参加した将兵が情報戦に慣れていなかったからと言える。
 いや、こざかしい策を弄してきた敵も圧倒的な兵力で圧し潰してきたからかもしれない。

「肥前はどうだ?」
「ハッ。余計な波風を立てぬように申し付けておりますので」

 筑後国の熊将・杉内弘輝は羽馬と同じく久我に協力している。
 久我のクーデターの際も福岡城におり、抵抗する文官を多く斬った。
 この時、福岡城を脱出した者が唐津へ逃げたため、追撃のために兵を上げる。
 結果、唐津を滅ぼしてしまったが、同時に福岡城の変事を知る者を一掃できた。

(ただ、この軍事行動の結果、遠征に出ていた部隊が急遽引き返してきたのだが)

 本来ならば熊本城周辺で持久戦となり、久我による地盤固めは完璧だっただろう。

(昔から勘がいい人だったからな、晴胤殿は)

「まあ、いつまでも封鎖はできんか」

 久我が小さく頷くと、その髪に刺した豪奢なかんざしがシャラリと音を立てた。
 それと同時に彼女の身に宿る【力】が増幅した。

「羽馬」
「ハッ」

 【力】に慄き、再び平伏した羽馬に久我は告げる。

「そろそろ、動こうかえ」
「承知いたしました」

 平伏したまま羽馬は返事をした。だが、すぐに言葉を続ける。

「しかし、すぐには無理です」
「なしてや?」
「虎熊軍団は旗頭を失っております」

 持弘や晴胤がいなければ、動員を下すことはできない。

「貴様も虎将だろう?」

 虎熊軍団は二虎六熊で構成された軍団制だ。
 宗主の親衛隊である筑前衆約一万五〇〇〇を率いる権限は、筑前国の虎将である羽馬にもある。
 そして、他の熊将を支配下に置くことも可能なはずだった。

「・・・・それがしではきっと従わぬでしょう。所詮は官吏の長です」

 軍を動かすには持弘の花押が記された書状が必要だ。
 虎将は軍を率いる権限はあるが、動員する権限はないのだ。
 羽馬が代理で発行することは可能だが、それでは従わない武官もいるだろう。

「・・・・武官を従わせるには武官が必要か」
「もしくは血筋ですな」
「なら」

 久我がニヤリと笑みを漏らす。

「取って置きのがいるではないか」

 そう言って視線を部屋の隅に向けた。

「・・・・なるほど」

 久我の視線を追った羽馬は得心が言ったとばかりに大きく頷く。

「では、少々仕込みをしますので、その分をお待ちください」
「分かった。こちらもこちらで動くことにするえ」

 くふふと口の中で嗤った久我に嫌な予感がした羽馬が無駄と分かりつつも釘を刺した。

「あまり派手に動かれぬように」
「くふふ。い・や・じゃ」

 そう言った久我は勢い良く立ち上がる。
 シャラシャラとかんざしを鳴らしながら歩き、視線を南方へ向けた。

「宣戦布告をしてやろうぞ」

 続く言葉は羽馬の耳には聞こえないほど小さい。

「あの御方の童たちに、の」




「全く、困ったものだ」

 久我を見送った羽馬はやれやれと首を振った。

「まあ、あれだけの【力】を持つのだ。当然と言えるか」

 羽馬は根っからの武士ではない。
 元神官であり、霊力などに敏感だった。
 だからこそ分かった。
 彼女がただ者でないのが。

(さてさて)

 見送った視線を部屋の隅に向ける。
 そこには無表情で我関せずとばかりに沈黙する青年がいた。

「さて」

 羽馬は久我から渡された霊装を振り、青年に話しかける。

「頑張って下準備をしましょうか」

 霊力の波動を感じたのか、青年の視線が羽馬に向いた。

「―――親晴殿」




 青年の名は火雲親晴。
 旧姓は虎嶼。
 虎熊軍団に指示を飛ばすには、最良の血筋だった。










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