「天才の帰還」/五



 伊万里の戦い。
 燬峰王国が連合軍を組んで伊万里地方へ侵攻した戦いであり、燬峰王国以外に松浦・佐世保の戦力が参加した。
 親・虎熊宗国の切り崩しのために行われた連合軍の侵攻は、鎧袖一触の様相をなす。
 燬峰軍団は三〇〇〇を武雄から有田方面へ送り出し、途中にあった住吉城をわずか一日で攻略。
 城主であった伊万里一門を討ち取った。
 佐世保から波佐見へ侵攻した佐世保勢も松山城を囲み、封殺。
 松浦から海岸沿いを進む松浦勢も飯盛城を囲んだ。
 武雄から川古城を落とした龍鷹軍団もいる中、伊万里勢は孤立無援を感じつつ居城・伊万里城へと立てこもった。

 この伊万里城へ燬峰軍団を主力とした連合軍が取り囲んだのは、鵬雲六年六月二七日だった。
 侵攻開始からわずか十日足らずで伊万里地方を蹂躙した連合軍は、伊万里川南岸に布陣。
 本陣を道祖瀬城(佐賀県伊万里市大川内町)に置き、松浦勢は吉武城(同県同市二里町)に布陣する。
 一方、伊万里勢は伊万里城東方に今岳城(同県同市大坪町)、地北祇園城(同県同市大坪町)、西方に金毘羅城(同県同市木須町)を確保している。
 また、北方の海岸沿いに姥ヶ城(同県同市黒川町)も確保していた。
 このため、伊万里城はまだ裸城ではなく、これを攻略するにはまだまだ軍事行動が必要な状況である。
 とはいえ、燬峰軍団と松浦勢が合流したのは、大きな出来事だった。






伊万里scene

「―――津村信隆と申す」

 鵬雲六年六月二八日、燬峰軍団が本陣を置いている道祖瀬城に松浦勢の当主・津村信隆が訪れた。
 津村は妹を燬峰王国国主・燬羅尊純の継室に嫁がせている。しかし、両者が顔を合わせるのは初めてだった。

「燬羅尊純だ」

 両者の立場は対等である。
 だが、率いる勢力の規模から言えば尊純の方が上だった。

(とは言え、侮れないがな)

 津村氏は古くから肥前に根差し、松浦郡を支配下に置いてきた豪族だ。
 お家騒動や内紛などで支配地域が減じたとは言え、松浦郡の三割を領している。
 さらに平戸島を中心にした交易などもあり、実石は六万石を超えていると考えられていた。
 燬峰王国の実石は三五万石であり、津村氏をはるかに凌駕している。
 それでも名門の力は侮れないのだ。

「電撃戦、お見事ですな」
「何の。伊万里の本隊を伊万里に貼り付けにした津村殿の功績も大きい」

 両者の言葉に他意はない。
 それぞれがそれぞれの役目を果たしたからこそ、伊万里城に臨んでいるのである。

「今日は何用かな?」

 こう聞きつつも、尊純は津村の訪問目的に確信を持っていた。

「伊万里の領土配分について意見を持ってきた」

(やっぱりか)

 尊純は読みが当たったことに対して、心の中で呟く。そして、視線を側近の尊次に向けた。
 当然、燬峰王国も戦後処理のことは考えている。

(津村殿が持ってきた意見次第では、決裂して戦闘になるやもしれんな)

 名門を名門たらしめるのは、長い歴史とそれに伴う矜持だ。
 燬峰王国は新興もいいところであり、尊純が求める合理性は、彼らにとっての不合理になりかねない。

「貴重なご意見、お聞きしよう」

 尊純が促すと、津村はふたりの間に置かれていた周辺地図に視線を落とした。
 そこにはすでに陥落した城や抵抗を続ける城、ここにいない部隊の配置などを示した駒が置かれている。

「波佐見、有田は差し上げる故、伊万里はこちらにもらえないだろうか?」
「・・・・お?」

 思っていたよりも控えめの提案で驚いた。
 先程、尊純が言った通り、波佐見・有田を攻略できたのは、津村勢が伊万里勢の主力を引きつけていたからである。
 派手ではないが、しっかりとした戦果は津村氏の要求以上を言ってきてもおかしくないと尊純は予想していた。

「しかし、まだ伊万里は落ちていないが・・・・」

 一応、意地悪を言ってみる。

「伊万里は我らが独力で落とす」
「・・・・んん?」

 伊万里城を筆頭とする城々には有田から撤退してきた兵の他に、近隣住民を収容していた。
 住民の一部を戦力化し、周辺城の合計守備兵は一〇〇〇と見られている。

「松浦勢は・・・・」
「二〇〇〇です」

 尊純の視線を受けた尊次が答えた。
 城攻めに必要な兵力は城方の三倍と言われる。
 それを覆すには策が必要だ。

「・・・・策が、そこの青年か?」
「ええ、この者は私の従兄弟で、伊万里の現当主の甥に当たる」
「ほう」

 尊純は津村の言いたいことを理解した。

「伊万里当主の弟が当家に逃げ込み、叔母と婚姻して生まれた子どもだ」

 つまり、かつての非主流派だが、伊万里の血を継いでいる。
 現当主を追い出し、御家存続を訴えれば、降伏する家臣団もいるだろう。

「しかし、それでも苦労するだろう」

 伊万里の現当主は、燬峰王国に攻められるという失態を犯したとは言え、致命的ではない。

「まあ、そこはうまくやるさ」

 津村がニヤリと笑った。

(別の策もあるのだな)

 ならば、安心か。

「しかし、伊万里だけでは戦功に報えないと思うが?」

 今後行われる唐津攻めでも津村氏は重要な役割を担っている。
 その戦果も含めて伊万里の支配確立では割に合わないのではないかと言ったのだ。

「だから、まだ希望があるのではないか?」

 尊純の言葉に笑みを浮かべ、津村は言った。

「では、我々津村氏を燬峰王国の一門衆にしてくれないだろうか?」
「・・・・っ!?」

 驚いた。
 本当に驚いた。

(名門、津村氏が燬羅氏の一門衆?)

 それは降伏に相当する。
 先も述べた通り、確かに両家の勢力は隔絶している。だが、こちらは臣従を要求していない。
 何故、津村氏は燬羅氏の一門衆になりたいのか。

(・・・・分からないならば聞くのが一番か)

「望外の要求に驚いている。何故、そのような要求をするのか?」

 尊純の質問に、津村は笑みを崩さずに言った。

「貴君と我が妹の娘をこちらの嫡男に嫁がせる。これで一門衆相当になるだろう?」
「・・・・確かにそれで我らの血の繋がりは明確になるだろう」

 なお、尊純の嫡男は前妻の間に生まれており、その嫡男が次代の当主になった場合、津村氏の血は入らない。しかし、津村が言う通りの婚姻が成立する場合、燬羅氏の血が津村氏の中に入る。
 燬羅氏次代からすれば、津村氏は二代続けての縁戚となるのだ。

「しかし、その答えでは、津村氏が燬羅氏の一門衆になりたい理由にならん」
「・・・・・・・・・・・・津村氏の歴史はお知りか?」
「・・・・肥前の名族としか・・・・」

 尊純は視線を尊次に向けた。

「・・・・では」

 尊次は津村に対して一礼し、口を開く。

「津村氏が肥前国松浦郡に根付いたのは数百年前となり、西海道に割拠する豪族の中でも屈指の歴史を持っています」

 これに対抗できる歴史を持つ名族はほとんどいない。
 松浦郡各地に割拠した一門がそれぞれの姓を名乗りつつ、水軍を用い、朝鮮半島の勢力と戦ってきた。
 しかし、長門から筑前に侵攻し、対馬を制圧した虎熊宗国が朝鮮半島との関係を築いたことで、西海道北部から対外戦争の危険性が薄れる。

「外圧が薄れたためか、ここ数十年は津村氏内での内乱が勃発し、郡内は乱れました」
「家督争いや独立運動家・・・・」
「その結果、いくつかの分家が独立し、本家の勢力は大きく後退したよ」

 津村が自嘲気味に笑った。

「昔は松浦郡全域が津村氏の勢力圏だったというのにな」

 松浦郡は非常に広大な郡である。
 その中には伊万里はもちろん、唐津、有田がある。
 さらに言えば、今は燬峰王国が支配する五島列島も、昔は津村氏の勢力圏であった。

「伊万里をこちらに取り戻し、唐津にも影響力を行使できれば、津村氏の全盛期に近くなる。さらに言えば、燬峰王国の一門衆となれば、盤石となるだろう?」
「・・・・燬峰王国の勢力を背景に家中を引き締めるということか」
「その通り。だから、これから我が陣中で何が起きても安心くだされ」

 昏い笑みを浮かべた津村に、尊純はため息をついて言った。

「あまり派手にしないでくれよ」

 口調をため口に変え、津村氏要求の受け入れを言外に示した尊純に、津村は笑みを深める。

「それはどうでしょう」

 ふたりの口調が変わり、両家の関係性が変わった。




「―――どうだった? 燬羅の当主は?」
「いけ好かなかったのではないか?」

 津村信隆は陣地に戻るなり、ふたりの叔父ら首脳陣を呼んだ。
 燬羅氏先代が変死した竜造寺の変で津村氏も先代を失っている。
 この頃、信隆は先代の嫡男であったが、まだ幼かった。
 このため、津村氏では家督相続争いが勃発した。

 信隆の父は四兄弟であり、父は長男だ。
 その次兄が家督を目指して反乱を起こし、信隆がいた本城・平戸城に入城しようと軍を進めてきた。
 信隆は翻意を察知して城門を閉ざす。
 すると、次男は攻撃してきたので、三日三晩の戦いの末に反撃に出た信隆は次兄を討ち取った。
 なお、この内乱に三男、四男は関与していない。
 内乱自体早期に終結したこともあるが、日和見したとも言える。
 だが、"一族の重鎮"としてあれこれ口を出してくるのだ。
 今回も信隆が南肥前の大国・燬峰王国にやり込められたのではないかと揶揄していた。

(心配ではなく、揶揄なんだよな)

 信隆は内心でため息をつき、げんなりした気分を隠す。

(確かに重要拠点をしっかり守ってはいるんだよな)

 三男は対佐世保の最前線である飯盛城(現長崎県佐世保市相浦町)を守り、四男は直谷城(現同県同市吉井町)を守る。
 ただし、両者とも在地豪族化しており、独自の勢力圏を築いていた。
 因みに次男が領していた籠手田城(現同県平戸市田平町)は内乱後に信隆が接収し、側近を城代に置いている。

「いけ好かなくはなかったですが、"やり手"という感じでした」
「ふん、それがいけ好かないのではないか」

 鼻を鳴らした四男が吐き捨てた。

「まあ、新興の奴らだ。こちらから名門がどういう者かを示してやらねばな」
「なるほど。本来は向こうから来なければならないのに、挨拶とはこうするのだと教えに行ったと言うことか」

 勝手に盛り上がっているこのふたりは、津村氏至上主義だ。
 だからこそ独立はしていないが、それに近い独断専行も行うことがある。
 実は今回の戦でも伊万里に味方するように主張したのだ。

(彼我の戦力差を理解できずに、松浦郡を侵攻する敵として見たとは・・・・視野の狭い)

「伊万里の領有は認められました」
「ほう、甥っ子は外交も得意なのだな。しかし―――」
「伊万里だけ? 有田は?」
「有田を制圧したのは燬峰軍団です。さすがにそれは望めないでしょう」
「だが、有田は松浦郡。領有する権利はこちらにあろう?」

(何でだよ)

 有田が津村氏の領土だったのは先々代の時代だ。
 そして、先にも述べたように血を流して有田を制圧したのは燬峰軍団である。
 それなのに、どうして津村氏に領有の権利があるのだろうか。

(この人たちの思考回路は意味不明だ)

 この戦国の世に名門の実力など、自身の矜持以外にない。
 つまり、外部に与える影響は皆無だ。
 名門が名門として継続するためには、時代に合った変化を受け入れて"生き残っている"からだ。
 何もせず、歴史にしがみついているだけでは未来はない。

「・・・・・・・・・・・・」

 信隆は三男の後ろにいる、彼の嫡男に視線を向けた。
 彼はその視線を受けて頷き、さらに視線を周囲の者たちに向ける。

「―――叔父貴殿、お話があります」
「何じゃ、まだこちらの話が―――」
「このまま隠居するか―――」

 信隆はゆっくり立ち上がり、小姓から刀を受け取った。

「この世から退場するかお選びください」



 鵬雲六年六月二八日、北西肥前の雄・津村軍陣中へ変があった。
 当主・信隆が叔父の両名を処断、従兄弟である三男の嫡男や側近たちと共に反主流派を制圧する。
 まるで伊万里勢から夜襲を受けたような騒ぎとなったが、翌日の朝には沈静化。
 改めて燬峰軍団の陣中に赴いた信隆は燬峰王国への臣従を表明した。
 尊純はこれを受け入れ、即座に行動を開始する。



 燬峰軍団は総力を挙げて、伊万里城東方の地北祇園城に押し寄せて銃撃戦を交わす。
 圧倒的多数の火器に城方が怯む中、津村勢が伊万里川を渡河。
 伊万里城と地北祇園城の連絡を遮断。
 これを見た地北祇園城勢が城を脱出し、迂回しながら伊万里城に合流した。
 さらに燬峰軍団はそのまま東方の今岳城に襲いかかる。
 今岳城も守兵が少なく、耐えられずに守備兵は四散した。
 こうして伊万里から大川への道を確保した燬峰軍団は東進。
 伊万里には津村勢のみが残る。
 同日中に大川地区を占領した燬峰軍団主力は、翌二九日には唐津との国境を越えて岸岳城を取り囲んだ。
 燬峰軍団を中心とした連合軍の作戦は、第二段階――唐津領攻略戦へと移ったのである。




「―――で、僕らには何もないのかな?」

 鵬雲六年七月一日、川古城。
 龍鷹軍団が駐屯するこの地は、大川地区を経由して岸岳城に攻め寄せた燬峰軍団にとって、重要な補給路になっていた。
 事実、前線からは物資運搬の依頼も来ているし、後方に残している部隊からも武雄を出発した補給部隊通過の報が届いている。
 しかし、龍鷹軍団の戦闘部隊に対する依頼は届いておらず、従流以下将兵は相変わらず待機状態だった。

「岸岳城の地に赴いても邪魔なだけですよ」

 従流の前で茶をすするのは幸盛だ。

「燬峰軍団が攻め寄せた岸岳城の南方から南東部は松浦川が切り開いた狭い場所です」
「こちらの二〇〇〇が行っても邪魔なだけ、か・・・・」

 同じく茶をすする舜秀。

「燬峰軍団は国見岳の北方に進出して新久田城を落として、岸岳城北西部への進出を開始していますから、軍の主力はそちら側になるでしょう」

 新久田城は現在の佐賀県伊万里市南波多町に位置し、この南波多を流れる徳須恵川を下れば北波多へと出る。
 北波多の地域拠点である波多城の向こうに岸岳城を臨むことができ、城の南方より緩やかな地形となっていた。

「大川から侵攻した燬峰軍団は相知に展開し、多久方面からの虎熊軍団増援を阻止する目的ですか」
「だと思います」

 従流の言葉に幸盛が同意する。

「さらに言えば、我らはその相知に展開する燬峰軍団を撃破しようとして出撃する虎熊軍団に対して、側撃できる位置にいます」
「二重に牽制し、虎熊軍団の行動を制約しているということですね」
「はい。だから、このまま声が掛からない可能性もありますね」

 そう言うと幸盛は再び茶を口に含んだ。

「―――それは困ります!」

 スパーンッと障子を開けて登場したのは結羽だ。

「それでは手柄が立てられないではないですか!?」
「「「・・・・・・・・・・・・」」」

 従流と幸盛、舜秀は茶を飲む手を止め、結羽を見る。そして、何事もなかったかのようにお茶菓子に手を伸ばした。

「ちょちょちょーい、なんで何も言わないの!?」

 従流に飛びつき、ついでとばかりにお茶菓子を奪い取る。

「いえ、手柄を立てる必要性を感じていないので」

 「むしろ、こうしている間にも手柄は立てているので」と続けた従流は奪い取られたお茶菓子を奪い返した。

「むぅ・・・・」

 結羽自身も理解しているのか、強く言ってこない。

「では、せめてここから女山峠の方に部隊を出し、より多久を圧迫してみたらどうですか?」
「それで虎熊軍団が向かってきたら戦わなければならないじゃないですか」
「? 戦えばいいじゃないですか」

 「どうせいつか戦うんだし」と結羽が言うが、従流はというより龍鷹軍団の戦略的に納得できない。

「全体の戦局に影響を与えない局地戦を引き起こす意味はありません」

 従流はしなだれかかってきた結羽を押し返し、お茶菓子を茶で喉の奥に流し込んで言葉を続けた。

「多久からこちらに向かってきた虎熊軍団に我々が敗北したら戦線崩壊に繋がりますが、こちらが多久の虎熊軍団を撃破してもほとんど意味はありません」

 唐津を攻める時の増援部隊をひとつ潰しただけだ。
 しかも、ほとんど遊兵と化させている今現時点で、すでに潰したとも言えるのに、だ。

「じゃあ、このまま待機ぃ?」
「はい、方針は変えません」

 従流は地図を見下ろしながら付け加えた。

「―――このまま、何もない限りは」




 鵬雲六年七月四日。
 燬峰軍団が北波多に到達、そのまま青山城(現佐賀県唐津市山本)を落として本陣を置く。
 さらに松浦川の東岸に進出し、青山城の対岸に位置する双水城を攻略した。
 これで多久-唐津線を完全に制約し、やや下流に位置する松浦川と徳須恵川の合流点も抑える。
 北波多の田中城(同県同市北波多田中)、畑島城(同県同市畑島)は自落していた。
 このため、この方面の敵方は波多城-岸岳城線に立てこもる虎熊軍団だけとなる。しかし、この虎熊軍団は元唐津勢だった。
 このため、旧主に連なる中津広高の使者を迎えた両城の守将は同月六日には降伏して臣従する。

 燬峰軍団はこれらの地域に一〇〇〇近い守備兵を置いて、さらに北上。
 畑島城を後方策源地にして現佐賀県道320号を北上し、神田城(同県同市山口・旭が丘)を落として唐津城下を支配下に収めた。
 中津広高は各地の旧臣に文書を発給、馳せ参じるように命じる。
 一方、唐津城の守備隊は大半を唐津城に籠りつつ、前線哨戒線を町田川北岸に置いた。そして、衣干山の南麓の神田氏館(同県同市西浦)、北麓の浜田城(同県同市桜町)を抑え、後方連絡線を確保する。

 唐津城は松浦川河口部の西方に位置するが、対面の東岸には虹の松原が広がっていた。
 ここを扼する拠点はないが、かつての虎熊宗国との国境を守った鬼ヶ城他脊振山系の北部に築いた城砦群にも守備兵がいる。
 燬峰軍団は松浦川東岸からおよび唐津湾を封鎖できないまま、唐津城攻めに臨もうとしていた。
 これは籠城に最も必要と言える補給線を確保されたままということになり、誰もが長期戦を予想する。
 もちろん、燬峰軍団はそれを良しとせず、短期決戦とするべく、策略を巡らせていた。




―――だが、それは虎熊軍団も同じだった。










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