「天才の帰還」/一



 肥前国諫早城。
 高城とも呼ばれるこの城は、燬峰王国の政治・軍事的中心になりつつある。
 王家・燬羅氏の本貫地は島原だが、拡大した領国を統治するにはより西にある諫早は都合が良かったのだ。
 結果、燬峰軍団の主力が展開するようになり、肥前北西部に対しても影響力を及ぼすようになる。
 肥前全体からしたら四分の一程度の面積を所有し、島原半島、長崎半島、西彼杵半島を領有するだけだった燬峰王国は、諫早への展開とある事件を契機に肥前全体の救世主扱いに変わっていた。






鷹郷従流side

「―――やっぱりここにいた」

 鵬雲六年八月十四日、諫早・天祐寺。
 諫早城のすぐ南に位置するこの寺は上山を背に建つ曹洞宗の寺だ。
 その一角に、"燬羅"従流とも呼ばれることのある鷹郷従流がいた。

「・・・・なにやらずっと僕は探されている感じですね」

 呼びかけに振り返った従流は苦笑する。
 まるでいつも城を抜け出し、家臣に探されていた兄・鷹郷忠流のようではないか。

「感じ、ではなく、その通りでしょうに」

 探していた者――燬羅結羽は腰に手を当ててため息をついた。

「おや? 脱走犯の気は僕よりもあなたの方が強いと思いますけど?」
「何のことかわかりませ~ん」

 つーんとそっぽ向いた結羽は従流のすぐ隣に腰を下ろし、その体を従流に預ける。

「「・・・・・・・・・・・・」」

 ふたりして諫早城の向こうに聳える多良山系を無言で眺めた。
 いや、その向こうを進んであろう軍勢を思う。

「先鋒が出陣して二日。もう武雄城に着いた頃合いだろうね」
「そうですね」

 燬峰軍団本隊の先鋒は多良山東方を抜け、鹿島を経由した後に武雄まで進んでいるだろう。
 ほぼ同時に出撃した大村の軍勢も嬉野を経由して到着しているはずだ。
 また、もともと鹿島に在番していた軍勢はそのまま残り、塩田川を挟んだ白石方面を睨む。

「伊万里はどう動くかな」

 唐津が虎熊軍団に蹂躙された後、伊万里・有田・波佐見は虎熊宗国寄りとなった。

「腹を決めていそうな感じですね」
「やりすぎたのかもしれないけどね」

 結羽が苦笑する。
 虎熊宗国にシンパシーを感じているのではなく、佐世保や松浦に介入した燬峰王国を警戒している節があった。
 元々の同盟国である佐世保をほぼ家臣化し、燬峰尊純の継室を輩出した松浦・津村氏もお家騒動に介入して従属させたに近い。
 北松地方の西部を勢力圏に取り込んだ燬峰王国は、伊万里を中心にほぼ同族とも言える北松地方東部からすれば得体の知れない勢力なのだ。

(実際に牙を剥いたのは虎熊軍団なのですがね)

 同様に慣習的に従属していた唐津が滅びた際、伊万里も燬峰軍団と同調して虎熊軍団と戦った。
 だが、虎熊軍団の撤退後は再び連携を拒んでいる。

(虎熊宗国寄りというより、独立勢力として立ちたいのかもしれませんが・・・・)

 時流に乗り遅れているとしか言えない。
 肥前は佐賀の虎熊宗国と諫早の燬峰王国の対立が表面化した以上、どちらかの旗幟を鮮明にしなければ生きていけない。
 燬峰王国は新興勢力であり、伊万里周辺に及ぼす影響力が小さい。そして、これまでの慣習など知らないのだろう。
 燬峰王国としては、来る虎熊宗国との戦いの前に、後顧の憂いを断つ必要があった。

「でも、従わないのであれば従わせるしかないのよね・・・・」
「今回の目的はあくまでも唐津の回復ですがね」
「うん」

 従流の言葉に結羽が頷く。
 唐津領主一門の多くは討たれたが、難を逃れた一門のひとりが失地回復を求めてきた。
 燬峰王国は彼を庇護し、現地の抵抗勢力や虎熊宗国の統治体制を確認して今回の遠征に臨む。
 その判断の中には銀杏国や聖炎国での対応も考慮されていた。
 おそらく、今回も虎熊宗国は動かない。
 そんな確信を得ていたのである。

「伊万里が向かってきても下すことは容易でしょう」

 「問題は―――」と従流が続けようとした時、結羽が従流の耳元で囁いた。

「そう言えば、あなたの実家からの援軍が到着したわよ」
「・・・・・・・・・・・・」

 思わず視線を結羽に向ける。
 その視線を感じた彼女が二の腕に頬ずりして甘えてきたが、そんな仕草に騙される従流ではない。
 徐々に温度が下がっていく視線に慌てたのか、結羽は早口で言った。

「相川舜秀殿を大将とし、副将に吉井忠之殿、後藤公康殿が率いる軍勢が小野城に到着したのよ」

 結羽の言葉に従流の表情が変化する。

「そして、この三名が先程諫早城に来着されたよ」
「・・・・・・・・はぁ」

 やや早口でそう言ってビクついて見せる結羽の頭を撫でて落ち着けてやり、従流はため息をついた。

「えへへ~」

 今日は甘えん坊で通すのか、手のひらに頭を押し付ける結羽を好きにさせ、従流は呟く。

「粋な計らいのつもりですか、兄上」

 先の諸将はかつて従流勢力とも呼ばれ、従流が龍鷹侯国から追放される契機となった人材だ。
 従流追放後は、長らく派遣された伊予増援部隊の主力となっており、年単位で遠征していた者たちである。

(確かに狭隘地での小勢力との戦闘に最も慣れた人材であることは確かですが)

 大野矢島で、復権を求めた兄・忠流からメッセージとするならば、それは明白だ。



―――帰ってくるのであれば、彼らをつけて一大勢力を築いてもいい。



 すでに忠流の地位は盤石であり、有力な一門衆が存在しても問題ない。
 また、海軍を統べる鷹郷勝流という存在がある以上、従流はそれに勝るとも劣らない貴重な名代となる。

(今回の援軍も、僕が率いることによって、"燬羅従流"としてではなく、"鷹郷従流"として動けってことでしょうしね)

 従流は燬羅氏の名を名乗り、現燬羅家当主の妹・結羽を娶ってはいるが、燬羅一門衆の扱いではなく、客将だ。
 尊純からすれば、お家騒動の種になるかもしれない従流が薩摩に帰ることを止めるはずがない。

(はぁ・・・・。ここでも僕は微妙な立場なんですよね~)

「また出家しましょうかね」
「―――っ!? それはダメ」

 従流の出家は、形式上ではなく、俗世との隔絶を意味する。
 それを理解している結羽は捨てられまいと、彼の二の腕にしがみついた。

「・・・・あなたも変わりましたよね」
「そりゃそうよ。一緒に死線を潜った仲じゃない♪」

 沖田畷の戦いでふたりは激戦を切り抜け、最終的には燬峰軍団大勝利に尽力している。
 その時から結羽の態度が変わった。

(まあ、確かに強烈な体験ではありましたけども)

 二の腕に結羽を貼り付けたまま、何とか立ち上がる。

「行くの?」
「呼んでいるのでしょう?」
「まあね」

 さっきから視界の端で、側近である真砂刻家がアピールしていた。
 きっと彼が本当の呼び出し係なのだろう。

「とりあえず、城に帰りましょう」

 そう言って、場所を貸してくれていた寺側に挨拶をして、従流は諫早城へと登城した。




「―――お久しぶりです」

 諫早城の広間で待っていたのは、相川舜秀だった。
 彼は一万石以上を食む大身でもあり、他国への使者としては十分である。だが、彼の出自を思えば、厄介払いとも言えた。

「舜秀殿こそ、お元気そうで」
「はっはっ!」

 黒く日焼けした頬をかき、舜秀が苦笑する。

(笑っていられるとは、素晴らしい胆力です)

 舜秀の父――貞秀は内乱の際、鷹郷貞流に付いた中でも主力軍を率いた。
 父の死後に家督を継ぎ、減封されたとは言え、家名は保つ。しかし、その後は従流に接近し、彼が率いる一手を支えることで存在感を放った。
 従流が忠流に警戒された要因のひとつと言える。
 だが、従流も自身にない指揮力を頼りにしたため、お互いにわだかまりはない。

「吉井殿も」
「はっ」

 吉井忠之。
 元・鷹郷貞流の子飼いであり、内乱では途中から忠流に仕えて奮戦。
 負傷したため乱後半は療養していた。
 このため、忠流を守って兄・直之以下一族郎党の多くが討死した岩剣城の戦いには不参加。
 兄の死後に家中をまとめ、従流を支えるが、やはり警戒されて遠ざけられている。

「若様、お元気で~、えぐえぐっ」
「公康・・・・」

 舜秀と忠之の後ろで、涙を拭うのは後藤公康だ。
 彼は従流に最初につけられた家臣であり、生母の実家の当主でもある。
 側近中の側近として親衛隊隊長とも言えた。

「あなたもお元気そうで」

 これら三将は従流追放時もついて行こうとしたが、背負う者も多く、龍鷹侯国に残っている。
 だが、忠流からしたら不穏分子であった。
 だから、四国の同盟相手である伊予時宗氏の増援に派遣されている。

(そして、成果を出すとはさすが)

 時宗氏が攻略した八幡浜に上陸し、宇和盆地を激戦の末に奪取。
 時宗氏主力が歯長峠を越えて三間盆地に攻め込む中、法華峠を越えて法華津七城を攻略。
 時宗氏本隊への補給路を確保した。
 長期戦の構えを取られた宇和島側は講和を選び、時宗氏に降伏する。
 時宗氏は中予・南予を制圧し、約二〇万石の大身となった。

(豊後水道が敵だらけの時に渡る根性。遠征軍には打って付けです)

 常に臨戦態勢にあり、小勢ながらも激戦を経験したこの三人は、龍鷹軍団の中でも異彩を放っている。
 帰国が命じられた後も、どこか所在なさげだったという。

「兵の数は?」
「おおよそ二〇〇〇。―――それと」

 舜秀の視線が従流の後ろに向く。

「武藤統教殿より、二〇の鉄砲隊を預かりました」
「・・・・くはは」

 従流の後ろにいた真砂刻家が堪えきれずに笑った。
 彼は従流の追放と共についてきた唯一の部将だ。
 そして、その出自は龍鷹軍団の最強鉄砲集団を率いる武藤家である。

「叔父貴も粋なことをする」

 刻家は内乱まで武藤家を率いて戦死した家教の嫡男だ。
 だが、家督は家教の弟――統教が継いだ。
 統教に従って戦うも、嫡流という血筋が家中の不和を産んだために出奔。
 忠流に拾われて真砂の姓を受け、そのまま従流につけられた。
 結局は、同じように出自で追放されることになった従流に従い、一緒に燬峰王国へと亡命したのである。

(従流陣営、か・・・・)

 この四将が、従流陣営とも従流勢力とも呼ばれる部将たちだ。

「しかし、二〇〇〇ですか」
「最も扱いやすい戦力ですね」

 先鋒・吉井忠之:五〇〇。
 次鋒・相川舜秀:五〇〇。
 本隊・鷹郷従流:七〇〇(後藤公康)。
 後衛・真砂刻家:三〇〇。

(この場合、龍鷹軍団お得意の陣形も採れる)

 先鋒および次鋒を左右に開き、後藤公康に四〇〇を与えて前に出す。そして、従流を本隊することで、龍鷹軍団が得意とする陣形になるのだ。

「今回、我々が向かう肥前北西部は、我々が戦ってきた南予に近い地形ですね」

 地形図を見ていた吉井が言う。

「少ない平地の中央部に築かれる本城とその周囲を取り巻く支城群」

 従流がそう言い、彼らに笑いかけた。

「確かにあなたたちの経験が最も生きる地勢かもしれませんね」

 龍鷹軍団も同じような地形だった豊後を攻略したが、今度の戦場は豊後よりも狭い地形だ。

「ただし、今回は燬峰軍団の援軍です。無理しなくてもいいですよ」
「いえいえ」

 従流の言葉に相川が言う。

「『鷹郷従流、ここにあり』とこの西海道に知らしめてやりましょう」
「いや、僕の名前ですか?」

 どこまでも持ち上げてくる相川らに苦笑し、従流は数年ぶりに戦場を目指し、翌日に出陣した。




「―――え、あなたも来るので?」
「そりゃそうでしょ」

 相変わらず馬に乗らずに輿で移動する従流の隣に駒を並べる結羽。
 彼女は見事な手綱さばきで馬を操りながら笑った。

「妻は夫の傍に常にいるものですよ」
「・・・・時と場合によると思いますけどねぇ」

 その武士らしい姿から視線を逸らすように従流がそっぽ向き、視線を北に向ける。
 龍鷹軍団は多良山系を東回りで通過。
 聖炎軍団の増援と共に、鵬雲六年八月十六日に鹿島城へと入った。そして、燬峰軍団八〇〇〇はさらに北方の武雄城に入っている。
 その目的は佐賀を牽制しながら、燬峰軍団に合流しない、伊万里・唐津の征討だった。

「ところで、僕の役割は知っていますか?」

 従流が結羽に聞く。
 彼女は燬峰軍団幹部だけで開かれた軍議にも出席していた。
 おそらくその軍議では今回の作戦の詳細が語られていたはずである。
 二〇〇〇もの兵が遊兵でいられるはずもない。

(とは言え、占領部隊への配属はないでしょう)

 最もあり得るのは佐賀への抑えとして、最前線に待機だった。
 それは六角川北岸に位置する久津具城がそれであり、虎熊宗国の最前線である樺島山城とは二二町(2.4km)ほどだ。
 ここに二〇〇〇もの軍勢が展開すれば虎熊軍団は無視できず、伊万里・唐津方面に援軍を出すことはできないだろう。
 因みに聖炎軍団は鹿島方面の常広城に入り、守備を固めている。
 龍鷹軍団にも同様の役目が与えられるのではないかと従流は考えていた。

「私たちは本隊付として、遠征に参加するよ」
「え゙?」

 結羽の言葉に、従流の喉から変な声が出る。
 本隊付。
 それは主力部隊と言えないだろうか。

「僕たちは外様ですよ?」
「"いいえ、親族よ"」

 従流の眸を覗き込み、結羽は諭すように言った。

「あなたの名前は、"燬羅"従流と言うのよね?」

 結羽はにっこりと笑いつつ、笑わない瞳で従流を見ながら続ける。

「燬峰王国王女である私の夫。それは立派な一門衆よね?」
「・・・・そうですね。継承権こそ放棄していますが」
「それは残念。でも、私は放棄していないわ」

 「隣国に女王も誕生したことだしね」と笑えないことを楽しそうに言う結羽に、従流は戦慄した。

(この人も強かだ。龍鷹侯国侯王の弟である血筋を、燬峰王国がそう簡単に逃しはしない、か)

 燬峰王国と龍鷹侯国の間に、それほどの信頼関係はない。
 お互いがお互いの益になる間は協力するが、害となるのであれば簡単に切り捨てる。そして、燬峰王国側からすれば龍鷹侯国侯王・鷹郷忠流に何かあった場合、従流を擁立しようと御家騒動を起こすだろう。
 その意思が従流になかったとしてもだ。

(さてさて、戦略的な謀略ではなかなか難しいですよ、兄上)

 従流は輿に座り直しながら、肩をすくめた。
 従流にできることは少ない。
 後は外交という場で戦われるであろう主導権争い次第だ。
 その場に参加する権限は従流にはない。

(まあ、残念とは思いませんが)

 従流は世捨て人もしくは出家した僧のように、己の境遇に対する興味が薄れつつあった。だが、それ故に彼を取り巻く環境はより複雑化し、傀儡としての役割を求めつつある。

「・・・・・・・・・・・・」

 その横顔を視界の端に収める結羽の頬がわずかに不満そうに膨らんでいたことに、従流は気がつかなかった。










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